長期期待の状態
原文:http://bit.ly/qHSkh5
セクション I
前の章で、投資の規模は、金利と、現時点でのいろいろな規模の当期投資に対応した資 本の限界効率
スケジュール
表 の関係で決まることを見ました。また資本の限界効率は、資本的資産 の供給価格と、その見込み収益の関係で決まります。本章では、ある資産の見込み収益を 決めるいくつかの要因を、もっと詳しく検討しましょう。
見込み収益の期待の元となる検討事項は、一部は大なり小なり確実にわかっていると想 定できる既存の事実に左右され、一部は様々な水準の確信を持って予測するしかできな い、将来の出来事に左右されます。前者の中には、かなり資本の手助けが大きくないと効 率的に生産できないような財の場合、既存の各種資本的資産のストックや、資本的資産全 般のストック、既存消費者の需要などがあります。後者としては、資本的資産のストック の種類や量、消費者の嗜好の将来変化、検討している投資の寿命中の各時点で、有効需要 がどのくらい強いか、その寿命中に名目賃金単位がどう変わるか、といったものがありま す。後者をカバーする心理的な予想を、長期期待の状態と呼んでまとめましょう̶̶これ は短期の期待とはちがうものです。短期の期待とは、生産者が既存工場で今日生産を開始 したときに、完成した製品がいくらで売れるかを推定する根拠となる期待です。これにつ いては五章で検討しました。
セクション II
期待を形成するとき、とても不確実なことをあまり重視するのは愚かです*1。ですか ら、多少は自信が持てそうな事実に期待が流されるのは、無理からぬことです。漠然とし たわずかな知識しかない事項のほうがずっと結果に関連が深く、自信を持てる部分はあま り関連していない場合ですらそうです。このため長期期待の形成にあたっては、現状につ いての事実が、ある意味で分不相応なほどの重みをもって入り込んできます。一般的な手 法は、現状を見てそれをそのまま将来にのばすことで、それを補正するのは、変化を期待
*1「とても不確実」というのは、あり得そうにない、というのとは意味がちがいます。拙著『確率論』第六 章「議論の重み」を参照。
すべき多少なりとも明確な理由がある場合に限ります。
ですから人の決断を左右する長期期待の状態は、わかる範囲で最も見込みの高い予測だ けに基づくものではありません。その予測にどれだけ自信があるか̶̶最高の予測がまる でまちがっている可能性をどれほど高く見積もるかにも左右されます。大きな変化が予想 されても、そうした変化が実際にどんな形のものか非常に不確実なら、自信は弱いものに なります。
一般に言う自信の状態は、実務家がいつも最大限の、もっとも神経質な関心を常に払う ものです。でも経済学者たちはこれを慎重に分析しておらず、おおむねそれを一般論で 語ってすませてきました。特に、それが経済問題に対して持つ意味合いが、資本の限界効 率に対する重要な影響を通じてもたらされる、ということは明らかにされてきませんでし た。投資の率に影響する要因としては、資本の限界効率表と、自信の状態という二種類の 別々の要因があるのではないのです。自信の状態が関係するのは、それが資本の限界効率 に影響する大きな要因の一つだからなのです。資本の限界効率表とはつまり、投資需要表 と同じものです。
でも、自信の状態それ自体について、あまり言えることはありません。私たちの結論 は、主に実際の市場や事業心理の観察に頼る必要があります。だからこそ、ここからの脱 線は、本書の大部分とは抽象度がちがうのです。
考察の便宜のため、以下の自信の状態をめぐる議論では、金利変化はないものとしま す。そして、以下のセクションでは、投資価値の変化がひたすら、その見込み収益期待の 変化によるもので、その見込み収益を資本化する金利の変化にはまったく左右されないも のとします。でも金利変化の影響は、自信状態の変化による影響に簡単に重ね合わせるこ とができます。
セクション III
ひときわ目立つ事実として、人が見込み収益を推定するときには、きわめてあぶなっか しい知識を根拠にするしかない、ということがあります。何年か先に投資の収益を律する 要因についての人々の知識は、通常は実にわずかで、しばしば無視していいほどのもので しかありません。正直言って、鉄道、銅鉱山、繊維工場、特許薬の事業権、大西洋横断客 船、ロンドンシティの建物の、十年先の収益を予測するための知識ベースは、実に少ない し時にはゼロです。いや5年先ですら同様です。実は、本気でそんな推計をしようとする 連中はあまりに少数派で、その行動が市場を左右することはありません。
