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龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 005吉田 哲「Pramanasamuccayatika 第一章 Vadavidhi 批判試訳」

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(1)

Pramonasamuccayatika第 一 章Vsdavidhi批 判 試 訳(吉 田) 21

Pramanasamuccayatika第

一 章Vadavidhi批

試 訳

吉田哲

は じめ に

デ ィ グ ナ ー ガ の 主 著Pramanasamuccaya(,° 一玲'の(以 下PS,PSV)に お い て Yadavidhiは 批 判 の 対 象 と され て い る1。PSは 六 章 か ら な り、 第 一 章 は 知 覚 、 第 二 章 は 自 己 の た め の 推 理 、 第 三 章 は 他 者 の た め の 推 理 、 第 四 章 は 喩 例 、 第 五 章 は ア ポ ー ハ 論 、 第 六 章 は 誤 難 が 、 各 章 の 主 題 で あ る。 各 章 の 構 成 は 、 第 五 章 を 別 に す れ ば 、 前 段 に お い て デ ィ グ ナ ー ガ の 自説 が 展 開 さ れ 、 後 段 に お い て は 他 学 派 の 諸 学 説 が 批 判 され る 。 第 一 章 に お い て も 、 ま ず デ ィ グ ナ ー ガ 自 身 の 知 覚 説 、 及 び 認 識 手 段 に つ い て の 全 般 的 説 明 が な され た 後 、 レ励 αv崩f、 ニ ヤ ー ヤ 学 派 、 ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ 学 派 、 サ ー ン キ ャ 学 派 、 そ して ミ ー マ ー ン サ ー 学 派 の 、 そ れ ぞ れ の 知 覚 説 が 批 判 さ れ る。 Yudavidhi(『 論 軌 』)は 、 ヴ ァ ス バ ン ド ウ(Vasubandhu,世 親)に よ っ て 作 られ た と され る 論 理 学 書 で あ り。 完 全 な 形 で は 残 っ て い な い も の の 、 諸 文 献 に 引 用 され て お り 、 多 く の 断 片 が 回 収 され 、 そ の お お よ そ の 姿 が 明 らか に され た2。PS第 一 章 に お い て は こ のVadavidhiの 知 覚 説 が 批 判 され る。 ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ(Jinendrabuddhi,*AD725-7853)のPramanasamuccayatika (以 下PST)はPS,PSVの 復 注 で あ り、 ま た 現 在 の と こ ろ サ ン ス ク リ ッ ト語 写 本 が 伝 わ る 唯 一 完 全 なPS,PSVの 復 注 で も あ る 。 しか し、 ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ は 年 代 的 に ダ ル マ キ ー ル テ ィ(Dharmakirti,)の 影 響 を受 け ざ る を 得 ず 、 時 と して デ ィ グ ナ ー ガ の 学 説 と ダ ル マ キ ー ル テ ィ の 学 説 と の 間 に 生 じる 微 妙 な 食 い 違 い を 調 整 し よ う ICf .PST【87.1-2】;ジ ネ ー ン ド ラ ブ ッデ ィ が 認 識 手 段 の 構 成 要 素(=知 覚 と 推 理) .と 、 〔認 識 手 段 に 〕 似 て 非 な る も の と 、 誤 難 と 、 そ の 返 答 と に つ い て 〔吟 味 さ れ る 〕 」 と 述 べ て い る よ う に 、Ysdavidhiは Pramanasamuccayaの 第 一 章(知 覚)、 第 二 章(自 己 の た め の 推 理)、 第 三 章(他 者 の た め の 推 理)、 第 四 章 (喩 例)、 第 六 章(誤 難)の 各 章 に お い て 批 判 さ れ て い る 。cf.Hattori【1968】p」15,note2.7 2Cf .Frauwallner[1957] aCf .船 山 【1995】

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010,9.30 zz とす る4。PS,PSVに お け るデ ィ グ ナ ー ガ の 意 図 にPSTの 記 述 が 常 に 患 実 で あ る保 証 は な い 。 しか し、PSTの 作 者 ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ が 生 き た 八 世 紀 に お い てps, PSVが ど の よ うに 受 容 され 理 解 され て い た か に つ い て の 貴 重 な 一 例 と し て 、 そ の 価 値 は 全 く減 じな い だ ろ う。 本 稿 はPST第 一 章 防4αv崩 ∫批 判 の サ ン ス ク リ ッ トテ キ ス トか ら の 和 訳 研 究 で あ る 。PSTに よ る 殖 ぬv励'の 知 覚 説 批 判 に 見 られ る 特 徴 を 以 下 の よ う に ま と め る こ とが 出 来 よ う。 (1)従 来 レ励 αv泌 ∫ の 知 覚 説 部 分 の サ ン ス ク リ ッ ト テ キ ス ト の 形 態 は Nya'yavarttikaに 引 用 され る も の な ど を使 用 し て 復 元 され て い る が 、 刊 行 され たPST第 一 章 の サ ン ス ク リ ッ トテ キ ス トに あ る も の は 、 こ れ ら従 来 の も の とは 微 妙 に 異 な るS。 (2)デ ィ グ ナ ー ガ のVaalavidhi批 判 の 重 点 は ど ち ら か と い え ば 知 覚 の 対 象 に 対 す る 命 名 不 可 能 性 を 指 摘 す る こ とで あ っ た と考 え られ る 。 現 にPSは こ の 点 を 指 摘 す る こ とでVudavidhiの 知 覚 説 批 判 を結 ん で い る6。 そ れ に 対 し て ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ は 履 αv痂fの 知 覚 説 批 判 を 外 界 実 在 論 批 判 の 一 環 と し て 捉 え て い る 。 ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ の こ の 傾 向 はYadavidhi批 判 に お い て か な り明 瞭 で あ る7。 (3)ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ はYsdavidhi知 覚 説 批 判 に お い て 想 定 され て い る 主 要 な 対 論 者 の 一 と して 、 デ ィ グ ナ ー ガ の 小 論Alambanaparikraに も 登 場 す る 複 数 形 相 対 象 論 者(anekakarartha-vadin)を 挙 げ て い る 。8 (4)ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ は 、 「日常 的 活 動 に お い て は 知 覚 の 対 象 と分 別 の 対 象 が 同 一 視 され た 上 で 、 そ の 対 象 に 対 して 活 動 が 起 こ さ れ る 」 とい う ダ ル マ キ ー ル テ ィ の 見 解 を 反 論 者 に 述 べ させ た 上 で 、そ れ は 外 界 対 象 の 存 在 を仮 定 し 3今 回 扱 う 部 分 で は な い が 、 デ ィ グ ナ ー ガ と ダ ル マ キ ー ル テ ィ と の 間 の 相 異 を ジ ネ ー ン ド ラ ブ ッ デ ィ が 処 理 す る 一 例 は 片 岡[2009]を 参 照 。 ま た 、 ジ ネ ー ン ド ラ ブ ッ デ ィ が 常 に ダ ル マ キ ー ル テ ィ 説 に 従 う と い う こ と も 言 ・難 く 、 例 え ば 、 擬 似 知 覚 に 関 し て は ダ ル マ キ ー ル テ ィ に 反 す る 見 解 を 取 り挙 げ て い る(PSG[62 .10-63.15】)。 f.Funayama[1999] Cf.PST[87.3-12] Cf.和 訳J. Cf.和 訳2.3』 。,2.32.,2.6.2. Cf.Hattori[1968]p.119,note2.20

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Pramnnasamuccayatika第 一 章Vsdavidhi批 判 試 訳(吉 田 〉 23 て 成 り 立 つ こ と で あ り、 外 界 対 象 が 存 在 しな い と い う立 場 、 す な わ ち 唯 識 説 に 立 っ な ら ば 、 そ の 見 解 も成 り立 た な い と述 べ て い る。 これ は(2)に も述 べ た よ う に 、 ジネ ー ン ドラブ ッデ ィが この 庵吻v崩 」批判 を外 界 実 在論 批 判 と 見 る 態 度 を よ く表 して い る。

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9。30 24

〈 凡 例 〉

(1)本 稿 はPST第 一 章 の サ ン ス ク リ ッ トテ キ ス ト(以 後Skt.と 略 す る)

・砺 ε〃drabuddh'独 脳 ∂励7alava'iPra〃 吻QSQ〃 〃oαり履`葡('hap'er1,P〃'1:Critical Edition,ed.byErnstSteinkellner,HelmutKrasser,HorstLasic.ChinaTibetoiogy PublishingHouse,AustrianAcademyofSciencesPress,BeiJing-Vienna2005 か ら の レ励 αγ励 ∫ 批 判 部 分(・:.,1.3・p.96,1.2)の 和 訳 で あ る 。 (2)訳 中 に 記 し た 頁 番 号 と行 番 号 は 上 掲Skt.に 対 応 し 、 行 】 、[頁.行 一 頁.行1等 と 表 記 す る 。 [頁,行 】 、[頁.行 一 (3)PsTのSkt.はPs及 びPramana-samuccayavrtti(以 後Psvと 略 す る)の 全 文 を 引 用 す る わ け で は な い の で 、PS及 びPSVの 和 訳 を 始 め に 掲 げ 、 そ のps及 びpsvに 対 す るPSTを そ の 後 に 掲 げ る 。 (4)本 稿 に お け るps、psv及 びPSTの 分 節 は 、 本 稿 筆 者 に よ る。

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Pramartasamuccayatika第 一 章 制4v励'批 判 試 訳(吉 田)

25

〈 参 考 文 献 ・略 号 〉

AbhidharmakvsaA励idharma-Koshabhasya.Ed.byProfP.Pradhan.K.RJayaswal ResearchInstitute,Patna,1967

ハTyayavarttiku1吻 ψ4面r5α π47η,〃ithレ 励syayana'sBhasya,α 助 α4加7α 争 防7π ご加, ア毎ω ミρロ∫'Mitra's窟{ρ4り2躍4肋{長Visvan励 加 、Yrtti】col.1,」ll.Ed. byTaranathaNyaya-tarkatirtha,AmarendramohanTarkatirtha, HemantakumarTarkatirtha.MetropolitanPrinting&Publishing House,Limited.Calcutta.1936,1944 PSPramanasamuccの7p;cfPSV PSVPra〃zanasa〃tuccayavrtti;K:北 京 版vol.130,No。5702;V:北 京 版vo1.130,No.5701,デ ル ゲ 版No,4204;Steinkellner[2005] Prω 吻4v魏 肋 一ThePra〃 吻 αv伽'」 ㎞"2qプD加 ηηα枷f:The伽'吻 μ θ7w肋 所 θ svavrttiautocommentary,RanieroGnoli,IstitutoitalianoperitMedioed EstremoOriente,Roma,1960 Pramanavarttika-Karnakagomin'sCommentaryonthePramanavarttikavrttiof tika(Karnaka-Dharmakirti.(RinsenBookco.1982) gomin} 梶 山[1961]「 仏 教 哲 学 に お け る 命 題 解 釈evaの 文 意 制 限 機 能 」 (『 金 倉 博 士 古 稀 記 念:印 度 学 仏 教 学 論 集 』1961.PP・423-438) 片 岡[20091片 岡 啓 「 『集 量 論 』19解 釈 の 問 題 点:デ ィ グ ナ ー ガ と ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ 」(『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』58(1),2009,pp.455・ 449) 戸 崎 【19791戸 崎 宏 正 『仏 教 認 識 論 の研 究 上 』 大 東 出 版 社1979

