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支 婁 迦 讖 訳 の『 阿 闍 世 王 経 』(

178- 189

年 訳 出223)は

Tib

の 表 題224 か ら 「 ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 後 悔 を 除 く 」 こ と が 主 題 と わ か る 。 こ

218 「 東 方 極 遠 不 可 計 佛 刹 有 佛 。 佛 名 、 阿 逝 墮 。 其 刹 名 、 訖 連 桓 。 文 殊 師 利 菩 薩 、 從 是 刹 來 、與 菩 薩 倶 。數 如 十 方 刹 塵 。皆 前 爲 佛 作 禮 、各 各 於 自 然 師 子 座 交 路 帳 中 坐 」[T10. No. 280, 445b1619] こ れ に 対 し 『 阿 闍 世 王 経 』 の 部 分 訳 に あ た る 『 放 鉢 経 』 は 、 冒 頭 で 文 殊 師 利 が 会 衆 の 中 に 居 た 菩 薩 と し 、 『 阿 闍 世 王 経 』 及 び そ の 異 訳 で は 、 山 中 で 上 人 た ち と と も に い た と あ る 。 し か し 同 経 の 五 章 末 に お い て 、 ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 招 待 を 受 け た 文 殊 師 利 は 、 よ り 多 く の 人 々 に 喜 ん で も ら う た め 、 自 分 の 仲 間 に 他 の 仏 国 土 の 菩 薩 た ち も 加 え よ う と 考 え た 。 そ こ で 、 瞬 く 間 に 東 方 の 常 名 聞 と い う 仏 国 土 へ 到 り 、 そ こ の 惟 浄 首 と い う 仏 に 許 し を 得 て 、 二 万 二 千 の 菩 薩 の 集 団 を 引 き 連 れ て 娑 婆 世 界 へ 戻 っ て き た 。

219 佐 藤[1976]p. 145. の み が こ の 名 に 言 及 し 、文 殊 師 利 と 考 察 し て い る 。安 玄『 法 鏡 經 』[T12.

No. 322, 15b7]「 慈 氏 、 敬 首 」 と あ る こ と か ら 、 支 謙 は こ の 影 響 を 受 け た 可 能 性 が あ り 、 弥 勒 と 併 記 さ れ た 文 殊 の 名 と 理 解 で き る 。

220 [T9. No. 278, 423a414]

221 『 仏 説 文 殊 師 利 淨 律 経 』[T. No. 460]、 『 仏 説 文 殊 師 利 現 宝 蔵 経 』[T. No. 461]

222 光 川[1990]pp. 2324. 氏 は 『 阿 闍 世 王 経 』 で も 東 方 か ら 八 万 二 千 の 菩 薩 を 連 れ て 文 殊 師 利 が 来 た 。 と 言 及 さ れ て お ら れ る が 、 該 当 箇 所 の 文 意 は 、 文 殊 師 利 が 東 方 の 八 万 二 千 の 仏 国 土 を 過 ぎ て 、 そ の 仏 国 土 へ 行 っ た 。 と 、 と る べ き で あ ろ う 。

223 『 高 僧 伝 』[T50. 324b]に よ る と 、支 婁 迦 讖 は 漢 の 霊 帝 の 時 に 洛 陽 に 来 て 、光 和 中 平 の 間

178189年 )に 梵 文 を 伝 訳 し た 。安 世 高 が 主 に 小 乗 経 典 を 訳 出 し た の に 対 し て 、大 乗 経 典 を 主 に 訳 出 し た 。 平 川[1969]p. 7380.

224 Ḥphags-pa ma-skyes-dgraḥi ḥgyod-pa bsal-ba shes-bya-ba theg-pa chen- poḥi mdo. [D. No.

216, 211b268b]

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の 主 題 に 文 殊 師 利 は ど の よ う に 関 わ っ て い る の だ ろ う か 。

こ の ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 説 話 は 、 彼 が 釈 尊 に 父 王 を 謀 殺 し た こ と に よ る 怯 え 、 不 安 、 不 眠 か ら 懺 悔 を し た こ と に よ っ て 救 済 さ れ る 内 容 で 、 『 沙 門 果 経 』225や ジ ャ ー タ カ226に 説 か れ て い る 。 そ こ で の 王 は 懺 悔 を し た こ と で 自 ら の 善 根 を 掘 り 起 こ し 、 安 眠 を 得 る 。 し か し 、 一 方 で 「 父 殺 し さ え し て い な け れ ば 法 眼 を 得 ら れ た で あ ろ う 」 と 、 負 の 一 面 に つ い て も 簡 潔 に 結 論 す る 。 こ れ に 対 し 、 同 様 の 主 題 を 伝 え る 北 伝 の 『 寂 志 果 経 』 (

