北胤胎院の品げ十ム一餌肌について
書提院贈僧正蔵俊(一一O
四l
一 一 八O
)
は、平安時代末 期の法相宗・興福寺の学匠である。法相唯識は鎌倉時代に一 乗融会の思想を強調することによって、大きな転換点を迎え たといわれる。3
蔵俊の孫弟子にあたる員慶(二五五1
一一二三)の思想にその傾向がみられることは、従来の研究 によって明かである。しかし、貞慶以前の法相宗の学僧達に そうした傾向がみられるか否かについてはほとんど研究が進 んでいない。ただ、貞慶草の﹃唯識論尋思紗﹄(以下﹃尋思 紗﹄と略称)には、その奥書に、 其以就故上綱変旧抄等。取略拾。︹ 2 u とあり、﹃尋思紗﹄が故上綱(蔵俊を指す)の﹃変旧抄﹄に よって書かれたものであること。また、良算(一一七O
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一 二一八)によって編纂された﹃唯識論同学妙﹄(以下、﹃同 学齢﹄と略す)十の五の奥書に、 只是以変旧抄為規模。3
とあるように、﹃同学紗﹄が﹃変旧抄﹄を規模として書かれ たものであることなどから、鎌倉期の法相宗の学僧達に、蔵 俊の多大な影響があったことは間違いのないことである。 ところで、﹃尋思妙﹄・﹃同学紗﹄等は、﹃成唯識論﹄に 関する論義を集めた妙本である。このような論義を集めた蔵 俊の紗本で、現存するものとして、﹃論第六巻菩提院紗﹄四 帖2
がある。この﹃論第六巻菩提院紗﹄は、大日本仏教全 博士後期課程三回生 強川祥美 書所収の﹃同学紗﹄に入っていたもので、四帖それぞれの奥 書に蔵俊の名がみえるところから、彼の著述と認められてい るものである。 従来の研究では、この﹃論第六巻菩提院妙﹄は、貞慶や良 算等の記している蔵俊の紗本の呼び名、﹃変旧抄﹄と同一の ものとされてきた。円三そして、この﹃論第六巻菩提院妙﹄ は、﹃変旧抄﹄と同様、﹃成唯識論﹄第一巻から第十巻まで すべてに関する論義を集めた、﹃書提院紗﹄と呼ばれるべき ものの一部であるとされているのである。5
これは、﹃尋思紗﹄の中に、﹁本云﹂と引用されている論 義3
のうち、﹃成唯識論﹄第六巻に相当する部分の十六の 論義において、﹃論第六巻菩提院紗﹄内の論義と同一のもの が存在し、また、大正新修大蔵経所収の﹃同学紗﹄の中にも 十三の﹃論第六巻菩提院紗﹄と同一の論義が存在するからで ある。しかし、こうした﹃論第六巻菩提院紗﹄を﹃変旧抄﹄ と同一のものとすることには賛同できない。﹃論第六巻菩提 院紗﹄に、次のような記述がみられるからである。すなわち、 具如変旧抄。可見之。百︺ とある。この記述は、﹃論第六巻菩提院妙﹄とは別に、﹃変 旧抄﹄という紗本が存在していることを示すものである。こ のことから、蔵俊には、﹃菩提院妙﹄(﹃論第六巻菩提院妙﹄) と、その内容については重複した点がみられるが、しかし、それとは別なものとして﹃変旧抄﹄という紗本があることが 明かになった。
2
この両書については、未だその全体が発 見されておらず、その内容についても、不明な部分が多いの だが、﹃変旧抄﹄という鈴本について、その名称を考える時、 蔵俊に、﹁旧を変ずる﹂といった教学が存在していたのでは ないかということが想像できる。そこで、本論では、蔵俊の ﹃変旧抄﹄について、特に、浄土観を中心に考察することと す る 。 従来、法相家の浄土観といえば、鎌倉新仏教たる法然浄土 教に対する批判勢力としての評価がなされてきた。貞慶の ﹃興福寺奏状﹄は、その代表例である。これは、旧仏教とさ れる彼らにも、独自の浄土観があり、浄土信仰があったから なのである。貞慶は観音の浄土への信仰を有していたし、貞 慶の孫弟子にあたる良遍(一一九四l
