• 検索結果がありません。

法 文 化 論 序 説 ︵ 七 ︶

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "法 文 化 論 序 説 ︵ 七 ︶"

Copied!
105
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

︿論

説﹀

法 文 化 論 序 説

︵ 七

池 田 政 章

第一 章 法文 化論 への 途 第二 章 改め て︑ 法文 化論 とは 第三 章 法文 化の 生理 と病 理 第四 章 法文 化の 普遍 性と 個性

︵以 上 号︶ 77 第五 章

法 と文 化

の自 画像

︵以 上 号︶ 78 第六 章 自画 像の 形相 序 説 一 自然 と風 土

二 文字 と言 葉 三 心理 と論 理

︵以 上 号︶

四 心理 と論 理

︵以 上 号︶ 81

84 五 感性 と美 意識

︵ 以上 号︶

六 感性 と美 意識

87 まと め

法文 化の 基層

︵以 上 号︶ 88 第七 章 表層 の法 文化 序 説 一 都市 とは 何か 二 都市 の生 成

古代 都市 論

(2)

三 ヨー ロッ パの 形成

︵以 上本 号︶ 四 中世 の時 代思 潮と 大聖 堂の 簇出 五 都市 の構 成と 市民 生活 六 建築 と環 境自 然 第八 章 法文 化の 深層 おわ りに

憲法 文化 につ いて

第 七 章 表 層 の 法 文 化 序

第六 章の

︑多 種多 様な 伝統 文化 に関 する 文献 紹介 を読 み通 した 読者 が︑ ここ にき て﹁ あの 文化 論は 法文 化と どう 係わ るの か﹂ との 疑問 を抱 いた 人が いて もお かし くは ない と︑ 筆者 は推 測し てい る︒ 何し ろ︑ 絵画

︑音 楽︑ 舞 台芸 能な ど︑ 理論 的な 法と は対 照的 な感 性的 文化 の微 妙な 芸術 論で ある から

︒し かも

︑現 在︑ 法文 化研 究を 唱え る 数少 ない 研究 者は

︑日 本法 制史 と西 洋法 制史 の比 較研 究を 素材 に論 ずれ ば︵ 法学 研究 者な ら当 り前

︑法 文化 学の 提唱 は可 能と 考え てい るの が通 例で ある

︒だ とす れば

︑本 稿︑ それ も第 六章 は︑ 筆者 の趣 味を 敷衍 した 饒舌 だと 推

(3)

察さ れて も止 むを えな いと 思う

︒何 故な ら︑ 身近 かな 例で

︑﹁ 談合

﹂や

﹁根 回し

﹂な どを 考察 して

︑日 本法 文化 の 西洋 に対 する 特徴

︵﹁ 法理 的推 論﹂ に対 する

﹁和 の精 神﹂

︶を 提示 すれ ば︑ それ が法 文化 学で ある と考 えて いる よう だ から であ る︒ しか しな がら

︑そ れは

︑本 稿第 二章 で示 した よう に﹁ 法に 関す る文 化﹂ の単 純な 説明 にす ぎず

︑﹁ 法と いう 文化

﹂ の考 察を 欠い てい るこ とに なる

︒ 筆者 が︑ 通常 考え うる 文化 的素 材を 拾っ て比 較紹 介し たの は︑ まさ しく

﹁法 とい う文 化﹂ につ いて の特 質研 究の ため だっ たの であ る︒ その 結果 が︑ 第六 章の 最後 に記 した よう に︑ 自我 意識 の違 いに 基づ く文 化遺 伝子 の相 違︑ 比 喩的 にい えば

︑西 洋は

﹁悪 法も 法な り﹂ とい う自 律的 法観 念を もつ 理論 的文 化で あり

︑日 本は 道理 に支 えら れた 融 通的 法観 念の 現実 的文 化で ある こと が理 解さ れた と思 う︒

しか し︑ そう はい って も︑ 日本 の文 化遺 伝子 が﹁ 法に 関す る文 化﹂ にど う投 影し てい るか とい う点 につ いて は︑ 第六 章の 煩雑 な紹 介文 のな かで 雲散 霧消 して 不分 明と なっ てし まい

︑本 稿の 真の 狙い は読 者に 届い てい ない と いう 不安 を筆 者は 感じ てい る︒ この 点︑ 法学 の各 分野 につ いて は︑ 例え ば民 法な ら﹁ 公序 良俗 とは 何か

﹂︑ 刑法 なら 死刑 存続 論の 可否

・情 状酌 量の 例示 とい うよ うに

︑そ れぞ れの 専門 に任 せれ ば各 論が 成立 する と考 えて いる が︑ 本稿 では

︑そ の総 論的 検討 を した いと 思い

︑第 七章 から 最終 章に かけ て︑ 知る 限り のこ とを 提示 した いと いう ので ある

︒ そこ で︑ 本章 では

︑日 本人 の誰 でも が目 にす る具 体例 をあ げて 考え てい ただ こう と思 い︑

﹁表 層﹂ の主 題で 論ず るこ とに した

(4)

一 都 市 と は な に か

とり あえ ず︑ ヨー ロッ パへ の飛 行目 的で

︑パ リ︑ ロン ドン

︑あ るい はフ ラン クフ ルト に降 りた つ場 面を 想像 して いた だき

︑着 陸直 前に 上空 から 目に 入る 都市 形態 を想 いだ して ほし い︒ する と︑ その 輪郭 がは っき りわ かり

︑ 外の 畑や 牧草 地な どの 環境 自然 地帯 と画 然と した 境界 をつ くり だし てい るこ とに 気付 くは ずで ある

︒ つま り︑ 列車 の旅 で︑ パリ でも ロン ドン でも 発車 して 二〇 分︵

?︶ もた てば

︑そ こは もう 郊外 の風 景で ある

︒ 他方

︑日 本で は都 の中 央駅

︵?

︶か ら列 車に 乗っ て窓 外の 風景 をみ てい れば

︑都 の境 界な ど皆 目見 当が つか ない のが 普通 であ る︒ 東京 駅か ら小 田原 まで

︑あ るい は京 都か ら大 阪ま で家 並み 続き であ る︒ しか も︑ その 都市 景 観に みる 日欧 の違 いは

︑日 本観 光客 にと って 物珍 らし さ一 杯の 驚き であ ろう

︒ この 違い が生 れた 原因 はど こに ある のか

︒こ れこ そ 目に みえ る法 のか らむ 文化 ︑ つま り﹁ 表層 の法 文化

﹂の 課題 であ るこ とは

︑読 者に とっ ても 明ら かだ と思 う︒ つま り︑ 都

︵日 本︶ と都

︵ヨ ーロ ッパ の︶ 違い が何 故生 れた のだ ろう かと いう 疑問 であ る︒

⑴ この 都市 景観 の違 いの 成因 につ いて

︑そ れは 双方 の 風土 の 違い にあ ると 考え た読 者は 多い と思 う︒ そこ で︑ まず

︑そ のこ とを 考え てみ よう

︒ 従来 の風 土論 が扱 かう 主題 は︑ 人間 の構 築す る社 会構 造を 対象 とす るも ので はな く︑ 自然 に関 心を 向け てつ くら れた 人工 的環 境︵ 環境 自然 とい う︶ にあ った から

︑都 市景 観が 風土 論の 対象 にな ると 考え た人 は少 なか った と思 わ れる

︒し かし

︑前 述︵ 第六 章一 節補 説︶ の木 岡伸 夫﹃ 風土 の論 理

地理 哲学 への 道﹄

二〇 一一 年︶ によ れば

︑ 種々 の社 会的 要因 によ って 媒介

・成 立し た空 間と 場所 の関 数か ら成 りた つ都 市景 観は 自 然の 風景 と 何程 の違 い

(5)

があ るの かと いう 疑問 を提 示し

︑こ こに

﹁都 市の 風土 学﹂ が成 立す る︵ 三三 四頁 以下

︶と いう

︒ なる ほど

︑都 市の 風土 とい えば

︑一 般に 公 共性 に 支え られ た市 民社 会に よっ て成 立し てい ると 考え られ てい るの に対 し︑ 非都 市︵ 例え ば農 村︶ では 前近 代的 な 共同 性 が社 会秩 序を つく って いる とい うイ メー ジが あり

