第 4 章 断り発話に至るまでの言語行動について([課題 1])
4.4 結果と考察
4.4.1 断り発話に至るまでの言語行動の有無について
依頼発話が発せられてから「1 回目の断り」に至るまでの言語行動の有無に関する JNS と SNS の結果を以下の図 4-1 にまとめる。
66.7 66.7 70.0 36.7
33.3 33.3 30.0 63.3
0 20 40 60 80 100
SNS-M SNS-F JNS-M JNS-F
%
図4-1 断り発話に至るまでの言語行動の有無の結果
有 無
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図 4-1 に見られるように、JNS の場合、断り発話に至るまでの言語行動が「有」は、
JNS-F が 36.7%(11 組)で、JNS-M は 70.0%(21 組)である。この差は有意である(χ2(1)
= 6.696, p = .0097)。つまり、日本語母語話者では男性の方が断り発話までの言語行動 が多いことになる。他方、SNS は男女とも 66.7%(20 組)を占めている。
両母語話者を比較すると、JNS では、JNS-F に比べ JNS-M の方が断り発話に至るまで の言語行動は有意に多かった。一方、SNS では、SNS-F と SNS-M 両話者ともに断り発話 に至るまでの言語行動の使用が同じく多かったことが分かる。
この結果を見ると、JNS-F を除いて、断り発話に至るまでの過程でクッションとして 何らかの言語行動が挿入され、依頼後直ちに断りを表出しない傾向が両母語話者間で 見られた。これに関しては、先行研究で指摘されてきたように、断る側は断り意図を 表明する前に別の言語行動を挿入することにより、ストレートな断りを避けようとし ていると考えられる。
任(2004, p. 75)は、このような断り前に表明される発話は、「断りを予告するシグ ナルとして、断りを和らげる働きをする」と指摘している。Kawate-Mierzejewska (2002, p. 255)は日本語母語話者(JJs)とアメリカ人日本語学習者(AJs)の断り談話の連鎖を分 析した結果、両者ともに「遅れ(Delay)」が最初の断りの前に多く出現し、特に JJs は AJs より多いと述べている。Kawate-Mierzejewska (2002, p. 256)によれば、断りのやりと りに見られた「遅れ」は、談話組織における「好まれない会話応答形式」で説明できる と述べている。断りを表明する前の「遅れ」としては、情報要求をしたり、情報を確認 したり、繰り返しをするなどの行為がそれにあたる。つまり、好まれる返答をする際 は、直ちに返答できるが、断りのような好まれない返答をする際は、情報を聞いたり、
確認したりするなど、「遅れ」が見られるということである。「遅れ」の使用は、断りと いう好まれない返答が行われなければならない場合の談話の連鎖組織の特徴の 1 つで
あるとKawate-Mierzejewska (2002)は述べている。また、藤原(2003)は、インドネシ
ア語母語話者と日本語母語話者はともに、断りの直前に笑いや、情報要求をしたり、
相手が言ったことを繰り返したりする発話が見られたという。吉田(2015)は依頼場 面において日本語母語話者とマナド語母語話者の断りに至るまでの言語行動を分析し た結果、日本語母語話者には個別意味公式【繰り返し】や【共感】に分類される表現が 多く見られたと述べている。一方、マナド語母語話者は【情報要求】、【ためらい】、【情 報確認】が多く見られたという。また、マナド語母語話者の方が断り発話に至るまで
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の間に言語行動を入れる割合が高く、しかも、そのやり取りが長いと分析している。
この結果から、断り前にさまざまな言語行動が現れるのは、断りを表明することは心 理的負担が大きいと結論づけている。
以上の先行研究の説明から、断り発話に至るまでに挿入される言語行動や「遅れ」
の使用は、断りの前置き、またはクッションとして重要な役割を果たしていることが 分かる。分析の結果、JNS-F を除いた他の話者は、断り発話に至るまでの段階で、前置 きのための言語行動をより多く使用していることから、断る側の心理的な負担が大き いことがうかがえる。要するに、断りを表明する前に挿入される言語行動は相手への 配慮表現行動と見なすことができるだろう。好まれる応答形式については、人に何か を頼まれた時に、相手の意向を受諾するなら、「はい」のみでも済ませることができる。
しかし、断る場合には、様々な発話が挟まれ、結果的に長い答えでやり取りすること になるのである(メイナード 1993)。
本研究の結果を吉田(2015)の結果と比較してみよう。吉田(2015, p. 58)では、日 本語母語話者とマナド語母語話者について、両母語話者ともに断り発話に至るまでの 過程では、特徴的な言語行動は少なく、勧誘を受けると、直ちに断り意図を表明して いると述べている。事実、出現率を見てみると、吉田(2015, p. 58)では断り発話に至 るまでの言語行動の出現率が 3 割程度である(JNS は 28.6%、MNS は 34.3%)。それに対 し、本研究の結果では JNS-F を除いて、それぞれ断りに至るまでの言語行動が 6 割以 上とかなりの高頻度で使用されている。では、どうしてこのように異なる結果となっ たのだろうか。この理由を考察してみたい。
まず、吉田(2015)では「映画への勧誘」に対する断りという場面が設定され、本研 究ではアルバイトの代行の依頼に対する断り場面というように、両研究で設定場面が 異なることによる可能性がある。断り行動への影響に関して、馬場・禹(1994, p. 44)
は、断り表現は場面・相手との関係だけではなく、依頼内容50などの影響を受けると指 摘している。調査によって設定される場面・相手、そして依頼内容が、そこで行われ る断り行動に影響を与えるわけである。また、断り行動について、森山(1990, pp. 59-60)は、断り表現は物事の利益・負担度および緊急度によって違ってくると述べている。
