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龍谷大学佛教学研究室年報 第14号(2008) 003濱野 弘胤「『倶舎論』にみられる「思」の解釈」

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Academic year: 2021

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『倶 舎 論 』 に み られ る 「

思 」 の解 釈

博士課程 濱野弘胤

は じめ に

  本 稿 で は 、 世 親 の 著 作 で あ る 『阿 毘 達 磨 倶 舎 論 』(肋 掘励 ㎝a加 幽助 魏 以 下 『倶 舎 論 』) に お い て 、 「思(cetana)」 を ど の 様 に 捉 え て い た の か と い う こ と を 考 察 す る 。 「思 」 は 、 『倶 舎 論 』 以 前 か ら重 要 視 さ れ て い た 問 題で、既にAnguttara-nikaya等 の 初 期 経 典 か ら も 「思 」 に 関 す る 記 述 を 見 出 す こ と が で き る。   こ れ に 関 す る 先 行 研 究 は 、 舟 橋 一 哉 『業 の 研 究 』'巳、 池 田 練 太 郎 「思 業 と 思 已 業 」 唖 等 が あ り、 前 者 は 『倶 舎 論 』 や 『成 業 論 』 等 の 世 親 の 書 物 に 説 か れ る 業 説 を 事 細 か に 説 明 し た も の で あ り、 後 者 は 、 初 期 ア ビダ ル マ 文 献 か ら 『倶 舎 論 』 に 至 る 間 に お い て 「思 業 と思 已 業 」 が ど の 様 な 位 置 付 け に あ っ た の か を解 明 した 論 文 で あ る 。   こ の 中 、 舟 橋 氏 は 『業 の 研 究 』 で 掲 げ て い る 、 「審 慮 思 ・決 定 思 ・動 発 勝 思 」 の 「三 種 の 思 」 に つ い て 詳 細 に 述 べ ら れ て い る つ。 そ の 中 で 、 舟 橋 氏 は 「三 種 の 思 」 を 経 量 部 の 説 で あ る と 述 べ られ て お り、 そ の 後 に 著 され た 福 原 亮 厳 氏 の 『業 論 』 叫 等 も 同 様 に 、 経 量 部 説 で あ る と し て い る 。 当 然 、 世 親 は 経 量 部 に 所 属 して い た と 考 え られ て い る の で 嘱、 こ の 説 を 経 量 部 の 説 と す る の は 、 ご く 自 然 の こ と で あ ろ う。 そ れ 故 に 、 舟 橋 氏 以 降 新 た に こ の 「三 種 の 思 」 の 研 究 が あ ま り行 わ れ て い な い よ う に 思 わ れ る 。   最 近 経 量 部 の 研 究 が 進 み 、 新 た な 経 量 部 の 位 置 付 け が 行 わ れ て き た 。 特 に 加 藤 純 章 氏 の 『経 量 部 の 研 究 』%は 、 経 量 部 は 部 派 と して で は な く 有 部 内 の 学 派 で 、 『倶 舎 論 』 の 経 量 部 説 は い ず れ も 自 己 の 存 在 を 隠 す た め の 娩 曲 的 用 法 で あ っ た と 考 え られ る*7と し、 ま た 本 庄 良 文 氏 は 「Sau幅ndka」 鰍 で 、 世 親 は 有 部 内 部 の 人 で 、 有 部 の 三 蔵 を 学 習 し 、 自 ら の 著 作 に お い て 引 用 す る 三 蔵 は み な 有 部 系 列 の も の で あ る 、 と 論 証 され て い る 。   以 上 の こ と を 踏 ま え る と 、 『倶 舎 論 』 を 書 い た 時 点 の 世 親 は 有 部 内 部 に い て 、 有 部 の 経 典 を 研 究 し、 そ の 中 で 、 自 身 の 意 見 を 経 量 部 説 と して か か げ た こ と に な る り。 し た が っ て 、 こ の 「三 種 の 思 」 は 、 『婆 沙 論 』 に 出 て く る 磐 喩 者 の 説 に も見 当 た ら な い こ と か ら 、 世 親 個 人 の 思 想 と い う 可 能 性 も 考 え られ る 。   し か し、 こ こ で 問 題 と な る の が 、 こ の 「三 種 の 思 」 は 『玄奘 訳 』 に の み に あ り梵 文 『倶 舎 論 』 に は 、 明 確 に 「三 種 の 思 」 の 区 分 が 為 さ れ て い な い と い う こ と で あ る ゜'°。 で は 、 な ぜ 玄 奨 が 梵 文 に な い 訳 語 を 付 し た の か 。 そ れ に は 玄 莫 の 意 図 が 感 じ られ る 。   世 親 は 後 の 『成 業 論 』の 段 階 で は 、明 確 に 「三 種 の 思 」 を 出 し て 説 明 し て い る 。 つ ま り、 世 親 は 『成 業 論 』 に お い て は 自 ら の 説 を遠 慮 な し に 説 い た と い う こ と で あ る 。 『倶 舎 論 』 で 表 現 す る こ とが で き な か っ た 世 親 自 身 の 思 想 を 『成 業 論 』 で 打 ち 出 し※11、そ れ を 読 み 解 い た 玄   が 世 親 の 意 を 汲 ん で 、 こ の 様 な 訳 語 を 付 け た の で は な い で あ ろ うか 。   以 上 の 疑 問 点 を 加 味 し て 、 ま ず 、 初 期 仏 教 及 び 有 部 で 「思 」 が ど の 様 に 解 釈 さ れ て い た の か を 確 認 す る 。 そ の 上 で 、『倶 舎 論 』 及 び『 成 業 論 』 で 説 か れ る 「三 種 の 思 」 を 先 学 の 研 究 を 参 照 し て 考 察 す る 。 1.「 思 」 の 意 味   考 え た り 、 思 っ た りす る こ と に は 、 「思 」 の は た ら き が 密 接 に 関 係 し て お り 、 我 々 に と っ て 非 常 に 重 要 な 作 用 で あ る ゜置2。勿 論 、 仏 教 で も 「思 」 は 古 来 よ り重 要 視 さ れ て き た こ と で あ る 。 こ れ に つ い て 舟 橋 氏 は※13「根 本 仏 教 に お い て は 、 業 は 「思 」 即 ち 「意 志 の 働 き 」 で あ る と 見 て い た よ う で あ る 」 と指 摘 さ れ て い る 。 つ ま り 、 初 期 仏 教 の 段 階 で は 、 思 の は た ら き が 業 に 直 結 す る は た らき で あ る と考 え て い た よ う で あ る 。 す な わ ち 、 我 々 の 行 為 と 関 係 す る 作 用 と して 説 か れ て き た も の で あ ろ う 。 そ の 一 例 と し て 、 初 期 仏 教 の 文 献 で あ る 訓.に 「思 」 と 「業 」 と の 関 係 が 以 下 の よ う に 説 か れ て い る※14。

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AN_R-0)

比 兵 等 よ、私 は 思 を業 で あると説 く。思 い 已って 身 ・語 ・意 によっ て業 を 作 す 。 こ の 説 は 、 舟 橋 氏 、 池 田 氏 も 言 及 さ れ て い る※15。前 者 は 、 こ こ で は 、 身 語 意 の 分 類 が 明 確 に 行 わ れ て お ら ず 、三 業 の 他 に 思 業 が あ る と も 受 け取 る こ とが で き る 、と 指 摘 さ れ て お り、 後 者 は 、 後 に 述 べ る 経 量 部(讐 喩 者)の 「思 」 よ り三 業 す べ て が 生 じ る と い う 説 に極 め て 近 い も の で あ る 、 と して い る 。 つ ま り、 こ の 「思 い 已 っ て 身 ・語 ・意 に よ っ て 業 を 為 す 」 と い う こ とか ら、 ま ず 「思 」 が は た ら き 、 そ して 思 い 已 っ た 後 に 身 語 意 の 三 業 を 起 こす 、 と い う こ とが 考 え られ る 。 ま た 、捌 は 「思 」 を 意 業 と し な い で 、 思 已 業 に 身 語 意 の 三 業 を 配 当 し て い る こ と か らす れ ば 、 思 業 と 三 業 は 別 々 に 考 え られ て い た と捉 え る こ とが で き る 。 次 に ア ビ ダ ル マ 仏 教 で の 「思 」 の 解 釈 を み て い き た い 。 ま ず 、 『品 類 足 論 』 に お い て 、 以 下 の よ う に 説 い て い る※16。 【『品 類 足 論 』】 思 云 何 。 謂 心 造 作 性 。 即 是 意 業 。 此 有 三 種 。 謂 善 思 不 善 思 無 記 思 。(大 正26・693a) 〈訓 読 〉 思 と は 云 何 ん 。 謂 は く、 心 の 造 作 す る 性 な り。 即 ち 是 れ 意 業 な り。 此 れ に 三 種 有 り。 謂 は く 、 善 思 と 不 善 思 と 無 記 思 とな り。 こ こ で は 、「思 」は 意 業 で あ り、心 を 善 思 ・不 善 思 ・無 記 思 の 様 々 に 造 作 す る も の で あ る ゜"、 と 説 か れ て い る 。 ま た 、 【『品 類 足 論 』】 身 業 云 何 。 謂 身 表 及 無 表 。 語 業 云 何 。 謂 語 表 及 無 表 。 意 業 云 何 。 謂 思 。 善 業 云 何 。 謂 善 身 語 業 。 艮 善 思 。 不 善 業 云 何 。 謂 不 善 身 語 業 及 不 善 思 。 無 記 業 云 何 。 謂 無 記 身 語 業 及 無 記 思 。(大 正26・717c) 〈訓 読 〉 身 業 と は 云 何 ん 。 謂 は く 、 身 表 と 及 び 無 表 とな り。 語 業 と は 云 何 ん 。 謂 は く 、 語 表 と 及 び 無 表 と な り。 意 業 と は 云 何 ん 。 謂 は く、 思 な り。 善 業 と は 云 何 ん 。 謂 は く、 善 の 身 語 業 と 及 び 善 の 思 と な り。 不 善 の 業 と は 云 何 ん 。 謂 は く 、 不 善 の 身 語 業 と 及 び 不 善 の 思 と な り。 無 記 の 業 と は 云 何 ん 。 謂 は く、 無 記 の 身 語 業 と及 び 無 記 の 思 と な り。 と あ り、 意 業 は 「思 」 で あ る と 説 い て い る 。 さ ら に 、 善 業 等 に お け る 三 業 の 分 類 に お い て も 、 「善 の 思 」 ど し て い る こ とか ら、 意 業 を 「思 」 で あ る と み て い た よ う で あ る 。 つ ま り 「思 」 は 、 後 に 世 親 や 衆 賢 も 大 地 法 の 「思 」 の 解 釈 で 説 く よ う に゜邑8、心 を 善 ・不 善 ・無 記 の い ず れ か の 方 向 へ 造 り 出 し て い く心 理 的 な 作 用 を 持 つ は た ら き で あ り、 そ れ は 意 業 の こ と で あ る と 説 い て い る'り。 次 に 『婆 沙 論 』 で は 、 警 喩 者 の 説 と して 以 下 の よ う に説 か れ て い る 。 【『婆 沙 論 』】 又 讐 喩 者 説 、 身 ・語 ・意 業 皆 是 一 思 。(大 正27・587a) 〈訓 読 〉 又 讐 喩 者 は 説 か く 、 身 ・語 ・意 業 は 皆 是 れ 一 思 な り と。 こ こで は 、 身 語 意 業 の す べ て が 思 よ り生 じ る と説 か れ る 。 こ の 説 は 、 加 藤 氏 前 掲 本 で は 、 経 量 部 と 同 一 視 さ れ る 讐 喩 者 の 説 と し て 紹 介 さ れ て い る 牝 こ の 説 は 、 お そ ら く 烈 を 受 け て め 説 で あ ろ う 。 ま た 池 田 氏 は 、蝋 の 説 がr倶 舎 論 』 の 経 量 部 の 説 の も と に な っ た の で は な い か と し 、!蝋 の 説 と 磐 喩 者 の 説 とr倶 舎 論 』 の 経 量 部 の 説 が 一 致 す る と述 べ る 。 さ ら に 『宝 疏 』 の 説 に 従 う な ら ば 朗、 讐 喩 者 と 経 量 部 と は 、 「思 」 に 関 し て 解 釈 が 類 似 す る こ とか ら も 、 お 互 い に 近 い 思 想 を も っ た 人 達 で あ る と 考 え られ よ う 槻。

