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用や、さらに「レーニンLenin通」、「レーニンLenin広場」などの小地 域名に至っては、ソ連だけでなく、世界の社会主義諸国にも、数え切れ ない程多く輸出された。これらの地名の特徴は、殆どがレーニンの死後 に命名されたもので、レーニン自らの意志で改名したものではない。そ れはスターリンによって、功績が讃えられ、社会主義の神髄ともてはや された結果、改名して増加したものである。レーニンの地名は、スター リンが自らの個人地名命名と共に、政権運営上、レーニンの名をうまく 活用したというのが本音だったといえるだろう。またレーニンに由来す

る地名は、ソ連崩壊まで改名されていないのも特徴であった。しかしレ rニンの地名といえども、ソ連崩壊後は嫌われ、特に主要地域の地名ほ ど改名された。ただソ連領内では、数からみると、図2−2にみられるごと く、それほど改名された地名が多いとはいえないが、ソ連との関係上、

当時レーニンの名称を用いざるを得なかった東欧諸国では、軒並み改名 が行なわれた。

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 ここで代表的地名(都市名)を幾つか取り上げ、その歴史を振り返り ながら、旧地名と、その背景についても簡単に触れてみたい。ただここ ではレーニンのつく地名で、現在に残っている地名の主なものを記述し、

改名されたものは、ソ連崩壊後の地名変更で取り上げることにする。

 「レーニンスククズネツキーLeninsk−Kuznetskii」という都市は、古 くは「コリチューギノKorchugino」と呼ばれた。ロシアのケメロボ州 にあるが、1870年頃から石炭の採掘地となってから成長した。レーニン の死により、1925年に彼を讃え「レーニンスククズネツキー Leninsk−

Kuznetskii」 製鉄所のあるレーニンの都市 の意味と改名した(Dが、

これは社会主義国時代の代表的工業都市を目指し、さらに地方の中心工 業地に発展することが期待されたからである。レーニン名を用いること

は、当時としてはかなり成長著しい都市であった。

 「レニノゴルスクLeninogorsk」は、もと鉱山都市として開発され、最 初は鉱山を発見した技師リ・一デルRidderに因み「リーデル」と名付けら れていた(4)が、1941年レーニンの名を借用し、ロシア名で「レニノゴ ルスクLeninogorsk」 レーニンの山の町 の意味(1941)と改名された(7)。

この都市はカザフスタン共和国だが、同名の都市がタタールスタンにも 命名された。両都市とも共和国最大の工業都市に成長することh, 期待さ れて改名がおこなわれたのであった。

②、スターリンの地名

 これに対しスターリン(本名ジュガシュビリDzhugashvili)の名称に 変更させられた主要な地名をあげると、ロシア語名では「スターリング

ラードStalingrad」(1926〜 61) スターリンの城下町 をはじめとして、

「スターリンスクStalinsk」(1932〜.61)鱒スターリンの町 の意味や、

「スターリンスキーStalinskii」、 「スターリンスカヤStalinskaya」、

「スターリンスコエStalinskoye」、 「スターリノStalino」(1924〜 61)、

「スターリナStalina」などがみられるが、共に スターリンの とい うような意味であった。「スターリノゴルスクStalinogorsk」(1934〜 61)

は スターリンの山の町 を意味した。

 ロシア語以外では「スターリナバードStqlinabad」(1929〜 61)はタジ ク語で スターリンの町 を意味し、他にソ連領以外の都市名では、ブ ルガリアの「スターリンStalin」 (現バルナ市1957年改名)やルーマニ アの「スターリンStalin」(現ブラショフ市1960年改名)、ポーランド の「スタリノグルド」(現カトービツェKatowice)などの主要工業都市 名にも命名された。この他「スターリ『ンStalin通」や「スターリン広場」

などの小地名に至っては、国の内外を問わず数多く命名され、しかもこ れら殆ど全ての地名は、本人の権力掌握中に改名した、またはさせたも ので、権力の掌握度が増す(粛清が行われる)程、その数が多くなって

いった。

 またスターリン時代は、農業国から世界有数の重工業国に脱皮した時 期でもあり、それ故、スターリンの名称を命名した地名は、都市名の中 でも、当時急速に工業化した成長著しい都市名の代名詞として用いられ たものと考えられる。そしてこのような都市名から自然地域の名称(ス ターリンStalin峰など)、さ 轤ノストリート名や広場名に至るまで含め ると、その数は少なくとも百は下らなかったといわれている。これを第 二次世界大戦時の3巨頭(スターリン、チャーチル、ルーズベルト)の 地名への用いられ方と比較してみると、チャーチル本人のものは1っも みられず、ルーズベルトはロッキー山麓の小さな町名などに用いられて

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いるだけである。いかにスターリンが独裁的で、個人崇拝を強要させて いたかが地名からも理解できる。

 このような理由も加わって、フルシチョフの「スターリン批判」(1956 年)が行われた訳であり、1961年の「第二次スターリン批判」以降、ア ルバニアの「スターリンStalin」 (1950年まではクコベKugoveと呼ばれ た)以外は、数年のうちにソ連、東欧諸国から「スターリン」名のつく 地名は、殆ど全て抹消されたといわれている。社会主義体制継続中であ

