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佛教学研究室年報

龍谷大学佛教学研究室年報 第1号(1985)

龍谷大学佛教学研究室年報 第1号(1985)

... 収録論文: 8 件 楠 淳証 著 良遍の「唯識観」 龍谷大学大学院仏教学研究年報 2-7 詳細 根無 一力 著 殺遅碁の喩について 龍谷大学大学院仏教学研究年報 8-9 詳細 伊藤 正順 著 『八巻本』と『六巻本』の比較研究 龍谷大学大学院仏教学研究年報 10-11 詳細 ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 004早島 慧「複合語解釈からみた「勝義(paramartha)」」

龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 004早島 慧「複合語解釈からみた「勝義(paramartha)」」

... なお,本稿において示す「勝義 J の複合語解釈は管見の限りのものであり,当然筆者が見落と したものも多々あると思われる.本稿において示すことができなかったものについては,識者 のご指摘を賜りたい.. 料園測造『解深密経疏』には多数の「勝義」の複合語解釈が確認されるが,そのうち以下の箇 所は,この MAVBhの解釈と一致する.. ) まさに,その可得が智慧によって仮設され[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 002ウィックストローム, ダニエル「法界縁起と如来性起」

龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 002ウィックストローム, ダニエル「法界縁起と如来性起」

... このように、法蔵は性起を果位の起用に限定して強調している が、この点は性起が二乗や地獄までの諸位に通じて普賢行によっ て発起すると述べた智僚と異なる。殊に既述したように、智僚は ﹁性起品﹂の原文にある﹁二処不得生長﹂を解釈するにあたって、 地獄や声聞に性起があると解釈した。一方、法蔵は同じ記述に基 づいて、﹁如下文薬樹王生牙時一切樹同生等。若従此義、初発菩 提心己去皆性[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 004蜷川 祥美「蔵俊の浄土観について」

龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 004蜷川 祥美「蔵俊の浄土観について」

... 若化土者仏地論云、随菩薩所宜、或在色界浄居天上、或 在西方等処所不定、今取相而言西方有二土若登地菩薩各 見他受用土若地前生者便見化土。 ( S V とある。つまり、﹃仏地論﹄を引き、化土において、菩薩の 所宜に随って、登地の菩薩は他受用身を見、地前の菩薩は化 土と見るとするように、他土そのものが、実は他受用土と重 なり合うとしているのである。言い方を変えるならば、この [r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 004櫻井 良彦「瑜伽行派における衆同分」

龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 004櫻井 良彦「瑜伽行派における衆同分」

... a 1 7 ・ a 2 5 ) かの種類(衆同分)は、六種類である。即ち、①界の種類(界の衆 同分)、②趣の種類(趣の衆同分)、③生の種類(生の衆同分)、④処 所の種類(処所の衆同分)、⑤自身の種類(多様な性質としての衆同 分)、⑥性の種類(種姓の衆同分)である。 ①界の種類(三界の衆同分)とは、〔例えば〕欲界の衆生にある、欲 界の衆生の種類(衆同分)である。色・無色界[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 004西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(1)」

龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 004西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(1)」

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龍谷大学佛教学研究室年報 第16号(2012) 003西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(2)」

龍谷大学佛教学研究室年報 第16号(2012) 003西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(2)」

... 悪見の網を鎮める(性質を)もつ 24< 智恵の完成の教理〉を,師である御前 さま (Nagarjuna) は偏頒のみによってお説きになられた.しかし,同門の ある者たちは(師 Nagarjuna がお示しになったことを〕理解していない.. この PP の文言に対してなされた諸研究者の翻訳は以下の通りである(どの括部もすべて原著 のまま).特に,拙訳の「推論と論破の[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 006西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(3)」

龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 006西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(3)」