一二五二)は弥陀浄土 信何を有していたことが知られている。現在のところ、蔵俊 にこうした浄土信何が存していたか否かについては判然とし ないのだが、彼の浄土解釈については、﹃変旧抄﹄によって 独自のものを見いだし得る。 法相教学では、浄土という語を、特に四種の仏国土を論ず ることによって詳説する。法性土・自受用土・他受用土・変 他土の四土である。まず、法性土とはその居座の身である自 性身ともども真如の理であると説かれる土である。この土は その量が無辺であって、別の処所にはなく、十地の菩薩にも 生ずることができないとされる。次の自受用土については、 ただ仏と仏との境界であると説かれている。これは、この土 が自ら広大なる法楽を受用する仏身である自受用身の、自利 無漏純浄仏土の因縁の成熟によって変為された仏土であるか らである。つまり、この土は、ただ仏の自利の後得智によっ てのみ証得される仏土であって、有情が生じることのできな い土なのである。これに対して、もう一つの受用土である他 受用土は、他受用身が十地菩薩のために通じて法を説くこと を旨とする仏身であることより、諸如来の利他・無漏・純浄 の仏土の因縁の成熟によって、十地に住する菩薩のために変 為された浄土であると説かれている。この土は諸仏の利他、 平等性智の大慈悲力によって建立された浄土であるというと ころに大きな特徴があるのである。最後に他受用土と並んで 諸仏が衆生のために建立したもう一つの国土が変化土である。 この土は、変化身が未登地の諸菩薩衆並びに二乗・異生のた めに通じて法を説くことを旨とする仏身である性格上、その 利他・無漏・浄識の仏土の因縁の成熟によって未登地の有情 のために化作された土であると説かれている。ぞれ故、この 土は、同じく諸仏の利他によって化作された仏土であるとい っても、他受用土とは異なり、諸仏の成事智の大慈悲力によ って示現した国土であるということと、また、この土は浄土 のみならず、棋士にも通じているという点にもその特色をみ ることができると思われる。 ( 1 2 ところで、これらを三土説に当てはめるならば、法性土は 法土に当たり、自受用土と他受用土は報土に当たり、変化土 は応土ということになる。三土説では、仏が衆生のために変 現した国土は報土と応土ということになるが、四土説では、 Q u n d他受用土と変化土の二土のみがあたることになる。 こういったところが、法相宗の浄土説の概略なのであるが、 弥陀や弥勅等の諸仏諸菩薩の土が、はたしてどの浄土に該当 するのかということが、古来、問題になっていたようである。 弥陀浄土について、ぞれがただ報土なのか(唯報説)、報 土・化土にも通ずるのか(通化説)という問題を扱った﹁安 養報佑﹂という論義がある。これは、慈恩(六三二
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六八二) が﹃大乗法苑義林章﹄﹁仏土章﹂において、唯報と通化の両 説 を 述 べ た 後 に 、 二釈任情取捨随意。 ( 1 1 v と述べて、その取捨を後世の学者の意に任せてしまったとこ ろに端を発つした論義であると考えられる。 慈思が西方浄土について述べている文献には、﹃大乗法苑 義林章﹄(以下、﹃義林章﹄と略称する)の他に、﹃観弥勅 上生経疏﹄、﹃西方要決釈疑通規﹄(以下、﹃西方要決﹄と 略称する)、﹃阿弥陀経疏﹄などがある。このうち、﹃西方 要決﹄と﹃阿弥陀経疏﹄には古来、慈恩の真撰か否かについ て疑問視されている。これは、兜率信何者である慈恩が西方 浄土への往生を勧める﹃西方要決﹄のような著述をするのか という観点からのものであったり、﹃観弥鞘上生経疏﹄で唯 報説を主張している慈恩が、﹃阿弥陀経疏﹄でなぜ通化説を 展開するのかという観点からのものである。 ( 1 2 今、こうし た説をいちいち挙げるのは差し控えるが、蔵俊は、﹃注進法 相宗章疏﹄巻一において、この両書を、 阿弥陀経疏一巻大乗基撰 ( 1 2 西方要決一巻大乗基72
と、慈恩の著述として扱っていることが知れるが、これは、 彼に、唯報説と通化説の両方の可能性があることを示してい ス w。
それでは、蔵俊は、﹁安養報化﹂についてどのような立場 を取っていたのだろうか。彼の現存している論義を検討して みることとする。﹃唯識論同学紗﹄十の五の﹁安養報佑﹂と い う 論 義 は 、 己上菩提院僧都筆略載之。?
