第 4 章 駐在員配偶者の日常生活実践
4.7 中断されるライフコース
駐在員配偶者は、ホスト国に数年という期間で滞在し、帰国あるいはさらに他の国へ 移動し、新たに駐在生活を送るが、赴任期間が読めないことが多く、それが女性たちの 生活にいろいろな形で影響を及ぼす。駐在員配偶者たちは、駐在期間がはっきりしない 中での生活をどのように捉えているのだろうか。そして、中断されるライフコースにお いて、駐在生活を帰国後の生活にどのようにつなげようとしているのかを考察する。
Iさんの場合は、駐在生活は3年から5年と言われ渡独したが、次のように語った。
I:3年から5年の赴任期間といわれて、そのつもりで来たら、景気が悪くて結果によ っては早まるかもしれないって。早い人は2 年、長い人は8年ぐらいで、(赴任期 間が)読めないのがすごく嫌です。ドイツ語の勉強にしろ、お付き合いにしろ、何 年居るかわからない。どこまでドイツ語をやるべきなのかとか。短いんなら、短い なりに楽しむものも探さなきゃいけなし。子どもの教育にしてもそうですね。
そして最後にそれは「仕方ないのかなあって」と半ばあきらめの境地を語る。また、
帰国後の仕事についても不安を抱える。Iさんは、結婚、出産後も仕事を続け、17年間 働いていたが、夫の海外赴任に帯同の為、職場をやめて渡独した。そして、帰国後に「自
154
分が戻るところ(職場)がない」、「何か資格を取るとか、身につけて日本に帰らなけれ ば」と焦る気持ちを語った。
同様にGさんも、夫の赴任期間が分からないのは「すごくもどかしいです。何年って 決まっていればその期間内に自分なりにいろいろ予定も立てられるんですけど。いつ帰 るかわからないので、あまり思い切ったことができないですよね」としみじみ話す。
4 回の海外駐在で、一時的な滞在生活を繰り返す M さんもいろいろな貴重な経験を して、「それはそれで満足している」としつつ、「日本の社会とのつながりがぶちぶちっ て。移動のたびに切れてしまう。気持ち的に寂しくて」と語る。会社に入り5年働いた 後の自分の人生は、「ずーっと中途半端、全部が全部途中で終わってしまった気がして」
としみじみ話す。そして、今後の抱負を尋ねると今までは家族を結び付ける「接着剤」
の役目を果たしてきたが、今は子どもたちも大きくなり、家族が離れていく中で、これ から、他の人びとをつなぐ役割をしていきたいと話す。そして今まで「恵まれたことが 多かった。だからそれを返したい」と目を輝かせて語る。
D さんは、国境を越えて移動した異国での生活を「仮の生活」「一時的なもの」と捉 え、「仮の土地に」「異邦人」として暮らす感覚で「地に足がつかない雰囲気が生活の中 に流れている」と語る。しかし、今回の駐在生活については、「今までとは違う思いで 暮らしている」ときっぱり言う。
デュッセルドルフの駐在が海外赴任3回目で、結婚前までは漆作品を生み出していた Dさんは、今までは自分の人生がそこで「フリーズ」してしまい、日本に帰ってからま た「解凍してそこから始まる」というイメージを持っていたが、今は違うと語る。
D:日本に帰ったら、今度こそは絶対に仕事、漆を始めたいと思っているので、その 時の為の肥やしとして、とにかく今すぐに漆ができなくてもその時点にやってお こうという気持ちです。(駐在が)3回目になって、これフリーズしている場合じ ゃないぞ。自分も年を取るし、子どもも育っていくし、自分だけ凍結してたら、
本当にもう凍結した人生で終わってしまう。(中略)自分の人生は続いていると いうイメージを持とうと思っています。
こう語るDさんは漆の作品を生み出す際の「肥やし」になると思い、銅版画をドイツ 在住の日本人の先生から学ぶ。今までとは違った発想も湧き出てきてとても勉強になり、
