第 2 章 運転支援システムの関連研究
2.3 ドライバの心理に関する研究
22 第2章 運転支援システムの関連研究
DTCおよびRaを用いて先行車との衝突リスクに関する情報をリアルタイムに提示す る安全運転支援システムが提案され,テストコース上での実車実験[32, 33]によりシステ ムの有効性が示されている.
オートメーション・サプライズは,人間(ドライバ)がシステムに対して抱く「信頼」
と密接に関連している[35].次節では,人間がシステムを「信頼」するうえで必要な要件 や,それらが満足されない状態である「不信」・「過信」について概説する.
2) 「信頼」の四つの次元と「不信」・「過信」
システムに対する「信頼」とは,「このシステムは目標を達成するうえで役に立つ能力 を備えているか」についての主観的評価のことである[8].Lee and Moray [36]によると,
人がシステムに対して「信頼」を抱くためには,下記の四つの要件をすべて満足する必要 があるといわれている.
(1)基盤的要件(基礎):自然界を支配する法則や社会の秩序に合致していること
(2)機能の安定性に関する要件(能力):終始一貫して,安定的かつ望ましい行動や性能 が期待できること
(3)機能の実現方法に関する要件(方法):機能を実現するための方法,アルゴリズム,
ルールが理解できること
(4)機能の目的に関する要件(目的):システムの意図・動機が納得できるものであること ここで,上記の(2)∼(4)のいずれか6が満たされない場合にユーザがシステムに対して 抱く主観的評価は「不信」と呼ばれる [8].「不信」には,システムが実際に要件を満たし ていない場合だけでなく,システムは要件を満たしているがユーザがそのことを認識して いない(「要件を満たしていない」と過小評価している)場合も含まれる.
一方,(2)∼ (4)のいずれかの要件が満たされていないにもかかわらず,「すべての要件 が満たされている」とシステムを過大評価することを「過信」という[8].たとえば,「こ の運転支援システムはこれまですべての状況に対して適切に対応してきたので,これから もどのような場面が出現しようと,うまく対応してくれるはずだ」と考えるのは(2)の過 大評価に基づく過信であり,「この運転支援システムの機能がどのような原理に基づいてお り,どのような論理に基づいて作動するのかはわからないが,それらの詳細を把握してお かなくても大丈夫だろう」と考えるのは(3)の過大評価に基づく過信である [37].
また,過信に基づいて本来任せるべきでないタスクをシステムに任せてしまう行動は
「過度の依存」と呼ばれ,適切な信頼に基づく正当な「依存」とは区別されるべきもので ある [8].
6運転支援システムを含めた工学的なシステムでは一般的に(1)の基盤的要件は満足されるため,(2)∼ (4)が問題となる.
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3) オートメーション・サプライズの抑制
オートメーション・サプライズに代表される「システムと人間の間での不協和」の低減 に有効なシステム設計の指針として,稲垣 [8]は下記(1) ∼(5)を提案している.
(1) 人間とシステムの状況認識共有を助ける情報を提示する (2) システムの能力限界を知る手がかりとなる情報を提示する (3) システムの判断の根拠がわかる情報を提示する
(4) システムの意図を理解する手がかりとなる情報を提示する (5) システムの状態をわかりやすく伝える情報を提示する
たとえばFCWSやACCの場合,(1), (2)はそれぞれ先行車の検知状況や先行車を検知
できる範囲をメータディスプレイ上に表示することなどが相当する.また,(3)の例とし て,衝突リスクの大きさをバーなどで表示し,警報提示の閾値を明示することが挙げられ る.FCWSに関する筆者の先行研究 [31]では,2.2.7節で述べたDCAの値をバー表示す るとともに警報提示の閾値を印で示すことにより,「急な警報に対して驚かなくなる」と いった報告を得ている.