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︺ と、末尾の細註に述べられているように、蔵俊の考えを示す ものと思われる。ここでは、 宗家処処作二釈。一云唯報仏土。二云通化土也。其中唯 報土釈宗家所存実義。75
といい、彼が唯報説を取っていたとされている。7
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︺ そ の 概 要を示すと、聞いの部分で、まず、 見観経文明九晶往生。於声聞人分中三品。凡位不同説下 三品。既許二乗異生生彼土。定可変化土。 A 1 8 ︺ と唯報というが、﹃観経﹄の九晶往生の中に二乗・異生等の 存在が示されるのは、弥陀の浄土が変化土ともいえることに なるのではないかと言うのである。これに対する答えは、 異生生彼土者。依別時意趣。対治秘密説也。(中略)中 三品羅漢等実是菩薩。借声聞名。是則諸仏及諸大菩薩現 声 聞 形 也 。72
とあり、二乗・異生等の往生について、別時意趣・対治秘密 であるとし、また、浄土に二乗(声聞)や異生(羅漢)等が存在するのは仏・菩薩がその身を現じたにすぎないともいう のである。次に、 況鼓音王経中。説有父母王国及魔王調達。是宣報仏土哉。 ともいい、﹃鼓音王経﹄に弥陀にも父母等があるといい、報 身仏を父母より生じた有情存在と同様に見ているのに、なぜ、 報土であるといえるのかと問うている。これに対する答は、 報身仏為化分段身。更現父母王城等也。 A 2 1 } とあり、父母や王城等は報身仏が現じたものであり、化身仏 ではないことを強調しているのである。なお、こうした蔵俊 の立場は、﹃義林章﹄仏土章の唯報説に基いたものであり、 通化説を述べる段においても、阿弥陀仏に父と母がいたり、 異生が浄土にいることなどからその土が報・佑二土に通じる のだと証した後に、 若依前解。此是他受用身示現。亦有父母王国。実即無之。 実無女人悪道怖等。九品生中阿羅漢等。借彼名説。実是 菩 麓 。 円
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︼ と、それらが皆、他受用身の示現したものと、通化説を否定 している箇所があることと同じである。つまり、蔵俊も、 況仏土章中盤出二釈。労会後釈文還成初解意。知存唯報 仏土釈云事。23
といって、二釈があるが、そのうちの唯報釈が慈恩の立場だ としているのである。 ところで、慈恩の真撰か偽撰かが問題となっている﹃阿弥 陀経疏﹄第一章の仏身を論ずる中に、 間諸往生者見仏何身。答見二種身、若登地書薩見仏受用 身、若地前書薩凡夫二乗見変化身。22
とある。往生すれば、十地の菩薩は受用身を、地前の書薩・ 凡夫・二乗は変他身を見ると問うているのである。これは、 第二章の仏土を論ずる中の、西方浄土に対しても関われ、そ の 答 と し て 、 西方有二土、若登地菩薩各見他受用土、若地前生者便見 他 土 。22
とし、西方浄土で、十地の菩薩は他受用土を、地前の往生者 は化土を見るとしているのである。これは、通化説を明確に 示している文である。こうした考えは、変化土が、浄・穣に 通じるという解釈のあることから生じたものであると思われ る。すなわち、﹃成唯識論﹄の変化土の解釈に、 若変化身依変化土、謂成事智大慈悲力、由昔所修利他無 漏浄犠仏土因縁成熟、随未登地有情所宜化為仏土、或浄 或機、或小或大前後改転、仏変化身依之而住、能依身量 亦 無 定 限 。25
とある。こうした解釈は、﹃義林章﹄も同じで、 仏変化身遺居自土、調成事智大慈悲力、由昔所修利他無 漏浄穣仏土因縁成熟、随未登地有情所宜化為仏土、或浄 或機、或小或大前後改転、仏変化身依之而住、能依身量 亦無定限。如弥鞘土浄、釈迦土犠(中略)随所宜生而現 土故。此土亦以有情五種及器四塵等以為体性。{タZ
と述べられている。では、弥陀浄土に通化説を取る﹃阿弥陀 経疏﹄では、変佑土についてどのように述べられているのだ ろうか。これには、先述した通化説を示す文が含まれており、 - A a u τ若化土者仏地論云、随菩薩所宜、或在色界浄居天上、或 在西方等処所不定、今取相而言西方有二土若登地菩薩各 見他受用土若地前生者便見化土。
