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第 4 章 駐在員配偶者の日常生活実践

4.3 駐在員配偶者たちの結束と連帯

4.3.4 緩い結束―L さん

Lさんは4歳の幼稚園年中の長女と2歳の次女とともに商社勤務の夫に帯同し、デ ュッセルドルフでの生活も6年目である。渡独後、長女はインターナショナルスクー ル(ISD)に5歳から入学し、次女も日本人幼稚園卒園後、長女とともにISDに通 い、それぞれ5年生と2年生である。

Lさんは、神奈川生まれで、自動車メーカー勤務の父親の仕事の関係で4歳から7 歳までオーストラリアのメルボルンで過ごした。帰国後は公立小学校に入り、小学6 年からアメリカのデトロイトに家族で駐在し、中学3年の4月に帰国して公立中学校 に編入する。そして帰国子女枠で神奈川県の私立高校に進学し、大学で国際関係法を 学ぶが、法律の勉強がかなり大変で「人生で一番大変だった」。大学ではチアー部に所 属する。大学入学後からは、「家を出る」ことを決めていたので、大学の学生寮で2年 暮らし、その後、姉が就職して都内に引っ越した為、姉と一緒に住む。卒業後は、姉 が航空会社の国際線乗務員であったこともあり、興味を持ち、別会社の航空会社に就 職し、姉と同様に国際線乗務員になる。4年後に友だちの紹介で今の夫と知り合い、6 年の交際を経て結婚する。夫は名古屋出身で大学院まで実家暮らしで、商社に就職 し、東京勤務になる。Lさんは、結婚後も仕事を続けるが妊娠して休職する。仕事に 復帰した理由については、「本当はやめようと思い、会社にも電話したんですけど」周 りから「とりあえずやってみたら」と言われ、「できるところまでやろう」と思ったと いう。そして2年後に2人目ができ、次女が1歳半、長女が3歳の時に職場に復帰す る。母の助けも借りながら、月に15日間働いて仕事を続けた。フライト先はNYが多

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く、1回の勤務で4日間家を空けた。仕事は「息抜きになった」が、復帰して半年ほ どして夫のデュッセルドルフ勤務が決まる。

*:仕事をやめる時の気持ちはどうでしたか。

L:ちょうど良かったって思いました。仕事がしんどかったので。子どもができて休 職した時に、ちょうどビジネスクラス(向けの)訓練が終わってこれから経験 を積んでいかなきゃいけない時だったんです。復帰した時に一応ビジネスクラス の資格は持っているし、仕事期間としても4年経っているので「当然できるよね」

って言われて。でも資格は持っているけど仕事をこなす力量がない。対お客様な ので、そこがしんどかったです。

Lさんはドイツに来ることになって「ほっと」して、夫についていくのも「抵抗なか った」。夫も海外希望で、商社に就職したのも「海外に行けるから」という理由であっ た。渡独後、夫の会社の前任者が住んでいた家に住むことになり、日本人学校や日本人 幼稚園近くの日本人集住地区で暮らす。次女は、日本人幼稚園まで歩いて送迎し、長女 はインターナショナルスクールまで車で送迎した。

新生活が始まる当初は、「知り合いがひとりもいなく」、夫の会社と同じ部署の「奥様 たち」が声を掛けてくれて、町案内やスーパー等の案内をしてくれた。徐々に子どもの 幼稚園や学校を通して、日本人駐在員配偶者たちと知り合う。「仲のいい友だちは最初

(にいた時の)ほうができましたね」と話す。

*:「最初のほうができた」というのはどういうことですか。

L :(こちらの生活に)慣れていないので、友だちもほしいし、お互いに需要と供給 もあうし。同じ時期に来た人。

*:日本人幼稚園のお迎えの時にできたんですか。

L :はい。お迎えの時に行って話す。仲のいい友だちもできたし。

さらにLさんは幼稚園のお迎え時に「私はすぐに(長女をインターナショナルスクー ルに)お迎えに行かなきゃいけなかったので良かった」「帰るタイミング、引き上げる タイミングが難しいです」と話す。母親たちとつながることで、生活情報などいろいろ 入り生活を送る上では有難いと思う一方、幼稚園お迎え時に他の母親たちと一緒に居る 時、「その場を去る」難しさも感じている。Lさんは「(先にその場を去るのは)やらな きゃいけないことがあるから」と話すが、わだかまりを作らないように関係性を保つの に気遣いしているようにもみえる。

また、他の駐在員配偶者たちから料理教室、ドイツ語、フラワーアレンジメント、ペ ーパークラフトなどの習い事の誘いも受けるが、最初の頃は、「興味もあり、自分もや りたいと思った」。しかし、だんだんと「そういうのが面倒くさくなって、今はなんに もやってないです」と話す。駐在生活も5年経ち親しい友だちは皆帰ってしまい、一緒