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室年 報 第15号2010.9.30 26 服 部[1960】 原 田[1989a] 原 田 【1989b】 船 山[1995】

Anacker[1998]

Frauwallner[1957]

Funayama[1999]

Hattori[1968]

Steinkellner[2005]

服 部 正 明 「 『論 軌 』 の 知 覚 説 に 対 す る デ ィ グ ナ ー ガ の 批 判 」 (日 本 宗 教 学 会 編 『宗 教 研 究 』 第34巻 第2輯(165号)PP・ 43-61) 原 田 和 宗 「VasubandhuとDignagaの 交 渉(一) 防 面v痂fとAlambanapariksa雑 考 一 」(『 仏 教 学 会 報 』 14,高 野 山 大 学 仏 教 学 研 究 室,1989,pp.47-52) 原 田 和 宗 「表 示 ・含 意 ・ 期 待 の 理 論(m)デ ィ グ ナ ー ガ vs.バ ル ト リ ハ リ(3)一 」(『 密 教 文 化 』168,密 教 文 化 研 究 会,1989,PP.78-42) 船 山 徹 「8世 紀 ナ ー ラ ン ダ ー 出 身 注 釈 家 覚 え 書 き 仏 教 知 識 論 の 系 譜 一 」(『 日 本 仏 教 学 会 年 報 』60,】995,pp.49-60) SevenWorksofYasubandhu,TheBuddhistPsychologicalDoctor. StefanAnacker.MotilalBanarasidassPublishersPrivateLimited, Delhi,1998(correctededition) "Vasubandhu'sVadavidhih ."ErichFrauwallner.WZKSO1,1957,pp. 104-146 "KamalaSila'sInterpretationof`non -erroneous'inthedefinitionof directperceptionandrelatedproblems",ToruFunayama (Dharmakiri'sThoughtandItsImpactonIndianandTibetan Philosophy,ProceedingsoftheThirdInternationalDharmakirti ConferenceHiroshima,November4-6,1997,EditedbySharyu Katsura,SAW,Wien,1999,pp.73-99) DignagaOnPerception,beingthePratyaksaparicchedaofDignaga's Pramanasamuccの,afromtheSanskritfragmentsandtheπ ろε毎 η versions.TransklatedandannotedbyMasaakiHattori.Cambridge, Massachusetts,HerverdUniversityPress,1968 "Dignaga'sPramanasamuccaya ,Chapter1.Ahypothetical reconstructionoftheSanskrittextwiththehelpofthetwoTibetan translationsonthebasisofthehithertoknownSanskritfragmentsand thelinguisticmaterialsgained丘omJinendrabuddhilsTika",byErnst

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Pramanasamuccayatika第 一 章Yadavidhi批 判 試 訳(吉 田)

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龍谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 28 〈PS,PSTに よ る レ励4ソf4ん 批 判 の 梗 概 〉 A.*海 ぬv戴 海 の 知 覚 説 に 対 す る批 判 の 開 始:肪 ぬ γ∫励'作 者 に つ い て .・1 .吻 ぬv励f作 者 問 題 1.1.肪 ぬvゼ痂 は ヴ ァ スバ ン ドゥの 著 作 で は な い 1.2.ヴ ァ ス バ ン ドゥ の 著 作 で あ る と し て も レ励 αv励 ∫ に 彼 の 核 心 は な い B.肪 ぬv崩fの 知 覚 の 定 義 の 紹 介 、 及 び 、 定 義 中 の 「そ れ か ら 」 を 「所 縁 縁 」 と す る場 合 の過 失 の 指 摘 2. z.i. 2.2. 2.2.1. 2.2.1.]. 2.2.1.2. 2.2.1.3. VRdavidhiの 知 覚 説 に 対 す る批 判 Ysdavidhiの 知 覚 説 防 ぬv痂 ∫ の 知 覚 の 定 義 中 の 「そ れ か ら 」 に つ い て の 考 察: 「そ れ か ら」 を 「所 縁 縁 か ら 」 と解 す る場 合 と 「所 縁 か ら」 と 解 す る場 合 「そ れ か ら」=「 所 縁 縁 か ら」 の 場 合 「そ れ か ら」 が 「所 縁 縁 か ら 」 を 意 味 す る こ とは 明 白 で あ り 、 こ れ を 問 う こ とは 無 意 味 で あ る 、 とい う反 論 とそ れ に 対 す る 答 「す べ て の 縁 」 が 「所 縁 縁 」 を 指 す こ との 根 拠 知 は所 縁 縁 の み か ら生 じ るの で は な い:定 説 との 矛 盾 の 指 摘 C.「 そ れ か ら」 を 「所 縁 か ら」 とす る場 合 の 過 失 の 指 摘 2.2.2.「 そ れ か ら」=「 所 縁 か ら」 の 場 合 2.2.2.1.定 義 が 過 大 適 用 に 陥 る と い う誤 謬 2.2.2.2.推 理 は 所 縁 の み か ら生 じ る の で は な い か ら知 覚 に は な ら な い と い う反 論 とそ れ に 対 す る答 2.2.2.3.想 起 の 所 縁 は 実 在 しな い か ら 、 想 起 は 所 縁 か ら生 じず 、 従 っ て 'ア ル フ ァ ベ ッ ト見 出 しはPS&PSVの 各節 に付 した もの で あ る。 °'アラ ビア 数 宇 見 出 しはPSTの 各 節 に付 した も の で あ る 。

(9)

Pramanasamuccayahku第 一 章Vsdavidhi批 判 試 訳(吉 田) 29 2.2.2.4.

知覚であることにな らない、 とい う反論 とそれに対す る答

想 起や推理知の命名根拠であ る対象 は世俗 有であるか ら、想起

や推理知はその対象 か ら生 じることはないので知覚 であ ること

にな らない、 とい う反論 とそれ に対す る答

D.「 所 縁 」 の 意 味 に つ い て 予 想 され る 二 つ の 解 釈 の 提 示 一 「顕 現 」/「 実 在 す る 識 の 原 因 」-2.3.所 縁 に つ い て の 考 察 2.3.1.知 識 対 象 内 在 論 と外 界 対 象 実 在 論 2.3.2.デ ィ グナ ー ガ がYa`davidhiを 批 判 す る理 由 2.3.3.「 所 縁 」 の 意 味 に つ い て の 二 つ の 解 釈 E.「 所 縁 」 を 「顕 現 」 とす る 場 合 の 第 一 の 誤 謬 2.3.3.1. 2.3.3.1.1. 2.3.3.1.1.1. 2.3.3.1.1.2.

所縁 」=「 顕現」の場合

五識身 が知覚でない ことになるとい う誤謬 の指摘

集合体 を所縁 とする」の解釈

論証式 の提示

F.「 所 縁 」 を 「顕 現 」 と す る 場 合 の 第 二 の 誤 謬 2.3.3.1.2.実 体 、 数 、 な ど も 知 覚 さ れ て し ま う と い う 誤 謬 の 指 摘

G「

所縁」を 「

実在す る識の原因」 とする場合の誤謬

2.3.3.2. 2.3.3.2.1. 2.3.3.2.1.2. 2.3.3.2.2.

所縁」=「 実在す る識 の原 因」の場合

所縁」=「 実在す る識 の原因」で あれ ば過失 はない とい う弁

上述の弁 明に対す る批判

再反論 とそれへの回答

H.挿 入 詩

(10)

龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 30 2.4. 挿 入 詩 の 解 説:勝 義 と して は 、 〈甲〉 の 知 は く甲 〉 に 関 し て 命 名 され る の で は な い 1.別 の 誤 謬 の 指 摘 25.知 は 対 象 の 形 相 と無 関 係 に 命 名 され る の で は な い J.総 括:知 の 対 象 は 共 相 に よ っ て 命 名 され る が 、 そ れ そ の も と して は 命 名 され 得 な い 2.6. 2.6.1. 2.6.2. 2.6.3. 2.6.4. デ イ グ ナ ー ガ に よ る レ励 αv財㍑ 批 判 の 総 括:外 界 実 在 論 の 否 定 知 は 必 ず し も 対 象 に も とつ い て 命 名 され る と は 限 らな い と い う 反 論 と そ れ に 対 す る 答 日 常 的 活 動 と い う観 点 か らは 実 在 物(VaStLI)も 命 名 され る と い う反 論 と そ れ に 対 す る 答 デ ィ グ ナ ー ガ がPSI16cd'に お い て 知 覚 対 象 の命 名 不 可 能 性 に 再 度 言 及 す る理 由 認 識 対 象 そ の もの が 不 合 理 と な る外 界 実 在 論 の 難 点 の 指 摘

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Pramanasamuccayatika第 一 章Vudavidhi批 判 試 訳(吉 田) 31

和訳

PS&PSV A.防 吻v励'の 知 覚 説 に 対 す る批 判 の 開 始:防4αv耐 痂 作 者 に つ い て [KP96b6-8;VD17a1-3,P16a5-6】 次 に 、 他 の 者 た ち に よ っ て 規 定 され た 知 覚 が 考 察 され る。 Vudavidhiは 先 生 の 〔著 作 〕 で は な い 。 ま た は 、 核 心 は な い と い う決 定 が 〔先 生 に 〕 あ る。 別 様 に 部 分 が 説 か れ て い る か ら で あ る。 従 っ て 我 々 に よ っ て 吟 味 され ね ば な らな い 。(PS113) 実 にYsdavidhiは ヴ ァ ス バ ン ドゥ先 生 の 〔著 作 〕 で は な い 。 ま た は 、 〔ヴ ァ ス バ ン ド ゥ〕 先 生 に は そ れ(=Yudavidhi)に は 〔自 分 自身 の 〕 核 心 は な い と い う決 定 が あ る 。 何 故 か 。 〔Ysdavidhi以 外 の 彼 の 論 書 に 〕 別 様 に 部 分 が 説 か れ て い る か ら で あ る9。 従 っ て 、 認 識 手 段 な ど に つ い て 、 我 々 も ま た い くつ か の こ と を 吟 味 せ ね ば な らな い 。10

