第3章 資本主義における発展と変動の理論的展開
第1節 シュンペーターの分析的視点
第3章に入るに当たり,われわれはここまでの本論文の構成を振り返り,一度整理して おいたほうがよかろう.まず第1章「シュンペーターに対する評価」では,彼の業績をで きるだけ公正に評価し,生涯貫いた真の姿を先行研究や新たな文献リサーチから可能な限 り吸収し,新たなシュンペーター象を描いてみた.第2章「シュンペーター理論体系の基 礎」では,かつてウィーン大学の学生であったシュンペーターが価値判断論争から何を学 び,純粋経済学をいかにイメージし,その後自らの科学観をどのように形成したかを検証 してみた.この第3章では,資本主義における発展と変動の形成過程で問題になる「資本 主義と企業家」,「社会階級と帝国主義」,「資本主義と景気循環」の三分野に着目し,これ らを解明するために本章のテーマを設定してみた.
さて,「資本主義と企業家」,「社会階級と帝国主義」,「資本主義と景気循環」の三分野を 考察するに当たり,彼の分析視点がいかに形成されたかを問いただすことから始めよう.
われわれがとらえようとする経済現象は,その経験する範囲が非常に限られた事実からな るにもかかわらず,それですら,いざそのまま記述するには自ずと限界を感じざるを得な い.その上,経済学では実験が不可能であり,現実世界は一般的法則を導くにはあまりに も複雑だから,経済学が分析対象としたものはどちらかと言えば,資源配分,所得分配,
資本蓄積,経済成長などの数量還元(あるいは要素還元)の可能な領域に限られている.
これらにとって決定的なのは単一要因ではなく,むしろ複数要因の相互作用だから,わ れわれが問題を分析するに当たってはまず,本質的な複数要因の絡み合いの場を設定しな ければならない.この手続きを最もエレガントでシンプルに行なえるのは数学的なモデル である.このようにして定式化されたモデルが,これに組み込まれた諸要因の相互作用の 帰結として,どのような静学的パフォーマンスないしは動学的パフォーマンスを持つかを 解析することによって,問題の核心が解明される.
実は純粋理論とは,このようなモデル的世界に関する論理なのである.周知のとおり,
古典学派の学者の中ではリカードウが最も純粋理論に近い内容を持っていた.そして,オ ーストリア学派の祖師メンガーや,マンチェスターのオウエンズ・カレッジ(晩年は母校 のロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ)教授のジェヴォンズが経済理論の純粋化をさ らに進め,フランス人クールノー,ワルラスなどの数理学派によって純粋経済学が確立さ
78 れたといっても過言ではない.
ワルラスの一般均衡理論
これらの人びとのうち,私がシュンペーターとの関連で取り上げるのはもちろんワルラ スである.ワルラスは1874年に『純粋経済学要論』の第1分冊を出版し,限界効用分析 を厳密な数学用具を用いて定式化することによって,需要と供給の関数,均衡の決定法則 を導いた.その3年後の1877年には,その第2分冊を発表し,一般均衡分析の道具を生 産要素の価格決定の問題に応用し,生産理論を提示し,1900 年に決定版(第 4 版)を出 版した.その後,加筆訂正された最終版が1926年,彼の死後に出版された.
ワルラスの一般均衡論に対するこれまでの関心は,あらゆる市場において需要と供給を 均衡するように価格が調整されるという価格分析であったが,最近の研究では,需要に対 して供給がどう調整されるかという数量調整の分析に移りつつある.これは非ワルラス経 済学者からすれば,ケインズ流のマクロ理論に対するミクロ理論的基礎づけだと見られる が,見方を変えると,ワルラス理論の単なる否定でしかないともいえる.しかし,価格調 整から数量調整へという一般均衡論の発展の歴史を振り返ってみると,これこそがワルラ スの中心命題,すなわち模索過程理論の一般化に他ならない.ワルラスの理論は広く認め られるよりもはるかに動態的だと言ってよいのかもしれない(1).
