第4章 企業家とイノベーションの理論
第1節 企業家の歴史
前章の第3章「資本主義における発展と変動の理論的展開」で検討してきた内容を概括す れば,われわれは次のように表すことができる.すなわち,資本主義における発展と変動 の形成過程で問題になった「資本主義と企業家」,「社会階級と帝国主義」,「資本主義と景 気循環」の三分野に着目し,シュンペーターが資本主義における指導者像をどうイメージ したかを跡付け,シュンペーターの社会階級論においてこれまではっきりしなかった企業 家の概念を明らかにすることができた.要するに,シュンペーターの「企業家」は複雑に 絡み合った具体的な企業家現象を抽象によって一般化して得られたものではなく,彼の階 級理解の道具として企業の機能を人格化した概念であることがわかった.
第4章では前章で論じた企業家の世界にさらに一歩踏み込んで,これまで不透明であった,
いわばシュンペーターの理論体系にとって最も重要な課題となり得るイノベーションを遂 行する経済主体としての企業家に着目し,その全体像を徹底的に解明したい.そのために は,本章ではまず企業家の歴史を,次に企業家によるイノベーションの遂行にはどんな問 題が横たわっているかを論究する.その過程でネルソン=ウィンターによる「シュンペー ター的競争モデル」を検討したり,「モノづくり」の事例を通し,企業組織型の垂直統合 モデルとカリスマ的企業家型の水平分業モデルの比較を試みたりして,イノベーションの 持つインパクトを探ってみよう.
おそらく企業家については,資本主義の全体にかかわるほどのテーマではないけれども,
経済発展のプロセスなどとのかかわりでとらえるならば,それは直ちに主要なテーマとな らざるを得ない.シュンペーター自身も述べているように,資本主義のエンジンを起動さ せ,それを動かし続ける基本的な推進力は,企業家によるイノベーションの遂行と銀行家 による信用創造によって引き起こされるものだからである.ここではまず,企業家の概念 について歴史的視点から若干俯瞰しておこう(1).
この事情を明らかにするためには,人類が硬貨を発明し,交換が始まったところまでさ かのぼらなければならないが,ここでは15世紀にまでさかのぼって考えてみよう.という のは,中世においては世界を神が創造したとみなしたが,ルネサンス期には人びとはこの 神学的束縛から解放され,ありのままの人間を許容し,尊重するヒューマニズムが社会の 原理となったからだ.中世ヨーロッパの都市の城郭内に住んでいた商人や手工業者などの
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平市民がこの原理の担い手であり,この人びとが資本家へと成長する過程で,個人主義,
自由主義,合理主義と共に近代社会を形成する.とりわけ注目すべきは,中世のスコラ哲 学からルネサンスにかけての転換期である.商業資本主義のこの時代では,企業家といっ ても主に貿易に従事する冒険的な商人に対して,あるいは商業の機能を通じて社会分業が 進むにつれて,主に仲介をする一種の請負業者に対して用いられる程度であったが,彼ら はプロテスタンティズムの教義との関係で,私有財産と企業家精神のあり方を問題にした.
この点についてはスコラ派の後継者である自然法の哲学者,そしてさらには古典派経済学 の基礎を築いた重商主義者へと受け継がれていくことになる.
われわれは,時代に先駆けて『商業一般に関する試論』(1755年)の第1部第13章「欧州 では企業家が冒険を冒して物産や商品の流通,交換,生産を行なう」で企業家理論を体系 的に展開したリシャール・カンティロン(c・1680-1734年アイルランド生まれ,1708年フラ ンスに帰化)にそれを求めることができる.シュンペーターによれば,このカンティヨンに よる企業家に関する概念規定があったからこそ,フランスの研究者は企業家のもつ積極性,
革新性を評価することができたという.それを引き継いだのは,企業家の機能が生産要素 を組み合わせて生産組織体を作り出す点にあるとしたJ.B.セー(1767-1832年)である.P.F.
ドラッカーは,セーを再発見したシュンペーターを高く評価してやまない(2).
イギリスにおいては,古典派の祖アダム・スミスがR.カンティヨンから多大な影響を受 けたにもかかわらず,地主,資本家,労働者を問題にしたが,企業家という要因を無視し,
その後のD.リカードウおよびリカードウ学派,N.W.シーニアにおいても,企業家を独自に 取り上げるのはなかったので,J.S.ミルの出現まで待たなければならない.ミルは,資本 家の役割の中に隠された企業家を独立的要因として取り出し,資本家と企業家の職能を分 離し,企業家を表わす言葉にフランス語の “entrepreneur” を当て,経済学者の間で復及さ せ,その後マーシャルの企業家概念を受け継いだF.Y.エッジワースによってこの “entre-
preneur” という語が一般に用いられるようになった.
