• 検索結果がありません。

5.6. 蓮華座と多仏化現の展開

5.6.3. 文殊経典の蓮華座

で は 、 文 殊 師 利 が 初 期 大 乗 経 典 か ら 蓮 華 座 に 関 わ っ て い た の か 、 と い う 視 点 か ら 古 訳 を 見 て み よ う 。

ま ず 、 文 殊 師 利 を 中 心 と し て 扱 う 経 典 を 、 『 大 乗 経 典 解 説 事 典 』 で は 経 典 内 容 の 特 徴 か ら 大 乗 経 典 を 種 別 化 し て 、 「 文 殊 部 」 と し て ま と

274 [T15. No. 626, 399c2022]

121

め て い る 。 し か し 、 経 典 と そ の 分 類 条 件 を 確 認 す る と 、 「 文 殊 部 」 に 含 ま れ る 「 文 殊 経 典 」 と い う 呼 称 は あ い ま い で あ る 。 そ こ で 、 経 題 の 中 か ら 文 殊 の 名 前 が 入 る 経 典 に 絞 る と

60

経 近 く に な る 。こ れ 等 の 経 典 に は さ ら に 異 訳 も 存 在 す る 。 ま た 、 経 題 に 文 殊 の 名 前 が な く と も 、 経 典 中 で 重 要 な 役 割 を 担 う 経 典 な ど も 存 在 す る 。 こ れ 等 の 中 で 、 比 較 的 原 初 的 な 文 殊 師 利 と 蓮 華 座 の 関 わ り を 把 握 す る た め 、 古 訳 中 で 文 殊 師 利 が 活 躍 す る 経 典 を 見 て み よ う 。

古 訳 を 訳 し た 人 物 即 ち 、 中 国 に 来 た 最 初 期 の 訳 経 者 で 重 要 な の は 安 世 高 と 支 婁 迦 讖 で あ る が 、 文 殊 師 利 は と く に 大 乗 経 典 の 訳 出 に 携 わ っ た 支 婁 迦 讖 訳 に 確 認 で き る 。

例 え ば 支 婁 迦 讖 訳『 仏 説 内 蔵 百 宝 経 』(

No. 807)( 147- 186

年 )は

「 大 乗 」 の 語 句 が 出 て お ら ず 、 二 乗 を 排 す る よ う な 文 言 も な い こ と か ら 、 き わ め て 古 い 製 作 と 思 わ れ る 経 典 と 指 摘 さ れ る275。 こ こ で は 釈 尊 の 面 前 で 、 文 殊 師 利 は 蓮 華 に 坐 っ て は お ら ず 、 た だ 「 坐 っ た 」 と の み 描 写 さ れ て い る 。 支 婁 迦 讖 訳 の 『伅眞 陀 羅 所 問 如 來 三 昧 経 』 、 『 文 殊 師 利 問 菩 薩 署 経 』 、 『 首 楞 嚴 三 昧 経 』276、 本 章 の 『 阿 闍 世 王 経 』 、 前 章 の『 兜 沙 経 』( い ず れ も

178- 189

年 訳 出277)に お い て 登 場 し て い る 。

275 静 谷[1974]p. 318. 内 容 的 に は 本 経 の 六 の 事 項 ( 仏 陀 が 世 間 に 随 順 し て 小 児 ・ 洗 足 ・ 入 浴 ・ 老 衰 ・ 父 母 ・ 妻 子 を 示 現 す る こ と ) が Mv に 引 用 さ れ て い る こ と か ら 、 古 く 説 出 世 部 に 説 か れ る 仏 陀 観 の 素 材 を 含 ん で い る 。本 経 の 成 立 は 大 雑 把 に 見 て 、小 品 般 若 の 同 時 代 か 、 そ れ 以 前 と 思 わ れ る 。 た だ し 、 「 無 所 従 生 法 楽 」 ( 無 生 法 忍 ) の 語 が み ら れ る こ と 、 文 殊 の 登 場 が 簡 単 に 描 か れ て い る こ と 、 会 座 の 菩 薩 衆 を 七 万 二 千 人 と す る こ と か ら 、 同 時 代 の 成 立 と 考 察 す る 。

276 支 婁 迦 讖 『 首 楞 嚴 経 』 は 現 存 せ ず 。 鳩 摩 羅 什 『 仏 説 首 楞 嚴 三 昧 経 』 を 参 照 し た 。

277 『 高 僧 伝 』[T50. 324b]に よ る と 、支 婁 迦 讖 は 漢 の 霊 帝 の 時 に 洛 陽 に 来 て 、光 和 中 平 の 間

178189年 )に 梵 文 を 伝 訳 し た 。安 世 高 が 主 に 小 乗 経 典 を 訳 出 し た の に 対 し て 、大 乗 経 典 を 主 に 訳 出 し た 。 平 川[1969]p. 7380.