︑ これ まで の表 現で いえ ば︑

﹁都 市景

﹂対

﹁田 園風

﹂と いう 違い であ る︒ が︑ 木岡 は︑ 風景 とは

﹁主 体の 視点 か ら切 り取 られ たパ ース ペク ティ ヴ﹂ であ るの に対 し︑ 景観 は﹁ 部分 的な 像で ある 風景 の総 合統 一に よっ て浮 かび 上 がる 全体 像を 表わ す﹂

︵三 三七 頁︶ とい う︒ しか し︑ 主観 的な 風景 と客 観的 な景 観と は﹁ たが いに 独立 の水 準を 構 成し つつ

︑相 互に 還元 可能

︑つ まり

﹃通 態的

﹄で ある

﹂が

︑﹁ 両者 の通 態性 が場 所に 応じ て異 なる 様相 を呈 する と いう 点に

︑注 意を 向け る必 要が ある

﹂︵ 三三 八頁

︶と いう

︒そ のた め︑ 農村 の風 景は 多様 性や 変化 を含 む全 体が 閉 じた 全景 と して 与え られ てい るの に対 し︑ 都市 の風 景は 人工 環境 との 交渉 によ って 成立 する イメ ージ の総 和 とし ての 都市 景観 とい う 影像 の全 体 であ ると いう 風土 その もの の違 いが ある と︒ さら に︑ 風土 に対 する 知覚 は︑ 日常 生活 の諸 場面 の習 慣化 によ って

︑半 ば無 意識 的な 流れ のう ちに 意味 連関 を形 づく るか ら︑ 都市 化に 対す る風 景経 験で は︑ 交通

・運 輸に よっ て︑ こう いっ た意 味連 関は 解消 され てし まい

︑そ の 形成 を否 定し かね ない 傾向 があ るの だと

︒そ のた め︑ 都市 景観 は風 土の 観念 にそ ぐわ ない とい う常 識は 崩れ

︑ 都 市と いう 風土 が 成り 立つ とい うこ とに なる

︒ この 論述 に従 って 前述 の日 欧風 土の 違い につ いて 筆者 の解 説で いえ ば︑ 観光 客の 眼識 では

︑日 本の 都市 境界 は地 図の 上で 明ら かで あっ たと して も︑ その 実状 を目 でみ る限 りは 明確 では なく

︑都 会は みえ ても 都市 はみ えな いの に 対し て︑ 西欧 の都 市で は︑ その 輪郭 は明 確で 都会 とし ても 目に する とい う違 い︑ つま り 都市 とい う風 土 の差 異 だっ たと いう こと にな ると いう わけ であ る︒

⑵ ここ で︑ 読者 には 都 会 と 都市 の 違い は何 だと いう 疑問 が湧 くは ずで

︑﹃ 辞典

﹄を 引け ば︑

﹁都 会﹂ の

(6)

語源 は中 国で ある が︑ 日本 の用 例は

﹃続 日本 紀﹄ にま で遡 りう るの に対 し︑

﹁都 市﹂ の語 源は 英語 でい えば シテ ィ︑ つま り訳 語の 古い 使用 例で も︑

﹃市 制町 村制

﹄発 布の 上諭

︵明 治二 一年

・一 八八 八年

︶に みら れる もの であ る︒ 他方

︑ 巷間 しら れて いる 古い 例は

︑古 代ギ リシ ア・ ロー マの

﹁都 市国 家﹂

︑中 世ヨ ーロ ッパ の﹁ 自由 都市

﹂な ど︑ ヨー ロ ッパ には 古い 例が ある

︒ とい うこ とを 考え れば

︑日 本の 場合

︑都 市は 法制 上の 名称

︑つ まり

︑都 会に 対す る行 政区 画の 名称 であ るが

︑人 口密 集地 とい う点 で同 義的 に使 われ てい ると 考え れば

︵英 訳で は双 方と もシ ティ

︶︑ 当ら ずと いえ ども 遠か らず であ るが

︑法 文化 論か らい えば この 差異 には 大き な意 味が ある

︒ 従っ て︑ 都市 と都 会の 区別 はな ぜ生 れた のか とい うの が︑ 日本 につ いて の疑 問で ある

︒結 論を 先取 りし てい え ば︑ 都市 の呼 称は 前述 した よう に法 がつ くり だし たも ので

︵後 に単 に市 にな る︶

︑都 会の 範囲 と合 致す れば 両者 は同 義語 とな るが

︑そ の内 容に は違 いが あり

︑︵ 都︶ 市は 法制 語と いう 点で 政治 権力 がか らん でい ると いう 点で ある

︵都 会に はな い︶

︒つ まり

︑日 本で

﹁市 民﹂ とい えば

︑単 に︵ 都︶ 市と いう 行政 区画 に住 んで いる 住民 であ るが

︑西 欧で は特 別の 意味 を含 んで いる こと に要 注意 なの であ る︒ 略し てい えば

︑都 会で も︵ 都︶ 市で も︵ 特に 都会 は︶

︑日 本で は自 然の 形態 がか らん でい ると いう 点︵ 山脈

・河 川 が都 会の 境界 を形 成す る要 因︶ で︵ しか も市 町村 合併 後の 今日 では 境界 も不 明確

︑︶ 政治 的も しく は宗 教的 要因 がも との ヨー ロッ パ都 市と は異 なっ てお り︵ 例・ 富山 県南 砺市 は市 町村 の区 別も 不明 確︶

︑そ れが 前述 した 観光 客の 都市 印象 の 差と なっ たと いう こと では ない か︒

そこ で︑ 改め て都 市の 実態 を考 えて みよ う︒ 都市 の成 立︵ 詳し くは 後述 は︶ 人類 発展 の史 的成 果で あり

︑そ こで は宗 教・ 社会

・政 治・ 学問

・技 術な どを 生み だし てき た︒ つま り︑ 都市 は文 化の 展示 場で あり

︑ま た︑ さま ざ まな 目的 を抱 いた 人間 のう ごめ く集 合体 であ る︒ 富者 は喜 び安 堵す る一 方で

︑貧 者は 悲し み嘆 くと いう よう に︑ 人

(7)

間の もつ 凡て の表 情を 顕わ に見 せて いる とこ ろで ある

︒そ のた め︑ 人々 の軋 轢が ひし めき 合い

︑人 間の 生き 方ま で 規制 しな けれ ばな らな くな る︒ 都市 が法 によ る規 制に 頼ら ざる をえ なく なる のは 自然 の勢 いで あり

︑そ のた めに 権 力を 必要 とす るこ とに なる

︒ 都市 が権 力を もつ こと を論 じた

︑M

・ウ ェー バー

﹃支 配の 社会 学﹄ 中の

﹃都 市の 類型 学﹄

︵一 九六 五年

・世 良晃 志 郎訳

︶を 知る 諸者 にと って は︑ この こと は広 く知 られ てい る事 実で あろ う︒ いう まで もな く︑ 都市 類型 の違 いは 権 力に よる 都市 計画 と建 築規 制の 結果 によ るも ので あっ て︑ 前述 の観 光客 によ る都 市景 観の 彼我 の違 いは

︑こ うし た 法的 規制 のや り方 に依 存す るわ けで ある

︒ 藤田 弘夫

﹃都 市の 論理

権力 はな ぜ都 市を 必要 とす るか

﹄︵ 一九 九三 年︶ によ れば

︑﹁ 都市 の形 成は

︑人 びと が より 快適 で充 実し た生 活を 営む 保障 を得 るた めに

︑家 族や 部族 など では でき ない 大量 の人 的︑ 物的 資源 を動 員し よ うと する 政治

︑経 済︑ 宗教 など の権 力に よっ て担 われ るの であ る﹂

︵五 八頁

︶と

︒そ して

﹁都 市が 洋の 東西 を問 わ ず︵ 通文 化的

︶に 地球 上の いた ると ころ で建 設さ れた のも

︑都 市の 成立 基盤 が﹃ 権力

﹄に あっ たか らで ある

﹂︵ 一九 九頁 と︶ いう

・都 市国 家と か自 治都 市と か︑ ヨー ロッ パ流 の都 市の 性格 を表 す言 葉を みて も︑ そこ に都 市の 権力 性を 発見 する こと がで きる から

