話は
︑ロ ーマ 帝国 時代 に戻 るが
︑中 世都 市の 前身 の一 つで ある
﹁植 民都 市﹂ の生 成に 触れ てい るの で簡 潔に 補充 して おき たい
︒ 紀元 後一 世紀 のロ ーマ によ る中 部ヨ ーロ ッパ の占 拠は
︑ラ イン 河と ドナ ウ河 にい たる 地域 に限 られ
︑リ ーメ ス国 境の 城壁 は五 五〇 キロ 以上 あっ たと いう
︵レ ーゲ ンス ブル グ辺 りが 結合 点︶
︒﹁ 植民 都市
﹂は
︑軍 の宿 営地
︑国 境の 城 塞を もと に発 達し
︑ロ ーマ 文化 の前 進基 地と なっ た︒ スペ イン のタ ラコ
︵タ ラゴ ナ︶
︑ガ リア のル グド ゥヌ ム︵ リヨ ン︶
︑パ ンノ ニア のカ ルタ ント ゥム
︵ウ ィー ン︶
︑ブ リダ ニア のエ ポラ クム
︵ヨ ーク
︶が 属州 の首 府で あり
︑際 だつ 史実 に注 目す れば
︑デ ィオ クレ ティ アヌ ス帝 が豪 華 な建 物を つく って 統治 した トリ アー を帝 国西 部の 首都
︵二 八七
~三 八三 年︶ とし たこ とだ ろう
︒そ して
︑ケ ルト 人・ ゲル マン 人が 新し い法 秩序 に服 した のも
︑経 済的 利点 によ る外 面的 快適 さに 身を 委ね たこ とを 受容 した ため であ り︑ その 結果
︑ロヽ ーヽ マヽ 属ヽ 州ヽ 文ヽ 化ヽ の発 展を もた らし たの であ る︵ 一二 頁︑ ロー マ人 の進 入以 前に は西 ヨー ロッ パに 都市 は 存在 しな い︶
︒ した がっ て︑ ロー マ人 によ る占 拠の なか った ライ ン以 東お よび ドナ ウ以 北の 諸地 方は 都市 文化 の洗 礼を 受け るこ とな く︑
﹁都 市的 定住 地が 現れ るま で︑ なお ほと んど 一〇
〇〇 年の 永き にわ たり 農民 的生 活形 態の 中に とど まっ て いた ので ある
﹂︵ 一三 頁︶ と︒ 以下
︑﹁ キリ スト 教の 成立 と伝 播﹂
﹁ゲ ルマ ン諸 民族 と国 家建 設﹂
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﹁カ ール 大帝 の帝 国﹂
⁝⁝
﹁教 皇権
・教 会 改革
・世 界教 会﹂ と説 かれ
︑﹁ ヨー ロッ パ都 市の 発端
﹂︵ 第一 一講 に︶ いた る︒
⑶
まず︑﹁ 都市 の成 立と 発展 はひ とつ の世 界史 的な 出来 事で あり
﹂︑
﹁あ る国 土の 全体 像︑ ある 民族 の構 造︑ そ の国 家的 秩序 の構 成は
︑す べて の時 代ま た地 球の すべ ての 部分 にお いて
︑都 市の 成立 によ って 根本 から 変革 され 新 たに 形成 され るこ とに なっ た﹂︵
一八 三頁 と︶ 意義 付け され る︒ しか し︑
﹁そ もそ も都 市の 研究 がは じめ られ たの
は︑ よう やく 一九 世紀
︑ヨ ーロ ッパ で自 由主 義が 勃興 し︑ 非封 建的
・市 民的 階層 が政 治的 にめ ざめ た時 代に なっ て から であ る﹂
︒ しか も︑
﹁一 八五
〇年 ごろ から フラ ンス
・イ ギリ ス・ ドイ ツで 公刊 され た都 市の 歴史 に関 係す る研 究の 多く が
⁝⁝ その 重点 を 制 度
イン ステ イト ウチ オー ネン
︑つ まり 都市 の憲 法に もと づい て設 けら れた もろ もろ の官 庁に おい てい る﹂
︵一 八四 頁︶ と︑ 制限 付き であ った
︒ だが
︑し かし
