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計量経済学・数理経済学・経済統計学の小史

第2章 シュンペーター理論体系の基礎

第4節 計量経済学・数理経済学・経済統計学の小史

――シュンペーターとの関連において――

振り返ってみると,シュンペーターがウィーン大学に入学したのは 1901 年である.限 界革命の洗礼は受けたものの,その当時の確率論と推測統計学の置かれた状況は,まだま だ未熟なものにすぎなかった.近代統計学が確立するのは 1920 年代まで待たなければな らない.しかし,彼が1908年に著した処女作『理論経済学の本質と主要内容』の第3部 第5章「理論経済学の発展可能性」は,計量経済学的な核心に鋭く迫った業績の一つとし て注目に値する(52)

このことを押さえた上で,私が本節で試みようとするのは,計量経済学,数理経済学,

経済統計学のそれぞれの生い立ちやその違い,あるいはそれらの関連を述べるのではなく,

シュンペーターが学び育った時期から,第2次世界大戦後までの計量経済学,数理経済学,

経済統計学の変遷を概観し,彼との関連で捉え直す作業である.

ただし,この分野も後に述べるように,90年代に入ってからようやくR.W.フォーゲル とD.C.ノースが計量経済史あるいは数理経済史の開拓者としてノーベル経済学賞を受賞 したくらいだから,いまだ未整理の分野である.周知のとおりD.N.マクロスキーのよう にはっきりと,ノーベル経済学賞に輝く学者の一部に実証分析を欠いた独善的なものがあ り,到底科学とは呼び得ない代物だと警告する学者もいるくらいだ(53).シュンペーター自 身はエコノメトリクスを,経済理論と統計と数学の三位一体として,いわば複合科学のよ うに解していたようである.しかし,ここでは漠然としておくわけにもいかないので,1890 年代から 1950 年代まで,ちょうどシュンペーターが育ち活躍した時代に合わせ,当時の 状況をできる限り再現し彼を位置づけてみよう(54)

1890年代~1900年代――経済現象へ数理統計学の手法が適用されはじめた時期 時代が資本主義の黎明期にさしかかった時,ドイツの数学者ガウスとフランスの数学者 ルジャンドルによって最小二乗法が発見され,19世紀末にはイギリスの遺伝学者・優生学 創始者F.ゴルトンや,かつてシュンペーターが学んだことのあるK.ピアソンの下で統計 的方法が体系化された.その中にあって,功利主義の哲学・倫理学から経済学の研究に入 ったフランシス・Y.エッジワースは,ボックス・ダイアグラム,無差別曲線,契約曲線,

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極限定理などを自由競争市場における契約と交換の理論にはじめて導入したり,経済的価 値を測定するために指数を用いたり,先験的確率論や誤差法を統計学に応用したりしなが ら,広範な範囲にわたって先駆的な業績を残す.

エッジワースのように経済現象に数学や統計学,確率論の手法を適用した研究は外にも なかったわけではないが,経済現象についての実証的な統計的研究が現われるのは,1890 年代のA.L.ボーレーやG.U.ユールの研究まで待たなければならない.この間,実にウイ リアム・ぺティの『政治算術』(1690年)が出版されて2世紀以上も経っている.1900年 代に入ると,J.P.ノートン,L.マルシュ,D.へロン,R.H.フッカなどによってようやく 本格的な究研がはじめる.一体なぜ,経済学の数理統計的分析はこのように長期にわたっ て知性の怠惰が続いたのだろうか.シュンペーターも1906年の論文「理論経済学の数学的 方法について」(Zeitschrift für Volkswirtschaft, Sozialpolitik und Verwaltung 誌)の中 で,エッジワースにならって微積分法を「経済学の母語」(Muttersprache der Ökonomie)

(55)だと叫んだが,当時の経済学者からほとんど無視される.

1910年代~1920年代前半――数理的手法が経済学に導入され,統計的研究が盛んに行 なわれるようになった時期

制度学派のT.B.ヴェブレン,J.R.コモンズ,W.C.ミッチェルなどが台頭した時期だ が,1885年の米国経済学会の創設が経済学研究に統計的方法を結びつける大きな転機とな る.