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とある。つまり、﹃仏地論﹄を引き、化土において、菩薩の 所宜に随って、登地の菩薩は他受用身を見、地前の菩薩は化 土と見るとするように、他土そのものが、実は他受用土と重 なり合うとしているのである。言い方を変えるならば、この 疏では、変化土が、他受用土である西方浄土にも存するとい う﹃仏地論﹄の説を引くことによって、弥陀浄土の通化説を 立てているのである。 ところで、この﹃仏地論﹄の文は、﹃義林章﹄にも引かれ ている。ただし、ここでは、変化土の解釈においてではなく、 他受用土の解釈においてである。 若他受用土或在色界浄居天上或西方等、処所不定。22
ここでは、他受用土が棋士にも存在している旨が述べられて いるようである。しかし、﹃成唯識論述記﹄(以下、﹃述記﹄ と略す)では、 以化土中有浄有識。非他受用土故言浄識。円g v
とあり、佑土の中に浄と識が有るとはいっても、他受用土に 通じることはないといっているのである。こうした慈恩の考 え方では、他受用土が化土に通じることは言えても、化土が 他受用土に通じることはないことになるのである。 それでは、蔵俊はこうした問題をどのように解釈している のだろうか。﹃同学紗﹄十の五に﹁見者居横土﹂という論義 がある。これは、 問。他受用土可通穣土哉。(中略)若依之爾者。枢要云。 見者居横土利楽有情。亦為現穣云云。両方難思如何。 と、まず、他受用土が唯報土なのか、犠土にも通じるのかと 言い、﹃成唯識論掌中枢要﹄(以下、﹃枢要﹄と略す)に他 受用土を見る者は横土に居して、有情を利楽し、横土を現ず るとあるが、これはどういう意味なのかを問う論義である。 この論義の答釈は、全て蔵俊の説である。ここで、彼は初め 他受用土唯浄土也0
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2
︺ と述べ、その証拠として﹃成唯識論﹄や﹃述記﹄の文を挙げ ている。次いで、﹃枢要﹄の、 他受用土本唯無漏浄。見者唯浄。一切不善諸異熟果皆己 無 故 。32
という文を引く。他受用土は本から無漏の浄土であり、それ を知見する者も唯浄なのであるという文を引いて、再び閉じ ﹃枢要﹄の文を引用して、 見者居犠土。利楽有情亦為現穣。見亦通様。32
という。他受用土を知見する者が穣土に居しているならば、 有情を利楽することは識土を現じていることとなり、他受用 土を知見する者はまた、機土に通じているという文も引いて いる。これは、他受用土の能化身である報身仏や、その土に 居している十地の菩薩は、唯浄であるとも説かれるが、彼ら が有情を利楽する辺を考えると、機土にも通じているとも言 えるのではないか。したがって、﹃枢要﹄には、他受用土が 唯浄であるとする説と、他土にも通じるとする説の二つが存することの矛盾を説いているのである。これに対する蔵俊の 会釈は、以下の通りである。 於他受用土指其処所者。或於浄土現。知安養世界等。或 於犠土現。如云常在霊鷲山也。機土処所現故名穣。非体 是 識 。
A g v
とあり、他受用土に唯浄土と穣土に通じる土の区別があるの は、その土の存する処所によるものであって、例えば、弥陀 浄土等であれば唯浄であるし、霊鷲山であれば横土にあるの だから、議土に通じているともえ言える。ただし、横土に通 じていると言っても、他受用土の自体は唯浄であって、横と はならないと言うのである。つまり、彼は、他受用土の唯報 説と通化説はその土の現じられた処所によって決まるとの意 向をもっていたのである。こうした考えによるならば、弥陀 の浄土を報・化二土と判ずる解釈は生まれてこないことにな る の で あ る 。 それでは、次に蔵俊の他土観を見ることとする。これには、 ﹃同学紗﹄十の五に二つの論義がある。﹁然由本為﹂と﹁知 蝿嘗党王﹂である。