122

注 目 す べ き 蓮 華 座 に 関 し て は 『伅眞 陀 羅 所 問 如 來 三 昧 経 』278、 『 阿 闍 世 王 経 』 で 光 の 蓮 華 と 化 身 が 、 『 文 殊 師 利 問 菩 薩 署 経 』279で は 「 即 欲 以 華 供 養 。 其 華 悉 化 作 佛 」280の 一 文 か ら 、 蓮 華 で は な い が 花 か ら 化 仏

278 花 が 傘 蓋 と な り 、 そ の 玉 飾 り か ら 光 明 が 出 て 蓮 華 と な り 、 釈 尊 の よ う な 化 仏 が 坐 し 、 語 り か け る 。 「 便 持 是 華 供 養 散 佛 上 。 其 華 於 佛 上 。 便 化 作 珍 寶 華 蓋 。 覆 蔽 千 佛 刹 。 其 華 蓋 者 。一 一 處 懸 億 百 千 珠 寶 。其 一 珠 光 明 出 億 百 光 明 。一 一 明 者 有 一 蓮 華 。其 色 若 干 其 香 甚 香 。 其 一 一 蓮 華 上 有 坐 佛 。如 釋 迦 文 」[T15. No. 624, 355 a25b1] 『 阿 闍 世 王 経 』の 表 現 と 類 似 し て い る 。

Drumakinnararājaparipṛcchā.サ ン ス ク リ ッ ト の 完 本 は な い が 、チ ベ ッ ト 訳 と 、鳩 摩 羅 什『 大 樹 緊 那 羅 王 所 問 経 』[T. No. 625]が あ る 。Harrison[1992]に よ っ て 同 経 典 で は 『 阿 闍 世 王 経 』 の 主 題 を 踏 ま え た 記 述 が み ら れ る と 指 摘 さ れ る 。 一 方 で 『 阿 闍 世 王 経 』 は Drumakinnararājaparipṛcchāに 言 及 さ れ て い な い こ と か ら 、『 阿 闍 世 王 経 』が 先 行 す る と み ら れ る 。宮 崎[2012]pp.1617. ま た 、同 経 が 支 婁 迦 讖 訳 か 否 か と い う 問 題 が た び た び 論 じ ら れ て き た 。平 川[1969][19891990]Zürcher [1992]pp. 277300. Harrison[1993] pp. 135–177.

村 上[1994]Nattier [2008]宮 崎[2012]の 研 究 か ら 9経 が 彼 の 訳 経 と さ れ る 。辛 嶋[2010]は『 眞 陀 羅 所 問 如 來 三 昧 経 』 、 『 阿 闍 世 王 経 』 は 語 法 か ら み て 支 婁 迦 讖 訳 と は 言 い 難 い と し て い る 。 確 か に 、 こ の 2経 は ほ か の 訳 と 異 な る 特 徴 が み ら れ る こ と か ら 、 真 正 の 翻 訳 で は な い 可 能 性 が 高 い 。 し か し 宮 崎 に よ る 比 較 研 究 か ら 両 者 は 、 成 立 過 程 や 流 布 の 段 階 に お い て も 緊 密 な 関 係 が 確 認 で き る の で 、 支 婁 迦 讖 訳 を の ち に 改 訳 し た と 考 え る の が 妥 当 で あ る 。 Miyazaki [2007] pp. 11011105.