PST

● 1.陶44v励 」作 者 問 題 1.1.Vsdavidhiは ヴ ァ ス バ ン ド ゥの 著 作 で は な い [86.3-5】 こ の 世 間 に お い て は 、 レ励4v崩 ゴ は ヴ ァ ス バ ン ド ゥ先 生 の 〔著 作 で あ る〕 と伝 え られ て い る け れ ど も 、 本 論 作 者(=デ ィ グ ナ ー ガ)は 、 彼(3ヴ ァ ス バ ン ド ゥ)が 作 っ た 他 の 諸 論 書 に 過 失 が な い こ と を 見 た 上 で 、 過 失 の あ る Vidavidhiが 彼(ヴ ァ ス バ ン ド ゥ)に よ っ て 作 られ た とい う こ と は 有 り得 な い と考 え て τ肋%励'は 先 生 の 〔著 作 〕 で は な い 」 と述 べ た の で あ る 。 1.2.ヴ ァ ス バ ン ド ゥの 著 作 で あ る と して も 防 吻 蛎励 ゴ に彼 の核 心 は な い 9chashasgzhandubkodpayinpa'iphyirroK:deltamayinnachashascanavmd zadpar'gyurroV;Kは "anyathavayava -prokteh"を 一 躇 と し て 読 み 、Vは"anyatha"を 独 立 し た 単 隠 と し 、 ま た"avayava-prokteh" で は な く`avayavl-prokti'と 読 ん で い る よ う で あ る 。 soCf .Hattori【1968]p.32,11.2-16;Steinkellner【2005】p.5,ll.16-20

(12)

龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 32 [86,6-87.3]【 問 】 しか し 、 作 者 不 明 の 論 書 の 作 者 は 、 風 聞 の み に も と つ い て 決 定 され る。 そ して 、 今 の 場 合 で も 、 か の 〔VRdavidhiは ヴ ァ ス バ ン ド ゥの 論 書 で あ る とい う風 聞 〕 が あ る の だ か ら、 ど う して 「弼 σv励fは 〔ヴ ァ ス バ ン ド ゥ〕 先 生 の 〔著 作 〕 で は な い 」 〔と い う〕 の で あ ろ うか 。 【答 】 〔こ の 問 に 対 し て デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 「ま た は 、 核 心 は な い とい う決 定 が 〔先 生 に 〕 あ る 」 と述 べ た の で あ る。 議 論 の 主 題 で あ る こ と か ら 、 「そ こ(= 陶 吻v'4励 に 〔ヴ ァ ス バ ン ドゥ〕 先 生 の 」 〔核 心 は な い と い う決 定 が あ る 〕 と理 解 され る。 こ の こ と に よ っ て 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 以 下 の 意 味 を 示 唆 し て い る の で あ る 。 一ま ず 、 〔世 間 に 〕 周 知 で あ る こ と だ け で 対 象 が 決 定 さ れ る の で は な い 。 対 象 が な く て も そ れ(=決 定)は 起 こ り得 る か らで あ る 。 そ して 、 た と え 彼(= ヴ ァ ス バ ン ド ゥ)に よ っ て そ れ(=]wdavidhi)が 作 られ た の だ と し て も 、 最 初 、 智 慧 の 卓 越 性 が 生 じて い な か っ た 〔ヴ ァ ス バ ン ドゥ〕 に よ っ て 〔陶4αv励'が 作 ら れ た の 〕 で あ り、 後 に な っ て 、 知 が 浄 化 され た 彼(=ヴ ァ ス バ ン ド ゥ)に 「そ れ (=YRdavidhi)に は 〔自 分 自身 の 〕 核 心 は な い と い う決 定 」 が 生 じ た の で あ る 。 【問 】 さ て ま た 、 彼(ヴ ァ ス バ ン ド ゥ)に 「そ れ(=陥 ぬv励 ∫)に は 核 心 は な い とい う決 定 が あ る 」 と い う こ の こ とが 「何 故 」 理 解 され る の で あ ろ うか 。 【答 】 〔デ ィ グ ナ ー ガ は こ の 間 に 対 して 〕 「別 様 に 部 分 が 説 か れ て い る か ら」 と述 べ た の で あ る。 過 失 が な い 部 分 の 論 述 が あ る か ら 、 と い う意 味 で あ る 。 或 る 過 失 が 見 られ る こ と に よ り、 〔ヴ ァ ス バ ン ドゥ〕 先 生 に よ っ て 防4αv励 ∫に は 核 心 が な い と決 定 され た の で 、 陽ぬv崩 励4に お い て 別 様 に 諸 部 分 が 語 られ た の だ が 、 そ れ ら の 過 失 を我 々 は 明 らか に す る 、 とい うこ と を 示 す た め に 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 「従 っ て 〔、 認 識 手 段 な どに っ い て 、 我 々 も ま た い くつ か の こ と を 吟 味 せ ね ば な ら な い 〕 」 云 々 と述 べ た の で あ る 。 「従 っ て 」 とは 、 過 失 が あ る か ら 〔と い う意 味 〕 で あ る 。 そ れ と い うの も 、 「別 様 に 部 分 が 説 か れ て い る か ら 」 と い う こ の こ と に よ っ て Ysdavidhiに は 過 失 が あ る と い う こ とが 示 され た の で あ る。 「認 識 手 段 な ど に つ い て 」 と は 、 認 識 手 段 の 構 成 要 素 と 、 〔認 識 手 段 に 〕 似 て 非 な る も の と 、 誤 難 (jati)と そ の 返 答 と に つ い て 、 で あ る。

(13)

Pramanasamuccayatika第 一 章Vadavidhi批 判 試 訳(吉 田) 33 PS&PSV B.陶 ぬv痂 ∫ の 知 覚 の 定 義 の 紹 介 、 及 び 、 定 義 中 の 「そ れ か ら」 を 「所 縁 縁 」 とす る 場 合 の 過 失 の 指 摘 【KP96b8・97a2;VD17a3-4,P16a6・b1]「 知 覚 とは そ の 対 象 か ら 〔生 じ る 〕 認 識 で あ る」 とい う こ の 〔7認ω 鋤'の 知 覚 の 定 義 〕 に つ い て 、 「そ の 対 象 か ら」 と い 〔う表 現 に よ 〕 っ て す べ て 〔が 述 べ られ て い る の 〕 で あ れ ば 、 〈甲〉 の そ れ(=知)は 〈甲 〉 の み か ら 〔生 じ る の 〕 で は な い 。(PSI14ab) も し、 「そ れ か ら」 と い う こ の 〔表 現 〕 に よ っ て す べ て の 縁11が 述 べ られ て い る の で あ れ ば 、 対 象 〈甲 〉 の 知 が 〔 「 〈甲〉 の 知 」 と 〕 命 名 され る場 合 、 そ れ (=〈 甲 〉 の 知)は 〈甲〉 の み か ら 生 じ る の で は な い 。 〔す な わ ち 〕 所 縁 縁 の み か ら生 じ る の で は な い 。r心 ・心 所 は 実 に 四 〔縁 〕 に よ っ て 〔生 じ る〕 」 と い う 定 説 か ら あ る か ら で あ る 。12

PST

● 2.Vadavidhiの 知 覚 説 に 対 す る 批 判 2.1.防 伽v∫励fの 知 覚 説13 nジ ネ ー ン ドラ ブ ッ デ ィ が 説 明 す る よ う に 、 こ こ で 「す べ て の 縁 」 と 言 わ れ て い る の は 「所 縁 縁 」 の こ と で あ っ て 、 因 縁 、 等 無 間 縁 、 所 縁 縁 、 増 上 縁 と い う 四 縁 で は な い 。cf.Hattori[1968】p.116,note2.9 1zCf .Hattori(1968]p.32,1.17-p.33,J.2;Steinkellner[2005]p.5,1.21-p.6,1.3 13PSTに は 剛 ロv'dゐ'の 知 覚 の 定 義 が ほ ぼ そ の ま ま 引 用 さ れ て い る と 考 え ら れ る 。 ま た 、PSTの 引 用 は ウ ッ デ ィ ヨ ー タ カ ラ がNyayavartrikaに 引 用 す る も の と 若 干 異 な る 。 以 下 に 参 考 の た め に ウ ッ デ ィ ヨ ー タ カ ラ に よ るVulavldh!の 知 覚 脱 に 対 す る 批 判 を 挙 げ て お く。 Nyayavarttika(pp.127,1.6‐130,1.2)

agarepunarvarnayanti-taro'rthadvi5五ana叩gratya】kSamiti,tann竈 ㍉tato'rthadftl,yasyarthasyayadv麺 直血a嘩 vyapad聴yateyaditatsevatadbhavatinarthantarat,bhavatitatgratyaksamノ

さ ら に 、 他 の 者 た ち は 〔知 覚 を 次 の よ う に 〕 説 明 す る 。 「そ の 対 象 か ら 〔生 じ る 〕 知 が 知 覚 で あ る 」 と 。 そ れ は 正 し く な い 。 「そ の 対 象 か ら」 と は 、r対 象 〈甲 〉 の 知 〈乙 〉 が 〔 〈甲 》 の 知 と 〕 命 名 さ れ る 場 合 、 も し も 、 そ の 〔対 象 〕 〈甲 》 の み か ら 〔知 〕 〈乙 〉 が 生 じ 、 〔 〈甲 》 以 外 の 〕 他 の 対 象 か ら

〔生 じ る の 〕 で は な い な ら ば 、 そ の 〔知 〕 〈乙 》 は 知 覚 で あ る 」 。

et㎝ 舳um互n5d遜 爵巨namapakSipta叩bhavati,nahitataevatadbhavati,kimtarhi?tata6canyata忌catadbhavati/

「こ の 〔定 嚢 〕 に よ っ て 、 推 理 知 な ど は 〔知 覚 か ら 〕 除 外 さ れ る 。 と い う の も 、 そ れ(=推 理 知 な ど)は そ れ(2対 象)の み か ら 生 じ る の で は な い か ら で あ る 。 そ れ で は ど う な の か?そ れ(=対 象) と そ れ 以 外 の も の と か ら そ れ(=推 理 知 な ど)は 生 じ る の で あ る 」 。

tatstavad㎞ 帥ap御nakarttavyamltl,taco噸 勘mityucyamanegamyataevatadarthaditi/ avadba蘭ho,rthaSabdaiticet,Sy311math・esavadharanartho,rthaSabdobhavi§ya蛭tちyaduktambhavatitats

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龍 谷 大学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 34