T. No. 22

) に お い て は 、 懺 悔 に よ っ て ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 罪 が 軽 減 し 、 法 眼 を 得 て 不 退 転 の 位 を 得 た と す る 。 さ ら に

『 増 一 阿 含 経 』 で 彼 は 、 見 道 に 依 ら ぬ 「 無 根 の 信 」 を 得 た と 記 さ れ 、 段 階 を 経 て 発 達 し て い る こ と が 解 る227

さ て 、 こ の 逸 話 中 の 釈 尊 の 役 割 ( 不 安 の 除 去 ) を 『 阿 闍 世 王 経 』 は 文 殊 師 利 が 担 っ て い る 。 同 経 の 古 層 は 王 の 懇 願 に 始 ま り 、 文 殊 師 利 の 三 夜 に 及 ぶ 三 種 の 説 法 を 経 て 、 ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 帰 依 で 終 わ る 構 成 で あ る 。 『 阿 闍 世 王 経 』 が 当 初 か ら 文 殊 師 利 の 活 躍 に 主 眼 を 置 い て い た こ と が 解 る 。

こ こ で 文 殊 師 利 は 次 の よ う に 発 言 を し て い る 。 「 ガ ン ガ ー 河 の 砂 の 数 ほ ど の 仏 で も 、 あ な た の 不 安 を 解 く こ と は で き な い 」228そ し て 驚 怖 す る ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 に マ ハ ー カ ー シ ャ パ が「 恐 れ る こ と は な い 。 文 殊 師 利 は 漚 和 拘 舍 羅(

upāya-kauśalya:善 巧 方 便 )の 甚 深 に 入 っ て い

る か ら こ の よ う に 言 っ た の だ 」229と 宥 め て お り 、 文 殊 師 利 の 殊 勝 性 と 勝 れ た 弁 才 を 明 ら か に す る 。そ れ と 同 時 に 、王 自 身 が 変 わ ら な け れ ば 、 安 眠 を 得 る こ と は 不 可 能 で あ る と 意 識 さ せ て い る 。

同 経 で は ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 罪 は 浄 化 さ れ る が 、 地 獄 に は 落 ち

225 DN. I, No. 2, Sāmaññapharasutta. 仏 陀 耶 舎 ・ 竺 仏 念 訳 『 長 阿 含 経 』27経 「 沙 門 果 経 」

T1. No. 2) 、 竺 曇 無 蘭 訳 『 寂 志 果 経 』 (T1. No. 22) 、 僧 伽 提 婆 訳 『 増 一 阿 含 経 』 巻 三 十 九 「 馬 血 天 使 品 」7経 (T2. No. 125) な ど の ほ か 、 律 や 説 話 文 献 に も 対 応 す る 物 語 が 確 認 で き る 。

226 No. 150, Sañjīva. J. I, pp. 508510. No. 530, Saṃkicca. J. V, pp. 261277.

227 こ れ は 『 大 毘 婆 沙 論 』 を 参 照 す る と 、 本 来 あ る べ き 根 を 欠 い た 信 心 で 、 偶 発 的 な も の で あ る 。し か し 、そ の 信 心 は 見 道 に よ る も の と 変 わ ら ぬ 堅 固 さ と さ れ て い る 。福 田[2017]pp.

97102.

228 「 文 殊 師 利 則 言 。 若 恒 邊 沙 等 、 佛 不 能 爲 若 説 是 狐 疑 」[T15. No 606, 400b1517]

229 「 摩 訶 迦 葉 謂 阿 闍 世 。 勿 恐 無 懼 。 所 以 者 何 。 文 殊 師 利 、 入 漚 和 拘 舍 羅 、 甚 深 。 以 是 故 説 是 。 徐 可 而 問 」[T15. No 626, 400b1820]

