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︿ 共 同 研 究 ﹀江戸時代における唯機数学
ー基弁撰﹃大乗五種姓玄論﹄を中心として│
博 士 課 程 三 回 生 大 谷 由 香 大乗教中ニ安ヱ立 ス ル ハ 種姓-, 、 為 了 ナ リ 開 工 不 y 謬 リ テ 執 = ハ レ 空 有 識 一 ニ 迷 ニ フ 事 理 三 者 主 ヲ 、 令 丙 シ メ ン 治 生 三 正 解 申 ヲ ・ 於 ニ ヒ テ ハ 離 言 ノ 袋三如実ニ証ス2
故 ナ リ 。 復 タ 有 九 迷 -V 謬 リ テ 種 姓 J 理三者 ヘ或ヒハ執三種姓ノ体ノ 別 恒 有 一 ナ リ ト 、 或 ヒ ハ 執 = -y 都 無 ェ シ テ 如 ニF
亀毛等 刀 、 或 ヒ ハ 執 一 三 多 俵 ノ 一 分 ハ 此 レ 実- t
t
令 下C
遮 ニ y 此等種種 ノ 迷 謬 - ヲ 於 一 三 テ 大 乗 教 ノ 真 俗 妙 理 -ニ 得 九 如 実 ノ 解 上 ヲ a 故 ニ 作 ニ ス 斯 ノ 論- z
二 日 本 大 蔵 経 ﹄ 巻 六 回 、 二 八 九 頁 {共同研究)江戸時代における唯総数学一基弁銀 『大乗五種姓玄論』を中心として (大谷) -.問題の所在 基弁二七一八l
一七九こは薬師寺僧として多くの嘗物を 遣 す 一 方 で 、 京 都 や 浅 草 に ま で 出 か け て 講 演 を 開 く といっ た 多 忙 な 生 涯 を 送 っ て お り 、 そ の 業 績 は 山 崎 慶 輝 氏 に よ っ て ﹁ 江 戸 時 代 を 代 表 す る 法 相 唯 識 の 学 者 1 ﹂﹁近世を代表 す る 唯 識 学 者 2 ﹂ と し て 高 ︿ 評 せ ら れ て い る ・ 彼 の 五 十 三 歳{一七七=き時の著述とされている﹃大乗五種姓玄論﹄ ( 以 下 司 五種娃玄論﹄とちは、法相宗の説く五姓各別説の本 来 的 意 義 を 解 説 し た も の で あ る . 現在までに ﹃ 五 種 姓 玄 論 ﹄ を 研 究 さ れ た 山 崎 慶 輝 氏J
常 盤 大 定 氏 a は、基一弁の五姓格別説の前提となる﹁仮﹂説 に 関 し て 論 文 を 出 さ れ て お ら れ る が 、 そ の 後 に 展 開 さ れ る 五 種 姓 そ れ ぞ れ に つ い て の 説 明 に つ い て は 述 べ ら れ て お ら れ な い ・ よ っ て 本 稿 で は ま ず ﹃ 五 種 姓 玄 論 ﹄ 中 、 特 に 趣 寂 種姓{声聞定姓・強覚定姓}の説明に焦点を当てて、彼の教学 の特色を明らかにしたいと考えている・ また基弁は、本書を著述した理由を以下のように、 下 世間に広まっている五姓各別説理解の迷謬を破して、正し い理解を得させるためであると説明している・その誤った 理解の一つとして、五種姓の体の別が常有であるという、 現代﹁伝統唯識﹂の説とされているものもまた紹介されて いるが 、 これはどういうことであろうか.本舎における彼 の主張は 、山崎氏によって﹁薬師寺において基範から伝 統 唯識を学んだ学者とは思えぬほど伝統を無視し一乗化した 唯識説を展開している 5 ﹂と評されているが、現代﹁伝統 唯識﹂とされている思想そのものが、基弁の活躍した時代 において﹁伝統唯識﹂であったか否かを含めて、基弁教学 についての評価を再検討したい。 二-答弁燭﹃車種植地玄箇﹄におけるa
a
種鍾成仏霧 まず 、 基弁の趣寂種姓義がどのようなものかを押さえる に当たって 、 基弁の見解を明確化するために、﹃五種姓玄 論﹄における声聞種姓相並びに狼党種姓相の部分における13号2007年3月 悌教学研究室年報第 飽谷大学
34
議 論 の 推 移 を 整 理 し て お き た い ・ 二O
O
三年度第四班では‘ ﹃ 五 種 姓 玄 論 ﹄ を 詳 し く 読 み 進 め て い く 前 に 、 本 書 の 科 段 を 作 り あ げ た1
そ れ に 沿 っ て 本 論 を 説 明 し て い け ば 、 以 下のようになるであろう(丸括弧内の頁数は、 四 の も の ) 論﹄の所説にかなうことを説くさ二O
頁 下 l 一 頁 上 ) ー 賢首大師法蔵所鋭と慈恵大師基所説の立場の違いを示した上 で、真勝義に至れば、両者所説に相違はないことを証す ー岡幽基が趣寂廻心について説かなかったのは、法蔵と立場 が違うからであり、﹁真勝義﹂に至れば両者に違いは ﹃ 日 本 大 蔵 経 ﹄ 巻 六 ないことを述べるさ=一頁上 l 下 )I
法蔵所説と基所鋭の立場の 相 遣を述べる ー 岡 阿 国 週心した後の趣寂種姓の所摂について(三一一貫 一 下 ) 丁 問団法議の引用した﹃仏性論﹄の犯述についてさ=一 一 頁 下 1 = 二 三 頁 上 } 寸 阿国法蔵と基の﹃法華経﹄解釈の相違を脱︿三一二頁 一 上 1 下 ) ﹁岡国法蔵と基の﹃法華論﹄解釈の相違を説︿会二ニ頁 、│声聞種姓相の説明 ﹃ 職 伽 師 地 論 ﹄ の 引 用 { 一 ニ O 四 頁 上 l 三 O 六 頁 上 }l
抽 出 覚 種 姓 相 の 鋭 明 ﹃漁伽師地論﹄の引用(三 O 六 頁 上l
三 O 九 頁 上 守 │賢首大師法蔵の説の紹介と唯織教学との会通 ー貫首大師法蔵の二乗廻心の紹介(三O
九 頁 上 l 三 一O
頁 上 ) ﹁賢首大師法蔵の説が唯識教の理にかなうことを説︿l
問団法蔵の立てた﹁声聞にも本有に仏性がある﹄とい う説が﹃論伽師地論﹄の所説にかなうことを説く 下 ( = 二O
頁 上 │ 下 } 寸岡閉︼法蔵の無余依浬崎県界の解釈が﹃職伽師地論﹄の所 一 説 に か な う こ と を 説 く さ 一 一 O 頁 下 ) ﹁岡阿国法蔵の立てた﹁趣寂種姓は真実を知らずに、自ら の解脱が最上の浬鍍であると信じている﹂という 説が﹃職伽師地論﹄の所説にかなうことを鋭︿ -﹄基所説である五姓各別が繰りでないことを問答によって明 らかにする 寸 問 問 凶 五一位各別の立場から言えば・法草の得益は一切衆 一 生 に 遍 じ な い の で は な い か と い う こ と に つ い て の 一 問答さ二二頁下│コ二三頁上) ﹁ 阿国全ての有情が五種姓全てを具えているならば、何 によって五種姓を差別するのかということについ寂
自
(
積 蔵 三 姓 の 二 が 立 ¥ 大 て 幸 乗 た ) 廻 仏 心 の す 根 る 欲 』 性 と 智 い を う朗自 説 上 が 縁 『 と 織 し 伽 て 師 地 経 ての問答 さ=三 頁 上 ) ー岡国基所説に法蔵所説を会通するさご三頁上 │ 三 一 三 頁 下 )3
5
て﹁阿凶法蔵 等が基の義を破する理由についての問答さ二 三 頁 一 下 ) ﹁ 趣 寂種姓を立てる根拠となる教寵( 三三頁下 l 三 一 四 頁 上 ) 遠四刷所脱が強調国軸相手に遁背しないことを説︿ 法蔵(六四=丁七二一)は、華厳宗第三祖にして華厳教学 を大成した人物と評される.彼は玄奨(六2
7
