国家 が︑ 大帝 国の 出現 によ り急 速に 衰退 した こと は想 像に 難く ない と思 う︵ ドイ ツは 一七 九〇 年ま で三
〇 を越 える 都市 が独 立し てい た︶
︒﹁ この 都市 国家 の衰 退は
︑国 家の 首都 が大 規模 な都 市に 発展 し︑ 卓抜 した 地位 を確 立 した こと と平 行し てい た﹂
︵三 四七 頁︶
︒例 えば
︑三
〇〇 年後 には
︑ロ ンド ンの 人口 は七
〇万 に増 加し た︒ パリ のシ ャン ゼリ ゼ︑ ベル リン のウ ンタ ー・ デン
・リ ンデ ンな どの 見通 しが きく 大通 りが 一八 世紀 から 一九 世紀 にか けて つ くら れた
︒ この あと
︑著 者は
︑都 市の 立地 場所
︵防 御的 立地
︑交 易路 立地
︶︑ 都市 形態
︵街 路パ ター ン︑ 密集 度︶
︑都 市の 地域 構造
︑都 市に おけ る市 民の 住み 分け
︑都 市の 類型
︑空 間的 配置 につ いて
︑史 的経 緯を ふま えな がら 都市 名を 例に あ げて 概説 して いる
︒そ こで
︑こ こは 筆者 の関 心の 向く まま に拾 い書 きす る︒
⑷
都市 の類 型に つい て︑ ブラ ウン フェ ルス の分 類に よれ ば︑ 司教 都市︑都 市国 家︑ 海洋 都市
︑帝 国都 市︑ 理想 都市
︑宮 廷都 市︑ 首都 であ るが
︑著 者は 文化 地理 学者 らし く︑ その 都市 の景 観論 から 話を 始め る︒
﹁ヨ ーロ ッパ の 都市 景観 の特 徴は 歴史 の所 産で
︑そ の影 響は 街路 パタ ーン
︑建 物︑ 密集 性に 認め られ る﹂
︵三 五八 頁︶ と︒ まず
︑街 路パ ター ンは 不規 則で 貫通 道路 はま れで あり
︑旧 市街 の周 りに 広が る現 代の 郊外 でさ え︑ 道路 はし ばし ば無 秩序 であ ると いう
︒そ のた め︑ 街路 には 名称 が付 され
︑そ の名 はす べて の交 差点 で変 わり
︑ま た住 居・ 建物 に 付さ れる 番号 も無 秩序 で混 乱を 助長 して いる
︵﹁ ヨー ロッ パの 都市 はな ぜ美 しい のか
﹂と いう 日本 人の 著書 が必 読文 献と なる
︿後 述﹀
︒︶ が︑ この パタ ーン を伝 統と さえ 考え てい るよ うで
︑第 二次 大戦 で八 割が 破壊 され たド イツ の都 市に おけ る復 興は 古い パタ ーン でな され たと
︵フ ラン スに もサ ン・ マロ の好 例が ある
・筆 者︶
︒ 対し て︑ 格子 状あ るい は碁 盤目 状パ ータ ンの もの は︑ ギリ シア やロ ーマ 時代 の植 民都 市に 多い
︵ナ ポリ
︑ケ ルン
︑ チェ スタ ーの 例︶
︒
﹁密 集度
﹂︵ 三六 二頁 で︶ は︑ ヨー ロッ パの 都市 は丈 が高 く︑ その 理由 は共 同住 宅の 割合 が高 い点 にあ る︒ 例え
ば︑ 西ド イツ の独 立家 屋が 半分 であ るの に対 して
︑ア メリ カで は三 分の 二に のぼ ると いう
︒そ れは
︑前 産業 化時 代 にお いて 仕事 の後 に人 々が 集ま って 食事 を楽 しむ 場を 都市 の核 にし たた めに
︑都 市中 心部 の近 くに 住民 が生 活の 場 をお くこ とを 望ん だか らで ある
︒住 居と 仕事 場を 結び つけ る中 世的 習慣
︵筆 者・ 理由 は城 郭都 市の 狭い 範囲 での 生活 のた め︶ が今 も残 って いる 証し とい えよ う︑ と︒ さら に著 者は 高層 建築 を建 てる 当時 の技 術的 限界 にも 説き 及ん で いる こと を付 記し てお こう
︵三 六三 頁︶
︒
・し かし 筆者 は︑ 中世 聖堂 の尖 塔よ り高 く建 てな いと いう 信仰 上の 理由 によ る制 限も あっ たと 思う
︒そ の証 拠は 戦災 後に おけ る旧 市街 の復 元に みら れる ので はな いか と︒ しか も戦 後の 高層 建築 の築 造は ほと んど 新市 街に 限ら れて いる と思 う のだ が︒ それ にし ても 日本 の現 状は 全く 無秩 序と しか 思え ない
︑立 体化 はど んど ん膨 張し
︑都 市デ ザイ ン無 視の 二〇
〇 から 三〇
〇メ ート ルの 高さ マチ マチ の林 立状 態で
︑立 体美 無視 の乱 雑ぶ りで ある
︒ 次は
﹁地 域構 造﹂︵ 三六 六頁 で︶ ある
︒都 市の 中心 部は 中世 の旧 市街 地に あり
︑そ れを とり まく 城壁 は不 規則 な 円形 が多 く︵ 四角 とい うエ ーグ
・モ ルト は例 外︶
︑現 在よ く知 られ てい るの は︑ ロマ ンチ ック 街道 のロ ーテ ンブ ルグ やス ペイ ンの アビ ラな どの 小都 市で
︑大 都市 の場 合は ブー ルバ ール
︵パ リの 例︶ ある いは リン ク・ シュ トラ ーセ
︵ウ ィー ンの 例︶ にな って おり
︑残 存す る城 門の なか には ロー マ時 代の もの もあ る︵ ドイ ツの トリ ーア に残 るポ ルタ
・ ニグ ラは 観光 の目 玉?
