第 6 章 日本語とタイ語における人称名詞系自称詞の使い分け
6.3 データに見られる日本語とタイ語の人称名詞系自称詞
6.3.2 データに見られるタイ語の人称名詞系自称詞
短編小説のデータに見られるタイ語の人称名詞系自称詞は “phǒm” 、“chǎn”、 “kuu”、
“khâa” 、“kràphǒm” 、“dichǎn”、 “raw”、 “nǔu”、“ʔichǎn”、“ʔàattàmaa”、 “ʔúa” である。
次の表6‐2はデータに見られたタイ語の人称名詞系自称詞を作品別に示す。
73 その理由は収集したデータでは関西が舞台となった作品がないためであると考えられる。
162
次は、短編小説のデータに見られるタイ語の人称名詞系自称詞を1)役割語の特徴が二 つ以上見られるもの、2)役割語の特徴が一つ見られるもの、3)役割語の特徴が見られ ないものという三つのグループに分類し、役割語度の高い順から論じる。
表6-2データに見られるタイ語における人称名詞系自称詞
163 1)役割語の特徴が二つ以上見られるもの
本研究のタイ語のデータにおいて役割語の特徴が二つ以上見られるものとして当ては まるのは “kràphǒm”、 “dichǎn”、 “ʔàattàmaa” である。それぞれの詳細の考察は以下の 通りである74。
kràphǒm
“kràphǒm” は男性が目上に対して用いる人称名詞系自称詞である(Ratchabandittayasa
tan 2011)。Cooke(1965: 22)によれば、“kràphǒm” は尊敬を表すのに、改まった場面で
目上に対して用いる。また、Chirasombutti(1995: 104)では、“kràphǒm” は大人の男性 が使用する人称名詞系自称詞であるが、非常に丁寧な言葉であるため、一般的に家族内で は用いないという。
本研究のデータでは “kràphǒm” が使用されたのは「高瀬舟」51 回(98.08%)と
「僧子虎鶏虫のゲーム」1 回(1.92%)である。また、両方とも聞き手が目上である。具 体例は以下の通りである。
(41)場面 罪人の喜助が同心の庄兵衛に話すとき
〈タ:訳〉
จนทุกวันนี้สถานที่ที่กระผมจะอยู่ได้สุขสบายก็ไม่มีที่ไหนทั้งสิ้น
con thúk wanníi sathǎanthîi thîi kràphǒm cà yùu dây まで 今日 場所 関係 自 未来 いる 可能
sùk sabaay kɔ̂ɔ mâymii thîi nǎy tháŋ sîn 幸せ も ない どこ 全て
(今日まで、kràphǒmが幸せにいられる場所はどこにもない)
〈日:原〉わたくしはこれまで、どこといって自分のいていい所というものがございませ んでした。
「高瀬舟」より
タイ語原作からの例は以下の通りである。
74 この部分はタイ語を中心に考察するため、原作か翻訳かを問わず、順番としてはタイ語の例文を先 に示すことにする。
164
(42)場面 困難に直面した主人公が政治家の家を訪問し、政治家に話した台詞。
〈タ:原〉
ความจริงกระผมน่าจะไปหาก านัน แต่...