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し か し な が ら 、 オ亙 及 び 讐 喩 者 の 業 説 の 記 述 が 共 に 少 な い た め 、 両 者 が ど の 様 な 説 を展 開 し た の か は 定 か で は な い 。 た だ 、 業 の 体 を思 で あ る と説 い て い た こ と は 、 間 違 い な い よ う で あ る 。 仮 に オ亙 ・響 喩 者 の 「思 」 の 解 釈 を 図 に 表 せ ば 以 下 の よ う に な る 鵯。 【AN.及 び 讐 喩 者(経 量 部)の 説 】 2.『 倶 舎 論 』 に お け る有 部 ・経 量 部 の 「思 」 の 解 釈 先 述 した よ う に 、初 期 仏 教 の 立 場 で は 「思 は 業 で あ る 」と考 え て い た 。ま た 、有 部 も 「思 」 は 意 業 で あ る と 捉 え て お り 、 初 期 仏 教 以 来 、 「思 」 と 「業 」 と が 密 接 な 関 係 に あ っ た こ と が 窺 え る 。 特 に 、 『倶 舎 論 』 で は 「思 業 」 に 意 業 を 「思 已 業 」 に 身 語 業 を 配 当 し 、 そ の 関 係 を 明 確 に し た 引。 『倶 舎 論 』 に 【姿 料A】

kirp pupas tat karmety aha

cetana tat-lcitarn ca tat /

sutra uktam " dve karmane cetana karma cetayitva ce" ti / yat tac cetayitva cetana-krtam ca tat/

te ete dve karmani trini bhavanti / kaya-van-manas-kannani / •

• • •

tatra punah

cetana manasarn karma

cetana manas-karmeti veditavyam /

taj-jam vac-kaya-karmani / 1 /

yat tac cetana-janitarp cetayitva karmety ukutarn kaya-vac karmani te veditavye /

(AKBh.1927-")

〔訳 〕 ま た 、 そ の 業 と は 何 か 、 と い う と そ れ は 思 とそ れ に よ っ て 作 され た 〔業 〕 と で あ る 。 経 に 「業 は 二 で あ る 。 思 業 と 思 已 〔業 〕 と で あ る 」 と 説 か れ て い る 。 そ の 思 已 〔業 〕 と は 、 思 に よ っ て 作 られ た も の で あ る 。 これ ら二 業 は 〔さ ら に 〕 三 とな る 。 身 業 と語 業 と意 業 で あ る 。 … 中 略 … さ ら に こ こ で 、 思 は 精 神 的 な(心 的 な)行 為 で あ る 。 思 は 意 業 で あ る と 知 る べ き で あ る 。 そ こ か ら 生 じた も の が 、 語 業 と身 業 とで あ る 。 そ の 思 よ り 生 じた も の を 思 已 業 と説 か れ 、 そ れ は 身 と語 と の 業 と 知 る ぺ き で あ る 。 【『玄   訳 』】 故 契 経 説 。 有 二 種 業 。 一 者 思 業 。 二 思 已 業 。 思 已 業 者 謂 思 所 作 。 如 是 二 業 分 別 為 三 。 謂 即 有 情 身 語 意 業・・ 中 略 … 然 心 所 思 即 是 意 業 。 思 所 作 業 分 為 身 語 二 業 。 是 思 所 等 起 故 。(大 正29・67b) 〈訓 読 〉 故 に 契經 に 説 く 。 二 種 の 業 有 り。 一 に は 思 業 、 二 に は 思 已 業 な り、 と。 思 已 業 と は 謂 は く 、 思 の 所 作 な り。 是 く の 如 き 二 業 を 分 別 して 三 と為 す 。 謂 は く 、 即 ち 有 情 の 身 と 語 と意 と の 業 な り。 … 中 略 … 然 る に 心 所 の 思 は 即 ち 是 れ 意 業 な り。 思 の 所 作 の 業 を 分 か ち て 身 語 二 業 と 為 す 。 是 れ 思 の 等 起 す る 所 な る が 故 に 。 【『真 諦 訳 』】 若 爾 此 業 是 何 法 。 偶 日 。 故 意 及 所 作 。 繹 日 。 経 中 説 。 業 有 二 種 。 一 故 意 業 。 二 故 意 所 造 業 。 此 所 造 但 故 意 所 作 。 非 身 口 所 作 。 此 二 業 或 成 三 業 。 謂 身 口意 。 … 中 略 … 此

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中 偶 日 。 故 意 即 心 業 。 繹 日 。 心 業 者 但 故 意 故 。 意 何 相 。 謂 心 思 已 決 。 偶 日 。 故 意 生 身 口 。 繹 日 。 如 此 故 意 依 身 口門 起 。 即 以 身 口還 顯 故 意 。(大 正29・225ab) 〈訓 読 〉 若 し 爾 ら ば 、 此 の 業 は 是 れ 何 の 法 な るや 。 偶 に 日 は く 、 故 意 と 及 び 所 作 と な り。 繹 し て 日 は く 、 経 の 中 に 説 く 。 業 に 二 種 有 り。 一 に は 、 故 意 業 な り。 二 に は 故 意 所 造 業 な り。 此 の 所 造 は 但 だ 故 意 の 所 作 の み に して 、 身 口 の 所 作 に は 非 ず 。 此 の 二 業 は 或 ひ は 三 業 と 成 る 。謂 は く 、身 と 口 と 意 と の 〔業 〕な り。 … 中 略 … 此 の 中 、偶 に 曰 は く 、 故 意 は 即 ち 心 業 な り。 繹 し て 曰 は く、 心 業 と は 但 だ 故 意 の み な る が 故 に 。 意 と は 何 の 相 ぞ 。 謂 は く、 心 が 思 ひ 已 りて 決 す るな り。 偶 に 日 は く 、 故 意 は 身 口 〔業 〕 を 生 ず 。 繹 して 曰 は く、 此 の 如 き 故 意 は 身 口の 門 に依 りて 起 こ る 。 即 ち 身 口 を 以 て 還 た 故 意 を 顯 す 。 と あ る'25。こ れ に よ る と 、有 部 は 、 は じ め に 業 を 二 業 に分 け て い る こ と が 解 る 。そ れ が 「思 業 」 と 「思 已 業 」 で あ る 。 真 諦 訳 で は 、 「故 意 業 」 と 「故 意 所 造 業 」 と 訳 して い る 。 称 友 に よ る と 、 「思 」 は 、 「行 為(作 用)の み を 自性 と して 、 色 を 自性 と は し な い も の で あ り、 他 に 対 し て も 知 ら せ る こ と は な い も の 物 と あ る 。 こ こ に 、 「他 に 対 し て も 知 らせ る こ と は な い も の 」 と あ る こ と か ら 、 「思 」 は 「無 表 」 と 同 じ は た ら き を す る も の の 様 に 思 わ れ る が 、 あ く ま で 、 無 表 は 色 法 で あ り、 「思 」 は 「色 を 自性 と し な い」 こ とか ら も色 法 で は な い こ とが わ か る 。 ま た 、 根 品 中 に 「思 とは 、 心 が 造 作 す る も の で あ り、 意 業 で あ る 門 と あ る こ とか ら、f思 」 は 「意 業 」 の こ と で あ る こ とが 理 解 で き る゜"。「思 已 業 」 に つ い て は 、 思 の 所 作 に よ っ て 成 さ れ る も の を指 す と さ れ て い る 。 そ の 後 、 【資 料A】 で は 三 業 に分 け て 業 説 を展 開 し て い く。 そ れ が 、 身 業 ・語 業 ・意 業 で あ る 。 称 友 の 注 釈 に よ れ ば 、 身 を 所 依 とす る 業 を 身 業 と し 、 言 葉 そ の もの つ ま り、 言 葉 を 自性 と す る もの を語 業 と し、 意 よ り起 こ っ た も の を 意 業 で あ る と注 釈 して い る 囎。 こ こ に 、初 期 仏 教 か ら有 部 の 業 説 へ の 展 開 が み られ る 。初 期 仏 教 の 段 階 で は 単 に 、業 の 体 を 「思 」 で あ る と説 い た わ け で あ る が 、 有 部 に 至 る と 、 思 業 と 思 已 業 を 身 ・語 ・意 の 三 業 に 配 当 す る の で ある 弓゜。 つ ま り、 思 業 は 思 惟 す る 等 の 意 思 作 用 で あ る か ら意 業 に 配 当 し 、 身 業 ・語 業 は 意 業 の 中 で 思 い 起 こ し 已 っ た の ち に 、 身 体 的 行 動 や 言 語 発 言 に 出 る作 用 で あ る か ら思 已 業 に 配 当 し た の で あ る 。 ま た 、 真 諦 訳 を み れ ば 、 「故 意 」 は 「心 業 」 で あ る と 訳 し て い る 。玄 莫 訳 と 対 照 し て み れ ば 、「心 業 」は 「意 業 」に 相 当す る 訳 語 で あ る 。梵 文 で は 、mまnasa叩 kamlaと な っ て い る の で 、 真 諦 の 様 に 「心 業 」 と 訳 した 方 が 適 切 か も し れ な い 。 つ ま り、 「思 」 と は 心 的 な 行 為 を 表 す もの で あ り、 ま た 、 意 業 で あ り、 そ の 心 的 な 行 為 よ り身 語 業 が 生 じ て く る の で あ る 。 そ れ を 図 に表 す と以 下 の よ う に な る 。

