章﹁ ヨー ロッ パの 出現
﹂は
︑﹁ 教会 は︑ 早く も六 世紀 以降
⁝⁝ 民族 大移 動に より キリ スト 教が 消し 去ら れて しま った 地域 を奪 還す る事 業に 乗り 出し てい った
﹂︵ 三八 頁︶ とい う文 言で 始ま る︵ 民族 移動 はキ リス ト教 化し た民 族の 移動 では なか った か?
︒︶ そし て北 方と 東方 の異 民族 に向 けて の布 教拡 張︵ 七二
〇年 代の 聖ボ ニフ ァテ ィウ スに よる テュ ーリ ンゲ ン地 方へ の伝 道な ど︶ を経 て︑ ノル マン 人︑ ゲル マン 人︑ スラ ヴ人
︑ハ ンガ リー
=マ ジャ ール 人た ちに 対す るキ リス ト教 への 改 宗に 二世 紀が 流れ た︵ 三九 頁︶
︒ 民族 の改 宗法 には ロー マと コン スタ ンテ ィノ ポリ スの 二種 類が あり
︑西 欧で は宗 教的 領域 が世 俗的 領域 より 上位
だと する 説︵ 後者 では 逆︶ が唱 えら れた
︒こ のた め︑ 諸民 族に 強制 され たキ リス ト教 化に よっ て︑ ヨー ロッ パ大 陸 の地 図上 に一 本の 線が 引か れて
︑二 種の キリ スト 教に 分け られ
︵一
〇五 四年
︶︑ 南か ら北 へ向 かう 軸︵ イタ リア
︑ガ リア
︑ブ リテ ン︑ ゲル マニ アか ら︑ スカ ンデ ィナ ヴィ アへ
︑ま たポ ーラ ンド
︑ボ ヘミ ア︑ パン メニ アと 進ん だ︶ が︑ ヨー ロッ パを 形成 した とい うこ とで ある
︒ 即ち
︑こ の時 代に おけ るヨ ーロ ッパ の出 現と は︑ ロー マ・ キリ スト 教に よる 宗教 的統 合と ラテ ン語 によ る普 遍的 教会
︑そ して 当該 国語 によ る世 俗文 化へ の所 属と いう 事実 に基 づく 共通 起源 の意 識に よる もの であ った
︒ そし て︑ この ヨー ロッ パと いう 文化 的統 合の 宗教 的基 盤の 形成 は︑ 五世 紀に 始ま って 一四 世紀 まで の九
〇〇 年を 要し たと いう から
︑そ れは
︑長 きに わた る社 会と 個人 生活 の大 変動 とい う経 験で あっ たろ う︒ つま り︑ こう した キ リス ト教 改宗 のお こし た連 鎖反 応は
︑結 婚・ 葬儀 に関 する 従来 の風 習禁 止︑ 特定 の日 の断 食︑ 性の 交わ りに 関す る 新し い習 慣の 強制 など に及 び︑ 各自 の生 活の 流れ に新 しい 枠組 みを 導入 する こと にな った
︒ま た︑ 家系 誕生 とみ な され てい た神 々は 神格 化さ れた 英雄 にな るか
︑逆 に悪 魔の 位置 に落 とさ れる かと いう 一方 で︑ 王権 の正 当性 は聖 職 者の 行う 即位 の儀 式に 根拠 をお くよ うに なり
︑王 は教 会・ 修道 院の 建設 援助 とそ の生 活手 段の 保障 にか かわ らざ る をえ なく なっ た︒ しか しな がら
︑改 宗に よっ て諸 部族 の王 は︑ ロー マ教 皇と 帝国 に対 する 政治 的姿 勢を 明確 に示 す必 要が ある
︒新 たな カト リッ ク諸 王た ちは
︑ど の権 力か ら王 冠を うけ るか によ って 結果 は異 なる ので
︑そ の役 割は 側近 の聖 職者 が 決定 した
︒つ まり
︑改 宗は 人間 生活 の枠 組み を総 合的 に改 革す る行 為で ある から
︑数 十年 のう ちに
︑日 常生 活︑ 社 会︑ 政治 から 経済 生活 まで もが 変貌 をと げる こと にな った
