第 5 章 対人関係からみる日中ポライトネス意識Ⅱ
5.5 日本語教育への示唆
本章では、JN と CL のポライトネス意識及び CL のポライトネス表現の使用実態に関する アンケート調査を行った。調査を通して、ポライトネス表現の実際の使用状況を把握する とともに、日中両言語におけるポライトネス意識の差異から、CL の日本語のポライトネス 意識、および日本語ポライトネス表現の使用に存在する問題点を明らかにした。ここでは、
本章の研究結果・考察に基づき、日本語教育に対する示唆を述べる。
本章での分析により、上級日本語学習者は文法に関して、間違いが少なく、文法の知識 に大きな問題はないことが分かった。
しかし、日本語のメール内容を訂正させたところ、中国人上級日本語学習者の訂正文に は、運用上の誤用が数多く見られた。
日本人母語話者は「恩恵意識」を持ち、「ていただく」や「~(さ)せていただく」のよ うな表現の使用によって、相手と自分との「恩恵関係」をはっきり示した。他方、CL は、
このような「恩恵行為に対する配慮意識」の低さから、このような構文を正しく使用でき ず、日本人母語話者に「自己中心」と感じさせる表現を多く用いた。
中国での日本語教育は、かなり早い段階で「~(さ)せる」構文を導入している。例え ば、中国で広く使われている代表的な日本語専攻用の教科書『新編日語』と『大学日語』41 において、「~(さ)せる」構文は、前者では初級後半(第 2 学期)の第 12 課で、また後 者では第 10 課で導入されている。
『新編日語』においても解説の部分で「(さ)せる」は中国語の使役のマーカーである“叫、
让、使”に相当する」という情報が明示されている。『大学日語』では、文法解説の部分で そのような情報は明示されていないが、提示された例文に中国語訳が付けられているため、
間接的にそのような情報が示されていると言える。 例えば、『新編日語』(p.273)では「さ せる」構文が「主语让(叫)别人做某事(主語が他人にことをやらせる)」というふうに解 釈されている。『大学日語』には「先生が学生に本を読ませます。(老师让学生读书)」とい う例文が提示されている。もちろん、文法記述をする上で中国語の表現を生かして説明す るあるいは提示された例文に中国語訳をつけることは、学習者の日本語使役表現の理解促 進につながるだろう。しかし、それらの場合、中国語の使役表現との違いに気付かせるよ うな説明を補足しないと、中国語の「让、叫、使」のような命令を出す用法と日本語の「(さ)
せる」が完全に対応すると思い込み、負の転移を誘発する可能性もある。また、「~(さ)
せる」構文に含まれている運用上の「恩恵意識」については、『新編日語』では全く言及さ
41周平・陈小芬(2009)『新編日語』上海外語教育出版社、孟广德(2004)『大学日語(第2 版)』大連理工大学出版社。
れていない。さらに、「させる」構文だけでなく、殆どの構文を説明するとき、文法上の説 明が相当詳しく行われているのに対して、待遇的意味や用法は全く説明されていない。
文型や文法の知識は、表現の要素というコミュニケーションを支える基本的なものであ るが、より円滑なコミュニケーションを行うためには、単なる文法知識を積み上げるだけ ではなく、コミュニケーション能力の育成という観点から、ポライトネス表現の導入を取 り入れることも必要であろう。
日本語教育で取り上げられる項目の中で、敬語は、上級レベルの学習者には重要かつ難 しい項目として認識されている。敬語は、言語形式と言語表現の丁寧さに視点をおいたも のであるのに対して、ポライトネスは言語機能を実現するためのストラテジーに視点をお いたものである。一見、次元を異にする概念であるが、中国人日本語学習者の語彙や文法 能力が高くなればなるほど、コミュニケーション能力の中でポライトネスに関する語用論 的知識が必要となってくることがわかった。しかし、以上で述べたように、中国における 日本語教育の問題点として、コミュニケーション能力を重視する日本語教育がまだ一般的 に普及していないことが挙げられる。CL にとって、日本語の敬語をきちんと使いこなせる ようになるには、文法能力だけでは足りず、話し手と聞き手との関係や、「表現内容」「表 現意図」など様々な要素を判断し、それに応じる能力が必要である。しかし、中国の大学 における日本語教育では、依然として文法教育一辺倒の状況が続いている。もちろん、日 本語教育において文法能力は重要な教育内容であるが、同時に、さまざまな場面において、
効果的、かつ適切に対処できるコミュニケーション能力も日本語教育において重要な教育 になる。
加納・梅(2002)によると、中国における日本語教育では、よく「三教」が重要であると 言われている。三教とは、「教師」「教科書」「教授法」のことである。とくに教科書に対す る考え方は、ここ数年、大きく変化してきているが、これまでの教科書の問題点として、
文法中心で、会話力や聴解力が養えない、或いは、日本の文化や社会に関する情報や日本 人の生活を書いたものが少ない、などが挙げられる。
学習者のコミュニケーション能力を養成するためには文法を中心とする教育方法から言 語の機能を中心とする教育方法に転換すべきである。このような転換を実現するためには、
ポライトネス教育の導入が必須となる。
CL は JN とコミュニケーションする際、日本語のポライトネス・ストラテジーの特徴と日 本人のポライトネス意識が理解できていない。そのため、「CL は、相手に好意を示し、丁寧 に接触しようとする意図の実現において、母語の干渉で語彙の翻訳や文法の語形に注目す る」傾向が見られた。この場合、相手のフェイスを脅かす行為になる危険性が高くなる。
そのため、ポライトネス・ストラテジーを中国の日本語の教育に導入することが検討され るべき時期に来ていると考える。