第 4 章 駐在員配偶者の日常生活実践
4.4 駐在員配偶者の妻・母としての立ち位置
4.4.1 家族をつなぐ接着剤―M さん
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「受験戦争に巻き込まれたら大変だろうと思います」と子どもたちの帰国後の教育につ いても心配する。
Lさんはドイツで、何かあった時にお願いできるところはしっかりと確保し、他の駐 在員配偶者とは適度な距離を置き、緩くつながり生活を送る。
今までの駐在員配偶者同士の結束と連帯の在り方を見てきたが、JDさん、JEさん、
JFさんの「固い結束」は、裏を返せばコミュニティ紐帯の弱さも示唆している。生活の 中で何か困った時のサポートシステムが、コミュニティ内に十分でないと言える。
前述のDさんは、3人の子どもを育てる中で、フラウ会や会社の配偶者の集まりなど で子どもを預けなければならない時があり、ベビーシッターの少なさを痛感したという。
デュッセルドルフには、「ポーランド人や東欧のベビーシッターは多いが、頼む感覚は ないです。日本人のベビーシッターは3人しかいなくて、皆さん高齢になられて、開拓 しなければいけない」と話す。母親にとっては、経験もある日本人のベビーシッターさ んの方が安心感があるのであろう。また、Dさんの子どもたちが、日本人学校で悩みが あった時に相談したくても校内では、月に1回しかカウンセリングを受けることができ なかったことに言及し、子どもの成長過程においてサポートの必要性を強調した。さら に、第3章では、デュッセルドルフの日本人学校の先生の教育に関する熱意があまり見 られなくなり、子どもや保護者に対するサポートが十分でないことが読み取れた。これ もエクスパトリエイト・コミュニティの紐帯の弱体化と言えるであろう。
生活の中で問題や悩みがあった時は、専門的な相談をする機関もコミュニティ内では 期待できず、仲の良い友だちや夫の会社関係の駐在員配偶者たちに頼ることになる。
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長女は、ヒューストンでは現地の学校に通ったが1年余りの滞在だった為、英語もあま りできず、「自分の納得がいかない。デュッセルドルフに行き、もう1、2年英語を勉強 したい」といい、本人の希望により、インターナショナルスクール(ISD)に通う。居 住地は学校近くに決め、家族3人で暮らす。
Mさんは、東京生まれだが、喘息の為、小・中・高校時代は千葉の田舎に引っ越し、
大学の時にひとりだけ東京に戻り、都内の父方の祖父母宅に住む。国語の教師になるの が夢で大学は国文科に進んだが、英語に興味があり、大学3年時に3週間イギリスにホ ームステイする。そして、在学中に、教育実習も行い教職の資格も取るが、「職員室だ けで一生が終わってしまい、世界が狭い気がして、もう少し世界を見たい」と感じた。
しかし、自分の希望する職種が見つからず、商社、銀行、デパート、IT、アパレルなど 種々の職種の会社をそれぞれ2社づつ受ける。最終的には、「自分の世界が広がる」と 思い、商社に就職する。就職後も、祖母がひとりになったこともあり、祖母と一緒に住 み、週末だけ千葉の自宅に戻る生活であった。仕事は、自動車のアメリカ担当の輸出入 業務で、仕事も楽しく、社内の人間関係も良かったが、同じ部署にいる男性と結婚する ことになり、5年勤めた会社を辞職する。当時、同じ部署の場合は、女性がやめるとい う暗黙の了解があった。また、仕事を通して、知らない世界で得るものも多かったが、
仕事において女性社員のステップアップはなかったと話す。しかし、今振り返ると「会 社をやめてもったいなかったかな。復職の制度がなく、やめたのは失敗だったかな」と 語る。夫は仕事で忙しく、自分ひとりの時間もあり、その後、子会社に就職するが、2 年ほど経ち、「子会社で規模も小さく、仕事自体もあまり気が進まず、もう少し違うこ とをやりたい」と思っていた。その時に、夫がスペインに駐在になる。夫の駐在が決ま った時は、自分が商社で仕事をしている時に他の駐在員配偶者のお世話をした経験から 興味もあり、「楽しみで、迷いもなく」夫に帯同する。
スペインでは、当時英語があまり通じず、すぐにスペイン語の学校で勉強を始める。
子どもは結婚後、すぐにほしいと思っていたが、5 年ほど流産が続いていた。そして、
スペインに赴任して1年後に長男が生まれる。スペイン語の勉強は楽しくて続けたいと 思ったが、出産の為、語学学校を一度やめる。しかし、出産後もスペイン人の先生に自 宅に来てもらいレッスンを続けた。そして、スペイン滞在4年後に長女を出産し、生ま れて半年後に帰国になる。日本で3年生活するが、幼稚園児と乳児の世話に専念する。
「子どもが小学校卒業までは仕事をすることは考えていませんでした」と話し、自分の 両親について語り始めた。
M:母は専業主婦で、父親は自営業でした。父が事業に失敗し、そこから這い上がる 姿を見ていました。母親は父を助ける為にしんどい時は、内職やアルバイトをし たりして。今になって振り返ると金銭的に苦しい時期があったんだなあって。で も母はそれを全く見せなかったんです。
さらに高校生の時は、父親が仕事を転々としていたのが嫌で、「子ども心にコンプレ
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ックスを持っていた」とも語るが、大人になり、金銭的にも苦しい時でも母親は子ども の為に頑張っていたと感じているのであろう。Mさんは自分が子どもを持つ親になり、
自分もしっかり生きていかなければと改めて強く感じているように見える。そしてさら に次のように語った。
