龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 53
稔伽行派における衆同分
博 士 後 期 課 程 二 回 生 棲 井 良 彦0
はじめに
よく知られている様に、説一切有部(8町vastivadin以下有部)は、心不相応 行(cittaviprayuktasa:qlskara)を実有の法と考えるにその心不相応行のーっと して位置づけられている衆同分(nikayasabhaga)は、有部の諸論書において、 『諸有情にある共通性j、「諸有情にある共通性の原因』と定義され、有部の業 論、輪廻論において極めて重要な役割を担う法の一つで、ある2。この有部の立 場に対して、瑞伽行派(Yogacara)は心不相応行を仮有の法と見なす3。衆同分 も心不相応行に属するものである以上、この学派では仮有の法と見なされて いることに疑いはない。 そこで本稿は、瑞伽行派おける衆同分の定義と分類を、有部の衆同分の定義 や分類と比較しながら論ずることを目的とする。 *本論文で使用した略号については、本稿末尾の参考文献一覧を参照されたい。1
W
議伽師地論』における衆同分の定義と分類
先ず、『瑞伽師地論』の「摂決択分Jにおける衆同分の定義を考察する。 1有部の心不相応行については、高木俊一[1919トStherbatsky,Th. 11922ト深浦正文11951ト Jaini, P. S. 11959]、水野弘元 11961]、福岡琢 11990]、Cox,Collettl1995]等を参照。 2有部の衆同分の定義については、拙稿『衆同分についてJr印度学仏教学研究~49・1,
2000,
12 及び拙稿「説一切有部における衆同分の定義Jr仏教学研究~ 57{近刊)を参照。 又、有部の衆同分の分類について、別稿を準備中である。さらに、衆同分は、従来、 Stcherbatsky 氏(Stcherbatsky,Th. 11922)p. 24、p.105)、Jaini氏 (Jaini,P. S. 11959)p. 53η、梶山雄一 氏(梶山雄一11983)p.18)等の先学によって、 Va返匂ika学派等の普遍(samanya)と閉じ概念 であると見なされてきた。果たしてそうなのかどうかについても、現在別稿を準備中である。 3漁伽行派の心不相応行については、水野弘元[1961]p.31, pp.57-59, Jaini, P. S. [1959]pp.535・536,Kritzer, Rβbert[1999], Chapter VI, Prntityasamu勿ada and Cittaviprnyt品kta
-sa1Jl.Skarn(第六章縁起と心不相応行)pp. 209-281を参照。 Kritzer氏は、衆同分について
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議伽行派における衆同分(標井)1
.
1 W議 伽 師 地 論 』 に お け る 衆 同 分 の 定 義 (1 ) 『瑞伽師地論』は次の様に衆同分を定義する。rigs mthun pa gang zhe na / mdor bsdu na skye ba'i gn槌 de
dang der sems can khams mtshungs pa dang 'gro ba mtshungs pa dang / skye gn鎚 mtshungspa rnams kyi rigs dang na tshod
dang / rang bzhin dang bong tshod mtshungs pa la sogs pa yan lag de dang des ' dra ba ga時 yinpa de ni ris mthun pa ste / sems can mthun pa zhes kya時 bya'o/ (YBh. Viniscayasa:qlgrahaIj.I
,
D 23a.5・7,
P 26a2・3)4 [問1
衆同分とは何か。 【答】〔これに対して答える。〕略説するならば、それぞれの生処 における、同じ界、閉じ趣、同じ生の諸有情にある、同じ生まれ、 同じ寿命、同じ本質、同じ形量等のそれぞれの部分の類似性なる もの、それ(類似性)が衆同分であり、文有情同分性とも呼ばれる。 この定義において、衆同分は諸有情の類似性や共通性の側面から定義され ている。しかし、有部の『品類足論』や『婆沙論』等の様に5、単に諸有情の 類似性と定義するだけにとどまらず、その類似性に、「同じ生まれ、閉じ寿命、 閉じ本質、同じ形量jという具体性を付与している。この様に類似性に具体性 を付与して定義する仕方は、衆同分を 種種生処他衆生身心語言相似、是調衆生種類。(
w甘露味論~T
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)
生処における、様々な他の衆生との身・心・言語の類似性が、衆 生の種類(衆同分)と呼ばれる。 4玄奨訳は以下の通り。 復次云何衆同分。謂若略説。於彼彼処受生有情。同界同趣同生同類位性形等。由彼 彼分互相似性。是名衆同分。亦名有情同分。(0'論伽師地論n.T 30 p. 587blO-13) 真諦訳は次の通りである。 何者衆生種類似分。略説処.処受生諸衆生類。同界同道同生同類同年同姓。長短等 行。以依此分是諸相似。是名衆生種類似分。(Ii'決定蔵論n.T 30 p.l024.b28-c6) 5 0'品類足論n.T 26 p. 694a23・24(= Ii'衆事分阿毘曇論n.T 26 p.628c1~ド20) , 0'玉法行経』 T 28 p. 1001a24, Ii'五事論n.T 28 p. 997c23-24,旧訳『毘婆沙論n.T 28 p. 108a15, 0'婆沙 論n.T 27 p. 138a9.飽谷大学働教学研究室年報 第11号 2001年 3月 と定義する『甘露味論』や、 亦衆生種類者、生処巴生於此処衆生依及心相似。
(
w心論~ T 28 pp. 830c29-831a2) 「又、衆生の種類(衆同分)
J
とは、〔或る衆生の生まれた、或る〕 生処において、〔この或る衆生と〕既にその処に生まれている〔他 の〕衆生とにある、依(所依身)・心の類似性である。5
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と定義する「心論J系の諸論書6における衆同分の定義に、よく類似しているに1
.2
~職伽師地論』における衆同分の分類(1
)
『瑞伽師地論』は、上の衆同分の定義を為した後、次の様に詳細な衆同分の 分類を行っている。/ de la sems can gang dag khams mthun pa nyid kyis mthun pa yang yo de / khams gcig tu skyes pa gang dag yin pa rnams so / / 'gro ba ris mthun pa nyid kyis mthun pa yang yod te / 'gro ba gcig tu skyes pa gang dag yin pa rnams so / / skyes gnas mthun pa nyid kyis mtshungs pa yang yod de / skye gn鎚 gcigtu mngon
par 'grub pa gang dag yin pa rnams so / / rigs mthun pa nyid kyis mthun pa戸 時yodde / rigs gcig kho na la brten pa gang dag yin
6
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心論経』と『雑心論』とは、次の様に衆同分を定義している。 『心論経』における衆同分の定義 衆生種類、名ー趣生衆生身根長短来去住飲食自共分。(
r,心論経~ T 28 p. 866a13・14) 「衆生の種類(衆同分)Jとは、同じ趣の下に生まれた衆生にある、身体、諸娘、 [身体等の〕長・短〔といった形〕、来・去・住〔といった行動〕、飲食の、自ら の類似性を言う。 『雑心論』における衆同分の定義 種 類 者 、 衆 生 身 諸 根 支 節 事 業 飲 食 相 似 。 (w
