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世界的文学観から人の生活を表現できる文学翻訳へ

第 1 章 中国の近代化過程における文学革命と周作人の文学活動

3. 近代国家への模索:辛亥革命から文学革命へ

4.1 帰国後の周作人と張勲復辟事件

4.2.4 世界的文学観から人の生活を表現できる文学翻訳へ

害し、人類の平和を破壊するものでもあり、一切排斥すべきものであった。

からである。従って、我々は時代のみを取り上げて考慮し、中国と外国とを分けるべきで はない54。(筆者訳)

周作人はここで、再び人間は平等であることについて議論を展開し、自分から他人とは っきりした境界線を引く必要はないことを力説した。その理由として、個人は人類の一員 であるため、「共に感覚や感情を備えている」ことを挙げ、中国と外国の文学を取り上げる 際、諸国の地理的・歴史的差異を無視し、それぞれの時代的差異だけを考慮すれば充分だ と主張した。逆に言えば、彼は「時代」という名のもとに、世界各国の文学の差異ではな く、同一性を志向する必要性を主張したと言えよう。

それでは、なぜこのように世界各国の文学の同一性を論じる必要があるのか。周作人は この論稿末尾で以下のように述べている。

我々が偶々創作する場合、自ずと見聞確かな中国の方に偏することがあろうが、それ以外 の大多数は外国の著作を紹介訳述する必要があり、読者の精神的な視野を広め、世界の人 類を目のあたりにして、人の道徳を養い、人の生活を実現するようにしなければならない55

(筆者訳)

周作人は「人の文学」を実現するためには、人の生活を表現できる文学作品の創作及び 外国文学の翻訳が必要と考えていたのである。そして「大多数」という言葉を使っている ことから分かるように、彼は外国文学の翻訳に大いなる希望を抱いたことが窺え、だから こそ自身も翻訳を行ったのである。また、彼による世界文学の同一性の提唱は、当時の人々 に外国文学を受け入れさせるためであると考えられる。

このように、周作人は「人の文学」において、人間の霊肉一致の立論から人道主義の表 現としての新文学の建設を提唱した。さらに、西洋文学が「人の文学」たるものが多いの に対して、中国の古典文学作品には遊戯的・誇張的なものが多く、いずれも「人の文学」

の条件を満たしていないことを指摘した。結局、これまでの中国文学には見出せない「人 の文学」を条件とする彼は、人の生活を表現できる外国文学の翻訳に大いなる希望を託し たのである。

周作人による「人の文学」の提唱の背景には、新文化運動期に胡適、陳独秀らが提唱し た文学革命、つまり中国由来の文化を否定し、西洋文明の積極的な導入を呼びかけたこと

が考えられる。周作人も彼らに感銘を受け、これまでの中国の古典文学を強く批判し、新 文化運動が掲げた反封建という課題を文学の分野に持ち込んだと言えよう。結果として、

彼が提唱した人道主義の文学には、人類の平等・解放を求めるべきという新文学の社会的 効用論の色彩を帯びるように思われ、また、「人の文学」の提唱につながる彼の翻訳観にも、

一種の社会的効用論を帯びざるを得なかったように思われる。

要するに、新文学を志す周作人は、「人の文学」において、中国の古典文学の一面を厳し く批判するとともに、人類の平等・解放を求める新文学の創作及び外国文学の翻訳を提唱 した。彼のそのような考えは、1910年代後半の中国の社会的激動の中で、封建的儒教倫理 から人間を解放することを意味し、文学を通して厳しい現実と抗争しようとしたのではな いだろうか。

4.3 「平民の文学」における新文学の定義

「人の文学」における新文学の提唱にあたって、周作人は何について創作すべきかを論 じたが、具体的に如何に創作すべきかについては、充分に説明していない。「人の文学」を 書いた13日後の1918年12月20日に、周作人は論稿「平民の文学」を著し、その中でも 新文学のあるべき姿について論述している。ここでは「平民の文学」を取り上げ、引き続 き周作人の提唱した新文学の概念を考察したい。

4.3.1 「平民の文学」と「貴族の文学」についての解説

「平民の文学」の冒頭において、周作人は「平民文学という四つの文字は、字面から誤 訳しやすいため、解説してから紹介しなければならない」(筆者訳)と述べ、対照的に「貴 族の文学」という概念を提出した。なぜこのような分類が必要なのか。彼はそれについて 以下のように解説している。

平民の文学は貴族の文学と正反対である。この二種類の名詞にこだわり過ぎてはいけない。

我々が言う貴族的であれ平民的であれ、これらの種類の文学は、それぞれ貴族或は平民に 読ませるために創作させたわけではない。貴族或は平民の生活、貴族或は平民のしたこと のみを描いたものでもない。ただここから文学の精神の区別、つまり普遍的か否か、真摯 か否かを引き出すだけである56。(筆者訳)

ここから、周作人が取り上げた「平民の文学」と「貴族の文学」は正反対であるものの、

決してそれぞれ平民或は貴族のために創作された文学を指すものではないことが分かる。

つまり、平民文学は、平民だけに読ませるものではなく、平民の生活を記録するものであ る。彼は文学の目的を論じることにより、「貴族の文学」と「平民の文学」の違いが精神の 面において「普遍的か否か、真摯か否か」という点にあると論じている。

4.3.2 「貴族の文学」としての古典文学への批判

周作人は「平民の文学」と「貴族の文学」の精神上の違いについて説明した上で、「貴族 の文学」の欠点について、「貴族文学の形式上の欠点として、部分的で、修飾的で、享楽的 あるいは遊戯的であることが挙げられ、これらがまた貴族文学の内容上の欠点でもある」

(筆者訳)57と述べている。彼がここで「貴族の文学」に対して持ち出した「部分的で、

修飾的で、享楽的あるいは遊戯的である」という言い方には「人の文学」時の認識を引き 継いでいる。既に述べたように、「人の文学」において、彼が「人の文学」と「非人の文学」

の相違を作者の異なる創作態度に求め、「非人の文学」とされる古典文学の創作態度につい て論述を展開した際に持ち出したキーワードは「遊戯」である。

なぜ周作人は「遊戯」という言葉への執着が強かったのだろうか。それは、文学革命以 前の中国の文人の文学への認識と深い関わりがあると考えられる。例えば、当時上海の商 務印書館に勤務し、『小説月報』の編集者である茅盾は、後の1921年1月の「文学与人的 关系及中国古来対文学者身份的誤認」において、中国で代々継承されてきた文学観は、古 来の聖賢に代わって勧善懲悪を説くための道具か、単なる暇つぶしの遊びかと指摘してい る58。さらに、世農も同様に、同年の6月に文学研究会の機関誌となる『文学週報』にお いて「現在中国創作界的両件病」を発表し、以前の所謂文学者の創作行為は、不真面目で 暇つぶしの遊びであったと述べている59

このように、茅盾と世農は、周作人の古典文学の創作態度についての論述からさらに一 歩進んで、文学革命以前の中国の文人の文学観が遊戯的であったと指摘した。後に茅盾と 世農は周作人が打つ出した「遊戯」と同じ主張をしていたことからも分かるように、中国 の古典文学の中には、遊戯という要素が含まれているのは間違いないであろう。また、茅 盾らに先行する「平民の文学」におけるの周作人の古典文学についての議論は、当時の知 識人に受容されたと考えられる。周作人が「遊戯」という言葉を繰り返し使ったのは、彼 がこの言葉が古典文学を攻撃するための決め手だと考え、その遊戯的側面を強調すること

で攻撃し、それまでと異なる要素をそなえる新文学を築き上げるための手段としたと考え られる。