第 4 章 日本語とタイ語における自称詞の出現数
4.4 日本語とタイ語の自称詞の出現数の差の要因
4.4.2 好まれている言い回しの違いによるもの
75
上の例(26)と(27)の通り、日本語では、「(よ)う」が使用されており、自称詞が 非明示になっている。上原(2016a: 41)によると、「(よ)う」は現代語では話者の意志 を表す専用の表現になりつつある。そのため、日本語では自称詞を明示しないことが多い と考えられる。それに対し、タイ語では「(よ)う」と完全に一致する表現がなく、“hây”
(与える)が使用されている。4.4.1.2(情意者主観性表現の謝意の表現)で述べた通り、
タイ語では日本語のように「くれる」と「あげる」の区別がないため、対応しているタイ 語では自称詞が明示されることが多い。よって、(26)と(27)では、日本語が非明示に なっているが、タイ語ではそれぞれ、“chǎn”と “phǒm” という自称詞が使用されている。
以上、本節では上原(2016a)の類型38 を踏まえ、日本語とタイ語における文法形式の 違いについて日本語では自称詞が非明示になっているが、タイ語では自称詞が明示されて いることを、用例とともに示した。
このことから、日本語とタイ語は共に自称詞の明示が義務的ではないが、日本語は「主 観的把握」をする傾向が高い言語であるのに対し、タイ語は英語ほどでないが「客観的把 握」をする傾向にある言語であると特徴づけることができよう。
76
of the picture. The relevant case here is what I call “discoverer subject” construction.
Iwasaki (1993: 80) points out that English can code the discoverer as the subject to describe a situation, while the discoverer of the same situation must be coded implicitly in Japanese.
(Uehara 1998: 285)
Uehara(1998: 285)はさらに、以下のIwasaki(1993: 80)の例を挙げ、下記の通りに
説明している。
(28)discoverer subjects [from Iwasaki (1993: 80)]
英: Then I saw a big lady standing there.
日: 太ったおばさんがいたの。
Uehara (1998: 286)によれば、上の例文に対応している日本語では、ゼロ形代名詞
(無形)ではなく、イベントではまったく存在しない。つまり、この英語に見られる
“discoverer subjects”(発見者主語)が日本語で表現されないのは、「発見」という状況に おいて、日本語では発見者はその行為に参与しないものと捉えられ、英語と異なる捉え方 がなされる(Uehara 1998: 286)。
池上(2004: 40)はこの種の「知覚者抜き」の言語化には、話し手が知覚者に自己没入 して一体化するという認知過程が前提となると指摘しており、さらに、日本語とその英語 訳について次の例を出している。
(29)
日: 見上げると、門の屋根が、斜めに突き出した瓦の先に、
重たく薄暗い雲を支えていた。(芥川龍之介『羅生門』)
英: Looking up,he saw a fat,black cloud impale itself on the tips of the tiles jutting out from the roof of gate. (T.Kojima訳)
(池上2004: 39)
さらに、本多(2005: 163)によると、好んで使用されている表現構造ないし構文は日本 語と英語では異なるとして、表4-3のようにまとめている。
77
表4-3 日英語の表現構造の対照のまとめ
英語的 日本語的 好んで使用
されている構文
人間の全体 人間の一部 知覚表現 存在表現
