良遍撰
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質
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翻刻読解研究
西
山
はじめに 仏道実践を行なう行者にとって、如来や普薩による加被や有情鏡益が切実な問題であったことは言うまでも無い。このような如来や菩穫 による加被ならびに有情鏡益は元来、﹁神通﹂や﹁神変﹂と呼ばれる不思議の世界に属するものではあるが、唯識教学ではこれらを﹁無漏 定通﹂と呼んで、八識説や種子説などの教学体系の中に位置づけていったのである。そこに、たいへん興味深い展開が生じた。 そもそも、無漏定通による色法の顕現によって、如来や菩薩による加被ならびに有情鏡益がなされるのであるが、具体的には﹁土石を転 じて金となす﹂という言葉にも象徴されるように、自の前の物が有情にとって有益な別物に転じられ、それを有情に受用させることによっ て化益がなされるという点に、著しい特徴がある。法相宗ではこれを﹁定果色﹂あるいは﹁定所引色﹂などとも称しているが、五位百法の 分類でいえば色法の中の﹁法処所摂色﹂に該当するものである。法処所摂色は、第六意識の中の独頭意識の対象となるものであるから基本 的には仮法であるが、八地以上の大力菩醸が威徳定によって転じる金銀等は、単に菩薩の第六意識による観念上の仮法ではなく、実法であ るとみなされてきた。法相宗は諸法の相状を明らかにする点に特徴を有する性相の学であったから、必然的に無漏定通の不思議に対する論 理構造が求められるに至ったのである。はたして、どのような会通・解釈が示されたのであろうか。 これについて、当時の一般学説を主に収録したと考えられている﹃成唯識論同学紗﹄(以下、﹃同学紗﹄)中の﹁転換本質﹂(﹃大正﹄六六、四 ニ 二 、 下i
四二三、中)の内容を簡潔に示せば、八地以上の菩薩は﹁心自在﹂の位にあって諸法の﹁知幻﹂なることに了達しているため、実 際に土石の体を転換して金銀を生じさせることが出来るとしている。ただし、その際も種子六義の引自果義や自類相生の因縁といった﹁種 生現﹂の論理を離れてはならないため、土石の種子が金銀の種子を成ずるのでも、土石の現行が金銀の現行を生じるのでもなく、菩薩の無 漏定通によって土石の現行が止められ、新たに金銀の自種から金銀の現行が生じる不思議がなされると述べた。 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 心自在を理由とするならば、これらの﹁種生現﹂の論理を飛び越えて土石を金銀に変じたとしても一見、良いようにも思われる。しかし、 種生現の論理や法相について了達しているからこそ、菩薩はその論理を離れることなく不思議の境界を示すのである。このように不思議の 境界を論理的に理解しようとする点はすこぶる唯識的であり、また法相学侶の真撃な学究姿勢がうかがえるといってよい。 さて、論義﹁転換本質﹂の諸短釈は、現存するものだけで三十九冊という多数にのぼる。それらを熟読したところ、字句の不同はあるも のの、その内容は趣を同じくしている。すなわち、土石を金銀に変ずる論理構造はもとより、有情の認識構造や、能化の菩麓と所化の有情 の関係、有情同士の関係等々、さまざま観点から詳細な検討がなされているのである。今回、取り扱う良遍撰述の﹃知足院草転換本質事﹄ (以下、﹃良遍抄﹄)もその一つであり、他の短釈と共通する内容が少なからず見られる。 今、﹃良遍抄﹄の内容を簡単に示せば、大きく三つに分けることが出来る。すなわち、①転換本質に関する一般的な議論、②意解思惟観 による定果色の論理構造および認識構造、③二乗の転換本質の有無、この三つである。①は他の短釈にも見られるようなオーソドックスな 内容である。②は③への接続的内容を有した箇所。すなわち、転換本質は威徳定によってなされるために、威徳定の検討が不可欠である。 同様に二乗の転換本質を議論する前段階として②では意解思惟観による定果色のあり方が検討されている。それを承けて③では二乗の転換 本質を許すか否かが論じられることになるのである。この点について薬師寺所蔵の興基︿一四一
01
一 四 八O
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撰﹃転換本質﹄には、 -66-二乗転換本質有無二義良遍抄委細也 とあるから、﹁二乗の転換本質﹂については室町時代にすでに、良週のものが最も詳しいと評価されていたことが知られる。実際に﹃良遍 抄﹄の﹁二乗転換本質事﹂の一段を見てみると、二乗の転換本質を許す立場、許さない立場、それぞれの立場を詳細に述べている。興基﹃転 換本質﹄にある通り、﹁二乗転換本質事﹂についてここまで詳細に議論がされているものは他の短釈には見られない。なぜ良遍は二乗の転 換本質にこだわったのであろうか。結論を先にいえば、菩態と二乗の転換本質の差異を明らかにすることで、仏道を歩む行者(普陸)の大 慈悲力のあり方を鮮明にしようとしたのではないかと考えられるのである。 また、論義﹁転換本質﹂は、興味深いことに仏道実践をめざした貞慶(一一五五1 =