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にドイツに来た駐在員配偶者も「誰もいない」。今は子どもが通うインターナショナル スクールの日本人母親たちとつながっているが、特定の友だちはいない。そして今の生 活について次のように語った。

*:今の生活はいかがですか。

L:ほとんど家にいます。長女はひとりで学校に行き、次女の送迎はありますが。(中

略)午後、家にいて動画とか見ています。日本のドラマとか。週 1回はインター ナショナルスクールの親向けのドイツ語に行っていますが。

ドイツ語のレッスンは、生徒が6-7人で日本人が4人いる。

*:お友だち関係はどうですか。

L :ほとんどつながっていない状況です。みんな帰っちゃったっていうのもあるし あんまり人付き合いが好きじゃないんです。来たばかりの頃はいろいろ行きた かったし。みんなが帰っちゃった後は新たに開拓しようという気持ちは全くあり ません。今いるメンバーもがっちり付きあうというのではなく、時間があればな んとなく。

Lさんは、ドイツ生活にも慣れ、今の生活を「自由に過ごさせてもらっているので全 く不自由はない」と話す。今は特に生活上では困ったこともなく、他の日本人駐在員配 偶者とつながっていなければ不安という危機感も持っていないように見える。「時間が あればなんとなく」と言い、他の駐在員配偶者たちと緩くつながっている。自分のベー スで生活を送るLさんは、「今は日本人コミュニティから離れて、新しく来る人たちと ほぼ交流がないので、気楽といえば気楽です。3、4年前はまだ、下の子が日本人幼稚園 で、オーバーカッセル地区のど真ん中で、人の目を気にしていました」が、今は「どん な噂をされてもどうでもいいなって」と吹っ切れたように語る。

夫の会社関係のフラウ会75は年に3回ある。Lさんは、渡独当初は30代前半であった が、今は30代後半になり、若い駐在員配偶者も増え、年齢的に上から3-4番目である。

渡独当初は、上司の奥さんたちを「怖い」と感じ、フラウ会には「気を使うから出たく ない」という気持ちがあったが、今は、「円滑なコミュニケーション」の為にも大切だ と思っている。「年齢でしょうかね」「何かあった時は友だちの方がお願いしやすいけれ ど、友だちがいなければ頼れるかな」と話し、自分の中での気持ちの変化がみられる。

「困った時に頼める友だちはいる」と話すが、友だちとは緩くつながりながら、夫の会 社の駐在員配偶者とのつながりは保つように心がける。

友だちが帰ってしまうのは「寂しいのは寂しいけど、日本に帰りたくはない」と話し、

ドイツの「生活のゆとり」に言及し、「せかせかしていないからいい」と話す。さらに

75 注(7)参照。

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「受験戦争に巻き込まれたら大変だろうと思います」と子どもたちの帰国後の教育につ いても心配する。

Lさんはドイツで、何かあった時にお願いできるところはしっかりと確保し、他の駐 在員配偶者とは適度な距離を置き、緩くつながり生活を送る。

今までの駐在員配偶者同士の結束と連帯の在り方を見てきたが、JDさん、JEさん、

JFさんの「固い結束」は、裏を返せばコミュニティ紐帯の弱さも示唆している。生活の 中で何か困った時のサポートシステムが、コミュニティ内に十分でないと言える。

前述のDさんは、3人の子どもを育てる中で、フラウ会や会社の配偶者の集まりなど で子どもを預けなければならない時があり、ベビーシッターの少なさを痛感したという。

デュッセルドルフには、「ポーランド人や東欧のベビーシッターは多いが、頼む感覚は ないです。日本人のベビーシッターは3人しかいなくて、皆さん高齢になられて、開拓 しなければいけない」と話す。母親にとっては、経験もある日本人のベビーシッターさ んの方が安心感があるのであろう。また、Dさんの子どもたちが、日本人学校で悩みが あった時に相談したくても校内では、月に1回しかカウンセリングを受けることができ なかったことに言及し、子どもの成長過程においてサポートの必要性を強調した。さら に、第3章では、デュッセルドルフの日本人学校の先生の教育に関する熱意があまり見 られなくなり、子どもや保護者に対するサポートが十分でないことが読み取れた。これ もエクスパトリエイト・コミュニティの紐帯の弱体化と言えるであろう。

生活の中で問題や悩みがあった時は、専門的な相談をする機関もコミュニティ内では 期待できず、仲の良い友だちや夫の会社関係の駐在員配偶者たちに頼ることになる。