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民事訴訟法學の過去及び現在 時

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(1)雄. 民事訴訟法學の過去及び現在. 宗. 嚢瞬. 目. 数. いた︒しかし訴訟法學の護達により︵それは近世における司法制. 究する手績法學として︑實艦私法學に從属するものと考えられて. 到例研究. 艦系的著書 圏. 口. び. 文献の総評. す. 破産法・和議法. 論丈及び論交集. ︵一︶. Fイツ普通法末期に至るまで︑ローマ法の傳統に從い︑. を護見し︑民事訴訟法學が實膿私法學に封し濁立の學問艦系を構 ︵一︶ 造することが︑一般に承認せられるに至つた︒. 法學なるものは存しなかつた︒わが國には︑その後における. 手綾法は實艦法に吸牧せられ︑實艦瓢法學の外に︑民事訴訟. 實騰法學から獅立した學問膿系として民事訴訟法學が輸入せ. られた︒しかしその當初においては︑實艦私法學に艶し從属. いた︒筆者は︑この立場を﹁私法的一元齪﹂と構する︒その. 的地位にあるものとして民事訴訟法學の理論が構造せられて. 論. 一四九︵一四九︶. 後︑訴訟法學の襲達に伴い︑漸次︑訴訟法學の凋自性が主張. 民事訴訟法學は︑解繹法學としては︑一般に民事訴訟法︑人事. 時. 分科である︒かつては︑民法學︑商法學等の實艦私法學に封し︑. 訴訟手績法︑破産法等の私法手績法を學問罫象とする法律學の一. 観. 度︑すなわち司法灌の横大・強化を背景とする︶︑濁自の學問領域. 翻. その文獄と業績調査. 村. 民事訴訟法學は︑專ら筆︑れ等實髄法の定める私灌實現の手績を考. 中. 壬ム。. 民事訴訟法學の過 去 及 ひ 現 在. 時 概. 四三三二一 五. 大正中期以後の民事訴訟法學界の展望 大正中期以後の主要交献. む樹国(→大大民概. 概.

(2) ︵實騰法・訴訟法繋立二元観︶︒この立場における民事訴訟法. 一五〇︵一五〇︶. 學は︑民事訴訟法の學問ではなくして︑﹁實艦法﹂と﹁訴訟法﹂. 論. せられ︑實艦私法學のアウタルキーに封する訴訟法學のアウ. との綜合の﹁場﹂である﹁民事訴訟﹂の學問となる︒. 時. タルキーを意圖する訴訟法學の理論に赴いた︒これを﹁訴訟. 産法︵大正一一年法律七一號︶がある︒しかして破産法は︑その. 法典としては︑民事訴訟法︵明治二三年法律二九號︶の外に︑破. つて法典によつて︑一慮︑その膣系がたてられている︒民事訴訟. 民事訴訟法學においても︑解繹法學が主要の部分を占める︒從. 法的一元麹﹂という︒この學説によつては︑訴訟法學は實艦 法學と何等の學問的連關をもたない︒民事訴訟法學は︑實禮. 以上と異なり︑訴訟法により螢爲せられ︑從つて訴訟法學. 法學と無縁な純然たる民事訴訟法の學問である︒. の學問的封象たるべき﹁訴訟﹂に實髄法理の滲透を認めろ學. 要の部分を占め︑破産法學としての濁自の髄系を粗み立ててい. 第一編が實艦規定となつていて︑實腱法との關連が破産法學の主. る︒よつて破産法學を除いた民事訴訟法學を︑暇りにここでは本. 説を︑筆者は﹁實騰法・訴訟法封立こ元翻﹂と欝する︒この. なる︒しかして私法的一元鶴から訴訟法的一元翻に赴く過渡. 學読の下においでは︑實艦法學と訴訟法學との關係が問題と. 來の民事訴訟法學と構する︒. 本來の民事訴訟法學は︑到決手績と執行手績のそれに岐れ︑前. 期學説においては︑この問題について反省が足らず︑訴訟法. 學の凋自性を主張しながら︑なお︑暗黙には︑私法學に罫す. の主要の地位を占める︶の外︑法哲學並に公法學と學問的連繋を. 者は到決手績に關する制度理論︵到例を通した實際的研究が︑そ. 保つことにより︑﹁訴訟﹂の基礎理論並に﹁裁判﹂の法理的研究. る從鵬を認めていたようである︒例えば加藤︵正治︶博士 るが︑ ﹁訴訟法學の諸問題﹂第一輯の序文において﹁鬼に金. は︑大髄において訴訟法的一元観に属する學読をとられてい. に及び︑民事訴訟法學の中福をなしている︒後者においては︑執. 多敷の實禮規定を含み︑且つその手績が他⑳訴訟手績から濁立し. 次に破産法は︑前述の如く濁立の法典に編纂せられ︑それには. 務家を満足せしむる程度の研究しか行われていない︒. その他︑人事訴訟手績法︑調停法等の輩行法律については︑實. 研究は︑前者に比して著しく見劣りのする欺態にある︒. 行手績の制度理論がその主要の部分を占め︑執行力を廻る法理的. 訴訟法を﹁金棒﹂に擬. 棒﹂の偲諺をひき︑實艦法を﹁鬼﹂︑. 筆者は︑法學の騰系が實腱法學・訴訟法學・裁判論の三段. しているQ. 階の階暦構造をもつものと構想する︒この構想の下︑訴訟法 ︵この黙︑加藤博士その他︑從來の實盤法學中心の考え方と. 學の段階は︑實腔法に封し高次の段階に措定せられるが故に 倒逆している︶︑實艦法理が︑嘗然訴訟法學の段階に滲透する.