雑心論JT
28 p. 943a16・17) f種類(衆岡分)Jとは、衆生にある身体・諸根・〔身体の〕諸部分・行動・飲食 の類似性である。 何れも、類似性に具体性を付与して定義している。 7Kritzer氏は、議伽行派の心不相応行法のリストと有部のそれとを比較して、心不相応行 に関する『稔伽師地論』の伝承は、『心論』と『入論』の聞の年代に、有部から分かれたものに ちがいない、と考える (Kritzer,Robert[1999] pp. 217-218)。 心不相応行法のリストという側面がそうであるならば、上の『議伽師地論』における衆同分 の定義は、『心論j系諸論書の影響を受けていると言い得るc5
6
議伽行派における衆同分(棲井)pa rnams so / / gang dag kha dog dang chu zhing dang sgra brjod pa dang 'tsho ba mthun pa nyid kyis mthun pa dag kyang yod do / / sems can gang dag yon tan dang skyon mthun pa nyid kyis mthun pa yang yod de / 'di lta ste srog gcod pa rn加 首 位oggcod
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(
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Viniscay出&早grahaI).i,
D 23a7・23b4,
P 26a3・26bl)8 そのうち、①有情なる者達には、界の同分性としての同分性があ る。〔それは、〕同じ界に生まれた者達に〔あるものである〕。②或 いは又、〔有情達には〕趣の衆同分性としての問分性がある。〔そ れは、〕同じ趣に生まれた者達に〔あるものである〕。③或いは 又、〔有情達には〕生(四生)の同分性としての同分性がある。〔そ れは、〕閉じ生に生まれ出た者達に〔あるものである〕。④或いは 又、〔有情達には〕生まれの同分性としての同分性がある。〔それ は〕他ならぬ閉じ生まれを所依とする者達に[あるものである〕。 ⑤或いは又、彼ら(有情達)には色・形貌・音声・生計職業(養命) の同分性としての同分性がある。⑥或いは又、有情なる者達には、 8玄襲訳は次の通りである。 此中或有有情由界同分説名同分。調同生一界。或有有情由趣向分説名同分。謂同生 一趣。或有有情自生同分説名同分。調同生一生。或有有情由類同分説名同分。調 同一種類。或有有情由分位体性容色形貌音声覆蔽養命同分説名問分。或有有情由 過失功徳同分説名同分。如殺生者望殺生者。広説乃至諸邪見者望邪見者。離殺生 者望離殺生者。乃至正見者望正見者。従預流者乃至阿緩漢独覚望預流等。菩薩望 菩薩。如来望如来。如是更互説名同分。(Ií論伽師地論~ T 30 p.587bl3-24) 真諦訳は次の通りである。 有諸衆生依是界分各有似分c於一界中衆生受生。以依五道各有似分。一一道中諸 衆生有諸衆生依生分生。一一生生依類分生。一一姓生。有諸衆生色声高広事業似 分。有諸衆生善悪似分各有似分。如殺生人共諸殺生。乃至邪見共邪見入。如離殺 人共諸離殺。乃至正見共正見人。須陀担人共須陀向。乃至鉾支仏其僻支仏。菩薩 共菩薩。仏共仏。名相似分。(真諦訳『決定蔵論~ T 30 p.1024c2・cll)能谷大学傍教学研究室年報 第 11号 2001年3月 功徳・過失の同分性としての同分性がある。例えば、殺生者達は 殺生者達と共通し、…中略…邪見者達は邪見者達と共通し、離 殺生者達は離殺生者達と共通し、…中略…正見者達は正見者達 と共通し、預流者より、阿羅漢、独覚に至る迄の者達は、預流者 等の者達と共通し、諸菩薩は諸菩薩と共通し、諸知来は諸如来と 共通する様に。
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この分類の特徴は、有情の輪廻再生状況の違いや行者の修行階位毎に衆同 分が立てられている点である。つまり、業論、因果論、修道論に基づく分類法 である。さらに、色・形貌・音声・生計職業(養命)の違いに基づく衆同分も 立てられている。 有部論書において、業論、因果論に基づく衆同分の分類は、『婆沙論』や『雑 心論』に見いだされる。 『婆沙論』は、先ず衆同分を異熟同分性と等流同分性とのこつに大別し、次 の様に詳細に分類している。 問此衆同分為長養為等流為異熟。答是異熟及等流非長養。非色法 故。異熟者謂趣向分等。如地獄趣有情展転相似。乃至天趣等有情 亦然。等流者謂界同分等。知欲界有情展転相似。乃至無色界等有 情亦然。有説。異熟者謂初生時得。如与父母等展転相似。等流者 謂後時方得。如与沙門婆羅門等展転相。似洲渚方土及族姓等有情 同 分 、 知 理 応 知 。 (w婆沙論~T
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[問】では、この衆同分は、長養のものであるのか、等流のもの であるのか、異熟のものであるのか。 {答】〔これに対して〕答える。これ(衆同分)は、異熟のもの及び 等流のものであって、長養のものではない。というのも、〔衆同分 は〕色法ではなし、からである。 <第一釈>異熟のもの(異熟同分性)とは、趣の同分性等を言う。 [それは〕地獄趣の有情が相互に類似していること〔を言う〕。… 中略…天趣等の有情もまた同様である。等流のもの(等流同分性) とは、界の同分性等を言う。〔それは]欲界所属の有情が相互に類 9cf旧訳『見婆沙論』 亦是報亦是依。報者説諸趣相似。如地獄衆生展転相似。如是余魅余生当知亦展転相 似G 依者説界相似。如欲界還似欲界。色無色界説亦如是。知界相似、如是方土族姓 居家比丘婆羅門学無学、亦応随相説。復有説者。報者初生時所得者是也。依者後 時所得者是也。如沙門還似沙問。婆羅門還似婆羅門。 (旧訳『毘婆沙論~T2泡 p. 108al6-23)5
8
稔伽行派における衆同分(楼井) 似していること〔を言う〕…中略…無色界等の所属の有情もま た同様である。 <第二釈>或る者達は[次の様に〕言う。「異熟のもの(異熟同分 性)とは、先天的に得ているものを言う。例えば、〔子供が〕父母 等と相互に似ている様に。等流のもの(等流同分性)とは、後天的 に得ているものを言う。例えば、沙門は相互に類似しており、バ ラモンも相lU
こ類似している様に。洲渚、方土及び族姓(種姓)等 の有情同分性も理に従って理解されるべきであるJ と。 『雑心論』は、衆同分を「種類(=衆同分、同分性)とは、衆生にある身体・ 諸根・〔身体の〕諸部分・行動・飲食の類似性である J10と定義した後、次の 様に衆同分を分類する。 彼種類有六種。所調、①界種類、②趣種類、③生種類、④処所種 類、⑤自身種類、⑥性種類。①界種類者、欲界衆生欲界衆生種類。 色無色界亦知是。②趣種類者、於ー趣生ー趣種類。③生種類者、受 一生一生種類。④処所種類者、生無択獄無択獄種類。乃至第一有 亦如是。⑤自身種類者、同生ー界一趣一生(一生者四生中一)、而 有種種自身知衆鳥。知是比。⑥性種類者、所菓性向是性種類。若 六 種 類 相 似 者 、 是 名 種 類 。 (w雑心論~T
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かの種類(衆同分)は、六種類である。即ち、①界の種類(界の衆 同分)、②趣の種類(趣の衆同分)、③生の種類(生の衆同分)、④処 所の種類(処所の衆同分)、⑤自身の種類(多様な性質としての衆同 分)、⑥性の種類(種姓の衆同分)である。 ①界の種類(三界の衆同分)とは、〔例えば〕欲界の衆生にある、欲 界の衆生の種類(衆同分)である。色・無色界も又同様である。 ②趣の種類(五趣の衆同分)とは、或る一つの趣に生じた、或る衆 生にある、その一つの趣の種類(衆同分)である。 ③生の種類(四生の衆同分)とは、或る一つの生を受ける者にある、 その一つの生の種類(衆同分)である。 ④処所の種類(処所の衆同分)とは、〔例えば〕無択地獄の種類(衆 同分)である。…中略…有頂の者についても文同様である。 ⑤自身の種類(多様な性質としての衆同分)とは、同じ様に或る一 つの界、或る一つの趣、或る一つの生(r
