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義務としての夫・子のサポート―H さん

第 4 章 駐在員配偶者の日常生活実践

4.4 駐在員配偶者の妻・母としての立ち位置

4.4.2 義務としての夫・子のサポート―H さん

Hさんは、エンジニアの夫に帯同して2014年に小学3年生、幼稚園年長、1才半の3 人の息子を連れ渡独した。インタビュー時には、デュッセルドルフ生活も 3年経ち、3 人の息子は、翌月の4月から日本人小学校の6年生、3年生、日本人幼稚園の年中にな る予定で、日本人学校や日本人幼稚園近くの日本人集住地区に住む。

Hさんは埼玉出身で3歳違いの姉が居る。父親は電気技術系の会社員だったが、Hさ んが10歳の時に事故で他界する。母親は、大学病院で栄養士をしていたが、夫の死後、

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フルタイムで働くことが難しくなり、保険の外交員をしばらくしていた。その後、個人 医院に勤め、10数年栄養士として働いた。Hさんは、子どもの時、母の働く姿は「恰好 よく見え」、病院で働くことは「素敵」で、小学生頃から料理をやってみたいと思って いた。Hさんの祖母も叔父も教員であり、Hさんの姉は母親から教員になる事を勧めら れ、「手をかけて」育てられたが、Hさんは、2番目の子どもということで、親もあまり 口出しせず、「野放しで自由奔放にやらせてくれ、好きなことをやっていい」と言われ ていた。県立高校を卒業後、母親から「遺族年金のサポートがあるから、大学に行きた ければ行きなさい」と言ってもらい、私立大学に進学し、栄養管理を学ぶ。卒業後、栄 養管理士の求職が少なく、手紙を書いたり、電話をしたり、大学を通じて募集があると ころに面接に行ったり、大変な思いをして都内の大学病院での仕事を見つけ、そこで2 年働いた。Hさんは、大学の友だちの紹介で同じ年の男性と知り合い結婚する。夫はH さんと同じ埼玉出身で3人兄弟の真ん中である。結婚後は職場の先輩の勧めもあり、自 宅近くの病院に移るが、その病院は、前職場の大学病院に比べ「中規模」であった。そ こで栄養士の仕事を続け、患者さんたち個人及び集団に対して栄養指導を行っていた。

2人の子どもを出産後も、ヘルパーさんに掃除や家事を頼んだり、食料品の宅配サービ スを頼んだりして仕事を続けた。

そして 3 人目を出産後に 1 年前後で仕事に復帰しようと思っていた時に夫のデュッ セルドルフへの赴任が決まる。仕事はやめたくなかったが、夫の駐在期間は5年前後と いうことで、病院から「2年ほどの赴任であれば復帰可能だが、3年から5年になると 無理」と言われる。また仕事の引き継ぎにあたり、「可能なかぎりいてもらって、引継 ぎをしてほしい」ということであったが、「中途半端な形では終わらせたくない」と思 い、夫は1月に渡独したが、自分は3月31日の年度末まで働く。夫が渡独してからの 3か月間は、Hさんは、仕事と保育園の送迎、家事・育児と目まぐるしい生活を送った。

当時、長男は、小学校の学童、次男は保育園、3男は次男と同じ保育園に空きがなく自 分の勤める病院の保育室に特例で預かってもらった。また、ドイツでの日々の生活の為 に少しでもドイツ語ができなくては思い、子どもと一緒にドイツ語をカフェで教えてく れる先生を探し、自分の仕事後、週に1回1時間、2か月間ドイツ語を習った。渡独ぎ りぎりまで仕事を続けた H さんだが、夫の会社から、ドイツでは配偶者控除を受けて いる為、妻は働けないと言われる。

Hさんは、ドイツに来てからの生活について次のように語った。

*: こちらに来てからの生活はいかがですか。

H:マンツーマンで育児っていうのは。自分の時間もほしいから、ずーっと1歳半の

子どもと居ると大変。(こちらに来て)半年くらいは悶々と。本当もう不安定。私 はやりたいこと今までやってきたのに。私は我慢。私は子どものサポートはする けどそれが私がやりたいものではないです。料理教室に行っても、気晴らしには なるけど。自分が生かされている意識はないです。

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Hさんは、渡独前の仕事・家事・育児という目まぐるしい生活とは打って変わり、海 外では1対1で幼い子どもと向き合うことになり、戸惑いを感じる。語りに「私は」と いう言葉が頻繁に使われるのは、夫は仕事ができる環境にあるが、自分はやりたい仕事 ができないという鬱積した不満の気持ちの表れと考えられる。そして「家に居ると煮詰 まる」ので、1才半の3男を連れて日本クラブ主催の幼児教室「ちびっこ集まぁれー!」

76やPさん主催の子育てサークル「ぶなの森」77にも参加した。また、長男が現地でドイ ツ人のサッカーチームに入会希望していたので、子どもの為にもドイツ語をやらなけれ ばと思い、託児付きの日本人向けドイツ語学校に週 2 回通い始める。長男は希望通り、