︵藤 田弘 夫﹃ 都市 と権 力﹄ 一九 九一 年の 別著 もあ る︶

︑都 市論 は法 文化 にと って 絶好 な表 層的 素材 であ ると い えよ う︒ 改め て︑

﹁都 市と は何 か﹂

︑﹁ 都市 の形 成﹂

︑﹁ 都市 計画

﹂︑

﹁都 市景 観﹂ など につ いて 概論 を重 ねた いと 思う

今さ ら﹁ 都市 の定 義﹂ か︑ など と思 われ る読 者も 多い だろ うが

︑都 市社 会学 は︑ 複雑 な機 能を 有す る都 市を 対象 にす る研 究で ある から

︑研 究者 の眼 のつ けど ころ によ って 異な る視 点か らの 多様 な都 市観 が生 まれ

︑そ の都 市 論の 主眼 点が どこ にあ るか につ いて

︑む しろ あい まい な感 さえ ある とい える

(8)

﹁都 市と は一 体何 であ ろう か﹂ と自 問し たあ と︑

﹁一 定の 概念 で規 定す るこ とは きわ めて 困難

﹂と 歎い たの は︑ 経済 史家 の増 田四 郎で ある

︵﹃ 都市

﹄一 九七 八年

︑一 一頁

︶︒ 続け てい う︑ 人間 が多 数に 集ま って 集落 をつ くり

︑ 日常 生活 を営 んで いる 場所 と常 識的 に解 して

︑そ れが 都市 だと いっ てみ ても

︑一 体ど の程 度︑ しか もど のよ うに 集 まれ ばよ いの かと いう こと にな ると

︑ま った く問 題の 焦点 がそ れて しま うこ とに なる と︒ つま り︑ 人数 だけ

︑あ る いは 集合 様式 だけ では

︑都 市が 成立 して いる 決定 的な 条件 には なら ない とい うこ と⁝

⁝︒ とく に︑ 市町 村合 併後 の わが 国の 現状 では

︑そ の傾 向が 甚だ しい とい わざ るを えな い︒ 他方

︑ウ ェー バー は﹁ 都市 とい うも のは

︑と もか く一 つの

︵少 なく とも 相対 的に

︶ま とま った 定住

一つ の

﹃聚 落

であ り︑ 一つ また は数 ヶ所 の散 在的 住居 では ない とい うこ との みで ある

﹂︒ しか も﹁ そこ には

︑都 市以 外の 隣 人 団 体

特徴 的な

︑住 民相 互間 の人 的な 相識 関係 が︑ 欠 とい うこ とで ある

﹂︑

﹁そ の住 民の 圧倒 的大 部分 が︑ 農業 的で はな く工 業的 また は商 業的 な営 利か らの 収入 によ って 生活 して いる よう な定 住で ある

︵三

四頁

︶と いう

⑵ 結局

︑新 しい 研究 書︑ 藤田 弘夫

﹃都 市と 文明 の比 較社 会学

二〇

〇三 年︶ では

︑単 に都 市と いう だけ では あ いま いで あり

︑そ の多 義性 を多 側面 から 分析 した いと いう こと にな る︒ 第一 に﹁ 大量 の人 口が 高い 密度 をも って 集ま って いる とこ ろ﹂ とい う素 朴な 定義 から 始ま って

︑そ の人 口集 積の メカ ニズ ムを 探ら なけ れば なら ない と︑ 七つ の都 市概 念︵ 時代 は無 視・ 筆者 を︶ 措定 する

︒ 第二 に﹁ 機関 の所 在地 とし ての 都市

﹂︒ これ は都 市の 中心 機能 説で あり

︑政 治機 関・ 経済 機関

・宗 教機 関・ 教育 機関

・医 療機 関な どが ひし めい てい るこ とで

︑こ れら の統 合機 関の 活動 が活 発化 すれ ば都 市は 成長 し人 口も 増加 す る︒ 第三 は﹁ 施設 とし ての 都市

﹂︒ 都市 は大 きな 定住 地で あり

︑散 在的 住居 では なく

︑﹁ 容器 とし ての 都市

L・ マ

(9)

ンフ ォー ド︶ であ る︒ 人・ 物資 の集 中︑ 交通 機関 の発 達︑ 高速 道路 の建 設な どが ふく れ︑ 都市 問題 とし てそ の解 決 が喫 緊の 課題 とな る︒ こう して 現代 の都 市問 題は かつ ての 都市 のラ ンド マー ク︵ 例・ 宗教 施設

︶で はな く︑

﹁集 合消 費手 段﹂ であ り﹁ 建造 環境

﹂で ある

︵M

・カ ステ ル︑ D・ ハー ヴェ イ︶ と述 べて いる

︒ 第四 は﹁ 自治 体と して の都 市﹂

︒こ の標 題は

︑日 本と 西欧 では 全く 異な る︒ 日本 では

﹁都 市の 区域 と市 街地

︵集 落︶ とし ての 都市 の区 域と が︑ 大幅 に違 って いる こと が少 なく ない

﹂︵ 九頁

︶︑ 即ち

︑都 市の 自治 体が 市街 地を はる かに 越え て広 がっ てお り︑ 広大 な農 村部 や山 岳部 も含 んで いる のが 普通 で︵ 前述 した

︶︑ 都市 の自 治を 理解 する こ とは 難し い︒ しか も︑ 西洋 では

﹁都 市の 空気 は自 由に する

﹂︵ 一年 と一 日を 市壁 内で 生活 した 農民 はす べて 権利 とし て 自由 を享 有す る︶ とい う諺 があ るよ うに

︑中 世に は都 市と 自治 とは 不可 分と 考え られ てい た︒ つま り︑ 都市 は自 治 を担 う市 民の 共同 体で ある とい う観 念を 生み だし

︑自 治を 担い 手と する

﹁市 民﹂ とい う概 念が つく りあ げら れた の であ る︒ 他方

︑日 本で は︑ 都市 住民 はた また ま都 市に 住ん でい るだ けの 村 人

︵柳 田国 男︶ であ り︑ 都市 と農 村は 一体 であ った

︒M

・ウ ェー バー も︑ 日本 に都 市が あっ たか どう かは 疑問 であ ると して いる

︒ 現在 の日 本の 都市 制度 は︑ 明治 後の 西洋 から の導 入に よっ て創 り出 され た国 家の 下部 機関 であ る︒ 自治 の範 囲は 狭く

︑国 の各 省庁 の指 導に よっ て枠 付け され てお り︑ 市 民 とい うよ り単 に 国民 と して 生活 して いる とい う のが 現況 であ る︵ しば しば

﹁三 割自 治﹂ など とい われ るが

︑こ れは 財政 上の 比率 で自 治の 範囲 はも っと 狭い

︒︶ 第五 に﹁ 社会 関係 と心 理状 況と して の都 市﹂

︒ウ ェー バー は︑ 都市 では 住民 同志 の人 的﹁ 相識 関係

﹂が 欠如 して いる とい い︑ また G・ ジン メル は︑ 市民 は日 常的 な精 神的 緊張 が強 いら れて

﹁神 経生 活の 高揚

﹂が みら れる とい う︒ この 双方 の主 張を 考え ると

︑都 市の 人び とに とっ ては 神経 の過 敏と 無感 覚の 両方 をも たら し︑ その ため 他者 へ の羨 望と 無関 心を 生み だし てい るこ とに なる

︵一 一頁

︒︶

(10)

また

︑都 市の 人間 の心 理は

︑洗 練さ れて 世慣 れて おり

︑合 理的 で要 領が いい が︑ 義理 に欠 けて いる のに 対し

︑田 舎の 人間 は︑ あか 抜け して ない が︑ 義理 堅く 純粋 で正 直だ と︑ 双方 とも 善悪 半々 の意 味を もっ てい る︒ 特に 都市 で は︑ 自 己実 現 にも 自 己破 滅 にも つな がり