(3) が國の民事訴訟法學は︑ドイツ法學に深き影響を受けズいた︒そ. 法學の影響の下に︑概してその反省が不充分であつた︒また︑わ. れは民事訴訟法・破産法その他の關係實定法が︑ドイッ法の系統. ている︒その故に破塵法學は︑實盤私法學︵殊に民法學︶と密接 てている︒和議法は︑破産法に附隆するものとして研究せられて. なる連關において︑本來の民事訴訟法學から離れた睦系を組み立. をひいている當然の蹄結であつて︑フランス法並に英米法の理論. は︑軍に紹介せられ︑若しくはドイツ法理論の修正に滲照せら. いるが︑あまり學者の關心を購つていない︒. れ︑斜酌せられるという程度に止まつた︒大正期の著書・論交に. 最後に行政訴訟は︑從來︑行政法學の分野に驕し︑民事訴訟法 學においては︑民事訴訟と行政訴訟との管轄限界の問題を取扱う. おいて殊に然り︒. しかし昭和期に至り︑漸くドイツ法學の支配を腕する氣蓮を生. に過ぎなかつた︒しかし︑新憲法の下に︑行政事件も司法裁鋼所. じ︑ちくじ︑諸法系の學理を綜合した凋自の訴訟法學の理論騰系. の管轄に属し︑民事訴訟法の原則的適用を受けることとなつたか ︵ラ. 樹立の方向に赴いてきた︒殊に終戦後︑英米訴訟手績︵殊に謹嬢. ︵︸︶. 法︶の研究及びこの法理を導入する氣蓮が昂まつた︒また︑私法. ら︑今後民事訴訟法學者も︑勢いこの方面の研究に關心をもたざ これに關する民事訴訟法學者の著書・論交も︑既に若干. 訴訟法學者の注意を呼び起しているようである︒. 學に勤する關係においても︑その學問的連關について︑一般民事. ︵一︶. るをえなくなつた︒また勢働法關係についても同様である︒. 見出される︒兼子一氏・行政庭分の取浦到決の効力︵法曹時. は︑一八九〇年︵明治⁝ご年︶民事訴訟法典の制定以來のことに. 民事訴訟法に關し︑やや學問的艦系を整えた著書の現われたの. 民事訴訟法學の過去及び現在. 法上における立讃責任の分配︵法學新報五八巻一號︶等︒. 畿. 報三巻九號︶︑齊藤秀夫氏・視務訴訟における立謹責任︵税法 學入號以下未完︶等︒. 民事訴訟法に關する著書・論交は︑大正期においては︑その敷. いるが︑いずれも手績の實際を記述した實務家用のものに過ぎな. 馬する︒それ以前︑民事訴訟手績に關する若干の著書も現われて. ︵二︶吉川大二郎他敷氏・勢働雫議と綴慮分︑中村武氏・勢働. が比較的に乏しかつた︒しかし昭和期︵一九二八年以後︶に至り. かつた︒尤もその當時︑司法省が︑イギリス︑ドイツ︑Zフンス. 頓みに塘加し︑権威ある著書・論文の多数が上梓されている︒ 民事訴訟法學は︑種々なる理由の下に實朧私法學︵殊に民法學︶. 弓箒. ていたが︑そのうちには︑テーラ篭英國謹擦法. 等の著名にして手頃な著書を翻課し︑民間書店をして護行せしめ. 婦玉︸︵一玉一︶. ︵虜昌ご烈. に比し︑その嚢達が逞れている︒斯學は︑全灘として實定法を中. 論. 心とする解繹法學の域を晩せず︑その學問的方法においても︑私. 時.

(4) 時. 論. 一五二︵申五二︶. ︵到事︶並に雑本朗造博士︵京都大學︶を初めとし︑綾いて山田. 年頃︶以後のことである︑前掲︑加藤博士︵東京大學︶︑松岡博士. 正三博士︵同上︶︑細野長良博士︵到事︶︑齋藤常三郎博士︵聯戸商. ピ塑を9国く鉱の昌8×ポニエ喜佛國訴訟法原論︵掲oβ一Φきめ菰皆Φβ⑪. 匿傷篤︾ごR影鉱魯甲9ぐ昌鷲08器︶等があり︑その他民問にて︑. 業大學︶等がその先駆者であつた︒引績き昭和期に及んでは︑多. 富零899①9<ε︑プッフエルト濁逸民事訴訟法繹義︵型亭 獲行したもの︑またわが國の學者の手になれる英・佛・猫訴訟法. ては︑菊井維大︑兼子文以上東京大學︶︑中村宗雄︵早稻田大學︶. 数の訴訟法學研究者を輩出した.民事訴訟法專攻の大學教擾とし. 明治二十三年︵一八九〇年︶︑ドイツ法を母法とし︑Zフンス法. 講義もあつた︒. を加味した民事訴訟法典が制定・公布せられてから︑同法の註繹. 大學︶︑青川大二郎︵立命館大學︶︑金子文六︵中央大學︶︑山木戸. 學︶︑齋藤秀夫︵東北大學︶︑小野木常︵大阪大學︶︑中田淳一︵京都. 木衷︑今村信行︑高木豊三氏等の著書がある︒これ等並びにそれ. 克己︵聯戸大學︶の諸氏があり︑これ等の教擾は︑現在︑各々︑. 宮崎澄夫︵慶慮大學︶︑野問繁︵明治大學︶︑田中和夫︵東京商科大. に績いた明治年問の著書は︑いずれもやや組織的な註繹書という. 所厨大學において民事訴訟法の講義を澹當している︒また︑裁判. 書が多敷に獲行せられた︒そのうちには︑當時の著名の學者︑江. 程度のものであつたが︑明治末期から大正中期にかけ︑專らドイツ. 所・辮護士等の實務法曹の方面には︑村松俊夫︵司法研修所教官︶︑. 高根義三郎︵到事︶︑中島弘道︵辮護士︶︑河本喜與之︵辮護士︶︑. 法學の影響を受け︑學問的艦系を整えた著作が上梓せられた︒仁 井田盆太郎博士・民事訴訟法要論全三珊︵一九〇七ー一九ニヨ︑. 戦後︑助教擾となられた民事訴訟法學專攻の新進學徒であり︑更. 岩田一郎到事・民事訴訟法原論︵初版一九〇七年︑その後︑藪回に. にそれに踵いで中務俊昌︵京都大學︶︑小室直人︵大阪大學︶︑中村. お︑伊東乾︵慶慮大學︶及び三ケ月章︵東京大學﹀の爾氏は︑終. 五年︶等が︑その代表的のものである︒奮破産法︵一八九三年に. 英郎︵早稻田大學︶︑木川統一郎︵中央大學︶︑宮崎俊行︵慶慮大學︶. 長尾章︵辮護士︶.等の諸氏が︑民事訴訟法學界に著名嶋︑ある︒な. 施行せられ︑一九一三年︑現行破産法の制定と共に慶止せらる︶. 等の諸君が民事訴訟法學に志している︒. 亘り増補修正せらる︶︑板倉松太郎到事・強制執行法義海︵一九一. については︑松岡義正︑山内確三郎︑加藤正治氏等の著書を代表. 大正中期以後の民事訴訟學界の展望. わが國の民事訴訟法學界は︑前述の如く大正期の中期から飛躍. 意. 的のものとする︒なお︑現行破産法に關しては︑その主要のもの. できる ︒. として︑前記加藤博士並に齋藤常三郎博士の著書を畢げることが. 民事訴訟法學が劃期的護達を途げたのは︑大正中期︵一九二〇.