有部の説】

糺:叢

一;;ト

以 上 が 、 有 部 の 基 本 的 な 業 説 で あ る 。 で は 、 世 親 が そ の 思 想 を取 り入 れ た と さ れ る 経 量 部 は ど の よ う な 業 説 を 展 開 し た の で あ ろ うか 。 以 下 資 料Bで み て い こ う 。 【資 料B】

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cetayitvA karmety ucyate / (!1κ 励.195亘8∼21) 〔訳 〕 身 を 拠 り所 と す る 業 が 身 業 で あ り、 身 を 〔そ れ ぞ れ の 場 所 に 〕 導 く も の で あ る と こ ろ の 〔そ れ が 〕 思 で あ る 。 こ の 様 に 、 語 と意 と の 業 も ま た 、 そ れ 相 応 に 知 る べ き で あ る 。 そ の 場 合 に 、 「思 業 と 思 已 業 とで あ る 」 と 説 か れ た が 、 〔そ れ は ど う な る の か 。〕 「こ の 様 に 、 こ の 様 に 〔業 を 〕 造 ろ う」 と 先 に 思 惟 の 思 が 起 こ り 、 こ の 様 に思 い 已 っ て 〔つ ま り思 惟 しお わ っ て 〕 か ら行 為 の 思 が 起 こ る の で あ る 。 身 体 を 動 か す こ の よ う な そ の 〔行 為 の 思 〕 が 思 已 業 と 言 わ れ る の で あ る 。 【『玄 奨 訳 』】 謂 能 種 種 運 動 身 思 。 依 身 門 行 故 名 身 業 。 語 業 意 業 随 其 所 慮 立 差 別 名 當 知 亦 爾 。 若 爾 何 故 契 経 中 説 有 二 種 業 。 一 者 思 業 。 二 思 已 業 。 此 二 何 異 。 謂 前 加 行 起 思 惟 思 。 我 當 磨 爲 如 是 如 是 所 磨 作 事 名 爲 思 業 。 既 思 惟 已 起 作 事 思 。 随 前 所 思 作 所 作 事 。 動 身 襲 語 名 思 已 業 。(大 正29・68c) 〈訓 読 〉 謂 は く 、能 く 種 種 に 身 を 運 動 せ し む る を 思 が 身 門 に 依 りて 行 ず る が 故 に 身 業 と 名 つ く 。 語 業 と意 業 と も其 の 所 磨 に 随 っ て 差 別 の 名 を 立 つ る こ と 、 當 に 知 る べ し 。 亦 た 爾 り。 若 し爾 ら ば 、 何 の 故 に 契 経 の 中 に 二 種 の 業 有 り と 説 くや 。 一 に は 思 業 、 二 に は 思 已 業 な り。 此 の 二 は 何 の 異 ぞ 。 謂 は く、 前 の 加 行 に 思 惟 の 思 を 起 こ して 、 我 れ 當 に 磨 に 是 くの 如 く是 く の 如 き の 所 磨 の 作 事 を 爲 す べ き こ と を 名 づ け て 思 業 と 爲 す 。 既 に 思 惟 し 已 りて 作 事 の 思 を 起 こ し 、 前 の 所 思 に 随 ひ て 所 作 の 事 を 作 し 、 身 を 動 か し語 を 装 す る を 思 已 業 と 名 つ く 。 【『真 諦 訳 』】 若 故 意 能 引 身 。於 種 種 虚 即 立 此 故 意 爲 身 業 。如 此 口意 二 業 。如 理 磨 知 。若 爾 於 前 已 説 。 業 有 二 種 。 一 故 意 業 。 二 故 意 所 造 業 。 此 二 有 何 異 。 分 別 故 意 先 起 。 謂 我 等 磨 作 如 此 如 此 。 是 名 故 意 業 。 故 意 分 別 已 。 後 引 事 故 意 起 。 能 引 身 作 種 種 事 。 是 名 故 意 所 造 業 。 (大 正29・226b) 〈訓 読 〉 若 し故 意 が 能 く身 を 種 種 の 虚 に 於 ひ て 引 か ば 、 即 ち 此 の 故 意 を 立 て て 身 業 と 爲 す 。 此 の 如 く 口 と 意 と の 二 業 も 理 の 如 く磨 に 知 る べ し 。 若 し爾 ら ば 、 前 に 於 ひ て 已 に 業 に 二 種 有 り、一 に は 故 意 業 な り 、二 に は 故 意 所 造 業 な り と 説 く に 、此 の 二 に何 の 異 有 る や 。 分 別 故 意 が 先 に 起 こ る 。 謂 は く、 我 等 は 応 に 此 の 如 く此 の 如 き を 作 す べ し と 。 是 れ を 故 意 業 と 名 つ く。 故 意 が 分 別 し已 りて 、 後 に 事 を 引 く故 意 が 起 こ る 。 能 く 身 を 引 き て 種 種 の 事 を 作 す を 是 れ 故 意 所 造 業 と名 つ く。 資 料Bを み る ど※31、こ こ に 経 量 部 の 「業 」 に 関 す る 考 え 方 が 示 さ れ て い る 槻。 経 量 部 (Sa聴antika)の 特 徴 は 、 初 期 仏 教 同 様 、 身 ・語 ・意 業 の 三 業 の 体 を 「思 」 とす る こ と に あ る囎。 ま ず 、 経 量 部 の 身 表 業 に 対 す る 考 え 方 が 述 べ られ て い る が 、 彼 ら は 身 表 を 実 有 と は 考 え な い 。 【資 料B】 中 に も あ る よ う に 、「但 だ 假 を 用 ひ て 身 表 と爲 す 」 と み る の で あ る 。 さ ら に 、 『光 記 』 で は こ れ に つ い て 、 語 表 に 関 し て も 仮 と み て い る 悩 と注 釈 が 加 え られ て い る 。 こ こ に 有 部 と の 相 違 を 見 る こ と が で き る 。 有 部 は 、 形 色(か た ちskしsaipsthana)・ 顕 色(い ろ skt.vama)を 実 有 な る も の と して 捉 え る が 、 経 量 部 で は 、・形 色 を 実 有 と して 認 め な い 。 な ぜ な ら 、 形 色 は 顕 色 が 集 ま っ て で き た も の だ か らで あ る 噂5。経 量 部 は 有 部 の よ う に 身 表 を 実 体 的 な も の と し て は 考 え な い の で あ る※36。 そ れ に 対 し 、 身 業 は 業 で あ る の で 、 「思 」 で あ る と考 え る 。 つ ま り、 身 表 の 外 面 的 な は た らき に対 し 身 業 は 内 面 的 な は た ら き と して 捉 え る の で あ る 。 語 業 及 び 意 業 も 同 じで 、 そ の 体 は 「思 」 で あ る 。 つ ま り、経 量 部 の 身 業 の 捉 え 方 は 、業 の 体 は 思 で あ る と み る の で 、 「思 」 が 身 を 拠 り所 と し て 起 こ し た 業 が 身 業 で あ る と 考 え る の で あ る 。 ま た 、 語 と意 も 同

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様 で あ る と 説 い て い る 。 さ ら に 世 親 は こ の 後 に 「思 惟 の 思 」 と 「行 為(作 事)の 思 」 を 挙 げ て 説 明 す る 。 前 者 が 「思 業 」 で あ り、 あ あ しよ う 、 こ う しよ う と 思 い 巡 ら し思 惟 す る こ と 、 ま た 、 後 者 は 「思 已 業 」 に 相 当 し、 思 惟 し た こ と を 行 動 に 移 す こ と で あ る※37。玄 奨 訳、 真 諦 訳 に お い て も 同 様 の こ とが 説 か れ て い る 。 ま た 『光 記 』 を み る と、 「思 惟 の 思 」 が 「遠 因 等 起 」 で 「作 事 の 思 」 が 「近 因 等 起 」 と 説 い て お り、 い ず れ も 有 部 で い う意 業 の は た ら き に 「思 業 」 と 「思 已 業 」 を 当 て て い る こ とが わ か る 。 つ ま り、 経 量 部 は 「思 」 の 範 疇 の 中 で 、 三 業 を 立 て て い る こ と に な る 。 こ こ か らす れ ば 「業 の 体 は 思 で あ る」、 と い う 讐 喩 者 の 説 と 一 致 す る と考 え られ る 。 ま た 、 三 業 の 関 係 に つ い て 、 『光 記 』 で は 、 「作 事 の 思 」 は 、 思 已 業 で 、 身 語 業 で あ る と説 い て い る ゜'8。こ の こ とか ら 「思 惟 の 思 」 は 、 意 業 で あ る こ とが 考 え られ る 。 つ ま り、 舟 橋 博 士 が 「身 語 業 の 根 底 に 意 業 が は た ら い て お り 、 ま た 思 已 業 の 思 を 意 業 で あ る とみ て い た こ と は 、有 部 と共 通 す る もの が あ る物 と 述 べ て お られ る よ う に 、 「思 惟 の 思 」(思 業) を 意 業 で あ る と見 て お り、 そ の は た ら き に よ っ て 、 身 体 を 動 か し た り、 言 葉 を 発 す る こ と が 生 じて く る と い う こ とが 考 え られ よ う。 故 に 、 今 か ら述 べ る 「三 種 の 思 」 は 、 有 部 の 解 釈 に は み られ な い 経 量 部 も し く は 世 親 が 編 み 出 し た 、 心 の 作 用 を 中 心 と した 思 想 で あ る 。 3.玄 奨 訳 『倶 舎 論 』 で 説 か れ る 「三 種 の 思 」 先 述 し た 様 に 、 経 量 部 の 思 想 に お い て 有 部 の 思 想 に は み られ な い も の が あ る 。 そ れ は 、 梵 文 に は な い が 、 玄 莫 訳 に あ る 「審 決 勝 思 ・動 発 勝 思 」 で あ る 。 審 慮 思 と は 、 心 の 中 で 思 い 巡 らす こ と で 、 決 定 思 とは 、 そ の 思 い 巡 ら した こ と を し よ う と決 定 す る こ と で あ る 。 そ して 、 次 の 動 発 思 で 、 そ れ を 身 体 で 表 現 し た り、 言 葉 に 出 した りす る こ とで 、 初 め て 他 に 知 らせ る の で あ る 。 つ ま り、 心 の 中 で 思 惟 しそ れ を 実 行 し よ う と 決 め た こ と を す る と い う 一 連 の は た ら き が 、 この 「三 種 の思 」 な ので ある 。 これ は 、r婆 沙 論 』に 説か れ る讐 喩者 の 説 に も な い こ と か ら 、 『倶 舎 論 』 で 説 か れ る 経 量 部 の 説 、 も し くは 世 親 独 自 の 説 で あ る こ とが 考 え られ る 。