[87.3・12】 「知 覚 と は そ の 対 象 か ら 〔生 じ る 〕 認 識 で あ る 」 に つ い て 。 〔防4αv崩 ∫

eveti,tadukta41bhavatitato'rthaditi/tannayuktam,ckapadasyavadh巨ra箪5rthasyad馨 璽atv瓦らabbhak睾aitiyathal etenanumanadivyudaso'pipratyuktah ま ず 、 そ れ(=吻 ぬvj西'の 知 覚 の 定 義)の 中 で 、 「対 象 」 と い う 言 及 は な さ れ る べ き で は な い か ら 〔正 し く な い の 〕 で あ る 。 「そ れ か ら 知 が 〔生 じ る 〕 」 と 述 べ ら れ る な ら ば 、 必 ず 「そ の 対 象 か ら 」 と 理 解 さ れ る か ら で あ る 。 も し 、 「 「対 象 」 と い う膳 に は 限 定 の 意 味 が あ る 」 と い う な ら ば 、 〔っ ま り 〕 「 「対 象 」 と い う 語 に は 限 定 の 意 味 が あ る だ ろ う。 だ か ら 、 「他 な ら ぬ そ れ か ら 」 と 述 べ られ た こ と は 、 「そ の 対 象 か ら 」 と 述 べ ら れ た こ と に な る 」 と い う 考 え が あ る か も しれ な い が 、 そ れ は 正 し く な い 。 一 つ の 語 が 限 定 の 意 味 を も つ こ と が 実 際 に 見 ら れ る か ら で あ る 。 例 え ば 「水 上 生 活 者(=蛇)」 と い う よ う に 。 こ れ に よ っ て 、 推 理 な ど の 除 外 も 〔正 し く な い こ と が 〕 答 え ら れ た 。 yatpunaretatsa叩v「ttij五anamancnapaksiptamIL1,tadetannabudhyamahekathamtadapak睾iptamiti1 さ ら に 、 「世 俗 知 も こ れ(=晦 ぬv'd陶 の 知 覚 の 定 義)に よ っ て 〔知 覚 か ら 〕 除 外 さ れ る 」 と い う の だ が 、 ど う し て そ れ が 除 外 さ れ る の か 我 々 に は 分 か ら な い 。 yadibruserupadibhyautpannai}zjnanatttgha璽asyavyapadi6yatenatatobhavisyatiryapak餐iptam,cannayuktam' nahirupadbhyautpannamj髄 隠a甲gha璽asyavyapadi6yate/rupadibhyautpannatprupadinatnghata'dibhya utpannamjnanarpgha璽asyctinaprasa丘gaね1 も し 君 が 「諸 々 の 色 な ど か ら 生 じ て 、 壷 の 〔知 〕 と命 名 さ れ る 知 は 、 そ れ(富 壷)か ら 生 じ る の で は な い か ら 〔知 覚 か ら 〕 除 外 さ れ る 」 と い う な ら 、 そ れ は 正 し く な い 。 と い う の も 、 知 は 色 な ど か ら 生 じ て 壷 の 〔知 〕 と 命 名 さ れ る の で は な い か ら で あ る 。 知 は 、 色 な ど か ら 生 じ て 〔、 つ ま り 〕 色 な ど か ら な る 壷 な ど か ら 生 じ て 壷 の 〔知 〕 と 命 名 さ れ る の で あ る 。 だ か ら 誤 謬 は 付 随 し な い 。 athapyevarpmanorathonarupadibhyovyatiriktahpatadayaiti,manomodakopabhogamatrametat/yatha tadvyatiriktagha璽5daya1》tathopari§shadvakSyamal3/sarvamC8svaviSay互dv麺 轟5naπhbhavatiti?tatograhanam anarthakamitiノ ま た 、 望 む ま ま に 「布 な ど は 色 な ど と 異 な ら な い 」 と い う な ら 、 こ れ は 〔自 分 の 〕 心 を 喜 ば せ る だ け の こ と で あ る 。 壷 な ど が そ れ と 異 な る の と 同 様 に 、 上 述 の こ と か ら 我 々 は 述 べ る で あ ろ う。 ま た 、 あ ら ゆ る 知 は 自 身 の 対 象 か ら 生 じ る の だ か ら 、 「そ れ か ら 」 と い う言 及 は 無 意 味 で あ る 。 nanucamithyajfianamatasmadapibhavati,nabyatasmattadbhavatiti/kirptarhi?atasm助1stadbhavatiti/na

bhavatamithy司 稲巨namapivyajiriayi,ta愈091aha尋amarthagraha尊a嘩cantarenav赫 疏anam5tramava直iSyate'latheca nalaksanamuktarpsyat,sarva1塾caj釦 互箆aゆpratyakξaπLsy蕊tノ 【反 瞼 】 し か し 、 誤 謬 知 は 、 そ れ(=対 象)で な い も の か ら も 生 じ る で は な い か 。 【答 謝 そ れ(=誤 謬 知)は そ れ(塁 対 象)'か ら 生 じ る の で は な い 。 【反 臨 】 そ れ で は ど う な の か 。 【答 臨1そ れ(=誤 膠 知)は そ れ(=対 象)で な い も の に 対 し て 生 じ る の で あ る 。 君 は 誤 謬 知 す ら 理 解 し て い な い 。 「そ れ か ら 」 と い う 言 及 と 「対 象 」 と い う言 及 が な け れ ば 、 「知 」 の み が 残 る 。 し か し そ う で あ れ ば 定 義 が 述 べ ら れ た こ と に は な ら な い だ ろ う。 ま た 、 あ ら ゆ る 知 が 知 覚 で あ る こ と に な ろ う 。 yadyapyetats亜t叫yathasrutibhavati,tathapigrahyagr互hakqi五anayorayugapadbhavajjnanamapratyaksamsyat /nab・tpadausamamiticet,taccana,ud鋤arap匪bhavat/nahisamarpnab・tp5dek磧cidud巨h鋤amastilv幡 婁飴 c5rthabpratyaksaltlsyat/tulyamiticet-syanmathbhavatamyugapadavasthanekimudaharanamltl,tacca naivam,uktottaratvat/uktottarameiatspha璽 聾【5disOtraiti' ま た 、 た と え こ の ス ー ト ラ が 伝 承 さ れ た 通 り で あ る と し て も 、 所 取 と 能 取 の 知 は 同 時 に 生 じ る の で は な い か ら 、 知 は 知 覚 さ れ る も の を も た な い で あ ろ う。 「消 滅 と 生 起 は 同 時 で あ る 」 と い う な ら ば 、 し か し そ う で は な い 。 実 例 が 存 在 し な い か ら で あ る 。 実 際 、 消 滅 と 生 起 と に お い て 同 時 で あ る も の と い う実 例 は 何 ら 存 在 し な い 。 ま た 、 す で に 消 滅 し た も の が 知 覚 さ れ る こ と に な ろ う 。 「 〔こ れ に つ い て は 君 に も 〕 等 し く 〔難 点 が 〕 あ ろ う」 と い う な ら ば 、 〔つ ま り 〕 「君 に よ っ て 、 同 時 の 段 階 に お い て ど の よ う な 実 例 が 〔示 さ れ 得 る の 〕 か 」 と い う 考 え が あ る か も し れ な い が 、、し か しそ れ は そ う で は な い 。 答 が 述 べ ら れ て い る か ら で あ る 。 こ の 答 と は 「水 晶 か ら な る も の … … 」(Nyayasutra3.2.9)に 始 ま る ス ー ト ラ で あ る 。

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Pramanasamuccaya;ika第 一 章Vadavidhi批 判 試 訳(吉 田) 35 の 知 覚 の 定 義 の 説 明 に よれ ば 、 〕 或 る対 象 〈甲 〉 に 関 す る 認 識 が 〔 「 〈甲 〉 の 認 識 」 と 〕 命 名 さ れ る 場 合 、 も し も 、 そ の 〈甲 〉 の み か ら そ れ(〈 甲〉 の 認 識)が 生 じ る の で あ っ て 、 〔 〈甲〉 〕 で な い も の か ら 〔生 じ る の 〕 で も な く 、 ま た 〈甲 〉 と 〈甲 〉 で な い も の と 〔の 両 方 〕 か ら 〔生 じ る の 〕 で も な い な ら ば 、 そ の 〈甲 〉 の 知 は 知 覚 で あ る 。 例 え ば 「色 な ど の 知 」 、 「楽 な ど の 知 」 と い うよ う に 。 これ(=吻4αv∫4陶 の 知 覚 の 定 義)に よ っ て 錯 誤 知 は 〔知 覚 か ら〕 除 か れ る 。 例 え ば 真 珠 貝 に 対 す る銀 の 知 の よ う に。 と い うの も 、 そ れ(二 真 珠 貝 に 対 す る銀 の 知)は 銀 に よ っ て 「銀 の 知 」 と命 名 され る の だ が 、 そ れ(=真 珠 貝 に 対 す る銀 の 知)は 銀 か ら 生 じ る の で は な い の で あ っ て 、 そ れ(=真 珠 貝 に 対 す る 銀 の 知)は ま さ し く真 珠 貝 か ら生 じる か らで あ る。 これ に よ っ て 世 俗 知 も ま た 〔知 覚 か ら〕 除 か れ る。 そ れ と い う の も 、 そ れ(= 世 俗 知)は 壷 な ど に よ っ て 「 「壷 の 知 」 だ 、 「壷 の 知 」 だ 」 と い う よ うに 命 名 さ れ る の だ け れ ど も 、 そ れ(=壷 の 知)は そ れ ら(=壷 な ど)か ら生 じ る の で は な い 。 そ れ ら(壷 な ど)は 世 俗 有 で あ る こ と に よ り原 因 で は な い か らで あ る 。 ま さ し く そ の(=壷 な ど の)よ うに 思 い 込 ま れ て い る所 の 諸 々 の 色 な どか ら そ れ(= 世 俗 有)は 生 じる か らで あ る 。 推 理 知 も ま た 同 じ これ に よ っ て 〔知 覚 か ら〕 除 か れ る 。 とい う の も 、 煙 の 知 と 〔煙 と 火 と の 〕 関 係 の 想 起 と か ら も そ れ(=火 の 推 理 知)は 生 じ る の で あ っ て 、 火 の み か ら 〔生 じ る の 〕 で は な い か らで あ る。 そ れ か ら生 じ る こ と が 〔少 な く と も 〕 あ る の で あ っ て 、 生 じな い こ と は な い 、 と い う も の も こ こ(=Vsdavidhiの 知 覚 の 定 義 文)で は 対 象14と 認 め られ て い る 。 15 13「 対 象 」 と 駅 した が 、 あ る い は 「意 味 」 とす る の も可 で あ るか も しれ な い 。 脚 注 で 指 摘 した よ うに 、 後 で反 論 者 が この 部 分 と ほ ぼ 同 じ文 を挙 げ る の で あ る が 、 そ の場 合 「生 じな い こ とが な い らば 、 とい うか か る 制 限 も … … 」 と言 っ て お り、 「生 じな い ことが ない」 とい う表現 を、 ここで意 図 され てい る制限の 意味 を説 明す るも の と考 え て い る 。 ISジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィが 引 用 す るYRdavidhiの 知 覚 の 定 義 の脱 明 は PST【87・3・5】:yasyavi§ayasyav赫髄ana単vyapadiSyate,yaditats幽tadutpadyate,n翫yat媒napitato'nyata6ca, tajjSanampratyaksam/ で あ っ て 、 「そ れ か らの み か ら生 じ、 そ れ 以 外 か ら 〔生 じる の で 〕 も 、 そ れ と そ れ 以 外 の 両 者 と か ら 〔生 じる の で 〕 も な い 」 とい う機 能 を 果 た して い る こ と が分 か る(evaが は た す 三 種 の 文 意 制 限 機 能 に つ い て は 梶 山