まず、﹁然由本為﹂は、 問。変化浄土為地前菩瞳等変之敗。将為十地菩瞳現之欺。 A 3 6 ︺ と、変化土は地前の菩薩等が変じたものなのか、十地の菩薩 が現じたものなのかと聞いている。答として、蔵俊は、 犠土有成壊故。順能居有情有死生。故為地前菩薩等現穣。 不現浄土也。所以現長時浄土之本為。是為十地菩薩也。 といい、十地の菩薩が現じたものであるとする。そして、さ ら に 、 今云。浄穣土仏身其体一也。浄辺為十地書薩。葉上葉中 釈迦是也。属他受用土。故犠土衆見之居穣土。円 3 日 v ともいい、浄土と犠土の仏身は体が一つなのであるから、変 化土の浄の辺は十地菩薩であるとし、ぞれは他受用土に属す るとしているのである。これは、佑土が他受用土には通じな いとした﹃義林章﹄や﹃述記﹄の所述とは異なっており、他 土が他受用土に通じるとした﹃阿弥陀経疏﹄の立場と同じも の で あ る 。 また、次の﹁知螺警党王﹂には、 問。変佑身土通浄土云義。以何事証之哉。32
とあり、変化身の土は浄土に通じるという義は何によって証 するのかと問うている。この論義は、釈迦の仏土が厳浄だと いうのは、他受用土か変他浄土かという問題を論じている。 持警と身子が知見する釈迦の浄土の相の違いによって解釈に 相違が生じたようである。蔵俊は、まず、慈恩の﹃無垢経疏﹄ を 釈 し て 、 但至彼経疏釈者。持嘗党王自所見是他受用土也。上知下 故亦見変他浄土也。通報他浄土之中。化辺仏暫変之。令 身 子 見 之 也 。22
と述べている。これは、八地の菩薩である持警が知見するの であるから他受用土である。他受用土を見る上の者は、下の 変化土も知っている。報佑に通じる浄土の中の化の辺の仏が、 暫く変化土を変じて、身子に見せたのである。つまり、﹃無 垢称経疏﹄では、釈迦の浄土を他受用土として見ているので ある。しかし、この論義の最後では、-43-我見釈迦仏土厳浄者変化浄土也。亦他受用土者通報化。 と、慈思が他受用土と解釈している釈迦の浄土に対して、変 化土という解釈と、他受用土という解釈の二つを並記してい るのである。これも、彼に、変佑土が他受用土に通じるとい う解釈が存したことの証拠となるものであろう。 これまでの所述により、蔵俊の浄土観には、﹃義林章﹄や ﹃上生経疏﹄等の弥陀浄土を唯報土説を取る慈恩の義に依る ものと、﹃阿弥陀経疏﹄等の弥陀浄土を通報化説と取る義に 依るものの、二つの立場があったことが判明した。同一人物 の説に、異なった立場が並存しているのである。これは、先 述した通り、蔵俊に、慈恩の真撰かどうか疑いが持たれてい る﹃阿弥陀経疏﹄を、慈恩の真撰としている立場があったこ とが原因かもしれない。しかし、蔵俊には、﹃菩提院紗﹄と ﹃変旧抄﹄という、唯識教学の正義を述べる立場と、その正 義を変えていく立場という異なった意義をもっ二書がある。 ﹃阿弥陀経疏﹄に基づいた説を﹃変旧抄﹄の説と考えるなら ば、蔵俊の生きた平安末期に既に、唯識教学の正義ばかりに とらわれない、自由な論義が存在していたことを示すことに なるのである。ただし、﹃菩提院紗﹄と﹃変旧抄﹄はほとん どが散逸しており、﹃尋思紗﹄・﹃別要﹄や、﹃同学紗﹄等 に引用されている蔵俊の説などを見るしか、その内容を知る ことができない。つまり、彼の浄土観の全体を知るには、少 々資料不定であることは否めないのである。 しかし、浄土観を述べた箇所には、その他にも論義が存在 する。今、それを挙げるならば、﹃同学齢﹄十の五の﹁彼時 断故付前仏入滅後仏成﹂がある。ここでの蔵俊の説を紹介す る と 、 問。付為十地菩薩現他受用身之義。且所化菩薩叶後地之 時。前地他受用身為間断将如何。
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という、十地菩薩が他受用身を現ずる時、地を進む場合間断 が有るのか否かと闘う論義がある。もし、間断があるといえ 平 也 、 知雄進後地。猶見前地能化仏身云事。若依之爾者大乗経 中。前仏入滅後仏成云云。何可会之耶。22
