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に よ っ て 蓮 華 座 が 受 容 さ れ 始 め た さ れ た 地 方 と 時 代 、 そ の 大 ま か な 発 達 の 過 程 が 把 握 で き た 。 し か し

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は 本 来 「 是 第 一 の 弟 子 」 の 偈 頌 の リ ス ト か ら 律 に 吸 収 さ れ て 物 語 化 し た も の で あ り 、 蓮 華 座 は 仏 弟 子 の も の で あ る 。 ま た 、 蓮 華 座 が 広 く 研 究 さ れ る 対 象 と さ れ た 大 乗 経 典 と は 大 き く 異 な っ た 構 成 を も つ 。 で は 、

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が 蓮 華 座 を 記 す 同 じ よ う な 時 代 に 、 仏 教 説 話 で 説 か れ る よ う な 仏 陀 の 蓮 華 の 座 所 は 、 い か な る 過 程 を 通 し て 経 典 中 に 用 い ら れ る よ う に な っ て い っ た の で あ ろ う か 。

蓮 華 座 の 研 究 は そ の 多 く が 大 乗 経 典 を 主 と し て 扱 い 、 そ の 他 で 単 独 流 布 し た 経 典 に は 言 及 さ れ て こ な か っ た 。 し か し 、 蓮 華 座 と は 大 乗 経 典 の み で 用 い ら れ て い た 表 現 で は な い 。 本 章 で は 、 仏 教 が い つ ご ろ 蓮 華 座 を 採 用 し た の か に つ い て

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の 情 景 描 写 と は 異 な る 表 現 に 着 目 し 、 そ れ が 仏 陀 の 座 所 へ と 採 用 さ れ る 展 開 点 を 確 定 す る 。 そ し て 、 そ の 発 達 が ア ヴ ァ ダ ー ナ に 見 ら れ る こ と を 指 摘 し 、 特 に 蓮 華 座 湧 出 の 場 面 が 詳 細 な 「 舎 衛 城 の 神 変 」 を 説 く 経 典 を 中 心 に 整 理 、 考 察 す る 事 を 目 的 と す る 。 こ の 神 変 に 登 場 す る 蓮 華 の 座 所 が 他 の 漢 訳 古 訳 に も 確 認 で き る こ と か ら 、 北 伝 の 仏 伝 説 話 に 含 ま れ る ア ヴ ァ ダ ー ナ 中 で も 発 達 を し て い た 可 能 性 を 検 討 し て い き た い 。

4 . 2 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 に 表 わ さ れ る 蓮 華 座 の 再 考 察

蓮 華 座 の 出 現 が 様 々 に 描 か れ た 仏 教 説 話 の 中 で 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 か ら 、 い つ 頃 、 ど の よ う な 特 徴 を 持 つ 経 典 か ら 蓮 華 の 座 所 が 表 わ さ れ た の か を 考 察 す る 。

4 . 2 . 1 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 テ キ ス ト

「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 と は シ ュ ラ ー ヴ ァ ス テ ィ ー (

Skt. Ś rāvastī) に

お い て 、 外 道 の 六 師 が 釈 尊 と 神 通 比 べ に よ っ て 、 ど ち ら が 一 切 智 者 で あ る か を 決 定 づ け よ う と 、 王 や 民 衆 の 前 で 対 決 を 行 う 物 語 で あ る 。 釈 尊 が 複 数 の 神 変 を 現 し 、 六 師 が 打 ち 負 か さ れ て 敗 走 し 、 自 死 す る と こ

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ろ ま で が 語 ら れ る こ と が 多 い 。 ま た 、 一 部 で は 釈 尊 が 母 の た め に 三 十 三 天 に 昇 り 、 降 下 す る 「 三 道 宝 階 」 説 話 が 付 随 し て い る 。

テ キ ス ト に 関 し て は 、 説 話 構 成 か ら 二 つ の 系 統 を 指 摘 し た 中 川 正 法

[1982]、 図 像 学 的 な 分 析 と 包 括 的 な 研 究 を 行 っ た 宮 治 [1971][2002]

