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さ ら に 、 『 荘 厳 』367で も 維 摩 経 と 同 じ く 、 現 世 に 地 獄 の 火 炎 が 猛 威 を ふ る う 様 を 述 べ て い る 。

貪 欲 愚 癡 火 極 爲 難 除 滅 我 以 智 水 澆 消 滅 無 遺 餘 況 復 世 間 火 何 能 爲 我 害 地 獄 之 猛 火 熾 然 滿 世 界 七 日 焚 天 地 世 間 皆 融 消 如 此 之 猛 火 莫 能 爲 我 害 尸 利 鞠 多 火 何 能 見 傷 毀

菩 薩 の 布 施 行 の 妨 害 で あ る 火 炎 と は 世 間 に 満 ち た 悪 意 で あ る と わ か る 。 こ こ で 太 下 線 部 の 火 炎 は 三 火 の う ち の

rāgaggi

( 貪 火 ) 、

mohaggi

( 癡 火 ) で あ り 、 さ ら に シ ュ リ ー グ プ タ の 妻 が 「 云 何 横 於 彼 生 於 瞋 毒 相 」368と 、 彼 の 釈 尊 に 対 す る 瞋 恚 を 指 摘 し て お り 、 「 尸 利 鞠 多 火 」 と は

doṣaggi( 瞋 火 )で あ る と 考 え ら れ る 。こ の よ う に『 荘 厳 』に お い

て 炭 火 は 三 毒 と 重 複 す る 三 火 の 一 つ で あ り 、 そ し て シ ュ リ ー グ プ タ の 釈 尊 へ の 害 意 と は 怒 り で あ る こ と が 分 か る 。 南 伝 に 見 ら れ る 菩 薩 へ の 悪 意 と 、 地 獄 の 火 炎 は 北 伝 に お い て は 特 有 の 三 毒 、 三 火 と し て 巧 み に 釈 尊 に よ る 教 化 の 物 語 に 組 み 込 ま れ て い る 。

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同 じ よ う な 条 件 下 で の 蓮 華 湧 出 が み ら れ る 点 は 興 味 深 い 。 さ ら に 、 説 一 切 有 部 と 関 連 性 が 見 い だ せ る 経 典 に お い て 、 足 下 と 座 処 の 両 種 の 蓮 華 座 が 華 や か な 発 達 を 見 せ て い る 事 が 明 ら か と な っ た と 言 え よ う 。

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結 論

初 期 仏 教 美 術 か ら 、 釈 尊 の 座 処 と し て の 蓮 華 座 の 展 開 を ま と め る と 次 の よ う に な る 。

ま ず 、 「 蓮 華 上 に 坐 す 」 と い う イ メ ー ジ そ の も の は 、 既 に イ ン ド に お け る 女 神 や ヤ ク シ ャ ・ ヤ ク シ ー と い っ た 民 族 的 造 形 表 現 に 保 有 さ れ て い た 。 仏 典 に お け る 蓮 華 座 は 、 『 仏 説 兜 沙 経 』 『 仏 説 菩 薩 本 業 経 』 と い っ た 原 始 華 厳 経 の 中 に 存 在 し て い る 。 そ こ で は 、 雲 集 す る 他 方 国 土 の 菩 薩 達 は 蓮 華 上 に 坐 る が 、 仏 座 は 蓮 華 上 の 「 師 子 座 」 で あ り 、 こ の 段 階 で は 釈 尊 の 座 処 と し て の 蓮 華 座 と い う 意 識 は 希 薄 で あ る 。 し か し 、や や 遅 れ て

A. D. 2C

半 ば に 遡 り う る 北 伝 の 長 老 偈 、

Anavatapta-gāthā

に お い て 変 化 が 現 れ る 。 釈 尊 と 仏 弟 子 の 一 行 が 現 在 世 で の 「 是 第 一 」 と さ れ る 特 能 に つ い て 、 ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 に お い て 前 世 想 起 に よ り そ の 因 縁 を 説 く 偈 頌 の 集 成

Anavatapta-gāthā

に は 、 仏 ・ 菩 薩 達 が 「 神 通 を 用 い て 至 る 場 所 」 「 神 通 を 現 す 場 所 」 で あ る ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 の 特 徴 と し て 蓮 華 が 表 さ れ る 事 と な る 。こ の 物 語 に お け る 蓮 華 は 、『 仏 五 百 弟 子 自 説 本 起 経 』 と い っ た 仏 菩 薩 の 座 処 に 言 及 す る 、