[WPC]

cetand-vigesena tad-alcsepa-vigesat / satpi

nibhalayate / jaclatvat /

ca vijnaptil) sad tad-Alcsege cetanaya valarn

(AKBh.19524'^- 1961)

殊 勝 な 思 に よ っ て 、 そ れ を 引 き 起 こす 殊 勝 な 〔思 が あ る 〕 か らで あ る 。 ま た 、 そ の よ う な 表 が 本 当 に あ っ て も 、 そ れ を 引 き 起 こす 為 の 意 思 の 力 を待 つ の で あ る 。 鈍 感 だ か らで あ る 。 【『玄奘 訳 』】 審 決 勝 思 動 嚢 勝 思 所 引 生 故 。設 許 有 表 。亦 待 如 前 所 説 思 力 。以 性 鈍 故 。(大 正29・68c) 〈訓 読 〉 審 と決 と の 勝 思 と 動 機 勝 思 と の 引 生 す る 所 な る が 故 な り。 設 ひ 表 有 り と許 す と い え ど も 、 亦 た 前 の 所 説 の 如 き 思 力 を 待 つ 。 性 が 鈍 な る を 以 て の 故 に 。 【『真 諦 訳 』】 由 随 本 故 意 差 別 所 引 及 依 事 。 故 意 葦 別 生 故 。 若 有 教 起 。 亦 観 本 能 引 故 意 勢 力 故 。 此 方 得 生 。 由 昧 鈍 故 。(大 正29・226bc) 〈訓 読 〉 本 の 故 意 の 差 別 に 随 ふ に 由 りて 引 か れ 及 び 事 の 故 意 の 差 別 に 依 りて 生 ず る が 故 な り。 若 し 有 教 が 起 こ れ ば 、 亦 た 本 の 能 引 の 故 意 の 勢 力 を観 ず る が 故 に 、 此 〔の 無 表 〕 は 方 に 生 ず る こ と を 得 。 〔表 の 性 が 〕 昧 鈍 な る に 由 る が 故 に。 資 料Cで み られ る よ う に 、 世 親 は 「思 」 の は た ら き を 「殊 勝 な もの 」 と 考 え て い る 。 この

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「三 種 の 思 」 も そ の 「殊 勝 な 思 」 の 一 連 の は た ら き で あ る 。 資 料Cに お い て 「殊 勝 な 思 に よ っ て 、 そ れ を 引 き 起 こ す 殊 勝 な 〔思 が あ る 〕 か らで あ る 」 と し た の は 、 こ の 「思 」 は 殊 勝 な も の で あ る こ と を 示 す た め の も の で あ ろ う囎。 つ ま り 、 世 親 が 言 う と こ ろ の 「思 」 と は 、 他 に は な い 勝 れ た は た ら き を も っ た 「思 」 で あ る こ と が わ か る 崩。 そ し て 、 これ を 玄   が 「審 ・決 勝 思 ・動 発 勝 思 」 と訳 した も の と 考 え られ る 。 し か し 、 「勝 思 」 と い う訳 語 は 一・致 して も 「審 ・決 ・動 発 」 に 当 た る 訳 語 は 見 当 た らな い 。 ま た 真 諦 訳 に お い て も 、 「本 の 故 意 の 差 別 に 随 ふ に 由 りて 引 か れ 及 び 事 の 故 意 の 差 別 に 依 りて 生 ず る が 故 な り」 と し 、 「思 」 を 三 種 に 分 け て 解 釈 し て い な い 。 さ ら に 、 チ ベ ッ ト訳 に お い て も 、 玄   の 訳 語 と は 一 致 しな い ㌦ つ ま り、 これ は 玄 莫 訳 の み に 存 在 す る 訳 語 で あ る こ と が 判 明 す る 。 ま た 『光 記 』は 、玄   の 「審 決 勝 思 動 発 勝 思 」 の 解 釈 を 受 け て 、 経 量 部 の 業 説 で あ る 「思 惟 の 思 」 に 「審 決 勝 思 」 を 「作 事 の 思 」 に 「動 発 勝 思 」 を 当 て て い る 。 そ の こ と か ら も、 経 量 部 の 「思 」 の 解 釈 は こ の 「三 種 の 思 」 を 基 盤 と して 成 り立 っ て い る こ と が 考 え られ る 。 以 下 が 、 資 料Bと 資 料Cの 経 量 部 の 業 説 を 図 示 し た も の で あ る 。 【『倶 舎 論 』 の 経 量 部 説 】 で は 、 玄   が 訳 し た 「審 決 勝 思 動 発 勝 思 」 は ど こ に 典 拠 が あ る か と い う と 、r光 記 』 に よ れ ば'4'、『成 業 論 』 に そ の 典 拠 を 示 し て い る 。 こ こで 一 っ 考 え られ る こ と は 、 訳 出 年 代 か ら 考 え る と 、 玄   は 『倶 舎 論 』 を 訳 出 す る 際 に 、 『成 業 論 』 を 典 拠 と し た 可 能 性 が あ る と い う こ と で あ る 。 そ の よ う に 仮 定 した 上 で 、 資 料Dの 『成 業 論 』 を 見 て い く。 4.『 成 業 論 』 と の 比 較 『成 業 論 』 は 世 親 が 『倶 舎 論 』 以 降 に 著 した 書 物 で あ り、 大 乗 的 要 素 を 多 く含 ん だ 論 書 と して も知 ら れ て い る 。 そ の よ うな こ と か ら、 世 親 の 唯 識 観 の 先 駆 的 な も の を 知 る 上 で 重 要 な 論 書 で あ る 粥。 『成 業 論 』 は 、 仏 教 の 業 思 想 を 中 心 に述 べ た も の で あ る 鰯。 こ の 書 物 が 著 さ れ た の は 、r倶 舎 論 』 『釈 軌 論 』 の 次 で あ る こ と が 、 既 に 室 寺 氏 等 の 研 究 に よ っ て 明 ら か に さ れ て い る'46。そ の 中 、 「三 種 の 思 」 が 述 べ られ て い る 箇 所 は 、 『成 業 論 』 の 最 後 で 述 べ られ る 世 親 の 業 説 の 箇 所 で あ る'47。以 下 資 料Dの 『成 業 論 』 で 世 親 が 述 べ る 「三 種 の 思 」 に つ い て み て み よ う 。 【資 料D】

[KS.

bye pa poi yid mngon par 'du byed pa ni las so // lus g-yo bar byed pa'i las ni lus kyi las so //

sems pa ni rnam pa gsum ste /

ba dang / nges pa dang / g-yo bar, byed pa'o gang gis de

dang 'clan pa'i rgyud yul gzhan du 'byung

rgyu'i flung bsgrubs pas / lus g-yo bar byed pa

de ni lus lcyi las zhes bya ste /

(D.144a5

--- 6, WEI pp.28

29, 14 pp.52 --- 53 )

〔訳 〕 作 そ う とす る 意 を 明 らか に 造 作 す る 〔思 〕 が 業 で あ る 。 身 を 動 か す 業 が 身 業 で あ る 。 思 に は 三 種 あ っ て 、 趣 向(加 行)と 決 定 と動 作 す る こ と 〔の 三 種 〕で あ る 。或 る 〔思 〕 に よ っ て そ の 〔思 〕 と 相 応 す る 相 続 〔身 〕 が 他 の 場 所 に 生 起 す る こ と の 因 と な る 風 を 引 き 起 こ す こ と に よ っ て 、 身 を 動 か す 、 これ は 身 業 と い わ れ る 嘲。 【r成業 論 』】 随 作 者 意 有 所 造 作 。 是 為 業 義 。 能 動 身 思 説 名 身 業 。 思 有 三 種 。 一 審 慮 思 。 二 決 定 思 。

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三 動 襲 思 。 若 思 能 動 身 即 説 為 身 業 。 此 思 能 引 令 身 相 績 異 方 生 因 風 界 起 故 。 (大 正31・785c) 〈訓 読 〉 作 者 の 意 に 随 ひ て 造 作 せ ら る る こ と 有 る を、 是 れ 業 の 義 と為 す 。 能 く身 を 動 ず る 思 を 説 き て 身 業 と名 つ く。 思 に は三 種 有 り。 一 に 審 慮 思 、 二 に 決 定 思 、 三 に 動 襲 思 な り。 若 し思 が 能 く身 を 動 か せ ば 、 即 ち 〔これ を 〕 説 き て 身 業 と 為 す 。 此 の 思 は 、 身 の 相 績 を し て 異 方 に 生 ぜ 令 む る 因 な る 風 界 の 起 こる こ と を 能 く 引 く が 故 な り。 【『業 成 就 論 』】 意 所 作 行 是 名 意 業 。 身 動 集 業 是 名 身 業 。 思 有 三 種 。 所 謂 思 量 決 定 進 趣 。 若 以 身 動 彼 身 相 績 方 中 生 因 風 界 所 吹 是 名 身 業 。(大 正31・780c) 〈訓 読 〉 意 の 所 作 を 行 ず る を 是 れ 意 業 と 名 つ く。 身 の 動 集 す る 業 を 是 れ 身 業 と 名 つ く 。 思 に 三 種 有 り。所 謂 る 思 量 と決 定 と進 趣 な り。若 し 身 の 動 を 以 て 彼 の 身 の 相 績 を し て 〔異 〕 方 中 に 因 な る 風 界 の 吹 く 所 を 生 ぜ 〔しむ る〕 を 是 れ 身 業 と 名 つ く。 『成 業 論 』 も 資 料Cの 経 量 部 説 と 同 様 に 「思 」 を 三 種 に 分 け て い る 。 さ ら に 、 「思 」 が 身 体 を 動 か す な ら ば 、そ れ は 「身 業 」 で あ る 、 と説 い て い る 。 語 業 に 関 し て も 同 様 で あ る 囎。 こ の 身 体 を 動 か す は た ら き と し て 、 「三 種 の 思 」 が 説 か れ る 。 これ に 関 してLamo賃e博 士 は 以 下 の 様 に 述 べ て お られ る 。