279 静 谷[1974]は 本 経 を「 奇 妙 な 経 で あ る 」と 評 し て い る 。こ こ で 、文 殊 師 利 の 名 は 経 題 に 上 が っ て い る が 、 文 殊 師 利 の 活 躍 は 一 切 見 ら れ ず 、 冒 頭 に 登 場 す る の み で あ る 。 特 徴 と し て は 27名 の バ ラ モ ン が 次 々 と 現 れ 釈 尊 に 質 問 を し て い る 。語 句 を 見 る と 、「 摩 訶 衍 」「 摩 訶 僧 那 僧 涅 」 が 出 て く る が 、 「 無 生 法 忍 」 「 陀 羅 尼 」 は 出 て こ な い 。 こ の こ と か ら 、 小 品 般 若 が 編 纂 さ れ つ つ あ っ た 時 期 に お い て 、 バ ラ モ ン が 尊 敬 さ れ て い た 社 会 的 背 景 の も と 作 成 さ れ た の だ ろ う と 指 摘 す る 。 本 経 は 文 殊 を 崇 拝 す る グ ル ー プ で 、 あ ま り 仏 教 的 伝 統 に こ だ わ ら な い 人 々 に よ っ て 受 持 さ れ て い た と 推 測 す る 。

280 「 有 婆 羅 門 、 名 曰 惟 耆 先 。 白 佛 。 我 齎 華 持 、 到 婆 羅 門 神 祠 、 入 門 見 怛 薩 阿 竭 。 飛 在 虚 空 中 而 住 。 其 佛 問 我 。 持 是 華 給 何 所 。 即 應 言 。 欲 以 上 神 。 其 佛 言 。 有 怛 薩 阿 竭 。 號 曰 天 中 天 。 可 以 華 供 養 上 之 。 所 以 者 何 。 因 是 可 有 功 徳 。 而 到 阿 耨 多 羅 三 耶 三 菩 。 便 可 逮 得 阿 耨 多 羅 禪 。即 欲 以 華 供 養 。其 華 悉 化 作 佛 。悉 紫 磨 金 色 、其 光 七 尺 、三 十 二 相 種 好 悉 具 」[T14. No.

458, 440c26441a3]

123

が 生 じ て い る こ と が 確 認 で き る281

ま た 、 訳 出 年 が や や 遅 れ る が 、 注 目 す べ き 文 殊 部 の 初 期 大 乗 経 典 に

〈 維 摩 経 〉 が あ る 。 同 経 は

A.D. 150

年 頃 に は 成 立 し て お り 、『 首 楞 嚴 三 昧 経 』 と の 菩 薩 の イ メ ー ジ や 、 活 躍 内 容 が 維 摩 (

Skt. Vimalak īrti)

と 近 似 性 が み ら れ る と 指 摘 さ れ る282

こ こ で は 仏 国 品 第 一283に お い て 、 娑 婆 世 界 が 穢 土 で あ る こ と を 嘆 く 舎 利 弗 に 、 釈 尊 が 地 を 足 の 指 で 押 さ え て 神 足 を 現 し 、 荘 厳 さ れ た 仏 国 土 の よ う な 様 子 を 見 せ る 。 そ の 時 、 大 衆 は み な 宝 蓮 華 に 自 ら が 坐 る の を 見 る 。 こ れ は 『 阿 闍 世 王 経 』 の ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 宮 殿 内 で の

「 文 殊 師 利 の 神 変 」 と 通 じ る も の が あ る 。 一 方 で 、 こ の 国 土 が 本 来 清 浄 で あ る こ と を 示 し 、 保 守 的 仏 教 に 対 す る 批 判 的 立 場 が と ら れ て い る 点 も 看 取 さ れ る 。 こ の よ う に 『 阿 闍 世 王 経 』 と は 相 反 す る 国 土 観 を 持 っ て い る 。 〈 維 摩 経 〉 か ら も 神 通 を 現 す 時 、 蓮 華 の 座 所 が 現 出 す る こ と が 確 認 で き る 。

5 . 7 『 阿 闍 世 王 経 』 か ら み た 蓮 華 座 の 成 立 時 期 5 . 7 . 1 『 阿 闍 世 王 経 』 と 〈 般 若 経 〉 の 成 立 時 期

〈 般 若 経 〉 で 、 大 品 系 に 小 品 系284が 先 行 す る と さ れ る 点 は 菩 薩 乗 理 解 に あ る 。 小 品 系 は 菩 薩 乗285を 声 聞 ・ 辟 支 仏 ・ 仏 乗 、 と 三 種 の 言 葉 で 説 明 し て お り 、菩 薩 乗 を 含 ん だ 三 乗 や 、三 乗(

yāna-traya)