二三)を起点として注目を集めるに至ったことも特 筆すべきことの一つではなかろうか。すなわち、貞慶のみならず法相の行者(学侶)にはつねに﹁仏道﹂が念頭にあり、論義﹁転換本質﹂も単に無漏定通による不思議を理解するため学問研鎖に終始するものではなく、行者の宗教体験を教学上に位置づけていくという大きな問 題意識があったからこその展開ではなかったかと考えられるのである。 3 現存する貞慶の﹃唯識論尋思抄﹄(通要および別要)には﹁転換本 質﹂の条が抜け落ちており、その内容を知ることはできないが、﹃良遍抄﹄には﹁二乗転換本質事﹂内において二乗の転換本質を許す立場 を貞慶が支持していたことが知られ、注目の起点となった貞慶の思想の一端を知ることも出来る貴重な資料となっている。この点からすれ ば、﹃良遍抄﹄の最大の特徴は今回、取り扱う﹁二乗転換本質﹂に存すると言っても過言ではないのである。 そこで本稿においては、知足院良遍が撰述した薬師寺論集所蔵﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質﹂の諸本を示した後、翻刻・読解研究を行 うことにしたい。また、﹃良遍抄﹄全体の翻刻・読解研究については別稿において詳細を論ずる予定である。
ニ.知足院草﹃転換本質事﹄
の諸本
本論文において翻刻読解研究を行う良遍撰述の﹃転換本質﹄は現在のところ、実に以下の三本の存在が明らかになっている。 ①薬師寺蔵﹃薬師寺短釈﹄所収本(第三ニ二九号・酉戚函・十七冊) ︹ 表 紙 ︺ 論題七巻 弐 薬師寺 知足院 転換本質事 尭胤之 ②無為信寺短釈 ︹ 表 紙 ︺ 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年良適撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 第七巻 転換本質事 ︹ 内 表 紙 ︺ 遍 草 転換本質 法隆寺 遍草 ③無為信寺短釈 ︹ 表 紙 ︺ 論第七 勝 願 院 転換本質事 ︹ 内 表 紙 ︺ 第七巻 -68ー 勝 願 院 転換本質事 澄経 ︹ 表 紙 裏 ︺ 勝 願 院
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云 知 足 院 ト2
良遍之御事也 本論文は、これらの短釈の内の最も鮮明な①本を底本、②③本を対校本として翻刻・訓読を行うことにより、﹁転換本質﹂における﹁二 乗転換本質事﹂を明らかにしようとするものである。翻刻読解研究にあたっての﹁凡例﹂は以下の通りである。︻ 凡 例 ︼ 一、本翻刻は薬師寺論集所蔵知足院草﹃転換本質事﹄一巻、全十七丁のうち十二丁右から十七丁右である。 二、本文中に使用されている旧字・異体字・合字に関しては、内容に抵触しない限り常用漢字に改めた。また、﹁寸﹂などの片仮名の略 字については﹁コト﹂のように開いて表記した。 三、割注に関しては︿﹀で括った。 四、虫損等により判読不能の文字については、-により字数分の空格を示した。 五、対校する際、文字の加減は+または l で示した。(︻例︼②日+答)文字の異同は、底本の文字を記し、 を 示 し た 。 ( ︻ 例 ︼ ③ 日 ( 底 ) 耶 H 乎。)これら文字の加減・異同については本論文末に一括して記した。 飽 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年 イコールで対校本の文字
良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 三.知足院草﹃転換本質事﹄翻刻読解 ︿二乗転換本質事﹀︻第一問答︼(十二丁右一
1
十二丁左六) ︻ 原 文 ︼ ︻ 翻 刻 ︼ 二乗転換本質事 尋云二乗偏限怠解思惟-欺将有転換ノ義寸 耶答或不許転換一宝積院等御意也或 許之上人御義也先成前義二五二乗聖者未 鐙 ・ H 唯識↓不了如幻サ不逮相縛↓不断-法執寸如何 依先業/力-自無始一相続現行竪住必然土 石諸山 7 以 自 心 ノ 所 欲 ノ カ サ 不 手 令 生 一 忽 令 生 余 ノ 現 一 耶 業 力 織 燃 品 シ テ 不 了 法 性 -之 前 線 難 改 一 ・ M也
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是以見転換本質之諸文本論ュハ云謂仏菩薩↓ユカ 抄 ュ ハ 述 ょ 其 以 仏 威 力 故 一 本 疏 ニ ハ 初 地 第 三 地 八 地 己 ょ 上 ノ 三重雄挙之一又不挙二乗↓依之太抄ュハ釈仏菩薩所 変大地金等↓鏡水抄ニハ判
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菩 薩 成 就 得 無 縁 恵 . 酢0