、 李

[1991]、 シ ュ リ ン グ ロ フ [2000]を は じ め 、 近 年 で は 山 崎 一 穂 [2010]に よ

る ク シ ェ ー メ ー ン ド ラ 本 の 研 究 や 、 平 岡

[2012]に よ る 『 法 華 経 』 新 解

釈 、 福 山

[2014]

に よ る ア ジ ャ ン タ ー 後 期 石 窟 に お け る 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 の 図 像 表 現 、 岡 本

[2008][2014]に よ る 「 舎 利 弗 の 外 道 調 伏 譚 」

研 究 の 一 部 、 中 西

[2015]

に よ る 「 祇 園 精 舎 布 施 」 研 究 の 一 部 、 に お い て こ の 説 話 に 関 す る テ キ ス ト が い く つ か 挙 げ ら れ て い る 。 こ れ 等 を 参 考 に し 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 が 所 収 さ れ る 十 八 の 経 典 が 確 認 で き た 。 し か し な が ら 、 古 訳 に 位 置 す る 『 義 足 経 』 『 法 句 譬 喩 経 』 を 中 心 に 扱 っ た 同 説 話 の 考 察 は な さ れ て い な い た め 、 本 研 究 で は 改 め て こ の 二 経 を 用 い た 再 検 討 を 行 う 。 そ の 上 で 説 話 の 構 成 、 神 変 場 面 を 精 査 し た 結 果 、 「 舎 衛 城 の 神 変 」 の 物 語 は 次 の 三 つ の 系 統 に 大 別 す る こ と が で き た 。

4 . 2 . 1 . 1 〈 A グ ル ー プ 〉 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 の 中 で 樹 木 の 成 長 を 主 と す る も の

Jātaka(No. 483) Sarabhamigajātaka( PTS. IV, pp. 263- 265.)

155

Dhammapadaṭṭhakathā, (14.2) Yamakapāṭ ihāryavatthu( PTS. III, pp. 199

216)

③ 『 四 分 律 』佛 陀 耶 舍・竺 佛 念 訳(

T22. No. 1428, 946b- 951b)巻 五 十

一 「 雑 揵 度 之 一 」 (

408- 413

年 )

ひ と つ 目 の

A

グ ル ー プ は ① ② ③ に み ら れ る ピ ン ド ー ラ バ ー ラ ド ヴ ァ ー ジ ャ (

P ā. / Skt. Piṇḍola-Bhāradvāja

) が 神 通 で 鉢 を と り に 行 っ た こ と か ら 、 神 通 を 人 前 で 安 易 に 使 う こ と が 禁 じ ら れ た 話 、 そ し て 釈 尊 に よ

155 J で は No. 29. Kaṇhajātaka(PTS. I, p.193)に お い て も 、 神 変 の 事 件 に 触 れ て い る が 、 祇 園 精 舎 で の 「 双 神 変 」 と し て い る 。Idaṃ sattā jetavane viharanto yamakapāṭihāyaṃ ārabbha kathesi.

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っ て マ ン ゴ ー 樹 が 急 成 長 す る 神 変 、 及 び 双 神 変 な ど156が 示 さ れ る 現 在 世 物 語 を 保 持 す る も の で あ る 。DA は

Sarabhamiga-jātaka

を 基 に し て 構 成 さ れ て お り157、 神 変 対 決 の 後 に 「 三 十 三 天 か ら の 降 下 」 が 描 か れ て い る 。 『 四 分 律 』 は 双 神 変 と 記 さ れ な い 点 、 マ ン ゴ ー 樹 と 記 さ れ な い が 樹 木 の 生 長 を 描 写 し て い る 点 が 異 な る が 、 物 語 の 流 れ は 類 似 し て い る 。 こ の グ ル ー プ で は 、 必 ず 外 道 の 死 に 言 及 さ れ 、 「 放 光 」 と 蓮 華 の 座 所 は 登 場 し な い 。