或る一つの生」とは、四 生の中の一つの生)に生じた者にある、さらなる多様な性質であ 10 Ií雑心論~ T 28 p.943a16・17.健 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第11号 2001年3月 る。例えば、多数の烏達の様に。この様に、推理されるべきであ る。 ⑥性の種類(種姓の衆同分)とは、生まれつきの種姓が同じ者にあ る、性の種類(種姓の衆同分)である。 〔以上の様に、〕六種類の相似があるので、これらを種類(衆同分) と呼ぶのである。
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有部は衆同分を実有のものと考え、瑞伽行派は衆同分を仮有のものと見な す11とし、う衆同分の根本理解において違いはあるとはいえ、又、分類の項目と 文言に違いがあるとはいえ、『婆抄論』と『雑心論』における衆同分の分類と 『瑞伽師地論』における衆岡分の分類には、分類が業論・因果論の観点から為 されているという点での共通性が見られる。より厳密に言えば、『璃伽師地論』 における衆同分の分類は、『婆抄論』における衆同分の分類より、『雑心論』に おける衆同分の分類と類似する。何故ならば、『婆抄論』は衆同分を異熟同分 性と等流同分性とに先ず大別し、この下で、詳細な分類を行っているのに対し、 『雑心論』と『瑞伽師地論』は、その様に二つに大別せずに、衆同分を細かく 分類しているという点で類似しているからである。1
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議 伽 師 地 論 』 に お け る 衆 同 分 の 定 義 と 衆 同 分 の 分 類(2)
又、『瑞伽師地論~r
摂決択分Jには次の様な衆同分の定義もある。 / ris凶 hunpa gn回 skabsgang 1a gdags / de rnam pa d u yod cena / smras pa / sems can 'dra ba'i gnas伽 bs1a'o / / rnam pa gsum ste / skye ba rigs mthun pa dang / rang bzhin rigs mthun pa dang / bzo dang 1as kyi gn回 kyis'tsho ba'i rigs mthun pa'o /
(YBh. Viniscay槌arpgraha:t:lI
,
D 73a7・bl,
P 77al-2)121
問】知何なる分位において仮設されるのか。又、それ(衆同分) は何種類あるのか。 [答1
(これに対して〕答える。有情が類似している分位において urr議伽師地論~T 30p.659a2-18, YBh. ViniscayasaIp.grahal).I, D 199a7-199b7, P 207b5 -208a8. 12玄奨訳は次の通り。 間依何分位建立衆同分。此復幾種。答依諸有情相似分位立衆同分。此復三種。所 謂種類同分、自性同分、工巧業慮養命同分。 <rr璃伽師地論~ T 30p.607b.18・21)6
0
議伽行派における衆同分(襖弁) 〔衆同分が仮設されるの〕である。〔その衆同分には〕三種類ある。 生まれの衆同分と本質の衆同分と工巧業処養命(美術・工芸等の仕 事によって生活する者)の衆同分とである。 この定義において、瑞伽行派の衆同分に対する基本的な立場が鮮明に打ち 出されていると考えられる。諸有情において、共通性を特徴とする何らかの実 有なる法があると考えるのではない。まして、その共通性を特徴とする実有な る法が諸有情の具体的な類似性の原因となり、その原因を衆同分と考えるので もない。言うまでもなく、衆同分等の心不相応行法が実有の法として存在する ことは否定されているからである13。或る一群の諸有情が存在している時、そ の一群の諸有情には一定の類似性なり、共通性なりが認められる。その類似し た、共通した局面に対して、衆同分という名称が適用されるのであると考えて いるのである。つまり、衆同分とは、何らかの点で、諸有情が相互に類似して いるという局面を言うのであり、そこに実在性は何ら付与されないのである。 また、衆同分の分類についていえば、生まれの衆同分(skyeba rigs mthun pa)という業論・因果論に基づく分類や、工巧業処養命(美術・工芸等の仕事に よって生活する者)の衆問分(bzodang las kyi gn剖 kyis'tsho ba'i rigs mthun pa'o)という職業上の区別に基づく分類が為されている。この点でr
w
瑞伽師 地論』における衆同分の分類(1)
J
に示した衆同分の分類と共通する。2
W
顕揚聖教諭』における衆同分の定義
次に、『顕揚聖教諭』における衆同分の定義を考察する。 衆同分者、調諸有情互相似性。(w顕揚聖教諭~ T 31 p. 484b12) 衆同分とは、諸々の有情相互の類似性を言う。 或る一群の諸有情には、何らかの点での類似性、共通性が認められる。『顕 揚聖教論』は、その類似性を衆同分と定義している。これは、衆同分を、類似 性や共通性といった性質の側面から定義するものであるが、その共通性を特 徴とする性質が、実有の別法として存在すると考えるのではないことは言う までもない。 13 r論伽師地論~T 30p.659a2・18,
YBh. Viniscayasarpgraha早II,
o
199a7・199b7,
P 207b5・ 208a8.縫谷大学{梯教学研究室年報 第11号 2001年3月 61
3
~阿毘達磨集論』における衆同分の定義
無着 (Asariga)は、『阿毘達磨集論』において、衆同分を次の様に定義する。
nikayasabhagalf katamalf /
t句arpte号a叩 sattvana早t槌 mi甲 tasminsattvanikaye
atmabhava-sad:r;sataya甲 nikayasabhagaiti prajnaptilf /
(AS(Gokhale) p.18.29・31
,
AS(Pradhan) p.11.5・7)14 [問1
衆同分とは一体何か。 [答】それぞれの有情の集まりに関する、それぞれの有情にある、 身体の類似性を衆同分と仮設する 『阿毘達磨集論』中の「有情の集まりに関するJ(sattvanikaye)という語をASBh
は、「天、人等の有情の類J( devamanu~y剖ieyu sattvajati号u)と注釈し ている。「身体の類似性をJ(atmabhavasad:r;satayarp) 15とし、う語を「同一種 類の性質J(ekajatlyatayam)と注釈している160最勝子 (Jinaputra)造とされ るTib.訳の釈論も同文である17。 14Tib訳は次の通りc / ris mthun pa g佃 gzhe na /sems can gyi ris de dang der sems can de dang de dag gi lus 'dra ba la ris mthun pa zhes gdags 80/ (AS(Tib) D 52b4, P 60b6-7) 漢訳は次の通り。 何等衆同分。謂知是知是有情。於種種類自体相似。仮立衆同分G
(
W阿毘達磨集論~ T 31 p. 665cl1-12) 15 r身体(atmabhava)Jについては、 Schmithausen,Lambert[1987Jpp. 552-566を参照。 16ASBhの解釈は次の通りである。 も箇mhp.stasmin sattvanikaya iもidevamamll}yãdi~u sattvajati号u/ atmabhava -sadrsatayam ity ekajatiyatayam / (ASBh p. 10.1-2) 『それぞれの有情の集まり」とは、「天、人等の有情の類Jである。「身体の類似 性Jとは、「同一種類の性質Jである。 17Tib.訳釈論の解釈は次の通りである。/s鈴ems白n町副ir巾isd由eda組ngde町rz油he笛sb句'yab加an凶il加h1冶aad品an暗g凶 l泌as印o酔gsp抑aぜ凶,1i同s卸emsc凶anl