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る 。 し か し 、 彼 は 自 ら 「 悔 恨 の 念 や 父 殺 し 、 地 獄 も 空 で あ る 」 と 悟 っ た こ と に よ り 、 地 獄 で の 苦 し み は な い 。 そ し て 不 安 ( 罪 の 残 余 ) は 取 り 除 か れ た と 宣 言 す る 。 さ ら に 釈 尊 に よ っ て 後 の 世 で 仏 と な る 予 言 も さ れ る こ と か ら 、 原 始 経 典 の ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 説 話 よ り 発 達 し た 解 釈 が 確 認 で き る 。

ま た 、 釈 尊 よ り も 優 位 性 を 持 っ て 文 殊 師 利 が 採 用 さ れ た 理 由 は 、 同 経 の 次 の よ う な 釈 尊 の 言 葉 か ら も 看 取 さ れ る 。

「 文 殊 師 利 こ そ が 、私 の 前 世 で 初 め て 発 心 さ せ て く れ た 恩 師 で あ る 」230

「 私 と 同 じ く 無 数 の 仏 国 土 の 仏 陀 た ち が 、 文 殊 師 利 に 触 発 さ れ た の で あ る … 〈 中 略 〉 … 私 、 シ ャ カ ム ニ 仏 は 文 殊 師 利 に よ っ て 発 心 し 、 仏 陀 と な っ た … 」231

文 殊 師 利 は 過 去 世 か ら こ の よ う に 菩 薩 た ち を 導 い て お り 、 過 去 仏 の よ う な 役 割 を 担 っ て い た こ と が 解 る232。 そ の た め 、 ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 不 安 を 取 り 除 く こ と は 、 過 去 世 で の 王 を 導 い た 文 殊 師 利 に し か 為 せ な い た め で あ る 。 と 、 両 者 の 因 縁 と 文 殊 師 利 の 特 異 性 を 説 い て い る 。

5 . 4 『 阿 闍 世 王 経 』 の 「 文 殊 師 利 の 神 変 」

さ て 、 こ こ で 放 光 と 蓮 華 座 の 考 察 に 立 ち 返 っ て み よ う 。

こ の よ う な 特 質 を 持 つ 文 殊 師 利 と 神 変 は ど の よ う に 関 連 付 け ら れ る の か 、 「 大 品 般 若 経 の 神 変 」 を 持 つ 大 品 系 の 初 品 部 分 で 、 釈 尊 が 見 せ る 光 明 と 蓮 華 、 そ し て 化 仏 の 湧 出 を 保 有 し た 神 変 が 、 す で に 『 阿 闍 世

230 「 文 殊 師 利 以 食 與 我 。作 其 功 徳 而 令 發 心 。是 則 本 之 初 發 阿 耨 多 羅 三 耶 三 菩 心 恩 師 」[T15.

No. 626, 394b46]

231 「 如 我 身 等 、 不 可 數 阿 僧 祇 刹 土 諸 佛 、 悉 爲 文 殊 師 利 之 所 發 動 。 號 悉 字 釋 迦 文 佛 。 如 是 佛 數 。 復 有 號 爲 提 式 沸 佛 、 復 有 號 式 佛 、 復 有 號 提 和 竭 佛 、 復 有 號 惟 衞 佛 、 佛 語 舍 利 弗 、 悉 説 是 諸 佛 字 。 從 劫 至 劫 未 有 竟 時 、 皆 悉 文 殊 師 利 之 所 發 動 。 今 現 在 、 悉 轉 法 輪 中 、 有 般 泥 洹 者 、 中 有 行 菩 薩 道 者 、 中 有 在 兜 術 天 上 者 、 中 有 在 母 腹 者 、 中 有 生 者 、 中 有 捨 家 求 佛 者 、 中 有 坐 佛 樹 下 者 、 中 有 成 佛 者 、 猶 不 可 盡 。 佛 謂 舍 利 弗 。 文 殊 師 利 者 、 是 菩 薩 之 父 母 。 是 則 爲 迦 羅 蜜 。 屬 所 問 者 、 何 縁 而 置 怛 薩 阿 竭 。 而 我 之 所 得 。 悉 蒙 文 殊 師 利 恩 、 以 爲 是 恩 故 。 其 二 百 天 子 、 即 時 自 念 。 諸 法 學 者 乃 可 有 所 成 。 吾 等 尚 可 。 所 以 者 何 。 今 是 釋 迦 文 佛 、 爲 文 殊 師 利 所 發 意 自 致 成 佛 。我 等 何 爲 懈 怠 。用 是 念 故 其 心 則 堅 。悉 得 盡 信 阿 耨 多 羅 三 耶 三 菩 心 」[T15.