といい、十地の菩薩が後地に進む時、なお、前地の能化の仏 身を見るということがあるが、大乗経(﹃心地観経﹄)には、 前仏が入滅してから後仏が成ずると説かれている。これをど うして会することができようかというのである。これに対す る答として、蔵俊は、まず、 初地菩薩至第二地之時。初地能化他受用。不滅其身漸大。 依之余初地菩薩即見本所見分斉。二地菩薩見漸大之身。 兼見初地所見之身 025 と述べる。つまり、初地の菩薩が第二地に至る時、初地を能 化する他受用身は、その身を減してしまうのではなく、仏身 が漸に大きくなって第二地の能化身となるとしているのであ る。それ故、第二地の菩薩は、第二地と初地の能化身を兼ね て知見することになるとしている。ただし、こうした考えは 他受用身にのみ当てはまることであり、化身には当てはまら ないようである。つまり、 前劣身相隠。後勝身相顕云入滅成道也。不知佑仏前仏滅別仏成道。故云不同化身経劫現也。若別之仏約処論之。 前後仏間経多劫。如弥陀観音等也。 A 4 5 ) といい、入滅成道というのは、前の劣った仏身の相を隠して、 後の勝れた仏身が顕われることを言っているのであって、化 身仏において前の仏身が滅した後に別の仏身が成道するのと は異なり、化身仏が多劫を経て現ずるのとも異なっている。 ただ、もし、仏を処に約して論ずるならば、弥陀と観音のよ うに、前仏と後仏の聞に多劫を経ることになるのである。こ れは、この文の後に、良算が、 今云。若依此義。不同他身経劫現。亦可一仏。何対一仏 事。以別別仏事。論同不同耶。依之可云。前仏入滅後仏 成之文。別別仏相対説也。上下総説他受用身一仏事。別 別仏事也
025
と指摘しているように、一仏事と別別仏事を一緒に論じてい ることに問題がありそうである。しかし、他受用身を一仏事 で解釈すれば、間断がなくなることを示したのは蔵俊独自の ものであろう。 このように、蔵俊の時代つまり、平安末期には、後世の ﹃尋思紗﹄・﹃尋思紗別要﹄や﹃同学紗﹄の基となる自由な 論義が存在していたことが知れるのである。 ところで、貞慶の浄土解釈については、まず、弥陀浄土に ついて、通化説をとっていたことが指摘できる。23
﹃ 別 要 ﹄ ﹁西方有異義﹂において、 問。極楽所有功徳荘厳皆超三界分斉。以何知彼界共横土 之 事 。22
と、弥陀の浄土は三界を出過した浄土なのになぜ化土がある の か と 聞 い 、 中品三輩是二乗衆也。若唯菩薩不共浄土者二乗豊住哉。 加之説業因挙世三福業。所謂孝養父母奉仕師長等也。其 困既不超汎爾業所感果報室異弥助下生時哉。22
として、﹃観経﹄に説かれる二乗の存在や、往生の業因とさ れる三福業が汎爾の業を超えるものでなく、その所感の果報 が弥勅下生時と同じであるということを理由に通佑説を述べ ているのである。そして、貞慶はこうした通化説について、 次のように述べる。 安養報化古来難諦於化身浄土未詳其相。古賢難達秘而不 記敗。今住愚案眼穿撃也。可恐可痛。但後見之人思而取 捨 長 。 円 50 ︺ これは、古賢はその義に達していたが、あまり明かにされて こなかった通他説を自身が述べたことを記したものである。 古賢が述べていないことを貞慶が知るには、直接聞くより方 法はないであろう。蔵俊もこうした古賢に含まれるかもしれ ないのである。 E u a a ・ ところで、浄土観を述べる場合、見過ごすことができない 問題に、鎌倉時代の法然浄土教との交渉があろう。 蔵俊と法然(一一三三l
一二三一)には、二人が会ってい るという伝説がある。つまり、法然の伝記を記す﹃本朝祖師 伝記絵調﹄巻一に、 保元々年子丙、求法のために修行すとて先嵯峨に参龍、 然後、南都贈僧正蔵俊に、法相宗を学し給ふに、其義甚妙にして、不可思議なりければ、師範かへて、上人に帰 して、仏陀と称して供養をのベ給。︽ 51 ︺ とある。保元元年(一一五六)といえば、蔵俊が五三歳、法 然は二四歳にあたる年である。この時、法然はまだ、浄土宗 を確立しておらず、南都修学時代といわれるように、自身の 考えを確かめるべく諸師に教えを乞うている時期である。