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変石為金令諸衆生得実受用↓簡異凡夫 二乗有願不能実救;又先徳解釈也 ︻ 訓 読 ︼ 二乗転換本質事 尋ねて云く。二乗は偏に意解思惟に限るか、将た転換の義も有るや。 答ふ。或は転換を許さず。宝積院等の御意なり。或はこれを許す。上人の御義なり。先ず前義を成じて云く。二乗の聖者等は未だ唯識を 謹せず、如幻を了せず、相縛を達せず、法執を断ぜず。如何にして先業の力に依りて無始より相続現行する竪住必然の土石諸山を自心の所 欲の力を以て生ぜしめずして忽ち余の現を生ぜしむるや。業力は織燃にして法執を了せざるの前には頼ち改め難きなり。これを以て転換本 質の諸文を見るに、﹃本論﹄には﹁謂く仏菩薩﹂と云ひ、﹃職伽抄﹄には﹁仏の威力を以ての故に﹂と述べ、﹃本疏﹄には初地、第三地、八 地己上の三重、これを挙ぐると雄も、また二乗を挙げず。これに依りて﹃太抄﹄には﹁仏菩薩所変の大地、金等﹂と釈し、﹃鏡水抄﹄には ﹁菩薩成就の無縁の慈を得て(中略)石を変じて金となし、諸々の衆生をして実に受用せしむ﹂と判じ、﹁異と凡夫と二乗は願有るも突の 救には能はず。﹂と判ぜり。また先徳の解釈なり。 ︻ 解 説 ︼ 先にも述べたように本短釈における最大の特色は、この﹁二乗転換本質事﹂に存している。以下、﹁二乗転換本質事﹂の内容に入ってい 龍谷大学僻教学研究室年報第二十二号平成三十年良遍撰﹃転換本質事﹄﹁ニ乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) く 第一問答においては、まさに二乗は意解思惟観に限るのか、それとも転換の義もあるのかという聞がなされる。八地己去の大力の菩麓は 威徳定によって思いのままに境を転ずることができるが、慈恩大師基(六三二
1
六 八 二 ) ﹃ 成 唯 識 論 述 記 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 述 記 ﹄ ) ( ﹃ 大 正 ﹄ 四 三 、 四 八 九、上)には﹁或は意解思惟観、境をまた成ずと雄も、然るに今は転換本質を取りてこれを取らず﹂と意解思惟観によっても境が転じるこ とが示される。しかし、実用があるのは転換本質であり、意解思惟観によっては実用がないことが示されている。そこで二乗はこの意解思 惟観に限るのかという聞がなされている。 それに対して答文では転換を許す説と許さない説のニ説があることを示している。転換を許さないという説は宝積院信憲(二四五 3一
二二五)をはじめとする先徳によって支持されており、許す説は上人、すなわち貞鹿の説であったことが示されている。ここではどちらの 説であるかは明確にされておらず、﹁先ず前義(許さない説)を成じて云く﹂とあるように、ニ説を併記する流れになることがうかがえる。 二乗の転換本質を許さない説においては、二乗はそもそも一切が唯識であることを謹しておらず、如幻にも了達せず、法執を断じないの で、先業力所感の器界を自心の所欲に随って変ずることは出来ないとして、二乗が転換本質に至らないその道理を示している。その文証と し て ﹃ 聡 伽 師 地 論 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 職 伽 論 ﹄ 、 ﹃ 大 正 ﹄ 三O
、 四 九 二 、 上 ) 、 基 撰 ﹃ 聡 伽 師 地 論 略 纂 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 略 纂 ﹄ 、 ﹃ 大 正 ﹄ 四 三 、 二τ
八 、 下 ) 、 ﹃ 述 記 ﹄ ( ﹃ 大 正 ﹄ 四 三 、 四 八 九 、 上 の 取 意 ) ) 、 霊 泰 ( 生 没 年 不 詳 ) ﹃ 成 唯 識 論 疏 抄 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 太 抄 ﹄ 、 ﹃ 続 蔵 ﹄ 五O
、三四八、中)、栖復(生没年不詳)﹃法華玄賛要 集 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 鏡 水 抄 ﹄ 、 ﹃ 続 蔵 ﹄ 三 四 、 四 二 四 、 下 ) を 挙 げ て い る 。 内 ' ﹄守
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︻ 第 二 問 答 ︼ ︻ 原 文 ︼8 4 a
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十三丁左一) 翻 刻 尋云何先徳釈耶 答十巻私記五ニ疏/転換本質 J 釈 ヲ ハ 為 唯 菩 薩 /釈ト或意解思惟ノ釈為遍二乗異生寸釈ト其意分 明也又云問二乗以定力一地等成金宝等者唯 仮 想 ノ ミ S 無実用↓者何故目機連以三千大千世界一 入 口 中 一 時 不 狭 少 一 ︿ 二 台 E v -J X 迦葉以口息一吹掃東 方無量世界寸此既有実用-如何云.=無実用-耶 答彼文可云仏菩薩示現十弟子也︿己上論文此当有難﹀ . 5 裏書云文是諸仏加被也専非二乗占所弁-也三 後思之︿己上﹀ . 5 既云道理云解釈一明也未見一文 通二乗-更 . z 以 何 ナ ル 文 理 一 施 . ョ 令 通 二 乗 一 耶 ︻ 訓 読 ︼ 尋ねて云く。何れの先徳の釈なるや。 答ふ。﹃十巻私記﹄五に﹃疏﹄の転換本質の釈をば唯だ菩薩の釈と為し、或意解思惟の釈は遍じて二乗異生の釈と為すその意分明なり。 また云く。﹁問ふ。二乗は定力を以て地等を金宝等に成じるは唯だ仮想のみ。実用無くんぱ何が故ぞ目鍵連は三千大千世界を以て口中に入 れる時、狭少ならざる。︿云云﹀また迦葉は口息を以て東方無量世界を吹掃する。これ既に実用有り、如何が実用無しと云ふや。答ふ。彼 は文云く仏菩薩は十弟子を示現すなり。︿己上論文。これ当に雛あるべし。﹀﹂﹃裏書﹄云く。﹁またこれ諸仏の加被なり。専ら二乗の所弁に はあらず。後にこれを思うベし。︿己上﹀﹂既に道理と云ひ、解釈と云ひ、明らかなり。未だ一文として二乗に通ずるを見ず。更に何なる文 龍 番 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年