286と い う 語

281 一 方 で 、 文 殊 師 利 が 活 躍 す る 『 首 楞 嚴 三 昧 経 』 で は 複 数 の 座 を あ げ る が 蓮 華 座 は 一 切 登 場 し な い 。 「 我 等 、 今 當 爲 佛 如 來 、 敷 師 子 座 、 正 法 座 、 大 上 人 座 、 大 莊 嚴 座 、 大 轉 法 輪 座 。 當 令 如 來 於 我 此 座 、 説 首 楞 嚴 三 昧 」[T15. No. 642, 630b1315]

282 高 崎[1993]pp. 2526., pp. 395398.

283 支 謙 訳 「 譬 如 衆 寶 羅 列 淨 好 、 如 來 境 界 。 無 量 嚴 淨 、 於 是 悉 現 。 一 切 魔 衆 、 歎 未 曾 有 。 而 皆 自 見 、 坐 寶 蓮 華 」[T14. No. 474, 520c911]

284 本 論 で は 『 金 剛 般 若 経 』 も 考 察 対 象 と し た 。 同 経 の 成 立 時 期 を 小 品 系 に 先 立 つ 原 始 般 若 経 と す る 中 村 氏 、静 谷 氏 の 説(A.D. 1100 年 頃 )を と る 。平 川 氏 は 特 に こ の 問 題 に つ い て 言 及 せ ず 、 コ ン ゼ は A.D. 300年 頃 と し て い る 。 梶 山[1995] pp. 45. 同 経 に は 光 の 蓮 華 湧 出 と 化 仏 ・ 菩 薩 の 説 法 は 現 れ な い 。

285 「 仏 乗 」 は 小 品 『 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 経 』 に 一 カ 所 の み 現 れ る 。 渡 辺[1997]p. 122.

286 AS「 塔 品 」 に の み 確 認 で き る が 、 対 応 す る 漢 訳 の 対 応 箇 所 は す べ て 欠 け て い る こ と か ら 、 後 代 の 文 献 に よ っ て 影 響 さ れ た も の か も し れ な い 。 渡 辺[1997]p. 124.

124

は ま だ 確 立 し て い な い 。 大 品 系 も 三 種 の 菩 薩 乗 と い う 考 え 方 は 共 通 す る が 、三 乗 の 最 後 を 見 て み る と 、『 放 光 般 若 』は「 菩 薩 仏 乗 」、

PV

「 菩 薩 乗 」 と し て い る 。 小 品 か ら 大 品 へ と 後 代 の 三 乗 の 観 念 の 構 築 過 程 が う か が え る 。

渡 辺

[1997]は 〈 般 若 経 〉 の 成 立 と 展 開 を 大 別 す る と 、( 1

) 原 始 般 若 経 の 形 成(

B.C. 100

年 -

A.D. 100

年 )(

2)経 典 の 増 広 期( A.D. 100

300

年 ) (

3) 教 説 の 綱 要 化 と 韻 文 化 の 時 期 ( A.D. 300

年 -

500

年 )

4) 密 教 化 の 時 期 ( A.D. 500

年 -

1200

年 ) と な る 。 小 品 系 は (

1) の

時 期 の 成 立 で あ り 、 大 品 系 は (

2) の 時 期 に 小 品 を 核 に 増 広 さ れ た 。

「 大 品 般 若 経 の 神 変 」 が 『 阿 闍 世 王 経 』 の 「 文 殊 師 利 の 神 変 」 に 遅 れ る こ と は す で に 確 認 し た 。 次 に そ の 上 限 を 探 る う え で 、 小 品 系 の 成 立 を 見 る と 、『 阿 闍 世 王 経 』訳 出 年 は(

2)の 時 期 に 重 な っ て お り 、小

品 系 よ り や や 遅 れ る 時 代 の も の で あ ろ う 。

静 谷

[1974]は 大 品 系 般 若 経 に つ い て 、 時 代 背 景 を 加 味 し た う え で 以

下 の よ う に 考 察 す る 。

「 『 大 品 般 若 』 は 『 小 品 』 に 比 べ る と 、 き わ め て ア ビ ダ ル マ 的 で あ り 、 多 数 の 三 昧 、 種 々 の 陀 羅 尼 を 盛 ん に 説 き 小 乗 ア ビ ダ ル マ の 述 語 や 思 想 を 使 用 し て 、 般 若 空 を 根 柢 と す る 大 乗 菩 薩 道 の 体 系 を 組 織 し よ う と し た も の で あ り 、 そ れ だ け 専 門 的 ・ ア ビ ダ ル マ 的 ・ 出 家 仏 教 的 な 傾 向 を 帯 び て い る 。287