(5) 的護展を途げてきた︒大膣において︑わが民事訴訟法學は︑ドで. く︑嘗時︑破産法學における唯一の交献ともいうべき﹁破産法講. 加藤博士は︑その頃︑破産法に研究の重職を置かれたものの如. り纒められてある︒. は︑ワイズマン︑フィツティング︑ゾイフェルト等の比較的簡易. 士﹁破産法研究﹂第一巻︵大正六年獲行︶乃至第五巻︵大正十二. 義﹂の外︑破産法に關する論丈が数多あり︑それ等はすべて同博. ツ法學の系統をひくのであつて︑明治末期から大正初期にかけて なドイツ民訴法教科書が︑その範とせられていたようであつた︒. 濟論︑﹁破産宣告二因リ中断セル訴訟ノ受纏﹂︑腰罷訴灌論等︑民. 年獲行︶に牧められてある︒そのうちには︑強制履行論︑自力救. しかし大正中期の頃から︑ヘルウィツクの著書が研究せられ︑ま た︑彪大なシュタイン民事訴訟法註繹書を参照する氣蓮が昂まつ. 事訴訟法學プロパーの間題に關し︑詳細に検討せられた貴重の論. たようである︒この爾者︑殊にヘルウイックのの嶺帯葺動霧留雰. 凶b舜の影響を多分に受けた最初の民事訴訟法教科書は︑大正九. 文もある︵なお︑引績き第六巻以下が襲行せられて︑現在に及ん. れも裁到所の到事であつた︒仁井田博士は︑大正中期の頃には︑. 加藤博士を除いては︑岩田博士︑山之内博士︑松岡博士などいず. 大正中期に至るまでは︑民事訴訟法學者といえば︑薙本博士及び. でいる︶︒. 年に出版せられた細野長良到事の民事訴訟法要義第二巻︵第二巻 が一番先に上梓された︶であろう︒. ら共に著書がなく︑僅かに講義プリントが襲行され ているに止ま. 訴訟法講座を澹當し︑新味ある講義をなされていたが︑遺憾なが. 離れていたようである︒山田博士︵京大︶︑齋藤博士︵神戸商大︶. 東大の講義を憺當せられていたが︑既に民事訴訟法學の研究から. 當時︑東大においては加藤博士︑京大においては雑本博士が民事. つた︵加藤博士の著書は︑その後の出版である︶︒雄本博士の大正. 雑本博士は︑敷多の論交を京都法學會雑誌その他に獲表せられた︒. 東大學派としては︑加藤博士が︑大正・昭和を通じ︑最近に至る. 主流が岐かれ︑それがある程度︑學風を示していたようである︒. ら昭和期に入つてのことである︒この頃から︑民事訴訟法學界の. 民事訴訟法學界が︑頓みに盛況を呈し始めたのは︑大正末期か. などが第一線に現われたのは︑その後である︒. 九年度講義プリントは︑全三冊にわたり︑著書ともなL得る相當 に彪大なものであり︑ドイッ法學説による訴訟理論が各所に展開. これ等によつて︑ドイツ民事訴訟法學の學説が引用せられ︑また. せられ︑當時としては清新の氣みなぎるものであつた︒その外︑. 紹介せられた︒わが國の理論民事訴訟法學の分野は︑まず雄本博. 事訴訟法の改正︵大正一五年︶に際し︑主脳部の役割を演じられ. まで學界の第一線に活躍し︑破産法の改正︵大正二年︶及び民. 一玉三︵一五三︶. 士によつて開拓せられたということができる︒これ等の論文は︑. 論. 同博士の逝去後に出版せられた同博士﹁民事訴訟法論文集﹂に取. 時.

(6) 時. 論. た︒その後纏者として︑菊井教擾及び兼子教擾の活躍がこれに件. 一五四︵一五四﹀. 以上︑官學派並に裁到所派に封し︑私學には共通した學派とい. すべき論文がある︒. うものが存しない︒慶慮大學の宮崎教慶は大禮において細野博士. い︑大正から昭和を通じ東大學派ともいうべきものが大なる勢力. をもつていた︑九州大學から︑最近東京商科大學に轄圧せられた. の學風を受けたものということができよう︒明治大學の野間博士. の研究において第一人者である吉川︵大二郎︶博士がおられる︒. は︑裁到所出身である︒また︑京都の立命館大學には︑保全訴訟. 田中和夫博士も︑東大出身である︒. 東大學派に封抗する京大學派は︑その総帥鮭本博士が︑不慮の. 筆者は︑官學にも裁到所にも全く關係のない︑いわば早稻田はえ. 災厄で早くも世を去られたので︑山田博士︑齊藤博士がその學風 をつがれた︒しかし齋藤博士は︑專ら破産法及び和議法の面にそ. ぬきである︒. 事訴訟法學を專攻する者には︑他の法學の部門に比し︑裁到所側. わが國の民事訴訟法學界の系統は︑大艦以上の如くである︒民. の主力を傾倒せられ︑從つて京大學涙としては︑久しい問︑山田. その後纏者であり︑小野木博士は︑最近大阪大學に韓任せられ. の到事のうちに︑民事訴訟法學上の諸問題に興味をもつ者が勘く. 若しくはその出身の者が多数である︒また︑學問の性質上︑現職. 博士のみがその陣螢を守られていた︒小野木博士及び中田博士が た︒また︑吉川博士︵立命館大學︶及び山木戸教慶は共に京大出. 衣に裁到所側としては︑松岡博士︑板倉博士︑及び前田︵直之. 身である︒. かかる事情の下︑民事訴訟法學が︑勢い裁剣所中心の理論に赴く. い︒純然たる私學出身の教授は︑最近まで︑極めて稀れであつた︒. これに封抗する丈の研究が行われ︑また論文がものせられていな. なく︑多くの論文が出されている︒しかし民間辮護士の方面には︑. これに踵ぐ者が神谷︵健夫︶到事及び細野博士であつて︑更に中. 助︶鋼事が昭和期初頭に至るまで學界の一角を占められていた︒. 島弘道︑河本喜與之︑前野順一︑松村俊夫氏などがある︒これ等. 的役割を演じたことは︑これまた當然の成り行きである︒わが國. していた官學が︑この傾向に好意をもち︑否︑それに封し︑主導. には︑明治及び大正初期において︑民事訴訟を私灌保護の制度とす. のは當然の趨勢であろう︒わが國の官僚主義の温床たる役自を果. つて︑大學派に封する裁鋼所派ということができよう︒板倉博士. るドイツ民事訴訟法學が輪入せられたのであるが︑裁到所中心の. の諸氏の間には︑これと學風の一致を見出せないが︑裁到所中心︑. は早く學問の第一線から退き︑民事訴訟法學における裁到所派の. 理論は︑裁到所の職灌鑛大を是認し︑民事訴訟の機能を裁到所側. 訴訟手綾中心ともいうべき何か共通したものが感じられるのであ. べきであろう︒細野博士に績いて︑中島博士には︑異色ある注目. 主流は︑松岡博士︑前田到事から細野博士に傳われるものとみる.

