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第 4 章 テラヘルツ分光法によるエステル油の解析

4.4.3 考察

174

175

4. 1 脂肪酸エステルの300cm-1付近における振動モード解析結果

2-Ethylhexyl laurate(2H-12A)

268.44cm-1 306.10cm-1

2-Ethylhexyl caprylate(2H-8A)

277.00cm-1 325.21cm-1

Methyl laurate(M-12A)

305.45cm-1 355.41cm-1

176

4. 7 2H-12AIRスペクトル測定結果

4. 8 2H-12Aの量子化学計算によるIRスペクトル計算結果

測定結果と計算結果のピーク位置及びピークの特徴はよく一致していること が分かる。IR 帯では、特定の配座についての吸収スペクトルの結果が、実際は 様々な配座をもった化合物の混合物である実測値のスペクトルと一致しており、

THz帯の実測値、計算値の比較とは大きく異なること分かった。

2H-12Aの例でIR帯とTHz帯における振動の特徴を比較した結果を図4. 9に

示す。図では振動をベクトルで表している。IR 帯は、カルボニル基の C=O 伸 縮振動の例で、カルボニル基を持つ化合物共通に表れる 1750cm-1付近の強い吸 収である。THz帯については、表4.1で示した306cm-1の振動を示した。IR帯の C=O伸縮振動は、C=Oの伸縮のみの局部的な振動であるのに対し、THz帯の振 動は、カルボニル酸素が左右に揺れるのに伴って、その振動が分子全体に伝わっ ていくような振動であることが分かる。IR 帯の吸収は、官能基のみに対応して いるため、配座が変わってもその官能基が存在すれば、吸収が変わらないのに対 して、THz帯は、分子全体を伴う振動であるため、その配座の影響を大きく受け ると考えられる。したがって THz帯の吸収スペクトルを量子化学計算で解析す る場合、これら配座の影響を考慮する必要があると考えられる。

0 200 400 600 800 1000 500 1000

1500 2000

2500 3000

3500 4000

ε[M-1cm-1]

Wavenumber [cm-1]

177

4. 9 赤外領域とTHz領域の振動の例(ラウリン酸2-エチルヘキシル)

THz帯の吸収スペクトルの測定結果が、ブロードであった理由は、各配座の吸 収ピークが重なりあったためであると推測される。そこで立体配座の影響を考 慮した THzスペクトルの予測を試みた。立体配座を配慮したスペクトル予測の 方法として、計算する分子の立体配座を配座探索プログラムによって探索し、そ

赤外領域の振動の例(1750cm-1

THz領域の振動の例(300cm-1)

178

の全ての配座に対して振動解析を行い、その結果をボルツマン平均で求めた存 在比によって加重平均する方法が行われている [16]。そこでこの方法に従い、

脂肪酸エステルの THz帯スペクトルの算出を試みた。今回配座探索プログラム

は、Balloon [17]を用いた。Balloonは、遺伝的アルゴリズムによってポテンシャ

ルエネルギーが低く、構造が相違する配座を効率的に探索し、それらを評価して 配座探索を行うことを特徴としたプログラムで、力場は、MMFF94を用いた。

まず、配座探索で 100 個の立体配座を求めた。続いて得られた 100 個の構造全 てについて構造最適化計算を行い、振動解析計算を行った。構造最適化について

は、HF/3-21Gにて予備的な最適化を行い、予備最適化構造に対してB3LYP/6-31G

にて再度最適化計算を行った。振動解析で得られる298.15K、1atm時の自由エネ ルギーからボルツマン分布を式(4.2)によってもとめた。式(4.2)において、2つエ ネルギー準位i, jそれぞれのエネルギーを、εi, j、分子数をNi, jで示す。kはボ ルツマン係数、Tは絶対温度である。

𝑁

𝑗

𝑁

𝑖

= 𝑒

𝜀𝑗−𝜀𝑖

𝑘𝑇

(4.2)

ボルツマン分布算出の際、自由エネルギーが一致した構造については、構造最 適化で同じ構造に収束したとしてこれを除いた。得られた配座のうち分布が 0.5%以上となったものを再度規格化した結果、2H-12A で 28 個、2H-08A で 35

個、M-12Aで28個の配座が得られた。図4. 10に求めた配座の中で自由エネル

ギーとボルツマン分布およびその累積分布を示す。図4. 10の分布を見ると各配 座の存在比は幅広く分布していることわかる。

2-Ethylhexyl laurate(2H-12A) 2-Ethylhexyl caprylate(2H-8A) Methyl laurate(M-12A)