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 36 2.2.肪 伽v崩 ∫の 知 覚 の 定 義 中 の 「そ れ か ら」 に つ い て の 考 察:「 そ れ か ら」 を 「所 縁 縁 か ら」 と解 す る 場 合 と 「所 縁 か ら」 と解 す る場 合 [87.13-14]以 上 の よ う に して 〔知 覚 が 〕 設 定 さ れ る 場 合 、 こ の 〔 「そ れ の み か ら」(tataeva)と い う 励v泌 」中 の 〕 限 定 は 〔所 縁 〕 縁 に 関 し て な の か 、 そ れ と も所 縁 に 関 して な の か 、 とい う こ とが 問 い 糾 され る の で あ る。 2.2.1.「 そ れ か ら 」=「 所 縁 縁 か ら」 の 場 合 [87.14・15]【 問1し か し、 そ れ で ど うな る の か。 【答 】 い ず れ に し て も過 失 が あ る の で あ る。 ま ず 第 一 の 限 定(=縁 に 関 す る 限 定)に 関 し て 、 「 「そ の 対 象 か ら」 とい 〔う表 現 に よ〕 っ て す べ て 〔が 述 べ られ て い る の 〕 で あ れ ば … … 」 と 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 述 べ た の で あ る。 「も し、 「そ れ か ら 」 〔と い う こ の 表 現 に よ っ て す べ て の 縁 が 述 べ られ て い る の で あ れ ば 、 … … 〕 」 云 々 は ま さに こ の 〔第 一 の 限 定 〕 に つ い て の 説 明 で あ る 。 2.2.1.1.「 そ れ か ら」 が 「所 縁 縁 か ら 」 を 意 味 す る こ とは 明 白 で あ り、 こ れ を 問 う こ とは 無 意 味 で あ る 、 と い う反 論 とそ れ に 対 す る答 【88.1-4]【 反 論 】 認 識 の 命 名 の原 因 で あ る と こ ろ の 対 象 が 議 論 の 主 題 で あ る こ と に も と つ い て 、 「そ れ か ら」 とい う こ の 〔表 現 〕 に よ っ て 議 論 の 主 題 を 判 断 す る 者 は 、 ま さ に そ れ(=限 定)を 判 断 す る 。 だ か ら、 こ の こ と に 疑 い は な い 。 従 っ 【1961】 参 照)。 と こ ろ が 、 PST[87.12]:tatobhavatyevenatonabhavatatityayamapyatrartho'bhimatah// で は 、 下 線 部 の 限 定 詞evaに 「 〈生 じ な い 〉 の で は な い 」(nanabhavati)と い う 限 定 の 意 味 が 付 加 さ れ る 。 こ の 部 分 に つ い て は 服 部[1960]とAnack。r[1998]と で 、 上 掲 のPST【87,12】 に 相 当 す る 吻dαvJdゐ'の 文 の 解 釈 は 異 な っ て い る 。 服 部[1960]p.49,Il.8・9: 「更 に 、 此 〔の 定 義 〕 に 於 い て 、 そ れ か ら 〔知 が 〕 必 ず 生 ぜ られ(utpannameva)、 生 ぜ ら れ ぬ こ と は な い も の が 、 対 象 で あ る と 認 め ら れ て い る の で あ る 」 。 Anacker[1998]p.4U,ll.23-25 Thatthroughwhichexclusivelythecognitionarises,anddoesnotexistunlessitarises,isregardedasan"object" inthispassage. 服 部 氏 は 「そ れ か ら 必 ず 生 ぜ ら れ 、 生 ぜ ら れ ぬ こ と は な い 」 と 解 釈 さ れ る 一 方 、Anacker氏 は 「知 が そ れ の み か ら 生 じ 、 そ れ(=知)が 生 じ な け れ ば 存 在 し な い と こ ろ の … … 」(Thatthroughwhichexclusivelythe cognitionarises,anddoesnotexistunlessitarises,_)と 解 釈 さ れ て い る 。Anacker氏 の 解 釈 は 殉 吻v富4履 の 知 覚 の 定 義 が 何 ら 存 在 臨 的 に 「対 象Jに 言 及 した も の で は な い と い う考 え に も とつ く(c£Anacker【1998)P.47,note 4)。 し か し 、 レ励b幡 伽 自 身 は 「実 有 」 と 「世 俗 有 」 と に 言 及 し て い る 。

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Pramanasamuccayatika第 一 章 剛 αw励 ご批 判 試 訳(吉 田) 37 て 、 ど う して こ の 〔こ の 限 定 は 縁 に 関 す る の か 所 縁 に 関 す る の か と い う〕 懸 念 が あ ろ うか 。 【答 論 】 「 「も し、 そ れ か ら 〔生 じ る 〕 な ら ば 」 とい う こ の 〔アあ4v泌 ∫ の 知 覚 定 義 〕 に よ っ て 、 す べ て の 」 〔す な わ ち 〕 四 種 の 「縁 」 も 「述 べ られ て い る 」 とい う この 意 味 が こ こ(=PSVonPSI14ab)に あ る の で は な い 。 そ れ(=四 種 の 縁 とい う意 味)は 君 が 想 定 した も の で あ る 。 何 故 な らば 、 〔所 縁 縁 は 〕 一 切 法 か らな る もの で あ る か ら、 こ こ(=PSI14ab&PSV)で は 「す べ て 」 と い う語 に よ っ て 所 縁 縁 が 述 べ られ て い る か ら で あ る。 2.2.1.2.「 す べ て の 縁 」 が 「所 縁 縁 」 を 指 す こ と の 根 拠 【88.5-9]【 問 】 と こ ろ で 、 ど う し て そ れ(=所 縁 縁)は 一 切 法 か ら な る も の で あ る の か 。 【答 】 「所 縁 と は 一 切 法 で あ るJ且6と い う 〔ア ビダ ル マ の 〕 定 義 に よ っ て で あ る 。 そ して 、 〔所 縁 縁 〕 以 外 に 一 切 法 を 本 質 と し、 識 の 縁 で あ り、 〔識 〕 命 名 の 原 因 で あ る も の は 存 在 しな い 。 そ れ(=所 縁 縁)が 「そ れ か ら 」 と い う こ の 〔表 現 〕 に よ っ て 述 べ ら れ て い る な ら ば で は あ る が 。 従 っ て 、 所 縁 縁 こ そ が 「す べ て 」 とい う語 に よ っ て 述 べ ら れ て い る の だ と理 解 す べ き で あ る 。 従 っ て 、 「も し」 、 一 切 法 を本 質 と す る 「縁 が 述 べ られ て い る とす る な ら ば 」 、 〔す な わ ち 〕 も し、 所 縁 縁 が 述 べ られ て い る な ら ば 、 と い うほ ど の 意 味 と な る の で あ る 。 従 っ て そ れ(=「 す べ て の 縁 」 が 所 縁 縁 を 意 味 す る こ と)は 問 わ れ る べ き こ と で は な い 。 2.2.1.3,知 は 所 縁 縁 の み か ら生 じ る の で は な い;定 説 との 矛 盾 の 指 摘 【88.9-12】 「或 る 」 所 縁 縁 〈甲 〉 が 関 係 項 で あ る こ とに よ っ て 「知 が 命 名 され る 場 合 、 そ の 〔知 〕 は た だ そ の 〈甲 〉 の み か ら 生 じ る の で は な い 」 。 で は ど うな の か とい う と 、 他 の 原 因 か ら も 〔知 は 生 じ る の で あ る 〕 。 「実 に 心 ・心 所 は 四 縁(因 16伽 伽 η 鵬4p100 ,L3:alambanamsarvadharmah(2.62c);こ の 肋 触 伽 脚 如 の 定 義 は 四 縁 中 の 所 縁 縁 に 関 す る も の で あ る か ら 、 「所 縁 」(alambana)と だ け あ っ て も 意 味 す る と こ ろ は 「所 縁 縁 」 (alambanapratyaya)で あ る 。

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 38 縁 、 所 縁 縁 、 等 無 間 縁 、 増 上 縁)に よ っ て 〔生 じ る 〕 」17と 〔ア ビ ダ ル マ 論 書 に 〕 述 べ られ て い る か ら で あ る 。 以 上 の よ うに 、 〔知 を 生 じ させ る 〕 原 因 を 〔所 縁 縁 に 〕 限 定 す る立 場 に は 定 説 との 矛 盾 が 起 こ る の で あ る 。 PS&PSV C.「 そ れ か ら」 をr所 縁 か ら」 とす る 場 合 の 過 失 の 指 摘 [KP97a2-4;VD17a4-5,P16b1・2】 も し、 所 縁 〔が 述 べ られ て い る の 〕 だ とす る と 、 想 起 な ど の 知 は 他 の も の に 依 拠 しな い 。(PSI14cd) 「も し、 そ の 対 象 か ら 」 と い う こ の 〔表 現 〕 に よ っ て 対 象 の み が 〔述 べ られ て い る〕 と す れ ば 、 想 起 、 推 理 、 欲 求 、 な どの 知 も他 の 所 縁 に 依 拠 し な い 〔か ら知 覚 に な る だ ろ う〕 。 と い うの も火 等 の 〔推 理 〕 知 は 煙 な ど を 所 縁 と して 生 じ る の で は な い か らで あ る。18

PST

● 2.2.2.「 そ れ か ら」=「 所 縁 か ら」 の場 合 2.2.2.1.定 義 が 過 大 適 用 に 陥 る とい う誤 謬 [88.13-89.2】所 縁 に つ い て の 限 定 の 場 合 に 関 して 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 「も し所 縁 だ とす る と … … 」 云 々 と述 べ て い る。 こ こ で は 定 義 が 過 大 適 用 で あ る こ とが 述 べ られ て い る。 「対 象 の み 」 と い う こ の 〔表 現 〕 に お い て は 、 そ の 時 に 近 接 して い る 色 な ど の 個 物 が 、 知 の 所 縁 で あ る こ と に よ り、 「対 象 」 と い う語 で 述 べ られ て い る の で あ る 。 「の み 」 とい う語 が 他 の 所 縁 を 排 除 し て い る の で あ る 。 「想 起 〔や 欲 求 や 推 理 〕 な ど の 知 」 も 色 〔や マ ン ゴ ー や 火 〕 な ど に よ っ て 、 「色 の 想 起 」 、 「マ ン ゴー に 対 す る欲 求 」 、 「火 の 推 理 」 と命 名 され 、 そ し て 〔色 や マ ン ゴー や 火 以 外 の 〕 「他 の 所 縁 に 依 拠 しな い 」 。 従 っ て 、 そ れ(想 起 な どの 知)も ま た 知 覚 で あ る こ と に な ろ う 〔とい う意 味 で あ る 〕 。 2.2.2.2.推 理 は 所 縁 の み か ら生 じる の で は な い か ら知 覚 に は な ら な い とい う反 論 と 87∠ 薯δハ批茄 αη盟αゐ034P .102,乙7:catwbhiscittaca血t互hi(2,64a). 1eCf .Hattorip.33,11.3-23;Steinkellner[2005]p.6,11.4-b