町i凶8ky戸'eba rn加 芯s印u'o//ハl凶 'drab凶az油h邸 by拘ab加an凶irnamp戸ag酢斜d氾gp抑aが仇'0 (ASBh(Tiめ削b叫)D 8b4, P lObl-2) 「それぞれの有情の集まりJとは、「天、人等の有情の類Jである。「身体の類似 性Jとは、「同一種類の性質Jである。 また、最勝子造とする Tib.訳の本論・釈論合冊本と、安慧(Sthiramati)が合探したとさ れている漢訳の『大乗阿毘達磨雑集論』は、次の通りであり、本論・注釈の文共に、上記AS、 ASBhと同文である。
62 論伽行派における衆同分(棲井) つまり、「衆同分とは、天・人等の諸有情にある共通なる性質である」とい う意味である。
4
W五組論』における衆同分の定義
次に、世親 (Vasubandhu)造『五雄論』において、衆同分がどの様に理解さ れているのかを、『五撞論』に対する諸注釈書を援用しながら考察したい。/ ris mthun pa gang zhe na /
g組 gsems can rnams kyi lus 'dra ba'o /
(PSP D 15a5
,
P 16b4)18 【問】衆同分とは如何なるものか。 【答】〔これに対して答える。衆同分とは、〕諸有情にある、身体 の類似性である。 以上の様に『五誼論』は、『阿毘達磨集論』と同様に衆同分を定義している。 この衆同分の定義の言葉各々に対して、諸注釈書は些か詳細に註解する。 先ず、『有情 (semscan)Jとし、う語を、 Tib.訳安慧釈と地親 (*Pr
:
thivibandhu) 釈は次の様に註釈している。 Tib.訳安慧釈sems can ni lha dang mi la sogs pa 'gro ba lngar gtogs pa rnams so / (PSPV D 228b6, P 41b7)
「〔諸〕有情」とは、天・人等の五趣所属の者達である。
Tib.訳 ASV(最勝子造)における衆問分の解釈
/出 mthunpa g加 gJsemsc佃 町iris de da碍 dersems can de dang de dag
giris 'dra ba la ris mthun pa zhes gdags回
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J
sems can gyi ris de dang derzhes pa ni lha dangmi la回gspa'i sems can gyi ris rnams su'o /
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ris 'dra bazhes pa凶skyeba gcig pa rnamsω
J
(ASV D. 132a6・7,
P 161a2・3)漢訳『雑集論~ (安慧合探)における衆問分の解釈 衆同分者、謂如是如是有情於種種類自体相似仮立衆問分。於種種類者、於人天等 種類差別、於自体相似者。於一種類性(Ií雑集論~ T 31 p. 700b18・20) 18漢訳は次の通り。 云何衆同分。謂諸有情自類相似為性。(Ií五組論~ T 31 p. 849c15-c16) cf漢訳(地婆詞羅訳)安慧造『広五種論』 云何衆同分。謂諸群生各各自類相似為性。(Ií広五種論~ T 31 p. 854bl3)
龍 谷 大 学 偽 教 学 研 究 室 年 報 第 11号 2001年 3月
地親釈
lha dang mi dang byol song dang yi drags dang serns can dmyal ba ste / 'gro ba lngar skyes pa la sems Can zhes bya'o / (PSBh D 87a3
,
P 170al) 天・人・畜生・餓鬼・地獄という五趣に生まれた者を「有情jと名 付ける。 次に「身体(lus)J 19という語を、安慧と地親は次の様に註釈している。 Tib.訳安慧釈/ de dag gi bdag gi dngos por gang la ' dzin pa de sems can rnams kyi lus yin te / de yang nye bar len pa'i phung po lnga pO nyid dam phung pO bzhi'i bdag nyid do / (PSPV D 228b6
,
P 41b7-b8) 被ら(諸有情)は、甲を自分自身として把握する。その甲が諸有情 の身体である。そしてそれ(身体)は、五取組、或いは四組よりな るものである。地親釈
/ sems can de dag dngos pO gang la bdag gam bdag gir 'dzin pa'i dngos pO de la lus zhes bya ste / 'dod pa dang gzugs kyi khams na ni phung pO lnga la bdag tu 'dzin / g伊zug伊sme吋dpaぜ凶'ikha剖釦I口ms n
凶iphunmgpO b口 zh吋iila bda碍gt旬u'dz討inp邸 dondu na phung pO lng
a
ala lus z油he白sby戸a'o/ (PSBh D 8肝7
a
3
-
a
4
,
P 17叩Oa叫1-a2) その諸有情が甲という事物を、自己、或いは自己に属するものと 把握する場合、その甲という事物を身体(atmabhava)と名付ける。 欲界と色界とにおいては五趨を自己と把握し、無色界においては 四撞を自己と把握するので、実際上、五殖を身体(atmabhava)と 名{寸ける。 63 安慧と地親は、「身体の類似性(lus'dra ba)Jという言葉を、 ASBhの様に 簡単に注釈しない。『身体Jを諸有情の『五雄J(色・受・想・行・識)、無色 界の者にとっては「四組J(受・想・行・識)とする。これによれば、「身体の 類似性Jは、「諸有情の五謹(無色界の者にとっては四離)の類似性jを意味す 19r
身体(atmabhava)Jについては、 Schmithausen,LambertI1987]pp.552-566を参照。64 論伽行派における衆同分(棲井) る。つまり、「衆同分とは諸有情の心身の類似性Jということになる。とすれ ば、
r
w
瑞伽師地論』における衆同分の定義(1)
J
と同様に、類似性に具体性 が付与されていることになる。 又、『類似性Jに関連して、地親は次の様に衆同分を詳細に分類している。 地親釈/ so so'i phung po lnga char mthun pa la lus 'dra ba 油 田 bya ste/
mi yang mi rnams dang phung po lnga 'dra / lha yang lha rnams dang phung po lnga 'dra / byol song yang byol song rnams dang phung po lnga mthun pa la ris 'dra ba zhes bya'o /