良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂観刻読解研究(西山) 理を以て施して二乗に通ぜしむや。 ︻ 解 説 ︼ 第二問答では二乗の転換本質を許さない説の先徳の釈として﹃十巻私記﹄(詳細不詳﹀、﹃裏書﹄(詳細不詳﹀を挙げている。﹃十巻私記﹄で は阿羅漢である目提連や迦葉を挙げ、その神変に実用があることをもって二乗にも転換の義があると難じるが、十大弟子は仏の示現である という会通をなしている。また﹃裏書﹄には諸仏の加被であり、二乗についてのべたものではないことが明らかにされている。そして道理 (第一問答)も解釈(第二問答)も明らかに二乗の転換本質を認めないものであるとし、どのような文理によって転換本質を二乗に通じさせ るのかと結んでいる。 ここで重要な点は、詳細は不詳であるものの﹃裏書﹄を引いて、二乗の転換本質が諸仏の加被によるものであるという見解が示されてい る点である。当然、諸仏の加被たる無漏定通について考える時、法相学侶は教学上の定果色を想定するはずである。ところが、二乗の転換 本質は諸仏の加被であると説かれた。﹃裏書﹄の記述であるとはいえ、仏道を歩む行者との違いが、ここに鮮明にされたといってよいであ ろ う 。 a 唱 守 t
︻第三問答︼(十三丁二
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十七丁右七) ︻ 原 文 ︼替
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龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 ︻ 翻 刻 ︼ 尋云 . g ユカ抄十四於威徳定作二釈-初釈 ρ 通漏無 漏 一 後 釈 ρ 唯無漏々々々 J 釈錐難通二乗一多縁諦 理故也 . 3 通漏無漏一釈ハ可通二乗一故下文還テ述 初釈云無間一有漏無漏寸任運定能量起此実之さ 色 . 陪 也O
若菩薩是無漏若二乗是有漏皆能 変化令他受用一名威徳定︿云云﹀重成初釈一 取通二乗之義︿見タリ﹀是則 d 釈本論若有 戚徳定所行境猶如変化彼果彼境及彼相応 識等境色是実物有︿乃至﹀有漏無漏由定而生 文 寸 也 抄 ノ 二 釈 之 . ピ 中 ニ ・ ば 猶 順 論 文 ェ 云 有 漏 無 漏 出 定 而生↓故是以第二巻疏引今此本論文一畢即 通有漏及与無漏此謂聖者得威徳定 変為此色鏡益有情一︿云云﹀ d 此謂聖者詞広 亘二乗︿見タリ﹀依之彼演秘釈威徳定一有二 釈初釈ハ通菩薩及二乗っ後釈ハ通異生つ作良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 此二釈畢前解為勝一︿云云﹀文通二乗一之旨分明也 若示威徳定既通二乗-出旦無転換本質 之義耶
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威徳定所作皆有実用一変地一為 金 一 之 時 宣 無 実 用 一 耶 . H ・但於未鐙法空之 難 -者 難 未 得 . 活 法 空 無 漏 一 依 解 脱 勝 処 ノ 観 門-能除変化障一於小多根慶色一既得自在 J 変 化 イ 故 分 調 伏 其 物 一 -S 雄未及如幻信解何 以生空智 J 分 斉 一 不 成 此 事 耶 . 出 一 例 二 乗 之 中 -76ー 麟角 . M M 及 広 恵 声 聞 等 少 . む 有 . 2 転換 J 義 一 何 為 難 -哉 . な 手心自在者其位雄有.当地上一転変神通何必限知幻 情.
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, 解 一 耶 ・ 3 本論ハ挙大自在寸非無例設-七地己前 二 乗 等 雄 有 超 多 等 ノ 至 義 一E
従 極 自 在 純 無 漏 一 挙 第 三 僧 紙 一 例 是 文 可 か 一 耶 . 怠 自 余 解 釈 准 さ 可意 . a 耶 今依前義一会云先戚徳定唯無漏 J 釈宗家 未捨之一是以第四 J 灯 ニ 云 . 3 以漏無漏不相順故↓威龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年 徳 定 限 無 漏 ︿ 見 タ リ ﹀ 若 好 . 主 此 釈 -者 不 可 通 二 乗 一 諸 ノ 通 有 漏 一 文
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皆可云一相釈意一何況離通有 漏 ↓ 通 二 乗 一 云 事 又 未 定 也 漏 無 漏 ノ ま 意 . 孟 得. s
皆可在 菩薩一故三也但ユカ抄云若二乗是有漏↓秘ニ取通 菩薩二乗之釈為勝一者先ユカ抄彼文. s
一 釈 意 也 ・ 3 演.