ドイツにおいては,福祉行政と干渉政策を重視する官房学派の学者たちが企業家につい て一定の理解を示し,ドイツ語の “Unternehmer” という言葉を用いているところをみれ ば,彼らにとっても馴染みの深いものであったに違いない.企業家に関する分析は,フォ ン・チューネン(1783-1850年)の著『孤立国』(第1巻1826年,第2巻1850年)で大きな 前進を遂げ,フォン・マンゴルト(1824-1868年,ドレスデン生まれ.ゲッティンゲン大学 およびフライブルク大学教授)において頂点に達する.マンゴルトはその著『企業家利得 論』(1855年)において,企業家利得はその特異な能力に対するレントだという考え,す なわち能力差賃料説を展開し,企業家を独立した生産要素として取り扱うべきだと説く.
この考えは後に,A.マーシャルに影響を与えることになる.もちろんシュンペーターも『経 済発展の理論』(1911年)において“Unternehmer” を用いる.
『企業家論の系譜』(第2版,1988年)を著したR.F.へバートとA.N.リンクによれば,
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「マンゴルトの理論は,企業家の理念型についてよりも,むしろ不確定で競争的な環境に おいて企業家がなさねばならない意思決定,すなわち技術の選択,生産要素の配分,生産 のマーケティングといったことをもっぱら扱ったものだ」(3)という.そう考えると,マン ゴルトは,イノベーションに成功するということが企業家の重要な役割だと認めているも のの,企業家の配分機能により大きな関心を示したため,彼の貢献は成長や発展という動 学に属するよりも,静学に属するものだといえる.
企業家とは何か
このように「企業家」概念についての捉え方は異なるものの,不思議なことに現代の経 済学には全く出てこないが,経営学ではしばしば「経営者」という言葉を使う.この言葉 はどちらかというと,管理者的な意味合いをもち,企業組織の管理運営に当たる人格を指 す場合が多いようだが,これに対し林周二は次のようなコメントをする.「企業家のほう は文字通り〝事業を企てる〟人格であり,半ばルーティン的な業務に従事するというより,
経済的な危険を冒しつつ,つねに新規のビジネスへ積極的にチャレンジしてゆく近代的な 人格を指す.・・・歴史的には merchant すなわち商人という言葉が,もともとそれに該 当していたはずであるが,個人商人による営業活動そのものが,近代に至って会社ことに 株式会社のような有限責任の株主所有の法人形態を挙って採るに及んで,法人そのものと しての商人とは別途に法人を代表する自然人を指す企業家という言葉が登場し,必要に応 じ使われるようになった」(4)と.
林の概念規定とは別に,企業家の定義については,いまだ経済学上でも経営学上でも統 一されず,混沌とした状況にある.しかし,これまでの研究成果を概観すれば,その中か らすばらしい業績も生まれている.例えば,制度学派の祖師T.B.ヴェブレンの『企業の理 論』(1904年)が世に出てから1世紀以上を経ている.その後,不確実性を確率によって予 測できるリスクから峻別し,何が起こるかどうかわからない不確実性に巧みに対処しうる 能力に企業家の機能の本質をみたフランク・ナイトをはじめ,市場を利用する取引費用の 概念を用いて企業組織の存在意義(とりわけ契約理論)を解明したR.H.コース(1991年ノ ーベル経済学賞受賞)が現れる.コースの主要論文の一つである「企業の本質」が Economet- rica 誌(第4号)の紙面を飾ったのは1937年11月である.
1940年代から60年代にかけては,H.A.サイモンが『経営行動』(1947年)や『人間行 動モデル』(1057年)などで組織理論を公にし,このサイモンにJ.G.マーチが加わり,『オ ーガニゼーションズ』(1958年)を発表する.続いて,E.T.ペンローズが『企業成長の理 論』(1959年),R.M.サイアートとJ.G.マーチが『企業の行動理論』(1963年)をそれ ぞれ刊行する.また,論文としては,American Economic Review 誌(第58巻第2号,1968 年5月)に掲載されたW.ボーモルの「経済理論における企業家」とH.ライベンシュタイン の「企業家機能と発展」が注目を浴びる.