(7) からみた法秩序維持の面において高く評贋する結果︑私罐保護の. 面は︑漸次捨象せられざるを得なかつた︒大正十五年の民事訴訟 法の改正は︑訴訟の促進︑裁剣所の職灌鑛大を意圃したものであ. 訴訟法學界は︑ ちくじ︑この鮎に反省を加えつつあるようであ. 四. 騰系的薯書. 大正申期以後の主要丈織. る︒. O. 民事訴訟法理を騰系的に序述した講義書は︑いずれも到決手績. その後におけるこの傾向の護展を助長した︒. る︒これは︑その當時の學界の傾向を代表するものであり︑且つ. この趨勢には︑更にドイツ民事訴訟法學のナチス化が著しく影. 五年の民事訴訟法改正以降のもので主要なものを︑大膣︑護行の. を中心とし︑多くは執行手績に及んでいない︒こ≦イ︑は︑大正十. 民訴の改正に俘い︑それを修正︑加筆し︑第四巻にまで及んだが︑. 未完結である︒博士は︑奮民訴時代に第一・二巻を著わされ︑. f六年︶. 山田正三氏︑ 改正民事訴訟法第一巻乃至第四雀︵昭和三. 年代を逐うて拾い畢げてみる︒. い︑また︑その性格をいわゆる﹁訴訟法的一元襯﹂と規定する・. 国で界. 響した︒その手はじめとして︑筆者がナチス訴訟理論の先駆とい. iゼンベルグの民事訴訟法教科書︵ζξ言魯号ωき暮. 一貯鼻ピ讐︶がヘルウィックに代りわが學界の珍重するところ ︵一︶. となつた︒爾來︑ドイッのナチス化の進行に件資その法理が無批. よる裁到所中心の制度に︑法理的根嫁をつちかつたのである︒す. 途に完結しなかつた︒その後︑稿を改め︑日本民事訴訟法論第一. 到的︑否︑禮賛的にわが學界に紹介せられ︑裁到所の職灌膿大に. 理論の徹底化に方向づけられていた︒かくして終戦を迎えたので. なわち民事訴訟法學界は︑筆老のいわゆる訴訟法的二兀灘の訴訟. るようてあるが︑全編を通じて蝕りにも概念法學的であり︑不徹. ない︒本書によつて︑博士は新たな學風の樹立につとめられてい. ・二巻︵昭和八f九年︶を執筆せられたが︑これまた完結してい. ︵一︶當時︑ナチス訴訟理論に封し︑否定的批到を加えた者は︑. 底な訴訟法的一元観による形式理論が展開せられている︒その. ある︒. 恐らく筆者のみであろう︵拙著︑訴訟法學の騰系と訴訟改革. い︒. 一玉美一璃五︶. 嘗時の代表的著作であるが︑現在てはあまり高く債値評贋できな. 理論︹昭和一七年︺第二部一九八頁以下︶︒. 終戦後︑國情は一攣した︒年來︑筆者の懐抱する市民肚會的民 事訴訟原理が行われなければならない︒それには過去の裁判所中. 論. 心主義の理論︑訴訟法的一元齪の法理の修正を要する︒わが民事. 時.

(8) 時. 論. 細野長良氏︑民事訴訟法要義第一巻乃至第五雀︵昭和五. 一五山ハ︵一五山八︶. 中村宗雄︑民事訴訟法原理第一巻︵昭和二一年︶. 訴訟法講義×その最終巻は︑組版が終り︑印刷に附せんとして戦. ある︒その績巻は︑未定稿として題名を改めて刊行したが︵民事. 民事訴訟制度を廣きべーシスの上から検討すべく企てた著作で. 判決手綾全部を取り纏め︑當時における代表的著作であるq全. 災により烏有に蹄した︒. ー一二年︶. 巻に亘り︑ドイツ民事訴訟法學︵主として︑ヘルウィック︶の理. 兼子教擾は︑加藤博士の學風を踵ぐものであり︑本書において. れ︑從つてその影響力が強かつた︒. ることと相挨ち︑民事訴訟法教科書の標準的のものとして︑廣く. て手頃であり︑かつ︑教授が加藤博士に踵ぐ東大學派の中橿であ. れなく論及せられている︒教科書用として︑また司法實務用とし. ある︒全編よく取り纏められ︑民事訴訟法學の諸問題が殆んど洩. 到決手綾の全部に亘り︑大學における講義用に作られたもので. 兼子一氏︑民事訴訟法概論︵昭和二二年︶. 論を導入し︑且つ博士の該博な庭論が展開せられている︒今な お︑學問的贋値を認めるに充分である︒博士は︑大正九年に本書 の前身︑民事訴訟法要義第二巻を著わしたが︑その當時における 劃期的著作とみるべきものであつた︒. 松岡義正氏︑新民事訴訟法註繹第一巻乃至第六巻 ︵昭和四−一四年︶. 逐條の註繹書である︒ドイツ法學読を詳細に引用し︑異色ある も︑第二三〇條までで︑遺憾ながら完結していない︒. 中島弘道氏︑日本民事訴訟法上下巻 ︵昭和九年︶. の標準的學説を盛り︑全巻よく取り纒められている︒しかしわれ. 到決手績全部に亘り︑一八00頁に及ぶ大冊である︒その當時. 解は︑輩に裁到所に鍔する和解成立の﹁報告行爲﹂としてのみ把. 實艦法の面を捨象することとなる︒その故に︑例えば裁到上の和. すべての﹁訴訟﹂に現われる事項を訴訟法の面からのみ考察し︑. 目的は︑法秩序の維持にありということになり︵同書四頁︶・また︑. ︵徹底していないところもある︶︒この立場の下︑民事訴訟の制度. は︑筆者のいわゆる訴訟法的一元翻の理論が展開せられている. われとしては︑本書によつて別段教えられるところもなかつた著. 握せられるというが如き部分灘に陥る︵同書三四五頁︶︒. 書である︒. 再版に際し四巻に改む︒. 誤韻ま.

