ロッ パは
︑自 然と 人間 との 関係 が新 しく なっ た時 期と 考え られ る﹂
︵二 八二 頁︶ とい う︒ 読者 のな かに は小 鳥に 説教 する ジ
ョ
ット の描 いた フラ ンチ ェス コを 思い 出す 人も いる だろ う︒ が︑ これ は小 鳥 と人 間と の交 流で はな く︑ 神を 媒介 とし て︑ フラ ンチ ェス コが 小鳥 に対 して も深 い愛 情を もっ たか らと いう のが︑ キリ スト 教の 解釈 であ る︒ 論述 はま だま だ続 くが
︑筆 者の 関心 から
︑こ こで 打ち 止め にす る︒
・﹁ 心﹂ とい う表 題に 似合 わず
︑キ リス ト教 にみ られ る二 元的
精 神構 造 に対 する 弁証 法的 解決 の各 相が 描か れて おり︑ 筆者 も︑ 関心 の向 くま まに 紙数 を費 やす 結果 とな った
︒が
︑成 果も あっ たと 思う
︒﹁ 一二 世紀 ルネ ッサ ンス
﹂な ど︑ 後 述を 先取 りし た論 述も みら れ︑ 今後 の﹁ ヨー ロッ パ中 世﹂ 論と 重な る部 分も ある が︑ 著書 を連 ねる 本稿 の論 述方 法で は 止む をえ ない
︒そ のこ とに 不満 を抱 く読 者も 多い だろ うと いう 危惧 が筆 者に はあ るが
︑専 門外 の諸 著書 を集 約す る方 法 をも たな い
比較 文化 論 とい う主 題に 免じ て容 赦い ただ きた いと 思う︒
⑸
ヨー ロッ パ中 世に つい て︑ 日本 の西 洋史 で必 ず触 れら れる のは︑キ リス ト教 の教 皇と 俗世 の皇 帝と の軋 轢︑ いわ ば聖 俗両 巨頭 の勢 力争 いで ある
︒が
︑そ れに つい て通 史に ふれ たも のは 未紹 介で あり
︑少 しく 踏み 込ん だ専 門 書︑ つま り中 世政 治思 想史 につ いて の日 本人 の著 述を
︑こ こで 紹介 して おき たい と思 う︒ 副題 にひ かれ
︑鷲 見誠 一﹃ ヨー ロッ パ文 化の 原型
政治 思想 の視 点よ り﹄︵ 一九 九八 年︶ をと りあ げる
︒ 筆者 は思 う︒
﹁和 魂洋 才﹂ と明 治以 降い われ るよ うに
︑﹁ ヨー ロッ パ﹂ は︑ 日本 近代 化の ため の
殺し 文句 で あ った︒和 魂︑ 即ち
﹁融 通す る自 我﹂ に西 欧の 洋才 たる 個人 主義 をど う受 け容 れる のか
︑夏 目漱 石の 苦悩 で広 く知 ら れる よう に︑ 明治 以降 の日 本文 化人 がい かに 悩ん だこ とか
︒こ のこ とに 関す る逸 話は まさ に枚 挙に いと まが ない
︒
とこ ろで
︑そ の個 人主 義は 古代 ギリ シア は別 にし て︑ 一二 世紀 ルネ ッサ ンス に近 代の それ の芽 生え が生 じた とな れば
︑暗 黒の 時代 とも いわ れる ヨー ロッ パ中 世全 史に つい て︑ 日本 の法 学研 究者 は︑ それ をど う明 らか にす るの か とい う興 味を もた れる こと 請け 合い であ る︒ とい うこ とで
︑こ れま での 紹介 で抜 けて いる
ヨー ロッ パ人 には 自明 かも 知れ ない が
中世 政治 思想 史上 に おけ る両 巨頭
︑即 ち︑ 教皇 と皇 帝の 勢力 争い につ いて 詳し く知 る必 要が あろ う︒ とこ ろで
︑本 書は
﹁中 世政 治思 想﹂ 講義 の台 本で ある から
︑解 説は 平易 すぎ るく らい くど いと いう 難点 はあ る が︑ 適宜 取捨 して ゆく こと にす る︒