例えば,数理経済学者として後に著名になったI.フィッシャーの貨幣数量説が発表され たり,ヘンリー・L.ムーアの労働の限界生産力による賃金決定理論が発表されたりする一 方,ワルラス体系の動態化と需要関数の導出が,H.シュルツ,F.V.ワーフ,H.ワーキン グ,L.H.ビーン,M.エゼキュールなどに影響を与える.シュンペーターが,近代の計量経 済学はこの論文からはじまったともいわれるムーアの『賃金の法則』(1911年)の書評を 書いたのもこの時期である(56).ムーアはその後,『経済循環――その法則と原因』(1914 年)を刊行し,その中で経済学者に全くなじみの薄かった調和解析やフーリェ解析を用い たり,需要関数の統計的測定を行なったりして計量経済学における先駆的な貢献を果たす.

1910年代末からハーバード大学経済研究委員会では,ウォーレン・M.パーソンズを中心 とした経験主義的な景気予測や,全米経済研究所(NBER)でもW.C.ミッチェルの景気 予測がはじまる.1920年代の後半には,P.H.ダグラスとC.W.コブのいわゆるコブ=ダグ ラス生産関数と,それを巡る論争がはじまり,周知のとおりこれは40年代まで続くことに なる(57)

1920年代半ば~1930年代――事後的統計主義から事前的統計主義へと転換した時期 この時代はG.V.ユールが行った一連の時系列解析の中から,ナンセンス相関を計算し

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てしまう場合があることがわかり,大いなる波紋を呼び起こす(ユール「なぜわれわれは 時系列間で無意味な相関が得られることがあるのか」Journal of the Royal Statistical Society 誌,1926 年).この問題はその後,1986 年のP.C.B.フィリップスによって証 明されるまで待たなければならない.いま一つ大きな問題は,統計学的に方程式を確定し ても,それが需要曲線を表すのか供給曲線を表すのか判然としないということだ.そもそ もこの問題は,E.J.ワーキングが1927年の論文でムーアが導いた正の勾配をもつ新しい 型の需要曲線の解釈を巡って提起したものである.この統計的に需給曲線を求める際のお とし穴(ピットフォール)の問題を巡って,レオンティエフ(1973年ノーベル経済学賞受賞),

ラグナー・フリッシュ(1969年ノーベル経済学賞受賞)らの論争がはじまる.特にフリッ シュの貢献は,時系列へのあてはめをよくするために回帰方程式の変数の数を増やしてい くと,変数間に一定の関係(線形の関係)が生じ,意味のないパラメータ値が推定されてし まうという「多重共線性に関する問題」を提起した点にある.

このように1920年代は統計的手法の問題点について論議される一方で,マクロ的動態理 論の数学的展開と統計的方法によるパラメータの推定を行なうM.カレッキ,R.フリッシュ らの景気循環論の研究が見られる.これらの研究の成果を継承し,連立方程式体系のマク ロ計量経済モデルを開発したのはJ.ティンバーゲン(1969年ノーベル経済学賞受賞)であ る.そしてもう一人,忘れてはならないのは,ケンブリッジの数学者兼哲学者フランク・

P.ラムゼー(1903-1930年)である.彼は,J.M.ケインズの確率論の批判を通じて主観的 確率論を体系的に展開したり,A.C.ピグーの要請で最適課税を論じたり,貯蓄の割合と資 本水準の変化に関する最適成長モデル――今日では「ラムゼー・モデル」と呼ばれるもの

――を開発したりする.