六 六 回 ﹀ に よって論伽唯識が伝えられた後の学匠であり、したがって 中国での仏性論争における最後期の人物であるから ‘それ までに相対していた一切皆成の立場と一分無性の立場とを 融会する立場をとることで、自らの説の優位性を明らかに しようとした。彼は特に法相宗が趣寂種姓の不成仏を説く ことに対して、﹃大乗起信論義記﹄(以下 ﹃ 義 紀 ﹄ と 略 す ) や ﹃大乗法界無差別論疏﹄のような如来蔵思想を説く論警の 中で、二乗が廻心して成仏することを明かして、自らの説 の優位性を説いている.﹃義記﹄の二乗廻心作仏説は、 ﹃起信論﹄の 所説を被る衆生の機根を明らかにしようとす る中で説かれるのであるが、これについては木村宣彰氏の 詳細な研究がある:この研究成果を参照してこの説の特 徴を挙げると、以下の五点に集約できるであろう. -趣寂決定種姓の向かう漫然には三種の﹁余﹂ { 煩 悩 余 ・ 業 余 ・ 果 報 余 { H 変晶身こがあり、このため趣寂決定種姓 の者の無余依浬契界は実には﹁無余﹂ではなく﹁有余﹂ である1
E
しかし趣寂決定種姓の者は自ら向かう所の淫熊が﹁有 余﹂であるとは知らない:E
機根によって速遅の差別はあるが、全ての趣寂決定種姓 の者が大乗に廻心する日 (共同研究)江戸時代における唯織教学一基弁擬 『大乗五種姓玄論』を中心としてー(大谷) 以上一見して、基弁は、二乗廻心を説く法蔵の説が﹃議 伽師地論﹄(以下 ﹃ 施 伽 論 h ときの所説に違背しないことを 明らかにした上で、この法蔵所説と基所説とが真勝義に至 れば相違しないことを証し、これによって五姓各別が仮説 であり、唯識教学上でも、二乗の成仏が説かれると主張し ていることがわかる。こ こで注意しておきたいのは、基弁 は ﹃ 成唯識論﹄や﹃述記﹄、所謂﹁三箇の疏﹂など、法相 宗の伝統とされている審物が、法蔵所説と相違しないとは 決し て説かないと いう点である.基弁は護 法正義とする伝 統 的な法相宗学H
唯識教学とは考えず、法相宗学は唯識教 学に属し、法蔵所説もまた唯識教学に属す と考え る.つま り基弁は﹁唯識教学 ﹂にお い て二乗の廻心を明らかにし、 二乗の成仏を明らかにするのであって、法相{示学にこれを 求めるわけではない.だからこそ、二乗廻心を説かなかっ た基と法蔵とを最後 に会通する必要が生じたのであろう ・ 以上の大まかな流れを踏まえた上で、これらの議論を詳 しく見ていきたい・先に述べたように、ここでは基弁は① 法蔵所説が唯識教学に違背しないことを説き、②法蔵所説 と基所説とが相違しないことを述べる・それらを順に見て いきたい・なお、 ﹃ 五種姓玄論﹄本文への加点は、安永二 ( 一 七七三)年刊の刊本を参考にした 。13号2007年3月 界 ノ 中 エ ハ 一 滅 z v 一 二 切 識 一 ヲ 、 不 ヱ 復 タ 得 -レ 生 ル コ ト ヲ 。 ﹁ 唯 余 ノ 清 浄 無 為 離 垢 真 法 界 ノ ミ 在
1
﹂ ﹁ 由 ニ リ テ 此 ノ 真 界 - z 離 ニ レ テ 諸 ノ 戯 論 一 ヲ 唯 成 弁 ス ル 者 、 内 ニ オ イ テ 自 証 ノ 故 ナ リ ト a ﹂所 レ ノ 言フ真法界トハ者、真如種姓真如種子ナリ@﹁彼唯タ用 下ヒ テ 縁 ニ ル 真 如 ノ 境 -ニ 修 道 上 ヲ 為 レ ス 因ト・﹂清浄真知之所 顕 J 故ニ。﹁善清浄法界ヲ為レス ト ー リ ト 相t
﹂ 順 ニ ジ テ 此 等 ノ 意- - τ
賢 首 法 師 立 下 テ タ リ ﹁ 由 ニ テ 本有仏性之力三令 三 トF
心 ヲ 手 還 テ 生 ニ セ 於 浄 土 ノ 中三日﹂之義 主 ヲ 也. 二 日 本 大 蔵経 ﹄ 巻六回.W
趣 寂 決 定 種 姓 の 者 に も 必 ず 仏 性 が あ り 、 自 ら の 仏 性 を 因 と し 、 仏 の 根 欲 性 智 を 縁 と す る こ と に よ っ て 大 乗 に 廻 心 するV
V
玄 奨 の 新 訳 経 論 に 二 乗 の 廻 心 が 説 か れ て い な い の は 、 そ れ ら の 経 論 が 入 寂 前 の 二 乗 の こ と の み に つ い て 記 し て あ るからであり、これら新訳経論は非了教である日 法 議 が 以 上 の よ う な 説 を 導 き 出 し た の は 、 五 姓 各 別 を 説 く 唯 識 法 相 宗 よ り も 自 説 が 優 れ て い る こ と を 宣 揚 す る た め であり、また木村氏が量一口うように、元来法蔵の﹃義記﹄撰 述 の 意 趣 は 、 新 仏 教 で あ っ た ﹁ ﹁ 唯 識 法 相 宗 ﹄ は 小 乗 教 よ り は 上 で あ る が 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ の ﹁ 如 来 蔵 縁 起 宗 ﹂ に は 遠 く 及 ば な い も の で あ り 、 第 二 の ﹁ 真 空 無 相 宗 ﹂ と 共 に 大 乗 の 始教であることを示日﹂すことにあったのであるから、こ れ は 全 く 基 説 と 相 容 れ る も の で は な い . し か し 基 弁 は 、 こ の ﹃ 義 記 ﹄ の 叙 述 に 注 目 し 、 二乗廻心 が 説 か れ た 箇 所 を ほ ぼ 全 て に わ た っ て 引 用 す る こ と で 、 法 蔵 の 説 を 紹 介 し 終 わ っ た 後 、 ﹁ 上 z 己 ニ 所 レ ノ 立 ッ ル趣寂回心之 義 ハ 。 賢 首 法 飾 所 -V リ 務 メ テE
ッ 唱-ヘ ル 。 善 ク 順 ニ シ 漁 伽 -z 契 ニ フ 唯 識説三・深タ可= シ 愛 楽 -ス 。 ﹂ と い っ て 、 法 蔵 の 二 乗 廻 心 説 が ﹃ 職 伽 論 ﹄ の 説 に 適 っ て お り 、 決 し て 唯 識 教 学 の 枠 を 出 な い 考 え で あ る と し て 、 これを論証していくのである・ まずはじめに 、 基 弁 は 、 先 に 挙 げ た 法 蔵 の 主 張 の う ちW
を取り上げて、これが﹃漁伽論﹄に準拠した意見であると 論証する. ここで引用されている﹃漁伽論﹄の部分﹁由比真界離諸 戯論唯成弁者内自証故時﹂をみれば、真法界を﹁真の無相 界﹂として、﹁此の真界は諸の戯論を離れ、唯だ成弁する 者の内の自証なるに由るが放なり﹂と訓読でき、これを ﹁真の無相界は、諸戯論を離れており、成就する者の自ら の証悟によっている﹂というように解釈できる。おそらく 以上のような解釈が現在に伝わる法相宗の通釈とされると ころであろうと思われる。 し か し 基 弁 は こ れ を 読 み か え て 、 真法界を﹁真如種子・ 真如種姓﹂であるとし、﹁此の真界に由りて、諸の戯論を 灘れて、唯だ成弁する者、内において自証するが放なり﹂ と訓じることによって、法蔵の﹁本有の仏性のカに由って 悌 教 学 研 究 室 年 報 第=
=
o
頁上l
下 ) 飽谷大学36
開岡出有ヵ作 -F Z是難
-Z
趣 寂 回 心 之 義 、 若 ν 言 三 ハ ハ 善 ク 順 ニ ス ト ﹃漁伽﹄等- - z
以 ニ テ 何 ノ 論 文 -ヲ 云 ニ ウ ャ 如 何 シ ヵ 順-
f
耶 。答
3
如 = シ 上 己 所 引 ノ 無 余 依 地 z 説-
2
日銀山余依漫然3
7