... 利他を特徴とする果報は「最勝の乗りものをもって,人々に対して,生まれ, 年齢, (四〕姓,場所,時を逸脱せず,異教の創始者,声聞,独覚のすべてと共 有しえない縁起という最高の宝石を,世俗と勝義の諦に依って,生・不生などの 表現をもってお説きになられたのである」という〔文言〕によって述べられてい る.以上が意味のつながりである.. 3 意味のつながりの結びつき そこで,意[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 005長崎 陽子「大正期における仏教社会事業論について」

龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 005長崎 陽子「大正期における仏教社会事業論について」

... 8 6 飽谷大学悌教学研究室年報第 1 1 号 2001 年 3月 を行うことが、与えるだけの唯物的な慈善事業の問題を解決するものである ことを提言した。さらに、社会問題の発生を防ぐということにも努めなくては ならないことを述べ、大正中期以前の救貧を目的とする当時の慈善事業から 脱却し、防貧を目的とする社会事業へ移行する必要性を論じている。 渡辺は、社会事業の性格の一つ[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 005吉田 哲「Pramanasamuccayatika 第一章 Vadavidhi 批判試訳」

龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 005吉田 哲「Pramanasamuccayatika 第一章 Vadavidhi 批判試訳」

... 104-146 "KamalaSila'sInterpretationof`non -erroneous'inthedefinitionof directperceptionandrelatedproblems",ToruFunayama (Dharmakiri'sThoughtandItsImpactonIndianandTibetan Philoso[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 007E.Steinkellner・乗山 悟 「Dharmakirtiにおける刹那滅論証の発展」

龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 007E.Steinkellner・乗山 悟 「Dharmakirtiにおける刹那滅論証の発展」

... 最後の文章はチベット訳には対応がないので、あるいは漢訳段階で挿入された語句の注 解かもしれない。 S 論証法が帰謬的形式をとる必然性は Dharmakirti の新しい論理学以前では直接論証が能力的に限界づ けられることにより説明されよう。類推に基づく旧来の論証形式が、類似した事例なくしては成り立た ない様に、 Dignaga の形式論理学に従った直接論証も主張と根拠の[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 005松島 央龍「*Gatharthasamgraha第4偈」

龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 005松島 央龍「*Gatharthasamgraha第4偈」

... よって、 GAS における器世間の特徴は、今回比較に使用したリストの中では、 AS のみ に説かれている孤地獄を採用していること、および AKBh での五道説を捨て、 AS や『聡伽 論』に採用される六道説を取っていることである.したがってこのリストのみに関して は 、 GAS は AKBh よりも AS など 1 3 、唯識系の宇宙観の影響下にあるとみることが出来るで[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第14号(2008) 003濱野 弘胤「『倶舎論』にみられる「思」の解釈」

龍谷大学佛教学研究室年報 第14号(2008) 003濱野 弘胤「『倶舎論』にみられる「思」の解釈」

... sa'pi ca vijfiaptir bhavadiya sati vidyamana avijfiapter aksepe utpidana-cetanaya balarn samarthyarn nibhalayate apeksate. kasmat jadatvad apatuvac cetana-balam antaren[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第19号(2016) 003桑月 一仁「『転有経』第2偈の引用文献」

龍谷大学佛教学研究室年報 第19号(2016) 003桑月 一仁「『転有経』第2偈の引用文献」

... 23 PPPAV TrK k.20 引用箇所 Ch.: T25.903b23-c10 復説後空.如彼頌言. 別別所有法 此説遍計性 彼勝義非有 諸法如是説(PPPA k.14) 此言別別所有法,此説遍計性,等者,此破遍計性.別別者,即各各義.謂此所有 遍計性故.遍計者,取著義.取著何法.即色等法,此者如是義,説謂言説.此中總意, 謂,各別諸法勝義諦中,彼非有故.是故頌言,彼勝義非有.諸法如是説.勝義非有者, ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 004大谷 由香「江戸時代における唯識教学 : 基弁撰『大乗五種姓玄論』を中心として」

龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 004大谷 由香「江戸時代における唯識教学 : 基弁撰『大乗五種姓玄論』を中心として」