/ de la dbye na phung po lnga mthun pa 'ba' zhig la ris 'dra ba zhes gdags par ma zad kyi rgyal po so so'i cha lugs dang spyod pa mthun pa la yang ris 'dra ba zhes bya ba dang / skyis pa yang skyes par cha lugs mthun / bud med kyang bud med dang cha lugs mthun / ma ni昭 yangma ni時 dangcha lugs mthun / dge slo時 phayang dge slong pha dang cha lugs mthun / dge slong ma yang dge slong mar cha lugs mthun / dge bsnyen pha yang dge bsnyen phar cha lugs mthun / dge bsnyen ma yang dge bs町enmar cha lugs mthun pa dang / byol song yang nang dbye na rta yang rtar cha lugs mthun pa la sogs pa cha lugs mthun pa zhes bya'o /
(PSBh
D 87a4-7,
P 170a2-6) 五離がそれぞれ部分的に共通していることを、身体の類似性と名 付ける。 人には、[他の〕人々との五離の類似性がある。天には、〔他の〕諸 天との五殖の類似性がある。畜生には、〔他の〕畜生との五殖の共 通性がある。〔その類似性、共通性が〕衆同分と名付けられる。 それを詳細に分析すれば、五殖に共通性があり、〔それが〕衆同分 であると仮説されるばかりでなく、国王各々に外観・行動の共通 性があり、〔それが〕衆同分であるとも仮説されるのである。そし て又、男には、〔他の〕男との外観の共通性がある。女には、〔他 の〕女との外観の共通性がある。母には、〔他の〕母との外観の共 通性がある。比丘には、〔他の〕比E
との外観の共通性がある。比E
尼には、〔他の〕比丘尼との外観の共通性がある。優婆塞には、 〔他の〕優婆塞との外観の共通性がある。優婆夷には、〔他の〕優 婆実との外観の共通性がある。畜生には、内を分けてみれば、馬能谷大学{務教学研究室年報 第 11号 2001年3月 には、〔他の}馬との外観の共通性がある。〔その共通性が〕衆同 分と名付けられるのである。 65 この地親による衆同分の分類は、先の『瑞伽師地論』における衆同分の分類 と同様、業論・因果論・修道論に基づく分類法と言える。 さらに、衆同分は別個の実法として存在するものではなく、或る諸有情の五 離が類似しているという局面に対して仮に立てられるものにすぎないことを、 地親は念を押す様に次の様に結論付けている。 地親釈
/ de ltar na phu時 polnga mthun pa la ris 'dra ba zhes bya b舗
ris 'dra ba yang gzugs dang sems dang sems las byung ba'i dus la gdags par zad kyi rdzas su m吋 do/ (PSBh D 87a7
,
P 170aふ7) そうであるならば、共通する五離に衆同分があると考えて、衆同 分は、色・心・心所という分位に仮説されるのであって、実物と しては存在しないのである。 徳光(Gu平aprabha)は、世親による衆同分の定義を次の様に註釈している。 徳光釈/ ris mthun pa gang zhe na / gang sems can rnams kyi lus 'dra ba'o / / sems can gyi ris de dang de dag na sems can de dang de dag gi lus dang dbang po dang dbyibs dang gyo ba dang kha z舗
la sogs pa mthun p町 byedpa dang / phan tshun du mngon par
dka' ba'i 'brel pa'i rgyl
山 //
de la 'gro ba 'dra ba ni 'dra ba ste / lus mtshungs pa nyid kyis 'dra ba ni 'dra ba'o / (PSV D 23b5-b6,
P 92bl・b3) く徳光所引世親本論> (問]衆同分とは何か。 [答] (これに対して答える。衆同分とは、〕諸有情にある、身体 の類似性である。 <徳光釈>それぞれの有情の集まりに関する、それぞれの諸有情 にある、身体・諸根・形・行動・飲食等を共通にさせるもの、並び に相互に楽欲〔が類似すること〕の原因である。そのうち、類似 性とは、趣の類似性である。類似性とは、身の類似性による類似 性なのである。66 論伽行派における衆同分(棲井)
この徳光釈は、衆賢(Sarpghabhadra)の
W
Ji慎正理論』における衆同分の定義 と似ている。一趣等生、諸有情類、所有身形諸根業用及飲食等互相似因、井其展 転 相 楽 欲 因 、 名 衆 同 分 。 (WJI慎正理論~
T
29 p.400a18-20)品rirendriyasarpsthanace斜計laradisabhagyakaraI,laIpanyonyabhir abhisarpb叫ldhanimittarpωabhagata/ (quoted in
AKV
p.159ふ 10)20 同分性とは、同じ趣に生じた諸有情にある、身体・諸根・〔身体 や諸根の〕形・行動・飲食等の類似性の原因、並びに相互に楽欲 〔が類似すること〕の原因である。 衆賢は、衆同分を、有情の身体・諸根・その身体や諸根の形・行動・飲食・若 しくは楽欲といった具体的なものの類似性の原因であると定義する。つまり、 有情の類似性を為すもの、類似性を為す能力という角度からの定義である。或 る一群の有情達が甲を得することに基づいて閉じものとなる場合、その甲を 衆同分と呼ぶのである。 では徳光は、この衆賢と同じ理解をしていたのだろうか? それは違うと考えられる。『五離論』は瑞伽行派の立場から書かれた論書で ある。瑞伽行派にとって心不相応行法は、仮有の法である21。瑞伽行派におい て、かかる仮有の法の一つである衆同分が、何らかのはたらきを為す能力を持 つものとして取り扱われるはずがない。だが、諸有情には何らかの類似性が認 められる。しかしそれは衆同分とし、う実有の法の所産なのではなくて、過去の 潜在印象を原因として生じた類似性22であると理解するのが、瑞伽行派の理解 20Tib.訳は次の通り。lus dang db釦 gpo dang dbyi出 dangsl明 dpa d佃 igZ描 lasogs pa brten pa mtshungs pa nyid kyi rgyu dang phan tshun mngon par dga' ba'i rgyu mtshan ni skal pa mnyam pa nyid yin no j(quoted in AKV(Tib) D 147b1,P 166b1・2) 21 r稔伽師地論~
r
摂決択分JT 30 p. 659a2-18, YBh. ViniscayasarpgrahaI)I, D 199a7 -199b7,
P 207b5-208a8. 22cfr
成唯識論』 若調為因起同事欲知実有者。理亦不然。宿習為因起同事欲。何要別執有実同分。 u成唯識論~ T 31p.5bl2) もし、〔同分性(=衆同分)が〕原因となって、同じ行動や欲望を起こすという理 由で、〔同分性は〕実有のものであると知られるというならば、そのことは正し くない。〔同分性を原因としてではなく、〕潜在印象を原因として、同じ行動や欲 望を起こすのである。どうして、別個の実有の〔法として〕同分性があると考え る必要があろうか。[いや、ない。〕能谷大学{掃教学研究室年報 第11号 2001年3月 67 としては適切である。つまり、上の徳光の解釈は、その類似性の原因である潜 在印象に、衆同分を附託していると理解される。
5
W成唯識論』の衆同分理解
最後に『成唯識論』における衆同分理解を考察したい。 復知何知異色心等有実同分。契経説故。如契経説、此天同分此人 同分、乃至広説。此経不説異色心等有実同分、為証不成。若同智言 因斯起故、知実有者、員IJ草木等応有同分。又於同分起同智言、同 分復応有別同分。彼既不爾。此云何然。若謂為因、起同事欲、知実 有者、理亦不然。宿習為因、起同事欲。何要別執有実同分。然依 有情身心相似分位差別、仮立同分。(w成唯識論~ T 31p
.