︶︒ 旧市 街の 核心 部は
︑周 知の よう に公 共広 場で あり
︑そ れに 面し て聖 堂や 市庁 舎︵ 王家 の住 まい であ れば 宮殿
︶が ある
︒こ の配 置こ そ︑ かつ ての 自治 都市 の名 残り であ る︒
・い うな れば
︑旧 市街 地に おけ る建 物の 配置 こそ 博物 館的 意味 をも って おり
︑改 築の さい には
︑通 りに 面し た意 匠は その まま 残し
︑後 側の 居住 部分 を現 在様 式に 改め ると いう 幾多 の例 を︑ 筆者 は見 てい る︒ また
︑鉄 道は 旧市 街地 を避 けて 郊 外部 を通 る︵ 従っ て駅 は当 然に 郊外 にあ る︶ のが 通例 であ り︑ 筆者 の経 験で はフ ラン スの ラン
︵
L a o n
︶ は極 端な 例で︑ 市街 地ま で行 くの に自 家用 車は 別と して ポム とい うモ ノレ ール
︑し かも 粗末 な箱 状の 車体 に乗 るほ かに 方法 はな い︒
次い で﹁ すみ わけ
﹂︵ 三六 九頁
︶で ある
︒宗 教に よる それ はユ ダヤ 人の ゲッ トー がよ く知 られ てお り︑ ほか に言 語・ 人種
・社 会階 級・ 職業 など によ るも のが あり
︑そ れぞ れに 空間 パタ ーン を示 す特 性を もっ てい る︒
﹁都 市類 型﹂
︵三 七二 頁︶ につ いて
︑本 書は イギ リス 型︑ ゲル マン 型︑ 地中 海型
︑社 会主 義国 型の 四地 域型 を識 別 して いる
︒イ ギリ ス型 は持 家居 住の 割合 が高 く︑ 多く の住 民は 一戸 建か 半独 立家 屋に 住み
︑高 級住 宅地 区は 郊外 に 多い
︒ゲ ルマ ン型 では 自治 都市 の伝 統か ら農 村︵ 封建 的支 配が 長い
︶と の差 異が 大き く︑ 中世 的都 市核 心の 保存 に 熱心 で大 聖堂 と市 庁舎 が残 り︑ 重要 な中 央広 場で は今 も象 徴的 行事 が行 われ てい る︒ 他方
︑地 中海 型は 都市 への 移 行が 漸新 的で
︑都 市縁 辺部 はア パー トが 多い
︒た だし 地理 学者 のあ いだ では イタ リア 型と スペ イン 型と 区別 する 傾 向が ある
︒社 会主 義国 型は バル カン 半島 にみ られ る型 であ り省 略︒ 最後 の﹁ 都市 の空 間的 配置 につ いて
﹂︵ 三七 五頁
︶︑ ドイ ツの 地理 学者 ヴァ ルタ ー・ クリ スタ ラー の説 を紹 介す る︒ つま り︑ 三つ の原 理︵ 市場 原理
・交 通原 理・ 分離 の原 理も しく は政 治原 理︶ を呈 示し
︑市 場原 理で は市 場を 中心 に円 型も しく は六 角形 にな りネ ック ワー クの 形成 を可 能に する
︒交 通原 理は 建設
・維 持費 を最 小に する ため の原 則 によ って 二つ の中 心地 を交 通で 結ぶ タイ プと なり
︑市 場原 理と は矛 盾す るこ とに なる
︒そ こで
︑交 通原 理は 人口 密 度の 高い 工業 地で
︑市 場原 理は 自給 的地 域で
︑有 効に 働く と︒ 第三 の分 離型 は政 治的 理由 によ って 中心 地が 分断 的 に設 定さ れた 場合 にお こる 現象 であ る︒ しか し重 要な 問題 は︑ 鉄道 や幹 線道 路の 建設 によ り中 心地 の数 や分 布を 変 化さ せた 場合 に三 原理 は錯 綜し たも のと なる
︒広 く知 られ てい るド イツ の例 をあ げれ ば︑ ロマ ンチ ック 街道 のロ ー テン ブル グ︑ ディ ンケ ルス ビュ ール