昔の事業は、実際にそれを実施する人物や、その友人仲間などが主に所有していまし た。事業こそ我が命と張り切るような、楽観的な気質と建設的な衝動を持つ個人が十分に 供給されるかどうかで、その当時の投資は左右されたものです。そういう人々は、見込み 収益の厳密な計算なんかまじめに見ません。そうした事業は一部は宝くじのようなもので したが、最終的な結果は、マネージャーたちの能力や人柄が、平均より上か下かにもかな り左右されてきました。でも投資額から見た平均的な結果が、その時点の金利よりも高い か等しいか低かったかは、事後的にすらだれにもわかりません。でも、天然資源採掘や独 占事業を除けば、たぶん各種投資の平均実績は、進歩と繁栄の時代にあってすら、それを 推し進めた希望には満たないものだったことは考えられます。ビジネスマンは、運と実力 の入り交じったゲームをしており、その平均結果は、そのゲームに参加するプレーヤーた
ちにはわからないのです。人間の天性として、賭けに魅力を感じず、工場や鉄道や鉱山や 農場づくりに(利潤以外の)満足感をおぼえないのであれば、冷たい計算の結果だけでは、
あまり投資は起こらないかもしれません。
昔ながらの民間事業に投資しようという判断は、社会全体にとってはもとより、その個 人にとっても、ほぼ後戻りのできない決断でした。今日のように所有と経営の分離が一般 化してしまい、組織化された投資市場が発達すると、それは時に投資を促進しますが、と きにはシステムの不安定性を大いに高めます。証券市場がなければ、いったん実施した投 資をしょっちゅう再評価しても意味はありません。でも証券取引所は、すでに実施済みの 多くの投資を毎日のように再評価します。その再評価は、個人に(ただし社会全体は無理 ですが)自分の投資決断を改定する機会をしょっちゅう与えます。まるで農民が、朝食後 に晴雨計をたたき、朝の10時から11時にかけて農場事業から資本を引き上げると決め、
週の後半にかけて、また農場事業に復帰すべきかを再考できるようなものです。でも、証 券取引所による日々の再評価は、主に古い投資の個人間取引を支援するために行われるも のですが、どうしても当期の新規投資にも決定的な影響を与えてしまいます。なぜなら、
似たような既存事業が買えるのに、それより高い費用で新規事業を立ち上げるのは無意味 だからです。一方で、もし株式市場に上場してすぐに利益を得られるならば、新規プロ ジェクトに想像を絶するような金額をつぎ込むだけの誘因も生まれます*2。したがって、
ある種の投資は専門事業者によるまともな期待に基づくのではなく、株価にあらわれた、
証券取引所で取引をする連中の平均的な期待に左右されることになります*3。では、この ような日ごと、時には時間ごとの既存投資再評価がきわめて重要なら、それは実際にどの ように行われているのでしょうか?
セクション IV
実際の世界では、人々は一般に、実際にはただの慣習でしかないものにすがろうと暗黙 に合意しています。その慣習の本質――ただしそれはもちろん、そんなに単純には決まら ないのですが――は、変化を予想すべき具体的な理由がない限り、現状が無限に続くと想 定することです。これは別に、現状が無限に続くと人々が本気で信じているのだ、という 話ではありません。広範な経験からして、そんなことがあり得ないのはみんな知っていま す。長期にわたる投資の実績は、当初の期待と一致することはほとんどありません。ま た、無知な状態にある人にとっては、どちらの方向へのまちがいも同じくらいの可能性が あるので、当確率に基づく平均の発生確率的期待は現状のままに落ち着くのだ、という議 論で行動を合理化することもできません。簡単に示せることですが、無知状態にあるから 数学的に等確率だという想定は、ばかげた結果につながります。それは要するに、既存の 市場による値付けはどんな方法で導かれたものだろうと、投資収益に影響する事実に関す る既存知識との関連において一意的に正しい、と想定していることになります。そして、
*2拙著『貨幣論』(vol. ii. p. 195)で、企業の株価がとても高くて、有利な条件で新株発行すればもっと 資本を集められる場合には、低金利で融資を受けられるのと同じ効果があると指摘しました。いまやこれ は、既存株式の高い株価は、同種の資本の限界効率上昇をもたらし、したがって(投資は資本の限界効率 と金利の比較に左右されるので)金利低下と同じ効果がある、と言い直すべきでしょう。
*3これはもちろん、すぐに市場で取引できない事業や、まともに対応する流通証券がない事業には当てはま りません。そうした例外的なカテゴリーの事業は、かつてはとてもたくさんありました。でも新規投資の 総額に占める割合でみると、その重要性は急速に下がっています。