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資本の性質についての考察あれこれ

原文:http://bit.ly/prEO7C  

セクション I

個人が貯蓄をするというのは――いわば――今日は晩ご飯は食べないぞ、という決断で す。でもそういう決断をしたからといって、別に来週は晩ご飯を食べるぞとか、一週間後 だか一年後だかにブーツを買うぞとか、特定の時点で特定のものを消費するぞといった決 断があわせて必要になるわけではありません。ですからその決断は、今日の晩ご飯を用意 するという商売を圧迫しますが、でもその商売は、何か将来の消費行動をあてに今から準 備をしようという刺激を受けるわけではありません。今日の消費需要の代わりに将来の消 費需要をもってくるわけではないのです――そうした需要が純減するだけです。さらに将 来の消費期待は、いま消費するという現在の経験にとても強く根ざしているので、結果と していまの消費を減らせば、将来の消費も減らされる見込みが高いのです。そして貯蓄行 動は、単に消費財価格を引き下げるだけで既存資本の限界効率はそのまま、というわけに はいきません。実際には、後者も引き下げる傾向が強いのです。そうなると、現在の消費 需要のみならず、現在の投資需要すら引き下げてしまうかもしれません。

貯蓄というのが、単に現時点で消費をやめる、というだけでなく、将来消費のために具 体的な発注をする、ということも含むなら、その影響はたぶんちがってきたでしょう。な ぜならその場合には、投資からの将来収益期待が向上するので、今日の消費を用意するの に使わずにすんだリソースが、将来の消費の用意をするのにまわせるからです。むろん、

この場合ですら、準備にまわされるリソースと解放されたリソースとで、同じ規模になる とは限りません。先送りしたい期間というのは、あまりに不都合で「回り道」な生産手法 を必要とし、現在の金利よりはるかに低い効率性しか持てないかも知れません。そうなる と、貯蓄がいますぐ引き起こす効果というのは、やはり雇用を減らすというものになりま す。でもいずれにしても、個人の貯蓄決断は、実際問題として、消費の将来予約などまっ たく関係せず、単に現在の注文をキャンセルするだけです。ですから、雇用の唯一の存在 理由は消費の期待である以上、消費性向が下がれば、他の条件が同一なら、雇用を減らす 働きがあるというのは、何もパラドックスめいたところなどありますまい。

ですから問題は貯蓄行為というのが、現在の消費と何か特定の追加消費との交換を意味 するのではないために起こる、ということです。その特定の追加消費のための準備が、現

在の消費で必要とされたのとまったく同じ、貯蓄されたのと同額の経済活動を現在必要と するのであれば、問題はないのです。そうではなく、それ自体としての「富」、指定され ない時間に指定されない品目を消費する潜在力が欲望されるのです。個人の貯蓄が個人の 消費に負けず劣らず、有効需要にとってよいものだという発想は、馬鹿げているのにほと んど普遍的になっています。これはそこから導かれる結論よりずっともっともらしい誤謬 によって育まれたものですが、それは富を持ちたいという欲望の高まりは、投資を持ちた いという欲望の高まりとほぼ同じことだから、それは投資需要を増やし、その生産に刺激 を与えるのだ、という誤謬です。だから当期投資は、当期の消費が減ったのと同額だけ増 えた個人の貯蓄によって促進されるのだ、というわけです。

人心の迷いを解くのが最も難しいのは、この誤謬なのです。富の所有者は資本財それ自 体を持ちたがると信じてしまうのですが、実はその人が本当に欲しているのは、その見込 み収益です。さて見込み収益は、将来の供給条件との関連で将来の有効需要に完全に左右 されます。ですからもし貯蓄行為が見込み収益の改善にまったく貢献しないなら、投資も 一切刺激しません。さらに個人貯蓄者が富の所有という望みをかなえたにしても、その人 物を満足させる新しい資本的資産がどこかに作られる必要はありません。単にある個人が 貯蓄という行為をするだけで、貯蓄は上に見た通り双方向的な活動なので、他の個人がそ の人物に、新旧問わず何らかの品物を移転しなくてはならないのです。あらゆる貯蓄行為 は、貯蓄をする人への「強制された」不可避な富の移転が伴います。むろん、その人物は 別の人が貯蓄するときに苦しめられるかもしれませんが。こうした移転は、新しい富の創 造を必要としません̶̶それどころか、むしろ積極的にそれを邪魔するものかもしれませ ん。新しい富の創造は、その新しい富の見込み収益が、現在の金利による基準を上回って いるかどうかにかかっています。限界的な新しい投資の見込み収益は、誰かが自分の富を 増やしたがっているという事実によって増えたりしません。限界的な新しい投資の見込み 収益は、特定の品物が特定の日に需要されているという期待に依存しているからです。

