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図1−12、タンザニアとザンジバル領有権の変化
なぜ両国は電撃的に合邦したのか・確かに両地域は・スルタンの支配 時代は海岸地域を中心として一体であったことも大きな理由の一つであ
るし、双方が経済力をはじめ、政治的にも国力が増大することも念頭に 置いてのことであろうが、十分な話し合いや予備交渉の時間もなく、期 間も短いことから考えて、この場合はザンジバルの国内、国際事情によ るものと考えたほうが妥当と思われる。国内的には、新政府にたいする
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スルタン支持者や、虐殺されたアラブ系住民(当時の支配層)の怒り、
人道的非難などの国内不安要因から目を外に向けさせられること、国際 的には宗主国イギリスやアラブ諸国を中心とする不承認や報復のおそれ が考えられ、さらに、国際的非難や国際的制裁(ボイコットなど)の圧 力に耐え得るだけの力も自信も持ち合わせていなかったことなどから、
十分考慮する暇も無く、政権を維持していくため(危機を乗り切るため)
に合邦の道を選んだものと考えられる。なぜならザンジバルは、後のタ ンザニアの社会主義化(ウジャマー)政策に対しても、いっこうに協力 的態度は取らず、先進資本主義諸国の民間資本を導入したり、香料の輸 出収益の連邦政府への引き渡し拒否や、集団化の進む農業分野に対して も独自の道を歩み、タンザニア本土とは全く別の政策をとってきたし、
連合としての協調性などは、全く見られなかったからである。タンザニ ア本土は、合併のため更に新たな問題を抱えた形になっている。将来政 権担当者が変わり、担当者の考え方次第で、両地域への対応が変われば、
再度分離するという動きが起こらないとは言い切れない。
3、コロンビア(グランコロンビ
ア、ヌエバグラナダ、グラナダ)
現在のコロンビア(パナマも含む)は、1810年ヌエバグラナダ副旧領 から直面(アマール)を追い出して独立を宣言したが、スペインの巻き 返しに遭い、再度独立を達成したのは、シモン・ボリパイルの軍がスペ イン軍を残滅した1819年のことであった。南米独立の父といわれるシモ
ン・ボリパイルの軍は、この時三度目の独立を果たそうとしていたベネ ズエラをも制圧し、まだ制圧はしていなかったが(1822年征圧した)エ
クアドルの代表者も含めて「グランコロンビア連邦」を結成し、南米北 部のリーダー国家となった。スペインからの独立という大目的に向かっ て結束できたので ?驕Bしかし独立も」段落すると、目は国内に向けら れ、1830年には各国政治家の対立が激しくなり、結局ヌエバグラナダ共 和国、ベネズエラ共和国、エクアドル共和国の三国に分離して、それぞ れの道を歩むことになった。
現在のコロンビア国領域は、元々ヌエバグラナダ副虚聞の中心地域で あり、発見当時からヌエバグラナダNueba Granadaと呼ばれていた。こ あ名はスペイン語で 新グラナダ を意味した。グラナダはスペイジの グラナダ市に因んで命名したもので、語源的にはスペイン語で ザクロ
という意味である(1,。これを1819年三地域が連合して独立する時、
スペイン支配名を捨て、新たな名称牽用い「グランコロンビア連邦」と いう名称にした。グランはスペイン語で 大きい を意味し、コロンビ アColombiaは最初にアメリカ大陸に到着したクリストファー・コロンブ スの名に因んだもので 大コロンブスの国 を意味した(1)。「コロンビ ア」の名は、元々G・F・ミランダが1811年ベネズエラに充てた名称で あ?たが、3地域の同盟時に国名として適用されたものである。しかし 1830年の連邦解消後は、「ヌエバグラナダ共和国」に戻し、そめ後1858 年には「グラナダ連邦共和国」、1S63年には「コロンビア合衆国」、1886 年には現在の名称である「コロンビア共和国」へと、数回改名している。
この原因はその後の 国内の政争(二大政党)の激化と、それによる対立
(暴動の発生など)に基づくものといえる。すなわちこれらを解決する 手段として、憲法の一部修正をもって政争の休戦協定を結んだり、妥協
しながら何とか政治を運営してきたが、この政治的変化を国民にアピー ルする方法として国名の改名が利用されたのである。
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またベネズエラVenezuelaは、1811年、1813年の2度「ベネズエラ共 和国」として独立していたが、2度ともスペインの軍に制圧され、3度
目の独立で「グランコロンビア連邦」として独立し、1830年の分離独立 時に3度目の「ベネズエラ共和国」という名称を国名に採用した。こ0 ベネズエラという名称は、スペインのオベダ(オビエダ)が1499年マラ カイボ湖の杭のうえに家屋を造り、漁業を営んでいたオノテス族を見て、
イタリアのベニス(ベネチア)を思い出し、スペイン語のベニスBehzと ウエラuelaを合わせ 小さなベニス の意味で名付けたものといわれて いる(1)。これが地方名や国名にも用いられたのである。
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ヌエバグラナダ時代の領域
ベネズエラ b−oo;cs,十,
鱒大コロンビア国の領土
純英領ギナヘ
ブラジルへ
大コロンビア時代と分裂後
図1−13、南米大陸北都の領土領媛
朝日タイムズrコンパクト版世界歴史地図j朝日新聞社1984 を参考に作成
エクアドルEcuadorは、スペイン語で 赤道 の意味であり、1830年の 分離独立時に地域性を明示する意味で、赤道直下にあることから名付け
たものである(1)。
3国は住民の状況を考慮して独立戦争や合邦を行った訳ではなく、独 立を勝ち取るという目的のため結束しただけであり、3地域の政治家の 利害が対立すれば、当然分立に発展するのである。
V■、独立後の合邦とその後の分離
独立国家が何らかの理由で、一度合併して国名を変更したが、やはり 政治、民族、経済的問題等が絡み、結局長続きせず、元の単独国家に戻
した連合国家がある。アラブ連合やセネガンビアはこの例に当てはまる。
そしてこの連合時の国家名称は、もはや使用せず、元の国名に戻した国、
新たに国名を命名した国などあるが、なぜ合邦が成功しなかったのかに ついて国名の由来もみながらその政治的背景を考察してみる。
■、アラブ連合(エジプトとシリア)
イギリスの保護領から「エジプト王国(立憲王国)」として独立した のは1922年であった。大戦後パレスチナ地区に、ヨーロッパからユダヤ 人が入植し、1948年イスラエルが独立を宣言するにおよんで、アラブ諸 国(地域)では、反欧米、反イスラエルへと発展していった。
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