さ ら に 、こ の グ ル ー プ に 関 し て は 初 期 仏 教 美 術 に お い て も 表 現 が み ら れ 、 東 イ ン ド の バ ー ル フ ッ ト 欄 楯 隅 柱158

B.C. 150

) や 、 イ ン ド 中 部 サ ー ン チ ー 第 一 塔 塔 門 柱159、 南 イ ン ド の ア マ ラ ー ヴ ァ テ ィ ー 出 土160の 各 レ リ ー フ に お い て も 、 マ ン ゴ ー 樹 と 無 仏 像 の 方 座 、 合 掌 す る 人 天 た ち が 描 か れ て い る 場 面 が マ ン ゴ ー 樹 の 神 変 に 同 定 さ れ て い る 。加 え て 、 バ ー ル フ ッ ト や 南 イ ン ド の カ ナ ガ ナ ハ ッ リ の 「 祇 園 精 舎 布 施 」 場 面 に 描 か れ る マ ン ゴ ー 樹 も 、 そ の 神 変 の 樹 木 で あ る と 指 摘 さ れ て お り161、 初 期 仏 教 美 術 が 示 す

A.D.150

年 ご ろ ま で の イ ン ド 大 陸 で は 、 仏 伝 説 話

156 「 庭 師 ガ ン ダ (Pā. Gaṇḍa) が 供 養 し た マ ン ゴ ー を 釈 尊 が 召 し 上 が り 、 ア ー ナ ン ダ (Pā.

/ Skt. Ānanda) が そ の 種 を 植 え た と こ ろ 、 瞬 く 間 に 成 長 し 高 さ 100 ハ ッ タ の 樹 に な っ た 。

… 釈 尊 は 外 道 を 調 伏 す る た め 二 つ の 奇 跡 を 行 わ れ た 。 こ れ を 見 て 人 々 が 信 心 を 起 こ し た こ と を 知 る と 、 仏 座 に 坐 り 法 を お 説 き に な っ た 」J で は 二 つ の 神 変 と だ け 記 さ れ て い る た め ど の よ う な 神 変 で あ っ た か は 不 明 で あ る 。DA は 水 火 の 神 変 を 、 『 四 分 律 』 は 神 足 、 空 中 飛 翔 、 水 火 を 出 す な ど 多 彩 な 神 変 を 示 す 。

157 中 川[1982]p. 150.

158 ア ジ ャ ー タ シ ャ ト ル 柱 下 段 浮 彫 。 上 段 を 「 忉 利 天 上 の 説 法 」 中 段 を 「 三 道 宝 階 降 下 」 と 解 す る と 、 ジ ャ ー タ カ の 現 在 世 物 語 の 流 れ と 三 場 面 が ほ ぼ 一 致 す る 。

159 第 一 塔 北 門 東 柱 正 面 浮 彫 。 該 当 画 面 の 下 に は 「 祇 園 精 舎 」 と み ら れ る 画 面 が 表 わ さ れ て い る こ と か ら 、 マ ン ゴ ー 樹 の 神 変 を 表 し て い る 可 能 性 が 高 い 。 さ ら に フ ー シ ェ や シ ュ リ ン グ ロ フ は 三 番 目 に 続 く 場 面 を 「 双 神 変 」 と 解 釈 し て お り 、J に 記 さ れ る よ う に 「 釈 尊 が 空 中 に 舞 い あ が り 、双 神 変 を 示 さ れ た 」場 面 を 表 し て い る と 考 え ら れ る 。宮 治[2010]pp. 127-128.

160 Sivaramamurti[1956] Pl. 38.2, Pl. 47.1

161 リ ュ ー ダ ー ス に よ る バ ー ル フ ッ ト の 「 祇 園 精 舎 布 施 」 レ リ ー フ の 図 像 考 察 を ふ ま え 、 近 年 発 掘 さ れ た カ ナ ガ ナ ハ ッ リ 大 塔 の 同 場 面 レ リ ー フ に も 同 一 の 表 現 が み ら れ る 点 を 指 摘 す る 。 中 西[2015] ジ ャ ー タ カ で は 舎 衛 城 の 城 門 の マ ン ゴ ー 樹 の も と で 対 決 が 約 束 さ れ 、 こ こ で マ ン ゴ ー 樹 の 神 変 が 行 わ れ た 。 祇 園 精 舎 は 同 地 の 近 隣 に あ り 、 そ れ を 示 す 地 理 的 特 徴 と し て 「 祇 園 精 舎 布 施 」 に は マ ン ゴ ー 樹 が 描 か れ た 。