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-秘ハ対通異生一之釈為勝一許也未知聖者之 中強ュ論之時三可通二乗一云事以 . 3 疏/此謂聖者/ 詞 幽 也 設 通 二 乗 一 准 三 秘 一 可 会 之 一 其 . 3 上 通 二 乗一事未定也何況設威徳定通i
二 乗 一 -不 可 関 一 転換本質一二乗只漸可変出実用香味ゴ五 か 也 可 非 転 換 ニ ハ 本 質 ↓ 是 以 見 本 論 イ . g 威徳 定 ノ 処 ュ ハ 未 説 転 換 事 イ 転 換 処 ェ ハ 更 不 説 二 乗 ↓ 解釈又が也依後義一難云既許二乗 J 威徳定 変?実用 J 香味イ畢若不許之者 . 3 解 釈 難 会 一 所 成 皆 煩 ? 不 知 三 文 一 好 -・ 3 是以本論ノ三十三聖非 聖 ノ 神 漣 . 8 相 対 シ テ 聖 ? ハ 惣 云 知 実 成 弁 ↓ 非 聖 F ハ良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 述 不 堪 受 用 ↓ 此 義 決 定 畢 ナ ハ 転 換 J 義 無 疑 一 何 者 於 変 ト 化
1
変ト者転変改易化ト者化現無而忽有 演秘釈変化二事之中ニ化 ρ 猶可難一而実用/ 段 食 猶 忽 然 ト シ テ 化 之 -況 於 地 等 本 有 J 法転換 其 相 一 事 何 為 難 一 耶 . ε 答 於 変 化 二 事 一 -変 ハ 可 難 -其 . s 業所感 J 器 界無始串習尤重先業 J 力 決 然 ト シ テ 相 続 現 行 ス ル 竪 住 ノ ・ 8 諸山土石等 4於 テ 以 今 J 思念 J-t 力 寸 忽改転滅彼現一令生 . 8 此現一事莫大故也但 如上成本無段食今始変出スル返可易耶. s
伽論三十四云謂諸. s
如是諦現観故獲得四智2
得唯法智得非断智得非常智得縁生行 如幻事智︿云云﹀O
是 ρ 諸 声 聞 ︿ 菩 薩 イ ﹀ 相 一 文 也 上 = 説 四 果 寸 皐順. s
如 是 説 也 既 ュ 云 得 如 幻 智 ゴ 一 乗 モ 分 ュ 讃 如 幻 一 也 何 不 転 換 . 当 耶。 。
守 S︻ 訓 読 ︼ 尋ねて云く。﹃略纂﹄十四に威徳定に於いて二釈を作し、初釈は漏無漏に通じ、後釈は唯無漏なり。唯無漏の釈は二乗に通じがたしと離 も、多縁諦理の故に、漏無漏に通ずの釈は二乗に通ずべき故に、下文は還りて初釈を述べて云く。﹁間無く、得漏無漏の任運なる定は能く この実色を起こす(中略)若しは菩薩はこれ無漏、若しは二乗はこれ有漏、皆能く変化し他をして受用せしむを威徳定と名く。﹂︿云云﹀重 ねて初尺を成じて二乗に通ずるの義を取る。︿見えたり﹀これ則ち﹃本論﹄の﹁若し威徳定所行のの境有らば、猶し変化のごとし。彼の果、 彼の境、及び彼の相は応に識等の境、色は是実物有なるべし。(中略)有漏無漏の定に由りて生ず。﹂の文を釈す。﹃抄﹄の二釈の中、猶し 論文の﹁有漏無漏の定に由りて生ず﹂と云ふに順ずる故に、これを以て第二巻疏は今、この論文を引き畢ぬ。即ち﹁有漏と及び無漏とに通 ず。これは謂く聖者の威徳定を得たるはこの色を変為して有情を能益す﹂︿云云﹀ここに謂ふ聖者の詞は広く二乗に亘ると見たり。これに 依りて彼の﹃演秘﹄は威徳定を釈してニ釈有り。初釈は菩薩及び二乗に通じ、後釈は典生に通ず。この二釈を作し畢ぬ。﹁前解を勝となす。﹂ ︿云云﹀と。又た二乗に通ずるの旨分明なり。若ししからば威徳定は既に二乗に通ず。出旦に転換本質の義無からんや。威徳定の所作は皆実 用有り、地を変じて金となす時、出旦に実用無からんや。但だ未だ法空を讃せざるの難に於いては未だ法空無漏を得ざれども解脱勝処の観門 に依りて能く変化障を除く。小多根底色に於いて既に自在の変化を得るが故に分にその物を調伏す。未だ如幻の信解に及ばざると雌も、何 ぞ生空智の分斉を以てこの事を成ぜざるや。品川って二乗の中、麟角及び広恵声聞等は少しく転換の義有り。何ぞ難となすや。心自在はその 位は地上に有ると雄も転変神通は何ぞ如幻情(勝)解に限るや。﹃本論﹄は大自在を挙ぐ。例鐙無きには非ず。七地巳前、二乗等は超多等 の歪義有ると雌も旦だ極自在純無漏に従り第三僧紙を挙げ例す。これまたしかるべきや。自余の解釈、准じて怠ふべきや。 今、前義に依りて会して云く。先ず威徳定唯無漏の釈は宗家、未だこれを捨てず。是を以て第四の﹃灯﹄に﹁漏無漏を以て相順せざるが 故に﹂と云ふ。威徳定は無漏に限ると見たり。若しこの釈を好めば二乗に通.すべからず。諸の有漏に通ずる文を以て皆一相の釈意と云ふベ し。何ぞ況んや有漏に通ずと雌も二乗に通ずと云ふ事、また未定なり。漏無漏の威徳は皆菩離に在るベし。ただ﹃聡伽抄﹄に﹁若しは二乗 はこれ有漏﹂と云ひ、﹃秘﹄に菩薩二乗に通ずるの釈を勝となすと取るは、まず﹃轍伽抄﹄の彼の文は一釈の意なり、﹃演秘﹄は異生に通ず るの釈に対して勝となして許すなり。未だ聖者の中に、強ちに論ずるの時は知らず。二乗に通ずべしと云ふ事は﹃疏﹄の﹁ここに謂ふ聖者﹂ の詞は幽なり。設ひ二乗に通ずとも﹃秘﹄に准じてこれを会すベし。その上、二乗に通ず事は未定なり。何ぞ況んや設ひ威徳定は二乗に通 ずとも、転換本質に開くべからず。二乗は只だ漸く実用の香味を変出すべきをしか云ふなり。本質を転換するには非ず。是を以て﹃本論﹄ 龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年