ドイツ人のサッカーチームに入ったが、言葉が分からないとのことで、ドイツ人チーム から日本人チームに移り、次男も同じチームに入会する。その後、次男の通う日本人幼 稚園送迎で駐在員配偶者の母親たちと知り合う。日本人幼稚園は希望者には朝にはお迎 えの園バスがあったが、帰りは園バスサービスがなく、迎えが必要であった。Hさんも 毎日次男を迎えに幼稚園に行くことになったが、最初は「あまり気が進まなかった」。

それでも、勇気を出して思い切って他の駐在員配偶者たちの世界に飛び込んでいく。

H:幼稚園のお迎えに行って話をするのが好きじゃなかったです。ここは、テレビの 話題とかで盛り上がることはなくて、子どもの話とか習い事とか。最初はすごく 嫌で。同じ人に会うこともあって。でもその人はそんなに悪い人じゃなくて。数 か月後くらいにはお互いに行ったり来たりするようになりました。殻を破って飛 び込んでいくことが大事なのかな。

Hさんは日本では仕事をしていて、子どもたちは保育園に預けていたので、幼稚園 のお迎えは初めてであった。母親たちの話題も含め、年齢差にも触れ、「お母さんたち の年齢もバラバラで、10 歳くらい離れている人もいて、最初はどうしていいものかわ からなかった」と話す。しかし、頑張って駐在員配偶者の輪の中に飛び込み、仲の良い 友だちもできた。基本的には、自分は「社交的じゃなく、あわなさそうな人や目が笑っ ていない人とは距離を置く」という。気の合う友だちは「かなり絞られていて、帰国で減 ってしまうので寂し」く思う。そして、子どもを通して新たに知り合うことはあるが、

来独した時が一緒などのグループができてしまっていて、新しく仲良くなるというのは あまりないという。H さんにとり、仲の良い友だちとは、「同じような価値観を持って いる人」である。

*:仲の良い友だちとはどんな友だちですか。

H:次男を通して知り合いました。子どもに対して同じような価値観を持っている人 です。自分の子どもだけじゃなくて人の子も可愛がったり、注意したり。(子ど

76 注(41)参照。

77 注(94)参照。

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もがサッカー教室に行っているので)サッカーに対して一生懸命やっていて切磋 琢磨し合えるお子さん。

さらに H さんは、幼稚園のお母さんたちの世界に触れ、そこではIさんの語りにも あったようにお互い名字ではなく名前の後に「ちゃん」づけて呼ぶのがあり、始めは慣 れなかったという。

H:あまり距離感を置いて「~さん」というのも失礼かなって思って。そういうのに 慣れてなくて。小学校の親たちも「~ちゃん」って呼ぶんですよ。

Hさんは、このようなルールに違和感を感じながらも、他の駐在員配偶者たちのやり 方に合わせていこうとする。

「家に居ると煮詰まる」「家でボーッとできない」Hさんは、3男が2歳になる頃から 料理教室にも通った。そこは託児所があり、子どもを預けることができた。そして、毎 日、次男をお迎えに行くうちに日本人幼稚園の園児の母親たちから、誘いを受けるよう になり、いろいろ習い事を始めていく。そして、3男が日本人幼稚園に入園してからは 日本人幼稚園や日本人小学校に通う子どもたちを介して知り合った母親たちからさら に情報を得るようになり、語学学校、料理教室以外にフラワーアレンジメントに月1回、

日本人の子ども向けの読み聞かせ会を月1回、パン教室に月1回、ワインのおもてなし の講座やカルトナージュ78などに参加する。料理教室には今も1、2か月に1回通う。先 生は夫が日本人の永住日本人女性で、朝から13:30 までで、軽食もつき1 回38ユーロ である。料理教室は中華やイタリアン以外にケーキやクッキーなども作るが「日本のよ うな美味しく繊細なケーキがないのでケーキ教室は(駐在員配偶者に)すごい人気で、

毎月教室はあるのですが、なかなか予約が取れません」という。

また、現地の公益団体「ヒューマネット」79のお店のお手伝いも頼まれ、週1回3時 間ほど半年ほど店番をしている。お店で売る商品整理も時々手伝う。「無給だけどボラ ンティアには興味があったので。何かお役に立って、誰かの笑顔につながっているのな らやりがいがあります」と嬉しそうに話す。

いろいろな習い事をしたり、ボランティア活動をしたり、Hさんの生活はとても充実

78 カルトナージュは18世紀ヨーロッパで生まれた手工芸で厚紙(カルトン)で作った箱 に布や紙をはって仕上げたもの。

79「ヒューマネット」ドイツ公益団体で、デュッセルドルフに住む日本人を中心とするぼ ランティア団体で、1986年以来活動。日本人家庭から、帰国や引っ越しなどで、不要に なり寄付された物を売り、その収益を東欧や第3世界の援助活動にあてている。

https://humanet1986.jimdo.com/ 2018年8月15日閲覧。

Hさんは、オーバーカッセル地区にある公文教室に子どもが通っていて、公文教室代表 の永住日本人女性が中心になり「ヒューマネット」の活動をしている関係で、仕事を頼 まれるようになった。