• 検索結果がありません。

企業家におけるイノベーションの理論

第4章 企業家とイノベーションの理論

第2節 企業家におけるイノベーションの理論

「与件」を巡るハイエクのシュンペーター批判

われわれは,「企業家におけるイノベーションの理論」を本格的に取り上げる前に,次 のことだけは議論したほうがよさそうだ.それは市場についての見方である.周知のとお り,新オーストリア学派の見方は学者によって若干異なるが,新古典派の均衡理論のよう に市場を均衡メカニズムととらえるのではなく,経済プロセスの不確実性ととらえるため,

新古典派の見方と根本的に異なる.そのためか新オーストリア学派を代表するハイエクや カーズナーなどの思想が注目され,わが国においても早くから彼らのビジョンが研究の対 象とされてきたところである(25)

新古典派の経済学者によれば,経済学は所与の資源に対する最適配分の問題を取り扱う ものだといい,その場合,この所与の資源を配分する方式には市場経済的方式と計画経済 的方式があるというふうに議論を進め,代替的方式間の技術的優劣について論じる.しか し,このような経済体制論の問題設定に対して批判的考察を加えた学者がいる.

134

誰かと言えば,それは最初に市場認識においてマイケル・ポランニーの影響を受け「自 生的秩序論」を展開し,市場の本質を規定したフリードリヒ・ハイエクである.ここでは,

ハイエクの言説をいちいち取り上げる余裕はないが,もし人びとが経済システムについて の完全な知識を持っていれば,資源の最適配分の条件を提示することができるはずである.

しかし現実には,われわれの知識は必ずしも集中化・統合化された形で存在せず,しかも 時には間違った知識として,あるいは不完全で分散化された断片的な知識として常態化た た形のほうが多い.したがって,そのような状況の中では問題を解くことは難しく,むし ろそのような解をもたらす市場過程は,きわめて多様な個人的目的を果たすためであった り,個人相互の利益のためであったりしながら,結果としてある種の調和をもたらす.

確かに,市場構造や消費者行動の変遷に見られるように,そこには市場や選択基準の変 化が発生し,各人の所有する知識も経験によって時間とともにより正確に,あるいはより 豊富になるのは事実だろうが,それがいかに市場に内部化されるかについては,ハイエク といえども残念ながら応えていない.

カール・ポランニーの言説を待つまでもなく,19世紀に成立した市場社会システムはご く特殊な偶然の産物でしかなく,実は社会と市場の間には緊張関係が常に存在することを 認識しなければならない.ここでわれわれは市場経済を導入しさえすれば,教科書的に効 率的資源配分が自動的になされるなどと単純に考えるのではなく,市場と公共的な活動が 相まってはじめて,人びとの自由や福祉の増進を促すことができる,と考えるべきである.

もっともハイエクによれば,シュンペーターが経済問題の「与件」をあまりにもストレ ートに鵜呑みにするので,これに対して次のように批判すると同時に,均衡分析の本来の 意義を問い直す.「『与件』という用語のあいまいさが不注意な人びとに仕掛けた罠に,

シュンペーターほどの経済学者がはまってしまったのは,単純な過ちとして説明すること はできないからだ.それはむしろ,われわれが扱わなければならない現象の本質的な部分 を習慣的に無視する接近法には何か根本的に間違ったところがあることを示唆する.この 本質的な部分とは,人間の認識が不完全であるのは避けられず,その結果知識が絶えず伝 達され,獲得される過程が必要だということである.連立方程式を用いる数理経済学の大 部分の接近法のように,事実上,人びとの知識..

が状況の客観的事実..

と一致するという想定 から出発する接近法は,われわれの重要課題であるものを体系的に説明から除外してしま う.私は,決して均衡分析がわれわれの体系において有用な機能を持っていることを否定 しようとするものではない.しかし,それが何人かのわれわれの指導的思想家たちを惑わ し,均衡分析の描く状況が現実の諸問題の解決に直接的な関連をもつと信じさせるように なるならば,その時はまさにわれわれが,均衡分析は社会過程を扱うものでは全くないの であり,それは主要な問題の研究に対する一つの有用な準備以上の何ものでもない,とい ことを思い起こさなければならない時なのである」(26).同じオーストリア学派で育った第 3世代のシュンペーターと,第4世代のハイエクでは,経済問題の「与件」の置き方に対

135 する見解がこのように異なる.

いずれにしても,ハイエクのように市場を観察し知識の発見の手続とみなす論者と,均 衡理論を分析のために利用する道具とみなすシュンペーターとの間には関連性がないとみ てよい.ハイエクの知識観というものは,人間の認識や行為から生じた意図せざる結果と して生み出された暗黙的な関係を明示することに力点がおかれるが,一方シュンペーター のように,仮説や理論の目的は事実に適合するか否かで,理論それ自身の真偽を問わない と最初から決め込んで方法論を展開しているので,観察と理論の独立性が互いに共通の前 提として認められるからだ.それこそがオーストリア学派の特徴,すなわちこの学派の内 部での主観主義や方法論的個人主義を通じ,知識が成長していくことこそがこの学派の特 徴である.確かに,市場と経済の意味をとことん考え抜いたハイエクだけのことはあるが,

しかし,ハイエクといえども,市場に対して経済のメカニズムがいかにすればよく働くか,

その大事なところを不問に付す.

