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人間についての解説

第 1 章 中国の近代化過程における文学革命と周作人の文学活動

3. 近代国家への模索:辛亥革命から文学革命へ

4.1 帰国後の周作人と張勲復辟事件

4.2.1 人間についての解説

小川利康(2013)は、周作人の霊肉の衝突によって生じる「近代人の悲哀」という概念 についての見解は「厨川白村が『近代文学十講』で提起した『近代の苦悩』と一致するも ので」、「周作人は厨川白村の影響を強く受けたと考えられる」40と指摘している。この点 から、周作人が構想した「人の文学」の理論的な下地となる「人間」は厨川白村(1880-

1923)の文学思想と深い関わりがあると考えられる。ここでは、周作人「人の文学」にお ける「人間」についての解説を取り上げ、彼が構想した「人間」とはどのようなものか、

それが厨川白村の文学思想とどのように関わっているのかを考察したい。

先述の通り、1917年に胡適・陳独秀が雑誌『新青年』で文学革命を提唱し、翌年に魯迅 が同誌に「狂人日記」を発表して中国新文学の道を切り開いた。しかし、質量ともに新文 学と呼ぶにふさわしい作品がもたらされるのは、1920年代に入ってからであり、その過程 において、決して見逃すことのできない存在があった。それは、1918年12月、『新青年』

第5巻第6号に掲載された中国新文学の理論的支えとなる「人の文学」である。周作人は 文の冒頭において、「現在、我々が提唱すべき新文学は、簡単に言えば『人の文学』であり、

排斥すべきなのはそれと正反対の非人間的文学である。」41と主張し、自分が提唱する「人

の文学」の理論的な下地となる「人間」とはどのようなものかについて以下のように述べ ている。

人の文学を取り上げる際、まず人間という言葉について説明しなければならない。我々が 言う人間は、世間の所謂“天地の性において最も貴重なもの”、あるいは“円頭方足”のよ うな人間ではなく、“動物から進化してきた人間”のことである。そういう意味で、人間の 要点として二つが挙げられる。一つは“動物”から進化してきた、二つ目は動物から“進 化”してきたのである。(中略)これら二つの要点をまとめると、人間の霊と肉からなる二 重生活である。肉の一面は獣性の遺伝であり、霊の一面は神性の端緒である。(中略)古来 宗教の多くは禁欲主義を提唱し、人類の本能を抑制する。それに対して、霊魂を考慮しな い快楽派も存在する。(中略)実際、両者は共に極端であり、適正な人間生活とは言い難い のである。近代にいたって初めて人間は霊と肉の二元からなる存在することに気付いた。

即ち、霊と肉は一つの物の内に存在する両面であり、二元対立的な関係ではないのである。

(中略)我々が信じる人間の正当な生活は霊肉一致の生活であり、所謂動物から進化して きた人間は霊肉一致の人間である42。(筆者訳)

周作人はこのように、「人の文学」を築き上げるのに、まず人間の本質に対する理解が必 要であると述べ、進化論に基づいて人間を定義した。即ち、人間は動物と異なり、「動物か ら進化してきた」と指摘し、それ故、人間が「獣性の遺伝」である肉の側面と「神性の端 緒」である霊の側面をともに有すると解説した。その上、従来は禁欲主義か快楽主義かの どちらかに陥る人が多かったが、真の人間生活は霊肉両面の調和が取れた形で発展してい くべきであると指摘した。

この解説で注意を引くのは、理想的な人間は霊肉合一の生活をしていると周作人が考え ていた点である。黎楊全(2005)が指摘したように、周作人のこのような考え方は、欧米 文芸思潮に精通する厨川白村が宣伝した霊肉合一論についての解説とも極めて類似してい る43。1914年に『文藝思潮論』において、厨川白村は19世紀後半から20世紀のはじめま でのヨーロッパ近代的文芸思潮を系統的に紹介し、霊と肉との対立から合一までの傾向を 西洋文学の主な歴史的流れとして捉え、文学界に大きな影響を与えた。同書の「序論」で、