︑自 由も 大き いが 不安 も強 いと ころ であ る︑ と︒ 第六 は﹁ 地域 社会 とし ての 都市

﹂で ある

︒一 九八

〇年 代半 ば以 降︑ 外国 から の移 民が 地域 住民 に影 響を 与え 始 め︑ 地域 社会 を通 じて 国家 にも さま ざま な課 題を 投げ かけ てい るが

︑特 に地 域社 会と して の都 市に 対す る文 化的 摩 擦は 避け 難い 難題 とな って いる

︵例

︑ヘ イト

・ス ピー チ︶

︒ 最後

︑第 七は

﹁文 化と して の都 市﹂ であ る︒ 都市 は多 種の メデ ィア を使 って

︑多 様な 情報 を発 信し 続け

︑地 方を 秩序 づけ てい る︵ 筆者

︑フ ァッ シ

ンに 顕著

︶︒ つま り︑ 都市 は生 活機 能の 集合 体で あり

︑﹁ 文化 の拠 点﹂ であ る︵ 筆 者︑ L・ マン フォ ード

﹃都 市の 文化

﹄を 想起 せよ

︶か ら︑ 史的 にも 文化 を創 造し 文明 を育 んで きた のは 都市 であ り︑ また 外国 の文 化を 輸入 して きた のも 都市 であ った

︒そ のた め︑ 都市 は地 方に とっ て文 化的 に魅 力あ るも ので なけ れ ばな らず

︑そ れが 都市 の建 設を 必要 とし た国 の課 題で もあ った

︒ 従っ て︑ 都市 のダ イナ ミズ ムは 国の 盛衰 をも 規定 し︵ J・ ジェ イコ ブス

︑︶ その ため

︑都 市は 文化 の拠 点と して

︑ 繁栄 の場 でな けれ ばな らな かっ た︒ が︑ 同時 に︑ 独自 の集 団を 組織 し︑ サブ

・カ ルチ ャー

︵派 生文 化︶ を生 みだ す こと もで きた

︵C

・フ ィッ シャ ー︶

︒ しか し他 方で

︑交 通混 雑︑ 大気 の汚 染や

︑売 春︑ 犯罪

︑貧 困な どの 社会 問題 を大 量に 生み だす とい うマ イナ ス面 をも つこ とは 周知 の事 実で ある が︑ とく に犯 罪や 貧困 など は外 郭都 市に 広が る傾 向に あり

︑そ れは 大都 市が 生 活︶ 文化 の中 心地 と して の機 能を もつ から に外 なら ない こと を認 めざ るを えな いだ ろう

︵こ の点 は筆 者の 読み 換 え︶ 結 ︒ 局︑ 都市 は以 上の 七つ の概 念の 複合 性を もつ もの であ り︑ とく に人 口・ 機関

・施 設は

︑そ の基 礎的 なも ので あ

(11)

る︒ しか し︑ 定住 民を 確固 とし ても たな い都 市で は︑ 市 民な き都 市 とい える から

︑真 の都 市の 名に 値し ない こ とに なる

︒共 同体 をつ くり えな けれ ば自 治体 とし ての 機能 を果 たし えな いか らで ある

︒に もか かわ らず

︑一 般に は︑ これ らも 都市 とい って いる から

︑都 市概 念は 定ま った 定義 のも ちよ うが ない とい うこ とに なる

︒ ウェ ーバ ーは

︑ヨ ーロ ッパ にお ける

﹁魔 術か らの 解放

﹂を 近代 社会 の形 成と 捉え

︑中 とい う︒ しか し︑ 前述 の七 つの 都市 概念 は︑ 都市 共同 体の それ より は広 義で あり

︑ど れを 主概 念と する かに よっ て︑ その 方法 論も 異な って こよ う︒ しか し︑ ここ では

︑こ のよ うな 多義 的都 市概 念に 捉わ れず

︑常 識的 に﹁ 人間 が多 数に 集ま って 日常 生活 を営 んで いる 場所

﹂と して

︑論 を進 める こと にす る︵ ここ で多 数と は二

〇〇

〇人 以上 の聚 落と いう のが フラ ンス の例 であ り︑ 人 口数 は都 市を 規定 する 基準 には なら ない

︑増 田一 一 一三 頁︶

都 市 の 生 成

古代 都市 論

ヨー ロッ パで は﹁ 都市 国家

﹂と か﹁ 自治

︵体 とし ての 都︶ 市﹂

︑あ るい は﹁ 都市 共同 体﹂ など とい われ るが

︑ わが 国で はた だの

﹁都 市﹂ とい われ るだ けで

︑し かも 都市 と都 会の 区別 もあ いま いで ある よう に︑ 都市 の成 立・ 発 展に つい て双 方に 大き な違 いの ある こと がわ かる

︒ つま り︑ 西洋 の都 市の 歴史

︵特 に中 世︶ を考 察す るこ とが

︑さ きの 観光 客の 疑問 に答 える ため の必 須条 件で ある こと がわ かる

︒と 同時 に︑ とり わけ 民主 主義 の源 流で もあ るこ とに 留意 する 必要 があ ろう

︵詳 細は 後述

︒︶ 少々 古い が︑ 表題 に従 って

︑要 領の いい 説明 が続 くア ーサ ー・ コー ン﹃ 都市 形成 の歴 史﹄ 一九 六七 年︑ 星野 芳久 訳一 九六 八年 か︶ ら瞥 見す る︒

(12)

まず

﹁基 本事 項﹂ とし て︑

﹁都 市は 新生 国家 の礎 石で ある

﹂︵ 二二 頁︶ と︒ そし て︑

﹁本 格的 な都 市の 出現 に先 立 って は常 に︑ 村落 都市 また は城 郭都 市の よう な過 渡的 段階 があ る﹂ と続 き︑ 集落 時代 のパ リ︑ 漁村 時代 のベ ルリ ン を例 示︒

﹁最 初の 真の 都市

﹂は

︑面 積四

〇〇

~八

〇〇 メー トル 平方

︑人 口数 二〇

〇〇

~五

〇〇

〇程 度で ある

﹁ロ ーマ が世 界の 首都 であ った とき

︑ロ ンド ンは

⁝⁝ 外辺 に位 置す る船 舶中 継点

⁝⁝ パリ はロ ーマ 人の 軍事 キャ ンプ

﹂︵ 二二

二三 頁︶ で︑

﹁ロ ーマ 帝国 の崩 壊後 は︑ ヨー ロッ パの 都市 は前 都市 的状 態に 逆戻 り﹂ した

︒ ギリ シア とロ ーマ の都 市は

︑﹁ まず 軍人 王の 小さ な砦 とし て発 生し

⁝⁝ その 後民 主主 義の 有力 な道 具と なり

︑自 由市 民が アゴ ラや フォ ーラ ムで 自分 の権 利を 行使 する 場﹂ とな り︑

﹁貴 族政 治の 時代 とな ると

︑神 殿や 宮殿 が建 設 され た﹂

︵二 七頁

︶︒ 以上 が﹁ 基本 事項

﹂で あり

︑次 章か ら﹁ 古代 都市

﹂が 始ま る︒

⑴ 古代 都市

︑と くに ギリ シア のそ れは

︑現 代ヨ ーロ ッパ の範 型と 考え られ てい るか ら︑ 脱亜 入欧 の日 本近 代化 を考 えれ ば︵ 第二 次大 戦後 のア メリ カの 影響 はい ちお う脇 にお いて

︶︑ その こと は比 較法 文化 論の 観点 から みて 欠か せ ぬ論 題で あろ う︒ まず

︑M

・ウ ェー バー の都 市発 達七 段階 説︑ つま り都 市コ ミュ ニテ ィの 古代 民族 に共 通す る典 型的 段階 を参 照 し︑ ギリ シア に関 して いえ ば︑ 貴族 階級 のポ リス

