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新詩における人力車夫の創作

第 2 章 胡適における新詩運動の提唱と周作人における新詩の詩作

4.2 新詩における人力車夫の創作

に労働者の姿を描くことではないだろうか。実際、胡適は1918年『新青年』第4巻1号に

「人力車夫」というタイトルの新詩を発表し、労働者の中でとりわけ人力車夫に強い関心 を抱いていた。その背景には、当時の社会では、人力車夫が最下層の労働者と思われてい たことが挙げられる。以後、文壇では人力車夫が新詩創作の素材として盛んに取り上げら れるようになった。

る。これは、「五四時期以来、人力車夫は、素材あるいは主題として、多くの文学作品に 描かれてきた」46ことの裏付けになるのではないだろうか。

4.2.2 胡適の「人力車夫」と沈尹黙の「人力車夫」

本稿では、人力車夫を題材にした作品を全て分析することはできないが、以下に、最初 に人力車夫を題材にした沈尹黙と胡適の新詩「人力車夫」を取り上げ、人力車夫がどのよ うに描かれていたかを考察する。

日光淡淡,白雲悠悠,風吹薄氷,河水不流。

出門去,雇人力車。街上行人,往来很多;車馬紛紛,不知幹些甚麼?

人力車上人,個個穿棉衣,個個袖手坐,還覚風吹来,身上冷不過。

車夫単衣已破,他却汗珠児顆顆往下堕。

沈尹默「人力車夫」47

日光淡々、白雲悠々、薄氷が風に吹かれ、川の水は流れない。

家を出て人力車を拾う。街を歩く人が多く、馬車が多く、何をしているのかわからない。

人力車の乗客は、皆綿入れを着て、袖に手を入れて座っている。それでも風が吹いてくる と、寒くてたまらない。

車夫の服は破れているが、汗がポタポタと落ちてくる。

(筆者訳)

沈尹默の「人力車夫」には、全体的には五七言の定型的句法が見えないが、四行の中で、

五言で構成される一行がある。三行目の「人力車上人,個個穿棉衣,個個袖手坐,還覚風 吹来,身上冷不過。」である。韻律面では、「過」と「堕」は韻律を踏んでいる。また、詩 に使われている言葉を見ると、「雇」、「很多」、「幹些甚麼」などの言葉は白話であり、「日 光」、「悠悠」、「堕」などの言葉は白話というより、中国の古典詩によく見られる文語であ る。この沈尹默の「人力車夫」は、古典詩の五七言の詩型を破ったが、五言の句で構成さ れる一行があることと韻律を踏んでいることからみると、形式上ではまだ完全に古典詩の 束縛から脱しきれないものであったと言える。ただ、1918年の詩作では五七言の古典的定 型詩の影響が少なくなり、新詩草創期における知識人らが模索した痕跡を読み取ることが

できる。

内容の面からみると、沈尹默の「人力車夫」は、冬の寒さが厳しい時期の町を舞台に、

車夫と乗客との対比を用いて車夫の惨めな車引き生活を描いたものである。例えば、人力 車の乗客は、綿入れを着ていた状態でも冬の寒さが身に応える様子であるのに対して、人 力車夫は破れた薄着でも汗をかいているという描写がある。高橋みつる(2001)は、人力 車夫を題材にした新詩の描写の手法について、「車夫と乗客との対比を用いている作品が最 も多い」48と指摘し、沈尹默の「人力車夫」はその代表的な例と言えよう。

次に、胡適の新詩「人力車夫」を取り上げ、人力車夫がどのように描かれていたかを考 察する。

「車子車子」

車来如飛。

客看車夫,忽然心中酸悲。

客問車夫,「你今年幾歳?拉車拉了多少時?」

車夫答客,「今年十六,拉過三年車了,你老別多疑。」

客告車夫,「你年紀太小,我不坐你車。我坐你車,我心惨凄。」

車夫告客,「我半日没有生意,我又寒又飢。你老的好心腸,飽不了我的餓肚皮,我年紀小 拉車,警察還不管,你老又是誰?」

客人点頭上車,説「拉到内務部西!」

胡適「人力車夫」49

「人力車、人力車」

車が飛んできた。

客は車夫を見て、たちまち心の底から悲しくなった。

客は車夫に尋ね、「君今年いくつ?車を引いてどれほどになるのか?」

車夫は客に答え、「今年十六歳、三年間力車を引いている。お客さん疑わないでください。」

客が車夫に告げ、「君は幼すぎるから、君の力車に乗らない。君の力車に乗ると、私の心 が痛む。」

車夫が客に告げ、「私は半日仕事がなくて、寒くてお腹も空いている。あなたの善意は私·

の飢えたお腹を満たすことはできない。私は年が若くて力車を引くこと

に、警察は口出しをしなかったが、あなたは何様か。」 客は頷いて車に乗って、「内務省の西まで!」と言った。

(筆者訳)