5b6・15) [瑞伽行派】又、どの様にして、色・心とは別個のものとしての、 実有の同分性(=衆同分)が存在するいうことが知られるのか? 【有部】経典において説かれているからである。経典には〔次の 様に〕説かれている。「これは天の同分性であり、これは人の同分 性である」云々と。 【瑞伽行派] 1) この経典においては、色・心等と別個のものと しての、実有の同分が存在するいうことが説かれているわけでは ないので、〔教〕証となっていない。 2)もし、同じ知と言葉が、これ(同分性)を原因として起・こると いう理由で、〔同分性は〕実有であると知られるのだ、というなら ば、草木等〔の無情のもの〕にも同分が在ってしかるべきである。 3)文、同分性に対しても閉じ知と言葉が起こるとするならば、同 分性にさらに別の同分性があることになってしまおう。そして、そ のこと(同分性においてさらに別の同分性があること)は正しくな い。どうしてこれ(同分性)が〔有ることが〕正しくあろうか。[し、 や、正しくない。]23 4)もし、〔同分性(=衆同分)が]原因となって、同じ行動や欲望 を起こすという理由で、〔同分性は〕実有のものであると知られる というならば、そのことは正しくない。〔同分性を原因としてでは なく、〕潜在印象を原因として、同じ行動や欲望を起こすのである。 23cfr
成唯識論述記JT 43 p.280b18-19: 論:彼既不爾此云何然。述日:彼同分既無同分不爾。此法何為許然有。68 論伽行派における衆同分(慢井) どうして、別個の実有の〔法として〕同分性があると考える必要 があろうか。〔し、や、ない。〕 有情の心身が類似している局面の違いに基づいて、同分性が仮に 立てられるのである。 上の『成唯識論』の衆同分実有説批判の内、 1) ---3)迄は『倶舎論』の中 に見いだされるものである。『倶舎論』にある、衆同分実有説批判は、 (1)異生 性無用の論難、
(
2
)
知覚によって知られないとの論難、(
3
)
推理によって知られ ないとの論難、 (4)衆同分無用の論難、 (5)何故非有情の衆同分がないのかとの 論難、 (6)衆同分にさらに別の衆同分が必要となるとの論難、 (7)Vais句ika学 派の普遍をたてることになるとの論難、(
8
)
教証が教証たり得ないとの論難、 である2
¥
r
成唯識論』における衆同分実有説批判の内、 1)は(8)に、 2) は(
5
)
に、 3) は(
6
)
に、それぞれ対応する。 『倶舎論』の衆同分実有説批判(
5
)
api casattvasabhagatapi kirp neeyyate / s剖iyavamudgam匂 amra-panasalohak記canadI尚 早svaj批isad
r
S
yat/(AKBh
p. 68ふ3?5さらに、何故、無情の伺分性があることを認めないのか?何故な らば、米・麦・ムドガ・マーサ・マンゴー・パンの木・鉄・金等は、 〔各々〕自らの類と類似しているからである。
<
c
f
r
成唯識論』の衆同分実有説批判2
)
>
『倶舎論』の衆同分実有説批判
(
6
)
tas盈p ca sabhagatanam anyonyabhinnanarp katharp abhedena sabhagata prajnaptil,lkriyate /
(AKBh
p. 68.3)2624 AKBh pp. 67.25・11,AKBh(Tib) D 74a6・74b5,P 84a5-84b6 ,玄襲訳『倶舎論~ T 29 p.
24a13-b11 ,真諦訳『倶舎釈論~ T 29 p. 182c5・c22.
25対応するTib.訳、漢訳は次の通りである。
gzhan y加 gsems can ma yin pa'i5回1ba mnyam pa nyid kyang ci'i phyir mi
'dod de / sa lu dang nas dang mon sran地 'udang mon srangr山 dangamra
dang shing開 B笛 danglcags dang gser la sogs pa rnams rang gi rigs 'dra ba'j
phyir ro / (AKBh(Tib) D 74bl・2
,
P 84a8-84bl) 又何因不許有無情同分。諸穀麦豆金鉄苓羅半郷婆等、亦有自類互相似故。 (玄襲献『倶舎論~T 29 p. 24a27・29) 復次云何不許非衆生有同分。如舎利穀饗豆波那婆荏羅鉄金等、自性類等故。 (真諦釈『倶舎釈論~T 29 p. 182c10-11) 26対応するTib.訳、漢訳は次の通りである。館谷大学悌教学研究室年報 第11号 2001年3月
文、その諸問分性は、相互に異なるものであるので、どうして、異 なりなきものとして、同分性があると仮説されるのか?
く cf W成唯識論』の衆同分実有説批判3)
>
『倶舎論』の衆同分実有説批判(8)
yadi dyotita yadi na dyotitaQ27 / asty eva28 tu sabhagata sutre vacan剖 itiVaibh匂ikaQ/ ukta叩hibhagavata sa ced itth
a
r
p
.
tvam agacchati manu号y匂瓦甲sabhagatamiti / uktam etan na tukta早dravyantaram iti / ka tarhi sa / ta eva hi tathabhutaQ sa早skara ye号umanu~yãdiprajñaptiQ 釘lyãdh;m sabhagatavat /
(AKBh p.68ふ8)29 Vaibh拘ikaの者達は〔次の様に言う)0 [Vais匂ika学説を〕顕すと しても顕さないとしても、経典において説かれているという理由 から、同分性は必ず存在するのだ。実際、世尊は、「もし、彼が、 この様になるならば、人の問分性をJ と説いている。 [批判}以上の様に説かれているとはいえ、別個の実物〔として同
skal ba mnyam pa phan tshun tha dad pa de dag kyang ji ltar bye brag med par skal ba mnyam pa nyid du 'dogs par byed /
(AKBh(Tib) D 74b2
,
P 84b1・2.)如何於彼更無同分、而起無別覚施設耶。(玄奨訳『倶舎論~ T 29 p. 24a29-b1)
如此等同分更互有異。云{可可説不異同分。(真諦訳『倶舎釈論.11T 29 p. 182c12)
69
27Sastri本により、"dyotita"を“dyotitaQ"に訂正する。 TheAbhidharmako却 &Bha{Jya 01
AcaryαVasubαndhu wi的SphutarthaGommentary 01瓦caryαYaSomittr,aedited by Sastri,
s
.