心 を ( 三 界 の 磁 土 を超越した三界外の)﹁浄土﹂の中に還生させ る。﹂という義が﹃聡伽論﹄にかなっているとしている。 基 弁 は 以 下 の 論 証 に お い て も 、 こ の ﹃ 漁 伽 論 ﹄ の 読 み 替 え と も い う べ き や り 口 を 多 用 す る こ と で 、 法 臓 の 二 乗 廻 心 作 仏 説 が 五 姓 各 別 説 に 組 み 込 ま れ る べ き 説 で あ る こ と を 説 明していくのである。 こ の こ と は つ ま り 、 法 蔵 が 趣 寂 決 定 種 姓 の 者 に は 三 種 の ﹁余﹂(煩悩余・業余・果報余 ( H 変易身))がある、と説く うちの果報余が ﹃ 漁 伽 論 ﹄ に 示 さ れ て い る と い う こ と で あ り 、 こ れ に よ っ て 趣 寂 種 姓 が 向 か う 所 の 浬 擦 は 、 法 蔵 の 言 一 う と お り 、 ﹁ 無 余 ﹂ で は な く ﹁ 有 余 ﹂ で あ る こ と が 明 ら か と な る 。 し か し 現 在 の 法 相 宗 の 通 釈 と さ れ る と こ ろ に 依 れ ば 、 基 弁 の 引 用 し た 箇 所 は 、 趣 寂 種 姓 の 内 、 無 余 依 浬 繋 に 入 っ た 者 は 、 繋 縛 を 遠 離 す る か ら こ そ 自 在 な の で あ る と 解 釈 さ れ るべきであろう ・ こ こ で も 基 弁 は ﹃ 漁 伽 論 ﹄ の 文 の 意 を 深 読 み す る こ と に よ っ て 、 法 蔵 の 説 が ﹃ 漁 伽 論 ﹄ 所 説 に 違 背 しないことを明らかにしているのである。 (共同研究)江戸時代における唯様教学一基弁燦『大乗五種姓玄論』を中心としてー(大谷) 岡岡凶復タ彼 ノ 地 ノ 中 ニ 説 カ ク @ ﹁無余界 ノ 中 ノ 所 有 無 漏 界 ハ 、与 ニ諸 色 -ト 非 レ 二 三 非 レ ス 異 ニ 。 如 レ ク 与 ニ 諸 色 一 ト ︿ 与 = 諸 受 等-L
当 レ ン 知 ル 亦 タ 帯 間 リ 。 与 ニ 一 切 行1
与 二 切 界1
与 ニ 一 切 趣 一 ト 亦 復 タ 如 レ ν 是 ノ @ ﹂ ﹁ 於 ニ ヒ テ 此 ノ 界 ノ 中 -ニ 於 ニ ヒ テ 色 等 ノ 法 一 二 獲 = 得 ス ト イ ヘ リ 自 在 ヲ 。 ﹂ 順 一 一 y テ 此 レ 等 ノ 意 一 三 賢首法師立下 ッ 入 エ リ テ 無 余 依 -ニ 法 務 ニ 皆 ナ 有 こ リ ノ 変 易 ノ 報 残 一 ル コ ト 之 義 。 ﹃ 仏 性 論 ﹄ ノ 中 ニ 説 ニ ク ハ ﹁ 業 余 及 果 報 余-
t
﹂ 是 レ 皆 ナ 無 漏界ノ相-Z
T
非 ニ ス 分 段 ノ 相 -一 一 。 分 段ハ灰滅 ν 己 ル ヵ 故 二 、 明 ス 無 漏 界 ニ シ テ 非 一 一 サ ル コ ト ヲ 有 漏 界 一 ニ a (﹃日本大蔵経﹄巷六回一ニ -O 頁 下 ) 闘 岡 回 復 タ 本 地 分 ノ 無 余 依 地 ェ 説 レ キ テ 頒 ヲ 言 ク @﹁由下 リ テ 無 ニ ク シ テ 下 劣 心 -能 ク 忍 受 動 苦 よ ス ル ニ 。 彼 ノ 所 趣 ノ 解脱ハ、醤 ヘ ハ 如 レ ク ト イ イ ク 証 ニ ス ル ヵ 浬 祭V
.
﹂賢首法師、順ニシテ此 ノ 義 意 -ニ立九彼不 九 テ 知 ラ 鱒 テ 為 -1 E g フ ノ 浬 繋 -ト 之 義 上 ヲ 。 二 日 本大蔵経﹄巻.三一 O 頁 下 ) こ こ で 基 弁 は 、 法 蔵 の 主 張 の う ちI
に 関 し て も 、 ﹃ 論 伽 論 ﹄ に 准 じ た 意 見 で あ る と い っ て い る 。 す な わ ち ﹃ 磁 伽 論 ﹄ 摂 決 択 分 中 の 菩 薩 地 に は 、 無 余 依 浬 然 界 は 色 等 の 五 境 とも 、 一切行とも一切界とも一切趣とも、非一非異であっ て ・ こ の 界 中 で は 色 等 の 法 に つ い て 自 在 を 獲 得 す る 、 と 説 かれている・基弁はこれを無余依浬崎県界に入った趣寂種姓 は 変 易 身 を 受 け る 、 と 読 み 取 っ た の で あ る . 続 い て 基 弁 は 、 法 蔵 の 主 張 の う ちE
に関しても、これが ﹃漁伽論﹄に准じた意見であるといっている。すなわち ﹃論伽論﹄本地分無余依地には、趣寂種姓の趣︿所の解脱 は ﹁ ま る で 浬 撲 を 証 し た か の よ う で あ る ﹂ と の み 説 か れ て お り 、 そ れ は ﹁ 浬 祭 の よ う な も の ﹂ で あ っ て 、 決 し て 実 の 浬 繋 で あ る と は 説 か れ て い な い @この箇所をもって基弁は、13号2
∞
7年3月 趣寂決定種姓の者は自ら向かう所の浬崎県が﹁有余﹂である とは知らないから、自ら趣く所を無余依浬紫界である、と いうのである、という法蔵の説が﹃論 伽論﹄に違背しない ということを明らかにするのである。 し か し 基 弁 所 引 の ﹃ 漁 伽 論 ﹄ 文 は ﹁ 由 無 下 劣 心 能 忍 受 動 苦 彼 所 趣 解 脱 醤 如 証 浸 崎 県 ﹂ と な っ て い る が 、 ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 所 収 の ﹃ 漁 伽 論 ﹄ の 本 文 は ﹁ 由 無 下 劣 心 能 忍 受 動 苦 彼 所 趣 解 脱 誓 知 灯 尽 滅J
となっている・すなわち ﹁彼の趣くところは解脱である。たとえば灯火が滅し尽く されるかのようなものである﹂と解釈できる・基弁の閲覧 した写本は、﹁灯尽滅﹂が﹁証浬紫﹂と誤写されたもので あったのか、それともわざわ ざ彼自身がよみかえたもので あったのかについては確認し難いが、 一見して﹃大正蔵 ﹄ 所修﹃織伽論﹄の文章の方が、一般に言われるところの法 相宗 の説 に符合すると思われる。つまりここにも﹃漁伽 論 ﹄ そのものに立ち返ってこれを解釈し、結果法蔵の説と 会通するという基弁の態度を読み取ることができる。 最後に基弁は 、 法蔵のE
の主張についても、これが﹃滞 伽論 ﹄ 所説に違背しないことを論証する.法蔵は、 ﹃ 法華 論 ﹄ 中に﹁不軽菩穫が四種の声聞すべてに授記を与える﹂ としてあることに基づいて、全ての趣寂種姓が仏の根欲性 智を増上縁力として廻心作仏することができるという説を 唱えるが、これに﹃論伽論﹄の以下の文が符合するという のである. 悌教学研究室年報第 云何所成熟補特伽羅.調所成熟補特伽羅略有四種.一 者住声聞種姓。於声聞乗応可成熟補特伽羅・二者住独 党種姓・於狼覚乗応可成熟補特伽羅・三者住仏種姓・ 於無上乗応可成熟補特伽羅.四者住無種姓.於住善趣 応可成副知補特伽羅・諸仏菩薩於此四事・応当成熟如是 四種補特伽羅.是名所成熟補特伽羅﹂{論伽師地 誌 ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 巻 三 O 、 四 九 六 頁 下 ﹀ 随谷大学 すなわちこの﹃漁伽論﹄本地分菩薩地の文には、仏菩薩が 住声聞種姓・住独覚種姓についても成熟する、と明記して あるが、基弁はこの文が全ての衆生が作仏するという意味 であるとして、法蔵の解釈が全く﹃漁伽論﹄に基づいたも のであることを証している・つまり下線部においては、以 下岡凶凶に詳しいが﹁諸々の仏 ・ 菩穫が 、その心 の上に 四 種の相である補特伽羅を成熟するのである﹂と解釈すると してよいだろうと恩われる・ しかし基弁の引用するこの箇所は、法相宗では四績の補 開岡凶復タ本地分菩薩地ニ説九仏菩薩成ニ熟ス ル ノ 四種姓-ヲ 之 義 主 ヲ 中 三 、 云 レ フ 成 ニ熟 ス ト 趣 寂 種 姓 -ヲ 。 順=