胡適の「人力車夫」では、古典詩の五七言の詩型に拘らず、疑問文、陳述文が使われて いる。ただ、一行の中で、読点で区切られた五言の句がある。つまり、「你今年幾歳」、「你 年紀太小」、「我不坐你車」などである。しかし、これらはいずれも白話の文法によって書 かれた句であり、偶然に伝統五言詩のリズムとなっただけであると考えられる。詩に使わ れていた言葉を見ると、「多少時」、「餓肚皮」などごく普通な白話が使われている一方、「酸 悲」、「惨凄」などの文語も使われている。その背景には、子供の時から中国の伝統的な教 育を受けた胡適は、白話より文語の方に慣れ親しんでいたことがあると考えられる。この ように、形式の面では、「人力車夫」は、古典的定型詩の句法を破ったが、詩には白話と文 語の混入があり、文言詩から完全に脱却していない作品だと言える。

内容の面からみると、胡適の「人力車夫」は、乗客と車夫との会話で構成されたもので ある。客は乗ろうとした人力車の車夫が16歳で、幼すぎると考え、最初は彼の車に乗るつ もりはなかった。しかし、この少年車夫が半日商売がなく、寒さと飢えに苦しめられてい たという話を聞くと、客はあえて彼の車に乗ることにした。つまり、胡適の「人力車夫」

は、少年車夫の貧しさに対する客の同情の目で描いた作品であると言えるだろう。高橋み つる(2001)は、「文学革命の初期から1930年代半ばにかけて、人力車夫の激しい労働と 貧しい生活を、知識人の視点から同情の目で描いた文学作品が数多く出現した」50と指摘 している。胡適の「人力車夫」は知識人の視点から同情の目で描いた新詩の代表的な例と 言える。

以上見てきた2篇の「人力車夫」には、1つの共通点が見られる。この2つの作品が、

いずれも人力車夫の生活の悲惨さを描き出したものだという点がそれである。しかも、胡 適の「人力車夫」においては、乗客と車夫との会話から乗客の内心の葛藤や少年車夫に対 する同情が読み取れる。文学革命期における新文学の創作にあたって、この2つの作品は 最下層の労働者と思われる人力車夫を真っ先に取り上げ、労働者の貧困という社会問題を 新文学と結びつけた嚆矢として高く評価することができよう。

ここで、第1章で述べた周作人の「人の文学」(1918)を想起してみよう。その中で、彼 は人類の平等を求める人道主義を根本とする「人の文学」という新文学を唱えた。ただ、

彼が考える人道主義は、「決して世間の所謂『天を悲しみ人を憫む』や『博く施し衆を済う』

といった慈善主義ではなく、それは一種の個人主義的な人間本位主義なのであった」51。 以上2篇の「人力車夫」は、労働者の貧困に目を向け、同じ人間としての人力車夫の悲惨 な生活を描き出しており、人類の平等を求める人道主義を根本とする「人の文学」という 側面からみると、周作人の提唱した新文学が重視すべき内容と一致していると考えられる。

しかし、詩中における人力車夫の厳しい動労に耐える姿には、読者が同情を禁じ得ないだ ろう。この点では、周作人が批判した「天を悲しみ人を憫む」人道主義の文学と一致して おり、彼が提唱した新文学と異なることになる。周作人の「人の文学」は、2 篇の「人力 車夫」から11カ月後の1918年12月に書かれたものである。この点を考慮すると、周作人 は沈尹黙や胡適の「人力車夫」に潜んでいた作者の車夫の悲惨な生活に対して同情をして いただろうことが読み取れ、「人の文学」を執筆する際、意図的に「天を悲しみ人を憫む」

や「博く施し衆を済う」といった人道主義を批判したのではないかと考えられる。