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経済的自立の重要性―A さん

第 4 章 駐在員配偶者の日常生活実践

4.5 駐在生活における自己への意味づけ

4.5.1 経済的自立の重要性―A さん

Aさん(30代)は、夫が日本の大学で博士課程を修了後、ロースクールに留学する為 に渡独することになり、留学する夫に同行した。インタビュー時(2015年)にはデュッ セルドルフの生活も9年経ち、現地校の公立小学校に通う6歳の長男と現地幼稚園に通 う3歳の次男が居る。夫は、留学で渡独したが、その後、日本企業の現地採用になり、

今は現地で働き、A さんはドイツのデュッセルドルフ大学の博士課程に在籍している。

A さんは高校卒業後、推薦を受けて、短大の国文学科に進学するが、「高校の成績が 悪かったんでそこしかなかったんです」という。短大卒業後、旅行会社に就職するが、

その会社が倒産し、その後広告代理店で働く。しかし、女性は昇進できないことを目の 当たりにし、広告代理店を辞職する。そして、当時、ハワイアンジュエリーが流行って いたので、年上の知人とジュエリー販売ビジネスを始め数か月ほどそのビジネスに関わ る。ビジネスは、うまくいき「おもしろかった」が「リスク」もあり「ストレス」を感 じ「勉強の世界に戻りたい」と思った。ビジネスで得たお金で大学編入の為の専門学校 に通い、無事に大学3年に編入する。卒業時は、他の新卒生徒より3歳年上ということ で、就職に難しさを感じ、また同時に「アカデミックな中で頑張りたい」と思い大学院 に進む。以前働いていた職場で仕事における男女差を感じ「アカデミックな世界に行け ば、男女の区別がなく認められるかな」という気持ちもあった。

大学院では、ジェンダー研究で修士に2年そしてドクターに5年在籍するが、そこは

「ジェンダーバイアスのある社会」で「(考えが)甘かったです」と話し「打ちのめさ れ」る。

*:ドクター課程を最後まで終わらせずに。

A:大学院って入院みたいなもんじゃないですか。みんな病んでいて。自分も病んで きて。このままじゃいけないと思いまして。ねっとりした感じ。あそこに身を置 くことの恐怖とか。なんか気持ち悪いような。

そして、在籍中に他大学の博士課程在籍の男性と学生結婚することになるが、当時、

大学内では結婚や、結婚して女性が改姓することに抵抗感を抱く仲間や先生が周りにい て、博士論文が終わるまでは結婚はタブーのような雰囲気が、研究室にあったという。

仲間や先生には知らせずこっそり結婚した。親からは「30歳までには結婚して。誰でも いいから」と言われていたが、親にも「秘密で」結婚した。Aさんは結婚して、名字を 変えることで「今までの自分を捨てて新しい自分になりたかった」と話す。

その後、「ジェンダー関係の研究に嫌気がさし」大学を休学し、「全部自分の生活を捨 ててゼロから生きていくぞという覚悟」で「ドイツに行くことをチャンスにしよう」と

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いう気持ちで、ドイツのロースクールに留学する夫に帯同する。

夫は1年のドイツ留学ということで、Aさんは、渡独後すぐにドイツ語学校でドイツ 語を学ぶが、夫はドイツにて日本の企業の現地採用を希望し、終身雇用になる。Aさん はひとりで帰国することを決めるが、その理由は「覚えてないんですけど。彼の人生で すものね」と話す。大学は休学という形だったので、「一度は復学しなければいけなか った」ので、また元の大学に戻り、1年間、大学のゼミに通う。帰国時に「自分の親に 内緒」で離婚届を出すが、その理由について「大学で離婚関係の研究をしていたので、

離婚がどういうものか一度確認してみたかった(笑)」と淡々と語る。そして「結局は お互いの気持ちは何も変わらなくて、紙的なものなんだなあ」としみじみ話し、また夫 と再婚した。大学院に一度復帰したものの、大学をやめてまた渡独することに決める。