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P短 〃吻 α3α蹴麗 α脚4肋 第 一 章Vsdavidhi批 判 試 訳(吉 田) 39 そ れ に 対 す る答 [89.3-6】 次 〔の よ う な 反 論 〕 が あ る か も しれ な い 。 【反 論 】 〔火 な ど と い う〕 推 理 され る べ き も の を 対 象 とす る 知 は 火 の み か ら生 じ る の で は な く て 、 主 題 所 属 性(paksadharmatva)と 〔、 煙 と火 と の 〕 関 係(sambandha)の 知 か ら 〔生 じ て 〕 も 〔い る 〕 。 従 っ て 、 ど う して こ の よ うな こ と(=推 理 知 が 知 覚 で あ る とい うこ と)に な っ て しま お うか 。 【答 論 】 「何 故 な ら ば 火 等 の 知 は … … で は な い か ら」 云 々 と 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 述 べ て い る 。 た と え そ れ(火 な ど の 推 理 知)が(火 以 外 の)他 の 対 象 か ら生 じて も い る と して も 、 そ れ(=火 な ど)以 外 の 対 象 を そ れ(火 な ど の 知)が 所 縁 とす る こ と は な い 。 従 っ て ま た 、 他 の 所 縁 に 依 拠 す る こ と な く し て 生 じ る の だ か ら、 ど う して そ れ(火 を 推 理 す る知 な ど)が 知 覚 で な い の で あ ろ うか 。 2.2.2.3.想 起 の 所 縁 は 実 在 しな い か ら、 想 起 は 所 縁 か ら 生 じず 、 従 っ て 知 覚 で あ る こ とに な ら な い 、 とい う反 論 とそ れ に 対 す る 答 【89.7-1b]【 反 論 】 しか し、 「対 象 〈甲 〉 に よ っ て 知 〈乙 〉 が 命 名 され る 場 合 、 も し も 〔知 〕 〈乙〉 が 、 〔対 象 〕 〈甲 〉 か ら 生 じ る の で あ っ て 、 生 じ な い こ と が な い な ら ば 」 、 と い うか か る 制 限(niyama)も こ こ(=肪 ぬv繊 」の 知 覚 の 定 義 の 説 明)で は 認 め られ て い る で は な い の か19。 し か し、 想 起 な ど が 所 縁 〈甲 〉 に よ っ て 命 名 され る場 合 、 〔想 起 な ど は 〕 そ の 〈甲 〉 か ら生 じる の で は な い 。 〔想 起 な どの 所 縁 〕 〈甲〉 は 実 在 しな い も の だ か らで あ る。 〔従 っ て 肪4αv励fの 定 義 に よ っ て 想 起 な どが 知 覚 と され る とい う過 失 は な い 。 〕 【答 論 】 これ は 正 し くな い 。 間 接 的 に で あ っ て も 、 〔想 起 な ど が 〕 そ の 〔想 起 の 所 縁 〕 か ら生 じ る こ とは 〔Vtdavidhiに よ っ て 〕 認 め られ て い る か らで あ る。 さ 且4PSτ 【89.7-81:nanucayenavi箪ycりayajjnanamvyapadifiyate,yaditattatobhavatinatunabhavatityeso・PYatra niyamo'bh㎞tah, こ の反 輪 者 は 下 線 部 の 「そ れ か ら生 じる」 とい う表 現 に は 「生 じな い の で は な い 」 と い う限 定 が働 い て い る と 考 え るの で 、 「対 象 く甲》1吐 か ら知 く乙 》 は 生 じ る」 で は な く 、 ま た も ち ろ ん 「対 象 《甲》 か ら知 《乙>OJ 垂 が 生 じる」 で も な く て 「対 象(甲 〉 か ら知 く乙》 は生 じる こ とが あ る 」 と い う意 味 に解 釈 され ね ば な らな い と 考 え る の で あ る 。 反 論 者 に と っ て は 、 想 起 な どは そ れ 自 身 の 対 象 か ら は 決 して 生 じ な い と考 え る か ら 晦d4v崩 」の 知 覚 の 定 義 に よ っ て 知 覚 か ら 除 か れ る こ とに な る。 ジネ ー ン ドラ ブ ッデ ィの 答 臨 で も、 こ こ で の YRdavidhiの 限 定 に つ い て は 問 題 に して い な い 。 む しろ 、 弼 ロv励fに 従 え ば 想 起 な ど も そ の 対 象 か ら決 して 生 じな い と は い え な い とい う形 で 反 輪 に 答 えて い る。

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 40 も な け れ ば 、 「推 理 知 も これ(=知 覚 の 定 義)に よ っ て 〔知 覚 か ら〕 排 除 され る 。 とい うの も 、 〔火 の 推 理 知 は 〕 煙 の 知 と 〔、 煙 と火 と の 〕 関 係 を想 起 す る こ と か ら も 生 じ る の で あ っ て 、 火 の み か ら 〔生 じ る の 〕 で は な い か ら で あ る 」 と Vudavidhiに 述 べ られ た こ とが ど う して 適 切 で あ ろ うか。 と い うの も 、 「煙 の 知 と 〔、 煙 と 火 と の 〕 関 係 と を 想 起 す る こ と か ら も … … 」 と い う語 に よ っ て 、 そ れ (=火 の 推 理 知)は 火 か ら も 生 じ る、 とい うこ とが こ の 〔肪4αv'dん の 論 述 〕 に よ っ て 述 べ ら れ た こ と に な る か ら で あ る。 従 っ て 、 も し も 〔知 の 〕 命 名 の 原 因 が 、 間 接 的 に せ よ 〔知 を 〕 生 じ させ る もの で あ る こ とが こ こ(=防 伽v痂fの 知 覚 の 定 義 の 説 明)で 認 め られ て い る とす れ ば 、 ど う して こ の 〔君 の 反 論 〕 が 正 しい で あ ろ うか 。 〔ま た 〕 そ うで は な く て 、 も し も想 起 な どの 命 名 の 原 因 で あ る 対 象 が 、 そ の と き(=想 起 な ど が 生 じ る時)に は 存 在 し な い か ら 生 じ さ せ る も の で は な い の で あ れ ば 、 そ れ は 推 理 の 場 合 で も 、 〔推 理 知 の 命 名 の 原 因 で あ る 対 象 が そ の 推 理 知 を 〕 生 じ させ る も の で は な い 点 で 同 じ な の だ か ら、 こ の 〔 「推 理 知 も … … 」 云 々 とい うVsdrrvidhiの 論 述 部 分 〕 は 述 べ られ る べ き で は な い 。 2.2.2.4.想 起 や 推 理 知 の 命 名 根 拠 で あ る対 象 は 世 俗 有 で あ る か ら、 想 起 や 推 理 知 は そ の 対 象 か ら生 じ る こ と は な い の で 知 覚 で あ る こ と に な ら な い 、 とい う反 論 と そ れ に 対 す る 答 【go.1・51【反 論 】 と こ ろ で 、 想 起 な どの 命 名 の 原 因 で あ る 対 象 は 、 分 別 され た 普 遍 で あ る 。 そ して そ れ(=普 遍)は 世 俗 有 で あ る か ら 〔知 を 〕 生 じ させ る も の で は な い 。 従 っ て 、 そ れ ら 〔想 起 な ど〕 は 知 覚 で は な い と考 え られ る 。 【答 論 】 こ れ に 対 して も上 述 の も の と同 じ回 答 が 〔与 え られ る 〕 。 そ れ と い うの も 、 推 理 の 所 縁 も世 俗 有 に 他 な ら な い 。 従 っ て ま た 、 「煙 の 知 と 〔煙 と火 と の 〕 関 係 を 想 起 す る こ と か ら もそ れ(=推 理)は 生 じ る の で あ っ て 、 火 の み か ら 〔生 じ る の 〕 で は な い 」 と 〔庵 吻v励fに 〕 述 べ られ て い る こ と は適 切 で な い こ と に な ろ う。 従 っ て 、 〔 「そ れ か ら」=「 所 縁 か ら」 とい う場 合 に はVsdavidhiの 知 覚 の 定 義 に 〕 過 大 適 用 とい う過 失 が 〔あ る こ とが 〕 確 定 した 。

P5&PSV

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Pramanasamuccayatika第 一 章Vudavidhi批 判 試 訳(吉 田) 41 D.「 所 縁 」 の 意 味 に つ い て 予 想 され る 二 っ の 解 釈 の 提 示 「顕 現 」/「 実 在 す る 識 の 原 因 」 [KP97a4-5;vD17a5-6,P16b2-31と こ ろ で 、 色 な ど に つ い てr所 縁 」 の 意 味 が 述 べ られ ね ば な ら な い 。 そ れ ら 〔色 な ど〕 に対 して 、或 る 〈甲〉 が顕 現 す る知 が 生 じ る な ら ば 、 そ の よ うに 〔顕 現 す る〕 そ れ ら 〈甲 〉 が 「所 縁 」 と言 わ れ る の か 、 は た ま た 、 知 が 〔そ れ と は 〕 別 様 に 顕 現 す る と し て も 〔そ の 知 の 〕 原 因 と し て 存 在 す る通 りの も の が 〔 「所 縁 」 と言 わ れ る の 〕 か 。20

PST

O 2.3.所 縁 に つ い て の 考 察 2.3.1.知 識 対 象 内 在 論 と外 界 対 象 実 在 論 [90。6-91.1]こ の 〔世 間 〕 に は 知 識 対 象 内 在 論 者(antarjneyavadin)と 外 界 対 象 〔実 在 〕 論 者(bahyarthavadin)と い う二 種 類 の 主 張 者 た ち が い る が 、 そ の うち 、 知 識 対 象 内 在 論 者 た ち に と っ て は 、 い ま だ 真 実 が 見 ら れ て い な い 段 階 に お い て は 、 認 識 手 段 と認 識 対 象 とが あ る けれ ど も 、 真 実 と して は 〔そ の 両 者 は 〕 成 立 して い な い も の に 他 な らな い 。 こ の 〔認 識 〕 手 段 と 〔認 識 〕 対 象 とい う 区 別 が 見 られ る の は 、 単 に 迷 乱 した 者 た ち が 見 る 通 りの も の に 過 ぎ な い 。 そ して こ の こ と は 先 に す で に 説 明 され て い る21。 20Cf .Hattori[1968]p.33,11.2429;Steinkellner[2005)p.6,11.7-9 21Cf .PSI10 yad5bhδsa串p㎜cya鵬tatp㎜aOaphalatep岨ahlg颪ha臨a卑vittyostraya卑natabpτkhakk餌am〃(或 る も の の 顕 現 、 そ れ が 認 識 対 象 で あ り 、 ま た 、 能 取 の 形 相 と 認 織 と は 〔そ れ ぞ れ 〕 認 織 手 段 と 〔認 識 〕 結 果 と で あ る 。 だ か ら 〔認 識 対 象 、 認 識 手 段 、 及 び 認 識 結 果 と い う〕 三 要 素 は 区 別 さ れ な い 。) PST[76.6-13j ahacctyadir:atarpprameyadivyavasthamdarSayati/yaa'bhaso'syetivigrahah/svamSasyacamanatveriavidhanad 血avisayabhasog;hyate/p㎜ 脚taditisavisayabhasahprameyam!Pramanaphalatep㎜r ar.v..Y.rr▼ittyoritigr5hak創k互rasyapratnanata ,samvittc毎pha!at互1aracayadyapi8a:pvi臨ter alpactaratvam,tathapigrahakakarasyapramaりatv5ttasyacavyutpadyatvenadhikrtatvadabhyarhitatvam/ato

