第 4 章 駐在員配偶者の日常生活実践
4.8 自国の親・兄弟とのつながり
4.8.1 自国の親を案じる気持ち―Eさん
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践を送る女性たちが浮き彫りになった。また、帰国後、不連続のライフコースにより、
自己実現することの難しさも示唆された。
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Eさんの住んでいた地域には、ひとり暮らしや、子どもが遠くに住んでいる為、介護 や世話を頼めない高齢者などが多く、ホームヘルパーをしている人も「たくさん」いた。
そのような状況の中で、自分も将来的にそのようなことが起こるのではないかと「ひし ひしと感じ」、仕事をしてみようと思った。「(子どもが幼稚園に行ったり、学校に行っ たりしている間に、少しでも時間があるのであれば、お話し相手になったりするのもで きるのかなと思った」と話す。ホームヘルパーの学校に半年ほど通い、実技なども行う。
ホームヘルパーの仕事は、最高2時間で洗濯、介助で自宅に行ったり、デーサービス で一緒に「手遊び」「折り紙」「散歩」などをしたりした。「すごくいい勉強をさせても らいました」「人の最後ってすごく大事で」としみじみ語る。そして「家族に支え」ら れながら、皆「明るく楽しく」過ごすのを目の当たりにする。中には、亡くなる人もい て「気持ちが落ち込む」が、「子どもの笑顔や夫の楽しい話」を聞いて癒されたという。
仕事をすることにより、「社会とつながり」があり、自分の子どもたちに対しても「人 の最後について話し」たり、「地域との関わり」もでき良かったと話す。また、「本来な ら、(夫の)母と住みたかったんですけど、それができなかったんで」という語りから、
海外駐在や転勤の為、結婚後しばらく、同じ敷地内に住んでいた夫の母親と一緒に住め なくなったことに申し訳なさの気持ちも感じられる。
八王子での暮らしも3年半経った頃、夫のドイツ赴任が決まるが、その時の気持ちを 次のように語った。
E:八王子の時はホームヘルパーという形で、もうちょっと実技を積むと介護福祉士 とかそういう資格も取れたんで。そういう手前だったので、ちょっともったいな いかなと思ったんですけど。惜しいことをしたなと思いましたが、いつも良いご 縁がいつもあるので(笑)。
Eさんの語りには繰り返し「ご縁がある」という言葉が出てくる。結婚後、工作機械 関係の仕事をすることになった時、結婚して家を建てることになった時、友だちからホ ームへルパーの仕事を紹介された時など、Eさんの人生の転機に必ず出てくる言葉であ る。ドイツ行きに関しても「良いご縁がある」という期待を持ち、夫に帯同する。その 時の気持ちを次のように語った。
E:今度は海外なんだと思って。また、前向きに楽しくいろんなことを得られればい いなという期待感と子どもたちがちょうど良い年頃に行けるので、いろいろ経験 できるのではないかという明るい気持ちを抱いてこちらに来ました。夫もだんだ んと責任ある立場になり、ひとりで行ってというわけにもいかないですし。
渡独時、長男、長女、次男はそれぞれ日本人小学校5年生、3年生、1年生であった。
長男は、小学5年生まで日本の教育を受け、「日本人ですから、ある程度日本人として
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の集団社会や日本語教育とか価値観とか」を学んでほしいと思い、日本人学校を選択 した。実際、夫の会社の方針として、日本人学校がある時は、そこに通うという決まり があった。長男は日本人学校に中学 3 年生まで通い、卒業後、日本の高校に進学する か、そしてその場合は、夫を残して子どもたちと一緒に帰るか悩んだが、息子の希望で デュッセルドルフのインターナショナルスクール(ISD)に通うことにする。夫の会社 にも相談した結果、許可がおりる。次女も日本人中学校では、「英語の弁論大会に参加」
したり、「英語が大好き」で、インターナショナルスクールを希望する。Eさんは、娘 が英語好きになったのは、日本人小学校時代のドイツ現地校とのお泊まり会や中学時 代の現地校との授業交換会があったからだと話し、これも「いいご縁」だと捉える。
Eさん家族は、日本人学校近くの日本人集住地区にある集合住宅に住むが、周りは年 配のドイツ人が多かった。ドイツ語の学校に通ったり、生活情報を得る為によく出歩 いたと話す。友だちに関しては、3年を過ぎると帰国する人も多く「がらっと人も(入 れ)替わる」と話し、仲の良かった友だちも帰ってしまう。その「寂しさ」には慣れず、
3月の「別れ」の時期は一番「嫌な時期」だという。
ドイツ生活も8年近くになり、子どもたちも大きくなり、「自分はこれからどうした らいいのかなってそういうことを考えますね」としみじみ話す。そして次のように続 けた。
E:ドイツではそういうことを考えるといういい時間がとれるところなので。周りを 気にせずに。何をしたらいいんだろうって。日々やっぱり。あと子どもの進学の ことと。すごい探す時期ですよね。
そして突然、筆者に向かって「三浦さんとの出会い。一つの選択なんだなあって。ど ういうきっかけで、大学で勉強しようと思ったのですか」と逆に質問を受けることにな った。これからの自分の生き方を模索していく中で、筆者の生き方も参考にしたいと思 ったのであろう。さらに「今の心境は」という質問に対して、Eさんは次のように答え た
E:こっち(デュッセルドルフ)に居る間、(自分の)父を亡くしたんです。(中略)
私の母も夫の母もある程度の年になってきていますから。義理の母はずっとひと りで過ごしています。いろいろ理解してくれて外(海外)にも出してくれて。夫 の父は、がんで私が結婚する前に亡くなられて。お母さんひとりで。
夫は長男で、結婚した姉が居るが、姉は母親宅からは離れて住んでいる。また、姉の 夫の両親も介護が必要なので、夫の母親に何かあった時、義理の姉に助けを頼むことは 難しい。Eさんの母親は、千葉にいて、「何とか」ひとりで暮らしていて、弟が近くに住 む。Eさんは義理の母について次のように語った。
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E:(母は)本当に苦労してきました。戦争中(でもありました)。つらい思いをして いる母にひとりで逝ってしまわれては困る。ずっと離れていて子どもたちの成長 もなかなか見せれなかったし。少しでもよく過ごしてほしいというのは基本にあ って。
そして自分の母親のことに触れ、「まだ元気ですけど、私がいない間に父を亡くした し、その辺のケアーとか。帰ったらいろいろと母と話をしたい」と言葉を強めて話す。
日本に帰って何か仕事をしたいと思う気持ちはあるが、優先順位一番は「(夫の)母の お世話」だときっぱりという。
グローバル化が進み、日本との距離を近く感じるがゆえに、ますます、そばにいてお 世話できないと焦る気持ちが強くなるのであろう。前述の C さんも日本に住む親に対 して心配の気持ちを抱く。