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動的博物館とは何かについて、秋保自身が明瞭な定義を下してる訳ではないが、昭和 4 年(1929)8 月の建築学会での講演にて、科博本館が完成した際の経営方針について次のよ うに述べている。

上野公園内ニ建設中ナル我ガ東京博物館ハ昭和五年九月ヲ以テ完成ノ予定ナル ヲ以テ昭和五年六月頃ヨリ移転ニ着手シ同年末頃ヲ以テ全部ノ移転ヲ完了スル 見込ニシテ、移転後ニ於ケル本館ノ経営ハ欧米先進国最近ノ博物館経営ニ範ヲ 取ラザルベカラズ、而シテ欧米最近ノ傾向タル従来多年静的ニ置レタル博物館 ノ事業ヲ極メテ積極的ナル、活動體ナラシメザルベカラズト為シ其標本ノ陳列 ノ方法ニ於テ極メテ徹底的ニ実際化セシノミナラズ、或ハ移動博物館ト称シテ、

資料ノ一部ヲ国内各地ニ巡回貸出ヲ爲シテ博物館ノ利用ヲ広ク全国ニ及ボシ、

或ハ組織的講演映写ノ設備ヲ為シテ、其陳列品ヲ活カスニ遺憾ナキヲ期シ、若 クハ時々ノ必要ニ応ズル展覧会、陳列会等ノ方法ニヨリテ観覧者ノ吸引ニ努メ、

又解説書、案内書、絵葉書、写真其他ノレポート、パンフレットヲ印刷配布シ テ研究者ニ便シ、或ハミゼアムゲーム等ト称シテ子供ノ科学研究趣味ノ涵養ニ 努力スル等極メテ活動的経営ヲ為シツツアルニ鑑ミ、我ガ東京博物館ノ上野移 転後ニ於テハ、例令徹底的ナル能ハズトスルモ本邦ニ存スル

折にふれて述べているが彼の言わんとするところは欧米の博物館の経営方針は整然と展 示品を並べるだけではなく、陳列方法、移動博物館、講演会や映写会の開催、積極的な広 報活動、研究者の利用、子供の科学趣味の涵養など30、今日の言葉でいうところの「参加 体験型展示」、「一般に開かれた博物館」、「研究者利用機関としての博物館」、「青少年の博 物館利用の積極的推進」など、博物館としてアクティブな取り組みを意味し、そのために 必要な施設設備を設ける必要があるとした。

これに必要な設備を備えたのが、昭和 6 年に竣工した科博本館であり、この建物を整備 するにあたり、このような活動の参考にしたのは、アメリカのニューヨーク自然史博物館、

フィールドミュージアム(シカゴ)、イギリスの科学博物館(ロンドン)、ドイツのドイッ チェ・ミュージアム(ミュンヘン)などであり、これらから秋保安治は独自に日本の実情 に合う積極的な活動の中身を構想立案し、新博物館の施設に生かしたものと考えられる31

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現に秋保は昭和 6 年の講演の中で海外における科学博物館が行っていた動的な活動 について以下のように述べている。

「先刻申上げました所の動的の博物館である、陳列館の標本の豊富をのみ誇る べきことを必要とするのではない、博物館の陳列が三分の一かない、どうする か、それは将来斯う云ふものを並べると札を貼っておけば宜い、一方には博物 館の中に図書館がある、講義室がある、講堂がある活動写真も出来る、幻燈も 出来る、調査室もある、研究標本室もある、研究室は小さくても、固より小さ い玩具の汽車でありますが、兎に角さう云ふものを民衆の前に提供するのであ ります」

また、海外の博物館の活動については、以下のように述べている。

イギリスの科学博物館(ロンドン)は、「是は又理工学の発達の参考の資料と 云うものを豊富に有つて居るということと、又観覧者の実験に供するもの、

或いは観覧者の為に実験をして御覧に入れると云うやうな設備の豊富なる点 を誇って居ります。」

ドイツのドイッチェ・ミュージアム(ミュンヘン)は「此博物館の特色は凡 ゆる一切の設備を何人にも使い易いやうに、凡ゆる手段方法を備へて居ると 云う点に於て、何と申しますか、徹底的に出来て居ると云う点に於て、今日 の世界の如何なる博物館も之に及ぶものはないと称されて居るのでありま す。」「徹底的に民衆の教育に便利な形を有つて居る」