visr..r.rr.piuvanipatah1ε 轟竃yamnatantP幽Itl/crayasyapitattvato'parinispannatvat ,鵡a j茄n翫p仙a蜘am〃(〔 「或 る も の の 顕 現 」 と は 〕 或 る も の の 顕 現 を 有 す る も の 、 と 分 析 さ れ る 。 そ し て 、 〔知 〕 自 身 の 部 分 が 手 段 と し て 規 定 さ れ る こ と に よ り 、 こ こ で は 対 象 の 顕 現 に 言 及 し て い る の で あ る 。 「そ れ が 認 識 対 象 で あ る 」 と は 、 そ の 対 象 の 顕 現 が 認 臓 対 象 で あ る 〔と い う意 味 で あ る 〕 。 「ま た 、 能 取 の 形 相 と 〔自 己 〕 認 識 と は 〔そ れ ぞ れ 〕 認 識 手 段 と 〔認 識 〕 結 果 と で あ る 」 と は 、 能 取 の 形 相 は 認 識 手 段 で あ り 、 認 臓 は 〔認 識 〕 結 果 で あ る 〔と い う 意 味 で あ る 〕 。 ま た 、 こ こ で は 、 た と えr認 識 」(samvitti)と い う 躇 が よ り 少 な い 母 音 を も っ も の で あ る 〔か ら 複 合 語 の 後 分 と は な ら ず(Cf.

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 42 一 方 、 外 界 対象 〔実 在 〕論 者 た ち は 、 ま さ しく勝 義 と して 、 外 的 な認 識 対 象 と、 そ れ(=外 的 な 認 識 対 象)を 対 象 とす る 認 識 手 段 と 〔の 存 在 〕 を 主 張 す る。 しか しそ れ は 正 し くな い とい う よ うに 説 明 す る た め に 、 今 度 は 所 縁 を 主 題 と して 考 察 に 着 手 して 、 「と こ ろ で 、 色 な ど に つ い て 所 縁 の 意 味 が 述 べ られ ね ば な らな い 」 と 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 述 べ た の で あ る。 そ し て こ の こ と は 必 ず こ の よ うに 理 解 さ れ ね ば な ら な い 。 と い うの は 、 「履 αv励'を 批 判 す る た め だ け に こ の 〔考 察 〕 が 着 手 され た 」 と こ の よ うに 考 え る者 た ち に とっ て 「感 官 の 対 象 は 自内 証 さ れ る べ き 説 示 さ れ な い 形 の も の で あ る」(PSI5cd)と 述 べ られ た と こ ろ の 「対 象 」(gocara)の 意 味 が 述 べ られ ね ば な らな い か らで あ る。22 2.3.2.デ ィ グ ナ ー ガ が ・Yadavidhiを 批 判 す る理 由 [91.1・6]そ れ に 対 して 「或 る 〈甲 〉 の 顕 現 が あ る 知 が 生 起 す る な ら ば 、 そ の よ う に そ の 〈甲 〉 が 対 象 で あ る の か 」 云 々 とい う等 しい 批 判 が あ る。 だ か ら 〔そ の 批 判 に 〕 対 処 せ ね ば な らな い の で あ る。 従 っ て 、 ま さ し く 一 般 的 に 、 外 界 対 象 に 依 存 す る認 識 手 段 等 の 区 別 は 妥 当 で は な い 、 と説 明 す る た め に 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 こ の 〔考 察 〕 に 着 手 した と理 解 せ ね ば な らな い 。 ま た 、 そ の 外 界 対 象 論 者 た ち の 中 で 強 力 な の は 自派(=仏 教 徒)で あ る。 彼 らが 打 ち 倒 され る 以 上 、 他(=非 仏 教 徒 で あ る 外 界 実 在 論 者)は 打 ち 倒 され た の に 他 な ら な い こ と に な る。 最 強 の 格 闘 家 が 打 ち 倒 され た と き 、 彼 以 外 の 格 闘 家 た ち 〔は 打 ち 倒 され た も 同 様 〕 の よ う に 。 だ か ら 、 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 彼 ら(=仏 教 徒 で あ る外 界 実 在 論 者)の み を 相 手 と して 考 察 を な す の で あ る。23 榔 西幽 ッ妙2.2.34)、 従 っ て 「能 取 」 と 「形 相 の 認 識 」 とで も分 析 され ね ば な ら な い 〕 と して も 、能 取 の 形 相 は 認 職 手 段 で あ るか ら、 ま た 、 それ は 理 解 され ね ば な らな い こ と と して 主 題 化 され て い るか ら 尊 重 され ね ば な ら な い 。 従 っ て 、 「能 取 の 形 相j(gr'ahakakara)と い う語 こ そ が 〔複 合 語 の 〕 前 分 な の で あ る。 「だ か ら三 要 索 は 区 別 され な い 」 につ い て。 〔この 〕 三 要 素 も 、 真 実 と して は 、 成 立 して い な い か ら、 知 と 区別 され な い 〔とい う意 味 で あ る〕 。) uつ ま り、 デ ィ グナ ー ガ に よ る 吻 伽 働'の 知 覚 説 批 判 が 、 た だ 陶吻v崩 」の 知 覚 説 の過 誤 を 非 難 す る だ け の も の な の で は な くて 、デ ィ グ ナ ー ガ 自身 が 考 え る 知 覚 の 対 象 を逆 理 的 に 主 張 す る もの だ とい うこ とで あ る。 23こ れ に よ っ て、 ジネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ はYRdavtdh!が 仏 教 徒 の 中 の外 界 対 象 実 在 険 に 属 す る もの だ と考 え て い る こ とが 分 か る。 デ ィ グナ ー ガ のVRdavtdht批 判 は 全 体 的 に 非 仏 教 徒 に対 して は あ ま り意 味 の な い もの と考 え られ る。 仏 教 に独 特 な 「四縁 」 や 「所 縁 縁 」 な どの 解 釈 を巡 る議 臨 は 、 そ もそ も そ の よ うな 学 説 を も た な い 非 仏 教 徒 に と っ て は あ ま り問 題 とな ら ない か らで あ る。 デ ィ グナ ー ガ のYsdavidhi批 判 は 仏 教 内 の 外 界 実 在 論 に 限 定 した 批 判 と して は 充分 効 果 の あ る もの で あ ろ う。 仏 教 の 外 界 実 在 臨 ほ 最 強 で あ る か ら、 そ れ が 論 破 され れ ば 他 派 の 外 界 実 在 輪 も論 破 され た こ とに な る と い うの は 、 面 白い 表 現 で あ る。

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Pramanasamuccayatika第 一 章 制 αv轍f批 判 試 訳(吉 田) 43 2.33.「 所 縁 」 の 意 味 に つ い て の 二 つ の 解 釈 [91.7-12】 「所 縁 の 意 味 」 と は 、 「所 縁 」 とい う語 の 「意 味 」 〔とい う意 味 〕 で あ る。 「或 る 〈甲 〉 の 顕 現 が あ る 〔知 が 生 じ る な ら ば 〕 … … 〔そ れ ら 〈甲 〉 が 所 縁 と言 わ れ る〕 の か 」 と い う こ の こ と に よ っ て 、 色 な ど の 個 々 の 極 微 は 〔そ れ 〕 自 体 と し て は 顕 現 し な い か ら、 ま た 、 集 合 体 の 形 相 と して 、 そ れ ら 〔色 な ど の 諸 極 微 〕 に 対 す る 識 は 顕 現 す る か ら 、 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 「所 縁 」 の 意 味 を 顕 現 の 意 味 と し て 示 す の で あ り、 〔ま た 〕 「は た ま た 、 〔存 在 す る 〕 通 りの … … 」 云 々 に よ っ て 〔 「所 縁 」 の 意 味 を 〕 原 因 の 意 味 と して 〔示 す の で あ る〕 。 「存 在 す る通 り」 と は 青 な ど の 自相 と して 、 で あ る 。 「別 様 に 顕 現 す る と して も 」 とは 、 集 合 体 と して 顕 現 す る と し て も 〔とい う意 味 〕 で あ る。 た と え 〔青 な ど 〕 自 体 の 顕 現 が あ る 知 を 生 じ させ な い と して も 、 そ う で あ る と して も 、 とい う 〔譲 歩 を 表 す 〕 の が 〔こ こ で 使 用 され て い る〕 「… … も 」(api)と い う語 の 意 味 で あ る 。 PS&PSV E.「 所 縁Jを 「顕 現 」 とす る場 合 の 第 一 の 誤 謬 【KP97a5-6;VD17a6-7,P16b3-4]以 上 の こ とか ら何 が 〔帰 結 す る の か 〕 。 も し、 そ れ ら と し て 似 現 す る 知 が 生 じ る な ら ば 、 同 様 に 、 五 識 身 は 集 合 体 を所 縁 とす る か ら 、 〔五 識 身 の 〕 所 縁 は 世 俗 有 に他 な らな い 。24

PST

● 2.3.3.L「 所 縁 」=「 顕 現 」 の 場 合 2.3.3.1.1.五 識 身 が 知 覚 で な い こ と に な る と い う誤 謬 の 指 摘 2.3.3.1.1.1.「 集 合 体 を 所 縁 と す る 」 の 解 釈 【91.13-17】 「集 合 体 を 所 縁 と す る か ら 」 と は 、 全 体(samnha)を 所 縁 と す る か ら 〔と い う こ と で あ る 〕 。 「集 合 体 」(sancita)は 集 合(sancaya)だ か ら で あ り 、 ま た 、 集 合(sancaya)は 全 体(samuha)で あ る 。 他 方 、 〔五 識 身 が 〕 集 合 体 を 所 uCf .Hattori[1968]p.33,1.30-p.34,1.2;Steinkeliner[2005]p.6,11.10-11