①ま ず﹁ ヨー ロッ パ文 化の 原型
﹂と の主 題か ら明 らか なよ うに
︑ギ リシ ア哲 学・ 古代 ロー マの 法と 政治 の理 念・ 制度 から 始ま って
︑キ リス ト教
︑ゲ ルマ ン人 の民 族的 慣習 の絡 み合 いを 説く こと から 本書 は始 まる
︒ そし て︑ ヨー ロッ パ文 化は 近代 日本 文化 にと って
﹁け っし て異 質な もの では なく
⁝⁝ それ を取 りさ って しま う と︑ 近代 日本 の文 化の 非常 に重 要な 部分 が失 われ てし まう くら い︑ 第二 の自 我と なっ てい る﹂
︵六 頁︶ と説 明さ れ る︒ 即ち
︑古 代の 仏教 受容 によ り固 有宗 教に 浸透 して 第一 の自 我と なり
︑そ れに 続く 第二 の自 我に なっ たと いう
︵そ れに 従え ば︑ 現在 は日 本国 憲法 によ って 第三 の自 我と なっ てい るこ とに なる
︒︶ 加え て︑ 戦後 にお ける アメ リカ
︵法
︶ 文化 の積 極的 摂取 であ る︒
・筆 者に いわ せれ ば︑ ヨー ロッ パの
︑個 人主 義に 基づ く
硬い 自我 に 対す る 軟ら かい = 融通 する 自我 であ って︑新 しい 精神 文化 受容 のさ いに
︑そ の思 想に 向き あっ て自 我が 融通
・対 応し
︑固 有の 自我
︵世 間主 義?
︶は 通奏 低音 のよ う に深 層に 沈潜 して いる とい うこ と︒ 第一
・第 二の 自我 とい う観 念は 不可 解な のだ が?
﹁入 欧﹂ とい われ るヨ ーロ ッパ 文化 につ いて
︑そ の普 遍的 で超 超的 なも のと 同時 に︑ 合理 的な もの を志 向す る意 思の 源流 を尋 ねれ ば︑ ギリ シア 哲学 とラ テン
・キ リス ト教 につ き当 たる ので あっ て︑ それ を考 えれ ば︑ ヨー ロッ パ
中世 にお ける 合理 性と 信仰 との 調和 過程 を明 らか にす る必 要が 生ま れて くる わけ であ る︒ 換言 すれ ば︑ 人類 の救 済 を教 義と する 普遍 的宗 教に つい て︑ 組織 運営 の合 理性 追求 のた めに
︑聖 職者 が教 会法 とい う論 理的 ルー ルを 作成 し て信 仰を 伝え てゆ く道 を歩 み始 めた のが 中世 であ るか ら︑ それ を観 察す るこ とが
︑叙 上の 調和 過程 を明 らか にす る こと にな ると いう こと であ ろう
︵序 章八
一三 頁︶
︒
②誰 でも が知 るよ うに
︑ヨ ーロ ッパ 中世 は︑ キリ スト 教が 政治 権力 を正 当化 した 時代 であ る︒ これ を︑ ウェ ーバ ーの
﹁支 配の 三類 型﹂
︵合 法的
・伝 統的
・カ リス マ的
=支 配︶ にあ ては めれ ば︑ 神聖 な血 が流 され たと いう 伝統 をに なう
﹁血 のカ リス マ﹂ と︑ ペテ ロの 後継 者と して の職 務を 遂行 する
﹁官 職カ リス マ﹂ の二 つに よっ て︑ 正当 性を 付 与さ れて いた のが
︑ヨ ーロ ッパ 中世 の政 治文 化の 特徴 であ ると いう こと にな る︵ 一六
二四 頁︶
︒ 即ち
︑当 初に おけ る史 実に 即し てい えば
︑王 位と 並列 する 宮宰 職︑ ピピ ンの クー デタ ー︵ 七五 一年
︶に よる カロ リン グ王 朝が 教皇 ザッ カリ アス の権 威に よっ て正 当化 され
︑そ して