「充実した時間」だと話す。Dさんは、帰国後の人生を漆のある暮らしにしたいと強く 願う。
このように国境を越えて移動し、滞在期間もはっきりしない生活の中で、駐在員配偶 者たちは、「今ここに居る」意味を自己に問いかけ、自己の存在や生活に意味づけや価 値づけをしようと試みるが、自分の将来の為に勉強を始める女性も居る。
日本では栄養士の仕事をしていたHさんは、家事・育児・送迎と忙しく過ごすが「そ れはやるけどやりたいことではない」ときっぱり話す。そして、海外にいても「時々、
求人サイトを見て復職、求人を狙っています」と話し、海外にいても在宅で勉強できる
155
資料を取り寄せ、勉強を続けていきたいと思っている。帰国したら、栄養士の仕事を再 開する気持ちを持つ。
このように、帰国した駐在員配偶者たちの語りには、帰国後、また新しい生活をゼロ からスタートし、子どもたちが成長し、社会性がついていく中で、自分だけが取り残さ れないように自分の生き方や帰属先を模索し続ける姿がうかがえる。
帰国して 12 年ほど経った JA さんも今は、学童保育とおもちゃコンサルタントとし てパート的に働く。学童保育の仕事は、帰国して「社会と関わりたい」と思い、「自分 は、何ができるのだろう」と自問し「子どもを育てたこと」という結論にいきつき、帰 国後1年して始めた。そして学童保育の仕事をするうちに「小さな子に関わる母子関係」
に興味があり、おもちゃコンサルタントという仕事を見つける。ドイツで子育て中に、
日本のおもちゃと違い、木で作られたおもちゃが多いことに気がつき、日本にも木のお もちゃを普及させたいと思った。おもちゃコンサルタントの仕事は木のおもちゃを使い、
母子に遊びの指導をするもので、都内の児童館や、子ども広場、おもちゃ美術館に月7,
8回出向く。そして「小さな子に関わっていることも、おもちゃに関わっていることも 楽しい」と嬉しそうに語り、「私の中で、ドイツの生活は、今の自分の生活に大きな影 響を与えている」ときっぱり話す。
しかし同時に複雑な胸の内も明かす。
JA:バリバリ働いて自分で稼ぐという人生もあったら良かったなとも思いますが、自 分の中では、今の生活は不幸とは思わないです。基本、社会とはつながらない生 活はしたくない。老人になってもどこかではつながっていなければいけないと思 う。そこの方がお金を稼いで自立することよりも私には価値がある。
JAさんは自分の人生を振り返り、出産後、「子育てに興味」もあり、自分の意志で仕 事をやめ、また40歳になったら仕事を始めたいと思った時に、海外赴任の夫に帯同し た。現地では、仕事ができない代わりに、長男をドイツの学校に入れるという挑戦を し、納得のいくようなドイツ生活を過ごし、現在も仕事を楽しんでいる様子であるが、
同時に、仕事をしてこなかった人生をこれで良かったのかという気持ちものぞかせる。
「(社会とつながっていることが)お金を稼いで自立することよりも私には価値がある」
という語りは、今の自分の人生に自分なりに意味づけをしようとするJAさんの姿を浮 き彫りにする。
しかし、妻・母の役割をこなし、一生懸命頑張って、「駐在員夫人プロ」として「充 実した」生活を送ってきたのに、帰国後には、専業主婦で「ただのおばさん」になって しまうと悲嘆する配偶者も居る(JCさん)。海外では、一生懸命言葉を学び、現地の人 と触れ合ってきたのに帰国後に仕事にうまく結びつかず、仕事をさがしてもうまく見 つからないこともある(JBさん)。
海外においては自分のライフコースが中断され、今後の自分の人生を考える際にも滞 在期間もはっきりせず、もやもやした気持ちを抱きながらも、将来に向けて日常生活実
156
践を送る女性たちが浮き彫りになった。また、帰国後、不連続のライフコースにより、
自己実現することの難しさも示唆された。