︑こ のよ うな 制度 は一 二︑ 三世 紀ご ろか ら文 字に よる 伝承 をも とに 解明 でき るよ うに なっ て︑ 当初 は︑ 中世 都市 の成 立が 確固 とし た法 規に よっ て措 定さ れた と考 えら れて いた
︒が
︑こ の法 的特 権の 賦与 は都 市発 展 の結 果行 われ たも のと いう こと がわ かり
︑中 世都 市の 発端 は︑ 経済 的・ 社会 的構 造が 都市 的生 活共 同体 を形 成し て いた それ 以前 にあ ると 認識 され るよ うに なっ た︒ 中世 の史 料に 書か れた ラテ ン語 キヽ ヴヽ ィヽ タヽ スヽ の語 はロ ーマ 時代 のキ ヴィ タス を継 承し てい る︒ が︑ そこ には 根本 的 差異
︑即 ちロ ーマ のキ ヴィ タス は複 雑で あり
︑
D
ロー マ法 が与 えら れる 以前 から のムヽ ニヽ キヽ ピヽ アヽ と占 領地 につ くら れ たコヽ ロヽ ニヽ アヽ ェヽ は︑ ロー マ法 の意 味に おけ る真 のロ ーマ 市民 の都 市で あり︑
E
非ロ ーマ 人に よる キヽ ヴヽ ィヽ タヽ スヽ=フヽ ェヽ デヽ ラヽ ーヽ タヽ
︵ロ ーマ に対 し独 立の 地位 をも つ︶ とキヽ ヴヽ ィヽ タヽ スヽ
=リヽ ベヽ ラヽ
︵皇 帝か ら授 与さ れた 自由 をも つが 取り 消さ れる こと も ある は︶ 自治 的行 政単 位に すぎ ず︑
F
ロ ーマ 属州 都市 の大 部分 であ るキヽ ヴヽ ィヽ タヽ スヽ=スヽ テヽ ィヽ ペヽ ンヽ デヽ ィヽ アヽ リヽ アヽ ニヽ とキヽ ヴヽ イヽ タヽ スヽ
=トヽ リヽ プヽ タヽ リヽ アヽ ニヽ は︑ ロー マ国 家の 直接 的支 配領 地に 属し た行 政管 区で ロー マ人 総督 の支 配下 にあ って
︑キ ヴィ タス 法秩 序の 外に おか れた とい う三 種が あっ た︒ とこ ろで
︑キ ヴィ タス は︑ イタ リア では 六世 紀中 葉ま で存 続し たが
︑ス ペイ ンで は七 世紀 始め に完 全消 滅︑ 北ガ リア は遥 かに 早い 時期 に滅 亡し てい る︒ とは いう もの の︑ キリ スト 教伝 播の 過程 でた いて いが 司教 座と なっ たと い うこ とに 大き な意 味を もつ こと にな った
︵一 八六
一八 七頁 と︶ いう
︒即 ち︑ ゲル マン の進 出に 対し
︑高 位聖 職者
たち は難 民救 済の 活動 によ り司 教た ちの 公的 権力 を増 大さ せ︵ 免税 の特 権と 土地 の寄 進を 受容
︶︑ ロー マ崩 壊後 にキ ヴィ タス の領 主と なっ た︒ この こと を中 世都 市へ の連 続性 とい う観 点か ら考 える と︑ イタ リア
︑ダ ルマ チア
︑南 仏・ 中仏 など 古典 古代
=地 中海 都市 が維 持さ れた 地域 があ る一 方で
︑北 仏︑ ベル ギー
︑イ ング ラン ド︑ ライ ン・ ドナ ウ河 流域 など 損傷 の甚 だ しか った 地域 の二 種が あり
︑ロ ーマ 都市 の古 さと ロー マに よる 支配 の長 さが 関係 して いる こと がわ かる
︒つ まり
︑ ひと つは ロー ヌ・ ソー ヌ両 河に 沿っ てモ ーゼ ル・ ライ ン河 にい たる 道で あり
︑も うひ とつ はア キレ ヤか らカ ルヌ ン トゥ ムに いた るア ルプ ス東 縁の 通商 道で ある
︵一 八九 頁以 下に 詳し い説 明が ある
︶︒ それ は︑ ロー マ末 期に は自 治的 都市 制度 とし ては
︑も ちろ ん解 体し てい たが
︑都 市的 定住 地が 単に 居住 のた め利 用さ れつ づけ てい たと いう 意味 であ る︒ しか も︑ 想像 のと おり