↓地 主の ポリ ス↓ 自由 市民 の民 主的 ポリ スと いう 社会 共同 体の 発 展過 程を 引用 して いる

︵三 六頁

︒︶ 著者 は︑ ギリ シア 古代 文化 につ いて

︑初 期︵ 紀元 前一 八〇

〇年 以降

︑︶ 中期

︵紀 元前 一〇

〇〇 年ご ろ︶

︑後 期︵ 紀元 前 六〇

〇年 ごろ と︶ わけ

︑初 期は

︑﹁ 大部 分が 未だ 遊牧 民で あっ た氏 族ま たは 部族 体制 の時 代﹂ 中期 は︑

﹁部 族社 会が 崩壊 して 恒久 的定 住が 始め られ

﹂︑

﹁富 有階 級に よる 支配 が行 なわ れ﹂

︑﹁ 文字 の使 用・ 著述

︑宗 義お よび 法律 が創 め られ た﹂ 時代

︑後 期は

︑﹁ 社会 の葛 藤は もっ とも 激し くな って くる

﹂時 代で

︑デ モス が高 利貸 に立 ち向 い︑ 奴隷 が 主人 に抵 抗し た︵ 五七 頁︶ と︒

(13)

⑵ 都市 の準 備期 間は 長く

︑最 初の 集落 は小 さな 無防 備の 村落 であ った が︑ 紀元 前九 世紀 末期 には 貿易 と略 奪に よっ て階 級社 会に なっ てき た︒ 都市 には 中心 が二 つあ り︑

﹁城 とア ゴラ

︵市 場︶

﹂が それ であ る︒ 政体 が王 制・ 寡頭 制・ 専制 君主 制の いず れで あ ろう と︑ 都市 がそ の支 配下 にあ るあ いだ は︑ 都市 を要 衝と して 要塞 が建 てら れ︑ 防壁 をも ち︑ 攻撃 の的 とな った

︒ 紀元 前四 八〇 年に ペル シア の包 囲攻 撃に より アク ロポ リス の保 塁は 完全 に壊 され た︵ 六三 頁以 下︶ が︑ アテ ネで

︑ 紀元 前四 三〇 年ご ろ憲 法︵ 広義

︶が 制定 され

︵ク セノ フォ ンの 記述 によ る︶

︑前 三五

〇年 の条 例に は︑ 市場

・街 路の 警備 や公 衆秩 序の 保持 に関 する 規定 があ り︑ 後の 都市 計画 法の 先駆 とな った と︒ それ は︑ ヒッ ポダ モス

︵前 五〇

〇 年ご ろ生 れる

︶の 格子 状都 市設 計理 論に よっ て︑ ギリ シア 都市 の規 則的 プラ ンが でき

︑市 の中 央で 交差 する 二大 路 の交 点に アゴ ラが あり

︑そ の周 りに 市の 主要 建築 物が 建っ たと いわ れて いる

⑶ 他方

︑古 代ロ ーマ は﹁ ロー マ法 の継 受﹂ にも 係わ るの で︑ その 成立 史を みて おき たい

︒ とこ ろで

︑ロ ーマ の創 立は 紀元 前七 三五 年と いわ れ︑ 隣り 合う 丘の 上に 三部 族の 村落 が集 まっ た原 始的 社会 であ った

︒族 長た る王 は︑ 大衆 が選 び︑ 戦争 を指 導し

︑裁 判官 でも ある 大司 祭︵ 宗教 の長

?︶ であ った

︒ また

︑ど の家 庭も 農地 をも ち自 給自 足で あっ たが

︑徐 々に 大農 家が 小農 家の 公共 の土 地を 奪い

︑大 農家 はパ トリ キと いう 貴族 階級 に︑ 小農 家は プレ ブス とい う平 民階 級に 分離 して いっ た︒ プレ ブス は自 由の 身な がら 公職 から は 締め 出さ れ︑ 貧し くな って

︑被 使用 人に 身を 落と した

︒そ して

︑前 六〇

〇年 にプ レブ スが 公共 の土 地分 与と 政治 参 加を 求め て立 ちあ がる と︑ パト リキ は王 制に 代え て︑ 二人 のコ ンス ル︵ 統領 と︶ 二人 のク ウェ スタ

︵財 務官 か︶ ら なる 上流 社会 をつ くり

︑彼 らに よる 共和 制を 採択 した

︒ が︑ 戦争 の拡 大に よる 兵士 補充 のた めに

︑や がて

︑パ トリ キは プレ ブス の政 治的

・経 済的 権利 の要 求を 認め ざる をえ なく なり

︑前 二八 七年 にプ レブ スは 完全 な平 等を かち とっ た︒ その 時に は︑ ロー マ人 はイ タリ ア全 土に 支配 を

(14)

拡張 し︑ 統一 国家 をつ くり あげ た︒ そし て︑ パト リキ

︑プ レブ スは 新し い支 配階 級と して の全 権貴 族と なり

︑物 々 交換 の経 済は 貨幣 経済 へと 変化 し︑ 銀貨 が使 われ た︵ 前二 六九 年︑ 七四 頁︶

︒さ らに 前二 六四 年か ら前 一三 三年 にか けて

︑ロ ーマ は古 代世 界で の最 強国 とな った

︒と とも に奴 隷制 度も 緩慢 なが ら発 達し た︒ ラテ ィフ ンデ ィウ ムと よ ばれ る不 在地 主の 所有 する 農園 が各 地で 増強 され

︑奴 隷狩 りの 遠征 が始 まる 始末 とな る︒ その 結果 は︑ 奴隷 の反 抗︵ 最初 の例 は前 一八 七年

︶で あり

︑結 果は 奴隷 の万 単位 の虐 殺で ある

︒グ ラッ クス の社 会再 建改 革も 挫折 する と実 力時 代と なり

︑マ リウ スの 軍隊 私兵 化︑ スラ の専 制強 行︑ スパ ルタ クス の反 乱を へて

︑ 平民 派政 治家 カエ サル の出 現を みた こと は︑ 古代 ロー マ史 に関 する 常識 であ ろう

︒ 次い で﹁ 首都 ロー マ﹂

︒﹁ 最古 の位 置は

︑パ ラテ ィヌ スの 丘を おお い︑ 北方 をユ ピテ ルの 神殿 で守 られ てい た﹂

︒ 最大 規模 はク ラウ ディ ウス 帝の とき

︵後 四一 年︶ で︑ 人口 一二 五万 人︵ 自由 民九 五万

︑奴 隷三 五万

?︶ であ る︵ 七八 頁︶

︒後 三五 六年 の記 録に は図 書館 二八

︑フ ォー ラム 一一

︑バ シリ カ一

〇︑ テル マエ

︵公 衆浴 場︶ 一一

︑ア ンフ ィテ アト ルム

︵円 形劇 場︶ 二︑ テア トル 三︑ サー カス 二︑ 凱旋 門三 四︑ 水道 橋一 九で あり

︑都 市計 画に よれ ば︑ 列柱 大 路を 設け アー チ・ モニ ュメ ント で飾 った

︒新 しい 建築 様式 のバ ジリ カは フォ ーラ ムの 近く にお かれ た︒ 最も 贅沢 な 建物 は公 衆浴 場︒ 一般 大衆 は多 層共 同住 宅に 密集 して 住み

︵イ ンシ ュラ とよ ばれ

︑木 造︶

︑帝 政末 期に は四 万六 六〇 二ヵ 所︑ 対し て貴 族の 宮殿 は一 七八

〇で ある

︒ それ が︑ 教皇 のア ヴィ ニョ ン捕 囚時 代︵ 後一 三〇 五~ 一三 七七 年︶ にな ると

︑ロ ーマ の四 分の 三は 農地 とし て荒 廃 し︑ 住民 生活 は先 史時 代に 戻っ てい た︒ 壁内 の住 民は

︑わ ずか 一万 七〇

〇〇 人に すぎ なか った とい う︒

さて

︑人 間は 社会 的動 物だ とい われ るが

︑そ の文 明史 上重 要な 定型 の一 つは 都市 であ る︒ その 都市 国家 の古 代に おけ る範 型と して 成立 した ギリ シア につ いて 更な る説 明を 望む 読者 もい るは ずで

︑そ れに 答え てく れる のは

︑ F・ クー ラン ジュ

﹃古 代都 市﹄ 一八 六四 年︑ 田辺 貞之 助訳 一九 六一 年︑ 一九 四三 年中 川善 之助

﹁薦 辞﹂ で︶ ある

︒本 書

(15)