(9) 訴訟法的一元翻は︑ナチス訴訟理論のとるところであり︑裁鋼. し︑忌輝なくいわしむれば︑その學風のしからしめるところか︑. 窪に行屈いた著書であり︑代表的著作ということができる︒しか. 訂版が襲行された︒. 内容・序述ともに新らしみが見出されない︒最近︑一部加筆の新. 所の職灌横大に好意をもつ立場である︒筆者は年來︑市民肚會的 きた︒兼子教擾は︑終戦後︑﹁民事訴訟の出護黙に立返つて﹂︵法協. 教科書用として終戦後に執筆したものであり︑判決手綾の外︑. 中村宗雄︑民事訴訟法上下巻︵昭和ニマ⊥一二年︶. 到實務に從事せられた著者の勢作として︑異色が見出される︒. 蕾著民事訴訟法概論を全面的に加筆・修正した新著である︒裁. 野間繁氏︑民事訴訟法概読︵昭和二五年︶. 民事訴訟法原理に立つて︑この訴訟翻並びにその學読に反封して 六五巻二號︶と題する論文で︑その立場の轄換を宣言せられた︒ その故に終戦後︐新たに執筆せられた﹁民事訴訟法﹂︵一︶︵昭和. 二四年︶においては︑諸慮に本書に述べてあるところとは︑その 學説を改められている︒例えば︑筆老と同じく﹁訴﹂と﹁請求﹂. とを概念的にこれを分離したが如し︒しかし筆者に言わしめれ ば︑なお︑そめ改読が不徹底である︒. 本書は︑現在︑絶版となつている︒忌揮なくいわしめれば︑本. 訴訟法との綜合の﹁場﹂である︵序文︶との立場から︑筆者のい. わゆる︑實騰法・訴訟法封立二元翻を徹底せしめた訴訟理論が展. 強制執行︑仲裁手綾に及んでいる︒本書は民事訴訟が︑實騰法と. 開せられている︒民事訴訟法の一部改正に伴ひ︑本書を更に要約. 書は十数年前の作であり︑現在の學問的レベルからみれば︑教授 ある︒教擾の新たな立場から思索を重ね︑版を新たにして讃書子. した﹁改正民事訴訟法﹂︵昭和二四年︶が著わされた︒. の著作として思索の不充分の驕写整わない黙が各所にあるようで. の待望に答える日の早からんことを期待する︒現在︑同教授の執. ︵昭和三年︶︑竹野竹三郎氏著・新民事訴訟法. 一五七︵一五七︶. 繹義上中巻︵昭和五・六年︶︑前野順一氏・民事訴訟法論全工珊︵昭. 訴訟法要論上下巻. つたものを掲げた︒以上の外に︑岩本・三ケ尻爾氏共著・新民事. 艦系的に講述した著書のうち︑代表的な︑比較的影響力の大そあ. 以上は︑大正十五年の民事訴訟法改正後において︑到決手綾を. 筆・刊行しつつある﹁條解民事訴訟法﹂が︑ある程度この待望を 満たすものであろう︒同書は︑第一︑二巻ハ第二四一條まで︶が 著わされている︒. 加藤正治氏︑民事訴訟法概論︵昭和二一年︶ 本書は︑新法學全集に掲載したものに加筆増補したものであり︑. 論. 鋼決手綾全般に亘つている︒民事訴訟法學界の長老の作として︑. 時.

(10) 時. 論. 和一三年︶︑河本喜與之氏・民事訴訟法提要︵終職後改版︶等が あり︑終戦後のものに︑前述した外︑長尾到事︵現在辮護士︶︑. 小野木教擾︑吉川教授︑野問教授︑山木戸教擾︑及び筆者などの 著書がある︒. 衣に強制執行法に關する騰系的講述書の主要のものを掲げる ︵大正中期に至るまでのものは︑既に掲げたから省略する︶︒. 松岡義正氏︑強制執行法要論上︑ 中︑下巻︵大正 ご一丁⊥四年︶ 一七四〇頁に及ぶ努力の大朋であつて︑ドイツ法の學説を細大 となく引照してある︒本書の原稿が關東の大震災により烏有に臨 せざるを得ない︒この外︑松岡博士には保全訴訟︵假差押︑假庭. し︑再び稿を新にせられたという︒博士の努力と精力とには敬服 分︶要論︵大正一五年︶がある︒. 一. 弧八︵一五八︶. 山田正三氏︑強制執行法︵昭和一一年︶. 簡軍な概論である︒司法受験用に執筆せられたものであろう︒. 小野木常氏︑張制執行法概論︵昭和ご二年︶. 教科書用として執筆せられたのであろうが︑ 前記︑山田博士の 著書よりも大研であり︑整つている︒. 蒙子一氏︑彊制執行法︵昭和二四年︶. 新法學全集に掲載したものを毫本としてある︒假差押︑假慮分. が敏けている︒教擾濁特の理論が各所に展開せられ︑好著であ番 が︑學習用としてやや難解である︒. 菊井維大氏︑民事訴訟法ω︵昭和二五年︶. 強制執行法全般に亘り︑仲裁手績にまで及んでいる︒ 極めて理. 以上の外︑終職後に獲行せられたものに︑小野木常氏・強制執. 解し易く書かれた教科書である︒. 現代法學全集に執筆し︑それを修正・加筆せられたものであ. 強制執行法講義︑柳川眞佐夫氏・保全訴訟︹假差押・假庭分︺︵實. 行法及破産法講義︑吉川大二郎賃・強制執行法︑山木戸克已氏・. 加藤 正 治 氏 ︑ 張 制 執 行 法 要 論 ︵ 昭 和 一 〇 年 ︶. る︒強制執行法全般に亘り︑簡明に且つ洩れなくその理論を講述. なお︑強制執行に瀾しては︑實務家の立場から執筆せられた償. 務家向き︶等がある︒終戦前のものは省略する︒. してあり︑到例の引用も豊富であつて︑同博士の破産法要論とと 正の改訂版が著わされている︒. もに︑標準的な教科書ということができる︒最近︑一部加筆・修.