ところで,統計学の理論的発展は,R.A.フィッシャー,E.S.ピアソン,J.ネイマンら によって,新たな段階を迎える.しかし,母集団の想定に基づく確率的な推定と検定の論 理(小標本理論)は統計データのランダム性,独立性を仮定できるのに対して,時系列データ は連続的に変化するため,独立性を有しないので,それを社会経済現象の分析に適用する ことは困難だというのが当時の一般的な考え方であった.これに対して,T.クープマンス

(1975年ノーベル経済学賞受賞),G.ティントナーらによって時系列解析にもサンプリン グ理論を取り込む試みがなされる(58)

1930年12月29日,クリーブランドで開かれたアメリカ経済学会・統計学会の合同大 会を契機に,R.フリッシュ,I.フィッシャーなど16名が中心になって,計量経済学会の 創設した記念すべき日でもある.この設立総会の議長は当時ボン大学教授であったシュン ペーターが務め,資金難から刊行が遅れたが1933年1月,シュンペーターの論文「計量 経済学の常識」がこの学会誌Econometricaの創刊号の誌面を飾る.4年後の1934年12 月21日,日本でも日本経済学会(現在の日本経済学会の前身)が40名足らずの会員でス タートした記念すべき日である.

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また,第3章第1節でも詳論するようにウィーンの数学コロキウムで,オーストリア学 派の創設者カール・メンガー(Carl Menger)の息子でウィーン学団の一員であったカール・

メンガー(Karl Menger)が親友のK.シュレジンガーを中心に据え,フォン・ノイマン,

モルゲンシュテルン,A.ワルトなどと理論経済学の研究を開始し,オーストリア学派に欠 けた一般均衡体系を問題にし,その均衡解の存在証明を研究したことは,後の経済学のあ り方を公理系へと変える大きな契機になる.このように1910年から1930年年代にかけて,

計量経済学にとってはシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)の時代だったという ことができる.

1940年代~1950年代――確率論的な接近法に基づく計量経済学とゲームの理論の方法 論的基礎を確立した時代

第 2 次世界大戦中,コールズ委員会(1932 年設立,コールズ財団の前身)を中心に開 発された計量経済モデルは,それまでの単一方程式から連立方程式の体系となり,方程式 のパラメータを確率論的に推定し,検定するという手法が体系化される.中でも,時系列 にも母集団-標本図式を持ち込んで解釈し,同時連立方程式の体系として構成したモデルの パラメータを同時推定するというT.ハーヴェルモ(1911-1999年,ノルウェー生まれ.R. フリッシュの下で研究し,コールズ財団に参加.1989年ノーベル経済学賞受賞.主論文「連 立方程式体系の統計学的インプリケーション」Econometrica 誌,1943年1月,および「計 量経済学の確率的接近法」Econometrica 誌,1944年7月など)の研究は,その後の計量 経済学の展開に大いに貢献することになる(59)

現代経済学の基礎は一方では一般均衡理論,他方では市場を含めたさまざまな経済シス テムにおける戦略的行動を解明するゲーム理論によって支えられるといっても過言ではな い.後者の先駆的業績がフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの二人による共同研究の 成果である著作『ゲーム理論と経済行動』(1944年)によって誕生した.また1949年に は,弱冠21歳のジョン・ナッシュが書いた博士論文「非協力ゲーム」が注目され,翌年,

多数のプレイヤーによるゲームにも,均衡が存在することを鮮やかに証明した僅か2ペー ジの小論が『米国アカデミー会報』(1950 年 1 月)に掲載される.これが,後に「ナッ シュ均衡」と呼ばれるもので,戦略的状況を分析する非協力ゲーム理論の地位を不動にす る.この非協力ゲームの均衡の分析に関する理論の発展に寄与した功績により,ナッシュ は 1994 年にノーベル経済学賞を受賞する.彼のアイデアがもつ最大の魅力は,二人ゼロ 和ゲームの理論からの解放を保証したところにある.彼の伝記は事実と多少違うようだが,

シルヴィア・ナサーによって『ビューティフル・マインド――天才数学者の絶望と奇跡』

(1988年)という本になり,その後映画化されアカデミー賞四部門を受賞する.

ところで,一般均衡やナッシュ均衡の存在証明に用いられた「角谷の不動点定理」で有 名な角谷静夫(1911-2004年,イェール大学名誉教授)も1940年代,フォン・ノイマン