は︑ 都市 の原 型・ 市民 の成 立・ ギリ シア 的民 主主 義を 知る 上で 重要 な文 献と して 知ら れて おり

︑長 い引 用に なる が︑ 興味 をも たれ る読 者の ため に紹 介し たい と思 う︵ 退屈 と思 う人 はと ばし て下 さい

︶︒ 第一 篇﹁ 古代 の信 仰﹂

︑第 二篇

﹁家 族﹂

︑第 三篇

﹁都 市﹂

︑第 四篇

﹁革 命﹂

︑第 五篇

﹁都 市政 体の 消滅

﹂と いう 編 成︒ 第三 篇以 下を 参照 する

⑴ その 冒頭

︑数 世紀 にわ たり

﹁家 族が 唯一 の社 会形 態で あっ た﹂ とい う言 葉で 始ま る︒

①紀 元前 いつ かは 不明 だが

︑﹁ この 原始 的社 会の せま さは

︑当 時の 人類 が神 格に つい てい だい た思 想の せま さに 相応

﹂し

︑﹁ 各家 族は それ ぞれ の神

﹂を もっ てい た︵ 一七 六頁

︶と

︒ しか し︑

﹁宗 教思 想と 人間 社会 とは

︑相 たず さえ て拡 大し よう とし

﹂︑ 共通 の祭 祀を いと なむ ため 集ま るこ とに な る︒ つま り支 族︵ ギリ シア 語の フラ トリ ア︑ ラテ ン語 のク ーリ ア︶ であ り︑ この 結合 は宗 教思 想に ある 程度 の拡 大を もた らし て︑ 家族 神よ りも すぐ れた 別の 神を 考え

︑そ れが 全家 族に 共通 で団 体全 部を 守護 する と信 ぜら れた

︒し か も︑ 支族 は議 会と 裁判 所を もち

︑法 令を 発す るこ とで

︑小 社会 をつ くり あげ た︒ そし て︑

﹁こ の団 体は 自然 に︑ しか もお なじ 様式 のも とに 拡大 しつ づけ

︑つ いに は数 個の 支族 が相 合し てひ とつ の部 族を つく るよ うに なる

﹂︒ しか も﹁ この 結合 もま た独 自の 宗教 をも ち︑ 各部 族に は祭 壇と 守護 神と があ った

﹂ し︑

﹁部 族の 神は 通常 支族 や家 族の 神と おな じ性 質の もの で﹂

︑﹁ それ は神 格化 され た人 間︑ すな わち 神人

であ って

︑ 部族 はそ の神 の名

﹂を なの り︑

﹁ギ リシ ア人 はそ の神 を﹃ 各祖 の神 人﹄ とよ んだ

一七 八頁

︒︶ 部族 も︑ 支族 と同 様︑ 小社 会な るが ゆえ に︑ そこ では 直接 民主 主義 が行 われ た︵ 首長 はラ テン 語で

﹁ト リブ タス

﹂︑ ギリ シア 語で

﹁フ ィロ バシ シウ ス﹂ とい う︶

︒ ギリ シア 人民 の最 古の 信仰 は︑ 祖先 を対 象と し竈 を象 徴と する 宗教 であ り︑ この 宗教 が家 族を 構成 した

︒こ の自 然宗 教は 祖先 崇拝 と同 様の もの で︑ いう まで もな く多 神教 であ る︒

(16)

・人 は信 仰に 従っ て社 会を つく ると いう 点で は東 西共 通で ある とい うこ とが わか る︒ 日本 では

・川

・木

・石

な どに 対す る原 始信 仰︑ そし て弥 生期 の

田の 神

に対 する 祖先 信仰 と信 仰対 象が 複数 化し てゆ く︒ 竈信 仰の こと で︑ 日本 の

﹁荒 神﹂ を考 えた 読者 もい るは ず︶

②し かし

︑時 の経 過と とも に︑ 大き な威 信を もつ 神が 小社 会全 部に 恩沢 を与 える と考 えら れて

︑お おや けの 礼拝 をう ける よう にな り︵ 一八 六頁

︶︑ この 人の 姿を した 神は 他人 を排 除し なか った

︒従 って この 宗教 の発 展は 小社 会 の拡 大に つな がり

︑神 殿を もち

︑社 会へ の進 歩を 導い たこ とは いう まで もな い︒ 社 会の 形成 で ある

︒ つま り︑ 数個 の部 族が

︑そ れぞ れの 祭祀 を尊 重し なが ら連 合し て共 同の 祭儀 を設 定し

︑多 数の 政治 機関 の活 動の うえ に共 同の 政府 が樹 立さ れ︑ 都市 が生 れた

︵一 九〇 頁︶ とい う︒

③従 って 都市 は︑ 個人 の集 合で はな く数 個の 団体 の連 盟︵ 例え ば︑ アテ ナ人 は同 時に 四つ の社 会に 属し たと いう 記述 が残 され てい る︶ で︑ しか も︑ この 結合 の心 底に あっ たの は信 仰で あっ た︒ 祖先 崇拝 を命 じた 古代 信仰 は︑ 共通 の 神を 認識 する こと で人 々を 結合 させ て社 会の 制度 化を 示唆 し︑ 都市 をつ くり あげ たと いう わけ であ る︒

﹁神 々が 社会 法則 を人 類に 啓示 した とい う︑ この 伝説 的形 態の もと には ひと つの 真理 があ る︒ それ は︑ 社会 法則 は神 々の 所産 であ った から であ る﹂ 一九 四頁 と︶

︒こ の著 者の 意図 は﹃ 緒言

﹄に いう

﹁古 代人 の制 度を 知る ため には

︑そ の最 古の 信仰 を研 究す る必 要が ある

﹂と いう 言葉 に明 らか であ り︑ 中川 善之 助も 信仰 が人 間の 社会 統合 の もと であ ると いう 点に

﹁吾 々と 似て いる

﹂と 本書 冒頭 に紹 介し てい る︒ が︑ 社会 史研 究者 の一 部に 批判 があ るこ と も読 には 想像 がつ こう

⑵ 次い で︑

﹁都 市

都会

とは 古代 人に あっ ては 同意 語で はな かっ た﹂ と﹁ 都会

﹂の 章の 冒頭 にい う︒

①﹁ 都市 は家 族や 部族 の宗 教的

・政 治的 団体 であ るが

︑都 会は この 団体 の集 会の 場所 であ り住 所で あり

︑と くに その 聖所 であ った

﹂︒ しか し都 市の 構成 は困 難で あり

︑そ のた め︑

﹁古 代人 は一 挙に 都会 を建 設し

︑全 部を 一日 に完

(17)

成し た﹂

︒家 族・ 支族

・部 族が 同じ 祭祀 をも ち︑ 共同 の聖 所が でき れば 都会 の建 設は 容易 であ った から であ る︵ 筆 者・ 日本 語と して は同 じよ うに 使わ れて いる こと は先 に述 べた が︑ 日本 語の 語感 では

︑そ の語 源か らし て︑ 都市 は学 術用 語 風︑ 都会 は俗 語風 に思 われ てい るの では ない か︶

︒ ロー マを 例に とる と︑ 都会 の建 設は

︑ま ず敷 地の 選択

︑建 設の 儀式

︵祖 先の 霊魂 をお さめ るた め土 を投 げ込 む︶

︑境 界を 定め る畝

︵不 可侵 の意

︶と 数ヶ 所の ポル タ︵ 門︶ の設 定に つい て︑ 神の 啓示 に従 った

︒つ まり

﹁都 会は 神聖 な 囲墻 にか こま れ︑ 祭壇 を中 心と して ひろ がる もの であ るか ら︑ 都市 の神 々と 人々 とを 包含 する 宗教 的な 住所

﹂で あ り︑

﹁都 会は みな 聖殿 で︑ 聖都 とす らよ ぶこ とが でき た﹂

︒ しか も﹁ 神と 人と のあ いだ に相 互の 約束 が︑ 契約 とも いう べき もの があ った

﹂か ら︑ 人民 は神 々の 定住 する 場所 を去 るこ とは でき ず︑

﹁神 々に よっ ては じめ られ

︑と こし えに 神の 擁護 のい たら ぬく まも ない この 都会 に︑ 神聖 で 崇高 な観 念が むす びつ けら れて いた のは 当然 であ る︒ ロー マの 伝説 が永 遠の 存続 をロ ーマ に約 した こと はわ れわ れ の知 ると おり であ るが