ま ず 、 「審 慮 思skt:gati tib 'gro ba※50」 は 、 「熟 慮 も し く は 思 案 す る 行 為"deliberation volition"」、 「決定思:niscaya tib:nges pa」 は 、 「決 定 ・決 意 す る 行 為"decision volition"」、

「動 発 思skt:kirana tib:g-yo ba」 は 、 「動 作 す る ・展 開 す る 行 為"movement volidon"」 で あ る※51。 す な わ ち 「三 種 の 思 」 は 、 思 惟 し て 、 そ れ を あ る 方 向 に 決 定 し 、 そ の 決 定 し た こ と を 行 動 に 出 す ま で の 心 の 変 遷 を 示 し た も の で あ ろ う 。 こ こ で も 資 料Cの 説 と 同 様 に 、 身 を 動 か す 思 が 身 業 で あ る と 説 か れ て い る こ と か ら 、業 の 体 を 思 で あ る と 見 て い る こ と が わ か る 。 【資 料E】

[KS. ]

de las gzhan pa'i sems pa ni yid kyi las zhes bya ste / yid dang mtshungs par ldan pa'i phyir

dang / lus dang / ngag rab 'jug par mi byed pa'i phyir ro / / 'o na ci ste bcom ldan 'das kyis

sems pa dang / bsam pa'i las zhes gsungs she na / sngar sems pa ream pa gsum bshad pa gang

yin pa de las gnyis kyis ni bsams la / gsum pas ni rab to jug par byed pas de ni bsams pa'i las

zhes bya'0 / /

(D.144b4 -- b5 al I:I* p.30*

4*

p. 55)

そ れ 〔身 語 業 〕 よ り他 の 思 が 意 業 と い わ れ る 。 意 と相 応 す る か ら、 身 と語 と を 生 起 し な い か ら で あ る 。 そ の 様 で あ る な ら ば 、 如 何 に し て 世 尊 は 思 〔業 〕 と思 已 業 と を お 説 き に な ら れ た の か 。曰 く 、先 に 三 種 の 思 が 説 明 さ れ た 、そ の 中 の 〔審 慮 思 ・決 定 思 の 〕 二 が 思 業 で あ る 。 三 つ 目 の 〔動 作 す る こ と〕 が 生 起 す る か らそ れ を 思 已 業 と い う 。 【『成 業 論 』】 除 此 鹸 思 名 為 意 業 。 意 相 磨 故 不 能 動 襲 身 及 語 故 。 若 爾 何 縁 経 説 。 二 業 所 謂 思 業 及 思 已 業 。 即 前 所 説 三 種 思 中 。 初 二 種 思 名 為 思 業 。 第 三 一 思 名 思 已 業 。(大 正31・786a) 〈訓 読 〉 此 〔の 身 語 業 〕 を 除 く絵 の 思 を 名 づ け て 意 業 と為 す 。 意 と 相 磨 す る が 故 に 、 能 く身 と 及 び 語 を 動 嚢 せ ざ る が 故 に 。 若 し爾 ら ば何 の 経 説 に縁 る の か 。 二 業 と は 所 謂 ゆ る 思 業 と 及 び 思 已 業 な り。 即 ち 前 の所 説 の 三 種 の 思 の 中 、 初 の 二 種 の 思 を 名 づ け て 思 業 と 為 す 。 第 三 の 一 思 を 思 已 業 と名 つ く。 【『業 成 就 論 』】

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彼 思 異 故 説 思 意 業 。 唯 意 相 磨 身 口 不 轄 。 何 故 如 來 説 思 思 業 。 如 前 所 説 。 思 有 三 種 。 彼 二 種 思 。 第 三 進 趣 彼 思 是 業 。(大 正31・781a) 〈訓 読 〉 彼 〔身 口 業 〕 の 思 と 異 な る が 故 に 、 思 を 意 業 と説 く 。 唯 だ 意 と 相 磨 す る に 身 と 口 と を 輯 ぜ ざ る 。 何 が 故 に 如 來 は 思 と思 〔已 〕 業 と を 説 く や 。 前 の 所 説 の 如 く、 思 に 三 種 有 り。 彼 の 〔思 量 と 決 定 の 〕 二 種 は 思 な り。 第 三 の 進 趣 は 〔思 已 業 〕 な り。 ま た 、 資 料Eで 、 資 料Bの 『倶 舎 論 』 で 説 か れ た 思 業(思 惟 の 思)を 「審 決 勝 思 」 に 、 思 已 業(作 事 の 思)を 「動 発 勝 思 」 に 配 当 し て い る こ とか ら も 、資 料Bの 注 釈 曳 で 『光 記 』 が 『成 業 論 』 の 「三 種 の 思 」 を そ れ ぞ れ 思 惟 の 思 と 作 事 の 思 を 当 て た こ と に 関 して 納 得 が い く鳴。 さ ら に 言 え ば 、 玄   が 資 料Cでr成 業 論 』 の 説 を 付 加 し た こ と に 関 して も 合 点 が い く の で は な か ろ う か 。 思 う に 、 玄 奨 は 『倶 舎 論 』 を 訳 す 際 に 付 加 した 理 由 と し て 『成 業 論 』 で 明 確 に 説 か れ て い る 「三 種 の 思 」 こ そ が 世 親 の 意 で あ る と い う こ と を 汲 ん で 『倶 舎 論 』 中 に 梵 文 に な い 訳 語 を わ ざ わ ざ 付 し た の で は な か ろ う か と 考 え た い 。 ま た 、 最 初 に 述 べ た よ う に 、 世 親 は 経 量 部 の 名 を 語 っ て 自 身 の 説 を 打 ち 立 て て い た の で あ れ ば 、 『成 業 論 』 で い う 「三 種 の 思 」 は 、 讐 喩 者 の 説 に も 見 出 せ な い こ と か ら、 世 親 独 自 の 説 の 可 能 性 が 高 い で あ ろ う 。 お わ り に 以 上 、 『倶 舎 論 』 に 説 か れ る 「思 」 に 関 し て み て き た が 、 『品 類 足 論 』 や 『倶 舎 論 』 大 地 法 中 の 「思 」 の 解 釈 で は 、 善 ・悪 ・無 記 の い ず れ か を 起 こ さ せ る 心 的 な 役 割 を も っ た 法 で あ っ た 。 ま た 、 「思 」 を 意 業 で あ る と 捉 え て い た こ と は 、 『品 類 足 論 』 や 『倶 舎 論 』 で も共 通 して 見 ら れ る と こ ろ で あ る 。た だ 、世 親 が 経 量 部 の 立 場 と して 説 く 「思 」の 解 釈 は 、 大 地 法 の 「思 」 の よ う に ど の 様 な 心 と も 恒 に 相 応 して 起 こ る も の で は な く 噛、 後 に 業 品 で 説 か れ る 様 に 、 「殊 勝 な 思 」、 つ ま り特 別 な は た ら き を も っ た 「思 」 で あ る こ と に 注 意 し た い 。 そ れ を 踏 ま え た 上 で 、 『倶 舎 論 』 業 品 に 説 か れ る 「思 」 の 解 釈 を み て み る と 、 有 部 と 経 量 部 に は 思 想 の 違 い は あ っ た と して も 、 「思 」 を 意 業 で あ る と捉 え て い た こ と に か わ りは な か っ た 。 大 き な 違 い は 、 有 部 で は 、 思 業 に 意 業 を 、 思 已 業 に 身 語 業 を 配 当 し て い る の に 対 し て 、 経 量 部 は 、 思 惟 の 思 と 作 事 の 思 に 分 け て 、 前 者 を 意 業 、 後 者 を 思 已 業 と し た こ と で あ る 。 『光 記 』 の 注 釈 に よ る と 、 「近 因 等 起 ・遠 因 等 起 」 と い う 鰯、 有 部 の ・「思 」 す な わ ち 、 意 業 の は た ら き の 中 に 「思 業 ・思 已 業 」 を 立 て て い る こ と が わ か る 。 こ こ に 、 有 部 と の 違 い が 見 られ る 。 た だ 、経 量 部 と 同 一 視 さ れ て い る 捌.や 『婆 沙 論 』中 の 善 喩 者 の 様 に 、 「思 」 よ り三 業 全 て が 生 起 す る と 説 か ず に 、 「思 惟 の 思 」 と 「作 事 の 思 」 に 分 け 、 前 者 を 思 業 、 後 者 を 身 語 業 で あ る 思 已 業 を 配 当 して い る 。 故 に 、 『倶 舎 論 』 で の 経 量 部 は 、 鴻M. や 『婆 沙 論 』 中 の 磐 喩 者 と は 異 な っ た 思 想 を 持 っ て い る 、 も し くは 発 展 さ せ た 可 能 性 が あ る 。 さ ら に 、 世 親 は 『成 業 論 』 に お い て 、 梵 文r倶 舎 論 』 に は な か っ た 新 た な 「思 」 の 捉 え 方 を 提 示 し て い る 。 そ れ が 、 「審 慮 思 ・決 定 思 ・動 発 思 」 で あ る 。 こ れ は 、 『婆 沙 論 』 中 の 磐 喩 者 に は 見 出 せ な い 思 想 で あ る し、 梵 文r倶 舎 論 』 の 経 量 部 の 説 と して も見 出 せ な い も の で あ る 。 故 に 、 世 親 が 『成 業 論 』 に お い て 従 来 の 有 部 の 「思 業 ・思 已 業 」 の 解 釈 と の 相 違 を 明 か す 為 に 、 自 らが 経 量 部(讐 喩 者)の 「業 の 体 は 思 で あ る 」 と い う 思 想 を 加 味 し て 「三 種 の 思 」 を た て た の で は な か ろ う か 。 そ し て そ の 意 を 汲 ん だ 玄   が 『倶 舎 論 』 を 訳 す 際 に 、 『成 業 論 』 の 説 を 受 け て 付 加 した の で は な い か と い う 可 能 性 を 指 摘 した い 。 以 下 の こ と を 図 示 す れ ば こ の よ う に な ろ う 。 因 み に 、 この 図 で 思 業 を 意 業 と した の は 、 資 料Eに 身 語 業 以 外 の 思 が 意 業 で あ る と説 か れ て い る か ら筆 者 は 思 業 に 相 当 す る も の と し て 意 業 を 挙 げ た 。 【『倶 舎 論 』 の 経 量 部or世 親 の 業 説 】

(10)

