• 検索結果がありません。

資本主義と競争市場

第5章 シュンペーターにおける資本主義の現代的意義

第2節 資本主義と競争市場

資本主義を実質的にリードしてきたのは誰か.それは企業家だというが,シュンペータ ーはなぜそう考えたのだろうか.ワルラスの一般均衡理論はそれがいかにシンプルでかつ エレガントな理論で組み立てられようとも,資本主義は経済を超えたさまざまな社会的,

文化的,政治的制度などによって支えられ発展してきた.このことを一番熟知していたの がシュンペーターである.ここに彼の新たな挑戦が待ち構えていたことになる.

168

これに関連してもう一つ指摘しておかなければならないことがある.それは不況あるい は恐慌に対する認識についてである.周知のように,当時のマルクス主義の人びととケイ ンズ学派の人びとでは,異なった見解を示していたのである.これに対してシュンペータ ーは,そのどちらにも味方せず,不況といえども資本主義のもつ景気変動のリズムの一齣 にしかすぎず,とりたてて特別扱いするほどのものではなく,「不況は『お湿り』だ」と言 ってのける.ただし,シュンペーターといえども恐慌やパニックに対しては,単に市場に 任せておけばよいと考えず,避けるべき混乱であり,しかるべき手を打たなければならな いと認識していた.

しかし,シュンペーターの考えに対しては,S.クズネックが1940年6月の American

Economic Review 誌上で,企業家能力の配分と経済活動の循環的性質との関係で異議を

唱える(29).だがそうは言っても,短期的な視点に基づく政策の有効性を求める前に,われ われはシュンペーターの仮説に耳を貸すべきだろう.なぜなら,1970年をピークとして現 在がおそらく長期波動(コンドラチェフの波)の下降期にあるという見方を支持するとす れば――もちろんコンドラチェフ説には理論的にも統計的にも不備な点のあることを承知 の上で――,1970年~2013年,2014年,あるいは1970年~2021年,2022年に至るま での43年,44年から56年,57年間の資本主義的経済過程のあり方を,いかにしてシュ ンペーターのモデルで描き得るかという課題が残されるからだ.このことに関しては,岩 井克人が既に「シュンペーター経済動学(1)~(3)」(『季刊現代経済』1981 年12月~1982 年 6 月)の中で,経済構造を内部から革命化する創造的破壊の過程を体系の中核に据え,

新たな長期的動学の可能性を模索している.

この論文を発表するに当たって,岩井は次のようなコメントを付す.「それは,資本主義 企業により革新,模倣,成長といった現象を,将来まで見透かせる予想能力をもった(超)

合理的な経済主体の最適化行動の結果としてではなく,絶えず生存あるいは成長のために 競争している企業同士の複雑な相互依存関係が生み出す不均衡過程として分析しうる手法 を開発する試みだ.また,それは同時に,経済成長や技術進歩といった『長期的』経済現 象をも一種の不均衡過程と見なすことによって,長期を均衡と同一視し,不均衡を単なる 短期的問題として無視する伝統的な経済観に対する一つの批判を目ざすものである」(30)

確かに,岩井のモデルは表面的にはシュンペーターの動学化だと威勢がよいが,市場構 造と技術進歩を結ぶ関係をないがしろにした非常に限定されたものになっている.何もこ れは岩井だけに限ったことではなく,R.R.ネルソン,S.G.ウィンター,F.ラーメイヤ,

そしてG.シルバーバークなどのシュンペータリアンをみればわかるとおり,彼らが果敢に 動学化モデルに挑戦してきたが,いまだ成功するに至っていない.

独占のもつ意味

シュンペーターは 1910 年代を境として,それ以前が「競争的資本主義」の時代,それ

169

以後を「トラスト化された資本主義」の時代に分けて,両者間における独占あるいは独占 的競争のもつ意味の相違に注目し,分析を行なっている.

これまでの独占あるいは独占的競争に関する議論を踏まえて整理するならば,われわれ は次のように説くことができる.独占が発生した場合,新古典派の経済学者は停滞型の企 業を警戒し,シュンペーターはイノベーション型の企業を重視し,前者は独占的競争の結 果への関心,後者は独占的競争の過程への関心にそれぞれ対応する.特に,シュンペータ ーは独占の形成によって一層イノベーションを促進できることを強調したが,M.ドップは この見解に対して疑問を投げかける.なぜならば,この議論はある程度正しいかもしれな いが,技術の進歩は独占にもかかわらず起こるのであって,独占だから起こったのではな いからだ(31).そうであれば,シュンペーターの独占に対する考え方をどのように理解して おけばよいのだろうか.シュンペーターにおける独占の位置づけは,現象面では一種の独 占擁護論だといえるかもしれないが,本質面では資本主義から社会主義への可能性を探るため の分析装置としての役割が暗黙裡に隠されている.