Z
此等 ノ 義意 一 ニ賢首法師、立に由 Z ル ノ 仏根欲性智 ヲ 為 ニ ス エ 漕 上縁カ -ト 之義 . 不軽菩薩授記f
-i -i
亦 順 zセ リ 此 ノ 成熟之義 e- z
由 ヱ リ テ 如 レ キ ノ 是 ノ 意三賢首 ノ 所釈、善 タ 順 -- ス ト ィ ヮ ﹃ 織 伽 ﹄ ¥ -・ 二 日 本 大 蔵 経 ﹄ 巻 六 回 、 三 一 O 頁 下 1 三二頁上)38
39 特伽羅が明記されていることから、五姓各別説の典拠とさ れるところで、特に下線部については﹁仏 ・ 菩薩は、これ ら四種において 、 それぞれの補特伽濯を成熟するのであ る﹂とのみ解釈されて、それぞれの種姓が成り立つことを 明らかにしたとしか解釈しないというのが一般的であろう。 つまり基弁はここでも、﹃漁伽論﹄の本文そのものに立 ち返って、﹃漁伽論﹄を読み直しているといってよいであ ろ う 。 (共同研究)江戸時代における唯議教学一基弁
l
毘『大乗五復姓玄論』を中心としてー (大谷) ※ 以上、法蔵の二乗廻心作仏説が、﹃漁伽論﹄の説に違背 しないということを、基弁がどのように論証しているのか をみてきた・実に基弁は、法蔵が趣寂種姓が大乗に廻心す るシステムとして紹介するーからW
までが、﹃漁伽論﹄に 基づいたものであり、つまるところこのこ乗廻心説が唯識 教学に他ならないということを説明している. しかし、注意しなければならないのは、その﹃漁伽論﹄ の解釈方法が一貫して、法相宗 一 先徳の解釈を一切無視した のかと思えるほど自由であって、全く﹃論伽論﹄そのもの に立ち返ってこれを読むという‘復古的な態度で行われて いるということであろう・彼の﹃論伽論﹄解釈の態度には、 現代の私たちにある ﹁ 法 相 宗 と い う 先 入 観 ﹂ が全くないと いっても過言ではないように思われる・ しかし基弁はこのような態度でもって﹃漁伽論﹄を読ん だからこそ・法蔵の説は全く﹁唯識教学﹂であると結論づ けることができたのであって、この法蔵の説が、そのまま 全く法相宗宗祖である基の説と同じであるとは認めていな い・それは、次に彼が法蔵と基の立場を、会通しなければ ならなかったというところに明らかであろう. 法蔵所説と雲南説とが相遣しないことを述べる 法蔵の二乗廻心作仏説が、唯識教学の範隠を出ないこと を明らかにした基弁であるが、そうとなれば 、 同じ唯識教 でありながら、どうして法蔵と基と説く内容が違ってくる のか、ということが問題になろう・基弁はこのことについ て以下述べるように、﹁真勝義﹂という概念でもってこれ を会通しようとする。圏
若 y 爾 ラ ハ 何 ノ 故ニ慈思法師亦タ不レルヵ立ニ入無余回心 ノ 義 一 ヲ 耶 。 調 タ 慈 恩 ト 与 三 賢 首 -ト 立 一 -ツ ル ノ 言 論 -ヲ 之 体 、 全 ク 相 違 ス ノ 故5
・如何 ン ヵ 論 体 相 違 ス ルt
賢首ハ約= シ テ 体相散 銭 門 一 ニ 就 ニ タ 摂 相 帰 性 之 論 体 一 -慈 恩 ハ 約 三 ν テ法相差別 門三就ニク性相別質之論体-ニ・慈恩ノ意ェ説2
・[中 略]大凡 ソ 立 ニ ツ ル コ ト ハ 五種姓各別-Z
顕エス各各有情心 相所現 ノ 分位差別v
・ 約 - -シ テ 理 世 俗 -z 説 ク ヵ 故 ナ リ ・ 是 故 二位相別論門ナリ・若 シ 於 下 ヒ テ 論 -ス ル 五 姓 ヲ 中 よ -説 ニ ヵ ハ 趣 寂 回 心 之 言 -ヲ 、 則 テ 於 ニ ヒ テ 趣 寂 ノ 相 -混 ヱ シ 菩 薩 無 漏 界 之 相 ヲ 、 失 下 ス ル 立 ニ ツ ル 五姓ヲ之本旨 上 ヲ ・ 所 以 ニ 如 ニ キ ハ 慈 恩ウ不レ説九趣寂回心-ヲ・如- - t
賢首 -J 於 ニ ヒ テ 真 如 浄 法 界 -ニ 論 -一 ス 諸 相 -ヲ ・ 故 ニ 不 レ シ テ 拘 ニ ハ ラ 五姓別相-二、説13号2
∞
7年3月- V
浄法界所現相ヲ。約ニ
ス
ル
ヵ
証
得
勝
義
-
ニ
故
ナ
リ
・
是
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放
F F摂相帰性門ナ
リ
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有
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一
、
至
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ハ
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三
、
心
言
絶
ス
ル
力
故
ニ
全
ク
無
ニ
y相違
-(﹃日本大蔵経 h 巻六回、三一-頁上l
下 )次に、法蔵の二乗廻心作仏説を成立させている論拠に関
する基の説を挙げる。法蔵は、二乗廻心作仏を説くにあた
って、声聞の向かう浬鍵には三種の﹁余﹂があると説き明
かされている﹃仏性論
﹄
と、﹁私
{ H仏)が浬祭に入った
後、独党であって入滅してしまった弟子がいたとしても、
私が他国においてまた作仏した際には仏乗を修すことがで
きる
J
と説かれている﹃法華経﹄、そして先の不軽菩薩
が四種の声聞に授記を与えると説かれている﹃法華論﹄を
論拠と
して挙げている
・基弁
はこのうち﹃仏性論﹄に説か
れる三種の﹁余﹂の説に関しては、﹃職伽論﹄に説かれて
いるものの、無余依浬祭界に入った後の趣寂種姓について
は、法相差別門の立場にある基はこれを説くことがないと
し(岡岡山出)、また﹃法華経﹄に説かれる廻心する抽出覚の
弟子の説に関しては、基はこの弟子が、不定種姓の独党等
を教化するために仏
・
菩薩が声聞に姿を変えたものである
と解釈すると説明し(岡岡国)、そして﹃法華論﹄に説か
れる不軽菩薩の授記に関しては、基はこの決定声聞を不定
種姓のものであると解釈すると述べ(岡岡困}、法蔵と基
が拠って立つところが異なっていることを明らかにしてい
る .以上のような相違点が二者にあると認めた上で、基弁は
これについて二つの問答をもって五姓各別説が真実にはど
のようなものであるかを説明していく・その第一の問答は、
基の立てた五姓各別は﹃法華経﹄の﹁舎利弗当知我本立
替
願
欲
令
一
切
衆
知
我
等
無
異
如
我
昔
所
願
今
者
己
満
足
偽教学研究室年報第基弁は以上のように法蔵と基の立場の相違を明らかにする
ことで、基が二乗廻心を説かなかった理由を明らかにして
いる・法蔵は、前に説明したように
V
の主張として、新訳
経論が非了教であり、それに基づいて五姓各別説をとなえ
る法相宗よりも自説が優れていることを明らかにせんとし
て
﹃
義
記
﹄
を撰述し.二乗廻心説をとなえたわけであるが、
基弁はこの法蔵の主張を認める形で、基の説は法相差別門
の立場からのみ説かれたものである
と述
べている.しかし
基弁は、同時に法蔵の説もまた体相融鎗
門
の立場からのみ
鋭かれたものであるとして、これもまた一方に偏
向したも
の
であるというのである。つまり二者は同じ唯識教学を説
きな
が
らも、それを言語化する上でそれぞれ発言する立場
を異としているのであって、﹁真勝義﹂に至ったならば両
説は全く相違ないというのである.
