理論 に対 抗す るこ とで
︑気 にな る著 作が 二点
︑植 田重 雄﹃ ヨー ロッ パの 心
ゲル マン 民俗 とキ リス ト 教﹄
︵一 九九 四年
︶︑ 今野 國雄
﹃ヨ ーロ ッパ 中世 の心
﹄︵ 一九 九七 年︶ であ る︒
心 と いう 心情 表現 は日 本独 特の も のと いう のが 筆者 の常 識で あり︑ヨ ーロ ッパ につ いて
心 と いう 言葉 で表 現し うる 中味 はあ るの かと いう 疑問 が 湧い てく るか らで ある︒ 叙述 内容 は信 仰の 基層 にあ るも ので
︑
深層 心理 と でも 置き 換え て理 解せ ずば なる まい︒と いう こと で︑ 前者 の紹 介に つい て一 言︒
①﹁ ヨー ロッ パを キリ スト 教文 化一 色で ある と考 える のも
⁝⁝ 不十 分﹂ とい うの が執 筆の 動機 だと 語り
︑﹁ ヨー ロッ パ文 化の 基層 を探 って ゆく と︑ 意外 にわ れわ れの 伝説
︑習 俗と 共通 する もの があ り﹂ 親近 感を もつ こと があ る と︒ そこ で︑ ヨー ロッ パ人 の生 活意 識の なか にあ るそ れを 探る のが 本書 の目 的だ とい う︵﹁ はじ めに
﹂よ り︶
︒ 本文 は五 章だ てで
︑ま ず﹁ 水の 神々
﹂︒ ゲル マン の民 間伝 承に おけ る水 の精
︵ヴ ァッ サー ガイ スト
︑半 人半 魚︶ は緑 色の 上半 身の み︑ 魅入 られ ると 人間 は 水の 中に 引き 込ま れる とい う︒ 水で 遊ぶ 子供 への 警告 だか らと いう 理由 も︒ 多く の読 者は ロー レラ イを 想像 する だ ろう
︒こ れは ライ ン川 の話 だが
︑
海の 精 とな ると 人魚 であ る︒ 人魚 の観 念は︑そ れこ そヨ ーロ ッパ 全土 にあ る とい う︵ 四頁
︒︶ 珍ら しい のは
男 の人 魚 で︑ 一三〇五 年・ 一四 三三 年に バル ト海 で捕 まっ たと いう 話が 残っ て いる 水 ︒ にま つわ る民 俗上 の話 では
︑シ ュヴ ァル ツヴ ァル トに は
ドナ ウの 源泉 が ある とい われ︑
泉の 信仰 を 生んで いる
︒古 くか らの ゲル マン の女 神や ケル トの 大地 母神 がキ リス ト教 化し たも のと いわ れ︑ 湧き 出る 噴水 にマ リ ア像 がつ くら れ︑ 象徴 的に 命の 源と して 崇拝 され てい る例 もあ る︒ 噴水 に飾 られ る川 を表 す彫 刻や 人物 像は 観光 客 にも 広く 知ら れて いよ う︒ ルル ドの 泉は 泉信 仰の キリ スト 教版 であ る︒ こう して
︑副 題に いう よう に︑ ゲル マン の民 俗信 仰が キリ スト 教化 した 世界 にそ の後 も生 きて いる とい うこ と を︑
自 然信 仰 を例 にあ げて︑山
︑森
︑大 地︑ 火と 光に 係わ る実 例を ルル 説明 して ゆく ので ある
︒以 下︑ 筆者 の 目を 引い た項 目に つい て述 べれ ば︑
﹁大 地母 神﹂ につ いて
︑聖 アン ナ信 仰は シュ メー ルの 大地 母神 イナ ンナ に遡 る とい い︑ また 四三 一年 のエ フェ ソス 公会 議で 決定 され た聖 母マ リア は教 義上 定め られ たも ので はな く︑ 民衆 の母 性 信仰 によ って 生ま れた もの だと
︵八 八頁
︶︒
﹁森 と樹 木﹂ につ いて
︑森 が包 含す る世 界に は︑ 不気 味な もの
︑謎 めい たも のが 共存 して いる とい うイ メー ジは 古代
・中 世を 越え て現 代で も存 在し てい る︒
﹁ヨ ーロ ッパ の懐 の深 さは
︑森 の深 さで ある から
⁝⁝
﹂︵ 一〇 六頁
︶︒ 森が 古く から 人間 の生 活を 支え てき たこ とは 誰で もが 知っ てお り︑ そこ に信 仰と から みあ った 古代 文化 が存 在し たこ とは
︑な にも ヨー ロッ パに 限ら ない と︑ 筆者 は思 う︒ 例示 され るの は︑ ロー マの ディ アナ 女神
︑後 身た るギ リシ アの アル テミ ス女 神︒ 中世 にな って 森に 入っ た聖 者が キリ スト やマ リア を崇 める 御堂 を建 て︑ やが て修 道院 が誕 生し た︒ ゴシ ック 建築 には 森に 抱く ヨー ロッ パ人 の崇 拝 心が 象徴 的に 表現 され てい る︵ 観光 客の なか には サグ ラダ
・フ ァミ リア を想 う人 がい るか も︶
︒ しか し︑ 森を 拓か なけ れば 生活 がな りた たな いと 知っ て開 墾が 始ま り︑ 畑・ 牧草 地が 生ま れる
︒し かし
︑ギ リシ ア・ ロー マ神 話の なか に人 間が 樹木 に変 身す る話 があ り︑ とり わけ 巨樹
