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       図2 1・.「胴鞠馳合した名称例    (拙㈱

 他に「オクチャーブリスキーOktyabr skii」(旧ソ連領20ヵ所以上)

や「オクチャブリスコイエOktyabr. skoye」 (8ヵ所以上)は共にu10月

(革命)の というような意味となり、「クラスヌイオクチャーブルKra−

snyioktyabr」はf赤い10月(革命) の意味となる。他に「オクチャ

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ブルOktyabr vや「オクチャブリスカヤレヴォリュツィー Oktyabr   ska−

ya Revolyutsii」などの地名もあり、これらは全て革命の時期をそのま ま地名化したものである。社会主義の出発点となる名称を選んだものと

いえる。

 (3)、「メーデー」を地名化した名称

 「メーデー」に関したロシア語地名には「ペルヴォマイスクPervoma−

ysk」(ロシア共和国とウクライナ共和国にみられる)がある。ペルヴォ マイPervomayは 5月1日 という意味であるから「ペルヴォマイスク」

は}語源的には 5月1日の都市 の意味となる。これは社会主義の最大 の祭典である「メーデー」を地名化したものである。他に「ペルヴォウ ラリスクPervoura 1 sk」は (5月)1日のウラルの町 を意味し、「ペ ルヴォマイスコイエPervomayskoye」(3ヵ所以上)や「ペル.ヴォマイス カやPervo皿ayskaya」、「ペルヴォマイスキーPervomayskiy」(llカ所 以上)、「ペルポマイカPervomayka」などは、共に 5月1日の というよ

うな意味となる。

 (4)、「共産主義青年同盟」を地名化した名称

 「共産主義青年同盟」に因んだロシア語地名としては「コムソモリス ク・ナ・アムーレKomsomorsk−na−Amure」 アムール川流域の共産主義 青年同盟の町 の意味の都市がよく知られている。単に「コムソモリス

クKomso皿orsk」 (4ヵ所以上)  共産主義青年同盟の町 の意味の地 名もある。他には「コムソモリスキーKomsomorskiy」(5ヵ所以上)、

「コムソモリスコエKomsomorskoye」(4カ所以上)、「コムソモルスカ やKomso皿orskaya」などは 共産主義青年同盟の という意味であり、

「コムソモラバードKomsomolabad」(タジク共和国)は 共産主義青年 同盟の都市 を意味する地名である。さらに「コムソモレーッKomso皿o−

1ets」島、「コムソモレーツKomsomolets」湾などの自然地域名にも活 用されているが、これらは 共産主義青年同盟 の活動都市、または活 動地域を指した名称であった。社会主義の理想に燃えた若人の開発地域 であり、国家の発展を夢見て開発にあたった、またはあたらせた状況が よく理解できる地名といえる。

 (5)、「第3インターナショナル」を地名化した名称

 「第3インターナシ、ヨナル」に因んだロシア語地名として「コミンテ ルンKomintern」(ウズベキスタン)という町もある。  共産主義インタ ーナショナル という意味そのものを地名化したものであ乙。他に「コ

ミンテルノボスコイエKominternovskoye」があるが、これは 新しい共 産主義インターナシゴナルの というような意味である。ソ連でも珍し

い地名である。

 (6)、社会主義化のために命名された代表的地名例

 ここで代表的地名(都市名)を幾つかを取りあげ、都市の地名命名又 は改名からみた歴史を振り返り、その背景についても簡単に触れていき

たい。

 「クラスノウラリスクKrasnoura1 sk」は、1925年の社会主義国家成立 後の銅鉱申開発により建設された新しい都市であっ.tc。ウラル山脈の東 部に位置することからU赤いウラル(山脈)の町 の意味で「クラスノ ウラリスクKrasnourarsk」と名付けられた(D。なお「ウラル」という 地名についても触れておくと、いろいろな説があって定説はないが、そ

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の中でも有力なものは、オスチャク語で 帯 の意味という説である(P。

彼らと交易したロシア人は、古くは山脈の南部だけをウラルと呼び、そ の他は「カーメニKamen 」 石 の意味と呼んでいたらしい(4)。そのウ ラルが、そのうちに山脈全体の呼称に用いられるようになったものであ る。社会主義国になってから発展した代表都市であったので、社会主義 化を強調する目的のため命名したものであろう。

 「ウランウデUlan−Ude」は、1666年セレンが川とウダ川との交流点に、

1666年「ウーデンスコエUdinskoe」ロシア語で ウダ川の という意味 のコサックの冬営所が建てられたのを起源とするu)。この3年後に、位置 的条件から、今度はロシア語で「ベルフネウデンスクVerkhneudinsk」要 塞 ウダ川上流の都市 という意味に改名された(7)。この町は、帝政 時代にはザバイカルの商業の一中心地にまで発展し、ソ連政権時代にな ると、さらにブリヤート自治共和国の文化、経済、政治、工業など全て の中心地に選ばれて急速に発展したことから、1934年に社会主義化を讃 え、ブリヤート語で「ウランヴデ」 赤いウダ川 の意味に改名された