khwaam ciŋ kràphǒm nâa cà pay hǎa kamnan tɛ̀ɛ…
本当のこと 自 べき 行く 会う 区長 でも (本当はkràphǒmは区長に会いに行くべきですが、…)
〈日:訳〉本当は区長さんのところへ先に行くべきなんですが
「僧子虎鶏虫のゲーム」より
以上の本研究のデータにおける “kràphǒm” の二つの例は両者とも聞き手は目上である。
「高瀬舟」の場合では目上の同心の庄兵衛に話すとき、「わたくし」で自称する。喜助は 男性であるため、訳文には 丁寧な人称名詞系自称詞で男性が改まった場面に用いる
“kràphǒm” のニュアンスに近いため、“kràphǒm” に訳したと考えられる。また、タイ語原
作の「僧子虎鶏虫のゲーム」において、首になって困難に直面したドアボーイが助けを求 めるため政治家の家を訪問している場面である。身分が高い政治家に話すのに、自分の身 分をわきまえているドアボーイには “kràphǒm” が相応しいと考えられる。
“kràphǒm” は “phǒm” と同じように男性が用いる人称名詞系自称詞であるが “kràphǒm”
は “phǒm” より丁寧であり、改まった場面や目上の聞き手にしか使用しない。また、
“phǒm” の場合、話し手は子どもでも大人でも使用するが、“kràphǒm” の場合は話し手は
大人である(子どもは改まった場面など、学校・家族以外の目上に接する機会がないこと も一つの理由だと考えられる)。つまり、“kràphǒm” は話し手が大人の男性で目上に対し て話す場面を想起させることができると言える。ただし、“kràphǒm” を使用している登場 人物の他の台詞を見ると、聞き手が目上ではない場合、“phǒm” など他の人称名詞系自称 詞か親族名称にシフトしていることが多い。つまり、“phǒm” は大人の丁寧な男性を想起 させる働きより、待遇表現としての働きの方が顕著であると言える。このように、聞き手 は目上であることが明確であるが、話し手自身の情報については性別が〈男性〉、年代は
〈大人〉という情報しか分からない “kràphǒm” には役割語の特徴が二つあることになる。
dichǎn
“dichǎn” は女性が目上に対して用いる人称名詞系自称詞である(Ratchabandittayasatan
2011)。Cooke(1965: 21)によれば、一般的には “dichǎn” は大人の女性が目上に対し
165
て用いるが、改まった場面では同等の人に用いることがある。また、性格が非常に丁寧な 人の場合では様々な聞き手に対して用いることも可能である(Cooke 1965: 21)。
本研究のデータでは “dichǎn” は 25 回使用されており、すべての話し手は女性である。
作品別に分けると「ヴィヨンの妻」18回(72%)、「山椒大夫」6回(24%)、「厭がらせ年 齢」1回(4%)である75。
「 ヴ ィ ヨ ン の 妻 」 で は 妻 の さ っ ち ゃ ん が 自 分 の 夫 が 迷 惑 を か け た 亭 主 に 対 し て
“dichǎn” を用いている。「山椒大夫」では悪い人買いによって奴隷になった安寿が奴隷の
持ち主の息子に用いる。「厭がらせの年齢」では二十歳の瑠璃子が祖母をおんぶするのを 手伝うと言ってくれた初対面の男性に対して用いる。共通しているのは全ての例で目上に 対して用いる点である。それぞれの具体例は以下の通りである。
(43)場面 「さっちゃん」が自分の夫が迷惑をかけた亭主に言った台詞
〈タ:訳〉
ดิฉันหรือคะ
dichǎn rɯ̌ɯ kháʔ 自 疑問 丁寧 (dichǎnですか。)
〈日:原〉あの、私でございますか?
「ヴィヨンの妻」より
(44)場面 奴隷なった安寿は奴隷の持ち主の息子に言った台詞
〈タ:訳〉
ดิฉันอยากจะท างานที่เดียวกับน้องชาย
dichǎn yàak cà thamŋaan thîi diaw kàp nɔ́ɔŋ chaay
自 ~たい 未来 仕事する 同じ場所 と 弟
(dichǎnは弟と同じ場所で仕事をしたい。)
〈日:原〉わたくしは弟と同じ所で為事がいたしとうございます。
「山椒大夫」より
75 ちなみに、タイ語原作の場合に使用されていないのは、収集したデータでは女性が目上に対して話 す場合がなく、聞き手が家族や恋人の場合が多いからである。
166
(45)場面 二十歳の「瑠璃子」が祖母をおんぶするのを手伝うと言ってくれた初対面 の男性に言った台詞
〈タ:訳〉
ดิฉันเองไม่ทราบจะท าอย่างไร แล้วมันก็ใกล้จะมืดแล้ว..