その理由として、「ゼミの雰囲気が嫌だな」と思い、「やめてやろうって思った」と話す。

一方、「やめる気満々ではなくて、アカデミックに残ろうという気持ちもあった」と話 し、自分でもはっきりわからないという。

渡独し、ドイツでの生活も9年経ち、Aさんは、どのような気持ちを抱きながら暮ら しているのであろうか。

*:ドイツにいらしてどうでしたか。

A :やっぱり葛藤があります。向こう(=夫)は稼いでいても私には稼ぎがない。ど んなに精神的に博論を書いていても経済的に自立していない自分が嫌で年に 2、

3回暴れます。食べさせられている苦痛な人生から脱したくって。

*:暴れるって、どうやってですか。

A :物を投げたりして。

渡独後、経済的に自立出来ず、悶々とした気持ちで暮らす様子が見える。その後、少 しして、たまたまデュッセルドルフ大学の日本人教授と知り合い、相談し、その教授の もとで博論指導を受けることになる。大学で勉強する為、1年間ドイツ語の学校に毎日 通い勉強し、大学に行く資格を取るが、その時に妊娠が分かる。出産後、授乳をしなが らゼミに出たり、勉強を続ける。出産後も大学で研究を続けているのは、「専業主婦に なること」への「抵抗」だと語る。

*:子どもができたことでご自分の気持ちは変わりましたか。

A :専業主婦になる事に非常に抵抗が。自分の母親はずっと専業主婦で。転勤族で。

母親みたいになりたくないって思っていたので。でも葛藤がありますよね。実際 子どもがいて。専業主婦で論文書いたってお金にならない中で、ただつらいみた いなとこありましたけど。でも専業主婦になりたくないので、何かして別の自分 のステータスがほしかった。だからドクターの学生っていうそのステータスで自 分を癒していました。

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Aさんの語りから、「専業主婦」という立場に収まる自分が受け入れられない気持ち が伝わる。それに対して夫は「何でもいいから目標に向かって頑張ればいい。お金を稼 ぐ必要はない」と言うが、「経済的なものは夫婦のパワーバランスに反映する」と考え、

「精神的自律」していても「経済的には自立していない葛藤」を抱える。夫は「全く気 にしない」素振りだが、Aさんは「ひとりで切れてひとりで終わる独り相撲」と言って 笑う。

長男が生まれ、3年後に次男を出産したのも自分が「(研究の)本を読んだり、文章を 書いたりする時間がほしかった」からであり、子どもがひとりだと子どもの「面倒」を 見なければいけないが、年があまり離れていない子ども同士であれば「2人で遊ぶかな と思った」。そして「全部自分の基準で。自分好きなので」と笑って言葉を足した。Aさ んの語りには、「自分好きなので」という言葉が繰り返される。自分の言動を「自分好 きなので」という言葉で正当化しているようにも見える。しかし、笑いを伴った語りは、

正当化することに戸惑いも感じられる。子どもたちは、今は6歳と 3 歳だが、「あと3 年ぐらいすれば、2人とも小学校に上がればもっと自分の時間ができる」と考え、「人生 設計半ばの出産」と捉える。

論文の方は、次男出産後、次男が寝ている間に日本語ですべて書き上げ、後はドイツ 語に直すだけの段階まで終えるが、ドイツ語で論文を書くことに葛藤も覚える。そんな 状況の中で自分には「資格が必要だ。経済的に自立が必要だ」と強く感じる。

また、他の駐在員配偶者たちとつながる中で、「駐在のママたちをみて」ますます「手 に職を持つこと」の重要性を認識する。

*:手に職だと思ったのはどうしてですか。

A :ここ(ドイツ)で駐在の奥さんの中にパティシエの友だちがいて、彼女にケーキ を教えてもらったり。手に職を持っていると人をハッピーにしながら、自分も経 済的に。(中略)(駐在員配偶者の中には)いろんな芸を持っている人が居るんで すよ。フラワーアレンジメントの資格を持っている人とか、ヨガのインストラク ターをやっている人とか、皆さん手に職。手に職を持っていると強いなと思いま した。

そして、Aさんは、思い切ってドイツの大学の指導教授に相談し、現地のエステ専門 学校に通うことに決める。次男は現地の保育園に預け、学校に毎日通い、次男が2歳に なる前にエステシャンの資格を取り、今は自宅で「日本人駐在員の奥さん」対象にエス テサロンを開く。顧客には「アッパークラス」「(企業)社長夫人」が多く「口コミ社会」

で広がっていく。

エステシャンの仕事も始め、渡独して3、4 年の頃は、夫を「攻めまくって」いたの が、今は「だいぶ切れることがなくなり」、ドイツの生活も「良いんじゃないか」と感 じている。「ポジティブになれたのは資格を取ったのが大きかったのかな」と語る。

Aさんにとり「手に職」「資格」「経済的自立」が大きな意味を持つが、そこには母娘