50 馬場・禹(1994, p. 44)は依頼内容を「当然のことで実行の負担が軽い依頼内容」、「当然と は言えないが、広義には勉強の一部とか生活とかに関わることで、実行の負担が重い依頼内 容」 、「当然でないことで、実行の負担が軽い依頼内容」、「当然でないことで、実行の負担 が重い依頼内容」と 4 つに分けている。
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勧誘と依頼の場面を比較してみると、両者とも相手に働きかけ、相手に行動を促す という点では共通している。では、なぜ両場面の断り行動に違いが現れたのだろうか。
吉田(2015)の場面のように、「映画への勧誘」では勧誘者と被勧誘者が共に行動を することを提案しているわけである。つまり、勧誘側がその好意により被勧誘側に対 して積極的に誘うことは、両話者のポジティブ・フェイスを満たそうとする行為であ る。勧誘行為について、文(2004, p. 127)は「両者の『積極的フェイス』51を満たすこ とから、『誘い』は一種の積極的な行為要求を意味する行為である」と述べている。そ のような誘いを断ることは、相手からの好意に基づくある行動への誘いは、たしかに ありがたいことかもしれないが、要求されているその行動を自分が本当に望んでいる のかどうかを判断することは比較的容易である。そのため、断りにそれほどの躊躇は 必要ないことかもしれない。その代わりに、断った後の段階の関係修復に多くの言語 行動が費やされる可能性がある。
他方、依頼は、相手のネガティブ・フェイスを侵害する可能性が高い場面である。
被依頼側が行うことになる行動は、被依頼側が望んでいるのでなければ、負担をかけ ることになるからである。依頼について、文(2007)は「『依頼』は一種の消極的な行 為要求を意味すことになり、『依頼』を断ることによって起る利益・負担度及び危険性 は最も高い」と (p. 125)は指摘している。とりわけ、本研究の依頼場面では、依頼内容 が学会のアルバイトなので、それに穴をあけるという事態は絶対に避けなければなら ず、受諾の必要性に迫られている。このような状況で断るということは、依頼側の懸 案事項が解消されることにならないと被依頼者は考えるだろう。親しい友人どうしと いう関係から、ポジティブ・ポライトネスの観点から、できれば依頼を無下に断らず に、受けてあげようと考えるだろう。そのため、例えば、どのような業務なのか、どれ くらいの時間にわたって拘束されるのか、アルバイト代はどの程度なのかの情報を聞 き出し、自分でできるかどうか、その際のメリット・デメリットをめぐるやり取りが 十分に想定される。そのため、断りに至るまでの過程が比較的長くなるのではないか と考えられる。したがって、本調査の依頼場面は、勧誘に対する断りという場面に比 べ、断ることに対する心理的な負担が高く、前置きやクッションのような表現の出現 が多くなったと考えられる。
51 積極的フェイスは英語の“positive face”(〖ポジティブ・フェイス〗)の訳である(フェイス 概念については序論p. 1を参照のこと)。
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次に、スンダ社会における言語行動について見ていく。スンダ社会は対立的な社会 ではなく、社会的属性や経済的地位が特に談話に使われる表現を決定するとAziz (1996, pp. 63-64)は述べている。そのため、Aziz (1996)によると、断る場面において、断る側 は相手の要求を断るリスクが大きすぎると認識した場合、不本意ながら要求を受諾す ることもある。そうすることによって、丁寧さや敬意を表明することができるという。
また、Sukmawan & Darmayanti (2014, p. 346) はスンダ社会のインターアクションは
“silih asih, silih asah, silih asuh (every individual must love each other, teach each other and care each other to create the athmosphere that is colored by intimacy, peacefullness and
familiarity”(〖全ての個人がお互いを愛し、お互いに教え、お互いに気を配って、親密
さ、平和、親しみに満ちた雰囲気を作り出さなければならない〗)という原則に基づ いて態度を決定すると述べている。この考えに基づくと、SNS は断る場面で、なかなか 直ぐには断れず、順序良く少しずつ断りに進むという習慣が背景要因としてあるので はないかと考えられる。スンダ語では“malapah gedang(〖目的は近いのに遠回しに行く
〗)”という慣用句があり、“malipir heula memeh nyaritakeun maksud nu saenyana” (〖本 当の話しを伝える前に、遠回しに表現する〗(Sudaryat 2016, p. 73)という文化がある。
Setiawan (2015)によると、このようなインドネシア人スンダ語母語話者の話し方は、
相手に対して配慮し、婉曲的に話すということである。Aziz (2006)はスンダ人が断る際 の事情を説明する特徴として、発話量が多く、くどいという点を挙げている。直接“No”
と表明するストラテジーとは全く異なり、断り手にとって自分の断りが曖昧であるよ うに見え、間接的な断りになる傾向がある。さらに、自分の依頼を断り手が拒否する つもりであると依頼者が認識できるまで、依頼者はやり取りを続けていかなければな
らないとAziz (2006)は述べている。すなわち、相手との人間関係に関わるため、断り
発話を述べる前に、直接的な表現を避け、前置きとしての話があちらこちらに移って から、話題が断る発話へと至ることになるというわけである。したがって、断り場面 では、即座には断らない可能性があると言える。
では、なぜ JNS-F は断り発話に至るまでの言語行動が他の話者より少なかったので あろうか。JNS-F は、断り発話に至るまでの言語行動に着目した分析において、付随的 な表現の使用が、JNS-M よりに有意に少なかった(JNS-F は 36.7%(11 組)、JNS-M は 70.0%(21 組)、(χ2(1)=5.406= , p = .0201)。JNS-F は、JNS-M よりこの段階で相手への配 慮を行っていないということであろうか。