フォン・ミーゼスの企業家論

いま一つ,われわれはシュンペーターとフォン・ミーゼスの企業家論の違いについても 触れておいたほうがよかろう.というのは,イノベーションを遂行する経済主体という面 に重点を置くシュンペーターと,人間行為の面から企業家活動をみようとするミーゼスの それとではどのような相違があるか,それが問われているからだ.この点について長谷川 啓之の比較研究は,両者の核心に鋭く迫った業績の一つとして注目に値する.すなわち「

ミーゼスの企業家は,・・・意思決定者であり,市場の不均衡を除去する役割を果たす.

そこには,シュンペーターのいう技術革新を導入することで経済発展を促進する役割も含 まれている.だが,ミーゼスにとっては,それだけでは範囲が狭い.技術革新を企業家が 導入する場合にも,技術的に実験可能な多くの方法の中から,人びとが最も緊急に必要と する方法で最も適したものを選択する必要がある.ミーゼスにとり消費者が企業家活動に 与える影響はきわめて大きい」(27)と.このように評価した上で,長谷川は消費者の需要の 変化に対応するための,資源配分上の動力として企業家活動を位置づけることのほうが重 要だとし,ミーゼスのほうに軍配を挙げる.

そう言えば,R.F.へバートとA.N.リンクも経済成長の観点から,シュンペーターとミ ーゼスの差異をとらえ,ミーゼスの成長の制約条件はシュンペーターのようなイノベーシ ョンではなく,実質的貯蓄の大きさにあると言う.

このような展開を含め,われわれは,シュンペーターの人間行動(集団性)とミーゼス の人間行為(意味性)の観点からの比較研究も重要な課題だと考える.しかしながら,「

何らかの経済発展を促すためには,その前に設定されなければならない特定の前提条件が 必要だ」とするシュンペーターの企業家モデルに反論を唱える経済学者はいなかったのだ ろうか.今,これに答えるだけの余裕はないが,シュンペーターのイノベーション論は市

136

場の当事者である供給側の視点に立つものなので,もう一方の当事者である消費者の視点 から考え,消費者の欲求にどう応えていくか,あるいは消費者の欲求の変化にどう対応す るか,これらの問題を捨象しているからだ.

シュンペーターの「イノベーション」

ここで一度,原点に戻ってシュンペーターの説く「イノベーション」とは,いかなる意 味内容を有するのだろうか,この中身をいま一度整理しながら,議論の筋道を確認してお こう.シュンペーターは,イノベーションについて次のように語る.「商品の供給方法に 対する変化という言葉で,われわれはそれを文字どおりに受け取れば,含意するよりもは るかに広い範囲の出来事が考えられる.まさに標準的事例として役立つかもしれない新商 品の導入をも含める.既に,使用されている商品の生産についての技術上の変化,新市場 や新供給源泉の開拓,作業のテイラー式組織化,材料の処理に対する改良,百貨店のよう な新事業組織の設立――略言すれば,経済生活の領域での『異なったやり方でことを運ぶ こと』――全てこれらのことは,われわれがイノベーションという言葉で呼ぼうとするも のの事例だ」(28)と.

この引用文は,シュンペーターが「イノベーション」という言葉を定義づけるために使 った箇所である.もっとも,これが最初に述べたところではないが(29),よくシュンペータ ーの「イノベーション」という言葉は,彼の著書のどこにも見当たらないと平気で一流雑 誌や新聞に訴える方がいるので,参考のためにシュンペーターの文章を上記のように掲げ ておいた.ついでに言えば,Innovationの頭文字Iは大文字で書かれている.なお,わが 国ではこの言葉は一般に「技術革新」と訳しているが,シュンペーターが言う本来の意味 はそれらよりももう少し広く,社会に変革を与えるビジネスの仕組みを含んでいる.余談 だが,社会に変革を与えるビジネスの仕組みまでもが今日では特許の対象になると言った ら,シュンペーターは何と応えただろうか.今世紀のサイバー資本主義の出現に対する彼 のコメントを聞いてみたかったものである.

本論文では特段の配慮を払う必要がない限り,「イノベーション」をそのまま用いる.

シュンペーターがドイツ語 “neue Kombinationen” を最初に用いたのは1911年の著『経済 発展の理論』においてである.その後,1927年12月の論文「景気循環の解明」(Econometrica 誌,第7号)で “innovation” という英語をはじめて使用し,前述したように1939年の著『景 気循環論』第1巻で,その内容を具体的に説明する.ただし,『景気循環論』でいうイノベ ーションと,『経済発展の理論』における新結合とは必ずしも同義ではなく,『経済発展 の理論』では,企業家の新結合の遂行によって生産関数を絶えず変革させることだと考え たが,『景気循環論』では,同じ生産関数における生産要素の数量的変化ではなく,新た な生産関数の設定を意味する.

ここで重要な点は,イノベーションそのものではなく,「イノベーションの遂行を自ら