︑ど の都 市も これ と大 同小 異の 伝説 をも って いた

﹂︵ 二〇 五頁

︶と 結ぶ

︵筆 者・ いよ いよ ヨー ロッ パの 原像 がみ えて きた

︒︶

②章 が変 わっ て︑

﹁都 市の 神々

﹂に つい て︒

﹁都 市は おな じ守 護神 をも ち︑ おな じ祭 壇に むか って 宗教 的儀 式を お こな う人 々の 集団 であ った

﹂と 始ま る︒ 祭壇 は﹁ 市長 舘

ギリ シア 人︶

︑﹁ ヴェ スタ 神殿

ロー マ人 と︶ よば れた が︑ 前者 は早 く勢 を失 い︑ 後者 の崇 拝は その 力が 衰え なか った

︵ロ ーマ を訪 れた 人は 思い おこ す人 も︶

︒ 各都 市は それ ぞれ の神 をも って おり

︑﹁ 守護 神

﹂︑

﹁家 の神

﹂︑

﹁守 霊

﹂︑

﹁神 人

﹂な どと よば れた

︒都 市に 貢献 した

︑ 例え ば都 会の 建設 者︑ 勝利 をも たら した 将軍

︑法 律を 改良 した 立法 者な ど︑ 都市 の成 立に 貢献 した 死者 の霊 魂が 都 市を 支配 する とし て︑ 都市 の神 とな った ため であ る︒ しか も︑ これ らの 神人 以外 にも

︑最 初の 家族 守護 神で ある ジ ュピ ター

︑ミ ネル ヴァ

︑そ の他 の神 をも つな どの 多神 教で あっ た︵ 二一 八頁 と︶

︒そ して

︑こ れら 多数 の神 々は

(18)

その 領域 をも って おり

︑あ るも のは 家族 を︑ 他の もの は民 族を

︑別 のも のは 都市 を支 配し た︒ 従っ て︑ 都会 を占 領す れば

︑ま ずそ の守 護神 をお いだ して から

︑都 会を 奪っ たと いう

︵二 一九 頁以 下︶

︒公 共の 生 活に おい ても

︑神 と関 係す る行 為を 必ず 行っ た︒ 議会 の開 催に は神 の許 可が いり

︑ロ ーマ では 卜占 官の 保証

︑ア テ ナイ では 神官 の祈 祷︵ いけ にえ

︑浄 めの 水︶ が必 要で あっ た︒ また

︑ロ ーマ 元老 院の 集会 場所 は神 殿で あり

︑ア テ ナイ の元 老院 も祭 壇と 聖火 が祀 られ てお り︑ 弁士 は神 に祈 願し て登 壇し た︒ つま りは

︑宗 教が 人事 万般 に干 渉し 人間 をお しつ つん でい たの であ る︒

﹁霊 魂︑ 肉体

︑個 人生 活︑ 公共 生活

︑食 事︑ 祭典

︑議 会︑ 裁判 所︑ 戦闘 など

︑す べて が宗 教の 支配 下に あっ た﹂

︵モ ンテ スキ ュー は人 民操 縦の ため とい う︶

﹁国 家と 宗教 は⁝

⁝い りま じり

⁝⁝ 両者 を区 別す るこ とさ えで きな かっ た﹂

︵二 四〇 頁︶ とい うの が︑ 著者 の結 論 であ る︒

③以 下九 章︒ 都市 が誕 生す ると き︑ 宗教 は竈 とと もに ある から

︑家 族の 竈は 家族 の父 に帰 し︑ 各部 族も 同じ 宗教 上の 首長 をも って いた ので

︑こ れを 部族 の 王 とよ んで いた

︒都 市の 宗教 にも 神官 長が 市長 舘の 祭司 とな り︑

﹁市 長﹂ の呼 び名 をも ちな がら

︑国 王と もい われ た︵ 都市 国家

︒つ まり

︑イ タリ アと ギリ シア の古 代国 王は

︑同 時に 神官 であ るか ら︑ その 主要 な職 務は 宗教 儀式 を執 行す るこ とで あっ た︵ 筆者

・卑 弥呼 と同 じか

?︶

︒ 祭壇 が彼 に権 威を さず け︵ 神職 と王 権の 融合

︑︶ 宗教 だけ が人 民に 服従 を強 制す るこ とが でき たと いう わけ で︑ 神 官は 行政 の長 であ り裁 判官 であ り軍 の統 率者 であ った

︒い わゆ る 神政 政治 筆者 で︶ ある

︒世 襲制 であ るか ら︑ 古代 都市 の首 長は 力を もつ 軍人 であ る例 が多 く︑

﹁神 聖な 国王

﹂と して

﹁神 々の 怒り をし ずめ るた めに もっ とも 力 ある もの

﹂と 考え られ て権 力闘 争は みう けら れな いと いう こと にな る︵ 二五 九頁

︒︶ こう して

︑古 代﹁ 社会 は徐 々に 長年 月を へて つく られ

︑家 族か ら部 族へ

︑部 族か ら都 市へ と段 階を おう て推 移し たも ので

︑決 して 動揺 や闘 争は みら れな かっ た﹂ と著 はい う︵ 二六

〇頁

︒︶ これ が︑ 長い 幾世 紀に わた って 王権

(19)

をね らう もの がい なか った 原因 であ り︑ また

︑そ の後 の革 新に よっ て王 権が 転覆 し共 和制 にな って も王 族は 放逐 さ れず

︑む しろ 尊敬 され てい たと

︒そ の因 由は

︑神 官職 を努 めた 初期 の国 王の 権威 を尊 重し たか らで ある

︵二 六〇 頁︶ とい う︒

⑶ 以下

﹁法 律﹂

︵第 十一 章︶

︒ギ リシ ア人

・ロ ーマ 人に とっ て︑

﹁法 律は はじ め宗 教の 一部 であ った

﹂と 始ま る︒ 例え ば︑ 現在 残る ロー マ最 古の 王法 典は 市民 生活 の関 係を 規定 する とと もに

︑祭 祀の こと とも 関連 して いた し︑ 後 の﹁ 十二 表法

﹂も 憲法 であ り儀 式書 であ った から

︑神 官長 は法 律家 を兼 務し

︑﹁ 法律 と宗 教と は二 にし て一

﹂で あ った

︵二 七三 頁︶

︒ つま り︑ 古代 法律 の発 祥は 極め て明 瞭で

︑竈 をす えて 宗教 を設 定す ると 同時 に都 市の 法律 を成 文化 した もの とい って もい い︒ 従っ て︑ 法律 はな がい あい だ神 聖視 され

︑法 律を つく ると きは 宗教 には かり

︑卜 占官 が神 々の 好意 を えた こと の証 明が 必要 とさ れた

︒一 言で いえ ば︑

﹁法 律は もと めて えた もの では なく

︑自 然に あら われ たも ので

︑ 信仰 の直 接か つ必 然的 な結 果で あっ た﹂

︵二 七四 頁︶ と︒

﹁こ のよ うに 法律 は神 の手 に成 った から

︑原 則と して 変更 でき ない もの で﹂ 二七 五頁

︑︶ ドラ ゴン 法典 はソ ロン の法 典に よっ て廃 止さ れな いし

︑王 法は 十二 表法 によ って 無効 とは なら なか った

︒そ のた め︑ 時代 がち がい 趣意 も ちが う法 律が 成文 化さ れな いま ま入 り交 じり

︑成 文化 した とき は儀 式書 のな かに 書き いれ られ て祈 祷文

・儀 式次 第 と雑 居し てい た︒ 人は これ を﹁ 詩句

ロー マ人 あ︶ るい は﹁ 歌

ギリ シア 人︶ とよ んだ

︵二 七六 頁︶

︒ 文字 があ って も︑ 神聖 視さ れた その 意味 を求 める こと はで きず

︑﹁ 神か けて ちか うか

﹂に 対し

﹁ち かう

﹂と いわ なけ れば

︑契 約は 結ば れな かっ た︒ 著者 は﹁ これ では 宗教 的儀 式で ある

二七 七頁 と︶ いい

︑そ の方 式的 言葉 は 貴族 が独 占し てい た︑ と︒ こう した 古代 法律 の宗 教的 起源 は︑ 宗教 が﹁ 市民 のも の

﹂で あっ たが ゆえ に︑ 法律 も﹁ 市民 のも の﹂ であ った

(20)