以上のようなこ説のあり方に関して、基弁はまずニ説の
相違点がどこにあるのかを並べていく・
まず無余依浬祭界に入って、大乗に廻心した後の五姓各
別における所領についてであるが、これは無余界に入った
後のことについては、性と相を分けて考える基は説くこと
ができないとされる・(
岡岡出)
問
。
飽谷大学 40谷 大 て し ル ﹂ 心 中 を 暗 中 間 玄 姓 種 五 乗 大 傑 弁 基 山 字 数 議 唯
, 。
+ '
凶 こ の よ う に 第 一 の 問 答 の 答 え は 、 基 は 五 姓 各 別 の 相 を 説 く 酬 が 、 こ れ は 心 相 分 位 の 差 別 で あ っ て 、 実 変 の 相 の 差 別 で は 百 な い か ら 、 全 て の 衆 生 は ﹃ 法 華 経 ﹄ に 説 か れ て い る 通 り 、 究 研 同 共4
1
化 一 切 衆 生 皆 令 入 仏 道 日 ﹂ というものである。 成 仏 す る こ と が 可 能 な の で あ っ て 、 基 の 所 説 が ﹃ 法 華 経 ﹄ の 文 に 違 す る と い う こ と は 決 し て な い 、 と い う も の で あ る ・ ど う い う こ と か と い う と 、 ﹃ 取 伽 論 ﹄ な ど を み る と 五 種 姓 の 相 は ﹁ 成 熟 す る ﹂ と 説 か れ て い る 。 こ の ﹁ 成 熟 ﹂ の語は 種子についてのみ使用される語であるから、 ﹃ 漁 伽 論 ﹄ 中 で ﹁ 住 無 種 姓 ﹂ も ﹁ 成 熟 す べ き 補 特 伽 羅 ﹂ で あ る と 明 記 さ れ て い る 以 上 、 無 姓 有 情 で あ っ て も 種 子 を 具 し て お り 、 こ れ が ﹁ 成 執 と す る 力 に よ っ て 無 姓 有 情 と い う 相 を 顕 じ て い るだけである。 之 輔伽論 ﹄ に は ま た 、 種 子 の 棺 を ご つ 一 つ の 種 子 の 中 に 一 切 の 種 子 を お さ め て い る ﹂ と も 説 明 さ れ て い る の だ か ら 、 人 は 本 来 的 に 菩 薩 種 姓 を も 含 め た 五 種 す べ て の 種 子 を 具 え て い る の で あ っ て 、 こ れ が ﹁ 成 熟 ﹂ し て 相 と し て 浮 か ん だ も の を 掬 い と っ た の が 、 基 の 立 て た 五 姓 各 別 で あ る 、 故 に 決 し て ﹃ 法 華 経 ﹄ の 文 に 違 す る こ と は な く 、 全 て の 者 は 成 仏 す る こ と が 可 能 で あ る 、 と 基 弁 は 主 張 するのである。 こ の 第 一 の 問 答 を 受 け て の 、 第 二 の 問 答 は 、 全 て の 者 が 五 種 姓 全 て を 具 え て い て 、 必ず成仏するのであるならば、 一 体 基 は 何 を も っ て 五 種 姓 の 別 を 立 て る の か 、 と い う も の で あ る 。 という文に違するか否か、 岡 凶 凶 問 フ。 若 シ 如 -ナ ラ ハ 慈 思 ノ 説 万 、 法 華 ノ 得益不レ遍 エ セ 一 切 ﹁如我品目所願今者己満足﹂之説不 レル ヵ 応 レ 理 敗 。 此 ノ 難 不 レ 爾3
五 種 姓 ノ 相 ハ 此 ハ 是 心 相 分 位 ノ 差 別非
- 1 実 変 ノ 相 - 一 -B 本地分ノ中ニ説7
﹁仏菩薩 ノ 心上 一 一 成 ニ 熟 ス ト 四種姓相-ヲ。﹂四姓既ニ爾1
成 ニ 熟 ス コ ト モ 不 定姓一、亦 タ 自 ラ 可 九 知 士 言 ニ フ ハ 成熟-卜者調 ク 能 成 熟 之 義 ナ リ ロ 如 レ 云 下 ヲ ヵ ﹁ 自 利 ・ 利 他 ・ 無 漏 ・ 浄 ・ 磁 J 仏 土 ト ナ ル 因 縁 ハ 成 熟 カ ノ 故ニ尽未来際 ニ 相 続 シ テ 変 為 純 浄 y テ 及 ヒ 随 テ 変e
f
仏 土 上 ヲ れ﹂。於 ニ ヒ テ 仏 菩 薩 ノ 心 上 三 、 五 種 姓 ノ 因 縁 成 熟 カ ノ 故 二 、 尽 一 九 テ未来際-ヲ 変 -- 為 v タ マ ヲ 五 種 姓 相 一 ヲ 。 若 y 無 エ ク ハ 種 子 一 無 ニ シ 成熟ノ義 -e 但 タ 於 ニ ヒ テ ノ ミ 種 子 三 説 ニ ク 成 熟 ノ 名-1
種 子 因 縁 ハ 従 -一 ヒ テ 本具コェ生 ス ・ 無 ニ ク ハ 本 雷 同F
則 テ 鑑 一 三 種 子 ノ 名F
.
無 ニ ク ハ 種 子 -則 チ 無 -y 成 熟 ノ 義-。 夫 レ 種 子 ノ 相 ハ 説 三 タ ヵ 二 一 自 体 ノ 中 ェ 有 ニ リ ト 一 切 自 体 ノ 種 子 -﹂ 故 ナ リ 。 既 ェ 説 三 ク ﹁ 菩 薩 ノ 心 上 、 具 - 一 ス ト 無 姓 ト 及 趣 寂 ノ 心 相 - ト ヲ 。 ﹂ 明 一 -知 ン 京 都 市 川 娃 及 趣 寂 ノ 心上 ニ 毛 亦 タ 応 レ 牟 コ ト ヲ 具 -1 蓄 議 ノ 心相-ヲ ・二日本大蔵経﹄巻 六 四 三 一 二 頁 下 l = 二三頁上) 答 フ 。 ナ リ 。 同 凶 凶 問 フ ・ 若 γ 五 姓 互 ヒ ヱ 有 ナ ラ ハ 、 有 一-
Z
何 ノ 差別-為 ヱ ス ヤ 五種 姓 ノ 別 -ヲ . 答 フ 。 無 種 姓 ハ 是レ随縛相続 ノ 心 相5
・ 趣 寂 姓 ハ 是 レ 異熟愈重煩悩習気永滅ノ心相 ナ リ ・ 於 ニ ヒ テ 生 死 苦 -ニ 極 メ テ 怖 畏 ス ル 相 ナ リ 。 菩 薩 姓 ハ 是レ六度 ノ 種 姓 ノ 相 ア リ テ 、13号2007年3月 令 三 ル 他 ヲ シ テ 了 三知セ是菩薩
1
之 相 ナ リ 。 如 レ キ 回 定 J 五姓ハ心 相 ノ 差 別1
.
於ニヒテ各有情種子議 ノ 上 二 -皆 悉 タ 錐レー具 セ リ ト 、 有 下 ル ヵ 住 ト 与 ニ 不 住 -ト 成 ト 与 -不 成 -ト 之 異 土 故 z e 於 ニ ヒ テ 現 行 相 -ェ 施 二 設 ス 五 姓 差 別V
.