Anavatapta-g āthā

の よ り 発 展 的 と 思 わ れ る バ ー ジ ョ ン で 発 達 し た 。そ し て 、

Mūlasarvāstiv āda-vinaya Bhaiṣ ajya-vastu

や 『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 薬 事 』 と い っ た 説 一 切 有 部 の 律 に 保 有 さ れ る よ う に 、 釈 尊 と 仏 弟 子 の 座 処 と し て 、 ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 の 龍 王 が 蓮 華 上 に 坐 る こ と を 勧 め る も の と な っ た 。 こ の よ う に 、 釈 尊 が 神 通 を 示 す そ の 舞 台 装 置 と し て の 蓮 華 座 が 認 め ら れ 始 め た 。

上 記 の よ う 特 定 の 場 所 に お い て 、 仏 菩 薩 が 坐 る 場 所 と 異 な り 、 仏 菩 薩 自 身 が 現 出 す る 化 身 の 座 処 と な る 蓮 華 座 の 系 統 も あ る 。こ ち ら は

A.

D. 2C

半 ば ご ろ に 『 仏 説 菩 薩 本 業 経 』 な ど の 原 始 華 厳 経 と 同 じ 化 身 湧 出 の 神 変 を 示 す 『 阿 闍 世 王 経 』 の 中 で 、 放 光 に よ っ て 現 出 す る 蓮 華 座 で あ る 。 般 若 経 系 統 に 属 す る 『 阿 闍 世 王 経 』 の 核 と な っ た 部 分 ( 第 八 章 ) に は 、 文 殊 師 利 菩 薩 が 、 「 光 の 花 」 (

Ravikusuma) と い う 名 の 三

昧 に 入 り 、 放 光 の 神 変 を 行 う 箇 所 が 存 在 す る 。 そ の 神 変 で は 、 放 た れ た 光 は 「 光 の 花 」 と な り 、 そ の 花 か ら は 文 殊 師 利 自 身 の 化 身 を 湧 出 す る と さ れ る 。 同 時 に 、 こ の 光 は 、 他 の 仏 国 土 へ と 越 境 し て 到 達 す る 。 こ の 「 光 の 花 」 を 、 筆 者 は 、 後 の 段 階 に お け る 「 蓮 華 座 」 の 原 型 と な っ た と 考 え る 。 実 際 、 『 阿 闍 世 王 経 』 の 第 四 章 な ど 後 代 に 移 入 さ れ た 部 分 や 、大 品 系 般 若 経(

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年 訳 出『光 讃 経』な ど )に は 、「 光 の 花 」 と 同 じ く 、 他 仏 国 土 へ 越 境 し て 到 達 し 仏 菩 薩 が 坐 す 「 蓮 華 座 」 を 生 じ

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る 放 光 の 神 変 を 、 仏 菩 薩 が 行 っ た と す る 記 述 が 見 ら れ る か ら で あ る 。 こ の 同 じ 般 若 経 系 統 の 、 仏 菩 薩 が 自 ら 現 出 す る 「 放 光 に よ る 蓮 華 座 」 か ら 影 響 を 受 け た と 考 え ら れ る の が 、 『 義 足 経 』 に 含 ま れ る 「 舎 衛 城 の 神 変 」 で あ る 。 こ の 話 で は 、 釈 尊 が 外 道 を 調 伏 す る た め 、 釈 尊 自 身 が 神 変 を 示 し 、 蓮 華 を 次 々 湧 出 さ せ 、 そ の 蓮 華 ( つ ま り 蓮 華 座 ) 上 に 化 仏 が 坐 す こ と と な る 。 こ の 『 義 足 経 』 の 「 舎 衛 城 の 神 変 」 よ り も 発 達 し た 仏 菩 薩 自 身 が 現 出 さ せ る 「 放 光 に よ る 蓮 華 座 」 の 表 現 す な わ ち

「 仏 華 厳(

Buddhāvataṃ saka)」は 、発 展 し た 段 階 の 大 本『 華 厳 経 』( A.