思 惟 の 思 samkalpa cetana 審 決 勝 思 cetana vi`esa 遠 因 等 起 作 事 の 思 kruy a cetana 動 発 勝 思 tad-aksepavisesat 近 因 等 起 た だ 、『倶 舎 論 』 玄   訳 に お い て 玄 奨 が 梵 文 に は 見 られ な い 「三 種 の 思 」 を 立 て て い る こ と は 、 玄 奨 自 身 が 『倶 舎 論 』 の 梵 文 を 訳 出す る 際 に 、 『成 業 論 』 と の 比 較 を 通 し て 、 「審 ・決 ・動 発 思 」 を付 加 し た 可 能 性 も あ る が 、 既 に 世 親 の 中 に 「三 種 の 思 」 の 構 想 が あ っ た 可 能 性 も あ る 。 そ の こ と が 、 最 近 の 研 究 の 、 経 量 部 は 、 世 親 の 「隠 れ 蓑 」 的 な も の で あ る と い う指 摘 で る※56。つ ま り喩 伽 行 派 と して の 世 親 の 存 在 で あ る 。 「三 種 の 思 」 は 、 既 にr喩 伽 論 』 に も 類 似 した 思 想 が あ る こ と を 山 口 博 士 に よ っ て 指 摘 さ れ て い る 。 そ れ が 「加 行 思 ・決 定 思 ・等 起 思 燗」 で あ る 鳴。 も し、 世親 が 『喩伽 論 』 の思 想 を もっ て 『三 種 の思 」 を 立 て た な ら ば 、 『倶 舎 論 』 著 作 時 に お い て も 、 「三 種 の 思 」 が 念 頭 に あ っ た 可 能 性 は 否 定 で き な い も の と な る。 今 は 、 玄 藁 が『 成 業 論 』 を み た 上 で 、 『倶 舎 論 』 中 に 「三 種 の 思 」 を 付 加 し た 可 能 性 を 指 摘 す る の み に 止 ま る が 、 今 後 『喩 伽 論 』 との 関 係 性 、 及 び 「審 慮 思 」 等 の 訳 語 の 問 題 に つ い て 、 『成 業 論 』 の 「世 親 の 業 説 」 が 説 か れ る 箇 所 を 中 心 に 考 察 を 深 め た い と 考 え て い る 。

使用テキ ス ト

AN.

Anguttara-Nikilya Vol. VI PTS Vol. III THE PALI TEXT SOCIETY LONDON 1976

AKBh. Abhidhannakafabhasyam of Vasubandhu, Edited By P.Pradhan,Patna,1967

AKVy. Sphutartha Abhidhannako.favyakhya by Yafomkra, Edited By U.Wogihara,Tokyo,1971.

KS.

Karmasiddhiprakarana of Vasubandhu tib:Las grub -pail rab-tu byed-pa D. No. 4062 P.

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Karnasiddhi-tire , tib.Las grub pail bshad pa D.No.4071

Yomicarabharnau Sravakabhilmih

D. No. 4036 P. Vol. 110 No. 5537

・『品 類 足 論 』:

婆沙論 』

玄薬訳 』

真諦訳 』

喩伽論 』

成業論』

『業 成 就 論 』: 『 光 記 』 『 宝 疏 』 玄 業 訳 『阿 毘 達 磨 品 類 足 論 』18巻 大 正26巻 :玄   訳 『阿 毘 達 磨 大 毘 婆 沙 論 』200巻 大 正27巻 :玄 業 訳 『阿 毘 達 磨 倶 舎 論 』30巻 大 正29巻 :真 諦 訳 『阿 毘 達 磨 倶 舎 釈 論 』22巻 大 正29巻 :玄 婁 訳 『喩 伽 師 地 論 』100巻 大 正30巻 :玄 奨 訳 『大 乗 成 業 論 』1巻 大 正31巻 毘 目智 仙 訳 『業 成 就 論 』1巻 大 正31巻 :普 光 述 『倶 舎 論 記 』30巻 大 正41巻 :法 宝 撰r倶 舎 論 疏 』°30巻 大 正41巻

参考文献

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Leo M. Pruden Karmasiddhiprakarapa

by Lamotte,Euenne.hnglish traamon HJIHIN nuiv1t IN1

TIES PRESS Berkeley California 1988

Robert Kritzer

Vasubandhu and the Yoga-cad Elements in the Abhidharmakos'abhasya

STUDIA

PHILOLOGICA BUDDHICA Monograph Series XVIII Tokyo International Institute for Buddhist

Studies of The International College for Postgraduate Buddhist Studies 2005

佐 々 木 現 順 『業 の 思 想 』 第 三 文 明 社1980年 室 寺 義 仁 『成 業 論(チ ベ ッ ト訳 校 訂 本)』1985年 舟 橋 一 哉 『倶 舎 論 の 原 典 解 明 業 品 』 法 藏 館1987年 加 藤 純 章 『経 量 部 の 研 究 』 春 秋 社1989年 桜 部 建 『存 在 の 分 析 』 仏 教 の 思 想2角 川 書 店1996年 平 川 彰 編 『真 諦 訳 対 校'阿 毘 達 磨 倶 舎 論 第 三 巻 』 山 喜 房 仏 書 林2001年 李 鍾 徹 『世 親 思 想 の 研 究 一 『釈 軌 論 』 を 中心 と し て 一 』 山 喜 房 仏 書 林2001年 河 村 孝 照r倶 舎 概 説 』 山 喜 房 仏 書 林2005年 寧1舟橋 一 哉 『業 の研 究 』1954年5月 法 蔵 館 82池 田 錬 太 郎 「思 業 と思 已 業 」 『印 度 学 仏教 学 研 究 』(以 下 『印 仏 』)第30巻 第1号1981年 ゆ3舟橋 氏 前 掲 本pp49∼67 ¢4福 原 亮 厳 『業 論 』 永 田 文 昌堂1982年pp 、324∼326 85LSCHMITHAU3EN(加 治 洋 一 訳)「 『二 十 論 』と 「三 十 論 』に み られ る経 量 部 的 前 提 」『仏 教 学 セ ミナ ー 』第37号1983 年 ・原 田 和 宗 「〈経 量 部 の 「単 層 の 」 識 の 流 れ 〉 と い う概 念 へ の 疑 問1」 『イ ン ド学 チ ベ ッ ト学 研 究3第1号1996 %加 藤 純 章 『経 量 部 の 研 究 』 春 秋 社1989年 本 庄 良 文 「Sau匝n重ika」『印 仏 」1992年 87加 藤 前 掲 本p124 寧8本 庄 良 文rSau囲 血tika」『印 仏 』 第40巻 第2号1992年 寧9池 田氏 に よ れ ば、 『倶舎論 』 の段 階では、 世親が 有部 と経量部の どち らの説 に立 っていたの かは明確で はな いと して い る が 、 『成 業 論 』 の 段 階 にな る と経 量 部 の 説 に立 って い る と して い る。 池 田氏 前 掲 論 文 ゜10鳳κ顔 に 「生 じ さ せ る 思 」 と 「決 意 の 思 」 が 説 か れ 、舟 橋 博 士 は 前 者 を 動 発 勝 思 、 後 者 を 審 決 勝 恩 に 相 当 す る で あ ろ う と し て い る 。 °11舟 橋 氏 は 『倶 舎 論 』 執 筆 時 の 世 親 にっ いてr倶 舎 論 』に お け る 世 親 は 有 部 の 思 想 を 述 べ る こ とが 中心 で あ り、 自身 の 意 見 を あ ま り表 に 出 し て い な い が 、 『成 業 論 』 にお い て は そ れ を は っ き り と打 ち 出 して い る と 評 価 さ れ て い る 。 『業 の 研 究 』μ57参 照

寧12賠 根 は ノーcitであ る 。 アプテ 『梵 英辞典 』では.perceive、undeπ 舘md、bc.consciousof、 名 詞 形 容 詞 と してmind、sensc、 顧enectioa等 が 挙 げ られ て い る 。 ゆ13舟 橋 氏 前 掲 本p38 °14r達 梵 行 経 』 云 何 知 業 .謂 有 二業。思 已思業。是謂知業。(大 正1・600a) 云 何 ん が 、 業 を 知 る や 。 謂 は く、 二 業 有 り。 思 已 と思 業 な り。 是 れ を業 を知 る と 謂 ふ 。 舟 橋 氏 、 池 田 氏 は ノ蝋 の 対 応 経 典 と して 、 上 記 のr達 梵 行 経 』 を挙 げ られ て い る 。 °15舟 橋 前 掲 本pp .38∼39池 田 氏 前 掲 論 文 816薔 訳 の 『衆 事 分 阿 毘 曇 論 』 に は 、以下 のよ うにあ る。 云 何 思 。 心 所 造 作 。 三 種 業 生 。 謂 善 不 善 無 記 。(大 正26・627b) 817思 謂 能 令 心 有 造 作 者 。 思有 勢力能令 心王於境運動。有造作 用。(大 正4量 ・74凶 思 と は 翻 は く、 能 く心 を して 造 作 す る こ と 有 ら しむ る 者 な り。 思 は 勢 力有 りて 能 く心 王 を し て 境 に於 い て 運 動 し、 造 作 の 用 有 ら しむ 。 零18cetan互cil垣bhisa與1skammanaskama1(!篭 κ動 .54脚) 思 は 、心 の 造 作 す ることで あっ て、意 業 で ある。 『順 正 理 論 』 令 心 造 作 善 不 善 無 記 成 妙 劣 中 性 説 名 為 思 。 由有 思 故 。 令 心 於 境 有 動 作 用 。 猶 如 磁 石 勢 力 能 令 鐵 有 動 用 。 (大 正29・384b) 心 を して 善 と不 善 と無 記 と を造 作 し 、 妙 と劣 と 中性 と を 成 ぜ しむ る を説 き て 名 づ け て 思 と 為 す 。 思 有 る に 由 る が 故 に 、 心 を して 境 に 於 い て 動 作 の 用 有 ら し む る 。 猶 し、 磁 石 の 勢 力が 能 く令 鐵 を して 動 の 用 有 ら しむ るが 如 し。 °19上 杉 宜 明 「心 所 法 の ア ピ ダル マ 的 変 化 」 『佛 教 研 究 』第13号1983年 廓20加 藤 氏 前 掲 本p99D爾 垣n欲 町Sau面ntik臨(ん κη μ39:ま た 一 方 で 『婆 沙 論 』 の 罹 喩 者 と 『倶 舎 論 」 の 経 量 部 は 、 同 一 視 出 来 る も の で は な い 、 と い う 脱 が 所 理 恵rr成 笑 論 』 『倶 舎 論 』 と 讐 喩 者 ・経 量 部 と の 関 わ り に つ い て (一)」 『密 教 文 化 』 第170号1989年 によ っ て 言 わ れ て い る。 °21『宝 疏 』 論 若 業 依 身 至 當 知 亦 爾 。経部答 。纒部三業総 以思為饅 。興大乗 同。(大 正41・631a) °22池 田氏 前 掲 論 文 ゜23池 田 氏 前 傾 論 文 に よ れ ば 、経量 部 もこのス タイルを とって いる。'しか し、後 に述 べ るr倶 舎論 』の経量部 の業説 と