4. 10 各配座のエネルギーとボルツマン分布

-661.2030 -661.2025 -661.2020 -661.2015 -661.2010 -661.2005

C48 C92 C8 C28 C6 C46 C14 C3 C12 C35 C1 C65 C9 C71 C5 C13 C7 C2 C64 C49 C22 C19 C51 C53 C63 C96 C95 C93

G [hartree]

Conformation -779.0675

-779.0670 -779.0665 -779.0660 -779.0655 -779.0650 -779.0645 -779.0640

C3C10C49C44C53C68C13C12C50C55C60C34C61C16C47C21C35C22C27C17C32C28C31C11C78C73C75C77C58C48C79C43C42C33C95

G [hartree]

Conformation -936.2170

-936.2165 -936.2160 -936.2155 -936.2150 -936.2145 -936.2140 -936.2135

C17 C23 C19 C10 C15 C46 C37 C25 C24 C26 C56 C41 C45 C90 C1 C3 C49 C53 C97 C58 C12 C7 C5 C8 C11 C9 C54 C60

G [hartree]

Conformation

0 20 40 60 80 100

0 2 4 6 8 10 12

C17 C23 C19 C10 C15C46 C37 C25 C24 C26 C56 C41C45 C90 C1 C3 C49 C53 C97C58 C12 C7 C5 C8 C11 C9C54 C60 Cumurative distribution [%]

Distribution [%]

Conformation

Distribution% Cumurative distribution%

0 20 40 60 80 100

0 2 4 6 8 10 12

C3 C10 C49 C44 C53 C68 C13 C12 C50 C55 C60 C34 C61 C16 C47 C21 C35 C22 C27 C17 C32 C28 C31 C11 C78 C73 C75 C77 C58 C48 C79 C43 C42 C33 C95

Cumurative distribution [%]

Distribution [%]

Conformation

Distribution% Cumurative distribution%

0 20 40 60 80 100

0 2 4 6 8 10 12

C48C92 C8 C28 C6 C46C14 C3 C12 C35 C1C65 C9 C71 C5C13 C7 C2 C64C49 C22 C19 C51C53 C63 C96 C95 C93 Cumurative distribution [%]

Distribution [%]

Conformation

Distribution% Cumurative distribution%

179

各配座の分布は、自由エネルギーG から求められるボルツマン分布により求 めることができる。まず、式(4.3)より、自由エネルギーが最低となる配座と各配 座の比率qiを求める。ΔGiは、立体配座iと自由エネルギーが最低となる立体配 座とのエネルギーの差である。

𝑞

𝑖

= 𝑒

(𝛥𝐺𝑖𝑘𝑇) ... (4.3)

