• 検索結果がありません。

文学革命期における周作人の文学活動と俳句の翻訳活動の関連性研究

ドキュメント内 中国における俳句の受容と展開に関する研究 (ページ 148-161)

第 4 章 1920 年代の小詩に見られる俳句の翻訳の影響

2. 本研究の意義

2.2 文学革命期における周作人の文学活動と俳句の翻訳活動の関連性研究

文学革命期における周作人の文学活動に関する先行研究は、彼による新文学が如何に定 義され、求める価値が何か、彼の詩作の特徴が何かを考察したものがほとんどであり、彼 の文学志向と俳句の翻訳との関わりは解明されていなかった。

このような現状を踏まえ、本研究は文学革命期における周作人の文学活動と俳句の翻訳 活動の関連性を考察し、彼の文学志向と俳句の翻訳との関わりを解明した。具体的には、

以下のようにまとめることができる。

20世紀初頭の中国の文壇では、新文化運動の一環としての新文学を志す文学革命が起こ ったが、新文学は、具体的にどのように創作すべきか充分に論述されなかった。そのよう な状況の中で、周作人は、新文学を築き上げるために論稿「人の文学」、「平民の文学」を 発表し、「人の文学」、「平民の文学」を表現できる新文学を創作するために外国文学の翻訳 の必要性を唱えた。

1910 年代後半、胡適らは白話新詩を突破口として新文学を模索し始め、新詩の創作は、

文学革命を実現させるための重要な鍵となったと言える。そういう中で、周作人は 1919 年、自分の文学観である「人の文学」の要素を含む新詩「両個掃雪的人」を創作した。ま

た、1921年から1924年までの4年間、小林一茶の俳句53首を含め、合計88首の俳句の 翻訳を行った。

周作人が俳句の翻訳を行った主な理由として、当時の新詩の質の向上をはかるべく新し い詩の構想をもっていたこと、日本文化には中国とは異なる独特な価値があるという同時 代の知識人らとは異なる日本文化観をもっていたこと、俳句こそが日本の国民性の長所を 示す代表的な詩歌であると考えていたことを挙げることができる。また、周作人が俳句の 翻訳において、特に一茶の句を最も多く取り上げたことは、一茶の句と彼の文学観である

「人の文学」に通底するところが多かったことと深く関係していると考えられる。

以上述べてきたように、周作人による俳句の翻訳には、新詩の質の向上のみならず、新 文学の発展や中国の国民性の改造といったはっきりした目的意識があったことが分かった。

周作人のこうした一連の文学活動は、まさしく彼の「人の文学」、「平民の文学」という文 学観を実践した結果であった。つまり、周作人による俳句の翻訳の要諦は決して日本文化 である俳句を中国に紹介するというところにあるのではなく、如何に新文学の確立をはか り、中国の近代化に寄与するのかという点にあったのであり、そういう意味で彼による俳 句の翻訳は中国の近代文学に「人の文学」という要素を扶植する過程において重要な役割 を果たしたと言える。また、本研究では周作人が俳句という存在を常に中国文学の近代化 との関連性の中で捉えようとしていたことが明らかとなり、周作人の日本文学との関わり という点において、新たな研究的視点を提示することができたと考える。

3.今後の課題

本研究では、文学革命期、周作人がどのような課題をもって俳句の翻訳を行ったかを考 察した上で、彼による俳句の翻訳が小詩運動に影響を与えたことを明らかにした。今後さ らに研究を発展するために、次の3点を今後の課題として挙げておきたい。

1 つ目は、本研究の主な研究対象は、文学革命期における周作人の文学活動と俳句の翻 訳活動であるが、研究対象をさらに拡大しなければならないという点である。1921年から 1924年にかけて、周作人は俳句と俗謡を、それぞれ5回と4回にわたって紹介・翻訳した。

周作人の文学志向と日本古典文学との関係を明らかにするには、文学革命期における周作 人の文学活動と彼による俗謡の翻訳活動の関係を考察する必要がある。

2 つ目は、周作人の文学活動をさらに考察する必要があるという点である。先述したよ

うに、1921年から1924年にかけて、周作人は日本のいわゆる庶民的文芸として俳句と俗 謡を数多く翻訳したが、1925年から1926年にかけて、それらの翻訳をやめ、『古事記』、『徒 然草』を翻訳し始めている。このことより、彼の文学思想における思想転換の兆しが窺え る。近代中国は近代社会に対応した新しい文学を必要としたが、新しい文学がどのように 確立したかを解明するには、さらに周作人の文学活動を考察しなければならない。