︑ネ ルト リン ゲン の諸 都市 につ いて であ ろう
︒
ઈ
﹁ヨ ーロ ッパ とは 何か
﹂と 問わ れて
︑そ の形 成に つい ては 西ロ ーマ 帝国 時代 から 中世 にか けて のこ とを 考え れば いい だろ う︒ が︑
﹁ヨ ーロ ッパ 文化
﹂と 題さ れる と︑ その 終り をは かる 定規 はな い︒ しか も︑ それ につ いて は さま ざま な専 門が 分化 して おり
︑そ の歴 史の 提示 は︑ また 分野 によ って 主題 展開 の筋 もま ちま ちで ある
︒だ から
︑
筆者 の構 想か ら考 えた 場合 に︑ 複数 の専 門家 を取 り上 げざ るを えず
︑そ れを 整理 する だけ の時 間的 余裕 もな い︒ 従 って
︑説 明が 重複 する のも 止む をえ ない と諦 める しか ない
︒前 著に おい て︑ 先取 りし て都 市論 を述 べた のは その 好 例で ある
︒ とこ ろで
︑日 本人 によ る﹁ 日本 史﹂ が充 棟で ある よう に︑ ヨー ロッ パ人 によ る﹁ ヨー ロッ パ史
﹂も 同様 であ り︑ 加え て﹁ 入欧
﹂を 掲げ た日 本人 にと って
︑ヨ ーロ ッパ 文化 は人 ごと でな いは ず︒ それ もこ れも 含め て︑ しば らく こ だわ るこ とに した い︒
⑴
まず︑ク ロー ド・ デル マス
﹃ヨ ーロ ッパ 文明 史﹄
︵﹁ クセ ジュ
﹂刊 行年 不明
︑清 水幾 太郎 訳一 九六 三年
︶は
︑ギ リシ ア・ ロー マ・ ユダ ヤの 遺産 を﹁ どん な連 続と どん な断 絶と の関 連で 発達 して 来た かと いう 問題
﹂と して 扱っ て いる
︵﹁ 序論
﹂よ り︶
︒即 ち︑ ギリ シア には
﹁人 間お よび 社会 に対 する ある 種の 考え 方の 形と 骨組
﹂が あり
︑ロ ーマ には
﹁政 治的 法律 的観 念﹂ と﹁ 骨組
﹂が あり
︑神 聖ロ ーマ 帝国 にお いて ヨー ロッ パが 用意 され
︑キ リス ト教 が﹁ 文 明の 精神 と本 質﹂ をひ きう けた と︒ しか し︑
﹁歴 史は
⁝⁝ バラ バラ の事 実の 集積 を示 すも ので は﹂ なく
︑﹁ そう した 事実 を組 み立 てる もの
﹂で ある から
︑事 実を 系列 に分 けて 等し く注 意を 払う わけ には いか ない
︵リ ュシ アン
・フ ェ ーヴ ルの 言葉 と︶ 断じ てい る︵ その 通り
︑だ から 本稿 でも 複数 の史 書を 引用 せざ るを えな かっ た︶
︒従 って 著者 によ って さま ざま な説 明が 可能 とな り︑
﹁歴 史も また 人間 を作 る﹂︵ フェ ルナ ン・ ブロ ーデ ル︶ のだ と︵ 一〇 頁︑ 概略 史と はい え︑ 本書 もそ の一 つと いい たい ので あろ う︶
︒ 第一 章﹁ 中世 の大 冒険
﹂に おい ては
︑商 人の 出現 によ り商 業都 市が 生ま れ︵ 十三 世紀
︑︶ ブヽ ルヽ ジヽ
ョ
ヽ ワヽ が発 展し︵言 葉の 初見 は一
〇〇 七年
︑︶ パル ルマ ンの 萌芽 がみ られ る︵ フィ リッ プ・ オー ギュ スト が十 字軍 出発 前の 不在 中に パリ で四
ヶ
月 に裁 判を 一度 開く よう 命じ たこ とに 始ま る︑ 一一 九〇 年︶︒ 十字 軍に よる 遠征 と冒 険が
︑ヨ ーロ ッパ 諸国 に与 えた 影響 は︑ 封建 制か ら中 央集 権的 行政 の萌 芽を 樹立 し︑ 都市