qiの合計と各配座におけるqiの比率から、各配座の分布を算出した。この際、

分布が 0.5%以下になる配座は除外し、再度分布を計算しなおした。計算の過程 と計算結果を表4. 2に示す。

4. 2 各配座のエネルギーとボルツマン分布計算結果

続いて求めた各配座の振動解析によって得られたスペクトルをボルツマン分 布に従い加重平均し、立体配座を考慮したスペクトルを求めた。結果を図 4. 11

Confor-mation

G Hartree

ΔG

kcal/mol qi distri-bution

Confor-mation

G Hartree

ΔG

kcal/mol qi distri-bution

Confor-mation

G Hartree

ΔG

kcal/mol qi distri-bution

C17 -936.21656 0.00000 1.00000 0.10103 C3 -779.067028 0.00000 1.00000 0.08548 C48 -661.20262 0.0000 1.0000 0.05151 C23 -936.21656 -0.00063 0.99895 0.10093 C10 -779.067026 -0.00126 0.99790 0.08530 C92 -661.20262 -0.00063 0.9989 0.05145 C19 -936.21656 -0.00126 0.99790 0.10082 C49 -779.067006 -0.01381 0.97711 0.08352 C8 -661.20255 -0.04895 0.9212 0.04745 C10 -936.21652 -0.02824 0.95374 0.09636 C44 -779.067005 -0.01443 0.97608 0.08344 C28 -661.20254 -0.05522 0.9115 0.04695 C15 -936.21643 -0.07907 0.87579 0.08848 C53 -779.067004 -0.01506 0.97505 0.08335 C6 -661.20254 -0.05585 0.9106 0.04690 C46 -936.21643 -0.07969 0.87487 0.08839 C68 -779.066449 -0.36333 0.54365 0.04647 C46 -661.20253 -0.05648 0.9096 0.04685 C37 -936.21643 -0.08220 0.87119 0.08802 C13 -779.066253 -0.48632 0.44230 0.03781 C14 -661.20253 -0.05836 0.9067 0.04670 C25 -936.21513 -0.89859 0.22150 0.02238 C12 -779.06625 -0.48820 0.44091 0.03769 C3 -661.20253 -0.06024 0.9039 0.04656 C24 -936.21513 -0.89922 0.22127 0.02236 C50 -779.066122 -0.56852 0.38533 0.03294 C12 -661.20253 -0.06087 0.9029 0.04651 C26 -936.21513 -0.89985 0.22104 0.02233 C55 -779.066119 -0.57041 0.38412 0.03283 C35 -661.20253 -0.0615 0.9020 0.04646 C56 -936.21510 -0.91428 0.21575 0.02180 C60 -779.066067 -0.60304 0.36366 0.03109 C1 -661.20253 -0.06212 0.9010 0.04641 C41 -936.21509 -0.92181 0.21304 0.02152 C34 -779.066051 -0.61308 0.35758 0.03057 C65 -661.20252 -0.06275 0.9001 0.04636 C45 -936.21498 -0.99021 0.18995 0.01919 C61 -779.065869 -0.72728 0.29524 0.02524 C9 -661.20252 -0.06401 0.8982 0.04626 C90 -936.21495 -1.01155 0.18327 0.01852 C16 -779.065583 -0.90675 0.21849 0.01868 C71 -661.20252 -0.0684 0.8916 0.04592 C1 -936.21486 -1.06739 0.16688 0.01686 C47 -779.06558 -0.90863 0.21780 0.01862 C5 -661.20251 -0.06903 0.8907 0.04587 C3 -936.21486 -1.06802 0.16671 0.01684 C21 -779.065579 -0.90926 0.21757 0.01860 C13 -661.20251 -0.06965 0.8897 0.04583 C49 -936.21482 -1.08998 0.16068 0.01623 C35 -779.065578 -0.90989 0.21734 0.01858 C7 -661.20251 -0.07028 0.8888 0.04578 C53 -936.21482 -1.09187 0.16017 0.01618 C22 -779.065574 -0.91240 0.21643 0.01850 C2 -661.20251 -0.07154 0.8869 0.04568 C97 -936.21480 -1.10755 0.15601 0.01576 C27 -779.065571 -0.91428 0.21575 0.01844 C64 -661.20161 -0.63504 0.3446 0.01775 C58 -936.21474 -1.14018 0.14770 0.01492 C17 -779.065568 -0.91616 0.21507 0.01838 C49 -661.20161 -0.63567 0.3443 0.01773 C12 -936.21466 -1.19290 0.13520 0.01366 C32 -779.065548 -0.92871 0.21059 0.01800 C22 -661.20161 -0.63629 0.3439 0.01771 C7 -936.21465 -1.20043 0.13350 0.01349 C28 -779.065546 -0.92997 0.21015 0.01796 C19 -661.20161 -0.63692 0.3436 0.01770 C5 -936.21465 -1.20105 0.13336 0.01347 C31 -779.065542 -0.93248 0.20926 0.01789 C51 -661.20161 -0.63755 0.3432 0.01768 C8 -936.21458 -1.24184 0.12454 0.01258 C11 -779.065507 -0.95444 0.20169 0.01724 C53 -661.20161 -0.63818 0.3428 0.01766 C11 -936.21458 -1.24310 0.12428 0.01256 C78 -779.065426 -1.00527 0.18521 0.01583 C63 -661.20156 -0.66642 0.3270 0.01684 C9 -936.21455 -1.26004 0.12080 0.01220 C73 -779.065293 -1.08873 0.16101 0.01376 C96 -661.20115 -0.92746 0.2110 0.01087 C54 -936.21411 -1.53865 0.07570 0.00765 C75 -779.065285 -1.09375 0.15966 0.01365 C95 -661.20112 -0.94126 0.2062 0.01062 C60 -936.21379 -1.74071 0.05394 0.00545 C77 -779.065284 -1.09438 0.15950 0.01363 C93 -661.20107 -0.97703 0.1942 0.01000 Total 9.89773 1.00000 C58 -779.064903 -1.33346 0.10680 0.00913 Total 19.41531 1.00000

C48 -779.064898 -1.33660 0.10624 0.00908 C79 -779.06453 -1.56752 0.07212 0.00617 C43 -779.064461 -1.61082 0.06707 0.00573 C42 -779.064459 -1.61207 0.06693 0.00572 C33 -779.064458 -1.61270 0.06686 0.00572 C95 -779.064325 -1.69616 0.05812 0.00497 Total 11.69861 1.00000

2-Ethylhexyl laurate(2H-12A) 2-Ethylhexyl caprylate(2H-8A) Methyl laurate(M-12A)

180

に示す。図には、実際に測定した吸光スペクトルを重ねて示した。

4. 11 立体配座を考慮した脂肪酸エステルのTHzスペクトル計算結果

0 5 10 15 20

200 300 400 500 600 700

ε[M-1・cm-1]