No.626, 394b1025]

232 こ の 行 動 は 首 楞 嚴 三 昧 と 同 じ 特 質 で あ る が 、 首 楞 嚴 三 昧 に つ い て は 言 及 し て い な い 。

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王 経 』 に 確 認 で き る 。

『 阿 闍 世 王 経 』は

Harrison & Hartmann[1998][2000][2002]の サ ン ス ク

リ ッ ト 語 断 片 に よ る 研 究 、

Harrison[2004]三 章 の み の 英 訳 、定 方 [1989]、

村 上

[1994]に よ る 和 訳

233、さ ら に 宮 崎

[2012]に よ る 詳 細 な テ キ ス ト の 研

究 が あ る234。 テ キ ス ト は 以 下 の 六 種 ① サ ン ス ク リ ッ ト 語 断 片235、 ② チ ベ ッ ト 語 訳236、③ 支 婁 迦 讖『 阿 闍 世 王 経 』、④ 竺 法 護『 普 超 三 昧 経 』237

233 こ の ほ か に 、異 本 で あ る 竺 法 護 の『 普 超 三 昧 経 』が『 国 訳 一 切 経 』経 集 部 二( 改 訂 版 ) [1973]で 、 布 施 浩 岳 に よ る 訓 み 下 し が な さ れ て い る 。

234 同 経 典 に 関 す る 代 表 的 な 研 究 は 平 川[1970]を は じ め 、 大 南[1974]、 印 順[1981]な ど が あ る 。

235 ス コ イ エ ン コ レ ク シ ョ ン の 一 部 で あ り 、 ア フ ガ ニ ス タ ン 出 土 と さ れ る 写 本 。 グ プ タ 期 の 北 西 型 ブ ラ ー フ ミ ー 文 字 で 筆 写 さ れ て お り 、 遅 く と も A.D.5C 頃 の も の と 推 定 さ れ て い る 。 宮 崎[2012]p. 2.

236 A.D. 9C 前 半 の 訳 出 。カ ン ギ ュ ル の「 経 部 」に 収 録 さ れ る 一 本 。目 録( 目 次 )[D. No. 216, p.149165.P. 35. No.882, 220a281a]の 題 名 表 記 か ら 、 こ の 経 典 が 「 聖 な る ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 王 の 後 悔 を 除 く と い う 名 の 大 乗 経 典 」と い う 経 題 で あ っ た こ と が 解 る 。村 上[1994]pp.

5051.

237 大 蔵 経 の 目 録 、 目 次 等 で は 冒 頭 に 「 文 殊 師 利 」 「 文 殊 支 利 」 の 名 を 冠 し て い る 。 し か し 、経 録 類 で は ほ と ん ど が『 普 超 経 』『 普 超 三 昧 経 』と 記 さ れ て い る 点 と 、『 出 三 蔵 記 集 』 で『 文 殊 普 超 三 昧 経 』と い う 別 名 が す で に 確 認 で き る 点 。し か し 、訳 文 中 で Mañjuśrīは「 文 殊 」あ る い は「 文 殊 師 利 」と 訳 出 さ れ て い な い こ と を 考 慮 す る と 、本 来 の 経 題 は「 文 殊( 師 利 ) 」 を 欠 く も の で あ っ た 可 能 性 が 高 い 。 宮 崎[2012]pp. 68.こ の 指 摘 に 従 い 、 本 論 中 で も 『 普 超 三 昧 経 』 を 用 い る 。

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⑤ 失 訳 『 放 鉢 経 』238、 ⑥ 法 天 『 未 曾 有 正 法 経 』 で あ る 。

宮 崎

[2012]は『 阿 闍 世 王 経 』五 章( 法 護 訳:無 吾 我 品 、定 方 訳 12

節 ) か ら 十 章 ( 同 : 決 疑 品 、 同 :

24

節 ) が 、 ま ず 先 に ま と め ら れ た 。 三 章 と 四 章 は そ れ ぞ れ 他 よ り 移 入 さ れ た も の で あ り 、 一 章 と 二 章 は こ れ よ り も 後 に 付 加 さ れ た と 結 論 す る 。 こ の な か で 、 蓮 華 か ら の 化 身 湧 出 と い う 文 殊 師 利 の 神 変 が 描 か れ る 場 面 は 、 『 普 超 三 昧 経 』 の 三 章 「 擧 鉢 品 」239、 定 方 訳 の 第 八 節 「 仏 鉢 の 奇 跡 」 に 相 当 す る 箇 所 。 な お 、 『 放 鉢 経 』 は 経 全 体 が こ の 章 に 該 当 す る 。