アメリカのナチュラルヒストリーミュージアム(ニューヨーク)、フィールド ミュージアム(シカゴ)は「教育的にアクチブの極めて華々しき活動を致し ていると云う点であります。亜米利加のナチュラルヒストリーミュージアム などでやつて居る積極的な活動の状態は、博物学其ものの陳列其他の舞臺の 他に、一つの大きな教育館と称するホールを有つて居りまして、(中略)如何 なる小学児童でも其処へ行けば手に取るように教えて呉れるような、さう云 うやり方をして居ります」、また、博物の講義を教育する、動物の教育をする、

鉱物の教育をする、是等の写真なども沢山有つて居ります」

とし、海外の博物館は多数の標本を有し、また、サイエンスを中心とした博物館は、実験な どを含め、来場者に対しての説明などのサービスも含めた動的な活動が行われている、とし ている。つまり、秋保は、欧米先進国における博物館で行われていたこのような活動を参考 とし、各博物館における特徴的な内容を、科博本館の建物に集約することで日本初の科学博 物館を作り上げようとしたのである。秋保は、構想の段階でこれらの活動ができるような諸

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室の配置を検討し、また、実施設計では各室での活動に必要な設備を整備させた。子供から 大人まで、内部だけではなく広く民衆に開けた施設を公開することが、彼が理想とする動的 な博物館であったことが窺い知れる。

陳列方法については、展示室に展示物を単に並べるだけではなく、実験や体験ができる ような、動力用の電源や給排水の設備を備える。特に 1 階の理工学部の陳列室には実験装 置を整備し観覧者が自由に使用できた(図 2-31、32)。また、地下 1 階には暗室実験場が設 けられX線や真空管放電、紫外線などの実験装置も整備された(図 2-33)。

移動博物館としては、全国の博物館に対して標本の貸し出しや、巡回の展覧会を行うた めに、多くの標本が必要であり、これを備えるための植物や地学、動物などの標本室も設 けられた(図 2-34)。

また、科学教育の一環として、科学映画の上映会や講演会などが開催され、コレクショ ンとしての写真や映画を見せるために講堂や映写室などが必要であった。(図 2-35、36)

また特別展示などにおける展示手法などの工夫により集客を行ったり、施設を利用する 研究者に対して、解説書やパンフレットの印刷や配布、写真などの印刷物を研究に使用し てもらうなどの目的で印刷室が必要であったと考えられる。

研究者や観覧者の利用のために、専門書や参考所を所蔵した図書館や、学校生徒などの 団体用の講義室を設置し、研究や学習のための諸室を備え、また、自由に利用できる公衆 食堂なども備えていた(図 2-37〜39)。子供の科学趣味の涵養に必要な、体験型の実験や講 義を行うための展示室や講義室、講堂などを備え、また、屋上には天体観測用の設備を備 えていた(図 2-40)。

以上から、「秋保私案」と「震災復旧新営図」は建物の平面形状は異なるものの、秋保の いう動的博物館の構想は大正後期に作成された「秋保私案」には既に反映されており、「震 災復旧新営図」をもって実現したと考えられる。この間に、大きく変化したのは、観覧者 用の展示棟と職員用の事務棟を分離することにより室構成が整理された点と、屋上におけ る赤道儀室の設置である。赤道儀室は秋保のいう動的博物館としての参加型の積極的な活 動に供する設備として重要な設備であったと考えられる。

海外の博物館では当然のことのように行われていた動的な活動を、規模は及ばないもの の、日本で最初の科学博物館として、模範となるような博物館を上野に開館したかったの だと考えられる。したがって、秋保のいう動的博物館とは、海外の科学博物館で行われて いた経営方針を指し、これに必要な活動を行うことができる設備を備えた博物館として国 内で初めて実現したのが昭和 6 年に竣工した科博本館であったといえる。

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図 2-32 1 階 展示室におけるメカニズム展示の様子

図 2-33 地下 1 階

暗室におけるレントゲン線実験の様子 図 2-31 1 階 理工学部陳列室

図 2-34 地下 1 階 地学部研究標本室 図 2-29 科博本館外観 昭和 6 年竣工 図 2-30 1 階 中央ホール上部

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