3つ目は、漢俳と小詩の比較検証を行うという点である。本研究では、1920年代周作人 による俳句の翻訳から影響を受けた小詩運動の衰退の要因を解明した。1979年以降、同じ く俳句の翻訳から影響を受けた漢俳を小詩と比較することにより、漢俳の中国の文壇で確 立することに有益な示唆を得られると考えられる。

上記の3点についてさらに追及する必要があるが、それらは今後の課題として本稿を結 ぶこととする。

参考文献

<日本語>

秋吉収(2012)、「魯迅『影的告別』に去来する周作人の影」『言語文化論究(29)』、pp.91-105。

伊藤徳也(2013)、『周作人と日中文化史』、勉誠出版。

今田述(2002)、「漢俳――俳句への傾倒が生んだ新短詩」『文学/岩波書店』第 3巻、岩波 書店、pp.215-220。

内山眞理子訳(2008)、『迷い鳥たち』、未知谷。

王艶珍(2009)、「周作人の『小河』―リズム、日本詩歌の応用、西洋詩法の応用を通じて

―」『多元文化』第9号、pp.29-42。

于耀明(2001)、『周作人と日本近代文学』、翰林書房。

區建英(1998)、「独立の精神と普遍的人間愛 : ロマン・ロランと魯迅」『新潟国際情報大 学情報文化学部紀要』第1号、pp.19-38。

區建英(2009)、「中国のナショナリズム形成 : 日清戦争後の移り変わりと辛亥革命」『新 潟国際情報大学情報文化学部紀要』第12号、pp.75-90。

阿部幹雄(2010)、『中国近代文学における『文学』をめぐる言説の系譜 : 五四新文学、プ ロレタリア文学、そして魯迅について』、一橋大学機関リポジトリ。

小川晴久(1976)、「『王船山の詩論』―その『性の情』概念を中心に―」『日本文学』44/45 巻、pp.54-71。

小川利康(1990)、「五四時期の周作人の文学観―W・ブレイク、L・トルストイの受容を 中心に―」『日本中国学会報』42号、pp.227-241。

小川利康(2002)、「周作人と清華園の詩人達―『小詩』ブームの波紋」『文化論集』第20 号、pp.187-202。

小川利康(2013)、「周氏兄弟の思想的時差――白樺派・武者小路実篤の影響を中心に」『周 作人と日中文化史』、勉誠出版、pp.34-50。

亀井俊介・川本皓嗣編(1933)、『アメリカ名詩選』、岩波文庫。

川名澄訳(2009)、『タゴール詩集 迷い鳥』、風媒社。

韓玲姫(2011)、「周作人の『小詩論』―小詩運動と俳句の影響を中心に―」『国際文化表現 研究』第7号、pp.191-208。

韓玲姫・綿抜豊昭(2012)、「小林一茶の虫の句に見る作品世界:蚊,蚤,蠅をめぐって」『図

書館情報メディア研究』第10巻2号、pp.19-28。

菊池秀明(2005)、『ラストエンペラーと近代中国:清末中華民国』、講談社。

厨川白村(1914)、『文藝思潮論』、大日本図書株式会社。

倉石武四朗(1956)、『中国文学史』、中央公社論。

荊瑶(2014)、「俳句と漢俳:『漢俳首選集をめぐって』」『立教大学日本文学』第 111 巻、

pp.287-293。

剣持武彦(1992)、『「間」の日本文化』、朝文社。

呉衛峰(2009)、「白話か文言か:日本古典詩歌の中国語訳について(その二)―周作人の 場合―」『東北公益文科大学総合研究論集』第17号、pp.41-52。

呉紅華(2005)、『周作人と江戸庶民文芸』、創土社。

呉紅華(2013)「周作人の書簡体散文と文人尺牘」『周作人と日中文化史』、勉誠出版、

pp.111-123。

佐藤普美子(2016)、「1920年代的中国新詩与日本近代史詩歌的関係 : 以周作人与馮乃超 為例」『駒澤史学』第85号、pp.141-154。

佐藤和夫(1987)、『俳句からHAIKUへ―英米における俳句の受容―』、南雲堂。

島津彰(2015)、「『障がい』と『差別』に関する一考察―『障害者差別解消法』と『小林 一茶の俳句』―」『北翔大学北方圏学術情報センター年報』第7巻、pp.59-72。