『 阿 闍 世 王 経 』 「 文 殊 師 利 の 神 変 」 概 要

〈 導 入 〉 ( 鉢 は 数 々 の 仏 国 土 を 過 ぎ て 、 荼 毘 羅 耶 仏 の 漚 呵 沙 と い う 国 土 に 至 っ た ) 釈 尊 は 放 擲 し た 鉢 を 探 し て く る よ う 、 舎 利 弗 に 言 っ た 。 舎 利 弗 は 三 昧 に 入 っ て 探 索 す る が 見 つ け ら れ な か っ た 。 次 に 大 目 揵 連 、 須 菩 提 な ど 弟 子 た ち に 求 索 さ せ る が 皆 で き な か っ た 。 そ こ で 須 菩 提 が 弥 勒 に 向 か っ て 「 あ な た は 才 に 勝 れ 一 生 補 処 で あ る 。 あ な た が 探 し に 行 く べ き で す 」 と 言 う 。 し か し 弥 勒 は 、

「 実 に あ な た の お っ し ゃ る と お り 私 は 一 生 補 処 で あ る が 、 今 の 私 は 三 昧 の 能 力 は 文 殊 師 利 に は 及 ば な い 。 こ の よ う な 場 合 は 彼 に 行 っ て も ら う し か な い 」 と い う 。 須 菩 提 は 釈 尊 に そ の 旨 を 伝 え 、 釈 尊 は 文 殊 師 利 に 鉢 を 求 め さ せ る 。 文 殊 師 利 は こ れ を 受 け て 「 座 を 立 た ず 、 釈 尊 と そ の 会 衆 か ら 離 れ ず に 鉢 を と っ て こ よ う 」 と 考 え

238 『 開 元 釋 教 録 』 に 「 放 鉢 經 一 卷 、 是 普 超 經 擧 鉢 品 異 譯 出 第 一 卷 。 僧 祐 録 云 安 公 録 中 失 譯 經 。 安 公 云 出 方 等 部 。 今 附 西 晋 録 」[T55. No. 2154, 594a89] と あ る こ と か ら 同 経 が 西 晋 (266316 年 ) の 訳 出 で あ る と 確 認 で き る 。 村 上 は 他 本 を 比 較 し 、 そ の 冒 頭 部 分 の 場 所 や 阿 闍 世 王 の 登 場 カ 所 が 一 致 し な い 点 か ら 、 同 経 が 『 阿 闍 世 王 経 』 の 抄 本 、 あ る い は 略 本 で あ る こ と は 考 え 難 い と す る 。 ま た 、 さ ら に 『 阿 闍 世 王 経 』 等 の 直 接 の 源 泉 で あ る と も 想 定 し が た い と す る 。 そ こ で 、 他 本 に は 『 放 鉢 経 』 の 特 有 部 分 で あ る 、 下 方 世 界 ( 悪 世 ) で も 修 行 と 善 を 行 う こ と は 他 の 仏 国 土 で 行 う よ り も 貴 重 で あ る こ と と 、 そ こ で 苦 し み に あ う 者 は 、 そ の 不 幸 に よ っ て 宿 命 の 災 い が 除 か れ る と い う 説 法 が 欠 け て い る に も か か わ ら ず 、 経 中 の 主 旨 で は 共 通 す る 部 分 を 含 む こ と か ら 、 『 放 鉢 経 』 の 原 型 が あ り 、 『 阿 闍 世 王 経 』 に 採 用 さ れ た が 、 『 放 鉢 経 』 の 方 も 多 少 の 増 広 を 経 て 現 在 の 形 と な っ た と 仮 定 す る 。 村 上 [1994]p. 70. 改 め て そ の 構 成 を み る と 、 そ の 経 題 か ら も 鉢 を 起 点 に し た 釈 尊 と 文 殊 菩 薩 の 因 縁 譚 で あ る 。

239 こ の 章 分 け は 『 阿 闍 世 王 経 』 、 『 放 鉢 経 』 、 『 未 曾 有 正 法 経 』 に は 見 ら れ な い 、 竺 法 護 に よ っ て 挿 入 さ れ た も の で あ る 。