ワルラスを本格的に研究した数理経済学者の森嶋通夫は,自著『ワルラスの経済学』を 書き上げるに当たり,一般均衡理論は,偉大な経済学者たちが自らの社会観を反映するた めに提示した経済学モデルだと言いながら,次のような感想を述べている.「通常の見方で は,ワルラスは消費者選択,市場間の関係および価格機構を強調し,オーストリア学派と ヴィクセルは,時間選好と迂回生産の構造・・・を強調した.またケインズは政府と中央 銀行の経済的役割,ヒックスは予想や一時均衡,時間を通じての完全均衡を強調した等々 である.この伝統は,第2次世界大戦後完全に変わってしまった.戦後いままで,経済学 者は数学的能力で互いに競い続けてきたが,新しい社会観が提示されることは全くなかっ た.いまや一般均衡の理論家は,先駆者の発見した定理や法則を証明したり,反証を挙げ たり・・・することにのみ興味を示しているように思える」(2)と.これに対して『ワルラ スの経済学』の目的は,そのような方向で貢献することではなく,むしろワルラスの経済 観を彼の主要著作『要論』から抜き出し,その経済観に合致するように彼の数学的経済モ デルを再構築し,これらのモデルがいかに働くかを調べることだと説く.森嶋が提示した モデルは,多少問題を抱えながらもその後の新ワルラス派経済学に多大なる影響を与える ことになる(3).
シュンペーターが均衡に関する方程式体系を「精密経済学のマグナ・カルタ」(4)と呼ん だように,ワルラスの著『要論』は,疑いもなくその基礎となる法典である.しかし,著 者の名前だけが先行し,これだけの書物でありながら,世に出る文献は極めて少ない.こ
79 れは一体どうしたことだろうか(5).
そうなった経緯を正当に評価するのは困難だが,次のように説明することが許されよう.
ワルラスの『要論』は極めて煩雑であったため,経済学者がパレートやヴィクセルのよう なワルラスの後継者によるいっそう精練された説明に頼ることが多かったこと,その中で 均衡の存在の問題が重要であったにもかかわらず,交換および生産のモデルについて吟味 がなされ,その際ワルラス体系それ自体よりも,それを単純化したカッセル体系が取り上 げられたことなどを理由とすることができる.そう言えば,ワルラスの消費者均衡理論は,
ある消費者の効用関数を前提に,その極大化を通じて需要関数を導出するところにあった が,ワルラス自身の定式化の不十分さと曖昧さのためにローザンヌ学派の伝統とはならず,
かえって需要関数,あるいは逆需要関数が経験的に与えられたとき,極大化を通じてそれ を生成する効用関数が存在するか否かが問題になり,効用理論における積分可能性問題の 意味をパレートによって再確認されるに至る.
また,このような議論の中で,別の観点から次のような指摘もある.「ワルラスの一般均 衡理論が,現代の理論経済学の共通の財産になっているのとは対照的に,それが持つ思想 的な側面については,これまであまり注目されることがなかった.ワルラスを研究してき た経済学者たちは,一般均衡理論こそがワルラスの完成した唯一の完全な理論と考え,そ の現代経済学への貢献のみを問題にしてきた.一般均衡理論の背後にあるワルラスの社会 ヴィジョンや政策的意図を,検討するに値しないものと考える研究者が多かったからであ る」(6).このような考え方の典型的な学者として,御崎加代子はシュンペーターを挙げて おり,同じような指摘は,ワルラス研究者のアルバート・ジョリンクによってもなされて いる(7).
なぜシュンペーターは,ワルラスの経済均衡の一般的条件を確立した純粋交換経済だけ を高く評価し,ワルラスの純粋交換経済の背後にある思想を無視し得たのだろうか.
このような経緯の中で,単なる方程式の数と未知数の数が等しいというワルラスの考え 方(しかし,この考え方は方程式系の解,いわんや一意解の存在のためには,必要でもな ければ十分でもないのだが)から前進し,連立方程式に経済的に意味のある均衡解が存在 するか否か,あるいはそれが存在するとすれば,均衡は一意的であるかどうかがその後の 経済学者の間で興味の中心になったのは,1930年に至ってからのことだ.例えば,不均衡 状態が成立するときに,これに対して価格や数量がどう反応するかを示す多少の動学仮定 をさらに付け加えることとすれば,この場合のあり得るべき均衡の安定性をも研究するこ とができるとわかったのは,ウィーン学団におけるフォン・ノイマンとA.ワルトのおかげ である(8).この間,1870年代の限界革命から数えて,実に半世紀以上の歳月を要した.
フォン・ノイマンとA.ワルトの貢献
一体なぜ,経済学においてはこのように長期にわたって知性の怠惰が続いたのだろうか.