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の 一 つ と し て マ ン ゴ ー 樹 を 重 要 視 し た 「 舎 衛 城 の 神 変 」 が 保 持 さ れ て い た こ と が 推 察 で き る162

4 . 2 . 1 . 2 〈 B グ ル ー プ 〉 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話 の 中 で 「 放 光 」

「 水 火 の 神 変 」 「 多 仏 化 現 」 を 主 と す る も の

④ 『 義 足 経 』支 謙 訳(

T4. No. 198, 180c

181c

)「 異 学 角 飛 経 第 十 」(

223

253

年 )163

⑤ 『 法 句 譬 喩 経 』法 炬 ・ 法 立 訳(

T4. No. 211, 598c- 599c

)「 地 獄 品 第 三 十 」 (

290- 306

年 )

⑥ 『 賢 愚 経 』慧 覺 訳(

T4. No. 202, 360c- 366a

)巻 二「 降 六 師 品 第 十 四 」

445

年 )

⑦ 『 菩 薩 本 生 鬘 論 』聖 勇 造 、紹 徳 慧 詢 訳(

T3. No. 160, 334c

336c

)「 最 勝 神 化 縁 起 第 四 」 (

A.D. 10C

後 半

11C

初 )

⑧ 『 仏 本 行 経 』釋 寶 雲 訳(

T4. No. 193, 83c- 87a)

「 現 大 神 變 品 第 二 十 」

5C

頃 成 立 )

⑨ 『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 雑 事 』 義 浄 訳 (

T24. No. 1451, 329a- 333c)

「 第 六 門 第 四 子 攝 頌 之 餘 佛 現 大 神 通 事 」 (710 年 )

Divyāvad āna 12.Prātihāryas ūtra( Cowell. pp. 143- 160)

Bodhisattvavā dānakalpalatā 13. Pratihāryasū tra( Vaidya. pp. 111

115)

A.D. 11C)

'Dul baρhran tshegs kyi gshi( P. No.1035. Ne 37a8・ 51a2 ; D. No.6. Da 40al- 53b5

二 つ 目 の

B

グ ル ー プ は 、 ピ ン ド ー ラ バ ー ラ ド ヴ ァ ー ジ ャ の 事 件 と 、 マ ン ゴ ー 樹 の 神 変 の 二 点 が 見 ら れ な い 経 典 類 で あ り 、 ④ ~ ⑫ の 九 経 で あ る 。と く に

Divy

の 神 変 場 面「 金 色 千 葉 の 蓮 華 上 に 座 し た 釈 尊 が 蓮 の 上 に 蓮 と 化 仏 を 化 作 し 、 そ れ が 上 方 ア カ ニ シ ュ タ 天 (

Skt. akani ṣṭha)

ま で 至 っ た 」描 写 が よ く 知 ら れ て お り 、先 行 研 究 で も 着 目 さ れ て き た 。 こ れ ら は 、 舎 衛 城 で の 神 変 対 決 と い う 事 件 が 主 題 と し て 起 承 転 結 が 作

162 中 川[1982]は 、 説 話 が 最 も 簡 潔 な 記 述 で あ る こ と か ら 、J を こ の 説 話 の オ リ ジ ナ ル と 仮 定 し た 。 宮 治[2002][2010]、 李[1991]も 、 こ の よ う な マ ン ゴ ー 樹 の 神 変 が パ ー リ 伝 承 に お け る 理 解 で あ っ た と 指 摘 す る 。

163 Sn. 866872 の 偈 頌 の パ ラ レ ル で あ る 。 注 釈 は Paramatthajotikā. II, pp. 551554.

Atthakavagga. 4.11 Kalaha-vivāda-sutta.