状況表現 所有表現 存在表現 状況表現 他動詞構文 自動詞構文
移動表現 推移表現
(本多[2005: 163]を本研究の趣旨に合致するように改編)
上記の通り、本多(2005)は日本語と英語における好まれている構文について詳しく 分類しているが、本節では、好まれている言い回しとして、(上記の 4.4.1[文法形式の違 いによるもの]と異なって)日本語では最初から自称詞がない表現を用いることが一般で あることを示すため、意味的な特徴から「日本語:状況中心/タイ語:人間中心」にまと めて扱うことにする。本稿のデータからの具体例を示しながら、説明する。
(30)亭主が「さっちゃん」に言った台詞
〈日:原〉病気だ。病気なんだよ。
〈タ:訳〉
ผมว่าเขาไม่สบาย
phǒm wâa khǎw mâysabaay
自
思う
彼
病気
(私は彼が病気だと思う)
「ヴィヨンの妻」より
(30)の場面は「大谷」にお金を持ち逃げされた飲み屋の亭主が、その妻である「さ っちゃん」に話す場面である。日本語では、大谷の状況について焦点が置かれたため、話 者は事態の中で存在がないため、自称詞が非明示となっているが、タイ語では “wâa”(思 う)という認識動詞が使用され、認識者として “phǒm” という人称名詞系自称詞が明示さ れている。
78
(31)場面 会見者が「アムヌワイ」という男性に言った台詞
〈タ:原〉
ผมทราบว่าที่อ าเภอท้ายเหมืองเป็นย่านกลางของเหมืองแร่ใหญ่ๆ มากมายด้วยกัน
phǒm sâap wâa
thîi
ʔamphəə tháay mɯ̌aŋ pen
自 知る
と
場所
地区
場所の名前
繋辞
yâan klaaŋ
khɔ̌ɔŋ
mɯ̌aŋ rɛ̂ɛ
yày yày
mâak maay
dûay kan
中心地 の
鉱山
大きい
とても
補
(私はターイムアンはとても大きな鉱山の中心地だと知っています。)
〈日:訳〉ターイムアンはとても大きな鉱山の中心地ですね。
「チャムプーン」より
(31)では日本語において「ターイムアン」が話題化され、「ターイムアン」について説 明されている。この場合でも(30)と同じように日本語ではタイ語とは違う捉え方をし ているため、表現の中には話者も話者の行為も存在しない。一方、タイ語では“sâap”
(知る)という認識動詞が使用されているため、自称詞の明示が可能となる。従って、タ イ語では認識者として “phǒm” という人称名詞系自称詞が明示されているわけである。
(32)場面 恭一が親戚のヤスオに言った台詞
〈日:原〉金なら、少しはあるよ。
〈タ:訳〉
ถ้าต้องการเงินฉันพอมีให้นะ
thâa tɔ̂ɔŋ kaan ŋən chǎn phɔɔ mii hây náʔ なら 要る 金 自 十分 持つ あげる 終 (お金が要るなら、私はあげるのに十分持っているよ。)
「角筈にて」より
以上の例(32)で示しているように、同じ状況において、日本語では「金なら、少し はあるよ」という存在表現が使用されている。それに対して、タイ語では「~持っている」
という所有表現が使用されているため、“chǎn” という人称名詞系自称詞が明示されてい ると考えられる。
79
(33)場面 「アムヌワイ」という男性が会見者に言った台詞
〈タ:原〉
ผมหาได้พอใช้ไปเดือนหนึ่ง ๆ เท่านั้นเอง
phǒm hǎa dây phɔɔ cháy pay dɯan nɯ̀ ŋ nɯ̀ŋ thâw nán ʔeeŋ 自
稼げる 可能 足りる
使う 補 月々
それだけ
(私は1ヶ月使う分だけを稼げる。)
〈日:訳〉毎月、収入がある分だけ、お金も出ていくのです。
「チャムプーン」より
(33)においてタイ語では「稼げる」という他動詞が使用されており、“phǒm” という人 称名詞系自称詞が明示されている。これに対し、対応している日本語は異なる解釈がなさ れ、タイ語のように「人間中心」ではなく、「状況中心」の捉え方をしているため、「収入 がある分だけ、お金も出ていくのです」に訳されていると考えられる。