D.,
Vol. 1,
Bauddha Bharati Seriesら6,
Varanasi,
1998,
p. 183.8.28Tib訳により“e手"を“eva"とする。
29対応するTib.訳、漢訳は次の通りであるc
/ bye brag tu s町 abam制 sna re gal te gsal bar by部 kyangrung / gal te
gsal bar ma byas kyang rung ste / mod 1槌 'byungba'i phyir s凶 bamnyam pa ni yod pa地ona ste / bcom ldan 'das kyis kyang brgya la凶 rnamsdang
skal ba mnyam pa 'di lta bu nyid du 'ong na zhes gsungs 80 zhes zer ro / de skad gsungs mod kyi rdzas gzhan no zhes ni ma gsungs so / / '0 na cizhe na / gang dag lami la sogs par 'dogs pa'i 'du byed de lta bur gyur pa de dag kho nar zad de / sa lu la 80gs pa'i skal ba mnyam pa dang 'dra'o /
(AKBh(Tib) D 74bら5
,
P 84b3-6.) 又縦於彼若顕不顕、然此同分必有実物。契経説故。如世尊言。若還来此得人間分。 乃至広説。雛有是説而不説言別有実物名為同分。若爾所説同分是何。即如是類諸行 生時。於中仮立人間分等、如諸穀麦豆等同分。(玄奨訳『倶舎論.11T. 29 p. 24bふ11) 若顕成若不顕成、実有同分。由経所証。仏世尊説。若此人還成此類、謂於人衆同 分実有量日此説。非説別有物。若官官此経所顕同分是何法。是有為法知此生起於中仮 説人天等。如説舎利穀等同分。(真諦『倶舎釈論.11T 29 p. 182c17-23)7
0
議伽行派における衆同分(棲井) 分性が〕あると説かれているのではなくて、その様な諸有為〔法〕 が有る場合、それら(諸有為法)に対して、人等が仮説されるので ある。米等に対して、〔米の〕同分性が〔仮説される〕様に。真実 として、〔同分性が有ると〕述べられているのではない。<
cfW
成唯識論』の衆同分実有説批判 1)>
さらに、『成唯識論』の衆同分実有説批判4)も、同じ世親の著作で、経量 部から瑞伽行派への過渡的な論書とされる30W
成業論』に基礎を見いだすこと が出来る。 『成業論』における衆同分理解 / srid pa'i rtse mo'i phyirmi 'ong ba zad par byed pa rnams ci yang med pa'i skye mched kyi zag pa med pa'i sems mngon du gyur pa na / gang gis na de dag de n槌 shima 'phos so zhes byabar 'gyur ba srid pa'i rtse mo pa'i 1us kyi rdzas gzhan gang zhig 1us ris mthun pa 'am srog gi dbang po'i rdzas gzhan niciyang med do / / rnam par srr山 pa'iphung po'i 'dra ba dang 'phen pa tsam 1a de 'dogs pa'i phyir ro / / 'dra ba
'抑制
lenpa'i rdz槌gzhan y加 gmed de 'br拙 sa1u 1a sogs pa'i 1jang bu 'dra ba dang
'phen pa bzhin no / de b出 nagdon mi za bar ji skad bshad pa'i rnam par shes pa gzhan 'dod par bya'o / (KS(Muroji) p. 41.12-23
,
D 142a7.・142b2,
P 165a4-a7) 有頂の者として在り、不還〔の聖者〕であり、漏尽を行ずる者達 が、無所有処の無漏心を起こした時、有頂の身(=所依)という何 らかの別個の実物なるものが、つまり衆同分や命根という別個の 実物が身(=所依)として存在するのでは決してない。もしあると すれば、彼らがそれ(有頂)より死没しないということになろうが。 何故ならば、それ(衆同分と命根)は、異熟の菰(ここでは異熟の 識)にある類似性と勢いとに対してのみ〔それぞれ〕仮設されるも のであるからである。そして、類似性・勢いという別個の実物が あるのでもないのである。稲等の稗の類似性と、{稲等の碍の〕勢 いの様に。それ故に、上述の別個の識があるということが認めら れなければならない。 30cf松閏和信 [1984];を参照。松田和信 [1984]は、世親の著作順を AKBh→『釈軌論』 ( Vyakhyayukti)→ KS-r縁起経釈論~ (Pratit抑samutpadavya肋ya)とする。能谷大学{弟教学研究室年報 第11号 2001年3月
7
1
『成唯識論』と『成業論』の衆│司分理解の違いは次の点に見いだすことが出 来る。『成唯識論』が、無始以来の潜在印象に附託している衆同分は、『同じ行 動や欲望の原因j と定義されるものであるのに対し、『成業論』が異熟識に附 託している衆問分は、「諸有情の類似性そのものjである。 有部の衆同分の定義には諸論書の聞に違いが見られる。その違いは、衆同 分を①「類似性としての本質、性質jの面から定義するもの31と、② f諸有情 の具体的な類似性の原因としての能力jの面から定義するもの32とのこつに大 別することが出来る。①の定義はn
頂正理論』以前の有部論書に見いだされ、 ②の定義は、『順正理論』以降の有部論書に見いだされる。 WJI慎正理論』の衆同 分の定義は、①と②を併せ持つ。『順正理論』以降、何故、①に加えて②の定 義を為すようになったかについては、衆同分仮実論争に答え、無情のものにど うして衆同分がないのかという疑義に答え、異生性と異生同分との混同の問題 を解決するという三つの目的があったのではないかと考えられる。このこと については他所で既に論じた33。私はこの①と②の違いを、衆同分という概念 そのものの変化というよりも、定義を厳密化させるための表現の違いと考え たい。つまり衆同分の本質、性質そのものは一体何かという視点から見れば、 衆同分は「諸有情の類似性、共通性」ということになるし、輪廻転生した諸有 情において、衆同分は一体如何なるはたらきを為すものなのか?という視点 から定義すれば、衆同分は「諸有情の行動・欲望などを類似させる原因Jであ る。衆同分という概念そのものの変化ではないと考えられる。 『成唯識論』は、潜在印象にある、諸有情に閉じ行動や欲望を生じさせる能 力という側面に、衆同分を附託しているのであり、『成業論』は、諸有情に同 じ行動や欲望を生じさせる異熟識にある類似性に、衆同分を附託しているの である。 以上の様に、『成唯識論』の衆同分実有説批判は、世親の『倶舎論』や『成 業論』の内容を承けたものであると考えられる。 31 r品類足論~ T 26 p. 694a23・24,(= w衆事分阿毘曇論~ T 26 p. 628c19-20), W五法行経』 T 28 p. 1001a24,r
玉事論JT 28 p. 997c2与24,I日訳『毘婆沙論JT 28 p. 108a15,r
婆沙 論J
T 27 p. 138a9,r
甘露味論J
T 28 p. 979c9・10,r
,心論J
T 28 pp. 83Oc29・831a2,W
心論 経J