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は 異 な る と 思 わ れ る. 参24謂 契 経 説 業 有 二 種。 一 思 業 二 思 所 起 業 。(大 正27・586c)と あ り、 『婆 沙 蘭 』 の 該 当 箇 所 で は 、 思 業 と思 所 起 業 と い う言 い方 を して い る 。 しか し、 該 当 箇 所 で は な いが 、 大 正27・119bに 思 業 思 巳 業 と い う言 い方 も 既 に して あ る こ と に注 意 した い 。 と い う の は 、 な ぜ 、 こ こ で 思 已 業 を わ ざわ ざ思 所 起 業 と した の か 、 サ ンス ク リ ッ トが 違 っ て いた の か 、 問 題 を 追 及 す る必 要 も あ る で あ ろ う。 寧25『婆 沙 論 』 三 業 者 。講 身業誘業 意業.問 此三 業云何建立。焉 自性故。露所依故。爲 等起故 。若 自性者磨唯一 業。 所 謂 語 業 。 語 即 業 故 。 若 所 依 者 。 慮 一 切 業 皆 名 身 業 。 以 三 種 業 皆 依 身 故 。 若 等 起 者.癒 一 切 業 皆 名 意 業 。 以 三 皆 是 意 等 起 故 。 答 具 由 三 縁 建 立 三 業 。 一 自 性 故 建 立 語 業 。 二所 依 故 建 立 身 業 。 三 等 起 故 建 立 意 業 。(大 正27・587b) 三 業 と は 謂 は くボ 身 業 と踏 業 と意 業 とな り。 問ふ 、 此 の 三 業 は云 何 して 建 立 す る や 。 自 性 な る が 故 に と爵 ん や 、 所 依 な る が 故 に と爲 ん や 、等 起 な る が 故 に と 爲 ん や 。 若 し 自性 な ら ば 、 慮 に唯 だ 一 業 の み な る べ し。 所 謂 る 語 業 な り。 膳 は 即 ち 業 な る が 故 に 。 若 し所 依 な らば 、 慮 に 一 切 の 業 は 皆 な 身 業 と 名 つ くべ し。 三 種 の 業 は 皆 な 身 に 依 る を以 て の 故 に 。 若 し等 起 な らば 、 慮 に 一 切 の 業 は 皆 な 意 業 と 名 つ くべ し。 三 は 皆 な 是 の意 の 等 起 を以 て の 故 に 。 答 ふ 、 具 さ に 三 縁 に 由 りて 三 業 を 建 立 す 。 一 に 自性 な るが 故 に鱈 業 を 建立 し、 二 に 所依 な るが 故 に 身 業 を 建 立 し、 三 に等 起 な る が 故 に 意 業 を 建 立 す 。 『順 正 理 諭 』 其 盟 是 何 。 請 心 所 思 。 及 思 所 作 。 故 契 経 説.有 二 種 業 。 一 者 思 業 。 二 思 已 業 。 思 已 業 者 。 謂 思 所 作 。 即 是 由 思 所 等 起 義 。 臆 知 思 者 。 即 是 意 業 。 思 所 作 者 。 即 身 賠 業 。 如 是 二 業 。 於 契 纒 中 。 世 尊 説 為 三 。 謂 身 語 意 業 。 如 是 三 業 。 随 其 次 第 。 由所 依 自性 等 起 故 建 立 。 謂 業 依 身 故 名 身 業 。 業 性 即 語 故 名 誘 業 。 此 業 依 意 復 與 意 倶 。 等 起 身 膳 故 名 意 業 。 此 中已 説意 業 自性 。 謂 即 是 思 。 思 如 前 辮 。(大 正29・531b) 其 の 髄 は 是 れ 何 ぞ 。 謂 は く、 心 所 の 思 と及 び 思 の 所 作 とな り。 故 に 契 経 に 二 種 の 業 有 り と説 く。 一 に は 思 業 、 二 に は 思 已 業 な り 。 思 已 業 とは 、 謂 は く 思 の 所 作 な り。 即 ち 是 れ 思 に 由 り て等 起 せ ら る る義 な り。 慮 に知 る べ し。 恩 と は 、 即 ち是 れ 意 業 な り。 思 の 所 作 と は 、 即 ち 身 皓 業 な り。 是 くの 如 き 二 業 は 、 契 経 中 に於 ひ て 、 世 尊 が 説 きて 三 と為 す 。 謂 は く、 身 と語 と 意 との 業 な り 。 是 く の 如 き三 業 は 、 其Q次 第 に 随 ひ て 所 依 に 由 り て 自性 を等 起 す る が 故 に 建 立 す 。 謂 は く、 業 は 身 に依 る が 故 に 身 業 と名 つ く。 業 の 性 が 即 て 驕 な る が 故 に躇 業 と名 つ く。 此 の 業 は 意 依 り復 た意 と倶 に 身 語 を 等 起 す る が 故 に 意 業 と名 つ く。 此 の 中 、 已 に 意 業 の 自 性 は 説 け り。 胴 は く即 ち是 れ 思 な り、 と 。 思 は如 前 に辮 ず る が 如 し。 邑'

*26yad api kriyi-svabhavam eva na rOpa-sabhavam. tad api paratp na gamayati. tad yatla cetana. *27cetana cittalthisamskitro manaskarma / (AKBh.542°)

(AKVy.303-4)

巾28さ らに 有 部 が 思 を 意 業 で あ る とみ て い た 典 拠 と して 、 「思 は そ れ 自体 〔意 〕 業 に他 な らな い の で 伍 κ8ゐ.1019-20)」 云 々 と あ る.こ の 一 文 か ら して も 、 有 部 が 思 を 意 業 で あ る と解 釈 して いた こ と が わ か る 。 櫻 部 建 『倶 舎 論 の研 究 』法 蔵 館1969年 参 照

*29trayandm iti kiya-van-manas-karmanam . agrayatah kaya-karma. kay'afrayarn karma kaya-karmeti. eva karmeti. samuithinato manas-karma. manah-samutthitam Icrtvi (AKVv.34511-1')

svabhAvato v&-karma. vag

零30さ らに 、 身 表 業 ・身 無 表 業 ・晒 表 業 ・躇 無 表 業 ・意 業 の 五 業 に分 け るが 、 今 回 は 無 表 業 の 問 題 に は 触 れ な い の で 、 省 略 した 。 しか し、 無 表 と思 の 関 係 に 関 して は 、 有 部 及 び 経 量 部 の 思 想 の違 い を 示 す た め に は 重 要 な も の で あ る 。 こ れ に 関 し て は 、 今 後 の課 題 と して お い て お き た い 。 廓31『順 正 理 論 』 若 爾 何 故 契 経 中 。 説 有 二 種 業 。 一 者思 業 。 二 思 已 業 。 彼 作 是 罧 。 謂 前 加 行 起 思 惟 思 我 當 慮 為 如 是 如 是 所 癒 作 事 。 名 為 思 業既 思 惟 已 。 起 作 事 思 。 随 前 所思 。 作所 作事 。 動 身 硬 籍 。 名 思 巳 業 。(大 正29・537b) 若 し爾 らば 何 が 故 に 契 経 中 に 「二 種 の 業 有 り。 一 に は 思 業 、 二 に は思 已 業 な り」、 と説 くや 。 彼 れ は 是 の繹 を 作 す 。 謂 は く、 前 に 加 行 し思 惟 の 思 を起 こ す 。 我 れ 當 に 慮 に 是 くの如 ぐ是 くの 如 き の 所 慮 作 の 事 を 為 す を名 づ け て 思 業 と為 す 。 既 に 思 惟 し 已 りて 作 事 の 思 を 起 こ し、 前 の 所 思 に 随 ひ て 所 作 の 事 を 作 し 、 身 を 動 か し驕 を 鰻 す る を思 已 業 と名 つ く。 串32r光 記 』 汝 等 纒 部 宗 立 何 為 身 表 。 立 形為 身 表 但 假而 非 寅 者 。 経 部 答 。 立 形 為 身 表 不 同 正 量 部 。 但 假 而 非 寅 不 同 脱 一 切 有 部 彼 経 部 宗 身 .語 二表色,聲 上椴。(大 正41・204c) 『宝 疏 』 論 。 既 已 遮 遣 至 何 為 身 表 。 正 量 部.有 部 徴 問 。 論 立 形 為 身 表 但 假 而 非 實 。 経 部 答 。 論 。 既 執 但 用 至 為 身 業 耶 。 有 部 問 。 准 此 纒 部 身 表 非 是 身 業 。(大 正41・631a) 廓33『光 記 』・『宝 疏 』 の 注 釈 に よ っ て も 「業 の 体 を 思 で あ る 」 と し て い た こ とが わ か る。 『光 紀 』 「若 其 三 業 短 皆 是 思 。」 大 正41・205a、 『宝 疏 』 「経 部 答 。 経 部 三 業 縛 以 思 為 髄 。 與 大 乗 同。」大 正41・631aま た 、 この 説 か らす れ ば 経 量 部 は 『婆 沙 論 』 の 「又 讐 喩 者 説 、 身 ・鱈 ・意 業 皆 是 一 思 。(大 正27・587a)」 と い う、 響 喩 者 の 説 と 類 似 した 考 え を も っ て い る こ とが わ か る 。 寧34「彼 経 部 宗 身 ・請 二 表 角 ・聲 上 仮 」(大 正41・205a) 廓35こ の 説 は 、先 学 の硯 究 によ り明 らか と な っ て い る 。r倶舎 論 』にn醐saps電hana叩dravyatai蛭sa瞭antik町1(、4κ 助.19414) 「経 量 部 の 人 達 は 、 形 色 は 実 体 と して は 存在 しな い と 〔言 う〕」r然 経 部 説 。 形非 実 有 。」(大 正29・68b)と あ る 。 ま た 、 こ の 形 色 仮 実 説 に 関 して は 、 梶 山 雄 一 「存 在 と知 識 一仏 教 哲 学 諸 派 の 論 争 一(二)経 量 部 の 根 本 的 立 場 」r哲 学 研 究 』第43巻 第11冊1967年 御 牧 克 己 「経 量 部 」r東 洋 思 想 史 』第8巻1988年 に詳 し く論 じ られ て い る 。 工 藤 道 由 「身 表 形色 説 一表 業 ・無 表 業 」 『仏 教 学 』 第16号 夏983年 那 須 円 照 「ヴ ァス バ ン ド ゥの 外 界 非 実 在 論 」 『仏 教 学 研 究 』55号1999年 等 に 詳 し い。 喰36玄 奨 訳 に お い て 「身 業 」 で は な く 「身 表 」 と して い る。舟橋氏 によれ}萬 経量部は身業 と身表 とを区別 して いると 述 べ て お られ る 。 経 量 部 に よ れ ば 、 身 表 は仮 有 で あ るか ら身業 とい う に は 相 応 し くな い とす る。 つ ま り経 量 部 は 、 身 表 を 形 色 と して 考 え て お り、 外 面 的 な は た ら き と して い る。 経 量 部 の 説 か らす る と形 色 は 実 有 で は な い の で 、 これ を 認 め な い 。 ゆ37池 田 氏 前 掲 論 文 ℃8身.蕗 二 業 即 作 事思 。 名 思 已 業(大 正41・205幻 ℃9『 薬 の研 究 』p.53

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*40Sautrantika ahuh. naivarn bhavisyati. na cittanuparivartini bhavisyati. cetana-vigesenasamahitena tad-aksepa-vigesad asam2fitaya avijfiapter aksepad ity arthah. sa'pi ca vijfiaptir bhavadiya sati vidyamana avijfiapter aksepe utpidana-cetanaya balarn samarthyarn nibhalayate apeksate. kasmat jadatvad apatuvac cetana-balam antarena tam avijfiaptim janayitum na galcnoti. na by asatyam samidana-cetanavam yadrcchotpanna vijfiaptir avijfiaptirn janayati. (AKVy.p.351".")