良遍撰﹃転換本質事﹄﹁ニ乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 等を見るに威徳定の処には未だ転換の事を説かず。転換の処には更に二乗を説かず。解釈もまたしかなり。 後義に依りて難じて云く。既に二乗の威徳定は実用の香味を変ずと許し畢ぬ。若しこれを許さざれば解釈は会し難し。所成は皆煩へり。 文の知く存せず。是を以て﹃本論﹄の三十三は聖非聖の神漣(通)相対して聖をば惣じて﹁知実成弁﹂と云ひ、非聖をぱ﹁不堪受用﹂と述 ぶ。この義決定し畢なば転換の義は疑い無し。何とならば変と化とに於いて、変とは転変改易、化とは化現無而忽有(﹃演秘﹄の釈なり)変 化二事の中に化は猶し難かるべし。而して実用の段食は猶し忽然としてこれを化す。況んや地等の本有の法、その相を転換する事何ぞ難し と な す や 。 答ふ。変化の二事に於いて変は難かるべし。其れは業所感の器界、無始串習尤も重し。先業の力は決然として相続現行する竪住の諸山土 石等に於いて今の思念の力を以て忽ちに改転し、彼の現を滅してこの現を生ぜしむ事は莫大なるが故なり。但だ上に成ずるが知くの本無の 段食を今始めて変出するは返りて易かるべきや。﹃伽論﹄三十四に云く。﹁調くかくの如き諦現観を諸(謹)するが故に四智を獲得す。唯法 智を得、非断智を得、非常智を得、縁生行如幻事智を断ず(得る)﹂︿云云﹀と。是は諸の声聞(菩薩)相の文なり。上に四果を説き畢ぬ。 順にかくの如く説くなり。既に知幻智を得と云ふ。二乗も分に如幻を設すなり。なんぞ転換せざるや。 -80-︻ 解 説 ︼ 第三問答は内容からみて二乗の転換本質を許す立場で述べられているが、これまでの問答と少々形式が異なる。まず、これまでと同様に ﹁尋ねて云く﹂と聞が掲げられるが、この間は二乗の転換本質を許す立場から立てられている。この聞を承けて﹁今、前義に依りて会して 云く﹂とあり、二乗の転換本質を許さない立場からの会通がなされる。さらに、この会通を承けて﹁後義に依りて難じて云く﹂とし、二乗 の転換本質を許す立場からの難を再び立てている。そして、最後にそれに答える形で﹁答ふ﹂として、良遍の結論が示されているのである。 ﹁尋ねて云く﹂では、まず慈恩大師基の﹃略纂﹄(﹃大正﹄四三、一九三、上)に威徳定が漏無漏の釈、唯無漏の釈をなして、威徳定が漏無 漏に通ず釈を採用しているとし、さらに﹃述記﹄第二巻(実際には﹃述記﹄巻三之本)(﹃大正﹄四三、三ニ五、上)において用いられる﹁聖者﹂ の言葉も二乗にも亘るとしている。ここでは﹁有漏と及び無漏とに通ず。ここにいう聖者は威徳定を得る﹂とあることから、威徳定が有漏 および無漏に通じると解釈されている。実際に智周もこのことを承けて﹃成唯識論演秘﹄(以下、﹃演秘﹄。﹃大正﹄四三、八六九、下)に菩薩と 二乗とに通ずる説を勝としている。このように威徳定が二乗にも通じることは明らかであるからには、転換本質も二乗に通じるべきである
と難じるのである。たとえ法空を議していないとしても解脱勝処により自在の変化ができ実用があるというのである。したがって、麟角輸 の独覚や広慧の声聞には転換の義があるとし、心自在の位は初地以上であるとしても、転変神通を如幻勝解なる大力菩薩に限る事はできな いというのである。 この難に対して﹁今、前義に依りて会して云く﹂では、まず宗家は唯無漏すなわち威徳定が菩陵に限られる釈を捨てているわけではない と反論する。﹃成唯識論了義灯﹄(﹃大正﹄四三、七三六、下)には定通について異界異地について段食を上界繋にしないことについて﹁漏無 漏を以て相順せざるが故に﹂としており、威徳定が有漏に通じないためこのように答えているとしている。さらに有漏に通ずるからといっ て必ずしも二乗に通じるということにはならないとし、漏無漏に通じるというのは菩薩の漏無漏に通じるということを意味していると難を 進めている。﹃略纂﹄﹁若しくは二乗のこの有漏﹂(﹃大正﹄四三、一九三、上)、﹃演秘﹄﹁前解を勝となす﹂(﹃大正﹄四三、八六九、下)について は前者は一つの解釈として、後者は通異生に対するためそのように述べたにすぎないとする。﹃演秘﹄は聖者のうちいずれに通じるかをあ えて論ずるなら二乗にも通じるとしたに過ぎないというのである。そうであるから﹃述記﹄(﹃大正﹄四三、コ三五、上)の﹁ここに謂う聖者﹂ の調は奥深いもので、﹃演秘﹄の釈に准じて知るべきであるとする。そうであるから威徳定が二乗に通じるとしても転換本質には至らず、 ただ香味を変出するにすぎないのである。したがって﹃瑞伽論﹄を初めとした経論や諸釈には、威徳定を述べるにあたっては転換の義を説 くことはなく、ましてや転換の義を述べるにあたって二乗に言及することはないのである。 次いで﹁後義に依りて難じて云く﹂では、先の会通では既に二乗が実用ある香味を変出することを認めており、そうでなければ会通が出 来ないとした上で、会通の内容は煩墳であり、諸文をそのままに理解していないと難じている。そこで﹃聡伽論﹄(﹃大正﹂三