諸ノ聖教ニ説3
﹁ 無 種 姓 ェ 難 レ ト モ 有 ニ リ ト 一 切 ノ 一 一 切 種 -由 -V テ 随 縛 ノ 力 三 不 レ ト 証 ニ セ 菩 提 -ヲ ﹂ 。 亦 説 = ク ヨ ト 五 姓 ノ 別 -ヲ 皆 於 -一 ヒ テ 現 行 三 説i
銭 レ ト モ 非 ニ ス ト 種 子 -一 般 ヒ テ 無z z
別。其ノ相微隠ニ手難 レ y 知 リ @ 是 ノ 故 ニ 但 タ 於 ニ ヒ テ 現 行 三 説Z
又 於 ニ ヒ テ 現 行 -ニ 説 ク ヵ 故 ニ 諸 論 ノ 中 約 レ γ テ 入 ニ 説- V
五 姓 ノ 別 - ヲ ・ 此 ハ 即 チ 約- t J
行 仏性二説ナリ・無性 ハ 無 性 ニ y テ 非 z ス趣寂姓二、趣 寂 ハ 非 - -J 無姓-ニ等、如下 シ 眼 根 ハ是限根 - Z テ 非 ニ ス 耳 根 -等℃。又於エヒテ種子三説タヵ故5
・ 諸 論 J 中 約 レ 手 法 ニ 説 ニ キ 五 姓 J 別-Z
説 三 キ 仏 菩 薩 成 -熟f
四 種 姓 ヲ、及ピ説 - - V 無姓有ニリト一切ノ一切種 - 等 ハ 是5
・ 此 ハ 即 チ 約 一 一 y テ 理 n 仏性三説ニ ク ナリ本具無漏種一ヲ・説 -v n 如来蔵-ト故ニ此 ハ 是説下クナリ一一自体ノ中ニ有ヱリ一切自体 ノ 種 子 -之 義 よ ヲ 。 ( ﹃ 日 本 大蔵経 ﹄巻六回、三一三頁上 V {弗教学研究室年報第 龍谷大学 す な わ ち こ の 第 二 の 問 い に 対 し て 基 弁 は 、 す べ て の 有 情 は 五姓全ての相を種子の上では具えている(理仏性)のだが、 そ の 棺 に 住 す る か 、 住 し な い か 、 ま た そ の 相 が 成 熟 す る か 、 成 熟 し な い か 、 と い う こ と に つ い て は 異 な り が あ る か ら 、 その現行してくる相において五姓の別を立てる{行仏性}、 こ れ が 基 の 五 姓 各 別 説 の 真 相 で あ る と 説 明 し て い る 。 42 基弁が典拠として引用する﹁無種姓ニ難ヘ有ニ リ ト 一 切 ノ 一 切 種 -由 エ リ テ 随 縛 ノ カ三不レト証=セ菩提ヲ﹂という諸聖教の文 で あ る が 、 こ れ は 文 体 か ら 言 っ て ﹃ 論 伽 論 ﹄ の ﹁ 若 無 種 姓 補 特 伽 羅 ・ 難 有 一 切 一 切 一 切 種 当 知 決 定 不 証 菩 提 n ﹂ の 文 を 代 表 と す る で あ ろ う と 推 測 さ れ る ・ 基 弁 は こ れ を ﹁ 無 姓 有情の者は、一切の種子を具えていながら{煩悩の力に縛ら れることでそれらの種子が現行せず)、菩提が証せない﹂と解釈 し て い る が 、 実 は 基 自 身 は ﹃ 漁 伽 師 地 論 略 纂 ﹄ に お い て 、 この文を以下のように解釈している。 論 云 ﹁ 若 無 種 姓 補 特 伽 羅 雄 有 一 切 一 切 一 切 種 当 知 決 定 不 証 菩 提 ﹂ 者 . [ 中 略 ] 又 釈 。 初 一 切 者 謂 仏 。 第 二 一 切 者 . 於 所 学 行 無 顛 倒 執 。 第 = = 切 . 調 方 便 急 速 。 翻 前 三 因 縁 ・ 但 除 根 未 熟 無 種 姓 者 。 亦 得 値 仏 学 行 ・ 急 発 願 等 . 無 第 四 根 熱 。当知決定不証菩提.(﹃大正大蔵 経﹄巻四 三 、 一 三O
頁 下 ) す な わ ち ﹃ 漁 伽 論 ﹄ の 文 中 の う ち の 、 第 一 の 二 切 ﹂ は 仏 に 値 う こ と 、 第 二 の ご 切 ﹂ は 所 学 の 行 に お い て 顛 倒 の 執 が な い こ と 、 第 三 の 二 切 ﹂ は 急 速 に 発 願 す る こ と で あ る と 基 は 解 釈 し て お り 、 以 上 の 三 種 の ご 切 ﹂ を 具 え た と し て も 、 無 種 姓 の も の は 決 し て 菩 提 を 証 す る こ と が な い 、 と い う の が 基 の ﹃ 論 伽 論 ﹄ 該 当 箇 所 の 解 釈 で あ る 。 こ こ に 基 弁 の 研 究 態 度 を は っ き り と 見 る こ と が で き る で あ ろ う ・ 基 弁 は ﹁ 唯 識 教 学 ﹂ に お け る 五 姓 各 別 説 を 考 究 す43
七
道
理
一
二
。
凡
ソ
法
相
大
乗
ハ
示
一
-Yテ
一
一
相
相
之
極
ヲ
令
レ
ム
至
エ
ラ
離
言
ノ
中
道
一
Z所
以
ハ
所
レ
論
ス
ル
悉
ク
是
レ
性
相
別
論
ヲ
為
レ
ス
要
ト
。
智
者
須
九
審
=
察
ス
此
別
-ヲ
。
二
日
本
大
蔵
経
h巻
六
回
、
三
る上で、まず原典ともいえる﹃漁伽論﹄に立ち返り、その
所説内に基も法蔵も配当できるとして五姓各別説の幅の広
さを訴えるのである。そこには法相宗祖である基が﹃漁伽
論
﹄
をどう読んだか、といったように祖述を求めるような
態度は微塵もない。ただ宗祖のように解釈することも﹁唯
識教学﹂の一面であると主張するのみであり、その対応は
法蔵に対するそれと全く同じであるように感じられる・
但し基弁は基自身は、勿論法相差別門の立場と体相融鎗
門の立場とを具えた五姓各別説を真に理解した人物であっ
て、その上で法相差別門の立場からのみ発言したのみであ
ると考えており、もちろんその点で法蔵と基との捉え方は
別である。それは以下の文に明らかであろう。
ここにおいて基弁は、基自身が五姓各別が仮説であること
を主張しており、また一切有情がいつかは成仏する不定姓
の菩薩である、と認めていることを示している。これによ
って基の真意が、一つ一つの相のとりきめを示して最終的
には言葉を離れた中道に至らしめるということにあるのみ
で、五姓各別という説に執われるのでもなく、かといって
一切皆成という説に執われるのでもないというところにあ
ったことを明らかにしており、つまりはその広い懐の内に
法蔵所説も含まれていることを暗示している.