・老 樹・ 奇怪 な形 の樹 木に 対し ては 特別 の 畏敬 の念 が湧 くこ とは 現代 でも 同じ であ る︒ 人智 が及 ばぬ もの に超 越し た霊 力を 感ず るの は︑ いず この 世界 でも 同 じだ とい うこ とを いい たい ので ある
︒が
︑マ リア を菩 提樹 と呼 ぶの は︑ ゲル マン 人の 家族
・部 族の 共同 体の 中心 が
菩提 樹な どに あっ たこ とと 繋が りが ある のか も知 れな いと 筆者 が思 った のは
︑著 者の 筆勢 のせ いか も知 れな い︵ 一 一八 頁以 下︶
︒ 次い で︑ ヨー ロッ パに 多い 家の 壁に かか れる キリ スト 教に 関す る物 語の 絵画 の話
︒有 名な のは オー バー アマ ガウ の受 難劇 の壁 画で
︑観 光ル ート にも 入っ てい るこ とが 多い
︒家 は城 であ り︑
﹁家 の幸 福は
︑世 界の 幸福 であ る﹂ と︑ 家は 人生 の幸 福を 生み 出す 出発 点で ある
︒つ まり
︑十 字架 像を 祀る 位置 は決 まっ てお り︑ 家庭 の信 仰生 活の 中心 と して 家族 はこ こで 祈り を捧 げる
︒そ れで も︑ 山間 の村 にい けば
︑ゲ ルマ ンの 神々 と同 居し てい るこ とが ある
︒家 の 柱に 山の 精を 彫り
︑農 民は キリ スト 教と とも に︑ 古い ゲル マン 以来 の呪 術を も受 け継 いで 家を 守る よう に心 掛け て いる ので ある
︵一 三九 頁︶
︒と くに ドイ ツ︑ スイ ス︑ オー スト リア では 白壁 に家 族の 城と して 神に 感謝 する ため に 祀り の要 素を 壁に 記す こと にな ると いう わけ であ る︵ 筆者 の翻 案を 交え て︶
︒ 筆者 が興 味を ひか れた のは
瞑 想 のく だり であ る︒ 中世 では︑教 会中 心の 宗教 生活 を避 けて 祈り や瞑 想を 通し て直 接神 との 交わ りを 行お うと 信仰 の浄 化に 努め た
神秘 主義 者 がい ると いう 件で ある︵一 八二 頁︶
︒
・キ リス ト教
︵に 限ら ない が︶ の場 合︑ 西欧 思想 に特 長的 な二 元思 想が 根底 にあ るこ とで わか るよ うに
︑神 と人 間と の自 他対 立が 前提 であ り︑ 聖書 や讃 美歌 はそ の媒 介物 とし て存 在す るの に対 し︑ 日本 の場 合︑
成 仏す る とい う一 語︵ 一 切衆 生悉 皆成 仏︶ で明 らか なよ うに 一元 的思 考の 信仰 であ る︒ 自我 のあ り方 に注 目す れば︑
瞑想 の 根底 にあ るの は 自我 の発 見に 止ま るの に対 し︑ 日本 仏教 でい えば 諸 法無 我 に拘 わる 唯識 とい う違 いが ある︒ また
︑瞑 想と いえ ば︑ 筆者 は禅 宗の 黙照 禅を 想起 し︑ そこ に東 西信 仰の 共通 点を 見出 した 両者 が対 話の 可能 性を 感じ たと いう 史実
︵確 か比 叡山 での 会議 だっ たと 思う が︶ を想 い起 すの であ る︒ 著者 は﹁
﹃神 を瞑 想す る﹄ とは どの よう なこ とで ある か﹂ と自 ら問 う︵ 一八 六頁
︒︶ 曰く
﹁神 は純 粋な 無で ある と とも に無 を超 えて いる
﹂と いう
︒﹁ 神と 人間 の神 秘の 結合
﹂で ある が︑
﹁瞑 想は 無の 中に 陥る こと
﹂な く︑
﹁神 と人
間が
﹃わ れと なん じ﹄ の人 格関 係に 立つ こと
﹂︵ 明ら かな 二元 論︶ であ ると
︑シ レジ ウス を引 用す る︵ 一九
〇頁
︶︒ 神 と合 一す れば 恍惚
・陶 酔に 陥る こと にな るか らと
︑対 向関 係を 強調 する
︵極 めて 論理 的?
︶︒ 即ち
︑瞑 想に よっ て﹁ 一切 の規 律︑ 法則
︑常 識か らは なれ 自由 な心 の赴 くま まの 行為 を求 める
﹂た めで ある と︑ 論理 的二 元論 であ るこ とを 強調 する
︒神 秘主 義で いう
﹁放 念﹂ も﹁ 己を 捨て
︑我 欲を 放棄
﹂し て﹁ 自己 を神 に任 せ る﹂ こと で︑ 神の 絶対 的無 私の わざ を讃 える こと であ るが
︑神 と人 間と の協 調・ 共鳴 の音 色の こと で︑ 双方 は対 向 的二 元関 係に ある
︒ また
︑人 間が 神の 光を 求め ると きは 何も せず に神 の計 らい を待 って いれ ばよ いと
︑シ レジ ウス を紹 介す る︵ 一九 七頁
︶︒ 日本 人な ら他 力本 願と 思う 人も いる に違 いな い︒
・筆 者の 言葉 でい えば
︑宗 教文 化の 表層 では 同位 相に ある よう にみ える が︑ 深層 の︑ それ こそ
心 の 面で は異 相に ある と感 じた が︒ 以上 で︑ 本書 を終 わる︒