デイビッド・ベサンコ,デイビッド・ドラノブ,マーク・シャンリー,およびスコット・

シェーファーの4名はその著『戦略の経済学』(第3版,2004 年)の中で,「シュンペー ターは,自由市場のさまざまな利点を売り込むときに,価格競争の結果にもっぱら焦点を 当てる経済学者を批判した.本当に重要なのは価格競争ではなく,新製品や新技術,新種 の組織間の競争だった」(32)と指摘する.シュンペーターの創造的破壊は静態的効率性より も動態的効率性に重点をおき,企業家が意思決定に際して利益の最大化を求めるのではな く,動態的遂行能力をいかに発揮できるか否かによって決まる.それ故に,競争的資本主 義が過ぎ去り,トラスト化された資本主義にとってかわるというのがシュンペーターのシ ナリオである.

その他,シロス‐ラビーニによるシュンペーターの独占的大企業論に対する批判もある が,いずれにしても,現実の企業の浮沈はどうなっているのだろうか.われわれは米国に おけるイノベーションの歴史からそれを学ぶことができる.例えば,1970年代から1980 年代の不況に苦しんだ米国は,90年代に入って大復活を遂げる.そのきっかけになったの は株主と顧客を重視し,徹底的に経営効率を追求した大企業のカムバックと,ITを駆使 しながら,次々と新しいものを商品化する企業の群生,いわゆるベンチヤー企業群の活躍 が同時進行したからだ.

ダウ工業株 30 種平均に採用される企業は一般に,株式の時価総額がトップクラスの企 業で占められる.ところが,90 年代に入ってマイクロソフト(法人化は 1981 年),イン テル(同1968年),シスコシステムズ(同1984年),アップル(同1977年),2000年代 に入ってグーグル(同1998 年)といった米国の店頭株式市場(ナスダック)上場の新興 企業が,その工業株30種に採用している銘柄であるゼネラル・エレクトリック(同1892 年)やエクソン・モービル(同1882年),デュポン(同1802年)といった伝統的大企業

170

の時価総額を上回る勢いであった.明らかに,小さな企業を瞬く間に巨大企業に成長させ る仕組みが90年代から2000年代までに働きはじめていたことになる.このベンチャー・

ビジネスの興隆は,決して偶然の産物ではなく,ハーバード・ビジネス・スクール教授の クレイトン・M.クリステンセンが指摘するような「破壊的イノベーション」が影響を及ぼ していたとしか考えられない.

クリステンセンは,イノベーションを破壊的イノベーション(disruptive innovation)と 持続的イノベーション(sustaining innovation)の二種類に大別し,中でも破壊的イノベー ションの概念を用いて,「優良企業は優れているゆえに失敗する」(33)と,いささかパラド クシカルな発言をしてやまない.彼が説く破壊的イノベーションとは,これまで本流のマ ーケットに君臨していたイノベーションの維持をあえて妨げようとするイノベーションの ことであり,したがって持続的イノベーションによって生み出された市場をもほとんど代 替するものでる.さらに,破壊的イノベーションを「ローエンド型破壊」(過保護にされた 顧客を低コストのビジネス・モデルで攻略するイノベーション)と「新市場型破壊」(従来 の製品・サービスにない性能などを顧客のいないところへ提供することで新たな需要を掘 り起こすイノベーション)に二分し,当然,既存企業に対して即効性があるのは「ローエ ンド型破壊」である.これに対し「新市場型破壊」とは最初,打倒すべき相手が既存企業 ではなく,無消費者――つまり消費経験のない顧客――に異次元の価値基準で戦いながら,

結果として新市場型破壊で既存のリーダー企業を駆逐するものである.

言い換えれば,既存企業が本流の市場でリーダーたらんとする努力――利ザヤの薄い収 益源を破壊者に明け渡す代わりに,持続的イノベーションで高い利益を上げること――そ のものがかえってあだとなり,いずれ企業の生存を脅かす潜在的脅威になることを突き止 め,次のような全米での調査結果を発表する.

この調査から判明したことは,既存企業が破壊的技術にうまく対応してないということ だ.この破壊的技術とは持続的技術と異なり,一般的に低価格で小型化され,多機能であ りながら絞り込みによって使い勝手が良いが,企業にとっては利益率が低いところにその 特徴をもつ.そのためか最初は無視されるが,しかし,いったん顧客が求めるところの商 品化に成功したなら,上位市場の主流製品に取って代わることになる.

ただし,クリステンセンが述べる破壊的技術がそれぞれの市場のローウエンドで求めら れる性能を常に維持し,顧客のニーズをそのまま抱え込むことができるか否かは疑問であ る.顧客が製品・サービスに対して支払っても構わないと思う支払意志額の問題が想定さ れるので,すべてが既存市場を奪うものに成長するわけではなく,ニッチ市場で存続する に過ぎない場合もある.いずれにしても,クリステンセンの破壊的イノベーションに関す る議論は企業側の盛衰から見たモデルだが,現象面でそれが起こっているというなら,そ れこそ破壊的イノベーションへの解が投資の収益性から求められてしかるべきだ.

例えば,ビジャイ・ゴビンダラジャンとクリス・トリンブルが唱える「リーバス・イノ