朱実(2000)、「俳句と漢俳の交流―その現状と展望」『岐阜経済大学論集』第34巻第1号、

pp.1-11

蘇徳昌(2000)、「中国人の日本観――魯迅」『奈良大学紀要』第28号、pp.1-19。

田中俊一(1957)、「一茶俳諧に於ける人間性」『人文論究』第8巻第2号、pp.88-105。

高橋みつる(1996)、「中国近代における人力車夫文学について(上)」『愛知教育大学研究 報告』第45巻、pp.47-54。

高橋みつる(2001)、「白話詩における人力車夫」『愛知教育大学研究報告』第50巻、pp.225-232。

津田左右吉(1964)、『文学に現はれたる国民思想の研究(七)』、岩波書店。

鄭恵(2011)、「五四前後における周作人のヒューマニズム『人の文学』の考察を中心に」

『言葉と文化』第12号、pp.67-81。

鳥谷まゆみ(2008)、「周作人新詩の位相―1919年を中心に―」『中国文学論集』第37号、

pp.141-154。

永田小絵(2007)、「中国翻訳史における小説翻訳と近代翻訳者の誕生―前編―」『翻訳研

究への招待』、pp.69-78。

芳賀矢一(1908)、『国民性十論』、富山房。

潘秀蓉(2002)、「『徒然草』と周作人―その特異な訳文をめぐって―」『和漢比較文学』第 29号、pp.67-79。

潘秀蓉(2010)、「周作人における川柳の翻訳と紹介」『東アジア比較文化研究』第10号、

pp.63-79。

潘秀蓉(2014)、「周作人における狂言の翻訳と紹介」『日本研究教育年報』第18号、pp.97-107。

東山拓志(2009)、『日本の近代文学と中国の新文学―比較考察の一側面―』、萌動社。

松浦友久(1984)、「中国古典詩における詩型と表現機能 ―詩的認識の基調として―」『中 国詩文論叢』、pp.1-29。

由井志津子(1989)、「雑誌『詩』の試み」『お茶の水女子大学中国文学会報』第8号、pp.75-91。

欒殿武(2001)、「漱石と魯迅における中国古典文学の文学感情の形成について」『千葉大学 社会文化科学研究』第5巻、pp.11-21。

李鐘振(2004)、「比較文学の観点から見た韓国・日本・中国近代文学の特徴」『グローバル 化時代の多元的人文学の拠点形成』(辛夏寧訳)、京都大学大学院文学研究、pp.393-405。

李冬木(2012)、「明治時代における『食人』言説と魯迅の『狂人日記』」『佛教大学文学部 論集』第96号、pp.103-126。

劉雨珍(1995)、「小詩運動」『日中文化交流史叢書6』、大修館書店、pp.115-121。

劉岸偉(2011)、『周作人伝』、ミネルヴァ書房。

<中国語>

氷心(1923)、『春水』、新潮社。

陳独秀(1916)、「一九一六年」。(編集委員会編、『民国叢書第一編92―独秀文存巻一』、上 海書店、1989年、pp.41-47に収録)

陳独秀(1917)、「文学革命論」『新青年』第2巻第6号。(編集委員会編、『民国叢書第一編 92―独秀文存巻一』、上海書店、1989年、pp.135-140に収録)

常春編(1996)、『周作人日記』、大象出版社。

成倣吾(1923)、「詩之防御戦」『創造週報』第1号、泰東図書局、pp.2-12。

郭沫若(1923)、「郭沫若致洪為法」『心潮』第1卷2期、民智書局、p.32。

郭沫若(1982)、『郭沫若全集』文学編第1卷、人民文学出版社。

ドキュメント内 中国における俳句の受容と展開に関する研究 (ページ 148-161)