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ら れ て お り 、 多 様 な 登 場 人 物 の 行 動 の 微 細 や 理 由 が し っ か り と 描 か れ る 傾 向 が あ る 。 こ こ で は 神 変 場 面 に お い て マ ン ゴ ー 樹 の 神 変 が 一 切 語 ら れ ず 、 そ の か わ り に 「 放 光 」 、 「 空 中 歩 行 」 、 「 水 火 の 神 変 」 、 そ し て 「 多 仏 化 現 」 な ど 複 数 が 語 ら れ る 。 こ れ ら の 経 典 は そ の 題 名 か ら も 、 多 く が 譬 喩 文 学 に 分 類 で き る と 思 わ れ る 。 こ の グ ル ー プ は 『 法 句 譬 喩 経 』 、 『 菩 薩 本 生 鬘 論 』 を の ぞ い て 「 多 仏 化 現 」 場 面 に お い て 蓮 華 座 が 登 場 し て い る164

4 . 2 . 1 . 3 〈 C グ ル ー プ 〉 簡 易 な 「 舎 衛 城 の 神 変 」 説 話

⑬ 『 仏 所 行 讃 』馬 鳴 造 、宝 雲 も し く は 曇 無 讖 訳(

T4. No. 192, 39c)「 祇

桓 精 舍 品 第 二 十 」 (

A.D. 1- 2C

頃 成 立 、

414- 426

年 )

Sangs rgyas kyi spyod pa zhes bya ba'i snyan ngag chen po( D. No. 4156.

Ch. 20)

Divyāvad āna, Aś okāvadāna

Cowell. p.394, 401)

⑯ 『 雑 阿 含 経 』 求 那 跋 陀 羅 訳 (

T2. No. 99, 169c) 巻 二 十 三 ( 435

443

年 )

⑰ 『 阿 育 王 伝 』 安 法 欽 訳 (

T50. No. 2042, 105b

) 巻 二 (

306

年 )

⑱ 『 阿 育 王 経 』 僧 伽 婆 羅 訳 (

T50. No. 2043, 140a) 巻 三 ( 512

年 )

三 つ 目 の

C

グ ル ー プ は 神 変 が 簡 潔 な 描 写 に 留 ま っ て お り 、説 話 と い う よ り は 神 変 の 事 象 の み を 述 べ る も の で あ る 。 ⑬ ~ ⑱ の 六 経 で あ り 、

BC

の 二 経 は 「 放 光 」 の み を 記 し 、

Aśokā vadāna

を 伝 え る 四 経 は 「 多 仏 化 現 」 の み を 記 す 。 ま た 『 仏 所 行 讃 』 は 「 祇 桓 精 舎 品 」 に 含 ま れ て い る こ と か ら 、 前 述 の よ う な 地 理 上 の 接 点 が 意 識 さ れ て い た こ と が う か

164 た だ し 、 こ れ ら の う ち 『 賢 愚 経 』 『 菩 薩 本 生 鬘 論 』 と A グ ル ー プ の 『 四 分 律 』 は 複 数 日 に わ た っ て の 神 変 を 記 す 点 、 釈 尊 の 投 げ 捨 て た 楊 枝 が 大 樹 に 急 成 長 し た 話 な ど が 類 似 し て い る 。 宮 治 上 掲 書 p. 126. な お 『 賢 愚 経 』 『 四 分 律 』 は 十 五 日 間 、 『 菩 薩 本 生 鬘 論 』 は 八 日 間 に 渡 る 。さ ら に 仏 座 に つ い て『 四 分 律 』は「 自 然 七 寶 師 子 高 座 」[T22. No. 1428, 949a3]

『 菩 薩 本 生 鬘 論 』は「 七 寶 厳 飾 師 子 之 座 」[T3. No. 160, 336a28]と し て お り 、両 者 か ら は「 多 仏 化 現 」 に 蓮 華 座 を 用 い な い 表 現 の 共 通 性 も 受 容 さ れ て い た 事 が 解 る 。