D. 5

7C) に も 見 出 せ る 。

以 上 、Anavatapta-gā

thā

に 見 ら れ る「 蓮 華 座 」( 特 別 な 場 所 に お け る 仏 菩 薩 の 座 所 )の 系 統 を 確 認 し 、そ の 後 、般 若 経 系 統 に 源 泉 を も つ「 蓮 華 座 」 ( 尊 格 自 身 が 神 通 神 変 に よ り 現 出 す る 座 所 ) の 事 例 を 挙 げ て き た 。 そ こ で 、 こ れ ら 両 者 の 系 統 を と も に 含 む と 考 え ら れ る 資 料 と し て 扱 っ た も の が 、 『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 雑 事 』 に 含 ま れ る 「 舎 衛 城 の 神 変 」 で あ る 。 そ も そ も 、 こ の 『 雑 事 』 と 同 じ 部 派 が 保 持 し た 『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 薬 事 』 に は 、 「

Anavatapta-gā thā」 が 含 ま れ て い る 。

ま た 、 『 雑 事 』 「 舎 衛 城 の 神 変 」 に お い て は 、 当 然 、 釈 尊 自 身 が 神 通 神 変 に よ っ て 示 現 し た 蓮 華 ( つ ま り 蓮 華 座 ) 上 に 仏 菩 薩 が 座 す と い う 般 若 経 系 統 の 「 蓮 華 座 」 が 記 載 さ れ て い る 。 し か し 同 時 に 、 そ の 話 中 に 、 同 律 『 薬 事 』 に 内 包 さ れ る 「

Anavatapta-gāthā」 で 仏 菩 薩 の た め の

「 蓮 華 座 」 を 現 出 さ せ た 二 頭 の 龍 王 ナ ン ダ と ウ パ ナ ン ダ が 、 登 場 し て い る の で あ る 。 こ こ か ら 、 『 雑 事 』 「 舎 衛 城 の 神 変 」 に は 、

Anavatapta-gāth ā」の 要 素 が 合 流 し て い る こ と が 判 る 。先 行 研 究 で は 、 Divy

の「 舎 衛 城 の 神 変 」が 注 目 さ れ が ち で あ る が 、そ の 引 用 元 と さ れ る 『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 雑 事 』 に お い て 、 既 に 両 系 統 の 合 流 が 見 ら れ る の で あ る 。

従 来 、 「 蓮 華 座 」 に 対 す る 研 究 は 、 華 厳 経 、 法 華 経 、 そ し て 浄 土 経 典 そ れ ぞ れ の 発 達 し た 段 階 の も の を 対 象 と し て い た 。 筆 者 は 、 主 に 、 従 来 の 研 究 対 象 に 先 行 す る 資 料 を 対 象 と す る こ と で 、 上 述 の よ う な 新 た な 見 解 を 提 示 し て き た 。 こ こ で 、 従 来 の 研 究 の 対 象 と な っ た 資 料 に も 検 討 を 加 え て 、 そ れ ら ( 主 に 、 発 達 し た 段 階 の 法 華 経 や 浄 土 経 典 ) の 「 蓮 華 座 」 に 結 実 す る ま で の 過 程 や 影 響 関 係 を 探 る こ と に し た 。

初 期 無 量 寿 経 の 「 蓮 華 上 に 坐 す 」 記 述 か ら は 、 情 景 描 写 中 の 蓮 華 に 水 浴 後 の 流 れ で 坐 る と 言 っ た 簡 易 な 表 現 の 段 階 が み ら れ た 。 さ ら に

Anavatapta-g āthā

と 同 様 に 、神 足 を 現 す 事 を 条 件 に 、前 世 想 起 を 行 う 場 所 に 明 示 さ れ る 蓮 華 座 表 現 が 確 認 で き た 。 ま た 、 〈 法 華 経 〉 の 蓮 華 座

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表 現 か ら は 、 「 特 別 な 場 所 へ の 移 動 の 手 段 」 と し て 蓮 華 座 が 意 識 さ れ て い た 事 が 明 ら か で あ り 、 神 足 と 蓮 華 座 に 密 接 な 関 係 が 見 い だ せ る 。

〈 法 華 経 〉 か ら や や 遅 れ る が 、 同 系 統 と 般 若 経 系 統 を 結 ぶ 経 典 で あ る

『 弘 道 廣 顯 三 昧 経 』 で は 文 殊 師 利 に よ る 異 な る 世 界 の 教 化 、 そ し て 神 足 の 顕 現 が 明 言 さ れ て い る 。こ れ ら の 点 か ら 、Anavatapta-gāth