︑息 子の シャ ルル マー ニュ の西 ロー マ皇 帝へ の 就任
︵八
〇〇 年︶ が自 らを ロー マ教 皇の 霊的 権威 と並 列す る教 徒の 世俗 的最 高指 導者 と位 置付 けて いる
︒そ れが ロ ーマ 教皇 レオ 三世 によ る﹁ 聖ペ テロ のロ ーマ
﹂復 興の 構想 に合 致し た︵ ビザ ンツ に対 抗す る﹁ 西﹂ と︶ いう こと で明 らか にな ろう
︵二 八頁
︒︶ こう して 八〇
〇年 以降
︑中 世を 通じ て︑ 皇帝 の即 位に はロ ーマ 教皇 によ る任 命が 必要 との 形を とる よう にな った こと は︑ 読者 の知 る通 りで
︑こ れこ そ︑ 政教 一致 とい う︑ 古代 とは 異な るヨ ーロ ッパ 中世 の新 しい 政治 文化 であ っ たと いえ る︒
・合 理主 義と 一神 教を 調和 させ よう とす れば 政教 一致 しか ある まい
︒こ の点
︑自 我融 合主 義な らば
︵日 本︶
︑政 教分 離は 容易 とい うの が筆 者の 感想 であ る︒ しか しな がら
︑シ ャル ルマ ーニ ュの 勢力 圏は アル プス 以北 にあ り︑
ロ ーマ 帝国 で はな い︒ が︑ 一神 教た るキリス ト教 は社 会秩 序を 強調 する 支配
・被 支配 の関 係と 親和 性が あり
︑信 者の 集ま りエ クレ シア
=教 会を 重視 した 有 機体 とし て現 実政 治に 強い 関心 をも って いた し︑ 加え て︑ 人類 の原 罪か らの 解放 を目 指し て真 の自 由を 獲得 する と いう 普遍 性を 志向 して いた ので
︑す べて の人 間は 兄弟 であ ると いう 信仰 をも とに
︑ヨ ーロ ッパ 中世 を統 合す るこ と がで きた ので ある
︒ 因み に︑ ニー チェ は﹁ キリ スト 教は 奴隷 根性 の宗 教だ
﹂と いっ たと いう が︑ キリ スト 教を 最初 に受 容し たの が奴 隷階 級で あっ たと いう 事実 に注 目す れば
︑そ の批 判的 評価 もキ リス ト教 の普 遍性 と平 仄が 合う こと にな る︒ その あと
︑政 教一 致の 中世 キリ スト 教政 治の 流れ につ いて
︑著 者が キリ スト 教の 中世 政治 思想 史的 意義 とし てま とめ たの は︑ 第一 に最 高権 力者 の神 格化 の拒 否︑ 第二 に政 治権 力の 相対 化︑ 第三 に政 治権 力が 教会 や宗 教問 題に つ いて
︑そ れを 政治 的統 合の 道具 とし て扱 うこ との 拒否 の三 点で ある
︒
③こ うし て︑ キリ スト 教の 普遍 性確 立は 一一 世紀 終り から 始ま る︒ 即ち
︑﹁ カノ ッサ の屈 辱﹂
﹁叙 任権 論争
﹂を 通 じて ヨー ロッ パ社 会の キリ スト 教化 が果 たさ れ︑ 後に
︑カ ール
・シ ュミ ット によ って
﹁近 代の 政治
・国 家= 概念 は 中世 神学 概念 の世 俗化 であ る﹂ とい わせ たよ うに
︑キ リス ト教 が世 俗に おけ る政 治概 念の 基礎 をつ くっ たと 評さ れ てい る︒ 一三
︑四 世紀 にな ると
︑キ リス ト教 儀式 と皇 帝職 位の 二つ を中 心と する 楕円 形的 政治 責任 体制 がお 互い に相 手を 説得 する ため の合 理性 を主 張す るよ うに なる
︵聖 書と ロー マ法 の合 理性 論争 と著 者は いう
︒︶ これ は︑ グレ ゴリ オ改 革 以後