(7)。ブリヤートの代表都市という意味が込められている。

 「ヨシカルオラYoshkar−Ola」は、1584年にマーラヤコクシャーがMa−

1aya Kokshaga川沿いに、「ツァレボコクシャーイスクTsarevokokshaisk」

ロシア語で 皇帝のコクシャーが川の都市 という意味の町として建設 された。これが市の起こりである。革命後、マ.リ自治州(後共和国)の 首都となると共に、1919年皇帝(ツァリー)の名称をきらい、社会主義化

に因んで、ロシア語で「クラスノコクシャーイスクKrasnokokshaisk」

ヤいコクシャーが川の都市 の意味に改名された(1)。その後マリ共和 国の政治、経済、文化、工業など全ての中心に成長したため、それを示 すことから、1927年にマリ語で「ヨシカルオラYoshkar−Ola」  赤い都

市 の意味に再改名されたq㌔ロシア名から現地名に変更した珍しいケ ースである。共和国の中心であることを前面に出し、さらにマリ人の民 族性を内に秘めた、無言のロシア人に対するささやかな抵抗であったの かもしれない。

 「クジル・オルダKzy1−Orda」には、もともとアクメチェティと呼ば れる要塞があったが、1853年にロシア軍がこれを占領し、ここを「ペロ ーフスクPerovsk」とロシア名に改名した。.この都市は、1924〜29年にか けて、カザフの首都となったことから、地名もカザフ語で 赤い都市 を意味する「クジル・オルダKzyl−Orda」に再改名された(D。社会主義 化したカザフの中心都市を表すための改名であった。

 「コムソモリスク・ナ・アムーレKomsomorsk−na−Amure」の場合は1932 年、ソ連全土から集まって来たコムソモールにより、アムール川下流の 森林と湿地を開発して建設された極東の新興工業都市であった。若者の 情熱、努力などの功績を讃え、地名もロシア語で「コムソモリスク・ナ・

アムーレKomso皿orsk−na−Amure」  アムール川流域の共産主i義青年同盟 の町 の意味と名付けられた(1)。当時は、社会主義国家建設の熱意が強 かった時代であった。

3、社会主義化における人名

   (権力象徴)の地名化

 (1)、レーニンの地名とスターリンの地名

 ソ連では両方とも非常に多く命名された地名で、ソ連以外の社会主義 諸国でも、よく活用された地名であった。また地名に限らず、工場、病 院、学校その他の組織団体や機関名称等にも大変よく使用された。おそ

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らく、この名称はいくつ命名されたのか、数えることができないほど、

多かったといわれている。

①、レーニンの地名

 レーニンLenin(本名ウラジミール・イリアッチ・ウリヤノブVladim−

ir−i1 ich−U1 凾≠獅盾磨jに由来する地名は、マルクス・レーニン主義とし て、世界各地に社会主義国家が増大するにしたがい、その数も多くなっ ていった。その主な地名の中でも、都市名を中心にみていくと、ロシア 語名では「レニングラードLeningrad」 レーニンの城下町 (1991年 改名)をはじめとして、「ウリヤノフスクUl yanovsk」 ( ウルヤノブ の町 を意味、1991年改名)、「レーニンスククズネツキー一 Leninsk−Kuz−

netskii」( 製鉄所のあるレーニンの都市 を意味)、「レーニノゴルス クLeninogorsk」(   レーニン山の町 を意味)、「レニンゴリLeningori」

( レーニン山 を意味)などが命名された。さらに「レニーナLenina」、

「レニーノLenino」、「レニンスキーLeninskii」(共に レーニンの というような意味)も数多く命名され、変わった名称では「レーニニズ ムLeninizm」( レーニン主義 の意味)という更に政治色の強い地名ま で見られるようになった。

 ロシア名以外でも「レニナカンLen i nakan」(アルメニア語のアカソakan 都市 を付けて レーニンの都市 を意味(D、これも改名)や「レニ ナバードLeninabad」(タジク語のアバドabad 都市 を付けて レーニ ンの都市 を意味(D、これも改名)はよく知られた名称であった。この 両都市は、地方の中心都市の一つだったからである。その他にも、各ソ 連各共和国には、それぞれレーニンに因む都市名が数多く命名された(図 2−2を参照)。また「レーニンLenin峰」をはじめとする地形名称への活

用や、さらに「レーニンLenin通」、「レーニンLenin広場」などの小地 域名に至っては、ソ連だけでなく、世界の社会主義諸国にも、数え切れ ない程多く輸出された。これらの地名の特徴は、殆どがレーニンの死後 に命名されたもので、レーニン自らの意志で改名したものではない。そ れはスターリンによって、功績が讃えられ、社会主義の神髄ともてはや された結果、改名して増加したものである。レーニンの地名は、スター リンが自らの個人地名命名と共に、政権運営上、レーニンの名をうまく 活用したというのが本音だったといえるだろう。またレーニンに由来す

る地名は、ソ連崩壊まで改名されていないのも特徴であった。しかしレ rニンの地名といえども、ソ連崩壊後は嫌われ、特に主要地域の地名ほ ど改名された。ただソ連領内では、数からみると、図2−2にみられるごと く、それほど改名された地名が多いとはいえないが、ソ連との関係上、

当時レーニンの名称を用いざるを得なかった東欧諸国では、軒並み改名 が行なわれた。

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