つ まり、蔵俊に法然浄土教の影響を考えることはほとんど無意 味なことなのである。円 5 2 } しかし、先述した通り、﹃興福寺 奏状﹄の著者でもある貞慶には、法然浄土教とその批判者と しての交渉がある。弥陀浄土観に関して通化説をとっている 彼であるとはいえ、唯識教学に立脚するかぎり、凡夫が往生 できるのは化土の辺であり、報土に往生するということは認 め難いはずである。ところが、彼は、晩年に至って、﹃観心 為清浄円明事﹄という書において、凡夫の報土往生を認める 案を示すのである。これは、 西方往生機劣土勝。因軽果重。然而現有往生事。挙世不 疑。是只弥陀本願之威力也。而立本願之時。五劫思惟。 其思惟計之。即能知不思議故敗。不爾争発彼希有願乎。 随又有行無行善人以軽微業因勧聖衆来迎。聖衆己現者往 生無疑。但真実浄土業成就。多在彼聖衆摂取暫時之間敗。 不爾争最下凡夫以負浅之縁忽生微妙之浄土。永得不退転 利乎。是則不思議中不思議也。予深信西方故。窃廻此案。 ( 5 3 ︺ と述べる段において示されており、阿弥陀如来が五劫もの聞 にわたって思惟された不思議の本願であるから、最下の凡夫 が負浅の縁によって、十地菩薩しか知見しえない純浄無漏の 報土に往生することもありうるとの案が示されているのであ る。ただ、このことによって、ただちに貞慶が、弥陀浄土へ の往生を願っていたことにはならないのである。これは、あ くまでも案を示したにすぎないのであって、彼の生涯を通じ ての信何は観音信何であったことが知られている。 ( 5 2 よって、貞慶には、蔵俊よりは法然浄土教との交渉が顧著 に顕われていることがわかるのであるが、こうした彼の態度 は、﹃法相宗初心略要続編﹄の﹁中道事﹂で、 私思惟云。凡三性二門相対之時、三性有門中道也。三無 性空門中道也。有門中道者。三性皆表彰之法門也。(中 略)空門中道者。三無皆遮止法門也。故総為空門。︻55 といい、三性を表彰法門として有門に、三無性を遮止法門と して空門に配して中道を述べ、さらに、この二門を用いて、 諸教所説皆真実也。一乗即許五姓一乗。三無性門所説也。 五姓即会一乗五姓。三性門施設也。如是和会更非私案立。 ︻56 と、諸教の所説は皆真実であり。三無性門によれば、一乗が 真実であり、三性門によれば、五姓が真実であるとの説を展 開していることと関連しているのではなかろうか。つまり、 貞慶の考えによれば、法相唯識教学に説かれるところの唯識 中道によれば、相反する思想である一乗と五姓も和会するこ とができるのである。 A 5 7 ︺貞慶が、新興の勢力である法然浄 土教に対してもこのような態度を取ったことも想像できない ことではないのである。 ところで、貞慶のこうした思想の裏付けとなっているのが 蔵俊の思想であることは、先述した通り、﹃尋思妙﹄・﹃別
要﹄が蔵俊の﹃変旧抄﹄を基に書かれたものであることによ っても明かである。また、そのほかにも、例えば、中道を述 べる段において、三性有門と三無性空門の二門を使う解釈に ついても、﹃尋思紗﹄中の蔵俊の説で既に、 例知三性時増損遍計倶名遍計。三無性時増損遍計倶名相 無性。説三性遮損減、三無性遮増益。是皆鑑互遮而以別 義 配 二 門 耳 。 吉 田 ︺ と説示されているし、貞慶の真如観の特徴を示す道理真理説 についても、良算草の﹃真理抄﹄に、 先師蔵俊有口伝之旨。南山覚憲御物語。 22 とあり、また、貞慶の﹃法相宗初心略要続編﹄にも、 今依師伝存縁生道理之義。 ( 6 0 ) とあって、蔵俊の説を承けて貞慶や良算が道理真理説を立て たことが知られるのである。 蔵俊は、弥陀浄土の解釈においては、慈恩の﹃義林章﹄に 基づいて唯報義を取っているが、変化土の解釈については、 通他説を取る﹃阿弥陀経疏﹄と同様の解釈をしていることが 明らかにされた。変化土について、﹃述記﹄はその浄辺を他 受用土とはしないのだが、﹃阿弥陀経疏﹄では浄辺を他受用 土とするのである。蔵俊は変化土が他受用土に通じるという 解釈を有していたのである。このことは、蔵俊に、従来の唯 識の正義を変える教学理解があったことを示すことである。 