ここで基の本意を説明するとして基弁が提出する論拠は
﹃成唯議論述記﹄の
一三頁上下) {共同研究}江戸時代における唯織数学一基弁鍵『大乗五種姓玄論』を中心としてー(大谷)園
如
ニ
ヰ
ハ
賢首-ノ
於
ニ
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約
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ル
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人
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約
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如
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一
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- 2
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相
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ノ
意説
11
大抵法華一経ハ
蒙
エ
ラ
Yム ル
漸
機
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教
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ル
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故
-τ
於=ヒテ一切有情心上不定姓
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二
切
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一
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ル
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七
、
当
得
作
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ヒ
ェ
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一
三
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若云
ニ
ハ
ハ
決
定
ト
及
ヒ
無
姓
E
-令
レ
ム
ト
蒙
ニ
ラ
是
ノ
漸教
ノ
益
- ヲ 。
則
テ
説
教
ノ
相
ト
与
ニ
所
被
ノ
心
相
-ト
為
一
一
ス
ヵ
霧
返
一
ヲ
故
一
一
、
不
レ
応
ニ
調五種姓互所無者名不可成・即自身中所有種子。及現
行中可受用者。他身非情名可成法。
四 一 -一 . = 七 八 頁 中 )(
﹃ 大
正
大
蔵
経
﹄ 巻
という一文であるが、これは実際には﹁可成﹂﹁不可
成﹂の説明部分であって﹁五種姓に配当できないのは不可
成である・逆に自身が所有する種子があって、これが現行
して受用することがあれば、他身であっても非情であって
13号2007年3月 悌教学研究室年報第 飽谷大学 も 可 成 法 で あ る ﹂ と 解 釈 で き る 。 し か し 基 弁 は 下 線 部 の 文 の み を 抜 き 出 し て 、 こ れ を ﹁ 五 種 姓 が 現 行 と し て あ ら わ れ て い な い の は 、 い ま だ 成 熟 さ れ て い な い か ら 、 不 可 成 熟 と い う の で あ る ﹂ と 解 釈 し 、 こ れ を も っ て 基 は 五 姓 各 別 説 が 仮 立 の も の で あ る こ と を 示 し て い る と す る . こ こ に ﹃ 磁 伽 論 ﹄ だ け で な く 、 宗 祖 基 の 書 物 に 至 っ て ま で も 、 お そ ら く そ れ ま で 読 み 慣 わ さ れ て き た で あ ろ う 読 み 方 ・ 解 釈 に 拠 ら ず 、 全 く そ の も の に 立 ち 返 っ て 読 む と い う 姿勢を崩さない基弁の研究姿勢をみることができる・ 以上に、基の所説と法蔵の所説とが、共に﹁唯識教学﹂ の 範 鴎 に あ る こ と が 説 明 さ れ た ・ し か し 、 同 じ く ﹁ 唯 識 教 晶子﹂を主張する基と法蔵であるのに、どうして法蔵は
V
の よ う に 新 訳 経 論 が 非 了 教 で あ る な ど と 非 難 す る の で あ ろ う か ・ こ れ に つ い て 基 弁 は 最 後 に 問 答 を 設 け 、 こ の 問 題 を 解 決している。 ニ之別二学者必 λ 知 レ リ テ 有 ニ ル コ ト ヲ 此 ノ 二 端 -而 可 -一 、 始 テ 共 ニ言ヱフ玄種姓-ヲ己。上来会三趣寂回心-ヲ寛ンE
{﹃日本大蔵経﹄巻六回‘三一三頁下) つまり法裁のように体相融鎗門の立場から法を論じようと すれば、必ず基の説く性相別論の立場を破さなければ論が 成り立たない・それは自明の理であってどうしょうもない ことである、と基弁は言う・しかし基弁はここで、近来の 学者に対して警鐘を鳴らしている・すなわちこの立場の違 う二者は﹃漁伽論﹄に説かれている唯識教の両端を説くも のであることは今までに説いてきた通りであるから、すべ からく学者は五姓各別説にも、この両端があるということ を知るべきであり、それを知らずに五姓各別説を破斥しで はならない、というのである。園
※ 以上に、基弁がどのように基の五姓各別説の内に法蔵の 二乗廻心作仏説を会通しているのかを見てきた a 基弁が両 説に相違なしとする愚大の根拠は、どちらもが﹃漁伽論﹄ に典拠を求めることの出来る﹁唯識教学﹂内の話であると いうところにある・唯識は一つ一つの相を明らかにして、 最終的には言語世界を隊れた中道に至らしめる教えである ・ 基弁は、法蔵所説と基所説とが、唯識教学内の両端である と主張し、そうであるから﹁真勝義﹂に至れば両説に相違 鑑 一 し と い う . 44 若 ン 爾 ラ ハ 古学先賢破エル ハ 慈 恩 ノ 義 一 ヲ ハ ・皆以テ為 レ ス ヵ 過 ト 敗 。 今謂 フ ハ 不レ爾:約 一-E
体 相 融 銘 ノ 義 -ェ 立 エ ツ ル ト キ ハ 鍍 相 帰 性 之 言 論v
・ 則f
必ス磁三如 ニ キ 慈 恩 -J 性 相 別 論 之 言 上 ヲ 而成ス駕・若 y 不 レ レ ハ 破セ則チ自教不レ成t
此 是 法 爾 J 破 斥 ナ リ a 一往破 レ ル ハ 是 ヲ 以 一 ァ 為 レ ス 非 レ ス ト 過 -。 若 シ 固 執 y テ 破 ス ハ 則 チ 悉 タ 成 ニ ス 大 失-3
文言:古学先賢ハ約レ 主 人 ニ 論 -- x 五種姓 -ヲ ・ 今 之 所 論 ハ 約 レ シ テ 法 三 弁 レ ス 是Z
如上 ニ 所 レ ノ 明 ス 、 ﹃ 漁 伽 ﹄ 等 ノ 中 亦 タ 有 ニ リ 約 レ シ 人ェ約九 ル ノ 法45
このような基弁の研究態度は、先にも述べたように、一 貫して復古的であり、法相宗の根本聖典である﹃漁伽論 h に立ち返って、これのみと対持するかのようなやり口でも ってなされている。そこでは宗祖である基が﹃漁伽論﹄を どう読んだか、とか﹃述記﹄の記述が後世どのように解釈 されてきたか、ということすら問題ではない.つまり基弁 にとっては、宗祖である基も、また他宗の祖である法蔵も、 同じく真如のあり方について考究した高僧の一人であり、 それら一見全く相反するような両説をも包み込んでしまう 唯識教学という広大な教えこそが、南都に伝わる﹁法相大 乗﹂であるという姿勢をそこに読み取ることができるであ ろう . しかし、だからといって、基弁は宗祖基を軽んじている わけではない。その唯識教学の深淵に気づき、弘めたのは 確かに基その人である。基は五姓各別説が既に言葉で表す ことができるようなものでないと気づいていながらも、そ れを言葉で表すに当たって、法相差別門という立場を採っ たのみであり、その著述などを見る限りは、ただ唯識教学 の一端について述べられているように恩われるだけである。 例えば法蔵の二乗廻心作仏説であっても、既に基はこれを 想定していた、というのが基弁の素直な感想であろう. (共同研究)江戸時代における唯織教学一基弁鍵『大乗五種姓玄論』を中心としてー(大谷) =マ﹃五種勉玄簡﹄岨慣述の背景 以上に述べてきたように﹃五種姓玄論﹄に見られる基弁 の復古的な唯識研究の態度は、現代に伝わっている﹁伝統 唯識﹂の研究態度とは一線を画している。では﹃成唯議 論﹄や所謂﹁三筒の疏﹂を中心とした﹁伝統唯識﹂は、い つどのような人物によって形成されたものなのであろうか. 冒頭に述べたように、基弁は誤った五姓各別説を正すた めに﹃五種姓玄論﹄を著作しているが、その誤った理解の 一つとして、五種姓の体の別が常有であるという、現代 ﹁伝統唯識﹂の説とされているものもまた紹介されている (或執二種姓体別恒有乙。そうであるならば、﹁伝統唯 識﹂は、少なくとも基弁の承けた商都薬師寺の主流の説で はなかったということにはならないだろうか。 これについては結城令聞氏が、江戸時代三百年間におけ る諸宗派の唯識講学の概況、またその学風を概観するとい う、詳細にして大部の研究がある二江戸時代に於ける陪宗白 唯銭m