Wavenumber [cm-1]

Mesurement Calculate

2-Ethylhexyl laurate(2H-12A)

0 5 10 15 20

200 300 400 500 600 700

ε[M-1・cm-1]

Wavenumber [cm-1]

Mesurement Calculate

2-Ethylhexyl caprylate(2H-8A)

0 5 10 15 20

200 300 400 500 600 700

ε[M-1・cm-1]

Wavenumber [cm-1]

Mesurement Calculate

Methyl laurate(M-12A)

181

図4. 11の結果は、ややブロードになっており、実際に測定したスペクトルに

近づいていることが分かる。また図4. 5で示した計算結果では現れなかった

2H-12Aの480cm-1付近のピーク他、いくつかの吸収ピークが再現できており、モル

吸光係数の値も実測値に近くなった。以上のことから THz吸光スペクトルは、

分子の立体配座の影響を大きく受けていることが分かった。これは THz 帯の励 起する振動領域が比較的エネルギーが低い領域であり、分子全体が振動するよ うなモードに関係しているということとも一致する。したがって THz 吸光スペ クトルを量子化学計算で予測する場合、配座探索と求めた各配座におけるボル ツマン分布に従ってスペクトルを加重平均する方法が非常に有効であることが 分かった。しかし依然として計算値の吸収ピークは実測値に対してシャープで あり、いくつかのピークについては、一致していないことが分かった。

(3)半値幅(FWHM)の影響

THz帯の吸収は、分子内の比較的大きな振幅の振動や分子間の振動、分子の秤 動振動、回転の緩和などが関係しており、非調和性が大きいという特徴がある。

このため吸収ピークの半値幅は、IR 帯などに比べてブロードになりやすいこと が予想される。測定した脂肪酸エステルの THz吸光スペクトルについてもピー クはブロードであるのに対して計算結果は、比較的シャープであった。これまで の計算結果は、プリ・ポストプロセッサとして使用している GaussView ソフト ウエアの初期値である 4cm-1 をスペクトル表示時の半値幅として使用してきた が、実際の半値幅は、THz帯の特徴からもっと大きくなることが予測される。し かしながら理論計算で非調和性を全ての吸収に対して計算させることは通常容 易ではない。そこで実際に測定した THzスペクトルから半値幅を推定できない かと考えた。

図4. 12に2H-12AのTHzスペクトルの実測値と各立体配座におけるスペクト

ルをボルツマン分布に従って累積したグラフを示す。測定値、計算値の両方で

480cm-1付近に比較的シャープなピークがあることが分かる。計算結果に注目す

ると、このピークの周辺には大きなピークはなく、ほぼ単独の吸収ピークが重な り合って構成されていることが分かった。そこでこの480cm-1のピークが単独の 吸収であると仮定し、実測値を計算値のピークが一致するように半値幅設定値 を調整すれば、簡易的に実際の半値幅を推定できると考えた。

2H-12Aのスペクトル計算結果の半値幅設定を4cm-1、10cm-1、20cm-1と変化さ せた場合のスペクトルを図 4. 13 に示す。図から半値幅 20cm-1 に設定すると

480cm-1付近のピークが実測値とほぼ一致することが分かる。さらにこの設定で

は、他の部分においても実際の測定値と最も近くなった。この方法は簡易的で理

182

論的な方法ではないが、計算結果は、測定値とよく一致しており、簡便で有効な 方法である。

残りの2 つの脂肪酸エステルについても半値幅を 20cm-1に変更し、スペクト ルを描画した(図 4. 14)。2H-08A と M-12A においても実際の測定値と近くなる ことが確認された。このことから脂肪酸エステル系の油における THz スペクト ルの半値幅は、20cm-1程度であると推測される。しかし、より詳細な解析のため には、より理論的な検証が必要であると考える。

半値幅設定を20cm-1に変更することで計算で求めた脂肪酸エステルのTHzス ペクトルは、実測値にかなり近くなることが確認できた。しかしまだ全てのピー クの完全な予測には至らなかった。例えば、2H-08Aにおいては、300cm-1付近の 大きな吸収の頂点が計算値と実測値でずれている。M-12A の計算結果では、実 測で現れる430cm-1付近の大きな吸収が予測できなかった。原因としては、今回 行った計算では、単一の分子のみを対象としていることや他の分子との相互作 用によって生じる吸収については考慮されていない点などが考えられる。今回 の計算によって予測できなかった吸収については、さらに詳細な解析や実験に よる検証が進み、その原因が明らかになれば、分子間の相互作用や油中エステル 分子の三次元的な配向など多分子的な情報が得られる可能性あると考えられる。

4. 12 2H-12Aの全配座のスペクトル計算結果の累積と測定値