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、 四 七O
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中)には聖者と非聖者を対比させており、聖者には﹁知実成弁﹂、非聖者には﹁不堪受用﹂としている。実用がある香味を変出するので あるから二乗はまさに神通においても聖者であるとし、転換の義があるはずであると主張する。なぜならば﹁変化﹂のうち﹁変﹂とは転変 改易(変易)、﹁化﹂とは化現無而忽有のことであるが、当然、無より有を変出することの方が難しいはずであり、地等のもともとある法を 転換することを難しとすることが出来るのかと難じるのである。 これに対して﹁今、前義に依りて会して云く﹂、﹁後義に依りて難じて云く﹂の答文はともに、二乗が実用の香味を変出するという点を取 り上げており、この点が一つ重要な観点であるといえる。ここで二乗が実用の香味を変出するとなると、当然、七地以前の菩薩においては どうなのかという問題が生じてくる。実はこれについて議論がなされた﹁有漏定所変香味﹂という論義がある。﹃同学紗﹄﹁有漏定所変香味﹂ 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) ( ﹃ 大 正 ﹄ 六 六 、 二 五 七 、 下
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二五八、上)においては、菩薩は有漏定という狭劣なる定によって有情利益の替願を果たすようなことはないと ある。さらに無漏には必ず三有を破壊する力があり、有情が無漏定所変の境に触れる時、その利益がとても大きいとも述べられる。これを 承けて、七地以前の菩薩は有漏定によって香味を変出しないが、それは二乗に劣るためではなく、有漏定という狭劣なる定を用いることを しないというのである。この﹁有漏定所変香味﹂の末尾には﹁己上は笠置御義なり。古人は有漏定は実色を変ぜざるの義を立つと雄も、そ の趣はこれと異なるか﹂とあることから、貞慶の立てた説であることが知られ、それ以前は有漏定が香味等であっても実色を変ずることは ないといとする説であったことが示されている。ここで重要なことは、実色を変じるとしても菩薩と二乗には差異があり、大力の菩薩によ る無漏定通によって顕現された色法には三有を破壊する力用があるが、これは二乗の有漏定によってはなしえないということが明らかにさ れた点である。 さて、最後の﹁答ふ﹂においては、﹁後義に依りて難じて云く﹂を承けて、冒頭の﹁尋ねて云く﹂にある二乗の転換本質の有無について の回答がなされている。ここでは﹁後義に依りて難じて云く﹂にある﹁変化﹂のうち﹁変﹂の方がより難しいとしている。なぜならば、も とよりある地は共業所感の器界であり無始よりの串習は最も重く、先業の力が決然として現行する土石諸山は思念の力によって転じようと するとき、それに要する力用は莫大であるからであるとする。そうであるから、かえってもとより無い段食などを変出するほうが易いとす る。そして﹃聡伽論﹄三十四(﹃大正﹄三O
、四七六、上)の声聞が﹁縁生行如幻事智﹂を得るという所説をもって、分に如幻を設するとし ている。大力の菩薩が転換本質を可能とするのは法空すなわち如幻智を得ているからであり、その点、二乗たる声聞が分に知幻を議してい るのであれば転換の義もあるとしているのである。 では、﹁如幻法空の理を分得する二乗﹂とは何者であろうか。考えられる存在は、不定姓の二乗である。彼らは廻心向大して大乗に趣く とき、﹁八・六・四・二・万・十千劫﹂かけて二乗の気分を除去して後に仏道を歩むことになるので、﹁漸悟の菩薩﹂とも称されている。し たがって、彼らは二乗の悟解の折りに変易無漏身をすでに受けながらも、それを隠覆し、一阿僧紙劫の修行の後に我法二空を分得すること により、あらためて変易無漏身を受けていくことになる。この変易無漏身にも無漏定通(転換本質)の基盤の一つがあると考えられるが、 転換本質にせよ変易無漏身にせよ、いずれも一阿僧祇劫の後に無漏智を生じて﹁唯心如幻の理﹂を分得分謹する﹁仏道﹂のあり方において こそ、初めて得られるものであるといってよい。