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龍 谷 大学 佛 教 学 研 究室 年 報 第15号2010.9.30 44 縁 とす る の は 、 【第 一 解 釈 】 そ れ ら(=諸 極 微)が 全 体 と し て 顕 現25す る か ら で あ る。 【第 二 解 釈 】 も し くは 、 「集 合 体 と して 所 縁 とす る か ら」 と い う 〔よ う に 読 む な ら 〕 、 全 体 と し て 似 現 す る か ら 、 と い う意 味 で あ る 。 〔 「所 縁 」 (alambana)は 〕 「こ れ に よ っ て 禁 縁 され る」 とい う 〔意 味 の 〕 手 段(karana)と して の 行 為 実 現 要 素(karaka)〔 を 表 示 す る語 〕 で あ る か ら 、 「所 縁 」 と い う語 に よ っ て 似 現 が 述 べ られ て い る の で あ る26。 2.3.3.1.1.2.論 証 式 の 提 示 【91.17-92.2]「 〔五 識 身 の 〕 所 縁 は 世 俗 有 に 他 な ら な い 」 に つ い て 。 〔五 識 身 は 〕 知 覚 で は な い 、 と 補 わ れ る 。 他 方 、 世 俗 有 を 所 縁 と す る 〔と い う〕 の は 、 全 体 は 実 体 と し て 存 在 す る の で は な い か ら で あ る 。 こ の こ と に よ っ て 、

遍充関係】

主題所属性 】

凡 そ 世 俗 有 を所 縁 とす る も の は 知 覚 で は な い 。 想 起 等 の よ うに。 感 官 知 も同 様 で あ る 。 と い う 、 能 遍 と 矛 盾 す る 〔も の を 証 因 とす る 〕 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 述 べ て い る の で あ る。 (vyapakavuvddha)帰 謬 論 証 を PS&PSV R「 所 縁 」 を 「顕 現 」 とす る場 合 の 第 二 の 誤 謬 【KP97a6・8;vD17a7・bl,P16b4-61よ ろ しい 。 識 に 青 な どが 顕 現 す る 場 合 ・ そ の 対 象 か ら 生 じ る知 は 知 覚 で あ る と し よ う。 つ ま り、 そ れ ら に お い て 、 そ の 集 合 体 は 仮 有 で あ る に も か か わ らず 、 実 有 の 形 相 が 把 握 され る わ け だ 。 しか し 〔そ うで あ

uこ の 段 に限 っ てSkt .のpratlbhasaを 「顕 現 」 、abhasaを 似 現 」 と駅 し分 け た 。 そ の 理 由 は 、 ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ が 「集 合 体 を所 縁 とす る 」(sa甲cit51ambana)と い う語 句 の 二 つ の 解 釈 を提 示 す る 際 に 意 識 的 に こ の 両 語 を使 い分 け て い る と考 え られ る か らで あ る。 26ジ ネ ー ン ドラ ブ ッデ ィ は この 第 二 解 釈 で 、 「所 縁」(alambana)と い う語 を 、 「肇 縁 す る 」(a-lamb)と い う行 為 の 実 現 に 手 段(karana)と し て 参 与 す る 要 棄(karaka)を 意 味 す る もの と説 明 す る。 つ ま り 、 「所 縁 」 とい う踏 は 「蜂 縁 す る」 とい う行 為 の 直 接 対 象(karman)を 意 味 しな い 、 と解 釈 す る の で あ る。 従 っ て、 第 一 解 釈 で は 「顕 現 」(pratibhiisa)と い う膳 が 用 い ら れ て い た の に 対 し、 こ の 第 二 解 釈 で は 「似 現 」 (abhasa)と い う躇 が 用 い られ るの で あ る。

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Pramanasamuccayatika第 一 章Vadavidhi批 判 試 訳(吉 田) 45 れ ば 〕 「実 体 や 数 な ど27と い う形 相 の 場 合 で も 〔同 じ こ と に 〕 な っ て し ま う。 と い う の も 、 そ れ らは 実 体 な ど と して 顕 現 す る か らで あ る。is

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● 2.3.3.1.2.実 体 、 数 、 な ど も知 覚 され て し ま う とい う誤 謬 の 指 摘 [92.3-14】 「そ れ(=諸 極 微 の 集 合 体 の 形 相)は ま さ に 実 有 な る 諸 極 微 か ら な る 形 相 で は な い の か 。 とい うの も 、 ま さ に そ れ ら(=実 有 な る 諸 極 微)が 相 互 に 助 け あ っ て 、 そ の よ う に 〔識 に 〕 顕 現 す る の だ か ら」 と い っ て 、 複 数 形 相 対 象 論 者 (anekakararthavadin)た ち29が 、 〔デ ィ グ ナ ー ガ の 主 張 が 〕 不 成 立 で あ る こ と を も し か す る と提 起 す る か も しれ な い と い う こ と を 懸 念 し て 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 「よ ろ しい … … 」 云 々 と 述 べ た の で あ る 。 「よ ろ し い 」(iC8111SIY1)と い うの は 〔仮 の 〕 承 認 の 意 味 で 〔用 い られ て い る〕 。 君(=複 数 形 相 対 象 論 者)の 考 え に よ れ ば 、 「識 に 青 な ど が 顕 現 す る 場 合 、 「そ の 対 象 か ら 〔生 じ る 〕 」 」 とい う こ の 定 義 に よ っ て 、 〔こ の 識 は 〕 知 覚 で あ る は ず だ 。 何 故 か と い う と、 「そ れ と い うの も … … 」 云 々 と 〔デ ィ グ ナ ー ガ は 〕 述 べ て い る。 「そ れ ら に お い て 」 、 す な わ ち 青 な ど と して 顕 現 す る 識 に お い て 、 「そ の 集 合 体 は 仮 有 で あ る に も か か わ らず 」 、 す な わ ち 青 な ど の 極 微 の 集 合 体 は 〔仮 有 で あ る に も か か わ らず 、 とい う意 味 〕 で あ る 。 と い う の も 、 君 が 認 め る 道 理 に よれ ば 、 た と え そ れ(=諸 極 微 の 集 合 体)は 仮 有 で あ る と して も 、 青 〔の 知 〕 や 黄 の 知 な ど に 実 有 の 形 相 が 認 識 され る の で あ る 。 【 「そ れ ら に お い て 」 の 別 解 釈 】 も し くは 、 「そ れ ら に 対 して 」 、 す な わ ち 青 な ど の 諸 極 微 に 対 して 、 実 有 の 形 相 が 認 識 され る の で あ る。 「しか し 〔そ うで あ れ ば 〕 実 体 や 数 な ど とい う形 相 の 場 合 で も 〔同 じ こ と に な っ て しま う〕 」 に っ い て 。 も し、 集 合 体 の 形 相 は 極 微 の 形 相 で あ る か ら勝 義 有 で あ rこ こ で 「真 体 」(dravya)と い うの は、 実 在 とい う意 味 で は な くて 、 ヴ ァイ シ ェー シカ 学 派 な どが 主 張 す る 「六 句 義 」 の 中 に含 ま れ る もの を 指 して お り、 具 体 的 に は 「壷 」 な どを 意 味 して い る 。 ま た 、 「数 」 とい うの は 、 これ も ヴ ァイ シ ェー シ カ 学 派 が 主 張 す る属 性 の一 種 と して の 数 で あ る。 こ れ ら は 励v励fに お い て さえ 実 在 と され な い こ とは い うま で も な い 。cf.Hattori【1968】p.119,note2.23 路Cf .Hattori【1968】p.34,Il.3・13;Steinkellner【2005】p.6,ll.12-14 29「 複 数 形 相 対 象 瞼 」(anek蜘hav記a)と は、 単 一 の もの が 複 数 の 形 相 を有 す る こ と を 露 め る説 で あ り、 そ れ に 従 え ば 、感 官 知 の 原 因 で あ る極 微 に は 、 そ れ そ の もの と して の 知 覚 不 可 能 な 極 め て 微 細 な形 相 と 、 知 覚 可 能 な 粗 大 な 集 合 体 と して の 形 相 と を 同時 に 有 す る こ と に な る。 ま た 、cf.Hattori【1968]p.119,note2.20

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龍 谷 大 学 佛 教 学 研 究 室 年 報 第15号2010.9.30 46 る とす れ ば 、 実 体 、 数 、 な ど も ま た 極 微 の 形 相 で あ る か ら勝 義 有 の は ず で あ る 。 従 っ て ま た 、 そ の 形 相 を も つ 識 が 擬 似 知 覚 で あ る と認 め られ て い な が ら も 、 知 覚 で あ る こ とに な る だ ろ う。 そ の 場 合 に も 、 「とい うの も 、 そ れ ら は 〔実 体 な ど と して 顕 現 す る か ら で あ る 〕 」 云 々 と 〔デ ィ グ ナ ー ガ が 〕 述 べ て い る こ の 論 理 を 述 べ る こ とが 出 来 る。 ・ PS&PSV G「 所 縁 」 を 「実 在 す る識 の 原 因 」 とす る 場 合 の 誤 謬 [KP97a8-b2;VD17b1-2,P16b6-7】 【反 論 】 さて 、 も し存 在 す る通 り の も の が 原 因 で あ る とす れ ば 、 実 体 な どの 〔知 が 知 覚 で あ る と い う〕 帰 結 は な い で あ ろ う。 そ の よ うに は そ れ ら(実 体 や 数 な ど)は 存 在 しな い か ら で あ る。 【答 論 】 し か し 、 そ う で あ れ ば 「或 る 〔対 象 〕 に つ い て そ れ(知)は 命 名 さ れ る 」 とい う こ の こ とは 不 可 能 で あ る。 とい うの も 、 知 は そ れ ら(=存 在 す る 通 り の も の)の 一 つ_.つ に 対 し て は 生 じな い か ら で あ る 。 ま た 、 集 合 し た そ れ ら は 個 々 に 原 因 で あ る が 、 そ れ ら の 集 合 体 〔は 知 の 原 因 〕 で は な い 。 〔集 合 体 は 〕 仮 有(*prajnaptisat)だ か ら で あ る。30

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● 23.3.2.「 所 縁 」=「 実 在 す る 識 の 原 因 」 の 場 合 2.3.3.2.1.1「 所 縁 」=「 実 在 す る 識 の 原 因 」 で あれ ば過 失 は な い とい う弁 明 [92.15-93.5】 「さ て 、 も し… … の 通 りの も の が 」 云 々 は 別 の 〔反 論 者 の 〕 主 張 の 陳 述 の 開 始 で あ る 。 「さ て 〔、 も し存 在 す る 通 りの も の が 原 因 で あ る とす れ ば 〕 … … 」 云 々 は 、 「実 体 な ど の 」 知 で あ る所 の も の が 知 覚 で あ る と い う 〔望 ま し くな い 〕 帰 結 は な い 、 とい う意 味 で あ る。 ど う して か とい う と 、 「そ の よ う に は そ れ ら は 〔存 在 しな い 〕 」 云 々 と述 べ て い る 。 「そ の よ うに 」 と は 、 壷 な どの 形 相 を も っ て 〔とい う意 味 〕 で あ る。 「そ れ ら は 」 と は 、 実 体 な ど は 〔とい う意 味 〕 で あ る 。 とい うの も 、 そ れ ら(=実 体 な ど)は 青 な どの 極 微 の よ う に 、 本 当 に存 在 す る の で は な い か らで あ る 。 そ し て 、 そ れ らに よ っ て 知 が 「壷 の 知 」 とか 「二 の 30Cf .Hattori[1968]p.34,11.14-27;Steinkellner[2005]g.b,11.15-18

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