第 6 章 日本語とタイ語における人称名詞系自称詞の使い分け
6.5 日本語とタイ語における人称名詞系自称詞の対応関係
前節では、日本語とタイ語における人称名詞系自称詞の特徴について論じた。本節では、
同じく種類が多く、様々な用法のある日本語とタイ語の人称名詞系自称詞の間ではどのよ うな対応関係があるかを見てみる。
言うまでもなく、原作の場合は作者の意図や話の内容、翻訳の場合は翻訳者の解釈や判 断によって人称名詞系自称詞を含め、自称詞の選択に違いがある。そのため、かならずし も日本語の人称名詞系自称詞がタイ語の人称名詞系自称詞に対応するわけではない。例え ば、Chirasombutt(1995)がまとめている類似している日本語とタイ語の人称名詞系自称詞 のペア85(おれ―kuu、あたし―chǎn、あたし―kháw、ぼく―phǒm、わたくし―
khâaphacâw、わたくし―dichǎn)のような対応関係になるわけではない。全ての作品に一 貫した対応結果を見出すことはできないが、以下の表6-3で示すように、いくつかのグル ープの作品には日本語とタイ語の人称名詞系自称詞の対応関係に共通した傾向が見られた。
表6-5では、各作品に現れた対応関係のペアの数を示している。数の後にある括弧は作品 名の最初の文字である。人称名詞系自称詞の数は作品の長さと話の内容によって変わるた
85 詳しくは第2章を参照されたい。
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タイ
日本 phǒm chǎn kuu khâa kràphǒm dichǎn raw nǔu ichǎn ʔàattàmaa ʔuá
わたし 3(ゴ)
2(三)3(厭)
14(山) 2(卒)
12(な)
0 42(三) 0 0 12(三) 1(な) 0 0 0
ぼく
5(ゴ)7(ヴ)
3(厭)11(角)
1(卒) 1(僧)
3(旧) 85(本)
10(二)20(人)
1(ヴ)113(我)
12(暗)7(ト)
26(エ)
0 1(ゴ) 0 0 1(二) 0 0 0 0
おれ 5(ヴ)1(高)
41(な)
23(角)1(我)
33(暗)
109(旧)
4(本)
1(僧)
10(ゴ)
8(三)
7(山)
3(高)
15(暗)
3(本)
0 0
4(我)
1(暗)
1(旧)
0 0 0 0
わたくし 1(山) 7(山) 0 0 35(高) 2(山) 0 0 0 0 0
あたし 0 6(厭)11(卒)
2(人) 0 0 0 0 02(厭)
1(人) 0 0 0
わし 8(厭)3(僧) 1(厭)10(山)
6(人) 1(僧) 4(山)2(ト) 0 0 0 0 0 2(山) 0
おれさま 0 1(暗) 0 1(ゴ) 0 0 0 0 0 0
おら 0 0 0 2(厭) 0 0 0 0 0 0 0
うち 1(ヴ) 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
わたしゃ 0 0 0 0 0 0 0 0 1(厭) 0 0
め、人称名詞系自称詞の数ではなく、作品の数で対応関係を見ることにする。
本節では日本語の人称名詞系自称詞をベースにして、わたし-chǎn、ぼく-phǒm、お れ-khâa、あたし-chǎn、わし-chǎnといった典型的だと思われる日本語とタイ語の人称 名詞系自称詞の対応のペアを紹介する(一つの作品にしか現れていない対応関係のペアは 全体的の傾向を表せないため、対象外とする86)。
表6-3 データに見られる日本語とタイ語における人称名詞系自称詞の対応関係
わたし―chǎn
全ての作品を見ると、「わたし」と最も多く対応しているタイ語は “chǎn” である。「わ たし」と “chǎn” は男女とも用いられる点で共通している。このペアは Chirasombutti
(1995)に見られないペアである。これは前述の通り、日常会話で chǎn があまり使用さ れていないが、文学作品など書物では多用されていることを反映していると言える。小説 のデータからあまり差が見られないが、後述するように、漫画のデータから両者の用法を 見ると、「わたし」は目上に対しても用いられるのに対し、“chǎn” は目上に用いることは 少なく、同等や目下に対して用いられることが多い。
86 先述の通り、「私」の読み方は様々であり、「わたし」とも「わたくし」とも読めるため、対応関係
を分析する際も平仮名で表記されたもののみにする。
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ぼく―phǒm
全ての作品を見ると、「ぼく」と最も多く対応しているタイ語は “phǒm” である。この