(4)の例としては,たとえば前方障害物に対して自動で制動あるいは操舵を行うシステ ムにおいて,システム作動時に制御の内容を音声で伝えたり,ブレーキべダルやステアリ ングが連動することでシステムがどのような制御(制動・操舵)を行っているかを明示す ることが挙げられる.
最後の(5)は,システムがオフになっていないか,故障していないか,といった情報を ドライバに対して明確に伝えることなどが相当する.
2.3.2 リスク・ホメオスタシス理論
1) 運転支援システムとリスク補償行動
Wilde [38]は,ドライバの内部にある受容可能なリスクの量が変化しない限り,ドラ
イバが取る行動の危険度は変化しないというリスク・ホメオスタシス理論 (RHT: Risk Homeostasis Theory) を提唱している.RHTによると,ドライバは自らが冒していると 感じるリスクの量(知覚されたリスク水準,図2.3中のb )と受容可能なリスクの量(リ スクの目標水準,図2.3中のa)を比較し,前者が後者に一致するような調節行動を行う
Perceived Costs And Benefits of Action Alternatives
Perceived
Skills Adjustment
Action
Lagged Feedback
Decision Making Skills
Vehicle Handling Skills Perceived
Level of Risk
Desired Adjustment:
+ -Comparator, Summing Point
Resulting Accident Loss Target Level
of Risk
1
2
3 4
a
b
c
d
f e
0
≅
−b a
図2.3: Risk homeostasis theory [38]
とされる.リスクの目標水準は,リスクを冒すことによって期待される利益と損失7の差 が最大になるようにドライバが主観的に決定する.
つまり,運転支援システムの導入によってドライバが知覚するリスクの量が低下したと しても,当該ドライバのリスクの目標水準がシステム導入前と同じであれば,低下したリ スクを埋め合わせる形で不安全行動(リスク補償行動)を行う,とRHTは主張する.実 際に,ACCやNVESの導入によって走行速度が増加したり,自動ブレーキシステムの導 入により追従走行時の車間距離が減少するといった事例が確認されている[39, 40].
2) 運転支援システムの導入に伴うリスク補償行動の抑制
前項で述べたように,運転支援システムの導入によってドライバが知覚するリスクの量 が低下し,リスクの目標水準を下回ると,リスク補償行動が生じる可能性がある.これを 抑制する方策として,下記の二つが考えられる.
1)ドライバが知覚するリスクの量(図2.3中のb )を増加させる 2)ドライバのリスクの目標水準(図2.3中のa )を低下させる
1)の例として,錯視などを利用してリスクを実際よりも過大に知覚させるシステムや,
車両挙動の安定度や前方車両との衝突リスクといったドライバが直面するリスクの客観的 な評価値をフィードバックし,ドライバが知覚するリスクの量を適正化するシステムが挙
7たとえば,走行速度を上げれば目的地に早く到着できるが,事故発生時の被害は大きくなる.
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げられる[11].ただし後者については,ドライバが知覚するリスクの量よりもシステムが 提示するリスク評価値が低い場合に,むしろリスク補償行動を招く可能性もある.
2)について,Wilde [38]は無事故運転に対して自動車税の減額や保険料の値引きといっ た報酬を与えるインセンティブ・プログラムが最も有効であると述べている.また,先行 研究 [41]では,NVESとともに燃費計の提示を行うと,ドライバに「燃費を向上させた い」という動機が生じて走行速度が抑制され,NVESに欠報が生じた際の回避行動の遅れ が小さくなるといった副次的な効果が確認された.
このように,リスクの目標水準を低下させるには,安全運転によってドライバが感じら れる主観的な利益を高めること,すなわちドライバの安全運転に対する「動機づけ」を高 めることが有効であるといえる.次節では,心理学の動機づけ理論について簡単に紹介 する.