︑中 央集 権体 制が でき て︑ 国家 と教 会の 区別 につ き長 期に 渉る 伝統 と革 新の 緊張 関係 をも たら した ため であ る と︑ 著者 はい う︵ 六三
六七 頁︶
︒ 何の こと はな い︑
﹁カ エサ ルの もの はカ エサ ルに
︑神 のも のは 神に 返す
﹂と いう こと の中 世思 想版 であ る︒ 理性 的な もの と非 理性 的な もの との 明確 な区 別と いっ ても いい だろ う︵ 近代 にお ける 信仰 の自 由の 源流
?︶
︒
しか し︑ 時代 はロ ーマ 教皇 が君 主と なっ て権 力で 人々 を支 配す る形 態に 変わ って ゆく
︒
霊的 共同 体か ら法 的組 織体 へ であ る︒④と ころ で︑ 時代 はも どり
︑一 二世 紀に ヨー ロッ パ各 地に 多数 の都 市が でき
︑防 壁の なか で生 きる とい うこ とに なれ ば︑ 内部 の人 間同 志を 結び つけ る接 着剤 が必 要と なり
︑そ の役 割を 果た した のが キリ スト 教で あっ た︒ いう な れば
︑キ リス ト教 が都 市共 同体 を構 成し て︑ 教会 堂を つく り︑ それ を都 市の シン ボル とす るよ うに なっ たと いう こ とで ある
︵七 二頁
︑読 者も 知る ロマ ネス ク・ ゴシ ック
=聖 堂で あり 後節 で詳 説す る︶
︒そ うな れば
︑都 市共 同体 と信 仰者 共同 体が 同心 円的 結合 関係 とな り︑ 神的 秩序 と自 然的 秩序 は一 体化 する
︑そ れを 時代 的要 請と して 叫ん だの が︑ 一 三世 紀の トマ ス・ アク ィナ スで ある
︵七 五頁
︑以 下彼 の神 学論 を説 明︶
︒ こう して 中世 前期 は︑ 聖職 者の 信仰 の篤 さに 人々 が信 従し
︑後 期は 聖職 者の 権力 のも とに 服従 させ られ た︵ 八四 頁︶
︒つ まり
︑教 会は 上か ら下 まで の官 僚制 とな り︑ 教会 法が 存在 し︑ 世俗 的に も包 括的 な普 遍的 法団 体の 性格 を 担っ てい たの であ る︒ それ が九 世紀 から 一七 世紀 まで の
政治 史 であ ると いう︵八 七頁
︶︒ 人間 社会 の枠 組み が所 与の もの であ ると する なら
︑神 から 与え られ た職 務に は当 然に 固定 され た責 任が とも な い︑
﹁ゆ りか ごか ら墓 場ま で﹂ 教会 が管 理す るこ とに なる
︒こ うし た予 測可 能な 客観 的世 界で は︑ 思考 や行 動は 合 理的 とな り︑ ヨー ロッ パ法 文化 の源 泉を みる 思い がす る︵ 筆者 と︶ いえ ば︑ 近代 軽視 の言 い過 ぎに なる だろ うか
︒ 著者 も︑ プロ テス タン ティ ズム が近 代ヨ ーロ ッパ 人の 合理 的生 活態 度を つく って きた とい うウ ェー バー 説に 批判 的 で︑ その 基本 的な 芽生 えは 中世 ロー マ教 会に あっ たと 述べ てい る︵ 九三 頁︶
︒つ まり
︑教 皇権 と皇 帝権 は相 互補 完 の関 係に あっ たと いい たい ので ある
︒ とこ ろで
︑信 仰を 合理 的︵ 法的
?︶ に解 釈す るこ とで
︑そ の反 対給 付と して
救 済 が与 えら れる と考 える よう にな れば︑こ の応 酬を 克服 する ため の﹁ 信仰
﹂を 観念 しな けれ ばな らず
︑ル ター
︑カ ルヴ ァン の改 革が 出しゆつ 来たい する