(11) 論文及び論丈集. 値ある著書が勘くない︒. 口. 乗子一氏. 教授の論交集に︑民事法研究第一巻︵昭和一五年︶. があまりないようである︒. がある︒訴訟承綴論以下九編が牧めてある︒いずれも︑それぞれ るには参照を必要とする部分が. くない︒但し﹁訴訟承縫論﹂は. 比較的大部のものであるが︑論述が廣範園に亘り︑まとまらな. の問題につき詳細な議論が展開されている︒それ等の問題を論ず. いる︒それ等のうち︑主なものを取り上げるだけで妬大仕事であ. 民事訴訟法學に關する論丈及び論交集は︑敷多く上梓せられで︑. るから︑ここには筆者別によつて︑極めて限られたものについて. ﹁裁判の本質的作用は灌利創造である﹂︵序文︶という主張且つ結. その著︑裁判の創造性原理︵昭和一六年︶は︑. 感じがする︒. 論をひつさげた大部の勢作である︒裁判の創造的契機を認識せら. 中島弘道氏. 述べるであろう︒. 論丈集︵昭和三年︶がある︒それには︑﹁正當ナル嘗事者﹂︵明治. れたことは︑當時の學界の水準から一歩を踏み出でたものであ. 博士の逝去後出版せられた同博士・民事訴訟法. 四二年﹀︑﹁訴の原因﹂︵明治四二年︶等を最も古いものとして︑訴. 堆本朗造氏. 灌論︵大正一〇年︶に至るまで︑博士の代表的論文二一編を牧め. り︑その着眼は正しい︒しかしその出護黙を︑ドイッ西南學派. いないところに見轡盟遅いがある︒それが︑この論文の致命的鉄陥. う生産學読におき︑裁鋼が國家意志の宣言なることにまで遡つて. ρナトルプ︶の認識論︑すなわち﹁認識は封象を生産する﹂とい. てある︒いずれも︑當時の學界の最高峰に位するものであつて︑. 博士の論交は︑同博士・破産法研究第一巻乃至. 現在なお︑引用するに足る歴史的論文である︒. 加藤正治氏. となつて︑各所に首肯し難い所論が展開されている︒努力の作で. この論文については︑當時︑吉川教授並に中田教授︑小野木︑. 器用に取り入れたという感じの論文である︒. ケルゼン等の學読を羅列し︑それに認識論及び心理學の諸學説を. ているが︑民事訴訟法に關する貴重な論文の存することは前述し. 第一〇巻に牧められてある︒破産法に關する論文が大部分を占め. 博士は︑屡々法學論叢に論文を獲表せられた. ない︒. 破産法及和議法研究第一巻乃至第二雀があ. あるが︑全編を通じて方法論的統一がなく︑ザウエル︑ビンダー︑. 齋藤常三郎氏. た如くである︒. 山田正三氏. る︒多くは短編であつて︑大部の論交は. 巻ニム干五號︑法律時報一三巻九號︶︑筆者もその當時︑筆者の髄. 齋藤諸教授の手痛き批到があり︵法志四四雀〒四號︑法叢四五. 一五九︵一五九︶. が︑遣憾ながら︑その論文集が獲行せられていない︒しかし︑博. 論. 七∂論交には︑現在において引用に値する︑いわゆる歴史的文献. 時.

(12) 論. 一六〇︵一山ハ○︶. に資料の紹介は教授の凋壇場であり︑實務並に學界に及ぼした貢. られているが︑まだ論交集が襲行せられていない︒海外の學説並. 時. がある︵拙著︑訴訟法學の艦系二三・七一頁等︶︒しかして中島氏. 概念の比較法的研究﹂︵法學新報五七巻九號︶︑民事訴訟法におけ. 献は高く評贋されなければならない︒最近のものに﹁訴訟法上の. 系論を述べるに際し︑前述の要旨を中心とする批評を述べたこと は吉川並に中田教授の批評に封しては﹁質疑に答﹂えられ︑やや. 料三號︶﹁國會と司法灌の濁立﹂︵昭和二六年︶がある︒. して︑﹁司法に關する國政調査灌﹂︑へ昭和二五年一月︑一般裁到資. る大陸法と英米法︵法曹時報二巻二一號︶等があり︑また著書と. 水かけ論に畢つたが︑筆者の方法論的批鋼には︑途に何等の回答 がなかつ た ︒. 中島氏は︑終戦後︑﹁畢讃責任の研究﹂︵昭和二四年︶を執筆せ. られた︒學位論文との由である︒わが學界には︑古くは雄本博士. 必要にして且つ興味ある問題につき︑裁到官の立場から論述した. がある︒繹明義務︑帥決和解︑準備手綾等々︑實務家の立場から. その論文集に﹁民事裁到の研究﹂︵昭和一五年︾. とみるべき論文六編が牧められてある︒學問的には鯨り深く掘り. 村松俊夫氏. 握していない︒本書は︑立謹責任につき︑當事者の側面からばか. 三の論文あるも︑鮭本博士のそれを除けば︑立謹責任の全貌を把. 下げてないが︑いずれも好論文であり︑實務に關係なき學者の論. の論文﹁撃謹責任の分配﹂︵大正六年︶があり︑それ以後︑二︑. りでなく︑裁到所の自由心謹との關係をも論述してある﹁裁到の. 氏は最高裁到所到事であつて︑民事訴訟法に關. 創造性原理﹂に比し︑問題は小さいが︑よく要黙を端くし︑取り. 岩松三郎氏. 文とは異つた特色をもつ︒. 博士は︑保全訴訟に關する灌威者である︒そ. 巻二號︑三巻一一號︶がある︒多年︑裁到實務に從事せられた経. する最近の論文に﹁民事裁到における到断の限界﹂︵法曹時報二. 吉川大二郎氏. 纏まつている︒. の著︑﹁保全訴訟の基本問題﹂︵昭和一七年︶を最たるものとし︑. 教授は︑. ﹁法學﹂その他に︑屡々論文を執筆せ. ﹁訴訟法學の禮系と訴訟改革理論﹂︵昭和一七年︶は. 段階構造を意圖して執筆したものである︒ザウエルの訴訟法基礎. 二部からなる︒第一部民事訴訟法學の艦系は︑筆者が訴訟理論の. 筆者. 握について方法論的に充分でない︒. として考察﹂する立場にあつて︑裁到における非合理的契機の把. 験を織り込んだ異色ある論丈である︒但し﹁民事裁到を三段論法. ﹁保全慮分の研究﹂︵昭和一二年︶︑﹁保全庭分到例研究1﹂︵昭和. 英米法の灌威者であつて︑英米民事訴訟法に關. 一五年 ︶ は ︑ い ず れ も 他 人 の 企 及 し 得 な い 内 容 を も つ ︒. 田中和夫氏. しても敷多の論文がある︒しかし︑英米民事訴訟を中心とした著 書︑若くは論文集の著わされていないことは︑遺憾である︒別に 齋藤秀夫氏. 博士には﹁立謹責任の到例研究﹂︵昭和一三年︶がある︒.