し た が っ て 、 こ の よ う な 経 典 が 生 ま れ る 前 提 と し て 、 出 家 菩 薩 を 中 心 と し た 、 か な り 有 力 な 大 乗 教 団 の 出 現 が 考 え ら れ る288。 そ し て 、

「 こ の よ う な 大 乗 教 団 の 出 現 は 二 世 紀 後 半 に 入 っ て か ら と 思 う の で 、 『 大 品 般 若 』 成 立 の 最 も 可 能 性 の 多 い 年 代 は 世 紀

200

年 頃 と 考 え て お き た い 。 」

こ れ ら の 考 察 か ら も 把 握 で き る よ う に 、 大 品 系 の 創 出 さ れ た

A.D.

100

年 頃 を 上 限 に 『 阿 闍 世 王 経 』 訳 出 時

A.D. 180

年 頃 ま で に 文 殊 師 利 の 神 変 、 即 ち 化 身 の 座 所 と し て 蓮 華 座 が 採 用 さ れ た と み て よ い で あ ろ う 。

287 静 谷[1974]p. 354.

288 平 川[2011]p. 374、静 谷 上 掲 書 p. 267、大 南[1974a]p. 400. 平 川[1970]は『 阿 闍 世 王 経 』 冒 頭 で 文 殊 師 利 が 二 十 五 人 の 上 人 と と も に 山 に い る こ と か ら 、 文 殊 師 利 は 釈 尊 の 教 団 と 別 の 活 動 を し て い た 出 家 の 菩 薩 で あ り 、 実 在 し た 人 物 で あ る 可 能 性 を 示 唆 す る 。 ま た 、 よ り 踏 み 込 ん で 文 殊 師 利 を 上 首 と し て 、 首 楞 嚴 三 昧 を 行 法 と す る 出 家 の 菩 薩 団 が 存 在 し た 可 能 性 を 推 測 し て い る 。

125

5 . 7 . 2 『 阿 闍 世 王 経 』 の 発 達 か ら み た 蓮 華 座 登 場 の 時 期

本 論 で 扱 う 文 殊 に よ る 光 の 蓮 華 と 化 仏 湧 出 の 場 面 は 三 章 ( 同 : 擧 鉢 品 、 同 :

8

節 ) に 相 当 す る 。 四 章 以 前 の 部 分 は 、 五 章 か ら 十 章 に か け て の 部 分 と 比 較 し て 、 編 纂 者 が よ り 大 乗 の 自 覚 を 明 確 に 持 ち 始 め た こ と を 示 す 。四 章 以 前 の 部 分 で は 二 乗 を 捨 て 去 る べ き 対 象 と し て い る が 、 五 章 か ら 十 章 の 部 分 で は 二 乗 に 対 す る 菩 薩 の 優 位 性 が 説 か れ て は い る も の の 、 二 乗 に 対 し て 否 定 的 、 批 判 的 で は な い 。 反 し て 三 章 ( 退 転 し そ う な 菩 薩 た ち の 登 場 ) と 四 章 ( 二 乗 に よ る 涅 槃 よ り も 無 上 正 等 覚 を 目 指 す 事 / 声 聞 の 前 世 譚 ) で は 、 二 乗 が 捨 て ら れ る べ き も の で あ る と い う 主 題 に の っ と っ て 物 語 ら れ て い る 。 こ の よ う な 二 乗 に 対 す る 意 識 の 違 い が 明 瞭 に 見 ら れ る 。

つ ま り 、 蓮 華 座 登 場 の 時 期 は 核 と な っ た 大 乗 経 典 と し て 比 較 的 古 層 の 五 章 か ら 十 章 の 部 分 と 、 明 確 に 大 乗 へ 言 及 す る 一 章 か ら 二 章 の 部 分 の は ざ ま に 位 置 す る 、 変 動 期 に 移 入 さ れ た289