つま りは

︑法 律が 同一 都市 の市 民の あい だだ けに 効力 をも って いた にす ぎず

︑奴 隷や 他国 人は 埒外 であ り︑ 法律 は 正義 の思 想か らで はな く︑ 宗教 から うま れた こと の証 しと して 宗教 の一 面に すぎ なか った

︑と 結論 付け る︵ 二七 九 頁︶ こ ︒ うし たこ とか ら︑ 市民 とは 都市 の祭 祀に あず かる もの で︑ 外国 人は 神を 祈願 する 権利 もも たな かっ た︒ 例え ば アテ ナイ では

︑ほ かの 都市 市民 がア テナ イ市 民に もな ると

︑二 つの 都市 に所 属す るこ とで ふた つの 宗教 に帰 依す る こと にな った

︒ また

︑市 民と 外国 人の 法的 地位 の違 いに つい て一 言す れば

︑外 国人 は︑ 祭祀 に近 づく こと は許 され ない から 何の 権利 も与 えら れず

︑財 産の 所有 や結 婚も でき なか った

︒し かし

︑ロ ーマ やア テナ イで は︑ 外国 人は 庇護 主を もつ よ う要 求さ れて おり

︑市 民に よる 被護 者と なれ ば都 市と 結び つい て市 民法 の恩 恵を うけ るこ とが でき た︒ そこ には 商 業上 の︑ また は政 治上 の理 由︵ 能力 を生 かす ため

︶が ある から であ る︒ 他方

︑奴 隷は 家族 の一 員と して 祭祀 にあ ず かり

︑主 人を 介し て都 市と 結ば れて いた から

︑外 国人 より も待 遇が よか った とい える だろ う︵ 二八 四頁

︶︒

⑷ 古代 都市 にお いて は︑ 二つ の都 市が 隣り 合っ てい ても

︑別 の社 会を 構成 し︑ 宗教 が違 えば 都市 はお 互い に統 合し えず

︑そ のた め︑ 何世 紀も のあ いだ 社会 形式 の設 立も 困難 であ った

︒ こう して 各都 市は

︑周 囲に 神聖 な境 界を 構え て割 拠対 立し

︑さ らに 宗教 が各 都市 の結 合を 阻ん でい たか ら︵ 都市 は都 会に はな らな い︶

︑他 の都 市を 征服 した 場合 でも

︑自 己の 政府 に結 合す るこ とな く︑ 被征 服者 を放 逐す るか 隷属 させ るか であ った

︵二 九五

二九 六頁

︒︶ つま りは

︑戦 争は 宗教 間の 戦争 なの であ る︵ ソロ モン の例

?︶

︒従 って

︑神 々が 友誼 を結 べば

︑人 々が 結合 し都 市 が連 盟す ると いう 例外 があ った

︵例

・ア ンフ ィク ティ オニ ア会 議︶ が︑ こう した 植民 地と 本国 との 関係 は紀 元前 五世 紀ま で続 いた

︵二

〇九 頁︶

︒あ の理 知的 な性 格を もつ アテ ナ人 もで ある

(21)

これ では

﹁市 民は なに ごと につ けて も無 制限 に都 市に 服従

﹂︵ 三二 四頁

︶し

︑自 由は ない こと にな る︒ 市民 は各 都市 や国 家を 生ん だ宗 教に 支配 され

︑当 該宗 教党 派か ら離 れて 暮そ うと する 者に 対し ては 市民 権が 剥奪 され た︒ つ まり

︑個 人に 信仰 の自 由は ない ばか りで なく

︑私 的生 活の 自由 とい うこ とも 知ら なか った とい う︵ 三二 六頁

︶︒ た とえ

︑政 体が

︑革 命に よっ て︑ 君主

︑貴 族︑ 市民 と名 をか えて もで ある

︒ ここ まで のヨ ーロ ッパ 古代 都市 は︑ 現代 の民 主主 義と は全 く無 関係 であ る︒ 宗教 は霊 魂と 肉体 とを 支配 し︑ 国家 権力 は現 代に くら べ大 へん 強固 であ った

︒し かし

︑紀 元前 七世 紀以 後に なる と︑ 長い 歳月 のあ いだ に思 想上 の変 化 をも たら し︑ 古代 信仰 を抹 殺し

︑都 市か ら疎 外さ れた 庶民 が都 市組 織を 壊す 戦い をい どむ こと にな る︒ つま り︑ 庶 民の 起源 と性 格を 語る 順序 にな る︒ この 庶民 階級 は被 護民 と区 別さ れ︑ ロー マの 場合 は︑ 人民 に加 えら れて いな い︒ その 起源 につ いて 明ら かで はな いが

︑著 者は

︑戦 争に やぶ れて 隷属 させ られ た旧 住民 から なり たっ てい たと 推論 する

︒ ギリ シア の都 会に は丘 の頂 上に たて られ た﹁ ポリ ス﹂ があ って

︑都 市を まも る神 々の 聖殿 があ り︑ その 麓に 雑然 たる 家屋 の集 団と して 庶民 の住 宅が あっ た︒ 即ち

︑庶 民は 神聖 な都 会に 住む こと が許 され ず︑ 祭祀 をも つこ とが で きな かっ た︒ 彼ら には 所有 権は なく

︑法 律も 裁判 も関 係な かっ た︒ 庶民 は都 市の 宗教 をも つこ とが でき ない から で ある こと は明 らか だろ う︒ 従っ て︑ 都市 の初 期に は︑ 貴族 階級

︑そ の分 家︑ 被護 民︑ 庶民 とい う階 層差 別が あっ たわ けで

︵三 四四 頁︶

︑下 の階 層の 不満 を醸 成し たこ とは 理の 当然 であ る︒ やが て︑ 社会 組織 の破 壊︑ つま り革 命を もた らす こと にな る︒

⑸ 古代 都市 の国 王は 部族

・民 族の 首長 を支 配す るに すぎ ず︑ そこ で強 大に なり たい 国王 は︑ すべ ての 都市 で貴 族と のあ いだ で闘 争を 始め るこ とに なる

︒第 一次 革命 であ る︒ その 結果

︑国 王の 行政 権は 奪わ れ︑ 貴族 階級 また は元 老院 にそ れは 移っ た︒ スパ ルタ

︑ア テナ イ︑ ロー マ︵ 七王

表 す 観 念 と し て 継 承 し ︑ 四 世 紀 に は 司 教 = 都 市 ・ 区 を 意 味 し た と い う ︵ 四 五 八 頁 以 下 ︶ ︒ つ ま り ︑ ゲ ル マ ン 人 の 集 団は︑ローマ支配下において︑すでに定住しており︑その影響をうけていたということである︵四九八頁︶︒とどのつまり︑ゲルマン人のローマ帝国領における正式の国家建設はローマの分解過程の完了を意味するにすぎなかった︵四九九頁︶と著者はいう︒例えばローマ人との土地分割を含みながら︑ゲルマン人の小部族集団は移動過程にお

参照

関連したドキュメント

 最後に、南沙里や蘭嶼島のように最初から定住を目的として作られた集落

第3章では 、誘導集電装置の 熱解析について述べている。誘導集電装置では、 原理的 に車 上で 消費 する 電力 と同 等の 発熱 が集 電コイル 及び

松岡義正氏︑強制執行法要論上︑ 中︑下巻︵大正 ご一丁⊥四年︶

第1章 序論 1.1初めに

Scival Topic Prominence

Roberts (0 (( Why Institutions Matter :The New Institutionalism in Political Science, Palgrave ( ) Public Administration Review, vol. Context in Public Policy and

Council Directive (( /((( /EEC of (( July (((( on the approximation of the laws, regulations and administrative provisions of the Member States relating

領海に PSSA を設定する場合︑このニ︱条一項が︑ PSSA