(13) の下に︑﹁客襯法﹂と﹁訴訟﹂の封立を同一亥元内部の問題として. 論は︑訴訟の護展過程を捉えんとしているが︑カント哲學の影響. 訟法學﹂︵昭和⁝二年︶︑﹁マルクス主義理論と訴訟法學﹂︵昭和二. 右の外︑比較的短編の論文を牧載した論文集に﹁實禮法學と訴. 上げる盤系構造によつて訴訟理論を叙述し︑展開したのが本書第. 礎どした論交六編を牧載してある︒いずれも好論文である︒後者. 年︶がある︒前者は︑訴訟法學會例禽における︑會員の講演を基. 輯︵昭和ニニ年︶︑及び齋藤博士還暦記念﹁法と裁到﹂︵昭和一七. 訴訟法學會編纂・訴訟法學の諸問題第一. 五年︶がある︒. 一部である︒爾來︑筆者は︑この騰系の護展を意圖して思索を重. 民事訴訟法論文集. いるようである︒これに罫し︑筆者は︑ゴットルの経濟學に示唆. ね︑現在︑法學の全騰系を︑私法關係︑訴訟關係︑裁到の三段階. 士を初めとし︑民事訴訟法學專攻の諸氏が論文を執筆し︑贈呈し. は︑齋藤常三郎博士の還暦記念に出版されたものであり︑山田博. を得て︑訴訟基礎理論︑形式理論︑構成理論と順次階層的に積み. に構造する構想に到達している︒本書は︑その方法論的出護黙を. 實腔法理の導入を提唱し︑筆者の名構した﹁實艦法・訴訟法封立. 民事訴訟法二巻がある︒これ等は︑いずれもその當時における代. 二巻︑加藤博士・民事訴訟法到例批評二巻︑山田博士・到例批評. 民事訴訟法に關しては︑古くは鮭本博士・鍔例批評民事訴訟法. 判例研究. 二元翻﹂の立場において︑まず﹁訴訟﹂における最も基本的な概. 表的判例批評であるから︑過去の學界の趨勢を知るには︑好適の. 鱒. ている︒. なした著作である︒第二部においては︑當時︑わが學界を魅了し. たナチス訴訟理論とその改革案を批到し︑筆者の立場における訴 訟制度改革の理論とその具艦案を呈示したものである︒. 念としての﹁訴﹂と﹁請求﹂との相關々係につき︑從來の諸學読. ﹁訴と請求拉に既到力﹂︵昭和二四年︶は︑﹁訴訟﹂の理論構造に. を批判し︑この立場による﹁訴訟﹂の理論構造を展開して︑最後. 資料である︒. 終職直前に至るまで︑引綾き護行せられ︑終戦後は︑同じく東大. 東大民事到例研究會編纂の﹁判鯛民事法﹂が︑大正一〇年以來︑. に到決の既到力にまで及べるものである︒筆者は︑この溝想を朧. 田法學第一三巻︶を執筆し︑爾來︑思索を重ねつつ順家論交を護. げに抱きながら︑昭和七年︑﹁民事訴訟開始の私法上の効果﹂へ早稻. のうちには︑民事訴訟法に關する多敷の到例批評がある︒初期の. 到例研究會によつて﹁到例研究﹂が三巻まで護行されている︒そ. 一六一︵一ゐハ一︶. 頃には︑末弘博士︑我妻教授などの顔ぶれも見えたが︑その後は︑. 表し︑昭和二十三年﹁裁到の効力﹂︵早法二三巻︶に及んだ︒而し. 識. てこれ等の論交を整序し︑全段にわたり加筆・修正したものが本 書である︒. 時.

(14) 論. 山ハニ︵一山ハニ﹀. 齋藤博士・比較破産法論︵昭和一五年︶は︑各國の法制を比較. 時 專ら菊井教擾と兼子教擾が澹當せられた︒この到例批評は︑頁敷. ればならない︒小野木常氏・破産理論の研究︵昭和一三年︶︑板. 検討した博士の濁壇場の著書であり︑その贋値を高く評贋しなけ. 和議法に關しては︑極めて著書が ない︒しかし︑齋藤常三郎. 學界を飾ろ著書というべきである︒. 木郁郎氏・否認構に關する實謹的研究︵昭和一八年︶も︑破産法. を制限されている關係上︑あまり深い研究に及んでいない.しか. 右に謝し︑昭和一〇年以來︑民商法雑誌か獲行せられ︑各方面. し︑いずれもよくまとまつている︒. に執筆者を求めて到例批評を掲載している︒もとより民事訴訟法. 氏・日本和議法論上下巻︵大正一五−昭和九年︶は︑内容の充實. に關する到例批評が敷多ある︒筆者が限定せられていないこと. した︑この方面の最高灌威の著書というべきであろう︒なお︑小. 野木常氏・和議制度の研究︵昭和一六年︶を畢げなけれぱならな. と︑比較的多くの頁敷が割當てられていることにより︑精彩に富. 輩行本としては︑筆者に到例民事訴訟研究第一巻︵昭和一四. むでいる︒終戦後︑獲行の澁滞していることは遺憾である︒. 掲載されてある︒. 産法及和議法研究︵全一一雀︶には︑破産法に關する論文が多数. 前述した加藤博士・破産法研究︵全一〇巻︶及び齋藤博士・破. い︒. る︒なお吉川教授は︑保全慮分到例研究1︵昭和一五年︶を著わ. 法︵昭和二五年︶︑菊井教擾・判例民事手績法︵昭和二六年︶があ. 年︶︑及び終戦後にとりまとめたものに︑兼子教授・到例民事訴訟. している︒いずれも法律誌に襲表したものの牧載である︒. 丈獣の総評. 民事訴訟法に關する文献は︑昭和期に入つてから急テンポに増. 価. 加した︒大正後期をも含めて︑以上にその主なものを掲げてみ. 破産法・和議法. 大正一一年現行破産法が制定せられて以來︑相當激の講述書が. た︒或いは主要の文献で脆漏したものもあるかも知れないが︑そ. ㈱. ︵昭和九年︶︑齋藤常三郎氏・日本破産法︵昭和八年︶であろう︒. そのうちにも特に筆者は︑衣の敷著を︑その時代︑その分野にお. 以上の諸交献はいずれも︑學問的贋値高き著作である︒しかし. の責任は筆者にある︒一重に寛恕を乞わなければならない︒. 著わされているが︑その代表的なものは︑加藤正治氏・破産法要論 井上直三郎氏・破産法綱要第一巻︵大正一四年︶︑松岡義正氏・破. ける代表的文献として高く評償する︒. 産法論上巻︵昭和四年︶は︑それぞれ特色あるも︑遺憾ながら完 三年︶︑小野木常氏・破産法概論︵昭和一五年︶は好著である︒. 結していない︒竹野竹三郎氏・破産法原論上下巻︵大正二一i一.