︵四 一 四三 頁︶
︒
⑹
こう して︑ヴ ェル ダン 条約
︵八 四三 年︶
・メ ルセ ン条 約︵ 八七
〇年 に︶ よる カロ リン グ朝 の分 裂︑ 民族 大移 動 の終 息︵ 一〇 世紀 を︶ 経て
︑封 建制 の浸 透︵ 一二 世紀 と︶ 空前 絶後 の大 開拓
︑都 市を めぐ る領 主と 市民 間の 紛争 と
続く 一一 世紀 から 一三 世紀 にか けて
︑ヨ ーロ ッパ には 都市 の帯 が形 成さ れ︑ その かた ちは 産業 革命 まで は変 わら な かっ たと いう こと にな る︒ その 帯と は︑ ブリ ュー ジュ とヘ ント
︵フ ラン ス語 では ガン
︶︑ およ びロ ンド ン中 心の 諸都 市を 起点 とし て︑ ライ ン 沿岸
︑南 独︑ スイ ス︑ イタ リア 湖水 地方
︑ジ ェノ ヴァ
︑フ ィレ ンツ ェ︑ ヴェ ネツ ィア
︑ラ イン 河畔 から 三つ に分 か れて
︑一 つは ハン ザ同 盟都 市の ハン ブル ク︑ ブレ ーメ ン︑ リュ ーベ ック
︑グ ダニ スク
︑二 つは 南方 へパ リ︑ ディ ジ
ョ
ン︑マ ルセ ーユ
︑バ ルセ ロナ
︑バ レン シア
︑三 つは 東方 へド イツ をと おっ てプ ラハ
︑ク ラク フ︑ リヴ ォフ
︑ウ ィ ーン
︑ブ タに 達し た︒ そし て︑ ヨー ロッ パの 国境 の拡 大︵ 例・ キリ スト 教徒 のス ペイ ン奪 還︶ によ るキ リス ト教 化の 拡張 と続 き︑ 十字 軍 運動 に突 き進 む︵ 四四
四九 頁︶
︒
⑺
いよ いよ﹁封 建社 会か ら身 分社 会﹂
︵第 七章
︶へ の変 転が 始ま る︒ 先走 って 述べ れば
︑一 三世 紀か ら一 六世 紀に かけ て︑ ジェ ノヴ ァ︑ フィ レン ツェ
︑ヴ ェネ ツィ アを 出発 点に
︑南 から 北へ
︑西 から 東へ と︑ ヨー ロッ パ世 界 は外 へ向 けて 発進 し︑ 一八 世紀 まで 変わ るこ との ない 国境 が与 えら れて
︑統 合的 役割 を演 ずる 経済 制度 がと との え られ てく る︒ そし て︑ この 時代 の政 治制 度︵ 官僚
・軍 事的 組織 とし ての 国家 と代 議制 議会 と︶ とも に︑ 新し い社 会構 造︑ つま り身 分制 度を
︑ア ンシ ャン
・レ ジー ム末 期ま でも ち続 ける こと にな るの であ る︵ 五一 頁︶
︒ 本書 の記 述は
︑中 世身 分社 会の 真只 中に 入る
︒キ リス ト教 にお いて は︑
﹁ク リュ ニー の修 道改 革﹂
︑﹁ シト ー会 の 革新
﹂︑ 枢機 卿に よる 教皇 選挙 と教 皇権 の強 化︑ 東方 教会 との 断絶 の表 面化
︵一
〇五 四年
︑︶ グレ ゴリ ウス 七世 によ る改 革︑ 叙任 権闘 争の 勃発
︑ア ヴィ ニヨ ン捕 囚と 西欧 教会 の大 分裂 など は知 る人 ぞ知 る事 件で ある
︒結 果︑ 聖職 者 は︑ その 生活 様式 と特 権が 定義 され てひ とつ の身 分と して 形成 され
︑教 会の 自律 性と 優越 性が 保証 され た︵ 五一 五二 頁︶
︒
・参 考ま でに
︑﹁ キリ スト 教全 史﹂ につ いて は︑ 上智 大学 中世 思想 研究 所編
﹃キ リス ト教 史﹄ 全一 一巻
︵一 九九 六~ 一九 九七 年︑ 平凡 社ラ イブ ラリ ー︶ が詳 細を 極め てい る︒ 王権 もま た︑ 古来 の至 高権 力を 奪還 し︑ 新し い理 論を 作り 出し た︒ フラ ンス
︑イ ング ラン ドの