︑国 境の 要塞 都市 では 建造 物も 維持 され 利用 され て いた し︑ ロワ ール 河南 方で はゲ ルマ ン人 によ って も利 用さ れ︑ アラ ブ人 がピ レネ ーを こえ て進 出し てか らは
︑そ の 重要 性は 著し く増 し︑ 七︑ 八世 紀に おい ても
︑そ の市 場機 能を 保持 して いた
︵一 九〇 頁︶ とい う︒ そし て︑ 九世 紀前 半に は古 代都 市建 設へ の復 帰を はっ きり 認め るこ とが でき るよ うに なり
︵カ ール 大帝 は道 路を
︑ ルー トヴ ィヒ は橋 を︑ ロー タル は宮 廷を 改修 した
︑︶ キヴ ィタ ス城 壁を 壊し て教 会・ 世俗
=建 築を 建て た︵ 一九 一頁
︶ とい う︒ ただ
︑数 十年 のち のノ ルマ ン侵 冦の さい に︑ 北部
・中 部フ ラン スで 城壁 修復 や教 会定 住区 の城 壁防 備が 施 され
︑ロ ーマ 末期 のキ ヴィ タス 周辺 に町 が生 まれ た︵ ブル ギあ るい はカ スト ラと よば れる が︶
︑南 フラ ンス では 古い キヴ ィタ スに 城壁 を繞 らせ
︑イ タリ アで はキ ヴィ タス の地 盤の 上に 都市 的発 展が みら れた
︒ 本書 が述 べる 最近 の研 究に よれ ば︑ 都市 類似 形態 の出 現と して
︑ロ ーマ 人と ゲル マン 人の 接触 地帯 に限 らず
︑ま たロ ーマ 末期 の遺 構と も結 びつ かず
︑新 しい 定住 地が 発生 し︑ フラ ンス 北部
・ベ ルギ ー・ ネー デル ラン ト・ イン グ ラン ドで 発展 し都 市に なっ たも のも ある
︵一 九二 頁︶ とい う︒ その 原因 は︑ 海岸 や河 川に よる 商取 引の ため の商 品
倉庫
・休 息場 所を 確保 する ため であ って
︵カ ロリ ング 時代 の文 書︶
︑そ れも
︑つ ねに 教会
・修 道院
︑城 塞︑ 王城 の近 くに 設け られ たか らだ と︒ 八二 八年 ルー トヴ ィヒ 敬虔 王の
﹃商 人令
﹄に よれ ば︑ 国王 の保 護の もと で自 由人 とし て 職業 を営 み租 税の 義務 を負 って いた とい う例 があ る︒ 本書 では
︑続 けて
︑ゲ ルマ ン人 の領 域に おけ るヴ ィク
︵防 備さ れた 商人 の定 住地
︶︑ ロー マ末 期に キヴ ィタ スで も なか った 中部 ヨー ロッ パの 内陸 部に おけ る商 人定 住地 に教 会が 建て られ て司 教座 に選 ばれ た例 とし て︑ ライ ン右 岸 のウ トレ ヒト
︑ヴ ュル ツブ ルグ
︑エ ルフ ルト
︑マ クデ ブル グの 例が あげ られ てい る︵ 一九 二頁
︶︒ また
︑イ ング ラン ドに おけ るロ ーマ 起源 のま ちで ある
︑ド ゥロ ヴェ ルタ ム︵ カン タヴ ェリ ー↓ ケン ト人 の城
︶︑ エ ブラ クム
︵ヨ ーク
︶に は最 も早 く司 教座 が創 出さ れて いる
︒し かも 当時 の人 口は
︑ヨ ーク が八
〇〇
〇︑ ノー リッ ジ とリ ンカ ーン は六 六〇
〇︵ 教会 数は 三五
︶で ある
︒
અ
よう やく︑﹁ ヨー ロッ パ﹂ 世界 がみ えて きた
︒ とこ ろで
︑ま だア メリ カ留 学よ りヨ ーロ ッパ 留学 が盛 んだ った 戦後 にお いて
︑ド ブシ ュの 影響 をう けた 日本 人と して
︑正 面か ら﹃ ヨー ロッ パと は何 か﹄︵ 一九 六七 年︶ を簡 明に 問う たの は︑ 増田 四郎 であ る︒