(15) ます︑罐系的講述書としては︑到決詠訟については︑細野博士・. 昭和期に入つてからヤ民事訴訟法學は解繹法學的段階を止揚し︑. 者は︑訴訟法濁自の艦系を構造するに急であつて︑訴訟法學と實. れるに至つた︒しかしそれには︑種々な事情も加わり︑訴訟法學. 騰法學との連關について殆んど無關心なのが︑この時代の民事訴. 飛躍的襲展を途げ︑理論民事訴訟法學の騰系が︑漸次︑樹立せら. 士・比較破産法を推したいと思う︒なお︑その量において︑前敷. 訟法學界の大勢であつた︒細野博士・民事訴訟法要義及び兼子教. 民事訴訟法要義全蓋巻︑執行訴訟については︑松岡博士・強制執. 著に及ばないが︑兎に角︑立場を一貫して内容が整序せられ︑且. 疲・民事訴訟法概論は︑この學風の代表的著作であり︑指導的役. 行法要論全三巻を畢げる︒また破産法の分野においては︑齋藤博. つ影響力の強かつた︵それには客観的事情が加わつている︶著書. ドイツにおいても然り︶︑すなわち︑訴訟における實艦面を捻象. と名構すると共に︑當時の訴訟法學界の大勢︵わが國のみならず. かして︑筆者の學問的態度を自ら﹁實艦法・訴訟法封立二元翻﹂. てあるとの見地から︑訴訟法理に實髄法理の導入を提唱した︒し. 筆者は︑これに到し﹁訴訟﹂が實艦法と訴訟法との綜合の﹁場﹂. 割を演じたとみることができる︒. として︑兼子教擾・民事訴訟法概論がある︒. 次に論文集としては︑雄本博士・民事訴訟法論丈集︑及び加藤 博士・破産法研究第一巻乃至第五巻が︑明治︑大正を通じてその 時代の最高峯に位する論交を牧載してある墜史的交献である︒ 最後に箪行論文としては︑筆者の一︑訴と請求蚊に既到カ一を敢 えで自薦する︒. 理論的矛盾と實践的不當を指摘した︒筆者の論稿は︑當時︑訴訟. する學問的態度を﹁訴訟法的一元翻﹂の學説として規定し︑その. わが國の民事訴訟法學の襲蓬は︑大艦において明治・大正期. 法學者によつて注目せられたが︑通読に反するものとして大なる. 五 むすび. ︵第一期︶︑昭和期終戦直前まで︵第二期︶︑終戦後︵第三期匠分. 實騰法學からの濁立により到達した學問的段階であるが︑しかし. 實艦法學と訴訟法學とが學問的無縁であることは︑訴訟法學が. 反響がなかつたようである︒. 學とでもいうべき解繹法學の時代であつた︒尤もこの時代の末期. の獲達と環境の攣化は︑漸く筆者の主張に反響をみるに至つたよ. 學問は︑常に同じ段階には停滞しない︒終戦後におけるわが學界. 明治・大正期は民事訴訟法の條文を中心とした記述民事訴訟法. つことができよう︒. には︑雑本博士を先駆者として︑私法學に封する訴訟法學濁自の 次の時代を待たなければならなかつたのである︒ 論. 一六三︵一六三︶. うである︒いずれにせよ︑實艦法學と訴訟法學との問の學問的・. 分野を見出さんとする努力が爲されたのであるが︑その大成は︑. 時.

(16) 時. 論. 一六四︵一六四︶. また︑到例タイムズその他の法律誌に諸論交が散見される︒. 問におけるように︑活濃に共同研究が行われていない︒しか. ︵三︶わが國では︑肚會科學の方面においては︑自然科學者の. 比較註繹米英刑事訴訟手績の實際︵昭和二四年︶等があり︑. おいて研究を進めると同時に︑爾渚の共同研究をも期待せられ. し綜合的成果を畢げるためには︑共同研究の必要性を何人も. い︒それには︑訴訟法學者及び實騰法學者が︑それぞれの分野に. る︒しかして實髄法學と訴訟法學との綜合は︑より高次の段階に. 疑わないであろう︒筆者は︑日本學術會議の委員會におい. 方法論的連關を圖ることが︑今後の學界の問題でなければならな. ︵一︶ この瓢に關する筆者の構想は︑本誌に掲載の拙稿︑﹁自然. ︵一︶ ある裁到論において完成せられるというのが筆者の構想である︑︑. て︑交部省科學研究費等分科審議會が︑綜合研究助長の態度. 本稿は︑丈部省業績調査委員會の委囑により︑昭和二十. 六年一一月二七日︑早稻田大學法學部研究室にて記す︶︒. 五年夏に執筆し︑それに︑若干加筆したものである︵昭和二. 附記. 要望が容れられたといい得ない欺態にある︒. 賛成した︒しかし法學部門に關していえば︑必ずしも筆者の. を執られんことを要請し︑出席委員は︑いずれもこの意見に. 科學による法學の學問燈系への示唆﹂においてとりま・ろて あるっ. 以上の基礎的碑究に封し︑學問上のみならず︑直接︑實践的重 パご 要性をもつものとして︑英米訴訟法理︑殊にその謹篠法の研究と 更に英米の訴訟制度並に法理が︑如何なる程度においてわが國に ︵二︶. 導入せられうるかの研究とにつき︑わが國の訴訟法學者の今後の. 業績を期待しなければならない︒それには︑刑事訴訟法學者︑殊 に英米法學者の協力を敏いては︑充分の成果を畢げ得ないであろ ︵三﹀ う︒ここにも共同研究の必要が認められる︒. 和二二年︶︑なお︑遡つては︑梅原錦三郎氏・訟廷立謹の原. ︵一︶ これに關しては︑峯岸治三氏・イギリス謹嫁法研究︵昭 理︵大正一〇年︶︑岡村輝彦氏・英國詮檬法︵明治一二一年初 版︑大正五年再版︶等がある︒. 行われている︒江家義男氏・刑事謹擦法の基礎理論︵昭和二. ︵コ︶現在のところ︑この研究は︑多く刑事法の分野において 六年︶︑鈴木勇氏・民刑新謹撮論︵昭和二五年︶︑中村武氏・.

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