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胡適における新詩の創作

第 2 章 胡適における新詩運動の提唱と周作人における新詩の詩作

2.3 胡適における新詩の創作

胡適は白話文学の裏付けとして、『新青年』第2巻6号において「白話詩八首」を発表し た。ここで、胡適の白話詩の最初作である「朋友」【図1】と李白の「黄鶴楼送孟浩然之广

陵」【図2】を取り上げ、胡適の白話詩について検討する。

【図1】「白話詩八首」のテクスト 【図2】「黄鶴楼送孟浩然之广陵」のテクスト

朋友(此詩天憐為韻、還単為韻、故用西詩寫法、高低一格以別之、)

(この詩は、天と憐、還と単で韻を踏んでいる。それ故、西洋詩の書き方を用い、一字分ず つ高低をつけて分けておいた)

両個黄蝴蝶雙雙飛上天(二匹の黄色い胡蝶は一緒に空へ飛んでいく)

不知為什麼一個忽飛還(何故なのか一匹が急に飛んで帰った)

剩下那一個孤單怪可憐(残された一匹が孤独で可哀想)

也無心上天天上太孤單(それでも空に行く気はなく空の上は寂しい)

「朋友」胡適17 (筆者訳)

20世紀初頭の中国の文壇では、詩と言えば、韻律や平仄を持つ五七言の文語的定型詩が ほとんどであった。図2の「黄鶴楼送孟浩然之广陵」は、文語によって創作された行替えな しの詩である。「黄鶴楼送孟浩然之广陵」はそれなりの韻を踏んでいて、形式的な美しさが あり、古典的な詩歌の様式の1つであると言える。

一方、「朋友」は古典詩の規則を無視し、行替えなしの詩ではなく、行ごとに一文字ずれ で書かれている。中国の近代白話詩実践においては、確かに胡適の「朋友」は白話詩を最 初に実践した大胆な作品と評価できよう。しかし、詩のリズムと韻律において、「朋友」は 古典的定型詩の枠組みを出るものではない。リズム面では、一行十文字で、五言詩と同じ である。韻律面では、天と憐、還と単は韻律を踏んでいる。また、詩に使われている言葉 をみると、「忽飛還」、「無心」などの言葉は中国の古典詩によく見られる文語であるが、「為 什麼」、「怪可憐」などの言葉は古典詩には殆ど見られるない白話である。

以後、文壇では新詩運動が展開され、1918年『新青年』第4巻1号に胡適の「人力車夫」、 これら2つと同じタイトルの沈尹黙の「人力車夫」、劉半農の「相隔只有一層紙」、1919年

『新青年』第6巻3号に周作人の「両個掃雪的人」などの白話新詩が次々と発表された。

以上述べてきたように、中国の文壇に新文学として最初に登場したのは、胡適の白話詩

「朋友」であり、彼による新詩の試作は、文学革命を実現させるための重要な鍵となった。

しかし、夏志清(1961)は、胡適にとって文学が「ただ社会を批評する道具にすぎない」18 と指摘したように、文学革命期に胡適にとって白話詩が、白話文学の正統性を唱える道具 であった。彼が創作した白話詩は、形式上では完全に古典詩の束縛から脱しきれないもの であったが、白話詩が用いられることで新鮮さが強く感じられ、当初の知識人から大きな 関心が寄せられ、後の白話文学、とりわけ新詩の発展において重要な役割を果たしたので ある。

3.白話詩から「詩体の大解放」へ

中国の新詩は胡適が提唱した「詩体の大解放」に始まったと言える 19。1919年10月、

彼は「談新詩」において「詩体の大解放」を提唱し、白話詩をこれまでの古典詩と全く異 なる新詩へと成長させた。胡適における新詩の提唱は、「胡適は中国新詩の創始者である」20 と高く評価された一方、「私は、胡適は中国の新詩運動にとって最大の罪人だと思う」21と 厳しい非難にさらされもした。そのような正否双方の評価が与えられることになったのに は、胡適が白話詩を新詩へと展開させる過程における詩作に関する彼の考え方と深い関わ りがあると考えられる。そこで、新詩の創作に関する胡適の主張を考察し、胡適が提唱し た新詩誕生の意義、また、新詩が詩壇に登場した後どのような問題点が生まれたのかを検 証する。