第 4 章 日本語とタイ語における自称詞の出現数
4.4 日本語とタイ語の自称詞の出現数の差の要因
4.4.3 社会・文化の違いによるもの
4.4.3.1 自称詞の由来と意味の違い
上述した通り、文化・社会的な要因もそれぞれの言語の自称詞の明示・非明示を促す ことになると考えられる。日本語とタイ語両言語における自称詞の由来も一つの要因であ ると考えられる。Nasawat(2009: 51, 61)は王様や王族に対する人称名詞系自称詞に関し て次のように述べている(筆者和訳・編)。
王様や高位の王族に対する言葉は “khâa phráphútthacâaw” である。文字通りの意味 を見ると、“khâa” は奴隷という意味であり、“phráphútthacâaw” はお釈迦様という 意味である。この自称詞は王様を「お釈迦様」であると喩えており、話し手が自分 自身を低めて、自分は「お釈迦様の奴隷」であると自称することになる。
このことから、タイ語における王様に対する自称詞の由来は聞き手を高めながら自分 を低めることであると分かる。また、“phrá wɔɔrawoŋthəə phrá ʔoŋcâw”(親王)、“mɔ̀m
câw”(国王の孫)41 に対する自称詞は男性用と女性に分かれている。男性用は “kramɔ̀m”
であり、女性用は “kramɔ̀m chǎn” である。Nasawat(2009)は“kramɔ̀m”について次の通り
40 この部分は、スィリアチャー(2015)の一部(pp.26-27)を加筆・修正したものである。
41 傍士(2017: 698)によるとタイの王族の階級は大きく分けて次の七つに分かれる。
1 phrá raachaa(王) phrá raachinii(王妃)
2 câw fáa(王子、王女(国王と王妃のあいだの子ども))
3 phráʔoŋ câw(国王の孫)
4 mɔ̀m câw(王族に嫁いだ民間人の女性、あるいはその子どもを指す、子どもは地位が上がって、
phráʔoŋ câw(国王の孫)と呼ばれることもある)
5 mɔ̀m râatcha woŋ (phráʔoŋ câw(国王の孫)と王族でない女性のあいだの子ども)
6 mɔ̀m lǔaŋ(王族以外の男性と結婚した国王の娘の子ども)
7 名前+名字+ ná ayûthayaa(mɔ̀m râatcha woŋの子どもが王族でない人やmɔ̀m lǔaŋと結婚してで きた子どもを呼ぶのに用いられる)
85 に述べている(筆者和訳・編)。
“ k r a mɔ̀ m” は 頭 の 最 も 上 の 部 分 と い う 意 味 で あ る 。 タ イ で は 頭 が 体 の 中 で 最も大事だとされている。昔、王族の人と会話するとき、話し手が礼拝でひざまず
いて頭をほぼ床に付くまで頭を下げながら会話をしていた。王族の人は王座に座っ ているため、話し手に最も近い部分は王族の人の足になる。
(Nasawat 2009: 65)
つまり、以下の図4-2が示している通り、話し手は自分の体の最も上の部分を使い、
聞き手の最も下の部分である足に対して話すことは相手に敬意を払うことになる。
図4-2 昔のタイにおける王族や位が高い人と話す様子を表す絵
上記は王族に対する自称詞であるが、現代の日常会話でも用いられている目上の人に 用いる男性の自称詞 “phǒm”と女性の自称詞 “nǔu” についても同じ原理で説明できる。つ まり、男性が用いる“phǒm”という自称詞は「髪の毛」という意味である。髪の毛は体の 中で最も大事な部分である頭にあるため、上記の “kram̀ ɔm”と同様な考えで、聞き手に敬 意を払うことになると考えられる。また、女性が用いる“nǔu” という自称詞のもう一つの 意味は 「ねずみ」 という意味である。この “nǔu”は話し手が自分を小さい動物に喩えて 自分を低めることになると考えられる。このように、いくつかのタイ語の自称詞の由来は 聞き手を高めるために自分のことを謙虚に言及することである。
一方、日本語の自称詞は最初、聞き手に対して、自分を卑下する意味を持っているも のの、使用が頻繁になるにつれて、自分が聞き手に対して尊大にかまえる気分を表すよう
“kramɔ̀m”
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になり、結局、相手を見下す時にだけ使用する語に変化することがある(佐久間1959, 鈴
木1975)。例えば、「僕」は下男という意味であり、自分を「相手のしもべ」と称して、
かつて相手に敬意を表す語として使用されていたが、武家教養層などの使用を経て、謙譲 性の低い語になり、明治になっていわゆる書生が愛用し、一般語になったという(小松・
鈴木2011: 832)。
上記の通り、いくつかのタイ語の自称詞は自分をへりくだる意味があるが、「僕」をは じめ、日本語の自称詞は使用が頻繁になるにつれて、一般語になった自称詞がある42。こ のように、現代でもよく使用されているタイ語の “phǒm”と“nǔu”、日本語の「僕」の由来 と意味はそれぞれの言語の自称詞の機能に繋がると考えられる。つまり、タイ語の自称詞
“phǒm”と“nǔu” はこのような由来があるため、自称詞を明示することによって文の意味合
いをやわらげることができると考えられるのである。タイ語では “phǒm”と“nǔu”が明示さ れているのに、日本語では自称詞が明示されていない例は以下の通りである。
(43)場面 息子が父親に言った台詞
〈日:原〉なら、ここで待ってるよ。
〈タ:訳〉
ผมจะรอพ่ออยู่ที่ป้ายรถเมล์นี่
phǒm cà rɔɔ phɔ̂ɔ yùu
thîi
pâay rót mee nîi
自 未来 待つ 父親 いる 場所 バス停 この
(私はこのバス停でお父さんを待っている。)
「角筈にて」より
(44)場面 娘が両親に言った台詞
〈日:原〉だって、おとうさんが言ってたよ。
〈タ:訳〉
ก็พ่อบอกหนู...
kɔ̂ɔ phɔ̂ɔ bɔ̀ɔk nǔu だって 父 言う 自
(だって、お父さんが私に言った。)
「角筈にて」より
42 しかしながら、数多くある日本語とタイ語の自称詞において以上の説明は全ての自称詞に当てはまる
わけではないことについて注意されたい。
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以上の例(43)と(44)は両事例とも子どもが親と話している場面で、(43)は息子の 台詞、(44)は娘の台詞である。日本語では、両事例とも自称詞が非明示となっているが、
タイ語の(43)では男性が目上に使用する “phǒm” が(44)では女性が目上に使用 “nǔu”
が使用されている。この二つの文ではタイ語でも自称詞を明示しないことが可能であるが、
聞き手が目上の場合丁寧な自称詞を明示することによって、聞き手に対する敬意を表すこ とになり、文の意味合いが和らぐ。一方、日本語の自称詞はタイ語のような機能がなく、
聞き手に対する主観的態度は文末表現などで間接的に表すことになる。この点について次
節の4.4.3.2で自称詞の機能の違いをさらに見ていく。