ペアは Chirasombutti(1995)のペアと一致している。また、「ぼく」と “phǒm” は男性が
使用する点で共通している。しかし、「ぼく」は友だちや親しい人に対しても用いるのに 対し、“phǒm” は丁寧な人称名詞系自称詞であるため、目上や妻・彼女や初対面に対して 用いることが多く、友達の場合ではあまり、“phǒm” を使用しない。具体例を挙げれば、
「ほんとうの死」の中で主人公の詩人が会ったことのない無名氏の手紙に返信するとき、
「ぼく」は “phǒm” に訳されているが、「我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史
―」の中で男性同士の友だちが使用する「ぼく」は全て “chǎn” に訳されている。
おれ-khâa
全ての作品を見ると、「おれ」と最も多く対応しているタイ語は “khâa” である。「おれ」
は男性が用い、非知的・土着なイメージを表すときがあるが、現代では標準化しつつある ことについて前の節で論じた。一方、“khâa” は上述の通り、様々な用法がある。データ では “khâa” に訳された「おれ」は時代設定が昔の作品か非現実的な作品が多い。また、
Chirasombutti(1995)が指摘しているように、ぞんざいな言い方として “kuu” に近い「お れ」もあるが、タイ語の “kuu” は日本語の「おれ」より暴言で下品な言い方であるため、
前述したように、翻訳するときにあまり用いられない。しかし、原作がタイ語の場合では、
現代日常会話で用いる “kuu” のニュアンスに近いのは「おれ」であるため、「旧友の呼び 声」では、の “kuu” は「おれ」に訳されているわけである。
あたし―chǎn
全ての作品を見ると、「あたし」と最も多く対応しているタイ語は “chǎn” である。日本 語では上述の通り、女性のキャラクターによって「わたし」と「あたし」の使い分けがあ る。Chirasombutti(1995)によれば、「あたし」に類似しているタイ語の人称名詞系自称 詞は “nǔu” である。しかし、本研究のデータを見ると、目上に対して用いる場合「あたし」
は “nǔu” に訳されることがあるが(「厭がらせの年齢」、「人に頼らず」)全ての例は聞き手 が目上の場合である。ひとつの理由としてはタイ語では日本語のように女性の性格・性質 の違いを区別するような人称名詞系自称詞がないため、「あたし」も「わたし」と同様で、
文学作品によく使用される “chǎn” に訳されると考えられる。
わし-chǎn
全ての作品を見ると、「わし」と最も多く対応しているタイ語は “chǎn” である。上述の
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通り、日本語の「わし」は老人の男性のイメージを想起させる。しかし、タイ語では特に 老人の男性用の人称名詞系自称詞がないため、「わし」は様々なタイ語と対応している。
例えば、僧侶の場合は “ʔàattàmaa”(「山椒大夫」)、話の時代設定が昔や非現実的な場合 は “khâa”(「山椒大夫」、「トマトの自殺」) 、話し手が男性で妻や親しくない人に話す場 合は “phǒm” (「厭がらせの年齢」、「僧子虎鶏虫のゲーム」) 、怒りを表す場合は “kuu”
(「僧子虎鶏虫のゲーム」)と対応しているが、その他はニュアンスが近いタイ語の人称名 詞系自称詞がなければ、書き物に広く使用されている “chǎn” に対応させると考えられる ため、本研究のデータでは「わし」の最も対応しているタイ語は “chǎn” である。
本節では短編小説のデータを用いて日本語とタイ語の人称名詞系自称詞の対応関係につ いて論じた。この対応関係を明らかにすることによって、同じく人称名詞系自称詞が多様 であるが、異なる文化や異なる歴史的背景を持つ日本語とタイ語の人称名詞系自称詞の対 応関係の傾向が分かった。また、この傾向から 6.4(小説に見られる日タイ語の人称名詞 系自称詞の特徴)の考察の結果を支持する結果となる。つまり、上述の通り、明確な人物 像と結びつく日本語の「わたし」、「あたし」、「わし」の三つとも、タイ語の文学作品に多 く使用されている “chǎn” と最も対応している。このことから、全ての作品を通して、全 体的にみると日本語では登場人物の〈性質〉によって人称名詞系自称詞の使い分けがある のに対し、タイ語ではそのような傾向はあまり見られないと言うことができる。このよう に、日本語とタイ語それぞれの人称名詞系自称詞の特徴の考察と全作品の全ての日タイ語 の人称名詞系自称詞の対応関係の傾向を明らかにすることで、短編小説における日本語と タイ語における人称名詞系自称詞の全体像と役割語としての共通点と相違点について明ら かになった。