ā

序 文 で 示 さ れ る 「 神 足 で 特 別 な 場 所 に 到 る 」 「 蓮 華 上 で 神 通 を 現 す 」 と い う 世 界 観 は 、 同 時 代 に 流 布 し た 大 乗 経 典 の 初 期 段 階 に お い て も 受 容 さ れ て い た こ と が 確 認 で き た 。 し か し な が ら 、 〈 法 華 経 〉 の 蓮 華 座 上 の 文 殊 師 利 に つ い て は 初 期 無 量 寿 経 で は 一 切 登 場 し な い の に 対 し 、 〈 法 華 経 〉 独 立 流 布 部 分 で 突 如 と し て 現 れ 、 発 達 し た 〈 法 華 経 〉 に 吸 収 さ れ て い る 。 つ ま り 、 蓮 華 と 文 殊 師 利 を 関 連 づ け る 般 若 経 系 統 に 源 泉 を も つ 蓮 華 座 は 、 〈 法 華 経 〉 に 近 い 思 想 文 化 の 影 響 下 に 有 り 、

Anavatapta-g āthā

よ り も 狭 い 範 囲 で 受 容 さ れ て い た も の と 思 わ れ る 。 こ れ ら と 発 達 を 異 に す る 足 下 の 蓮 華 座 表 現 で あ る が 、 や は り 北 伝 の 単 独 流 布 経 典 に 見 い だ せ る 。 こ れ は 、 仏 伝 の 時 系 列 に お さ め ら れ る 事 な く 、 釈 尊 の 生 涯 の 一 事 件 と し て 認 識 さ れ て い た 「 長 者 の 施 食 」 説 話 と い う 外 道 調 伏 譚 に 由 来 す る 。 害 意 を も っ て 設 置 さ れ た 火 坑 の 罠 に 接 し た 釈 尊 を 守 る た め に 生 じ る 蓮 華 で 、 優 れ た 一 切 知 者 の 証 し と な る 奇 跡 を 示 し て い る 。 こ の 表 現 は 『 大 荘 厳 論 経 』 (

A.D. 2C- 3C

頃 成 立 ) か ら 、 説 一 切 有 部 系 の 知 識 人 に よ る 新 し い 仏 伝 説 話 と し て 創 出 さ れ た 可 能 性 が 高 い 。 経 典 の 成 立 時 期 と 美 術 資 料 か ら 、

A.D. 2C- 3C

頃 に は ガ ン ダ ー ラ 地 方 で 知 ら れ て い た 蓮 華 座 の 表 現 で あ っ た 事 が 証 明 さ れ て い る 。

以 上 の 考 察 結 果 か ら 、 釈 尊 の 座 処 と な る 直 前 ま で の 初 期 蓮 華 座 の 出 現 時 期 は 、次 の よ う に し ぼ る 事 が で き る 。Anavatapta-g

āthā

の 蓮 華 座 の 系 統 に 注 目 す る と 、

A. D. 140

年 頃 に に 遡 り う る

Anavatapta-gā thā

シ ニ ア ・ コ レ ク シ ョ ン で は 確 認 で き な い 点 、

A. D. 303

年 訳 出 の『 仏 五 百 弟 子 自 説 本 起 経 』 で は 釈 尊 が 蓮 華 上 に 坐 る 事 が 明 言 さ れ て い る 点 か ら 、

A. D. 140

303

年 の 間 に 釈 尊 の 座 処 と な る 蓮 華 の 役 割 が 確 立 さ れ た 事 が わ か る 。 さ ら に そ の 成 立 期 間 を し ぼ る 事 を 試 み る と 、 原 始 華 厳 経 に 始 ま る 化 身 湧 出 か ら 、 化 仏 で は あ る が 釈 尊 が 蓮 華 座 と 結 び つ い た の は 大 品 系 般 若 経 の 段 階 で あ る と 言 え る 。 同 経 典 類 の 展 開 か ら は

A.D. 100

200

年 頃 の 成 立 で あ る 事 が 指 摘 さ れ て い る 。 ま た 、 大 品 般 若 経 の 系 統 か ら 影 響 を 受 け た と 思 わ れ る 「 舎 衛 城 の 神 変 」 で 、 釈 尊 の 蓮 華 湧 出 に 言 及 す る 『 義 足 経 』 は

A.D. 223

253

年 の 訳 出 で あ る か ら 、

A.D. 3C

頃 ま で に は 、 釈 尊 の 神 通 に よ る 蓮 華 座 の 出 現 と い う 蓮 華 座 の 表 現 段 階