したがって、右の問答は﹁定姓二乗には転換本質の義はなく、廻心の二乗において一分認 める﹂というあり方を示し、勝れた転換本質の義は仏道の実践においてのみ得られることを結論としたものであったと考えられるのである。 -82ー四.むすび 以上、簡略ではあるが良遍が撰述した知足院草﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂の翻刻研究を行った。今回翻刻を行った﹁二乗転換本 質事﹂では二乗に転換本質を許すか否かということが問題として取り上げられていた。二乗の転換本質を許さないとした説は宝積院をはじ めとした先徳の釈であり、二乗の転換本質を許すとした説は貞鹿のものであった。 三乗の転換本質を許さない立場は﹁転換本質は八地己去の菩薩によるものである﹂とする﹃述記﹄の記述に基づいて主張された一方で、 二乗の転換本質を許す立場は﹁二乗の有漏定も実色を変ずる﹂という﹃略纂﹄の記述に基づいて展開された。いずれも慈思大師基の書であ るが、論義﹁転換本質﹂において二乗の転換本質の有無が論じられた背景にはまさしく、この二書の説示の異なりがあったといってよいで あ ろ う 。 そもそも、二乗の転換本質の有無が論じられる際に問題となったのは、主に転換本質を行うことができる禅定である威徳定が有漏に通じ るか否かであった。威徳定が有漏に通じることなく唯無漏である場合は二乗に転換本質の義はなく、威徳定が有漏に通じる場合は二乗にも 転換本質の義があると論じられた。二乗の転換本質を許さない立場では威徳定が仏菩磁に限られるものであるという文証をあげ、さらに先 徳の釈を引くことで、その正当性を保証していた。一方で、二乗の転換本質を許す立場は、文証として﹃述記﹄および﹃演秘﹄を挙げては いるが、二乗の転換本質を許さない立場とは異なる観点から正当性を確保しようとした。すなわち、如幻の了達という観点である。転換本 質は威徳定によってなされるが、その本源は諸法の如幻なることに了達していることにある。そこで、如幻を証するという点に注目し、﹃職 伽論﹄の中の声聞が﹁縁生行如幻事智﹂を得るという所説に着目し、二乗も一分の如幻を謹するあり方を示した。そして、これをもって二 乗にも一分の転換の義があると主張したのである。 これが問答の概要であるが、本問答の核心は二乗の転換本質の可否そのものにはない。なぜ、これを良遍はことさらにとりあげたのであ ろうか。それは、仏道における﹁菩薩の転換本質の勝用﹂を教義体系の中で論じるためであった。このことは、本論義﹁転換本質﹂と密接 な関わりがあるといえる論義﹁有漏定所変香味﹂において、二乗と菩薩との根本的な転換の差が示されていることでも明らかである。すな 龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年
良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) わち、菩薩の無漏定通による境には三有を破壊する勝れた力用があるのであり、たとえ二乗に転換本質の義があったとしても、それは結局 は有漏定によるものなので、仏道を歩まないこ乗には、そのような力用はないことが知られるのである。 ﹃良遍抄﹄の特徴は今回、取り扱った﹁二乗転換本質事﹂にある。二乗の転換本質を許さない説は文証を中心として述べられる一方、転 換本質を許す説は文証のみならず如幻の﹁道理﹂によって展開された。釈文と道理による相反するこ義の併存は、法相論義の特徴の一つで ある。しかし、いずれの論義テ
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マにおいても、真実を追求する道理派によって、新たな展開が生まれたといってよい。今回の論義﹁転換 本質﹂もまた、貞慶の案出したものを良遍が整える形で展開したものと見てよく、それがまた後世の学侶によって指示されたことが興基の 記述から窺えるのである。すでに拙稿﹁論義﹃転換本質﹄の研究﹂(二O
一八﹀で指摘したように、本論義﹁転換本質﹂は主観的な宗教体験 を客観的な唯識教学上に位置づけていったものとして、特筆大書すべき論義テl
マであったといってよい。今後、さらなる法相教学におけ る﹁神通論﹂のあり方を検討していきたいと考えている。 ︻ 付 記 ︼ 本稿執筆にあたり、貴重な資料である良遍撰﹃転換本質事﹄を法相宗大本山薬師寺のご厚意によって翻刻させていただくことが出来 た。ここに甚深の謝意を表するところである。 -84ー ヱ詳細は﹃仏教学研究﹄第七十四号(ニO
一八)刊行予定の拙稿﹁論義﹃転換本質﹄の研究﹂を参照。d
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