2.3.3 動機づけ理論
1) 外発的動機づけと内発的動機づけ
心理学における動機づけ[42]の分類として広く知られているものに,内発的動機づけと 外発的動機づけがある.これらの定義として最も一般的に用いられてきたものは,行為が 手段的であるか,あるいは目的的であるかに基づくものである[43].すなわち,内発的動 機づけとは,行動すること自体が目的で,それ以外に報酬を必要としないような状態を指 す.これに対して外発的動機づけとは,金銭的な報酬や罰などの外的要因によって行動し ている状態をいう.
一方,Deci [44]は,「人がそれに従事することにより自己を有能で自己決定的であると感
知することができるような行動」のことを「内発的に動機づけられた行動」と定義し,行 動を通して有能感と自己決定感が得られる状況では,報酬などの外的要因がなくともその 行動が持続すると述べた.ここで,「有能感」とはWhite [45]のイフェクタンス動機づけ の概念を受けたものであり,「自らが周囲の環境と効果的に相互作用しているという感覚」
を意味する.また,「自己決定感」はdeCharms [46]の自己原因性の概念に基づくものであ り,「自らが自らの行動の原因であるという感覚」のことである.
その後,Deci and Ryan [47]は,自己決定感の強さに応じて外発的動機づけを4段階
(外的調整段階,取り入れ的調整段階,同一視的調整段階,統合的調整段階)に分類し,手 段的な動機づけである外発的動機づけの中にも自己決定感が高い状態が存在するとした.
最も自己決定感の低い外的調整段階は,金銭的な報酬や罰によって「仕方なくさせられて いる」状態である.これに対し,最も自己決定感が高い統合的調整段階は,ある課題に取
り組むことが当人の価値観と一致し,自らの意思でその課題を選択している状態である.
学習やスポーツなどの分野において,当人の自己決定感が高い段階にあるほど成績が良く,
健康面でも優れる傾向にあることが実証されている[48].
以上のことから,運転支援システムの設計においても,ドライバがシステムを通じて自 己決定感や有能感を感じられるような仕組みを検討することが望まれる.たとえば,ドラ イバの運転行動に応じてシステムが何らかのフィードバックを与えることが考えられるが,
その際に留意するべき事項について次項で述べる.
2) フィードバックと動機づけ
Deciの認知的評価理論 [44]によると,フィードバックを含むすべての報酬には制御的 側面と情報的側面があるとされる.前者は行動を統制し,後者は有能感と自己決定感に関 する情報を与える.報酬の制御的側面が顕著な場合には,人は自らの活動が外的報酬のた めに行われていると感じて内発的動機づけを低下させてしまう.たとえば,報酬なしで自 発的に取り組んでいた課題に対して金銭的報酬を与えた場合,報酬が与えられなくなると 課題に取り組まなくなってしまうことが示されている.
このことから,2.3.2 2)項で述べたインセンティブ・プログラムのように金銭的な報酬 や罰を用いる場合,制御的側面が強くなり過ぎないように配慮することが望まれる.実際,
安全な車間距離や速度を維持することで金銭的な報酬が与えられるようなシステムを用い た場合,報酬が与えられなくなると車間距離や速度が元の水準に戻ってしまい,安全運転 が持続しないという報告事例がある[49, 50].
一方,情報的側面が顕著な場合には,有能感と自己決定感に働きかけることで内発的動 機づけに影響するとされる.たとえば,「あなたの成績は平均以上です」といったような言 語的強化(正のフィードバック)が動機づけを高めるのに対し,「あなたの成績は平均以下 です」といった負のフィードバックは動機づけを低下させることが示されている.また,
北田[51]の研究では,負のフィードバックが与えられる場合でも,繰り返し課題に取り組 むことで成績が向上し有能感の獲得が期待できる状況であれば,内発的動機づけが高めら れることが報告されている.逆に,課題が非常に難しいか非常に簡単な場合など,もはや 成績の向上が期待できない状況では動機づけは低下すると述べられている.
たとえば筆者の先行研究 [52]では,ドライバの技能に応じた燃費目標値を1分ごとに提 示するエコドライブ支援システムが提案されており,エコドライブへの動機づけを効果的 に高めうることが示されている.