以上のように、同じ状況を描写するのに、日本語では知覚者が不在のため、自称詞が現 れていない。これに対し、タイ語では異なる解釈がなされているため、知覚者が存在し、
話者自体が言語化されている(場合によって、認識動詞が使用されることもある)。
また、先行研究では言及されていないが、「ごめんなさい」「おねがい」などの決まり 文句においても同じ傾向が見られると分かった。つまり、タイ語は日本語と同じように
“khɔ̌ɔ thôot (khàʔ/khráp)”(すみません、ごめんなさい)“khɔ̌ɔ rɔ́ɔŋ náʔ (kháʔ/khráp)” (お願 いします)のみでも使用できる。しかし、本研究のデータの対応関係を見ると、タイ語で は、上記の日本語に相当する表現を使用する。また、別の表現を使用することもあるが、
いずれにしても自称詞が明示されている例があると分かった。本研究のデータから謝罪の 意味を表す表現の対応関係は7例あり、お願いする意味を表す表現の対応関系は5例であ った。具体例は以下の通りである。
謝罪の意味を表す表現の対応関係
(34)場面 息子が父親に言った台詞
〈日:原〉ごめんね、おとうさん。
〈タ:訳〉
พ่อครับ ผมขอโทษ
80
phɔ̂ɔ khráp phǒm khɔ̌ɔ thôot 父親 丁寧 自 謝る (お父さん、私は謝る。)
「角筈にて」より
(35)場面 ゴーシュが鳥のかっこうに言った台詞
〈日:原〉あのときはすまなかったなあ。
〈タ:訳〉
ข้าขอโทษเรื่องเมื่อคืนนั้น
khâa khɔ̌ɔ thôot rɯ̂aŋ mɯ̂akɯɯnnán 自 謝る こと あの晩
(私はあの晩のことについて謝る。)
「セロ弾きのゴーシュ」より
(36)場面 ドアボーイは将軍の方を向き直ると、震える声で言った台詞
〈タ:原〉
ผมขอโทษ
phǒm khɔ̌ɔ thôot
自 謝る
(私は謝る。)
〈日:訳〉申し訳ありませんでした。
「僧子虎鶏虫のゲーム」より
上記の例は様々な状況に使用されている謝罪表現の対応関係である。「ごめんね」、「す まなかった」、「申し訳ありませんでした」など様々な表現が使用されているが、原作が日 本語かタイ語かを問わず、これらの例で共通していることは日本語では謝罪表現の前に自 称詞を明示することが不可能であり、非明示となっているが、タイ語では自称詞の明示が 可能であり、明示されていることである。
また、日本語では謝罪表現が使用されているのに対し、タイ語では“khɔ̌ɔ thôot (khàʔ/khráp)”(すみません、ごめんなさい)ではなく、別の表現で表現されていることが ある。この場合においても日本語では自称詞が使用できないため、非明示となっているが、
タイ語では自称詞が明示されている。具体例は以下の通りである。
81
(37)場面 弟が兄に言った台詞
〈日:原〉すまない
〈タ:訳〉
ผมเสียใจ
phǒm sǐa cay 自 悲しい (私は悲しい)
「高瀬舟」より
(38)場面 いとこのチャン(男性)がニット(女性)に言った台詞
〈タ:原〉
ยกโทษให้พี่เถอะนิตย์
yók thôot hây phîi thə̀ʔ nít
許す くれる 年上( 自) 終 対(固)
(お兄さんを許してくれよ。ニット)
〈日:訳〉ごめん、ニット
「いとこ」より
以上の例(37)と(38)で示している通り、日本語では謝罪自体に焦点が置かれ、そ れぞれ「すまない」、「ごめん」という表現が使用されているため、自称詞が非明示となっ ている。しかし、対応しているタイ語では謝罪表現ではなく、話者の気持ちを表す「かな しい」、話者の依頼を表す「~を許してくれよ。」という自称詞が明示可能な表現になって いるため、タイ語では明示されていると考えられている。
さらに、依頼の意味を表す表現の日タイ語の対応関係を見ると、謝罪表現と同じような 傾向が見られる。具体例は以下の通りである。
お願いする意味を表す表現の対応関系
(39)場面 恋人同士で女性が男性に言った台詞
〈日:原〉お願い。
〈タ:訳〉