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小詩における俳句的要素の発見

ドキュメント内 中国における俳句の受容と展開に関する研究 (ページ 119-122)

第 4 章 1920 年代の小詩に見られる俳句の翻訳の影響

3.1 小詩における俳句的要素の発見

周知のように、俳句では、季語、切れ字のほか、省略による余韻を残すといった表現技 法が使われている。ここでは、周作人がこれら俳句的要素をどのように翻訳したのか、ま た、彼による俳句の翻訳の影響が小詩にどのように反映していたのかを検証する。

3.1.1 季語が与えた影響

季語は17音しかない俳句の中で、読者に共通の奥深いイメージを与え、豊かな情景を表 現できる。周作人が季語をどのように翻訳したのか、以下に例を挙げる。

・秋風やむしりだかりし赤い花 (小林一茶)

秋風呵,撕剩的紅花,拿来作供。 (「日本的詩歌」)

・黄菊白菊そのほかの名はなくもがな (服部嵐雪)

黄菊白菊,其余的没有名字也罷。 (「日本的詩歌」)

・柳ちり清水かれ石ところどころ (与謝蕪村)

柳葉落了,泉水干了,石头処処。 (「日本的小詩」)

(句に記された下線は対照箇所を明示するために、筆者が加えたものである。)

このように、周作人は「秋風」、「菊」、「柳」などの季語を「秋風」、「菊」、「柳葉」のよ うな季節を表す名詞に翻訳した。次に、1920年代に創作された小詩を見てみたい。

・從堤邊水面,(堤の水面に)

遠近的楊柳掩映裡,(映された遠近の柳の姿の中で)

我認識了西湖了13。(私は西湖に出会った)

応修人「我認識了西湖了」

(筆者訳)

・声声不息的鳴蝉呀!(止まずに鳴いている蝉よ)

秋哟!時浪的波音哟!(秋よ、流れ去る時の波音よ)

一声声長此逝了……14(次々と消えてゆく)

郭沫若『女神』

(筆者訳)

・大風起了!(大風の吹く中)

秋虫的鳴声都息了15!(秋虫は黙った)

冰心『春水』二七 (筆者訳)

上記の小詩では、「楊柳」、「鳴蝉」、「秋虫」のような季節を表す言葉が使用されている。

このように、小詩には中国人にとって共通のイメージのある季節を表す言葉が多く見られ る。これらの言葉は必ず俳句の季語に含まれているものではないものの、中国の詩人らは 俳句の季語の表現効果に感応し、小詩の創作に当たって、中国の季節を表す言葉、つまり 中国の季語を試みたのではないだろうか。この点から、1920年代の小詩が、季語の面で周 作人による俳句の翻訳から影響を受けていたと考えられる。

3.1.2 切れ字が与えた影響

切れ字は俳句の句中や句末において、表現を断ち切って余韻を残し、俳句の詩趣の伝達 に大きく関わっている。周作人が切れ字をどのように翻訳したのか、以下に例を挙げる。

・故郷やよるもさはるも茨の花 (小林一茶)

故郷啊,触着碰着都是荆棘的花。 (「一茶的詩」)

・故郷は蠅すら人をさしにけり (小林一茶)

在故郷連蒼蠅也都螫人呵! (「一茶的詩」)

・易水にねぶか流るる寒さかな (与謝蕪村)

易水上流着葱葉的寒冷呀。 (「日本的小詩」)

このように、周作人は「や」、「かな」、「けり」などの切れ字を「啊」、「呀」、「呵」のよ うな感動詞に翻訳した。次に、1920年代に創作された小詩を見てみたい。

・脚下的草啊,(足元の草よ)

你請恕我吧!(ご容赦ください)

你被我蹂躪隻一時,(君が私に踏み躙られるのは一時であるが)

我被人蹂躪是永遠啊16!(私が人に踏み躙られるのは一生である)

潘漠華「小詩六首」

(筆者訳)

・你別這様的得意罷,扇子呀!(威張るな、扇子よ)

秋風就在你的後頭了17。(もうすぐ秋風がやってくるだから)

韋均偉「小詩之三」

(筆者訳)

・小蜘蛛!(小蜘蛛)

停止你的工作罷,(手を止めなさい)

隻網住些塵土呵18!(掬い取ったのは塵だけよ)

冰心『春水』五七 (筆者訳)

上記の例から分かるように、小詩では、「啊」、「呀」、「呵」のような感動詞が使われるこ とが多いが、これは絶句や律詩のような古典詩ではあまり見られないものであり、非常に 斬新である。このように、1920年代の小詩では「啊」、「呀」、「呵」など感動詞の使用が多 く見られることから、小詩が感動詞の面で周作人による俳句の翻訳から影響を受けていた と思われる。

3.1.3 「ある場所の景色」、「一時の情緒」が与えた影響

周作人は1921年に発表した「日本的詩歌」で、俳句について、「ある場所の景色」、「一時 の情緒」を表現するには優れていると評価し、1年後の1922年の「論小詩」で、瞬間的な感 覚を表現するのに小詩が最適であると説明している。また、彼は1923年の「日本的小詩」

で、俳句的な小詩は「ある場所の景色」、「一時の情緒」を表現するのに最も適切な手法で あると述べていた。このように、周作人は俳句の「ある場所の景色」、「一時の情緒」の表 現手法を小詩に生かすよう呼びかけた。小詩の作者らはこれらの表現手法をどのように受

け入れたのか、以下、当時の代表的な詩人、汪静之と何植三の作品を見てみることとする。

・風吹皱了的水,(風に吹かれてさざなみ立った水)

没来由地波呀,波呀19。(故ももなく揺れ動いている)

汪静之「小詩二」

(筆者訳)

・微風!(そよかぜ)

葉児拍葉児的声音啊20。(磨れ合う葉の音かな)

何植三「雑句」

(筆者訳)

・芭蕉姑娘啊!(バショウの娘よ)

夏夜在此納涼的那人児呢21?(夏の夜此処で涼しんだあの人は)

汪静之「芭蕉姑娘」

(筆者訳)

上記の詩の中で、汪静之の「小詩二」では風に吹かれて水面に立った波紋、何植三の「雑 句」では微風により葉が葉を打つ音のように、「ある場所の景色」が表現され、汪静之の「芭 蕉姑娘」では、夏の夜、芭蕉の娘はどこにいるだろうという「一時の情緒」が表現されて いる。これらの小詩はいずれも叙事が排除され、専らイメージの断片に焦点を合わせてい る。

第2章で述べたように、中国の古典詩では、起承転結があり、しかも多くの場合1つのス トーリーを内包している。それに対して、これらの小詩は、一瞬の風景、刹那の感覚しか 表現しておらず、従来の中国詩では想像もできない手法が取られている。古典詩にないこ れらの小詩の表現手法は、周作人が呼びかけた俳句の表現手法、「ある場所の景色」、「一時 の情緒」から影響を受けていたのではないだろうかと考えられる。

このように、1920年代の小詩は切れ字、季語の面においても、「ある場所の景色」、「一時 の情緒」の表現手法においても、俳句から影響を受けていたと考えられる。

ドキュメント内 中国における俳句の受容と展開に関する研究 (ページ 119-122)