彼の文芸発想の基礎となる霊肉衝突の問題について、以下のように述べている。

霊と肉と、聖く明るい神性と醜く暗い獣性と、精神生活と肉体生活と、内なる自己と外な る自己と、道徳を基とした社会生活と、自然の本能を重むずる個人生活と、これら二つの 者の間の不調和は、苟くも人類が思索といふ事を始めてよりこのかた、その苦悩煩悶の素 因であった。如何にかして霊肉の調和を求めたいと焦心るのは、殆むど人類一般の本性で あって、之が今日までの人文発達史の根底に伏在する大問題であった44

厨川白村はこのように、人間生活に関する「霊と肉」、「神性と獣性」、「精神生活と肉体 生活」、「内なる自己と外なる自己」、「社会生活と個人生活」という5つの対立する概念を 取り上げ、これらの間の不調和が人間の苦悩の源であると指摘した。そして、人間の本質 は霊肉の調和を求めることであり、それ故、文芸を発達させるにあたって、最も問題とな るのは霊肉の調和であると考えていた。言い換えれば、霊肉二元論は文芸を発展させるた めの基礎であると厨川白村は考えていたのである。

黎楊全(2005)は、「人の文学」の基礎となる人間は霊肉両面の調和が取れた生活を送 るべきであるという周作人の考え方は、厨川白村の考え方に影響を受けていると述べてい る45。事実、1917年4月に、周作人は北京大学に赴いて文科教授の任に就いた。同年9月、

「ヨーロッパ文学史」の講義を担当し、そして、1918年10月に中国初のヨーロッパ文学 史である『欧州文学史』を上海商務印書館より出版した。周作人の日記から、1917 年 11 月に彼は厨川白村の『文藝思潮論』を入手したことが分かり 46、これは「ヨーロッパ文学 史」を講義している時期にあたる。これらのことから、帰国後も周作人は日本文学に関心 を持ち、継続的に多くの日本文学書を読み、北京大学で「ヨーロッパ文学史」の講義を担 当したことを契機に、欧州文芸思潮に精通する厨川白村の著作『文藝思潮論』を読んだこ とが分かる。そして、周作人は厨川白村の霊と肉の相克による文学史の記述に啓発を受け、

そこから自分の文学論の組み立てを試みたことが考えられる。言い換えれば、「人の文学」

の理論的下地となる霊肉一致の周作人の主張は、厨川白村の文芸思想の基礎となる霊肉二 元論に依拠していると推測できる。

上述したように、周作人は霊肉一致論をもって人間を定義した。彼はこの人間の霊肉一 致についての立論と提唱から何を引き出そうとしたのか。彼の文学観は如何なるものだっ たのか。後に続く「人の文学」の説明では、人の理想的生活について以下のように述べて いる。

このような“人”は理想的にどのように生活すべきか。まず、人間同士の関係を改良すべ きだ。我々はお互い人間であり、個人が人間の一分子である。それ故、利己であると同時 に利他、利他であると同時に利己のような生活を営むべきである。第一、物質的生活面に おいては、人力を尽くして人事が必要とされるものを取る。換言すれば、各人は心力を持 って働き、それにより適当な衣食住と医療を獲得し、健康的生存を維持する。第二、道徳 的生活面においては、愛智信勇を基本的道徳として、人道以下或は人力以上の因習や礼法 を廃棄し、自由かつ真実性のある生活を享受できる。(中略)それらについてのことを知る

人は数少なく、それ故、我々は文学上にもそれらを提唱して人間愛を尽くす47。(筆者訳)

このように、周作人は社会を構成する個体としての人間は、社会との調和を取れた生活 を送るべきと主張し、「人」を定義した霊肉一致の論説から理想的な人間関係、さらに自分 の文学観を引き出した。彼が考える理想的な人間関係は利己と利他を両立させたものであ り、またそれらを文学上に提唱していくべきだと主張し、「人間愛」という自らの文学観の 一端を示した。この周作人の「人間愛」という新文学の主張について、阿部幹雄(2010)

は、「中国において、教条的なまでに習慣化してしまった儒教倫理からの『人間の解放』と いうことを意味し、当時根強く残存していた伝統的な封建的諸関係の完全な否定となった ため、当時においてはかなりの衝撃をもって受容された」48と指摘している。つまり、周 作人が唱えた「人間愛」という新文学は、当時儒教道徳で支配された社会から人間を解放 するためであると考えられる。