その他、他受用身土において、その能化身が、地ごとにその 姿を大きくしながら、間断なく続いていくといった解釈など にも蔵俊独自の理解がみられる。蔵俊のこうした傾向は、 ﹃変旧抄﹄と呼ばれた彼の紗本によって後世の貞慶等に受け 継がれ、鎌倉期の唯識思想の発展へとつながっていくことと なったのである。 以上で本論の論述を終えるが、蔵俊の﹃変旧抄﹄における 唯識思想には、真如観についても大きな特徴がみうけられる。 このことについては、稿を改めて論述してあるので、参照し ていただければ幸いである。 ( 6 1 ︺ただ、蔵俊の﹃菩提院紗﹄ ﹃変旧抄﹄については、散逸しているものが多く、未だそ の全てが明らかになったとは言い難い状況である。彼の鈴本 の出来得る限りの復元と、そこに示される唯識教学の特徴を、 これからも探っていくことを今後の研究課題として、本論を 結ぶこととする。 ︻ 註 ︼
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山崎慶輝・﹁日本唯識の展開﹂(﹃龍谷大学仏教文化研 究所紀要﹄一・昭和三七年)、﹁日本唯識の一乗化﹂ (﹃仏教学研究﹄二二・昭和四一年一月)、﹁法相唯識の 改革者貞慶﹂﹃仏教文化研究所紀要﹄一七・昭和五三年)、 および、北畠典生﹁鎌倉時代における唯識教学の展開﹂ (﹃龍谷紀要﹄一・昭和五五年三月)等。2
﹃論第一巻唯識論尋思紗﹄奥書(写本龍大)3
大正六六・五九五・中2
日全二三所収 ( 5 ) 新倉和文・﹁貞慶著﹃尋思動﹄と﹃尋思齢別要﹄の成立をめぐって﹂(﹃仏教学研究﹄三七・昭和五六・三月)
5
﹃南都論草﹄(谷大蔵)に、﹃菩提院紗﹄として﹁見者 居棋士﹂という、﹃成唯識論﹄巻九に相当する論義がある こ と か ら 。 ︻ 7 v 貞慶は﹁本云﹂と蔵俊の論義を引用した後に、﹁末云﹂ と自身の論義を述べている。h g
日全二三・二二一了中5
拙稿・﹁蔵俊の﹃菩提院紗﹄と﹃変旧抄﹄に関する一考 察﹂(﹃宗教研究﹄二九五・平成五年三月)では、その他、 数点にわたって両書が別の紗本であることの理由を指摘し て お い た 。7g
﹃大乗法苑義林章﹄﹁仏土章﹂(大正四五・三七0
・ 中 ) の所述によった。74
大正四五・三七一・下 ︹1
2
近年、こうした説を紹介している論文として、大南龍昇 ﹁慈恩大師の浄土観﹂(﹃仏教文他研究﹄一七・昭和四 六年三月)(﹃仏教諭叢﹄一五・昭和四六年・三月)があ 又 w。
72
大正五五・一一四一・中( 1
2
大正五五・一一四四・中および脚注 ︻1
5
大正六六・五八六・下 ︻1
2
大正六六・五八六・上 ︻ 1 3 この箇所によって蔵俊が唯報説を取っていたと最初に指 摘したのは、楠淳謹・﹁貞慶の浄土観とその信仰(二)l
弥陀浄土信仰の有無についてl
﹂(﹃龍太大学院紀要﹄七 ・昭和六一年三月)である。 32?333 ヲ~ ~ ~ ~ ~r
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~占 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 大 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 正 六 六 六 六 六 六 六 六 六 四 四 六 六 四 四 三 四 三 三 三 六 四 六 六 六 六 六 六 六 六 六 六 六 六 六 三 三 六 六 三 五 七 五 一 七 七 六 五 六 六 六 六 五 五 五 五 五 五 五 五 五 六 六 五 五 六 三 三 三 五 三 三 五 三 五 五 五 五 八 八 九 九 九 九 九 九 九 五 五 九 九O
七 一 七 八 一 一 八 七 八 八 八 八 四 四 四 四 四 四 四 四 四 七 七 四 四 四 二 一 0 ・ 一 一 六 一 六 五 六 五 下 ・ 上 上 下 下 下 中 中 上 上 下 下 上 上 下 中 下 下 下 上 上 中 中 下 上 下 下{ 4 2 大正六六・五八四・上