M:子どもたちは、自分で育てようかなって。外に預けるのはもったいない気がして 貴重な時間なので。あと主人の職業がこんな(海外転勤が多い)なので、子ども 自身、生まれた時から住む場所が転々としていると思って。そこで母親まで家を 空けちゃうとすごく精神的に根っこがないような人間になってしまうような気 がして。やっぱり子どもにはアイデンティティっていうか日本人として育ってほ しかったので、やっぱり、場所とか帰る場所がないと、と考えて。ちょっと格好 よく言えば自分しかないのかなあって。
そして、当時は、自分自身は外に出たかった(仕事を始めたかった)のを「我慢」し ていたと話す。Mさんは、自分が家族にとって「帰る場所」であり、そのような場所を 提供することが自分の役目だと強く感じていることが語りから伝わる。
Mさんは、3年間の日本での生活を経て、2007年から2011年2月まで駐在の夫に伴 い、デトロイトに暮らす。デトロイトには、自動車関係の日本人駐在員家族も多く、居 住地にも比較的日本人が多かったが、常に会うことはなかった。夫と同じ会社の家族も 3、4家族いたが、仲良くなったのは、子どもを通じて知り合った他の会社の駐在員配偶 者であった。「同じ会社の人たちは、人数が少なかったので、いい意味でつかず離れず。
仲良しでべったりっていうのは自分では望んでいなくて。数か月に1回くらいのペース でみんなで会っていました」と話し、とても「いい感じ」のつながりだったという。長 男は小学1年から4年まで現地校、長女は4歳から6歳までプレスクールに通い、長男 は土曜には日本語補習校に行っていたが、補習校には日本人生徒が900人ほど在籍して いた。滞米中は、子どもを介して、他の駐在員配偶者や現地の人ともつながりがあり、
「充実した時期」であった。自分自身の英語については、「会話には自信がないけど失 敗を恐れない。英語を話せなくても間違えても全然恥ずかしくなかったです。通じれば 文法はどうでも」と笑いながら楽しそうに話す。4年のデトロイトでの生活を終え帰国 するが、帰国した翌月に東北大震災にあう。
M:その頃、下の子も小学生になり自分も外に出たい(働きたい)という気持ちはあ りましたが、震災の1年後までは何があるかわからないという気持ちでした。娘 が小学3年生になるまでは心配の方が先でした。その時は我慢というより、そう しなきゃいけないという思いがありました。
子どもが小さい時は、自分より子どものことが優先で、「我慢」よりもむしろ、子育 てを「義務」として感じていた。そして、長女が小学5年生になり長男の中学受験も済
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み、一段落したところで、「また何かしたいという気持ちがあり」1年間小学生対象の民 間の学童保育で週に3-4日、午後4時間ほど一緒に遊んだりして、子どもの面倒をみる。
*:お仕事を始められたのはどんな気持ちからですか。
M:娘も小5になって、少し成長してほしいという思いがすごくあって。自分が手を 離した方が、(娘が)自分でできることの方が増えるかなって。自分もやりたい ことがあったし、ひとりで居る時間を子どもにも作って、子ども自身に自分でや るということを考えてもらいたかったということもあります。
仕事を始めるにあたって、何かしたいという自分の気持ちもあったが、子どもの成長 の為にも子どもが自分と離れる時間を持つことが大事だと考える。M さんが常に子ど ものことを優先する意識を持っていたことが分かる。
日本の生活も4年経ち、夫のヒューストンへの海外駐在が決まる。夫は結婚前にデュ ッセルドルフに2年研修で駐在していたこともあり、夫にとり4回目の海外駐在であっ た。夫のアメリカ滞在の 1 年後、M さんは長男、長女を帯同してアメリカに赴く。当 時、長男は、日本で中高一貫校の高校1年生であったが、休学させ(高校は1年半休学 可能)ヒューストンに連れて行った。Mさんは、中学校ぐらいまでは父親が居るところ に家族で居るという「基本的なポリシー」を持ち、「何があっても家族一緒」で居るこ とが大事であると考える。
ヒューストンからそのままデュッセルドルフに移動し、家族3人の生活が始まる。今 回は息子をひとり日本に残してきたが、家族が離れて暮らすのは初めてで、「常に心配 です」と話す。
Mさんは、自分は家族を結び付ける「接着剤」と話す。Mさんは、「主人が仕事をで きる環境を作るのが自分の仕事なのかとずっと思ってきました。子どもも手から離して 人に任せたり、主人だけどこか行って仕事をして来てっていうのはなかったです」と語 る。
渡独後は、日本人向けドイツ語の学校に通い、生活情報を得て、30代、40代の駐在 員配偶者たちと仲良くなった。また、夫がデュッセルドルフ赴任前の前社長夫妻が、社 内の組織変更でデュッセルドルフに駐在しており、その社長夫人とは時々会う。自分よ り2、3歳上で「精神的に頼れる存在」で、情報交換や愚痴を言いあったりするという。
ドイツでの生活も1年半ほど経ち、今は、ドイツ語をやめてスペイン語を週2回プラ イベートにスペイン人の先生から習う。ドイツ語は 1年間やってみたが、「ドイツ語が 合わない。音が入ってこないんです。マドリッドにもいたし、スペイン語の方が好きみ たいで」と話し、ドイツ語で買い物したり食事の注文ができるようになった時点で、ス ペイン語の勉強に変えた。今一番夢中になっているのはスペイン語の勉強という。スペ イン語を週2回先生のところに習いに行く。そして、Mさんは、「外に出るのが好きで、
家にずっと居ると鬱になっちゃう」と笑って話し、スペイン語学習で出かける以外に、
自分でカフェに行ったり、友だちを誘って食事に行ったりする。また、日本人向けの料