dìchǎn ʔeeŋ mây sâap cà tham yàaŋ ray 自 自身 否定 知る 未来 どうする
lɛ́ɛw man kɔ̂ɔ klây cà mɯ̂ɯt lɛ́ɛw
そして それ すぐ 未来 暮れる もう
(dìchǎn自身はどうすればいいか分からない。そして、もうすぐ暮れるし…)
〈日:原〉途方にくれていたんですわ。
「厭がらせ年齢」より
“dichǎn” を用いることによって話し手が大人の女性であり、目上の聞き手に対して話 す場面を想起させることができることが分かった。“dichǎn” は〈大人〉の年代と〈女性〉
の 性 別 を 表 せ る た め 、 役 割 語 の 特 徴 が 二 つ あ る と 言 え る 。 ち な み に 、“dichǎn” は
“kràphǒm” と同じような傾向が見られる。つまり、“dichǎn” を使用している登場人物の他
の台詞を見ると、聞き手が目上ではない場合、“chǎn” など他の人称名詞系自称詞か親族 名称にシフトすることがある。このことから、“dichǎn” は大人の女性を想起させる働き よりも、待遇表現としての働きの方が顕著であると言える。
ʔàattàmaa
“ʔàattàmaa” は僧侶が用いる人称名詞系自称詞である(Ratchabandittayasatan 2011)。ち
なみに、タイでは男性しか僧侶になれないため、“ʔàattàmaa” で自称する人は男性の僧侶 であることは言うまでもない。本研究では僧侶の登場人物がいるのは『山椒大夫』のみで あるため、“ʔàattàmaa” が使用されているのはこの作品(4回出現した)のみであるが、
補助資料として僧侶が登場するタイ語原作の作品を確認したところ、僧侶の登場人物の場 合ではタイ語原作の作品においても “ʔàattàmaa” が使用されることが分かった。それぞれ の具体例は以下に示す。
まず、「山椒大夫」からの具体例は以下の通りである。
167
(46)場面 僧侶が逃げた子どもの奴隷を探している大夫の人に言った台詞
〈タ: 訳〉
ที่วัดนี้ไม่เคยให้ใครพักหากไม่บอกให้อาตมาซึ่งเป็นเจ้าอาวาสรับรู้
thîi wát níi mây khəəy hây khray phák hàak mây bɔ̀ɔk 場所 お寺 この 否定 経験 させる 誰も 泊まる もし 否定 言う
hây ʔàattàmaa sɯ̂ŋ pen câwʔaawâat ráprúu くれる 自 関係 繋辞 住持 承知
(このお寺では、住持であるʔàattàmaに言って承知してもらわずに、人を泊まら せたことがない。)
〈日: 原〉当山では住持のわしに言わずに人は留めぬ。
「山椒大夫」より
次は、補助資料として取り入れたタイ語原作の「崩れる光」からの例である。
(47)場面 僧侶がソムチャイ氏に言った台詞
〈タ:原〉
อาตมาคงไม่มีโอกาสได้เดินทางไกลแบบนั้นอีกแล้ว
ʔàattàmaa khoŋ mây mii ʔookàat dây dəən thaaŋ klay 自 推量 否定 ある 機会 可能 遠出
bɛ̀ɛp nán ʔìik lɛ́ɛw そのような また
(ʔàattàmaaがまたそのような遠出をする機会はあるまい。)
〈日:訳〉わしはもう二度とあんな遠出をする機会はあるまい。
「崩れる光」より
上述の通り、 “ʔàattàmaa” を用いることによって、話し手が僧侶であることを想起させ ることができることが分かった。タイでは男性の僧侶しかないため、“ʔàattàmaa” には
〈男性〉という性別と〈僧侶〉という職業・立場といった二つの役割語の特徴があると言 える。
2)役割語の特徴が一つ見られるもの
本研究のデータにおいて役割語の特徴が一つ見られるものは “phǒm” 、 “khâa” 、