学 と そ の 学 風 ﹂ ﹃ 結 域 令 聞 著 作 選 集 第 二 巻 ﹃ 華 厳 思 想 ﹂ ﹄ 春 秩 社 、 ので、これを参照して検討してみたい 。 一 九 九 九 ) 江戸中鋼における雌輔副線学 結減令聞氏によれば、江戸時代における唯識教学界は、 以下の表のように四期に分類でき、最初は南都に、そして 漸次その中心勢力は地方教学界に移行分散するという。 時期区分 第 二 期 元禄以前 ︹1
一 六 八 八 ︺ 唯 識 教 学 の 動 向 中 心 勢 力 は 南 都 に あ り 、 性 相 を 考 究 し よ う と す る 者 は 十 中 の 九 以 上 南 都 に 留 学 し て こ れ を 学 ん で い る . し か し 成 績 は 南 都 の 学 匠 よ り も13号 2007年 3月 第 { 冗 第 〔 冗 第 四
1
文 三 3 禄 二 期 一 ・ 期 一 . 期 八 享 七 草 O 和 三 保 三 年 五 年 } 間 } 間 他 都 山 関 あ い 々 の 華 に ニ ( 的 な た ち 在 薬 し る け そ 前 る む '刀な古、 を ・ 係 る て に 第 厳 招l
ー な く も 、 世 師 も 地1
障 の 期 .し 兼 同 世 豊 を . 、 集 ー か 一 六 地 、の 南 中 寺 南 方 布 本 に ろ 学 脱 山 保 ま そ 成 人 曹 れ 七 五 点 地 の 都 に 僧 都 に に 地 お 地 門 す も 持 た れ 的 者 洞 てE
? を 方 、 第 は 高 の お 努 に い 方 の る 共 し 従 自 大 が 講 . ー 占 教 彼 一 、 範 門 い め 帰 て 出 立 、 来 身 著 各 鎮 i ! I 浄 七 め 学 の 主 南 ( を て た り 南 身 場 各 南 よ の が 宗 西 を 土 三 る が 没 義 都 一 叩 は 結 、 都 の か 々 都 り 唯 現 派 す き 八 よ 完 後 的 は2
く ‘ 果 そ に 人 b 強 依 比 識 れ 別 大 る う 全 は 性 依 必 唯 、 の 留 々 立 止 較 学 た に 派 ほなど墜議ηて に に 彼 相 然 平 ' 裏 が 識 あ 本 学5
者 的 の 的 が ・ 出 ・ ど な 南 に 学 と ー 研 る 地 し よ '河古ミ、 地 風 南 確 い で 本 で2
)
る 都 代 の し 七 な 究 宗 に た つ の 歩 を 都 立 わ . 派ぁ
、 ・ 勢 わ 面 て ニ く の 派 お 留 て 余 を 存 教 さ ば し な っ 方 湛 そ に る 目 中 三 な た ‘ い 学 あ 乗 確 し 学 れ 各 か ど た 学 慧 れ 対 べ を 心 ・ る め あ て { 目 ~f と 保 て と た 宗 も - 者 は し き 持 勢 法 に に るi
障 が り し し い 密 時 派 そ 唯 が こ 鳳 て 学 し 力 夏 至 い 箆 れ て ‘ た 接 代 に の 議 事 六 部 優 匠 て を る 必 は を 各 て 研 南 智 な で お 各 学 七 越もい保の・ずあ~々,
¥
文化・慶応年間{
1
八 六 七 ] 究されるようになる 基弁は こ のうち第三期に活躍する南都僧という こととなる が、それはすなわち地方諸宗派によってその宗派自身の唯 識教学が確立され、性相学の 中心勢力がすっかり南都より 各宗派へと分散した時代であったということができよう・ このような南都以外の地方における唯識教学の隆盛に対 して、基弁自身が対抗心を燃やしていたことは 、 安永五年 (一七七六)基弁五十九歳の時から校 正にかかった ﹃ 大乗 法苑義林章師子肌章﹄(以下﹃師子聞き草﹄と略)に、近来の学 匠として、地方唯識学者である湛慧信培・海雲堂居土の名 が頻出し、それぞれの説に 批 判 が 述 べられているこ とに明 らかである. このうちの湛懲信培は、第二期の代表的な唯識学者であ り、結城 氏 に よ っ て ﹁ 高 範 の そ れ に 比 す れ ば 大 い に 復 古 的 な色彩を有するものであるが、しかし要するに﹃述記﹄ ﹃三箇﹄の祖述 を 以 て そ の 任 と し て い た ♂ と い う 学風で あったことが指摘されている・このような湛患に対して基 弁は﹁又タ我靭近代有エリ信培占フ者二浄業之徒二 シ テ 自 ラ 称 三 シ 解 = 得f
唯 識 ヲ 、 講-5 7
﹃ = 一 十 論 疏 ﹄ ヲ 数 度 ナ1
予志学之 後 、 倍 -一 キ 彼 ノ 議 席 -ニ 退 蔵 シ テ 純 テ 慨 言 、 其 ノ 講 唯 識 エ シ テ 而 非 ニ サ ル コ ト ヲ 唯 識 -= ・ 難-
- 1
J
u
-説 ニ ク ト 大 乗 法 相 -ヲ 、 不 レ 識 な 以 三 テ 離言-ヲ 説2
為中スヲ大乗教九、自 ラ 堕 ニ ス 小 乗-
z
-講 者 ハ 既 ニ 爾
1
聴者 ハ 悉 ク 至 レ ル 不 レ ル - -弁ニセ大小乗之萩麦ヲ・今也他家講尊被レル害 イ弗教学研究室年報第 飽谷大学46
47
-セ 信 培 之 毒 三 。 し い 。 また海雲堂居士とは、第三期の代表的学僧である覚洲の ことであるP
基弁は﹁文タ我朝近代泉州堺滞ニ有--リ 海雲堂 居土名レ γ ク 嶋 卜 者 二 声 徳 抽 出 リ 高t
道頴九五畿二.芳伝四主 ナ リ ・ 学 壱 ヱ ミ 大 小 一 ヲ 白 川 柑 素 欽 抱 ・ 業 崇 -一 ヒ 維 摩 守 ヲ 固 時 賢 敢 ヘ テ 恭1
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﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 巻 七 一 、 五四三頁中)﹂と彼を高く評価する ものの、﹁海雲 ノ 所釈 ハ 為-1
不 尽 理 -ト ( ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 巻 七 一 -五四回頁中)﹂として決して彼の解釈を認めることはない. 以上のようにみてきたとき、基弁のいう、誤った五姓各 別説を主張していた人物が、湛懇や覚洲に代表される地方 唯識教学を担う人物であることが推定される・特にこのう ちの湛慧については、先の﹃師子抗意﹄の記述に併せて、 その学風が﹃述記﹄ ﹃ =一箇﹄の祖述にあったことを考えた 時 、 これは﹁法相差別門﹂のみをもって法相唯識学とする、 基弁が最も危検視した考えと符合するから、まず間違いな いと考えて良いであろう。 結城氏によれば、第四期には、第三期に現れた護法唯議、 また慈恩大師を批判するような学風を、再び批判するよう になり、また先の表にも明らかなように法相唯識は専ら諸 宗の余乗として研究されるようになるようである・このこ とから、再び﹃述記﹄ ﹃ =一箇﹄のみをもって唯識教学であ るとする風が一挙に諸宗の伝統的余乗教学として定着して いったであろうことが想像される・そうであるならば、現 今私たちが﹁伝統唯識﹂として認識している学聞は 、 南都 当時の思想界一般 ( 司 大 正 大 蔵 経 ﹄ 巻 七 一 、 五 回 三 頁 上 ) ﹂ と手厳 以外で発展した地方唯識教学の伝統であって、南都仏教界 における唯識教学の伝統ではないとも言えるのではないだ ろうか. 江戸中闘の思想界-般と筆弁の掌昆 以上に基弁のおかれていた唯識教学界の状況を概観した。 次に基弁自身の研究態度について検討したい. 基弁は﹃五種姓玄論﹄において趣寂種姓成仏義をとなえ るにあたって、多分に ﹃ 漁伽論﹄を引用し、全く ﹃ 漁伽 論﹄そのものに立ち返ってこれを解釈するという、復士口的 研究方法を採っていることは、前に明らかにした・基弁の 師である基範の、そのまた締である高範は、結城氏によれ ば﹁さすがに南都の正統を継承せるだけに、鎌倉時代の研 究はもとより、光胤、興基、営尊等、いわゆる室町時代の 研究の粋もよく伝承して南都唯識の特色を明瞭に発簿し・ 名実ともに南都の学風を保存しているお﹂といった学風で あったらしいから、一足跳びに﹃職伽論﹄に典拠を尋ねる 基弁のやり口は、少なくとも高範のそれとは違っているよ うである. 先にも述べたように、第二期の地方唯識学者は、 ﹃ 述 記﹄﹃=一箇﹄を祖述する復古的研究態度にその特徴を見出 し得るが、第三期に至ると、前期の復古的風潮を更に徹底 して、それをもとに前期の思想を批判するといった風潮が みられるようになる。 第二期にみられる復古的研究態度が、 (共同研究) 江戸時代における唯強教学-~弁鍵『大乗五種姓玄詣』を中心としてー(大谷)13号2