経 血 部 の 人 達 は 曰 く、 「そ の よ う に は な らな い で あ ろ う。」 〔即 ち 〕 随 心 転 と は 「な らな い で あ ろ う。」 定 心 で な い 「或 る 特 殊 な 思 に よ っ て 、 其 れ を 引 き 起 こ す 特 殊 な もの が あ る か らで あ る 。」 定 心 で な い 無表 を 引 く か らで あ る 、 と い う意 味 で あ る 。 「ま た 」 あ な た の い う よ う な 「そ の よ うな 表 が 存在 す る と して も」、 〔即 ち 〕 現 存 し て い て も、 無 表 を 「引 き 起 こす 際 に は」、 生 じ させ る 「思(U嘔dana・ce㈲ 互)の 力 を 」 〔即 ち 〕 功 能 を 、 「待 つ 」 〔即 ち 〕 観 待 す る・ なぜ で あ る か 。 「鈍 感 だ か らで あ る。」 〔即 ち〕 明 利 で は な い か らで あ る 。 思 の カ が な くて は 、 そ の 無 表 を 生 じさ せ る こ と は で き な い 。 な ぜ な ら ば 、 決 心 の 思(sam蚕 磁na-cetan5)が な い 時 に は 、 偶 然 生 起 し た 表 は 、 無 表 を 生 じ させ な い か ら で あ る 。 (舟 橋 一 哉 『倶 舎 論 の 原 典 解 明 業 品 』pp。35∼36参 照) 841舟 橋 氏 は 『業 の 研 究 』 にお い て 、 「思 が 直 ち に 業 で は な く 、 あ る 特 殊 な 思 が 意 業 で あ る とす る 見 方 、 も う 一 っ は 、 如 何 な る 思 もす べ て 意 業 で あ る とす る 見 方 」 の 二 つ を 挙 げて お られ 、 前 者 の 説 が 正 し い と され て い る. °42チ ペ ッ ト訳 を み て も こ の 箇 所 は 玄 業 の 様 な 訳 誘 に は な らな い。 semspalikhyadpargyisde8i,phenpa㎞yadparyodpaliphyirro!1{P.193b) 思 の 差 別 に よ っ て 、 そ れ を引 き 起 こす 殊 勝 な もの が あ るか らで あ る 。 廓43『光 記3加 行 至 名 思 已 業 者 。 経 部 通 輝 。 思 惟 思 是 遠 因等 起 。 作 事 思 是 近 因 等 起 大 乗 成 業 論 説 。 一 審 慮 思.二 決 定 思 。 當 此 論 思 惟 思 囁 是 思 業 。 三 動 競 思 。 當此 論 作 事 思 振(大 正41・205a) 加 行 よ り名 思 已 業 に至 る は 、 経 部 の 通 繹 な り。 思 惟 の 思 は 是 れ 遠 因 等 起 な り。 作 事 の 思 は 是 れ 近 因等 起 な り。 大 乗 成 業 論 に 説 か く 。 一 に は 審 慮 思 、 二 に は 決 定 思 な り。 當 に此 の論 は 思 惟 の 思 に 是 の 思 業 を 振 む べ し.三 に は 動鰻 思 な り。 當 に此 の 論 は作 事 の思 に 樋 む 。 『宝 疏 』 論 。 謂 前 加 行 至 名 思 已 業 。 纒 部 答 。 思 有 二 鍾 。 一 思 惟 思 。 二 作 事 思 。 前 名 思 業 。 後 名 思 已 業 。(大 正4璽 ・ 631a) 論 の 「謂 は く 、 前 の 加 行 」 よ り 「思 已 業 と名 つ く」 に至 る は 、 経 部 の 答 な り。 思 に二 種 有 り。 一 に は 思 惟 の思 、 二 に は 作 事 の 思 な り。 前 は 思 業 と名 づ け 、 後 は思 已 業 と名 つ く。 零44向 田永 静 「成 業 論 の 註 釈 的 研 究 」 季 刊 『宗 教研 究 』 第6年 第1輯1944年 LeoM.Pruden、 ㎞ 麗漁 勿 醜御8byLamotte,E廿ennαEngHsht臓di¢ionASiANHUMANITIESPRESSBerkeleyCalifbmia l988 山 口益 『世 親 の 成 業 論 』 法 蔵 館1975年 李 鍾 徹 『世 親 思 想 の 研 究 一 『釈 軌 論 』 を 中心 と して 占 』 山喜 房 仏 岱 林2001年 ゜45山 口益 『世 親 の 成 業 繭 』 法 蔵 館 董975年(第 二 版) 廓46室 寺 義 仁 「r倶舎 論 』 『成 業 論 』 『縁 起 経 釈 』」 『密 教 文化 』 第158号1986年 847山 口 前 掲 本pp231∼254デ ル ゲpμ143b6∼145a4室 寺 本pp .51∼56 .48κ∫τ

'gro bar byed pa zhes bya ba ni gang gis 'gro bar byed pa ste / 'di dng 'dis 'gro bar byed do zhes sems p gang yin pa'o / / nges par byed pa zhes bya ba ni 'di dang 'di ha bu zhig ni bya'o / / 'di Ita bu zhig ni mi bya'o zhes de Itar dpyod pa'i rnam par thugs pa'i phyir ro / / g-yo bar byed pa zhes bya ba ni nges par byas nas dus phyis to zhes bya bail tshe'i sems pa gang yin pa'o /

(D.98a6-7) 山 口訳 審 慮 す る と は 行 動 せ し む る 所 依 で 、 是 れ 是 れ の ゆ え に 〔吾 れ 〕 行 動 せ ん と す る思 で あ る 。 決 定 す る と は 、 是 れ 是 れ の 如 き こ と は 作 さね ば な らな い 。 か くの 如 き こ と は 作 して は な らな い と審 察 す る行 相 を 以 て 起 行 す るか らで あ る。 動 発 す る とは 決 定 し了 って 後 に そ れ を作 す と き の思 で あ る 。(山 口訳pp239∼240) 849膳 謂 話 言 音 聲 為 性 。 此 能 表 了 所 欲 説 義 故 名 為 驕 。 能 硬 譜 思 説 名 晒 業 。 或 復 語 者 字 等 所 依 。 由 幣 字 等 能 詮 表 義 故 名 為 語 。 具 足 鷹 言 硬 語 之 業 。 除 髄 之 言 但 名 語 業 。 喩 説 如 前 。(大 正31・786a) 請 と は 謂 は く、 語 言 音 聲 を 性 と為 す 。 此 れ 能 く 説 か ん と欲 す る所 の 義 を表 了 す 。 故 に 名 づ け て 語 と為 す 。 能 く踏 を 獲 す る 思 を 説 き て 語 業 と 名 つ く。 或 い は 復 た 誘 と は 、 字 等 の 所 依 、 字 等 を 帯 す る に 由 りて 能 く 義 を 詮 表 す る が 故 に 名 づ け て 語 と 為 す 。 具 足 して 厘 に 語 を壁 す 之 業 と言 う べ し.登 の 言 を 除 き て 但 だ 語 業 と名 つ く。 喩 説 前 の 如 し。 こ の 身 請 意 業 の 一 々 に 関 して は 、 今 後 検 討 して い き た い 。 喰50た だ 、 筆 者 が 理 解 で き な い の は 、 「審 慮 思 」 と い う 訳 語 で あ る。 こ れ は 雪grobaを 訳 した も の で あ るが 、 「審 慮思 」 と 訳 す る の は 少 し 無 理 が あ る の で は な か ろ うか 。 直 訳す れ ば 、 「得 る ・行 く ・生 き る ・道 ・方 法 ・手 段 」 等 た くさ ん の意 味 が あ り、 どれ を と っ て 「審 慮 思 」 と玄 業 が 訳 した の か は わ か らな い .51LeoM .Pruden前 掲 本p73 852脚 注43の 『光 記 』 の 説 参照 853『 大 乗 成 業 論 文 林 妙 』 に 『倶 舎 詮 』 の 「前 の加 行 に 思 惟 の思 を 起 こ して 、我れ 當 に磨 に是 くの如 く是 くの如 きの所 慮 塑 の 作 事 を爲 す べ き こ と を 名 づ け て 思 業 と爲 す 。 既 に思 惟 し已 りて 作 事 の思 を 起 こ し、 前 の 所 思 に 随 ひ て 所 作 の 事 を 作 し 、 身 を 動 か し語 を 硬 す る を思 已 業 と名 つ く.」 と い う 一 文 を挙 げ て 「三 種 の 思 」 を 説 明 して い る こ とか ら 、 『倶 舎 論 』 の 「三 種 の 思 」 の訳 籍 は こ こ か ら発 展 させ て 訳 した と い う こ とが 考 え られ る 。 廓54舟 橋 前 掲 本p94 ホ55大 正41・216b∼cに 詳 脱 さ れ て い る。 ま た 舟 橋 前 掲 本 のpp.76∼98に も詳 し く脱 明 さ れ て い るb .56原 田 和 宗 「経 量 部 を め ぐ る 諸 問 題 〔11」『印 仏 」第52巻 第2号2005年

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参照

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