... 基弁は﹃五種姓玄論﹄において趣寂種姓成仏義をとなえ るにあたって、多分に ﹃ 漁伽論﹄を引用し、全く ﹃ 漁伽 論﹄そのものに立ち返ってこれを解釈するという、復士口的 研究方法を採っていることは、前に明らかにした・基弁の 師である基範の、そのまた締である高範は、結城氏によれ ば﹁さすがに南都の正統を継承せるだけに、鎌倉時代の研 究はもとより、光胤、興基、営尊等、いわゆる[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 002井上 博文「『観薬王薬上二菩薩経』と関連経典」

龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 002井上 博文「『観薬王薬上二菩薩経』と関連経典」

... 讃歎し、また大衆に誉め称えられました。知来は今両方の白から 光を放ち、(その光は)摩尼珠のように今、彼らの額にあります。 このすばらしい瑞相 30 は昔から見られていません。よろしければ 天尊 3 1 よ、私にこの二人の菩薩の昔の因縁を解説してくださしリ そこで世尊は阿難におっしゃった。 『よく聞きなさい、よく聞きなさいそしてよく考えなさし、。私は あなたにこの二人の菩[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第3号 007藤田 祥道「瑜伽行派における『雑阿含』703経の解釈をめぐって」

龍谷大学佛教学研究室年報 第3号 007藤田 祥道「瑜伽行派における『雑阿含』703経の解釈をめぐって」

... 輸伽行派では、しかし、このような「無所縁識存在証明」ないし「三世実有説批判」という 『成実論』や『倶舎論』とも共通する文脈から離れた、独自の観点からの解釈・評価がこの経典 になされる。まず、 『雑阿合経』に対する注釈書的性格をもっ『輸伽論摂事分』がどの様に経を 解釈しているかをみてみることにしよう。 『摂事分』は、上述したような内容をもっ雑阿合経を内容的に1.説正法教、[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 003野呂 靖「基弁撰『大乗一切法相玄論』における心識説」

龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 003野呂 靖「基弁撰『大乗一切法相玄論』における心識説」

... 又腕=唯議論述記-聴者至六百余人﹂と伝えている(﹃浄土宗全容﹄ 一八、一八九頁 上 ). 撰集成篇四十五巻 .2 浄土宗全書﹄一八、一八九頁上) ・ 元文二年丁己洛之智山和之豊山錨侶 謀儲 師於因幡堂西坊 講唯議 論述犯.聴者 五百有余人.. ・享保十七(一七三二)年、湛慧、和泉明王院にて﹃述記﹄を講 述す.この時期﹃集成編﹄を撰述.[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第16号(2012) 004吉田 哲「Pramanasamuccayatika第一章 (ad PS I 6 - 8ab & PSV) 和訳」

龍谷大学佛教学研究室年報 第16号(2012) 004吉田 哲「Pramanasamuccayatika第一章 (ad PS I 6 - 8ab & PSV) 和訳」

... 2 ・ 7 ] 【反論】しかし、この〔上述の〕意味内容は、〔これ以降に〕述べる であろう例外規定だけで理解されるのではないか。従って、「のみ J という言及 に何の用があろう。【答論】これはもっともであるが、そうであっても、主要で あることを知らしめるため〔に「のみJ という言及がある〕のであり、この〔ヨ ーガ行者の知に関する〕定義文においてこそ、この意味が明らかにされ[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 004西山, 良慶「良遍撰『転換穂本質事』「二乗転換本質事」翻刻読解研究」

龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 004西山, 良慶「良遍撰『転換穂本質事』「二乗転換本質事」翻刻読解研究」

... 良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 心自在を理由とするならば、これらの﹁種生現﹂の論理を飛び越えて土石を金銀に変じたとしても一見、良いようにも思われる。しかし、 種生現の論理や法相について了達しているからこそ、菩薩はその論理を離れることなく不思議の境界を示すのである。このように不思議の 境界を論理的に理解しようとする点はすこぶる唯識的であり、また[r] ...

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