また、富の所有者は見込み収益なら何でも良いわけじゃなくて、手に入る最高の見込み 収益を求めるんだから、富を保有する欲望が増えると、新規投資の生産者たちが満足しな ければならない見込み収益は下がるんだ、という議論をしても、この結論は避けられませ ん。というのもこれは、実物の資本的資産を所有しなくても、常に代わりの手口があるの だということを無視しているからです。それはお金や債権の所有です。ですから、新規投 資の生産者たちが満足すべき見込み収益は、現在の金利が定める基準以下にはなれないの です。そして現在の金利は、これまで見た通り、富を持ちたいという欲望の強さによるも のではなく、それを流動的な形で持ちたいか、非流動的な形で持ちたいかという欲望の強 さによるのであり、さらにそれに対応して、流動的な富の供給と非流動的な富の供給との 相対的な量で決まるのです。もしここで混乱するようでしたら、次のことを考えてみてく ださい。なぜお金の量が変わらないのに、新しくだれかが貯金をしようと思っただけで、

なぜいまの金利で流動的に保ちたいとされる金額が減ることになるのでしょうか?

なぜ、どこから、といった問題をさらに詳しく探るといくつかもっと深い困惑が生じて きます。これは次の章で検討します。

セクション II

資本生産的だ、などというよりは、資本が寿命の間の総計で、原価を上回る収益を持つ と言った方がずっとマシです。資産が耐用寿命の間に、その初期供給価格よりも大きな総 価値を生み出す見込みがある唯一の理由は、それが希少だからです。そしてそれは、お金 につく利子との競争によって希少に保たれているのです。もし資本がもっと希少でなくな れば、その生産性は物理的には下がらなくても、追加収益はだんだん減ります。

ですから、私は古典派以前の教義に親近感を感じるのです。そこではすべてが労働で作 られ、それをかつては技と呼ばれ、いまは技術と呼ばれるものが支援し、材料は天然資源 で無料か、希少性・豊富性に応じた賃料が課せられ、それに加えて過去の労働の成果も使 われ、それ自体もまた希少性や豊富性に基づいた価格がついているのです。唯一の生産要 素としては、ある決まった技術、天然資源、資本設備、有効需要のもとで働く労働だけを 考えるほうがいいのです(もちろん労働には事業者自身のサービスとその部下たちのサー ビスも含まれます)。なぜ私たちが、本書の経済システムにおいては労働をお金と時間以 外の唯一の物理単位にできたのか、これで部分的に説明がつきます。

確かに、長いまわりくどいプロセスの中には物理的に効率がよいものもあります。でも 短いプロセスにだってそういうものはあります。長ったらしいプロセスが物理的に高効率 だとしても、それはそれが長いせいではありません。一部の、おそらくはほとんどの長っ たらしいプロセスは、物理的にとても非効率でしょう。というのも時間がたつにつれて、

劣化や消耗などが起こるからです*1。労働力一定なら、長ったらしいプロセスに使える有 益な労働の量には絶対的な上限があります。他にも考慮すべき点はありますが、機械を作 るのに使われる労働量と、その機械を使うのに雇われる労働の量とには、適切な比率があ るはずです。使われているプロセスがますますまわりくどいものになってきたら、その物 理的効率性がまだ高まり続けていても、雇用労働量との見合いで見た最終的な価値の量 は、無限に高まり続けるはずはないでしょう。消費を先送りしたい欲望が強くて、完全雇 用がマイナスの資本限界効率をもたらすほど巨大な投資を必要とする場合に限り、長った らしいだけのプロセスもメリットのあるものとなります。その場合には、物理的に非効率 なプロセスを採用すべきでしょう。ただしそれは、先送りにしたことによるメリットがそ の非効率性を打ち消すくらいの長ったらしさでなくてはいけません。それどころか、物理 的効率性が製品の早期納品からくるデメリットを上回るように、短いプロセスを十分希少 にしておかなくてはなりません。したがいまして正しい理論は、金利がプラスの場合でも マイナスの場合でも、それに対応した資本の限界効率を扱える、どちら向きでも当てはま るものでなくてはいけません。そしてそれができるのは、上でざっと述べた希少性理論だ けだと思います。

さらに、各種の財や設備が希少で、したがって使う労働量に比べて相対的に高価なの は、いろいろ理由あってのことです。たとえば、臭いプロセスは報酬が高いものです。そ れはそうでないと、やる人がいないからです。危険なプロセスだって同じです。でも臭さ の生産性理論だの、危険プロセスの生産性理論だのを考案したりはしません。一言でいえ ば、労働がすべて、同じように良好な職場環境で実施されるわけではないのです。そして

*1マーシャルによるベーム=バヴェルクについての記述を参照。『経済学原理』p. 593.

ドキュメント内 ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』 (ページ 133-141)