るにもかかわらず、抹消された理由は、極端な個人崇拝に対する批判、

スターリンの厳しい粛清に対する批判からであった。

 スターリンの地名は「第二次スターリン批判」以後、ソ連領内の地名 は再改名にあい、残されていないので、以前命名された主要地名の具体 例を幾つかあげながら、簡単にその由来や特徴をみる。

 最も代表的地名であった「スターリングラード」は「ヴォルゴグラー ドVolgograd」へ改名させられた。位置的には、タタール名のツァリー ツァ(語源的にはチュルク語で 黄色い川 という意味σ))川とボルガ の合流地点にあり、古くからタタール人などアジア系民族の支配地であっ て、常に重要な軍事拠点、経済拠点、交通の要所となっていた。ここを ロシアのイワン六二が、1589年に支配下に入れ、南方進出のための要塞 を建て、河川名の発音を参考にして、「ツァーリツインTsaritsyn」と名 付けた。ロシア語で 皇后の都市 という意味である(7)。この都市に

ロシア革命後、国内の革命軍と、反革命軍との最初の激しい戦いが行わ れ、革命軍(赤軍)が守り抜いたことから、1925年、当時の権力者スタ ーリンの名を記念して「スターリングラードStalingrad」ロシア語で スターリンの城下町 の意味に改名したのであった )。しかし 61年の 第二次スターリン批判により「スターリン」の名称は抹消され、今度は

ロシアの母なる川、ボルガに因み「ヴォルゴグラードVolgograd」と再 改名されたのである。ロシア語では ボルガ川の城下町 という意味に なる(1)。なおボルガの語源については、古スラブ語ウォルコイVolkoi 大きい の意味であるという説。4)、ブラがVlaga超湿った という謙(

7)など多数みられるが、どれも明確ではない。

 他の主要都市では、「スターリナバード」は「ドシャンベDushanbe」

へ改名させられた。この都市は、7世紀頃に建設され、ロシア革命まで は小さな地方町で、「デュシャンベDyushambe」と呼ばれていた。タジ ク語で 二番目の夜 の意味である。二番目の夜とは 月曜日 をさし、

月曜日に市が開かれたことから発生した名称といわれている(7)。1924 年、ここがタジク共和国の首都に選ばれ、急速に工業化し、最盛期には タジク共和国の工業生産の3分の1余りも生産する工業都市となった。

このように急速に工業化したことから、1929年、当時の権力者スターリ ンに因み「スターリナバードStalinabad」  スターリンの町 の意味と 改名したのである(D。アバドAbadはタジク語で 町 を意味する。し かし1961年のスターリン批判のため、最初の名に戻し、現在に至ってい

る。

 「スターリノ」は「ドニエツクDoガetsk」へ改名させられた。ここは 1869年カーリミウス川のそばに、イギリス人ジョン・ヒューズが石炭を 活用した冶金工場を建設してから発展し、町の名を自分の姓に因み、ロ シア語で「ユーゾフカYuzovka」  ヒューズの町 の意味と名付けてい たCi)。しかしソ連時代になって、ドネツ地方の大工業都市(中心都市)

に生まれ変わったため、1924年、当時の権力者スターリンに因み、「ス ターリノStalino」と改名したのだが、これも1961年スターリン批判の 中、今度は「ドニエツク」と再改名された。「ドニエツクDon etsk」と

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は ドネツ(地方)の都市 という意味である。なおドネツ地方の名称 自体はドネツDonets川に由来し、 小さなドン(Jll) の章味である。

etsは指小形の接尾辞で 小さい を意味する(7)。

 「スターリンスク」は「ノボクズネツクNovokuznetsk」へ改名させち れた。都市の名称は、最初の特徴から「クズネツクKuznetsk」といわれ た。ロシア語で 製鉄の町 という意味であった(7)。のち「ノボクズ ネツ クNovokuznetsk」 新しい製鉄のiHT の意味と改名し、1930年には 冶金コンビナートが造られ、ソ連の冶金工業の大中心都市に発展した。

その発展が急速であったが故、1932年には、スターリンに因み「スター リンスクStalinsk」 スターリンの町卿の意味と再改名させられた(D。

しかし1961年スターリン批判の中、旧名に戻し「ノボクズネツクNovok−

uznetsk」とした(7)。ノボNovoはロシア語で 新しい を意味する。

 「スターリノゴルスク」は「ノボモスコーフスクNovomoskovsk」へ改 名させられた。この都市は、ロシア西部ツーラ州にあり、1934年までは

「ボブリキBobriki」と呼ばれる小さな町であった。ここはポドモスク ワ炭田の地域内にあり、石炭をはじめ窒素肥料、石膏コンビナート、食 品工業などがii{, こり、工業化の発展が著しいことから「スターリノゴル スクStalinogorsk」 スターリンの山の街 の意味と改名させられた(7)。

ロシア語でゴルスクgOrskは 山の街 を意味する。ここも1961年スタ ーリン批判により、今度はロシア語で「ノボモスコーフスクNovomosko−

vsk」 噺しいモスクワ(炭田)の町 の意味に再改名したq)。

 (2)、レーニン、スターリン以外の人名

①、1930年代以前の個人地名

スターリンが政権を固めた1930年代以前に命名された個人地名は、それ