第 4 章 日本語とタイ語における自称詞の出現数
4.4 日本語とタイ語の自称詞の出現数の差の要因
4.4.1 文法形式の違いによるもの
4.4.1.3 認識者主観性表現
上原(2016a)によれば、認識者主観性表現とは時制を含む命題内容を表す形式に接続 し、話者の未知の事態/命題内容の蓋然性に関する話者の発話時の主観的判断を表す表現 である。日本の代表的な例として「だろう」(推量/想像)、「かもしれない」(推量[不確 実])、「にちがいない」(推量[確実])が挙げられ、この表現の表す認識・推量の主体は 話者に限られ、他者の推量を表すことはできず、認識の主体としての話者は言語化するこ とができない36(上原2016a)。一方、タイ語では、推量表現として使用されている
“khoŋ”(だろう、きっと、たぶん)“nɛ̂ɛ nɛ̂ɛ”(きっと~だろう)も認識・推量主体が話者 に限られているが、主体としての話者は言語化することができる。具体例は例(24)の 通りである。また、内容や文脈によって、同じ状況において対応しているタイ語では推量 表現の代わりに「思う」「知る」などの認識者の明示型の「認識動詞」が使用され、自称
36 補語となる事象の主語は典型的には話者以外の他者であるが、話者自身が主語人物になるのは、話 者にその行為の記憶がないかコントロールがない場合に限る(上原2016a: 40)。
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詞が明示化されている例がある。具体例は(25)の通りである。
(24)場面 夫婦の会話で夫が妻に言った台詞
〈日:原〉見まちがいじゃないわけだろう。
〈タ:訳〉
ฉันไม่ได้ตาฝาดไปแน่ๆ
chǎn mây dây taa fàat
pay nɛ̂ɛ nɛ̂ɛ
自
過去の否定 見間違える
完了 推量
(私はきっと見間違えていなかった。)
「角筈にて」より
上の例(24)では、夫が長い間会っていない自分の父親の姿を見たことを妻に言う場 面である。上述の通り、「~だろう」が使用されているとき、日本語では、話者は言語化 しないため、自称詞が非明示となっている。これに対し、タイ語では認識・推量の主体と 行為の主体が同一の話者である場合、自称詞の明示が可能であるため、対応しているタイ 語では “chǎn” という人称名詞系自称詞が明示されている。
(25)場面 ゴーシュが猫に言った台詞
〈日:原〉いままでもトマトの茎をかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。
〈タ:訳〉
ทีนี้ข้าก็รู้ละว่าไอ้ที่มากัดแล้วแถมเตะต้นมะเขือเทศของข้าเสียกระจุยนี่คงจะเป็นเอ็งละซี
thii níi
khâa
kɔ̂ɔ
rúu la wâa ʔây thîi
maa
kàt これで
自
だから 知る
過去
と やつ 関係 来る
かじる
lɛ́ɛw thɛ̌ɛm
tèʔ
tôn mákhɯ̌atêet khɔ̌ɔŋ khâa sǐa krajuy それに ける
トマトの茎
の
自
強 散らす nîi khoŋ cà
pen ʔeŋ la sii
やつ 推量 未来 繋辞
対 強
(だから、私は私のトマトの茎をかじって、それに、蹴散らしたやつはきっとお 前だろうと知ることができた。)
「セロひきのゴーシュ」より
(25)では、日本語は「だろう」が使用されているのに対し、タイ語は推量表現では
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なく、“rúu”(知る) という認識動詞が使用されているため、認識者として “khâa” という
人称名詞系自称詞が明示されたと考えられる。このように、両言語とも認識者主観性表現 を使用していれば差はないはずだが、タイ語では認識者を客体化した、つまり、話者明示 可能の表現に対応しているわけである。
1)「(よ)う」(認識者準主観性表現)37
「(よ)う」が自称詞主語を取り話者の意思を表すことは「~てみる」と同じであるが、
他称詞の主語を取ることも可能であり、その場合には話者の推量を表すということから認 識者主観性表現に近似し、認識者準主観性表現に位置づけることができる(上原 2016a:
40)。一方、タイ語のデータを見ると、同じ状況において、自称詞が明示されることが多 い。具体例は以下の通りである。
(26)場面 隣で汐を汲んでいる女の子が「安寿」に言った台詞
〈日:原〉どれ汲みようを教えて上げよう。
〈タ:訳〉
ฉันจะสอนวิธีตักให้
chǎn
cà
sɔ̌ɔn
wíthii tàk
hây 自
未来 教える 方法 汲む
あげる
(私が汲む方法を教えてあげる。)
「山椒大夫」より
(27)場面 「アムヌワイ」という男性が会見者に言った台詞
〈タ:原〉
ถ้าคุณไม่เข้าใจผมจะเล่าให้ฟัง
thâa khun
mây
khâw cay
phǒm cà
lâw
hây
faŋ
もし 対 否定 理解する 自 未来 話す
あげる 聞く
(もしあなたが理解できないなら、私が話して聞かせてあげる。)
〈日:訳〉あなたが理解できないとおっしゃるのなら、話してあげましょう。
「チャムプーン」より
37 本研究のデータでは「まい」が使用されていないが、上原(2016a: 40)では「まい」という話者の 否定の意志を表す表現を認識者準主観性表現としている。
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上の例(26)と(27)の通り、日本語では、「(よ)う」が使用されており、自称詞が 非明示になっている。上原(2016a: 41)によると、「(よ)う」は現代語では話者の意志 を表す専用の表現になりつつある。そのため、日本語では自称詞を明示しないことが多い と考えられる。それに対し、タイ語では「(よ)う」と完全に一致する表現がなく、“hây”
(与える)が使用されている。4.4.1.2(情意者主観性表現の謝意の表現)で述べた通り、
タイ語では日本語のように「くれる」と「あげる」の区別がないため、対応しているタイ 語では自称詞が明示されることが多い。よって、(26)と(27)では、日本語が非明示に なっているが、タイ語ではそれぞれ、“chǎn”と “phǒm” という自称詞が使用されている。
以上、本節では上原(2016a)の類型38 を踏まえ、日本語とタイ語における文法形式の 違いについて日本語では自称詞が非明示になっているが、タイ語では自称詞が明示されて いることを、用例とともに示した。
このことから、日本語とタイ語は共に自称詞の明示が義務的ではないが、日本語は「主 観的把握」をする傾向が高い言語であるのに対し、タイ語は英語ほどでないが「客観的把 握」をする傾向にある言語であると特徴づけることができよう。