T 28 p. 866al3-14,
r
雑心論J
T 28 p. 943a16・17,
AKBh p. 67.14・15,
AKBh(Tib) D 74al-2, P 83b6-7,玄奨訳『倶舎論~ T 29 p. 24a8-1O, r順正理論~ T 29 p. 400al6-18. 32 WJI頃正理論JT 29 p. 400a18-20, AKV p. 159.9-10, AKV(Tib) D 147b1, P 166b1・2,PAA D 319a1
,
P 412a6・7(=r
入 論JT 28 p.987b4・5),
ADV p. 89.4.7
2
論伽行派における衆同分(棲井)6
おわりに
本論文は次の点を明らかにした。 先ず衆同分の定義については次の通りである。 ①r
w
瑞伽師地論』における衆同分の定義(1)
J
は、「諸有情の類似性」に 具体性を付与しているという点で、「心論j系諸論書の影響を受けていると考 えられ得る。 ②i
W
瑞伽師地論』における衆同分の定義(2
)
J
と『顕揚聖教論』における衆 同分の定義は、単に「諸有情相互の類似性Jと定義するだけであるので、『品 類足論』や『婆抄論』における衆同分の定義と共通する。 ③『阿毘達磨集論』における衆同分の定義と『五趨論』における衆同分の定 義とは共通する。 ④『五趨論』における衆同分の定義にある「身体の類似性jを、安慧と地親 は、『諸有情の五趨(無色界の者にとっては四誼)の類似性jと理解する。安慧 と地親の理解に従えば、「諸有情にある、身体の類似性」とする『五極論』の 衆同分の定義は「類似性Jに具体性が付与されていることになるので、i
W
瑞 伽師地論』における衆同分の定義(1 )Jと共通するものとなる。 次に衆同分の分類については次の通りである。 ①『瑞伽師地論』における衆同分の分類は、業論・因果論・輪廻論に基づく ものであり、この点で、『雑心論』の衆同分の分類と共通し、ひいては『婆抄 論』の衆同分の分類とも類似する。 ②地親のPSBhにおける衆同分分類は、業論・因果論・修道論等の視点か ら為されており、『瑞伽師地論』のものと共通する。 最後に『成唯識論』の衆同分実有説批判は、その何れもが、世親の『倶舎 論』や『成業論』に基礎を見いだすことが出来るものである。 本論文では、衆同分とし、う術語が、瑞伽行派の法相論や業論等において、ど の様な文脈で登場し、京日何なる役割を果たしているのか?という文脈上の考察 を全く為すことが出来なかった。この点は、今後の課題とする。錨谷大学{部教学研究室年報 第11号 2001年3月
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,
P 5569. PSP=
*
p
,
αncaskαndhα:prα,kαTαpα,
D 4059,
P 5560.7
4
議伽行派における衆同分(慢井)PSPV
=*pαñcαskαndhαprakαra'f}avibh~ã,D
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3
8
,
P5
5
3
9
.
(
2
)
漢訳及び漢文注釈書 『阿毘達磨集論~ =無着菩薩造『大乗阿毘達磨集論』玄襲訳,T
3
1
,N
o
.
1
6
0
5
.
『甘露味論~ =大徳星抄造『阿毘曇甘露味論』失訳,T
2
8
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o
.
1
5
5
3
.
『倶舎釈論~ =世親造『阿毘達磨倶舎釈論』真諦訳,T
2
9
,N
o
.
1
5
5
9
.
『倶舎論~ =世親造『阿毘達磨倶舎論』玄奨訳,T
2
9
,N
o
.
1
5
5
8
.
旧訳『毘婆沙論~ =迦栴延子造,五百羅漢釈『阿毘曇毘婆沙論』浮陀蹴摩, 道泰等共訳,T
2
8
,N
o
.
1
5
4
6
.
『決定蔵論~ =真諦訳,T
3
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.
1
5
8
4
.
『顕揚聖教論~ =無着菩薩造,玄奨訳,T
3
1
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o
.
1
6
0
3
.
『広五誼論~ =安慧菩薩造『大乗広五躍論』地婆詞羅訳,T
3
1
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o
.
1
6
1
3
.
『業成就論~ =天親(世親)普薩造,毘目智仙訳,T
3
1
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o
.
1
6
0
8
.
『五離論~ =世親菩薩造『大乗五雄論』玄奨訳,T
3
1
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.
1
6
1
2
.
『五事論~=
~薩婆多宗五事論』法成訳,T
2
8
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.
1
5
5
6
.
『五法行経~=
~阿毘曇五法行経』安世高訳,T
2
8
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o
.
1
5
5
7
.
『衆事分阿毘曇論~ =世友造,求那政陀羅訳,T
2
6
,N
o
.
1
5
4
1. 『順正理論~ =衆賢造『阿毘達磨順正理論』玄襲訳, T2
9
,1
5
6
2
.
『成業論~ =世親菩薩造『大乗成業論』玄襲訳,T
3
1
,N
o
.
1
6
0
9
.
『成唯識論~ =護法等菩薩造,玄襲訳,T
3
1
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o
.
1
5
8
5
.
『成唯識論述記~ =慈恩大師基撰,T
4
3
,N
o
.
1
8
3
0
.
『心論~ =法勝造『阿毘曇心論』僧伽提婆,慧遠共訳,T
2
8
,N
o
.
1
5
5
0
.
『心論経~ =優波扇多造『阿毘曇心論経』那連提耶舎訳,T
2
8
,N
o
.
1
5
5
1. 『雑集論~ =安慧菩薩造『大乗阿毘達磨雑集論』玄奨訳,T
3
1
,N
o
.
1
6
0
6
.
『雑心論~ =法救造『雑阿毘曇心論』僧伽蹴摩等訳,T
2
8
,N
o
.
1
5
5
2
.
『入論~ =塞建陀羅造『入阿毘達磨論』玄襲訳,T
2
8
,N
o
.
1
5
5
4
.
『婆沙論~ =五百大阿羅漢等造『阿毘達磨大毘婆沙論』玄襲訳,T
2
7
,N
o
.
1
5
4
5
.
『法殖足論~ =大目乾連造『阿毘達磨法菰足論』玄襲訳,T
2
6
,N
o
.
1
5
3
7
.
『品類足論~ =世友造『阿毘達磨品類足論』玄襲訳,T
2
6
,N
o
.
1
5
4
2
.
『瑞伽師地論~ =弥鞘菩薩造,玄襲訳,T
3
0
,N
o
.
1
5
7
9
.
飽 谷 大 学 働 教 学 研 究 室 年 報 第11号 2001年 3月 二次資料 (1)和文 梶山雄一 [1983)
W
仏教における存在と知識』東京:紀伊国屋書庖. 高木俊一 [1919)W倶舎教義』京都:興教書院. 深浦正文[1951]W倶舎学概論』京都:百華苑. 75 福田琢[1990) r十四心不相応行法の確立と得・非得JW
印度学仏教学研究』 39-1. 松田和信[1984) rVasubandhu研究ノート(l)JW印度学仏教学研究J
32・2. 水野弘元[1961) r心不相応法についてJW
駒沢大学研究紀要J
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